釧路戦記

第三十五章
 敵が釧路市内で暴れ回っているのは、一般市民の殺戮を目的としているのだろうか。そうであるなら、一般市民に市から脱出させないようにする筈である。ということは、言うまでもなく、駅を制圧するという事に他ならない。従って敵は駅にいる筈だ。
 無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。敵兵を満載した列車が、札幌から接近していると情報が入った。至急本部に来い。以上〉
「了解」
 私は本部へ行った。本部長は私を奥の部屋へ入らせた。
「重要任務だからよく聴け。
 札幌発二二時一五分の釧路行き各停四二三列車に、敵兵二百が乗り込んだという情報が入った。我が軍としては、これ以上一兵たりとも釧路市内に入れる訳にはいかぬ。そこで、釧路駅に着く以前に列車を止めて、敵部隊を潰す事を考えた」
「しかし……一般の乗客をどうしますかね。敵は釧路駅へ行く積りでいる筈です。それを何者にせよ阻止しようとすれば、敵には一般の乗客という又とない人質がいますからね。何をされるかわかりませんよ」
「そこで、矢板に、特殊任務を命ずる。その列車に乗り込んで、敵を撹乱せよ」
 私は耳を疑った。
「そんな無茶な! 敵は二百でしょう? たった一人で何をしろと言うんです?」
「列車を停めさせて、一般乗客を解放することを主目的として行動するように」
「歩兵一個大隊くれたらやります」
 私の反論は本部長の耳に入らない。一体私に何か恨みでもあるのか。幣舞橋の時に臆病呼ばわりされたのを根に持っているのか。
「部下を集めてやれ」
「失敗したら私は責任負えませんよ」
「命令だ」
 これはやるしかない。私は言った。
「では行きます。トラックを出して下さい」
「わかった」
 私はトラックに乗り、駅へ向かって出発した。幣舞橋へ来た時、私はある事を思い出した。
 幣舞橋の西方に浜釧路という貨物駅があり、釧路から帯広へ向かった最初の駅新富士から、貨物線が通じている事である。これは使える。しかも浜釧路駅は岸壁の近くだ。乗客を船で避難させることができる。
 私は無線機で谷口を呼んだ。
「TYT、こちらTYH。応答せよ」
〈こちらTYT〉
「TYHだ。部下を集めて、民兵軍司令部へ来い」
〈了解〉
 時刻は八時十分。廃墟と化した司令部で待っていると、やがて谷口と部下の矢部、西川、屋代、中村、浅野、早川、中山、吉田がやって来た。谷口は言った。
「石田がいません」
 私は言った。
「石田は病院だ。早く乗れ。任務だ」
 十人の乗ったトラックは駅へ向かって走る。私は谷口に訊いた。
「駅の状況はどうだ」
 谷口は答えた。
「完全に、敵に占領されてます。近寄れません」
「列車は動いてるのか?」
「全く、昨日から止まったままです」
「そうか。任務を言う。
 九時五十分に釧路に着く筈の、下り旅客列車に、敵部隊が乗り込んでる。そこで、この部隊を阻止するのだ」
 皆一斉に声を上げた。
「我々だけじゃ無理ですよ」
「一般乗客がいますし」
「友軍は協力してくれるんですか?」
 私は皆を鎮まらせた。
「黙れ! 作戦はこうだ。新富士駅へ急行して、そこで列車を止める。このトラックを線路に放置してでも。そして、友軍の協力を得て始末する」
 その時、無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。情報が入った。国鉄からだ。敵は列車を乗っ取った。絶対に停止させるなと言っているらしい。今先刻、尺別を通過した列車が通信筒を落として行った〉
「何とかやってみます。一個中隊ばかり、浜釧路駅に配置して下さい。それと、一般乗客を逃がすための船を一隻、浜釧路駅の岸壁に用意して下さい。どうぞ」
〈わかった。手配しよう。どうぞ〉
「大楽毛まで行けますか? どうぞ」
〈大楽毛? 何とか行けるだろう。敵中突破になるかも知れんが」
「了解。大楽毛へ行きます。以上。
 例の列車を、浜釧路駅へ入れるぞ」
 さて列車を停められないとなるとどうする。
 とその時、トラックは遮断機のない踏切を越えた。私は谷口に訊いた。
「今の線路は何だ?」
 谷口は少時考え込んだ。
「あれは…………そうそう、国鉄工場の引込線ですよ、引込線」
 私は叫んだ。
「そうだ! 工場の引込線てことは、貨物線よりも敵に気付かれにくいぞ。これも使えそうだな」
 谷口は言う。
「でも……工場へその列車を入れたら、どうやって一般乗客を逃がすんです? 浜釧路駅みたいにはいきませんよ」
 浜釧路へ通ずる貨物線を渡り、陸橋で本線を越えて、新釧路川を越える。
「どこでどうやって、列車に乗るかだな。時速十キロ以下なら、駅のホームから飛び乗りできるぞ。しかし、そこまで減速できるだろうか……」
 屋代が言った。
「列車を停めればいいじゃないですか」
「敵が列車を乗っ取っているのだ。停める訳にはいかない」
 西川が言った。
「この格好でホームから飛び乗ったら、絶対気付かれますよ」
「そうだったな。先刻の陸橋から飛び降りるか? 難し過ぎる。駅で乗るしか無いんだな……」
 市街地を抜け、原野の中を走って大楽毛駅に着いた。八時四三分。列車はどこにいるか。私は駅員に言った。
「討伐隊の者です。四二三列車は、あと何分でここに来ますか?」
 駅員は答えた。
「あと……五十三分です」
 駅長が出てきた。
「討伐隊の方ですか? 連絡は来てます。我々にできる事なら何でも協力しましょう」
 私は訊いた。
「今四二三列車はどこを走ってます?」
「今は……音別を通過する頃です」
「そうですか。音別とここの間の各駅に、極力列車を遅く走らせるよう伝えて下さい。時間稼ぎが必要です」
「わかりました」
「それと、……敵兵に気付かれずに列車に乗る方法はありますか」
「跨線橋から飛び乗るより無いですね」
「ちょっと無茶だな。他には無いんですか?」
「機関車のボイラーの横に飛びつく位ですかね。いずれにしても危険過ぎる事だけは確かですな」
「何とかやってみよう。あ、そうだ。釧路駅に伝えて、浜釧路貨物駅へ進入するようにして下さい」
「わかりました」
 駅長が行った時、無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。浜釧路へは、一個中隊が行く。船はもうすぐ用意できる筈だ。そちらの状況は? どうぞ〉
「先刻大楽毛に着きました。列車に乗る方法を考えているんですがね。どうぞ」
〈駅を通過する時に、極力減速させるしか無いだろう。どうぞ〉
「何とかやります。以上」
〈成功を祈るぞ〉
 九時二十五分。駅長が私の所へ来た。
「白糠駅から連絡が入りました。二十分に通過した模様です。革命軍兵士は、前の二両の二等車に乗っているとの事です。一般の客は、その後ろの二両に乗っているようです」
「前二両? 一体どういう編成なんですか?」
「機関車の後ろが荷物車、その後ろが一等車、その次に二等寝台、その後に二等客車が四両連結されてます」
「という事は……四両目と五両目に、敵が乗ってる訳だ。わかりました」
 私は部下を集めて言った。
「列車は七両編成だ。一番前に荷物車、その後ろに六両客車がある。客車のうち三両目と四両目は敵が乗っている。そこでだ、乗り込む場所を決める。
 屋代と中山は、荷物車の前の扉から乗れ。俺は機関車に乗る。他七人は最後尾車だ」
 屋代が言った。
「乗るったって、ここには停まらないんでしょう? どうやって?」
「走ってる列車の戸口に飛び付くのだ。扉を開けて走ってる筈だから」
 すると谷口が言った。
「今の季節じゃわかりませんよ」
「手で開けられる扉だ、問題ない」
「機関車の方はどうですかね」
「俺は、あの跨線橋から炭水車に飛び降りる」
「……」
「ホームに立ってると敵に見つかる。あの側線へ降りて、ホームの反対側の戸口に飛び付くのだ。普通に駆ける位の速さで走ってるから、大して難しい事じゃない」
 私は気付いた。敵が前に乗っているなら、一般乗客は後ろへ移した上で後ろの車両を切り離したらどうだろうか。私は駅長を呼んだ。
「列車が走ってる最中に、車両を切り離せますか」
「まず無理です。機関車から最後尾車まで空気ブレーキ管が通じていて……」
「細かいことはどうでもいい。できないなら仕方ありません」
 十時一分。駅長は言った。
「あと十分位で通過する筈です」
「行こう」
 私は跨線橋の、下り本線の真上に立ち、部下達は側線に並んだ。私は跨線橋の手摺を乗り越え、跨線橋の下端に足を掛け、片手で手摺に掴まった。部下達が線路から見上げる。
 十時九分。遠くから列車の音が聞こえてきた。私は下を見下ろした。
 列車が来た。汽笛が辺りに響く。レールの音からすると、かなりゆっくり走っている。
 跨線橋の真下に機関車が差しかかった。煙!! 一瞬目の前が真っ暗になった。その時、私は跨線橋から手を離した。
 目を開けた。私は、石炭の上に腹這いになっている。前からは煤煙が吹き流されてくる。私は前へ向かって這った。
 機関室には、機関士と助士の他、もう二人の敵兵がいる。私は銃剣を抜いた。一人の敵兵が喚く。
「もっと石炭を焚け! 何をちんたら走ってる!」
 私はその兵に近づくと、延髄に銃剣を打ち込んだ。その時、機関助士のシャベルが空を切り、もう一人の兵の頚筋を叩き切った。
 機関士が私を驚きの目で見る。
「あんたは、誰?」
「討伐隊の者です。詳しく説明してる暇は無い。もうすぐ貨物線に入ります。もっと速度を落として。浜釧路の駅に入ったら停めて、前二両の客を逃がして下さい」
 私はこれだけ言うと、炭水車の上を通って荷物車のデッキへ降りた。屋代と中山がいる。
「これからどうするんです?」
「そのうち浜釧路に着く。そうしたら、三両目と四両目にいる敵を射ちまくるだけだ」
 私は無線機で谷口を呼んだ。
「谷口、全員乗ってるか」
〈乗ってます。どうぞ〉
「あと暫くしたら、浜釧路へ着く。一般乗客は? どうぞ」
〈全員、後ろ二両にいます。どうぞ〉
「なら一番後ろへ移せ。三両目を空にして、そこに四人で乗れ。列車が停まったら、前二両に殴り込みだ。以上」
〈了解〉
 私は屋代と中山に言った。
「後ろの車両へ行く」
 二人は頷いた。私達は荷物車に入った。乗務員が一人いる。私は彼に言った。
「もうすぐ列車が止まります。一等車と二等寝台車の乗客を、列車が停まったらすぐ逃がせるように、ここへ集めて下さい」
 私は彼と一緒に一等車に入った。怯えている乗客を説得して、荷物車に移らせた。次に私達四人は寝台車に入り、乗客を起こして一等車へ移らせた。寝台車を空にして、私達三人は寝台車の後ろのデッキに陣取った。荷物車の乗務員に私は言った。
「列車が停まったら、すぐに客を逃がして下さい」
 私は銃を構えた。
 列車は右へ曲がった。港が近い。
 谷口の声が無線機から聞こえた。
〈全員、一番後ろへ移しました〉
「わかった。乗客の安全が第一だ。うまく避難させろ。車掌に協力を頼め。以上」
〈了解〉
 左へ曲がり始めた。列車は、極めてゆっくりと走っている。
 列車は次第に減速していく。私は銃を構えた。屋代と中山も銃を構える。
「行くぞ」
 敵の声がする。
「おかしいぞ」
「何でこんな所に来たんだ?」
 もうすぐ、敵に裏をかかれたと気付く事になるぞ。慌てる面が見たいものだ。
 列車が止まった。私は二等車のデッキに駆け込み、客室へ通ずる引き戸を開け放った。
 バババババババッ!
 私の銃が火を吹いた。屋代と中山も私に続く。後ろから、味方の兵士達が押し込んでくる。
「しまったー!」
 敵兵は愕然として叫ぶ。私達の銃は猛然と火を吹く。敵兵が次々に倒れる。窓から逃げ出す敵兵も、周りを包囲した友軍の銃火に次々と餌食になってゆく。窓は次々に割れる。
 列車が止まってから十五分後、二両の客車は、敵兵二百の死体に埋め尽くされていた。私達は車内の死体を外へ運び出した。持っている武器弾薬を押収すると、あとは死体が残るだけである。死体は、烏の餌にくれてやることにし、私達は大楽毛へ戻ることにした。
 まず列車を何とかしなければならない。乗客は、前の一等車と寝台車の客も、無事に避難した様子である。近くの埠頭で、船に乗り込んでいる。
「これからどうする?」
 私は考え込んだ。すると機関士が言った。
「本職に任せなさい」
 それからの一連の作業は、実に順調に行われた。機関車は客車と荷物車を一緒に付けたまま七両の車両を引っ張って側線に入るとここで停まり、客車を切り離して更に走り、最初にいた線に入ると逆推進で暫く戻った。ここからまた別の線路に入って行き、転車台の上で停まった。
 私達十人も加わって十四人で転車台を回すと、向きを変えた機関車は側線上を戻って行き、暫く走って戻って来ると六両の客車・荷物車の先頭に付いた。この間三十分。
 私達は機関車の次の客車に乗り込んだ。列車は動き出した。私は車掌に訊いた。
「一般乗客は全員避難できましたか」
「全員避難しました」
 私達は大楽毛で列車を降り、駅前に停めてあったトラックに乗って本部を目指した。
 無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈CKだ。上手くやったな〉
「それ程でもないです。車両は相当傷みましたし。
 今は何よりも顔を洗いたいですな。跨線橋から炭水車に飛び降りたもんですから」
〈そうか。時に、久寿里橋で敵が巻き返して来た〉
「またですか。あの橋の重要性を敵も認識してるようですな。幣舞橋から行きます。以上」
〈了解〉
 かつての民兵軍司令部前にトラックを止め、ここで部下を下ろした私は、一人トラックを幣舞橋へ走らせた。
・ ・ ・
 幣舞橋へ近づくと、前方から銃声が聞こえてきた。前方に、かなりの大部隊が布陣している。敵か味方か? 敵だ!!
 私は右へ思い切りハンドルを切った。トラックは半回転して、反対車線へ飛び出した。後ろから銃火が起こる。私は少し走ってから、右折して脇道へ飛び込んだ。幾らか走って路地に車を入れた。
 幣舞橋を渡れないとしたらどうするか。久寿里橋は渡れない。となれば旭橋である。私は路地から、更に車を走らせた。
 旭橋へ通ずる道に入った時、旭橋の方向に見えたものは敵部隊であった。ここも駄目だ。ここも駄目となれば、あとは雪裡橋と鉄道の釧路川橋梁だけである。私は駅へ向かって車を走らせ、駅の近くにある踏切から線路に進入した。砂利敷の線路というのは、自動車にとっては悪路のうちに入る。それでも構わずに飛ばし、無事釧路川を渡り切ると、橋の先の踏切で線路から出た。
 国道四四号を走ってゆくと、前方に数人の敵兵が見えた。私は銃で一連射を喰わし、全員倒した。車を停め、全員の持っていた挿弾子を奪い、ポケットに入れた。二十個近くあった。
 死体を踏み越えて車を走らせ、久寿里橋の本部に車を付けた。中から出てきた三線の兵に私は言った。
「東京第一中隊の矢板だ。トラックを返しに来た」
 すると本部長が出てきた。
「おお、矢板か。朝飯はまだだろう。食べて行き給え」
 朝飯はもう食べたが、食べられる時に食べておいた方が良いだろう。
「そうします」
 私は本部長や、本部付の兵士達と食卓を囲んだ。いつも通り、玄米飯と野菜の煮付、塩鮭だ。漁業の町だけあって鮭の他、鱈、鰊など魚は沢山ある。
 本部長は私に訊いた。
「市内の被害状況はどうかね」
 私は答えた。
「多少やられてますね。完全に破壊された家は余り無いようですが、荒らされた家は少なくないでしょう。私達の寄食している司令部は完全に破壊されましたが」
「やられたか。今日からの食事はどうする」
「何とかします。敵の炊事場を襲ってでも」
「いつでもここへ来ていいぞ」
「来られたら、ですね」
「そうだな」
 本部長には、対岸との交通が容易でない現状がわかっている筈である。
 午前十一時半頃、私は本部を辞した。
 根釧原野からの部隊が釧路にいる間は、私は市内の掃蕩に専念するよう、本部長に言われた。市内の地理となれば、昨朝来た部隊よりも明るい。それを生かして市街における敵の掃蕩戦に専念するようにという事だ。それにしても、原野の作戦行動のような集団行動と違って完全な孤立行動である。町を歩きながら四方に目を配り、一瞬たりとも緊張の弛むことのない間、口を聞く相手もないのである。部下達はどうしているだろうか。市街戦は私は陸軍時代の経験があるが、部下達は無い。野戦とは勝手が違うから、安心し切る訳にもいかない。
 釧路川橋梁へ行ってみると、ここも敵に占領されていた。釧路川に架かる橋五本のうち四本を占領されている訳である。残るは雪裡橋だけである。雪裡橋へ向かって歩いてゆく。
 材木町の辺りで、後送されてくる負傷兵に出会った。私は訊いた。
「雪裡橋は通れるか?」
 担架を担いでいた衛生兵が答えた。
「無理です。敵に占領されてます。別保川より北は全て敵地です」
 これでは仕方が無い。暫くの間、北岸へ行くのは諦めよう。
(2001.2.10)

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