岩倉宮物語

第三章
 年が改まった。一月六日の夕方、私は伯父に呼びつけられた。寝殿へ行ってみると、伯父は上機嫌で、
「正良、喜べ。先程左大臣様から御使者が来られた。今般の叙位で、そなたは従五位下の位に叙せられることになった。これでそなたも、一人前の貴族の仲間入りじゃ」
「有難うございます」
 平伏する私に、伯父は笑って、
「儂に礼を言うことではない。それでだ、今晩、左大臣様に御礼言上に参る。左大臣様の御身内の方々もお集まりになるそうじゃから、そなたの披露も兼ねての」
 そこで私は、直衣布袴に下襲をつけ、垂纓の冠を被るという盛装で、伯父と一緒に左大臣邸へ行くことになった。伯父は言う。
「束帯か布袴の方が良いかも知れんが、新調するには日が要るからの」
 束帯とは貴族が参内する時の正装で、袍の色が位によって決まっていて、私のように五位の者は薄い緋色である。
 夜になって私達は、左大臣邸へ行った。さすがは天下の権門だけあって、邸の門も大きく、建物も立派である。受領である伯父が、金に飽かせて造った邸も、これには到底及ばない。やはり貴族としての格の違いが、自ずと出てくるものであろう。
 大広間へ通された私達を迎えたのは、大勢の着飾った貴族達である。主人の座には、言わずと知れた左大臣が、平服の直衣で坐っている。左大臣と、家司である伯父の弟の他は、知らない人ばかりだ。
 全員が着席したところで、宴が始まった。最初にまず、今回の叙位で新たに位を賜った者が、披露を兼ねて左大臣に挨拶する。私の他に、三人ばかりの若者が、左大臣の後押しで従五位下を賜ったようであるが、その三人ときた日には本当に子供だ。口上を聞いてみれば、十三歳や十四歳といった、元服したばかりの若僧である。まだ舌もよく回らぬような、こんな子供が加われるようなのが宮廷政治だとしたら、案外大した事はないんじゃないかな。
 最後に私が、叙位の礼を述べる。子供三人の後に進み出た大人、しかも宮家の出自とあって、周りの貴族達の注目度が違う。私が口上を述べている最中から、隣同士ひそひそと囁き合っている者もいる。挨拶が済み、まず一献あけてから、無礼講の宴会となったが、案の定貴族達は、私ばかりを呼びつけたり酒を注ぎに来たりで、他の三人には殆ど目もくれない。これでは他の三人にとっては味気無いだけだから、私が気配りしてやらなければならない。……客分として招かれている席でまで、他の客に気配りしないではいられないなんて、よくよく気配りが板に付いていると言えば聞こえはいいが、気配りしすぎで気疲れして風邪を引くとしたら損な性分だ。だが当の三人も、私と差し向かいになると、すっかり気圧されてしまうようだ。この三人は、聞いたところでは皆受領の子息達だ。つまり、言い方は悪いが位を買ったようなものである。財力を恃んで子息に位を買ってやるような親に、甘やかされて育ったであろう子供というのは、とかく何でも自分中心に思いがちなものだ。第一に泰家がそうだし、小さい頃の私にも、その気味がなかったとは言えない。そういう子供が、初めて大人の社会へ出るその場に、私のような大人がいて、周りの関心を一身に集めているとなると、その子にとっては、大袈裟に言えば生涯初めての挫折に違いない。挫折し、屈託している子供に、ずっと年長の大人、しかもこの場で衆目を集めている者が気を遣ってやっても、もしかすると逆効果かも知れない。
 しかし、貴族達の私に対する興味というのは、所詮は私の容貌――自分で言うのは恥ずかしいばかりだが――に対する興味の域を出ていないようだ。特に左大臣の長男の大納言の、そのまた長男の参議左中将信道という男は、お世辞にも美男とは言えない顔なのだが、その事で妙な劣等感を持っているらしくて、私の容貌に話題が移ると何かしら変な事を言う。曰く、
「女蕩しの相が出ている」
 だの、
「後宮に近づけると人心を惑わす」
 だの。大体私は、男は顔じゃない(なら女は顔か、と言われると困るのだが)というのが一つの信条だから、私の顔を見てどうこうと言うのは、例え褒めているにしても随分程度の低い事を言っているとしか思わないのだが、まして自分の顔に劣等感を持って、それが根底にあって私の顔に対して変な事を言うとなると、これは一層軽蔑すべき物言いであり、そんな事を言う人間の品性をも、軽蔑に値すると見てしまう。大体この参議左中将という男、どうも私を見下しているような気がしてならない。顔の事で私に劣等感を持っている、というのとは別に、だ。それはまあ確かに、先方は権門の御曹子、位も高いし官職も公卿に列しかつ近衛中将を兼ねる栄職だ。それに対して私は、家柄は宮家とは云え私自身は諸王にすぎないし、位は従五位下で官職は何もない散位だ。その地位に大差があるのは否めないが、だがしかし、そうやって露骨に見下す態度が、人格の偏狭さ、卑小さをさらけ出していることに、気付いていないのが一層、人間を小さく見せている。根本的に、こういう人を尊敬する気にはならない。
 その点、大納言の三男、まだやっと十五歳になったばかりの左衛門佐信孝という男は、好感の持てる男だ。男三人の一番下というから、さぞかし甘やかされたろうと思うのに、そんな様子が殆ど見られない。何より、目の輝きがいい。人格の誠実さ、のみならず頭の怜悧さ、と言ったものが目に表れている。いかにも真面目そうな面ざしだが、実際よく見ていると、つまらない戯れ言や下品な冗談なんぞは決して口にしないし、他人が言ってもそれに気を引かれる様子もない。こういう男となら、気のおけない友達となれそうだ。
 そのうちにふと気がつくと、衛門佐は席を外している。私も伯父に、飲まされすぎたと断って、そっと大広間を出た。
 衛門佐は、寝殿の西面の柱に凭れて、山の端に沈もうとしている月を眺めていた。
「衛門佐殿」
 私が声をかけると、衛門佐はびくっとしたように顔を上げた。
「あ、貴方は、岩倉宮殿」
「ええ、岩倉宮正良です。ここへ坐って宜しいですか」
「どうぞ」
 私は、衛門佐の隣に腰を下ろした。衛門佐は、私に聞かせると言うよりは独りごつように呟き始めた。
「兄上達が酒を無理に勧めるものだから、すっかり酔ってしまった。どうも僕は、酒盛りが苦手なんだな」
 私は相槌を打つ。
「私もです。何と言いますか、あの無礼講の雰囲気が、好きでないのです」
 衛門佐は、我が意を得たりと頷いた。
「僕もそうですよ。あの猥雑な雰囲気が」
 私は少し、言葉に力を込めた。
「貴方はきっと、真面目な性格なんでしょう」
 衛門佐は振り返った。少し驚いた声で、
「僕が!?」
 私は一層言葉に力を込めた。
「そう、貴方は、真面目そうな顔をしていますよ。特に、まなざしがね。私は私なりに、色々な人を見て来ました。目は口ほどに物を言いますよ」
 衛門佐は、ぼんやりと空を見上げた。
「確かに僕は、真面目すぎて融通の利かない堅物だと、同僚にも言われるし、自分でも思ってるよ。面白味のない奴だとか、一緒にいると気詰まりだとか……」
 私は励ますように言った。
「不真面目で、不誠実で、一緒にいると腹が立つより、ずっといいじゃありませんか。自分の性格の良い所を、恥じる事はないですよ。根は真面目で、その上で時と場所に応じて、面白味のある人間として振る舞えるのが、私はいいと思います」
 衛門佐は私を見て微笑んだ。
「貴方と僕と、気が合いそうですね」
 どことなく幼さは残るが、それだけに一層無邪気な、底意の片鱗もなさそうな微笑みであった。私の胸の底から静かに湧き上がる、ほのぼのとした温かい思いは、私が乳母と死別してから、初めて感じるものであった。今迄になく晴れ晴れとした気持になって、私は言った。
「私も今、そう思いましたよ」
 実際、今迄私が個人的に会った貴族の人々に対して持った、或いは持っている印象というのは、どうも余り良いものではない。最初に会った泰家は、素直で善良ではあるが、どうも軽佻浮薄にすぎるところがあって、私とは性格的にうまく合わないところがある。次に私の一番近い親類である伯母。実生活の面では良く面倒を見てくれて、それはそれで有難く、感謝しているのだけれど、でも私が、いよいよ切羽詰まって邸へ来るまで十数年間も、自分は裕福な暮らしをしつつ、私を赤貧に放っておいた事に、何か今一つ素直になれない物を感じるのだ。それに、従姉に挨拶言上に行くのを、何とかして止めさせようとしているのも、解せないばかりか何か含むところがあるのでは、と勘ぐらせるものがある。そして伯父播磨守。この伯父とはもう、根本的に性格が合わない。こんな事を言うと難があるだろうが、品格の問題である。これは何も、伯父の官位が低く、家柄も低いといった事と結びつけるのではない。家柄というのは確かに貴族社会では物を言うけれど、本人の性格や努力とは無関係な、生まれる前から決まっているようなものだ。官位だって、昔はどうだったか知らないが今日では、家柄に応じて与えられているようなものだ。人間の品格というのは、これらとは無関係である。九条辺りに住んでいた、無官無位の貧しい庶民でも、人間として尊敬せずにいられないような高潔な人格者というのはいた。そんな人に較べてみると、伯父はやはり、人格が貧しく、卑賎であるという感を強くする。左大臣の家司である伯父の弟も、そして左大臣その人も、その気味がある。左大臣がそうだという気がするのは、左大臣という天下一二を争う高官でありながら、という思いがあるからかも知れない。
 それでは従姉は? ……従姉は、何と言っても夜目に一度見ただけだから、はっきりした人格を持った主体として認識して、その上でその人格を云々という段階に達していない。それなのに、頻々従姉の俤を思い出し、夢にも見たりして、その度に何とも名状し難い胸の昂ぶりを覚える毎日である。こんな事ばかりしていても何の役にも立たない、と頭では思っているのだが……。
 衛門佐は、ついと立ち上がった。月はもう西の山に沈んで、辺りはすっかり暗くなっている。私も立ち上がり、衛門佐に続いて、大広間に入って行った。
 大広間では、相変わらず酒をあおっている者もいるが、何人かは様々な楽器を持ち出している。やがて、合奏が始まった。初めて聴く音楽だが、こういう雰囲気は悪くない。
 私は、皆の席が乱れてきたのに乗じて、何気なく衛門佐の隣に坐った。
「お邪魔でなければ、少し伺いたいのですが」
 案外私は、社交的な人間なのかも知れない。知り合ったばかりの人間に、これだけ気楽に話しかけられるということは。多少、酒が入っているせいだろうか。
「何ですか。僕に答えられる事なら」
 衛門佐は上機嫌だ。私は小声で、
「実は私は最近まで、貴方達のような上流貴族の暮らしとは全く無縁な暮らしをしてきたもので、音楽という物について何も知らないんです。楽器の名前とか曲の名前とか、教えて頂きたいのです」
 こういう事を言うのは二度目だ。衛門佐は、好奇心に満ちた目を私に向けたが、すぐに礼儀正しい若公達に戻って、
「結構ですとも。何からお話ししましょうか。……あそこで権少将殿が吹いておられるのが横笛です。彼は中々の上手なのです」
 と、笛を吹いている若い貴族を指して言った。それから続いて、笙や琵琶や、大鼓小鼓といった楽器について、一通り説明してくれた。説明の仕方も丁寧で、誠実な人柄がよくわかる。
 そのうちに琵琶を持った、やや年嵩の貴族が、衛門佐の前にやって来て坐った。
「信孝そなた、岩倉宮殿と話してばかりいないで、一曲弾いて差し上げたらどうだ」
「いえいえ、私の琵琶など叔父上の御足元にも及びません」
 それで私は、この琵琶を持った貴族が、衛門佐の叔父の中納言兼左衛門督であった事を思い出した。中納言は、
「いや信孝、先刻から聞いていれば、岩倉宮殿に楽器の事を御説明しているであろう。口で説明して差し上げるより、実際に弾いて差し上げる方が、宮にもよくおわかりになろうが」
 と言って、私の方を見やる。これは同意を求めているのに違いない。私は言った。
「無理にとは申しませんが、一曲弾いて頂けるのでしたら、有難く拝聴致しましょう」
 そこで衛門佐は琵琶を取り、音を合わせてから、ゆるゆると弾き始めた。謙遜する割には、中々の腕前である。中納言は桧扇を取り、掌を叩いて拍子を取る。
 衛門佐が弾き終わると、私は言った。
「中々上手ですね」
 お世辞でなくて、本当に上手だ。私は自分では、どんな楽器も全く弾けないものだから、自分より若い衛門佐がこう上手に弾くのを聞くと、つくづくその才能が羨ましくなる。
「岩倉宮殿は、何か弾かれるのか」
 衛門佐の父、大納言の声だ。
「いいえ、お恥ずかしい限りですが、音楽の嗜みは全く、ございませんので」
 これはもう謙遜ではなく、掛け値なしの正真正銘、音楽の嗜みは絶無だ。大体、十八や十九になるまで叙位も受けず、京の片隅で赤貧のどん底に沈淪し、近所の田仕事を手伝って米を分けて貰っていた男に、楽器を嗜む余裕がどこにあろうか。
 大納言は納得しないらしく、或いは酔っているせいか、何か一つ何か一つと妙にしつこい。そこで私は意を決して、
「音楽の方面は、本当に全く嗜みがございません。ですが今宵の宴に、私が何も致さずに帰ると申しては礼を失しましょう。ですから一首詠むということで御勘弁下さい」
 その場で歌を作るというのは、今迄やった事はないが、事の成行き上、他にできる事もないのだ。
「……新玉の春の嬉み常なれど今日ぞいやまさる冠賜えば(春の嬉しさは毎年の事だが、今日は五位に叙せられたので一層である)」
 思ったよりもすらすらと、歌が口をついて出てきた。余り上手とも言えない歌だが。ところが居並ぶ貴族達は、お世辞なのかどうなのか、口々に褒める。
「なかなか素直な読みぶりですな」
「変に技巧に走らないのがまた良い」
 などと、しばしざわめいている。
 夜もすっかり更けた頃、散会となった。私は帰る道すがら、衛門佐の事を考えていた。第一印象の限りでは、好さそうな人物である。私と性格も合いそうだし、あのような男と仲良くなれば、日々の生活も一層楽しく、有意義になるだろう。決して、名門左大臣家の者に取り入っておけば、将来何かと有利になるというような、そんなさもしい損得勘定ではない。
 それとはまた別に、私は自分の教養の無さを痛感する事にもなった。生まれ育った環境が環境だから、音楽という面での教養を身につける機会がなかったのは致し方ないが、貴族社会に立ち交じっていくには、教養の無さは明らかに損だ。そうだ、こうなったら今後は、あらゆる面で貴族たるに相応しいだけの教養を身につけるよう努力しよう。それは自分自身を向上する事になるし、それに……何かこういった物事に打ち込んでいれば、従姉への物思いも紛らすことができるかも知れない。
 翌日私は、朝のうちに伯父に会い、漢籍や音楽など貴族の教養とされる事どもを師事する人を探して欲しい、と申し出た。伯父は大喜びで、
「そなたの申す通りじゃ、貴族として世間に立ち交じってゆくには教養は欠かせぬ。しかもそなたは今迄、その教養を身につける機会に恵まれずに来たのだ。宮家の出として、それに相応しい教養を身に付けたいと思うのは尤も。よしよし、師匠を探してやろう。儂の倅共も、武術や蹴鞠ばかりやっておらんで、そなたのような教養を身に付けようという気を起こしてくれれば良いものを、血は争えぬわ」
 確かに泰家は、音楽や詩歌の嗜みはまるでなく、蹴鞠の他には乗馬や弓射ばかりである。馬に乗れないと検非違使(警察のような職だ)は務まらないと言って、頻りと邸の内外で馬を乗り回している。時には往来で早駆けをやっている事もあるらしくて、伯父は泰家に、危いからそれだけは止めろと、くどい程注意しているらしい。でも私にとっては、泰家の早駆けにぶつかりそうになったのが縁でこの邸に来たようなものだから、泰家の危い趣味にも、ほんの僅か感謝していないと言えば嘘になる。
 伯父は早速、音楽や漢籍の師匠を見つけて来た。と言っても伯父自身、そういった方面の教養は、こう言っては何だがかなり乏しいので、伯父自身で師匠を探したのではなくて、結局は例の左大臣家へのつてを頼って、左大臣家に出入りする師匠を世話して貰ったらしい。ともあれ私は、一つには貴族に相応しい教養を身に付けるため、そして今一つ別の目的のために、精一杯身を入れて師事した。笛、琵琶、書、漢詩文、どの師匠も、私の上達が早いと言って感心した。
 私がこれ程こういった教養の修得に打ち込めたのは、もう一つ別に、重大な理由があった。二月に入ってから春の除目(人事異動)があって、またしても伯父は左大臣にあれこれと働きかけたらしいが、どうした訳か私は何の官職にも就けず、当分の間は散位という事になったのである。伯父は、
「ううむ、何故だ。左大臣様は、悪いようにはせぬと仰せになったのに。足りなかったのじゃろうか」
と考え込んでいる。何が足りなかったか、というのはもう察しがつく。碌な物ではない。私は内心苦々しく思いながらも、努めて平静を装い、落胆した様子も見せずに言った。
「仕方がありません。それより、これで暇になった分、一層音楽や漢文の修得に励めます。いずれこの芸が役に立って、官職を賜わるような事があるかも知れませんから」
 物事は何でも、前向きに考えるのが良い。これは私の人生訓でもあり、また、九条での赤貧の暮らしの中で自然に身につけた処世術でもあった。現在のどんな苦境でも、それが将来自分のために資するところが何かある、そうとでも信じなければ、やり切れなかったのだ。
 伯父は、伯父にしては珍しくしみじみと、
「そなた、苦労したのじゃな……」
・ ・ ・
 毎日毎日、机に向かって書物を読んだり、琵琶や笛の稽古ばかりでは、何となく体中が疼いて仕方がない。物心つく頃からずっと、春になれば野良に出て、畑仕事をしたり近所の田仕事を手伝ったりしていたので、その癖がまだ体に染みついているらしい。気候が暖かくなってくるにつれて、無性に体を動かしたくなってきた。そこで二月のよく晴れた日、私は泰家に会った。
「久し振りだね。琵琶も笛も、始めた頃よりは上手になってるね」
 泰家は、相変わらず天真爛漫ににこにこしている。私も釣り込まれて、
「それなんだけどね。毎日毎日部屋の中で稽古ばかりだと、足腰が鈍っちゃってね。運動不足の解消に、蹴鞠を覚えたいんだ」
 すると泰家、待ってましたとばかり、
「君、やっとその気になってくれたね! いやあ嬉しいなあ、君がそう言ってくれるのを待ってたんだ。さあ、始めよう!」
 この上なく上機嫌になって、鞠を取り出してくる。
「直衣じゃやりにくいから、狩衣に着替えて来なよ。袴も、丈の短い指貫がいいな」
 泰家に言われるままに、私は部屋へ戻って、狩衣と指貫に着替えてきた。戻ってくると、泰家も同じような格好で、庭に降りている。
「沓はこれ。大きさはいいかな?」
 泰家の指す先に、沓が置いてある。履いてみると少し小さい。上背は泰家の方があるのに、足は私の方が大きいという事か。
「少し小さいな」
 私が言うと、案の定泰家は不思議がって、
「君の方が足、大きいんだね。まあ、仕方がないや。今日はそれで我慢してくれる?」
 私は沓を履いて庭へ出た。泰家は、水干に折烏帽子という格好の若者二人を、私に紹介した。
「これが吉則、僕の役所の部下(検非違使志であろう)だ。こっちは光男、僕の乳母子なんだ」
 この二人は、私が初めてこの邸へ来た日、泰家と蹴鞠をやっていた二人だ。名前もその折、僅かに耳に挟んだ覚えがある。それから泰家は二人に向かって、妙に改まった口調で、
「この御方は、私の従弟、従五位下岩倉宮殿であられる」
 そりゃまあ泰家は従六位下、その部下となれば七位か八位だから、そういう者に向かっては私の位を強調したくなるのかも知れないが、これから遊びを教わろうという者に、いきなり位を持ち出して大上段に振りかぶる事はなかろう。深々と頭を下げる二人に、私は会釈して言った。
「私はこれから、貴方達に蹴鞠を教わろうというのだから、そんなに頭を下げられては極まりが悪い。もっと楽にしてくれないか」
 この蹴鞠というもの、端で見ているのと実際にやってみるのとでは大違いだ。まず鞠に足が当たらない。自分の手から放した鞠でそうだから、他人が蹴上げた鞠など、沓に擦りもしない。そうかと思うと額で受けてしまう。勢い良く蹴り上げたつもりが沓だけが飛んで行ったり、無様を極める。運動不足解消にと思ったものの、これでは他の三人の方が余程運動になる。それでも泰家は、私がし損じても、次はうまくできると励してくれるし、たまたま私が上手にできると、今のコツだ、もう一度やってみよう、と巧みに私の「やる気」を引き立てようとする。それで私も、し損じの連続でも気を腐らせずに、夕方まで蹴鞠の練習を続けたのだった。
「思ったより難かしいものだね。こんな下手な奴に一日付き合ってくれて有難う」
 私が脱いだ沓を揃えながら言うと、
「誰だって初めは上手くできないんだよ。君が蹴鞠をやる気になってくれて嬉しいよ、それに、いつもやり慣れてるのと違う人とやるのも、また勝手が違って面白いし。そうそう、この次迄に、新しい沓を用意しておくよ」
 泰家は、私の鞠を受けようと走り回った疲れも見せず、至極上機嫌で答えた。
 その夜は、適度の運動のせいか食欲が進み、快い疲労に、床に入るとすぐ深い眠りに就いた。やはり私には、体を動かすのが性に合っているらしい。以前、秋の深まる頃乳母と二人で、近所の田の稲刈りを手伝いに出て、一日かかって稲を刈り、干し終えた時のような疲れてはいるがどこか満足感もある、そんな気分であった。この体の疲れに伴う満足感は、同じ疲れると言っても、夜更けまで漢籍を読んで目がしょぼつき、頭がぼんやりする疲れには、決して伴わないものである。
 蹴鞠にもそろそろ慣れてきた四月のある日、泰家の部屋へ行くと、
「来てくれたのは嬉しいんだけど、吉則は物忌だし、光男は腹痛で寝てるんでね。二人でやってもつまらないだろう?」
「いや、そんな事は……」
 と言いかけた私を遮って、
「どうだい、馬に乗ってみないか?」
 馬か。……何でも新しい物事を修得し、やってみるのが私の主義だ。それに馬に乗ることの方が、蹴鞠よりもっと実用的でもあろう。
「いいね。でも、私は今迄、馬に乗った事は一度も……いや違った、一度しかないんだ、本当に」
 私が言うのを、泰家は意に介する風もなく、
「それならまた一つ、僕が教えてあげられる事が増えた訳だ。大丈夫だよ、一度でも乗れたんなら」
 泰家は、私に物事を教えるのを明らかに楽しんでいる。そういう性格の人間というのは、貴賎を問わずどこにでもいるものだ。
 私は泰家の後に続いて、東門の近くにある厩へ来た。泰家は厩番に言って、一頭の馬を引き出させた。
「この馬は、家の馬の中では一番大人しいから、君でも一人で乗れると思うよ。いいかい、馬は乗り手の心がわかるからね、乗り手が馬を嫌いだったり、信頼していなかったりすると、すぐ落とされるからね」
 泰家はまず馬に乗る時の心構えを説いてから、次に馬具の名前、乗る時の手順、手綱の取り方と、順を追って説明してくれる。最初は泰家が手綱を引いてくれるという事で、私は馬に乗ってはいても、手綱はただ持っているだけだ。乗ってみると、確かに大人しい馬ではあるが、乗っている私の両足は鐙に掛かっているだけで、「地に足が着いていない」と言う通り、どうも安心しきれるものではない。すると泰家は振り返り、私の心を見透かしたように、
「そら、君、安心していないだろう、だから馬も、安心して君を乗せていられないんだ。もし今僕が手綱を放したら、君、振り落とされるよ」
 私の顔も見ず、馬の手綱を引いているだけで、そこまでわかるとは驚きだ。私は姿勢を正し、手綱を取り直し、私は馬を信頼しているのだ、だから馬も私を信頼しているのだ、と強く心に言い聞かせた。すると思いなしか、鞍から伝わってくる馬の体の動きも、落ち着いたような気がする。
「じゃ今度は、君一人で乗ってごらん」
 馬を止めると、泰家は自分の引いていた手綱を私に手渡した。私は肚を決め、右足の踵で馬の脇腹を軽く蹴った。
 思ったよりも素直に、馬は歩き出した。右へ左への方向指示も、左右の手綱を軽く引いてやるだけで素直に従う。庭のあちこちを歩き回るうちに、私は大分気楽になってきた。
 ふと気付くと、西の対の前に差しかかっていた。私は俄に胸が高鳴って、西の対のどこかに人の気配がないか、真剣になって探し求めた。そして遂に、簾の隙間から見通した母屋の奥、やや薄暗い中に、あれこそ間違いない、従姉その人の姿をちらと見た時、一切の理性は私の頭から、一瞬にして吹き飛んだ……。
 激しい水音に、私は我に返った。鼻から口から、冷たい水が流れ込んでくる。私は無我夢中で頭を突き上げた。やっと顔が水の上に出た。私が乗っていた馬も、体半分を池に落としたままだ。厩の方から、泰家と厩番が走ってくる。何か叫んでいるのだろうか。耳が変だ。とにかく、池から上がらなければならない。私は、胸くらいの深さの池の中を、岸へ向かって進んだ。
 泰家は私を、厩番は馬を、池から引き上げた。岸に這い上がった私は、地面に膝を突いたまま、暫く立ち上がれなかった。肩で息をしながら顔を上げると、泰家は呆れ果てたという顔で私を見下ろしている。耳に入った水が、つるりと流れ出て、辺りの物音が聞こえてきた。
「虫麿、急いで東の対へ行って、小太郎君付の女房に、着替えを用意させてくれ!」
 虫麿と呼ばれた厩番の一人が、庭を横切って走ってゆく。泰家は珍しく気分を害した様子で、叱るように言う。
「一体、どうしたって言うんだい? 西の対の方ばかり見て、池に踏み込みそうになるのにも気がつかないなんて。あんな事されると、馬も君を嫌がるようになるよ。いいかい、馬に乗る時は、絶対、他所見しちゃ駄目だよ!」
 しかし私は、上の空で頷くだけだった。私の目は西の対の、先刻従姉の姿が見えた一点に、釘付けになっていた。せめて今一度、従姉の姿を見たい、もしかしたら今の騒動を従姉が聞きつけて、何事かと思って端近に出てくるかも知れない。
 と思っているうちに、西の対で人の動く気配がした。簾の向こうに、人が出て来たらしい。誰が出てきたのか。女房か、それとも……従姉だ! 簾の隙間から、一瞬覗いた従姉の目は、しかと私の目を見つめていた。簾の隙間は、女房が簾を引っ張って閉じてしまったが、従姉の姿は動かない。私の胸は、異様に高鳴った。嬉しさと、それとは異なる何かある思いとが、紅蓮の炎となって胸の中に巻き起こった。嬉しさと異なる思い、それは、恥ずかしさであった。馬に乗っていて他所見して池に落ちるというのは、醜態以外の何でもない。そんな醜態を、従姉に見られたことが、この恥ずかしさの原因なのだろうか。きっとそうだ。他の誰にでもなく、従姉に見られた事が……!
「君、聞いてるのか!?」
 不意に泰家が、私の肩を掴んで声を荒げた。
「え?」
「早く部屋へ戻って、着替えないと。さ、立てるか?」
 泰家は私に手を貸して、立ち上がらせようとする。私も漸く足腰がしっかりしてきた。東の対まで来ると、近江と桔梗が、縁側の階まで出て来て待っている。階を登ろうとして、片方の沓がないのに気が付いた。額の水滴を拭おうと手を当ててみると、烏帽子もない。近江と泰家に支えられて階を登り、部屋へ入ると、どっと疲れが出てきた。濡れた衣を脱ぎ、体中をごしごしと拭いているうちに、急に寒気がしてきた。私は近江に勧められるままに、衣を重ね着し、昼日中から衾を被って横になった。
 私が池に落ちたという事は、瞬く間に邸中に広がって、早速伯母がやって来た。心配に堪えないといった面持ちで、入ってくるや否や、
「正良、池に落ちたのですって? 怪我は?」
 伯母がこんなに声を上ずらせているのは珍しい。
「どこも怪我はありませんよ。御心配させて、申訳ありません」
 上体を起こし、ゆっくりと言い終わった時、急に咳込んだ。池の水を飲んだせいか、喉の調子がおかしい。声も、いつもと少し違う。伯母は私の枕元に坐り込み、
「まあまあ、無理しないで。ほんに泰家が、乗馬なんぞに誘うから……」
 私は伯母を遮って、
「泰家のせいじゃない、私が不注意だったんです。どうか泰家を叱らないで下さい」
 伯母は黙って、じっと私を見つめている。やがて独りごつように、
「正良は、本当に思いやりのある子だこと。私の子……達も、もう少し、思いやりという物を、持ってくれたら」
 ん? 私は伯母の独り言を、何の気なしに聞き流そうとして、ちょっと、何か、引っかかる物を感じたような気がした。それは何なのだろう、と考えるよりも先に、伯母は帰って行った。私は再び横になった。
 夕方から、体が妙に熱っぽくなってきたと思うと、池の水を飲んだせいか腹が下り始めた。またしても風邪か。九条にいた時分には真冬でも滅多に風邪など引かなかったのに、ここへ来てから、体質が変わったのだろうか。ともあれ、こんな風邪は、早く治さねばならない。私は近江を通じて、薬師を手配してくれるよう伯母に頼んだ。
 夜中頃、近江も桔梗も退がらせて、一人で寝ていた私は、ふと目を覚ました。カタカタと、格子が鳴るような音がする。風の音は聞こえないのに。私は耳をそばだてた。音のする方向へ目を凝らすと、格子の隙間に、何か白い物が見える。私は静かに、静かに衾を抜け出し、格子に近寄った。格子の外からは、微かな衣ずれの音が聞こえるが、それは次第に遠ざかってゆく。格子に手が届くところまで来て、白い物をよくよく見ると、畳んだ紙のようである。私は格子の隙間からそれを抜き取った。とりあえず文箱にでも入れておいて、昼間、人のいない折に見よう。
 だが、こんな深夜に、しかも女房を介さないで、紙――これは取りも直さず文だ、文をよこす者は誰か。伯母や泰家なら、文に書いて伝えるような事があれば、本人が出向いてきて言うだろう。とすれば従姉か!? ……そうであって欲しいと思う、この胸の高鳴りは何だ。ああ、灯さえあれば、今すぐこの文を読めるのに!
 私は紙を、枕の下に隠し、逸る心を鎮めつつ横になったが、明日の朝を思うと胸の昂ぶりは止む処を知らず、一向に寝付かれない。
 やがて、待ち望んだ朝が来た。近江が来て、格子を上げてゆく。手水を使ったり、顔を洗ったりといった朝の事どもを済ましてから、私はわざと大儀そうに言った。
「近江、朝餉の支度ができるまで、退ってていいよ。何かこう、一人になりたい気分なんだ」
「はい」
 それ以上何も言わずに、さっさと退がってくれるのが、近江のいい所だ。これが美濃なんかだったら、一悶着起こすかも知れない処である。近江が退がってから、私は周りをよく見回し、誰の気配もないのを確かめた上で、枕の下に隠した昨夜の紙を取り出した。周りに人目がないか気にしながら、生まれて初めて貰った文――公文書としては従五位下の位記を賜わっているが――を開く、この奇しいまでの胸の轟きを、どう言い表したものか。
……〈正良様〉
 上等な紙に、流麗かつ繊細な字で、文は記されている。
〈……突然このような文を差し上げ、御心を驚かせ参らす無礼を、お許し下さいませ。身内とは申せ、御目通りも延び延びのまま果たされぬ貴方に、文を参らすのは不躾とは思われますが、昼間の事どもを目の当りに致しましてより、貴方の御体が案ぜられてならず、人目を忍びつつ文を差し上げました次第にございます……〉
 そうか、やはり従姉は、私が池に落ちた椿事を、しかと見ていたのだ。そして私の身を案じてくれたのだ。
〈……夏とは申せ、四月の池の水は冷とうございます。くれぐれも御体には、お気をつけ下さいませ〉
 繊細な筆蹟と、文面から浸み出る優しい心遣いは、私が以前独りで想像していた従姉の心ばえを、そのまま裏付けるように思われた。文は、まだ続いている。
〈ここからは、とりとめなき心の惑いを、徒然に記したのみにございます。つまらぬ女の心の迷いと思って、お忘れ下さいませ。さる師走(十二月)、貴方が御縁あってこの邸にいらしてより、私は貴方に、一日も早く御目通りを、と切に願っておりました。何故でしょうか、母は、貴方がこの邸にいらした事を、一言も私には話しませんでした。貴方がこの邸にいらした事、東の対にお住まいの事は、全て女房どもの噂話から知った事でした〉
 本当に、何故なのだろう。伯母は、私と従姉との間を、強いて離しておこうと努めているとしか、私には思えぬ。
〈貴方に御目通りをと胸の内では切に願いながらも、それは私、十八の女の口から申すのは余りにも憚られることでした。身内とは申せ、同い歳の殿方に御目通りをと願い出るのは……。
 本当に血の繋がった親しい身内に御目通りも叶わず、鬱々と物思いの募るまま、十六夜の夜更け、何ともなく簀子に出でておりました。その折、何かを感じたのでしょうか、ふと振り返ったあの時の事を、私は今も、まざまざと思い出します。半ば影になった貴方の御姿は、若公達とはかくあるものと、私の胸に深く刻み込まれたのでした。どうかお蔑み下さいますな。私は一目見た貴方の御姿に、魂の全てを奪われました。あの一刹那に、私は貴方への、恋に陥ったのでした〉
 従姉が、あの従姉が、私に、この私に、恋だって!? 私の従姉への思いも、恋と呼ぶところのものに類するかもしれないが、従姉の方から、私に恋したとはっきり書かれると、嬉しいと言うより先に、戸惑ってしまう。
〈それなのに、どうした事でしょうか、私は貴方を見、貴方に見られているのに堪えられず、母屋の内へと滑り入ったのでした。貴方を探しに参った女房の声が聞こえたのは、暫く経ってからでした。
 帳台に入って後も、私の心は千々に乱れたままでした。本当に、『あひ見ての』の歌の通りでございます。
(筆者註 百人一首収録「あひ見ての後の心に比ぶれば昔は物を思はざりけり」による)
 おかしな事でございますが、もしや私は、この世ならぬ幻に恋したのではと、その夜一夜、思い続けました。貴方の秀でた美貌は、既に女房どもの喧しい噂話に上っておりましたが、その夜私の見た貴方の御貌は、この世の人、現し世に存在する私の従弟なる人の貌とは思えぬ程、美しすぎたのでございました。もしやあれは、私の心に巣喰う鬼の、月夜に見せた幻ではなかったかと、そう思う程に、物狂おしいまでに胸が苦しめられるのでした。苦しい思いを抱きつつ寝た夜、悪い夢に魘されて目を覚まし、翌朝夢解きをさせましたところ、当分物忌に服す事になりました。その間にも、貴方が御風邪を召した事など、女房どもの噂話に聞こえて参りました〉
 二人して同じ事を思っていたのか。従姉があの頃、物忌だと言って私の挨拶言上を断ったのは、決して伯母の差し金なんかではなかったのだ。私の勘ぐりすぎだった。私がそんな邪推をしたのは何故だろう。伯母が私を、十年以上も見捨てて顧みなかった事で、伯母に対して含むところがあったからだろうか。あの時でも、よく考えてみても良かったのだ。あの日から四日前というと、私が従姉と偶然巡り会った夜の翌朝だ。時間的にも良く符合するし、それに、その四日前の時点では、私は伯母に、従姉に挨拶させてくれとは言ってなかったのだから、伯母が拒むような様子を見せたのと、従姉付きの女房が、四日前の従姉の夢見が悪かったと言ったのとを結びつけたのは牽強だったと言えよう。
〈私があの時見た貴方の御姿を、幻かと思いましたのは、無理からぬ事であったかと思います。貴方は東の対にお住まいの身、その貴方が、西の対の簀子に御姿をお見せになったのですから。それから後も、貴方の御貌の余りにも美しすぎた故に、それは夢か幻かと、帳台の内で思いに沈む日々でございました。今日の事では私は、こう申すと御不審に思われるでしょうけれども、喜んでおります。昼の日の下で見た、馬に乗る貴方の御貌は、あの夜私の見た御貌そのままでしたし、馬ごと池に落ちなさるまで御気付きにならず、泰家に叱られなさる貴方の御有様を見て、何と申しましょうか、貴方が現し世の人、私と同じ人であることが、ようやく私にも信じられたのでした。
 それにしましても、何故母は、年改まり春も過ぎ、夏ともなった今に至るまで、貴方に御目通りをお許し下さらないのでしょうか。私の、数少ない血の繋がった縁者である貴方を、何故私から遠ざけるのでしょうか。
澄子〉
 文はここで終わっていた。私は紙を畳み、机の上に置いてある文箱に滑り込ませた。
 澄子、と言うのか……。名は体を表す、と言うけれど、きっとその名の通り、清く澄んだ心の持ち主なのだろう。でも、私が醜態を曝すのを見て、私が現し世に実在する人間だと信じたというのは、一風変わった発想だ。だが、そういう一風変わった所のある人と思うと、尚一層、会ってみたくなる。それが全くの他人だとしても、というのは私の、やや人と違った好奇心のせいかも知れないが、まして身内、目と鼻の先に住んでいる従姉澄子となれば、一層である。どうして伯母は、私を澄子に会わせてくれないのか。
 さて、文を貰ったからには返事を書きたい。これはいつもの、何をしないと礼を失する、何をしておくに越した事はないという、気配りからくるのではなくて、本当に心の底から、そうする事を願っているのであった。しかし、返事を書いたところで、それをどうやって澄子に届けるか。何故というと困るのだが、私が書いた文を澄子に届けてくれるよう女房に頼むのは、頼む女房が誰であっても、どうもやりたくないのだ。頼む女房とて、近江と桔梗しかいないが、近江に頼んだとしても、他の女房に漏れる事はないと思うが、それでも気が進まない。近江にすらも、知られたくない、そんな気持が働くのだ。しかしそれなら、私が直接西の対へ出かけて行って、澄子に手ずから渡すかというと、それは言語道断という声が、頭の片側半分から聞こえる。
 そのうちに桔梗が朝餉を持って来、朝餉の後には薬師が診察に来たり、泰家が様子を見に来たりして、何となく取り紛れてしまった。午後になってから硯箱を持ち出し、返事を書こうと筆を取ったものの、届ける術のない文となると……仕方がない、こうなったら、近江にだけは打ち明けよう。あれなら口は固いし、余計な詮索もしないで文使いをしてくれるだろう。そして、万一他の女房に文を見られた場合に備えて、極力当り障りのない文面にしておこう。私は、公文書に使うような白無地の紙に、あだめいた事は一切排して、ただ、自分の体の具合は心配に及ばない、騒がせて済まなかったとだけ書き記した。それを包み、封をしてから、近江を呼んだ。
「御用でございますか」
「うん、もっとこっちへ来て」
 参上した近江を、私は近くへ手招きし、声をひそめて、
「実は昨夜、西の対の従姉上が、私の容体を気遣って文をくれたんだ。その御礼の文を、今書いたところだ。これを、西の対へ行って、従姉上に届けてくれないか。女房に取り次がせないで、できたら本人に直接」
 近江の顔には、昨夜の文とは何だ、自分を通した文など何もなかったが、という不審の念がありありと表れていたが、
「承知致しました」
 いつものように、何も詮索せずに用件だけを引き受けて、さっさと退ってゆく。忠実一途、本当によくできた女房だ。他の女房だと、こうはゆくまい。
 それにしても、この心の躍動は何だろう。今迄とは、明らかに違う。今迄は、澄子が私をどう思っているか、それがわからないことのために、漠たる不安が心から離れず、澄子の俤を思い浮かべて甘い感傷に浸っている時でも、どこかそれは、不安と恐れを伴うものであった。しかし今は違う。澄子の方も私に恋しているとわかった。そのために、漠たる不安は消し飛んで、心は今日の青空のように、晴れ晴れとしてきた。それに続いて、心の底から衝き上げてくる、力一杯快哉を叫びたくなるような歓喜! 風邪なんか、あっと言う間に治ってしまったような気がする。
・ ・ ・
 五月雨が終わって六月になると、夏も酣わである。部屋にじっとしていても暑いし、泰家を誘って蹴鞠をやるにも暑すぎる。去年の夏までは、夏といえば田畑の仕事で大忙しで、暑がっている暇もなかったのだが、これだけ暇になってしまうと、暑い時の暇潰しというのを考えなければなるまい。いっその事、泳ぎでも習って、池に飛び込みたい気分だ。大体この衣の暑さは何だ。直衣装束というもの、一番下の単から一番上の袍まで、少なくとも五枚は重ね着している。とは言っても、私の斜め前に坐って、先刻からずっと団扇で私に風を送ってくれている近江の方は、裳に唐衣まで着た正装なのだから、一層暑いに違いない。その近江の前で、暑いなどと言うのは気が引ける。私という人間、つくづく気配りの権化のような人間だと、我ながら呆れ返ってしまう時もある。
 そこへ、先触れもなく泰家がやって来た。
「や、元気かい」
 入って来た泰家は、単に衣を一枚、それも双肌脱ぎにして袖を帯に挟んだ、思い切った格好だ。
「相変わらず暑いね、こう暑いと、部屋の中にいる気にもならないや。どうだ、遠乗りしないか?」
 暑さの余り気分がやたらと鬱陶しくなっていた折だったので、私は二つ返事で快諾した。私は早速、薄地の狩衣に着替えて、泰家と一緒に厩へ行った。馬を二頭、厩から引き出しながら、泰家は言った。
「幾ら暑いからってね、川へ乗り入れるのだけはやらないでくれよ」
 私は肩をすくめた。
「もう二度と、あんな事はやらないよ」
「それならいいんだ。方角は……今日は天上だから、どこも塞がっていないね」
 私と泰家は、轡を並べて門を出た。町を行き交う人々を見るだけでも、結構気分転換になるものだ。邸の中と違って風も少しは吹き、さりとて砂煙を巻き上げるほどではなくて、一服の快さがある。
「どこか行ってみたい所はあるかい」
 東堀川小路を北へ向かって馬を進めながら、泰家は言った。
「都の北の方に、岩倉って土地があるらしいね。私の縁の土地かも知れない、そこへ行ってみたいな。余り遠くはないと思ったけど」
 岩倉という土地は、きっと祖父の荘園か別荘のあった土地なのだろう。そう思うと、まだ見ぬ土地にも、何となく憧憬を覚えるのであった。
「岩倉っていうと、貴船神社へ行く途中だね。そうか、君の縁の土地なのか。わかった、行こう」
 行先が決まると、泰家は少し馬の足を速めた。やがて邸宅の立ち並ぶ地域を過ぎ、川岸に出た。二つの川が合流している。
「この川が高野川、こっちは賀茂川。あそこの杜が、下鴨神社だ。葵祭の時は、この辺まで見物人が大勢出てくるんだ」
 泰家は左右を指差して言う。尚も高野川に沿ってゆくと、次第に民家は少なくなり、森が行手に迫ってくる。
 やがて辺りが開けて、山に囲まれた小さな盆地が広がった。
「ここが岩倉の里だよ」
 泰家は馬を止めて言った。小さく区画された田畑の中に、小さな民家が散らばり、野良仕事に精出す百姓の姿があちこちに見える。田畑を吹き渡る風が運ぶ夏草の匂いは、薫香の匂いに慣らされかけていた私には、限りなく懐しいものに感じられた。私は馬上で大きく伸びをし、夏草の匂いの風を、胸一杯に吸い込んだ。暑さを忘れさせてくれるような、爽々しい香りだ。私は川岸の立木に馬を繋ぎ、小川の水を飲ませながら、ゆったりと草の上に腰を下ろした。
「不思議だなあ……こういう景色を見ると、何故か心が落ち着くんだ。都の中だと、どうしてか、これ程は心が落ち着かないんだ。育った環境、だろうな。生まれは貴族でも、育ちは百姓そのものだったから……」
 私は独りごちた。ふと泰家を見上げると、泰家は私の言った事など耳に入っていないといった風で、ぼんやりと辺りを眺めている。その様子も、何か気が抜けたというか、退屈したというか、そんな感じだ。そう思うと、不意に私の胸の中に、幾分苦味を含んだ感情が起こってきた。所詮、生まれも育ちも貴族、それも大金持ちの受領の息子である泰家に、私の胸に深く沈んでいる農村への郷愁など、わかろう筈がない。
 そこへ、牛を牽いた老人が通りかかった。
「ちょっと」
 私に呼び止められた老人は、驚いて立ち止まり、卑屈そうに礼をした。
「へえ、何でございましょう」
 私は努めて気易く、対等の人に話しかけるように尋ねた。
「この里に、岩倉宮様の別荘などはないかな」
 老人は北の方を指差し、
「宮様の御別荘でしたら、あすこの山の麓にありましただ。でも、宮様は大分昔にお亡くなりになって、今では荒れ放題ですだ」
「わかった。有難う」
 私は馬の綱を解き、鞍に登った。
「岩倉宮の別荘が、この里にあるそうだ。行ってみるよ」
「待って、僕も行く」
 泰家も、私の後を追って来た。里の北側に山が迫っていて、その麓に、生垣と土塀の続く一角がある。ここが岩倉宮、つまり私の祖父の別荘らしい。門の前に立ってみると、門扉は閉ざされたまま朽ちかけている。土塀も或いは崩れ、或いは草が生い茂っている。生垣も、雑木林と区別がつかない。土塀の崩れた所から中を覗いてみると、邸はすっかり荒廃し、屋根には草が茂り、壁は崩れ、破れた簾が斜めに下がっていたり、柱に蔓が巻いていたり、確かに荒れ放題だ。すぐ裏まで森が迫っていることもあって、昼でも不気味な感じがする。夜になったら、物怪が飛び交いそうな荒れ邸だ。
「何か気味が悪いな。帰ろうよ」
 泰家が、妙に上ずった声で言った。振り返って見ると、泰家は私の袖を掴んでいる。思ったより度胸のない男だ。
「そうだな、帰ろうか」
 岩倉の里を後にして、私達は都へ帰ってきた。近衛大路に差しかかった時、前方の大路を西へ向かう、大きな行列に行き会った。
「や、東宮還啓の御行列だ。馬を降りよう」
 泰家は、さっと馬から降りて轡を取った。私も馬から降りようと、鞍から腰を上げ、左足だけ鐙にかけた格好になった、その時だ、私の馬が、何かに驚いたのか高く嘶き、跳ね上がったのだ!
 何が起こったかもわからぬうちに、私の体は背中から、地面に叩き付けられていた。尻から頭のてっぺんへ、激痛と痺れが走ったと思うと、痺れが去っていくのと同時に、すうっと気が遠くなっていった……。
・ ・ ・
 ……目が覚めた。薄暗い部屋の中に、私は寝かされているらしい。何やら読経の声が、喧しく聞こえてくる。背中から腰にかけて、ずきずきと痛む。
「ああ、正良! 気がついたのかい!?」
 殆ど半狂乱の伯母の声がする。顔を傾けようとすると、
「いけません、動いちゃいけません、じっとして!」
 伯母は叫びながら、私の顔を覗き込む。涙を流れるまま拭おうともせず、化粧はまだらに剥げて、伯母の取り乱しぶりが並大抵でないのが、私にもよくわかる。本当にその惑乱ぶりは、日頃の伯母と同じ人とは到底思えぬほどで、さめざめと泣きながら、よく聞き取れぬ事を延々と喋っている。私は体中が痛いこともあって、伯母がとめどなく甲高い声で喋り続けるのにほとほと閉口していたが、出て行ってくれとも言えないから、じっと黙って怺えるだけだった。
 一しきり泣き騒いで、伯母が帰ってゆくと、入れ替りに泰家が入って来た。さすがに少し憔悴している様子で、入ってくるなり私の枕元にがくりと膝を突いて、
「御免、本当に済まない。僕が君を誘ったせいで、こんな事になって……」
と、いつもの泰家とは打って変わった沈痛な声で、ぼそぼそと呻くように言う。
「君のせいじゃ、ないよ……」
 私は擦れ声を出した。息をするだけで、背中が痛む。私は一息ついてから、尚も声を絞り出した。
「と、ところで、あれから、どうなったんだい」
 泰家は首を振る。
「わからないんだ。気が付いたら僕も、君と一緒に牛車に乗せられてたんだ」
「牛車、か……。誰が、……?」
「だから、わからないんだ……」
・ ・ ・
 十日ばかりの間、私は熱に浮かされていた。落馬した時に打った背中や腰が腫れて、そのせいで熱が出ていたということだ。熱はようやく下がったものの、腰の骨を傷めたらしく、上体を起こす事もできず、ずっと寝たきりの日が続いた。
 七月にもなろうかという頃、珍しい客が訪ねて来た。衛門佐である。私の事故を聞きつけて急遽上京し、ずっと邸に留まっていた伯父は、左大臣家の御曹子の来訪とあって大騒ぎしているようだが、私としても、何故ここに衛門佐が来るのか、考えてみれば不思議な事だ。
 衛門佐は入ってくると、私の枕元にゆっくりと腰を下ろした。汗と膏薬で悪臭紛々たる私の傍に、上品な薫衣香を漂わせた衛門佐が来ると、私もつい気が引けてしまう。
「御気分はいかがですか」
 私は頭だけ起こして、休み休み答えた。
「どうにか、熱も引いて、大分、良くなりました。わざわざ、こんな所へ、来て頂いて、恐縮です」
 衛門佐は、
「無理をなさらないで。もっと楽にして下さい」
 私は頭を枕に落とした。
「ところで、私が怪我した事、誰から、伺ったのですか」
 衛門佐は少しにじり寄り、私の顔を覗き込むようにして言った。
「他人から聞いたんじゃありませんよ。あの日の東宮還啓の行列に、私も供奉していたのです。行列が丁度西洞院大路に差しかかった頃、騎乗していた私のすぐ前で、馬が跳ね上がって乗り手が落馬するのが見えたのです。駆け寄ってみましたら、落馬なさったのは貴方じゃありませんか。馬は、すぐ近くにいた帯刀が取り押えましたが、貴方は気絶なさっていたし、貴方と一緒にいた少尉泰家も、すっかり取り乱していたので、私と一人の帯刀が東宮に、行列供奉を外れるお許しを頂いて、帯刀に貴方と少尉を見させて、私は急ぎ播磨守殿の邸へ参って、牛車をお出しになるよう申し伝えたのです」
「そうでしたか。貴方が、知らせて下さったんですね。本当に、有難うございました」
「親友が怪我なさるのを見て、見捨てて行けますか。当然の事をした迄です、礼には及びませんよ」
 衛門佐に「親友」と言われると、何となく嬉しくなる。つい、口元が綻んだ。
 衛門佐はやや表情を改めた。
「東宮におかせられても、貴方の御怪我には御心を傷められておられます」
 東宮。思わず知らず、私も身が強張った。そりゃまあ、あの行列は東宮還啓の行列だったのだから、その行列のすぐ傍で人が馬から振り落とされて、全く気に止めない人がいるとは思えないが。でも私のような者のために、東宮が心を傷められるとは、有難いやら勿体無いやら。
「東宮には私から、折に触れて貴方の事を啓し参っておりました。東宮には殊の外、貴方に御関心をお持ち遊ばされ、何か事があれば、内々に貴方を召されたいと仰せられる事もありました。そんな折も折、還啓の行列の目の前で貴方が落馬して御怪我なさったとあって、殊の外、御心を傷められ、御心配遊ばされておられるのです」
「……そうですか。東宮の御心までも悩ませ奉るとは、何とも恐れがましい、痛み入る限りです」
「貴方の御怪我が治ったら、内々にお召しなさる御考えと承って参りました」
「忝けない限りにございます」
 私は少し間を置いて、口調を改めて言った。
「ところで衛門佐殿」
 衛門佐は遮って、
「信孝、と呼んで下さい。そんな他人行儀な仲ではない積りです」
 私は言い直した。
「信孝殿、貴方は相当、東宮の御信任を受けておられるようですね」
 信孝は少し照れ臭そうな顔をした。
「そう見えますか。その通りです。私の大叔母が、今は尼となっておりますが、東宮の外祖母なのです。さらにまた、私の二番目の姉が、梨壷女御と申しまして、東宮の妃となっているのです。ですから私は、元服したばかりの頃から東宮には一方ならず御目をかけて頂き、先日の行啓のような折にも、何かと御側に召されるのです」
 私は呟いた。
「人の縁とは不思議な物だ。……もし私の伯父が貴方の御祖父上に、私の叙任の事を頼みに参らなかったら、私のような人間が、東宮の御目に止まる事など無かったに違いない」
 信孝は微笑んだ。
「そして私も、いい親友を一人、持たずじまいだったでしょうね」
 私は黙って頷いた。
・ ・ ・
 やっと上体が起こせるようになったのが八月、歩けるようになったのは九月だった。永らく病床に臥したままだと、体が、特に足が弱ってしまう。そこで私は、治りかかった頃からは、積極的に食べ、運動し、体力の増進に努めた。百姓生活から得た教訓は幾つもあるが、その一つ、「何はなくともまず体力」である。百姓という肉体労働者にとって、仕事をするにはまず健康な体と充分な体力が欠かせない。
 運動と言っても、馬には乗れない。私自身は別に、一回や二回落馬しただけで乗馬嫌いになった訳ではないのだが、一度ならず二度までも落馬して寝込んだ私に、伯母の方が心配性になって、お願いだからどうか馬にだけは乗らないでくれと、私が臥している間中、泣きながらかき口説いていたのだ。伯父も、私が大怪我をしたのを一大事と思い込んで、私には馬に乗るなと何度も言い含め、その一方で泰家には、もしもう一度私を乗馬に誘ったら勘当だと、厳しく言い渡したらしい。伯父が泰家に腹を立てたのは、馬が驚いて私が落馬した時、取り乱してしまって何もできず、家への連絡まで信孝が代りに走った事に、我が子ながら腑甲斐なさすぎると思ったためであるようだが。私の落馬騒ぎでは、泰家や伯母夫婦、信孝、更には東宮にまで、随分多くの人に多大な心配をさせてしまった。伯母は私が担ぎ込まれたのを見て気絶したそうだし、伯父は、私が不具にならないようにと、あちこちの寺に願を立て、大仰な祈祷をさせたという。そうそう、近江が聞き込んできた話では、私が大怪我をしたと聞いて、澄子は三日ほど寝込んだということだ。それを聞いて私は、綿々たる詫びの文を書いて、近江に託して西の対へ届けさせた。
(2000.11.4)

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