岩倉宮物語

第四章
 九月のある夜、私は何となしに近江に話しかけた。
「近江」
「はい」
「近江は確か、ここへ来る前は、どこかの宮家に永年勤めていたそうだね」
「左様でございます」
「その宮家っていうのは、何という宮だったのかな」
「前の上総太守でいらっしゃった宮様ですわ。上総宮と呼ばれておいででした」
 近江は、何故私がそんな事を尋ねるのか、というような詮索は一切しない。ただ、知っている事をありのままに教えてくれるのだ。
「ふうん。それで、その上総宮という御方は、どういう御血筋の方なのだろう」
「どういう御血筋、と仰言いますと?」
「いや、実はね、私は親類縁者の少ない身だから、何かな、血の繋がった人というのがどこかにいないか、それが気になってね」
 それだけではない、もう一つの目的があったのだが。
 近江は納得した様子で、にっこりと笑った。
「ええ、それなら丁度宜しいですわ。上総宮様は、北の方様の御父岩倉宮様の、御兄宮に当たる御方です」
「へえ。そういう縁で近江も、ここへ来たんだね」
「左様でございます。上総宮様は今年七十歳におなりになるとて、去年の冬、上総太守をお辞めになって、御出家なさったのです。女房のうち、年老いた者二三人ばかりは、一緒に尼となってお供申し上げたのですが、私共は御暇を頂戴致しました。丁度その折、北の方様が女房をお探しになっていると聞き及びまして、こちらへ参ったのでございます。北の方様は上総宮様をよく御存じでしたから、上総宮家に永年仕えた女房なら大丈夫、と仰言いまして、それで今こうして御奉公致しているのでございます」
 当節は女房と言っても、身元を保証してくれる人がいないと、きちんとした所へは奉公できないのだ。勢い、主家同士、或いは奉公する女房同士の親類関係が物を言うようになる。
「そうか。それで、上総宮様は、今はどこにお住まいなのかな」
「ええと、どちらでしたか……嵯峨野の、そう、浄蓮院という小さなお寺ですわ。お訪ねになるのですか? でしたら私が、まず文を差し上げて、御都合をお伺い致します」
 普段は差し出た事を決して言わないのに、こういう場面では私の意をよく体してくれる。つくづく、良くできた女房である。
「そうしてくれるか。なら頼むよ、有難う」
「どう致しまして」
 三日後の夕方、近江が私の部屋へ来て言った。
「御返事が参りました。明日から三日間、差し障りがないそうです」
 私は元気一杯、立ち上がりながら言った。
「そうか、明日は私も支障はない。じゃ明日、参るとしよう、善は急げ、だ。そうそう、伯母上にもお知らせしよう」
 私は近江に先触れさせて北の対へ行き、伯母に会って、明日、上総宮を訪ねる、と伝えた。
「馬に乗ってはいけませんよ!」
 伯母は、まだ六月の騒ぎが頭から去らないような声を出した。私は笑って、
「わかってますよ。牛車で行きます」
 伯母はやっと安心した様子で、
「なら安心しました。行ってらっしゃい。私からも宜しく、と申し上げて下さいね」
「わかりました」
 翌朝私は、牛車を出させて嵯峨野へ赴いた。浄蓮院という寺は、寺と言うよりは庵と言った方が相応しいほど、小ぢんまりとした寺であった。まだ建てられて幾らも経たない建物に私は招ぜられた。
 上総宮は、今年七十歳という齢に相応しい、枯淡の風格を漂わせた老僧であった。私を見ると相好を崩し、
「おお、そなたが岩倉宮の孫息子かの。いやいや、このような庵に、よく来てくれた」
「私こそ、突然伺って、勤行のお邪魔になりはすまいかと、恐縮です」
 形通りの挨拶の後、上総宮は、しみじみと昔を偲ぶようなまなざしになった。
「俗世を捨てた者がこんな事を申すのは奇妙だろうがな、年をとると、子や孫達の成長を見守ってゆくのが、僅かな楽しみとなるものだ」
「はあ」
「私にはとうとう、一人の子も授からなかった。そんな私には、二人の娘を授かった弟の岩倉宮が、羨ましく思われたものだ」
「そうでしょうね」
「しかし、子を授かる喜びが大なればなる程、子を思う心の惑い、子を失う悲しみも大なるものだ。弟は下の娘、そなたの母だそうだな、その娘を失った悲しみの余り、世を捨てたのだ。弟は子煩悩だったから、その悲しみは端目にも見るに堪えなかった」
 上総宮は言葉を詰まらせた。やがて、
「その下の娘が、そなたを産んで亡くなってから、はや二十年か。年月の過ぎるのは早いものだ……」
 え!? 今、何か、変な事を聞いた気がする。私は恐る恐る口を開いた。
「あの、私は今年、十九ですけど。母が亡くなってから、十八年ではないでしょうか」
 すると上総宮は、急に我に返って、
「おや、そうか? 私の勘違いだったかな? ええと、弟が出家したのは確か戊辰だから、今年は丙戌だ、そうか、弟が出家してからだと十八年だ。だが、確かそれより二年前に、下の娘が亡くなったと聞いた気がするがな。いやはや、齢を取ると物忘れがひどくなってかなわん」
(戊辰は西暦一○二八年、丙戌は一○四六年を想定する)
 私の生まれ年は、伯母に聞いたところでは戊辰、今年は間違いなく十九歳である。事は重大だ。何しろ、もし上総宮の言う通りなら、私は断じて岩倉宮の下の娘の息子ではあり得ないのだ。
 私の胸は激しく波立った。その後、上総宮は少し、岩倉宮の思い出話などをしたようだが、まるっきり上の空で、何も私の頭に残ってはいない。ただ、最後に上総宮が何気なく、
「岩倉の別荘の近くに、昔弟の邸に奉公しておった女房が、尼になって庵を結んでおったと思った」
と言ったのを、私の耳は鋭く聞き咎めた。岩倉の里なら、この前行ったあそこだ。と思うと、俄に居ても立ってもいられなくなり、
「岩倉ですね!? わかりました、どうもお邪魔しました」
と言うが早いか席を立ち、車宿へ向かった。
「今からすぐ、岩倉の里へ行く」
 牛飼を急かして支度をさせ、浄蓮院を後に、真っしぐらに岩倉へ向かった。例の荒れた別荘の近くへ来た時、私は牛飼に言いつけた。
「この辺りに尼の庵はないか、里人に尋ねてくれ」
 少時すると牛飼の一人が、
「この少し東の方に、尼の庵があるそうです」
「わかった。そこへ行こう」
 その尼の庵は、百姓家と見間違えそうな粗末な小屋であった。私が一人で入って行って案内を乞うと、出て来たのは六十を過ぎた老尼であった。老尼は突然の来訪者に驚いた様子で、私が何者なのか見定めようとしている。
「私は、故岩倉宮の縁の者です。貴女が故宮に永らく奉公なさっていたと聞き及びまして、二三お尋ねしたい事があって参りました」
 老尼は私を招じ入れた。土間に敷いた蓆に私と老尼は坐った。私は切り出した。
「故宮にはお二人の姫宮があったと聞き及んでおりますが、その姫宮方の事で、何か御存じの事はございませんか」
 老尼は、遠い昔を懐しむような口調で言った。
「私は、中の姫宮の乳母でございました。二十年程も昔の事でございます。中の姫宮は俄な病に罹られ、私共の看病の甲斐もなく身まかられました。私はその後すぐ世を捨てて、中の姫宮の御菩提を弔い申しておるのでございます」
 二十年程、か。ここの所をもっと、はっきりさせねばならぬ。私はかまをかけた。
「中の姫宮が亡くなられたのは、御産のためだと、さる方より聞き及んだのですが」
 すると老尼は不思議そうに、
「これは異な事を。中の姫宮は、只の一度も殿方と相見る事もなく、清い御体のまま身まかったのでございます。御産などと、誰が申したのでしょう。そのような事は、決してございません」
 乳母だった女が言うのだから、これはまず間違いあるまい。とすれば、岩倉宮の下の娘(中の姫というのは、二番目の娘をさす)は、私の母ではないということだ。そうすると、私の母は、誰なのだろう? もしかすると、という一縷の望みを託して私は言った。
「故宮の姫宮は、本当にお二方だったのでしょうか。他にもうお一方おられた、というような話はございませんか」
 老尼は首を振った。
「そのような話は存じておりません」
 これだけでは、肯定も否定もできない。だが、私の生母が祖父岩倉宮の、庶腹の娘だったかも知れないという考えは、急に私にとって現実味を帯びてきた。伯母が私を、十年以上も迎え取ろうとしなかったのは、異腹の妹(もしかすると姉だったかも知れないが)の子供ということで、世間に憚っていたのかも知れない。
 私は老尼の庵を辞して、邸へ帰った。帰ると早速、伯母に会った。上総宮の事について通り一遍の事を言ってから、
「ところで伯母上、故岩倉宮の姫宮は、本当に伯母上とその妹宮の、二人だけだったのですかね」
と何気なく切り出した。伯母は、
「はて、何の事でしょう」
 私は腹に力を入れた。
「実は今日、上総宮様がこんな事を仰言ったんです。伯母上の妹宮が亡くなってから、今年で二十年になる、と。伯母上の妹宮が、私を産んで亡くなったのだとしたら、私は今年、二十一歳という事になりますね」
(筆者註 言う迄もないが、本文中の年齢は全て数え年である)
「ええ、確かにそうですね」
 伯母の頬が、僅かに引きつっているように見えたのは、気のせいだろうか。
「もし私が、伯母上の仰言る通り十九歳なのだとしたら、どうなるんでしょうね」
 不意に伯母は笑い声を上げた。
「それで正良、貴方の母は浮舟かも知れないと考えたのですか、ほほほ、なかなか面白い事を考えましたね、ほほほほほ」
 伯母の笑い声はしかし、強張った喉から無理に絞り出したような歪んだ笑い声だった。
(筆者註 浮舟……「源氏物語」宇治八の宮の庶腹の娘)
 伯母は笑いを止めた。一転して真顔で、
「正良、もう少し現実的に物事をお考えなさいな。上総宮様は確かに私の伯父上ですが、所詮は岩倉宮家の外の人、しかも御齢七十歳です。私の妹が亡くなった年を、勘違いしておいでだったという事は、考えなかったのですか」
「え、それは、上総宮様も、年を取ると物忘れが、などと仰言いましたが……」
 私が口籠るのを見て、伯母は一層傘にかかって来た。
「亡き父の名誉の為にも、迂闊な事は言わないで貰いたいのです。父は、母以外の女の腹に子を儲けるような人では、決してありませんでした。浮舟の話なんてのは、所詮作り話です。その話はもう結構、お退がりなさい」
 私は黙って引き退らざるを得なかった。あと一歩の所まで来たと思ったのに、一挙に撃退された気分であった。もし岩倉の老尼の話を持ち出したら、伯母はどう反駁しただろうか。
・ ・ ・
 九月の末に秋の除目があり、伯父の大掛かりな運動の甲斐あって、私は侍従に補せられる事になった。伯父は春先からの肩の荷がやっと降りた事とて、すっかり安堵しきっている。
「これでやっと、儂も一安心じゃ。正良も官を賜った事だし」
 そのために伯父は荘園を幾つ、左大臣に寄進したのか、と内心では思っていても、そんな事を表立って口にはできない。早速私と伯父は、またしても左大臣邸へ御礼言上に参る事になった。浅緋の束帯の正装で牛車に乗った私は、わざと伯父に言った。
「私の官位は主上から賜ったものではないでしょうか、それなのに大内(皇居)を差し措いて左大臣様の御邸へ参るとは、妙な話ですね」
 伯父は私の顔を見て、にやりと笑って言った。
「そこはそれ、建前と本音というものじゃ」
 建前と本音、か。初出仕もまだのうちから、こういうのを見せつけられると、正直言って幻滅だ。私は、つまらなそうな様子を見せまいとして、努めて明るい口調を作った。
「左大臣様への御礼とは別に、先日の件では衛門佐殿には大層お世話になったから、その御礼も申さねばなりますまい」
 伯父も肯いた。
「そうじゃな、そなたは本当に、気配りがよく働くのう」
 左大臣邸での宴会の様子は、書くには値しないだろう。始まって早々に信孝に会って、落馬事件の礼を述べると、信孝は、
「その事はもういいでしょう。それより、明日にでも東宮が、貴方をお召しになりたいとの御意向です」
「恐れ入ります。しかし、参内するとなるとまず主上に拝謁し奉るのが筋でしょう、まして私は侍従なのですから」
 私は宮中のしきたりまでは知らないから、そうだろうと思ったままを言う。
「殿上聴許の宣旨はまだ渙発されていないでしょう、ならばまだ、主上への拝謁はできません。主上に遠慮し奉るのも尤もですが、東宮は、一日も早くと思召しなのです」
「……わかりました」
 翌日私は、正装して参内した。侍従職は中務省の管轄なので、まず中務省に出頭して登録を受ける。それから侍従局へ行って、先任の侍従に挨拶する。私が局へ入ってゆくと、先任の侍従達は一斉に私を見て、何事か囁き合っている。どうやら私の噂は、参内前からかなり人の口に上っていたらしい。
「正良王(岩倉宮の宮号は、信孝などはそう呼んではいるが、正式に勅許された宮号ではない)にございます。未熟者ですので、皆様方の御指導御鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます」
 私の他に十数人いる侍従は、壮年以上の者は少なく、若手が多い。中には十三四にしか見えない、まだ子供々々した者もいる。若手の一人、公晴(特に姓を記さない者は藤原氏)という男は、どうも見るからに頼りなさそうな、坊っちゃん育ちなのがありありとわかるような男だ。だがこの公晴は、若手の侍従の中でも特に、私に馴れ馴れしくしてくる様子がある。子供っぽさの抜けない口ぶりで、
「お名前は兼ねてから伺っております。先頃は僕も、いや私も、随分心配しました。無事に御怪我が治って何よりです」
 こんな子供にまで心配されるとは、私の怪我は貴族社会では驚天動地の大事件だったのだろうか。
「信孝、じゃない、左衛門佐殿から聞いたんです」
 何でここに信孝の名前が急に出てくるのだろう。私は尋ねた。
「公晴殿は、左衛門佐殿とはお親しいのですか」
 公晴は、私に声をかけられたのに有頂天になって、嬉しそうな声で、
「ええ彼は、小さい頃からの友達なんです」
 あの信孝とこの公晴が、幼い頃からの友達というのは、どうも信じ難いものがある。だが、幼馴染の友達という言葉には、何か私の胸を揺さぶるような響きがある。私には、幼馴染と言えるような、いや、「友達」という言葉に相応しい人にしてからが、一人もいないからだろうか。「友達」という言葉は、子供同士の間の人間関係を言い表すものだ。信孝と私との間柄は、その発端から既に、大人同士の人間関係だった。泰家は、血は無縁とは云え親類関係だから、同列に論じる訳にはいかない。
 そのうちに、六位の縹色の袍を着た男が来て私を呼んだ。
「侍従正良王、こちらへ」
 再び一座の注目が私に集まる。私は立ち上がって戸口へ行った。六位は言った。
「東宮の御召しにございます」
 ざわざわする先任侍従達を後にして、私は六位に続いて外へ出た。門をくぐり、長い渡廊下を通ってゆく。ここは大内の中でも、特に内裏と称される一角で、帝、后妃、東宮の住処である。それだけに警備も厳重で、雰囲気も特別だ。
 角を曲がった時、前の方から歩いてくる僧が見えた。剃髪して何も被らない僧形は、遠目にもよくわかる。近づいてくるのを見ると、私より若いくらいの年格好だ。日頃他人の顔貌など余り気にしない私も、この僧の顔には目を引き付けられた。確かに顔の造作は、一般的に言ってかなりの美形の部類に属す方だろう。しかしそれよりも、私の目を捉えたのは、僧の目であった。何と冷たい目だろう。その澄んだ瞳は、底知れぬ深淵のような、静かな哀しみを湛えていた。これ程哀しい目をした人を、私は見た事がない。あの若さで僧形になった人間の過去の何が、あの僧をしてあれ程哀しい目をさせているのか。
 やがて着いたのは、昭陽舎であった。
「侍従正良王、御召しにより参上仕りました」
 私は簀子縁に坐り、手を突いた。
「待っていた。もっと近う」
 簾の内から声がする。まだ若い声だ。私は顔を上げ、簾の前へ進み出た。左右には数人の若公達が坐っている。その中に信孝も、正装して加わっている。
 簾が巻き上げられた。東宮は、私より少し齢下のようだ。第一印象は、かなり意志の強そうな人物、というところだ。ただ、どことなく甘そうな感じのするところは、東宮として何不自由なく育てられたに違いない過去を思えば、致し方ない事だろう。
「例の怪我は、もう治ったのかな」
 東宮は、親しみを込めた声で尋ねる。
「は、既に癒えております。その節は東宮におかせられても御心痛遊ばされた由、左衛門佐殿より聞き及びました。恐懼至極にございます」
 私が畏まって返答するのに、東宮は気楽に、
「そなたの事は信孝が、この春から何度も言うのでね、私も気には留めていたのだ。こうして本人を見ると、噂に聞く以上の美男だね」
 またか。私はうんざりした気分になって、ちらりと信孝を見た。信孝は、気まずそうな顔をするでもない。
「左衛門佐殿が、そう私の事を啓したのですか」
 ほんの僅か、抗議の色合いを染ませて言うと、東宮は笑って、
「信孝が言ったのではないよ。信孝は、そういう噂をするには真面目すぎる。特に誰が言うとでもなく、広まっている噂だ」
「しかし、美男だなどという噂は、言われている本人にとっては恥ずかしいだけです」
 私が思ったままを言うと、
「それは贅沢というものだよ、ハッハッハ」
 東宮は愉快そうに笑った。他の若公達も釣られて笑い、部屋中賑やかな雰囲気に包まれた。やがて東宮は笑い止んで言った。
「まあしかし、そなたが参内するようになれば、この内裏も華やかになるね。性覚も相当な美男だけど、何と言ってもあれは僧だから、華やかさには欠ける」
 また一人、新しい人物の名が挙がった。
「その性覚という僧は、いかなる御方なのですか」
 私が尋ねると、東宮は頷いて、
「うん、父帝の御帰依深い覚海僧正の弟子で、内裏にも時々参っている学僧だ。確か今日も、参内していたんじゃなかったかな」
 私の頭の中に、ピンとくるものがあった。先刻通りすがりに見たあの僧が、性覚だったのかも知れない。あの僧の、底知れぬ深い哀しみを湛えた目は、まだ私の瞼から去らない。
 それから暫時、私は昭陽舎に腰を落ちつけていた。東宮は、どういう訳だろうか、殊の他私に親近感を抱いているようだ。
「不躾な事を申し上げますが、何故東宮は、今日参内したばかりの私に、これ程親しくして下さるのですか」
 恐る恐る言うと、東宮は気分を害した風もなく、
「そうしていけないという法はないだろう。何でだろうな、私はそなたが、初めて会った一介の他人という気がしないんだ。以前どこかで会った事がある、というのとも少し違うが、何か感じるんだ」
と朗らかに言う。
「それは私が、東宮と縁続きという事でしょうか」
「それもあるかも知れない。ここにいる中では、私とそなただけが皇親だからね。とは言っても、皇親は五世王までなんだから、五世王に比べたら信孝の方が近い縁なんだけれどね」
と東宮は、信孝をちらりと見て言う。
 この日、東宮の住む昭陽舎に参上していたのは、私の他、信孝、左馬頭時仲、中務少輔資行、権少将為信――彼は左大臣邸でも見た。左衛門督の長男で、信孝の従弟にあたるという――等の若手公達七八人であった。皆、東宮の信任厚い者達で、互いの仲も親しい仲間同士であるようだ。和気藹々とした談笑の間に、私は信孝に言った。
「先刻侍従局で、公晴殿に会いましたよ。彼、貴方の友達らしいですね」
 信孝は、ほんの僅か照れたように、
「公晴が、そう言ったんですか」
 他人に向かって、自分の実弟でもない人物を「公晴が」と言うのだから、余程親しい仲なのだろう。
「彼とは長い付き合いです。年も同じ十五歳でして。それに、……」
 信孝は、俄かに頬を赤らめ、
「……彼の姉の、晴姫と、その、行末を誓った仲なんです」
と、囁くように言った。
 ヘェー、と言っては失礼すぎる。しかし、十五やそこらの若者の口から、こういう話を聞くとは思わなかった。私は微笑んだ。
「貴方が行末を誓ったという姫なら、きっと心映えの良い姫なのでしょうね」
 ふと澄子の俤が脳裏に浮かんで、しみじみとしたのも束の間、信孝の顔に何やら困惑したような表情が浮かんだのに気付いた。信孝は、
「いやぁ、その……」
 妙に口籠っている。照れ隠しとはちょっと違うような気がする。どういう事なんだろう。まあ、本人が何となく話したくないようだから、詮索するのは止そうか。私だって、澄子の事をとやかく言われたら、不愉快になるだろうから。
・ ・ ・
 十月、十一月と、日々は流れるように過ぎてゆく。その間私は、物忌でない限りは毎日参内した。私は自分で思っていたよりも、存外社交的な人間なのか、日々多くの人々と付き合って、既にある人間関係を深め、新しい人間関係を創り出してゆくことに、この上ない娯しさを感じるのだった。東宮からは頻々と呼び出しがあり、かなりいろいろな話をして時を送った。雪がどうの椿の花がどうのといった他愛ない話や、皇族の人物系図に関する興味津々な話、話の種は尽きなかった。
 侍従という職務柄、早々と殿上を聴許され、帝の側近くに仕える事になった。とは言っても、日常の宮中事務的な事は専ら蔵人所の仕事で、侍従の仕事は儀式・行事の場に限られている。という訳で、侍従という職は日頃はする事がない、かなりの閑職である。だが、東宮の住処たる昭陽舎に出入りするには、その方が好都合であった。
 さて殿上を聴許され、初めて帝の御前に召された私は、雰囲気に半ば圧倒されながらも、帝の目を観察する事を怠らなかった。帝がどのような心を持った人間であるか、それをしかと見極めておくために。しかし私に対する帝の態度は、一諸王に対する君主のそれ以上でも、以下でもなかったし、帝の目も余りにも無表情すぎて、どのような心の持主なのかを探ることはできなかった。それが、帝王の帝王たる所以であるのかも知れないが。ただ一つ感じた事は、帝は心身とも万全の状態ではないという事だ。悩み事でもあるのか、それとも病を得ているのかはわからないが。
 私が、こうやって多くの人々との交友を深めていくのは、ただ単に人好きだからというだけではなかった。もう一つの大きな目的、――私の両親は誰であるかを明らかにするという目的のためでもあった。もっとも、現在の結婚の形態――男が女の家へ通い、生まれた子供の養育は全て母方の家に属す――では、一人の女の許に二人以上の男が同時に通うことも起こりうる訳で、そうした場合、生まれた子供の父は誰か、というのは、母ですらわからないという事態になる。私がもし、伯母の妹の元に一夜侵入した男の息子だとしたら、この男が誰であるかを突き止めるのは至難の技である。
 十二月のある夕方、邸の自室で憩いでいると、近江の声が聞こえた。
「小太郎君様」
 孫廂を見ると、近江が坐っている。
「あ、近江。帰ってたのか」
 近江は今日、以前上総宮邸に奉公していた時分の同僚が永らく風邪で寝込んでいるのを見舞に行くと言って、出かけていたのだった。
「今しがた帰って参ったばかりでございます」
「うん。で、どうだった、同僚の風邪の具合は?」
「ええ、もう大分良くなったと申しておりました。それで、一つお目にかけたい物がございます」
 近江は、ついと立って、部屋へ入ってきた。私は、俄に胸が高鳴るのを覚えた。
 実は私は、自分の実の両親が誰であるかを確かめようという意向を、近江にだけは打ち明けておいたのだった。近江は上総宮に縁故があるから、その方面から攻めて行けば、もしかしたら有力な手掛りが得られるかも知れない、と踏んでいたのである。
 近江は懐から、男物の紙扇を取り出した。
「この扇でございます。少納言(今日近江が見舞に行った元同僚)の叔母が先頃亡くなりまして、その形見分けで貰った物なのだそうですが、少納言は女所帯ですから、男物の扇などあっても使いようがありませんで、『貴女の御主人にでも差し上げて下さい』と言って、私にくれたのです」
 近江の手から受け取ってみると、特に何の変哲もない紙扇である。多少古びてはいるが。
「これがどうかしたのか?」
 私が言うと、近江は真顔で、
「少納言が申すには、叔母は永らく、岩倉宮邸に御奉公していたのだそうですが、二十年程前、宮邸で御子がお生まれになったすぐ後に、急にお暇を頂いて、そのまま出家してしまったのだそうです。何故急に出家してしまったのか、今でもわからないと少納言は申しておりました」
 二十年程前に岩倉宮邸に生まれた子供と言えば、私と澄子のどちらかだ。これは重大な事ではないか。私は思わず身を乗り出した。
「そりゃ何かあるぞ。それで、少納言の叔母ってのは、今どこにいるんだ?」
 私が急き込むと、近江は、
「今申したではありませんか、先頃亡くなりましたと」
 ガックリくるとはこんな事を言うのだろう。私は肩を落とした。深く溜息をつきながら、
「うーん……もっと早く、その話を聞いていさえすれば」
 しばし沈黙が流れた。私は気落ちして、何となく扇を弄びながら、開こうとすると、開かない。
「何だこの扇? 開かないぞ」
 古い扇だから、余り乱暴に扱うと壊れてしまう。私は注意深く、どうやったら開くか試みた。すると、普通の扇と逆向きに開く(普通の扇は手前側の骨が、右へ開いていくように作られているが、この扇は左側へ開いていくように作られている)ことがわかった。
「変な扇だなあ。これとは逆に開くようになってるのか」
 私は、懐に入れていた檜扇を取り出し、並べて見ながら呟いた。近江も、不思議そうに覗き込んでいる。
「何か書いてありますね」
 ふと気が付いたように近江は言った。そう言われてみれば、歌が散らし書きにしてある。
「歌だね。……知らない歌だな。特に有名な歌でもなさそうだ。でも何だろ、癖のある字だ。歌も大した事ないし、字も変だ。贈答品じゃなさそうだね」
 紙扇に、趣向を凝らした絵や有名な和歌を書いて贈答するのは、貴族社会で流行している趣味の一つである。特に三蹟(小野道風・藤原佐理・藤原行成)などの名筆と呼ばれる人の書いた物は、贈答品として珍重される。
「まあいいや。何かわかるかも知れない。預らせて貰うよ」
 私はその扇を、色紙に包み、厨子にしまった。そのうち何か折があったら、誰かに尋ねてみよう。
 三日ほど後に東宮に召された折、ふとした事から扇が話題になった。私は好機到来とばかり、努めてさりげなく切り出した。
「蝙蝠(紙扇)の紙の張り方というのは、どれも同じだと思っていましたけど、そうでもないようですね。左へ開くようになっている蝙蝠という物、私は最近手に入れたのですよ」
 一座の仲間達は、訝しそうな目で私を見ている。中務少輔が、
「岩倉侍従殿、私にはそんな変な物があるとは思えませんな。左に開く蝙蝠なんて、開きにくくて仕様がない。間違えて作ったんではないですか」
 他の者も、大して私の話に関心を示さなかったようだ。ところが、意外な方から、
「岩倉侍従、その蝙蝠の事で話がある。後でまた」
 東宮の声だ。声の調子も少し、普段と違う。
「は」
 皆を帰した後、東宮は私を招き寄せ、
「先刻の、左に開く蝙蝠の事だが、珍しい物だな。明日にでも、持って来てくれないか」
 妙に興味津々といった様子で言った。
 これは、単に珍し物好きというのとは少し違うような気がする。確かに東宮は珍し物好きだが。もしかして、何か私の知らない事を知っているのかも知れない。私は、
「承知致しました。明日、持って参ります」
 内心胸をわくわくさせながら答えた。
「いつもより少し、早目に来てくれ」
 東宮は言った。
 翌日私は、いつもより少し早く、昭陽舎に参上した。東宮は待っていたとばかり、
「こっちへ来てくれ」
と、私を塗籠(四方に壁のある小部屋)に誘った。私は次第に、胸が高鳴るのを感じた。塗籠の中で東宮と差し向かいになり、懐から例の扇を取り出して、
「これがその、左へ開く蝙蝠です。……と、確かに開きにくいな」
 両手で開いて、東宮に見せた。東宮はそれを手に取り、じっと見ていたが、見る見るうちに顔色が変わっていった。私も、思わず生唾を呑み込んだ。
「……こ、この蝙蝠、そなた、どこで手に入れたんだ!?」
 東宮は震える声で呟いた。
「ど、どこでって……。東宮、これ、そんなに珍しい物なんですか?」
 私が恐る恐る尋ねるのに、東宮は絞り出すような声で、
「珍しいも何も、どうしてそなたが、これを持っているんだ!? これは、これは、父帝の御蝙蝠だよ!」
・ ・ ・
 驚きの余り口もきけない私を前に、東宮はぽつぽつと話し始めた。
「……父帝は、左利きであらせられるのだ。普通の扇は、これがそうだが(と桧扇を懐から取り出して広げながら)、右手で開くにはいいが左手では開きにくい(と、開いた桧扇を左手に持ち替え、閉じようとする)。それで昔、左手で開きやすい扇を特別にお作らせになったのだそうだ。他人に賜っても使いにくいだけだからと、誰にも賜らず、御自分だけでお持ちだったんだよ。それに、この歌だ。私はこの歌は初めて見るから、父帝の御製かどうかはわからない。しかし、この御筆蹟は、間違いない、父帝の御筆蹟だ。公文書の御宸署は漢字の、それも楷書だから右利きの人の字と差が出にくいけれど、平仮名を散らし書きにしたら、左利きと右利きの差は、はっきり出るからね」
 東宮は例の扇を床に置くと、やにわに私の双肩を両手で掴んだ。
「なあ、答えてくれ、どこの誰から、どうやってこれを、手に入れたんだ!?」
 そこで私は、近江から聞いた事をそのまま東宮に話した。東宮は暫く黙っていたが、考えがまとまったらしく、低い声で話し始めた。
「……こういう事だと思うな。父帝は二十年程前、岩倉宮の姫宮に秘かに通われた。二十年前と言えば弘安帝の御代だから、父帝は立坊は勿論、もしかすると親王宣下も受けられていない、ごく気楽な御身分だったに違いない。だから、その少納言の叔母とかいう女房に手引きさせて、岩倉宮の姫宮に秘かに通われる、なんて事もお出来になれたんだ。きっとその時だ、どういう次第でかは知らないが、この御蝙蝠が、その女房の手に入ったのは。そして、岩倉宮の姫宮は父帝の御子を宿された。それを知ってその女房は、事の重大さに気が付いて、罪の意識に苛まれて岩倉宮邸を辞めたんだと思う。辞めたその足で尼寺へ駆け込んだ、っていう感じだもの」
「事の重大さ、と仰言いますと」
 私が口を挟むと、東宮は呆れたように、
「言わでもの事を言わせないでくれ。岩倉宮の姫宮がもし独身だったら、未婚の母じゃないか。もし結婚していたら、他の男の、子を産んだ事になるんだよ、どっちにしたって宮家の姫君にとっては大醜聞だ。自分が奉公している主家の姫君が、自分のせいでそんな事になったら、出家でもしなきゃ気が済まないよ、王命婦みたいに」
(筆者註 王命婦……「源氏物語」桐壷院の后藤壷中宮に、光源氏を手引きした女房)
 東宮は、表情を引き締めた。
「ともかく、だ。岩倉宮の姫宮が宿された父帝の御子、それが誰かは、言わなくたってわかるだろう」
 私は、全身がぶるぶると震えるのを止められなかった。東宮は、一層厳粛な口調で、
「そなただよ、岩倉宮正良王、そなただよ! そなたは、私の、異母兄なんだよ!」
 そうであってほしい、そうであってほしくはない、両方の思いが私の頭の中で渦巻いた。私は強張った舌で、途切れ途切れに言った。
「ちょ、ちょっと待って下さい。じ、実は私には、同じ歳の、従姉がいるのです。もしかしたら、従姉の方が、主上の御子なのかも知れません」
 私が初めて伯母に会った時、伯母の話した事が全て真実なら、叔母の妹、私の実母の許に通っていた男、それが私の実父なのだから、東宮の推理と会わせれば、私の実父は帝その人でなければならない。しかし伯母の妹、故岩倉宮の二番目の娘宮は、私が生まれる二年前、子を産む事なく亡くなったと、私は確信している。そうなると、初めて私が伯母に会った時の伯母の話は、どこまで信じて良いかわからない。極端な話が、私も澄子も、伯母の子でないのかも知れない。或は逆に、私も澄子も伯母の、というと不適切だ、岩倉宮の上の姫宮の、実の子なのかも知れない。
「少し長い話になりますが、お聞き下さいますか。もしお聞き下さるのなら、決して他言なさらないと、お誓い下さいますか」
 私は、東宮の目を真向から見つめながら言った。東宮は力強く頷いた。
「誓う。男と男の約束だ、決して他言しない。だから話してくれ」
 私は、初めて伯母に会った時伯母が話した事、上総宮から聞いた事、岩倉の里の老尼から聞いた事、その全てと、自分自身の推理とを、洗いざらい話した。
「これが、私の生まれに関して、私が知っている事、私なりに考えた事の全てです」
 東宮は私の話を聞き終わると、深く頷いて言った。
「結局、そなたの考えのうちどれが正しいかは、そなたの伯母君、いや、そうじゃないかも知れない訳か、岩倉宮の大君(長女)だけが知っているんだな」
 私は頷いた。
「そうです。しかし、今のところまだ伯母は、答えてくれないのです」
 東宮は表情を和げた。
「まあ私としては、そなたが私の異母兄であって欲しいな。そなたと私しか知らない、けれど凄く重大な秘密を分かち合うのって、何か凄く、どきどきしないか?」
 私は肩をすくめた。
「そういうどきどきは、心臓に悪いですよ」
 東宮は笑って、私の肩を軽く叩いた。
「年寄りじみた事を言うなよ。さ、出よう」
 東宮と私は塗籠を出た。
「恐れながらもう一度お願い申し上げますが、はっきりした事がわかる迄、私が申した事、決して他言なさらないで下さい」
 私が今一度念を押すと、東宮はきっぱりと言い切った。
「決して他言しない。誰が何と言おうともね」
 東宮は私に、例の扇を返した。それきり、私も東宮も、二度とその事は口にしなかった。
・ ・ ・
 年は改まって、私は二十歳(もし私の生年が、伯母の言った通り癸丑ならば)になった。正月の叙位で、私は位一階を進められて従五位上に叙せられた。私には元々、官位の昇進を願って齷齪するといった気持は余りなく、そのために財を使って権門に取り入るなどという伯父のような事は潔しとしなかった。だから、位を進めてくれと左大臣や、まして東宮に頼み込んだ訳では決してない。伯父がまた、左大臣に荘園を寄進したのだろうか。しかし伯父は、昨年が播磨守の任期満了の年であり、自分の任官運動で手一杯で、私の位階になど気を回す余裕はない筈だ。
 明日から除目の会議が始まるという夜、伯父は久し振りに私の部屋へ来た。
「明日はいよいよ除目ですね。伯父上は申文(任官・叙位を願い出る者が提出する願書)に、何てお書きになったんです?」
 私が話題を選んで――蓄財と昇進しか念頭にない伯父には、こんな事しか話題にできないのだ――言うと、伯父はにやりとして、
「正良も、大分世間ずれしてきたな。ま、もう一期(四年間)播磨守をやらせてくれと、それだけじゃ。本当は重任は禁止されておるが、今時それを守っとる受領なぞ、六十六ヶ国どこにもおらんわ、ハハハ」
「どうして重任は禁止されているのですか」
「そりゃ、やりたがる者が大勢いるからじゃ、儂みたいに」
「では、何故やりたがる者が大勢いるのですか」
 すると伯父は苦笑いして、
「そなたも知りたがり屋じゃの。ま、今更そなたに、綺麗事を言うても始まらんじゃろ、有体に言えば、重任した方が実入りがいいからじゃ。
 受領の任期は四年、それは知っとるじゃろ。しかし、国司の下で郡司などをやっとる在地の豪族どもと仲良くなって、こちらが何も言わんでも向こうが物産とか何とか、まあそういう物を献上してくれるような仲になるには、一年や二年、どうしてもかかるんじゃ。やっとそこの豪族どもと仲良くなっても、別の国へ行ったら、また一から始めにゃならん。しかし重任なら、その手間暇が省けるでの」
 そこまであからさまに言うかね、普通。
「まあ国によりけりじゃの、隠岐を一期やった後で、もう一期やるか播磨へ行くか、て事になったら、一も二もなく播磨じゃな、播磨に一年おれば、隠岐を三期やると同じくらいの財は貯まるからの」
 自分から持ち出した話題とは云え、自分が余り聞きたくないと思っている事を、こう得々と喋られると閉口する。伯父に気取られないように、私は傍を向いて溜息をついた。伯父は、他人の表情を細かく観察する能力には乏しいので、私の溜息には気付かなかった。
 伯父は尚も得々として続ける。
「大体、重任を禁ずるなどとは理に合わぬ話よ。時々、こんな事があるのを知っとるか。良い国司がいてな、任期が終わる年の暮になると、任国の豪族どもが、この次もその国司を任じて下されと、朝廷に解文を奉ってくるのじゃ。わかるか? 良い国司なら、本人が重任を望むのは勿論の事だが、豪族どもも重任を望むのじゃ。治める国司も、治められる民も望んでおるものを、禁止する理由がどこにある、そう思わぬか?」
 そういう話もあるのか。
「成程、それはそうですね。しかし、誰もが豪族達から重任を望まれるという訳ではないでしょう」
 すると伯父は笑って、
「そりゃそうじゃ、余りがめつい国司だと、重任どころか、任期中に馘にしてくれと解文を奉られたりするからな、それをうまく手なずけるのが、国司の腕前じゃ、ハハハ」
 私は愛想笑いをしながら言った。
「伯父上はどうなんです?」
 伯父は些かも意に介する風はなく、
「儂か? 儂はまあ、重任させてくれの解文も、馘にしてくれの解文も、奉られた事はないの。重任が叶うたら、もうちっと豪族どもの機嫌を取って、四年後の除目の時に、重任させてくれの解文を奉られてみるか。いや、三期となるとちと無理かな。四年後になると、五十か、そうしたら、儂は隠居して、儂の代りに泰光(伯父の長男)を播磨守に任じて頂くとしようか」
 三日後、春の県召除目(国司の人事異動)が決定し、発令された。とは云っても、申文を出していない私には無縁な話だ。しかも私は、今日明日と重い物忌で、東の対の自室に閉じ籠ったきり、近江や桔梗も余程の事がない限り近づいてはならぬ、という状況であった。
 夜になると、寝殿の方からは何やら賑かな声が聞こえてくる。どうやら伯父は、播磨守重任が叶ったようだ。親類や、播磨の豪族達までもが集まって、祝宴を開いているということだ。そこで私も、近江と桔梗を手伝いに出させていた。東の対にいさせても、どうせ私は物忌で、私の部屋へは近づけないのだ。近江も桔梗も、女房としては物静かな方だが、そんな女房でも、いないとなると一層静かな気がする。しんとした部屋で、私は黙って書見をしていた。
 夜も更けた頃だろうか。ふと私は、廊下を女が歩いてくる気配を感じた。私の部屋は東の対の南端だから、泰家の部屋へ行く者ではない。釣殿へ行くにしても、季節的におかしい。私は書物から目を上げ、耳を澄ました。
 気配は、私の部屋の前で止まった。と思っているうちに、カタカタと、妻戸を開けようとする音が聞こえてきた。私はそっと立ち上がり、音のした妻戸に歩み寄った。誰か。近江なら、妻戸に錠を差してあるのを知らない筈はない。私は小声で言った。
「誰だい? 私は今日、物忌だよ」
 返答はない。
 一瞬、私の脳裏によぎった考えがあった。私が今日物忌で、しかも邸の主人の任官祝いがあり、この辺は人少なだ。それを見すました、女を装った賊ではないか? 伯父は大金持ちだ、考えられない線ではない。私は素早く部屋を見回した。武器になりそうな物は? 侍従という職務上佩用する小太刀がある。私は素早く手を伸ばし、左手に小太刀を掴んで背中に隠し持った。右手で静かに、錠を外し、妻戸に手をかけ、そっと、そうっと……。
 私は言葉を失った。左手に持った小太刀が、手を離れて床に落ちる音が、いやに大きく響き渡った。茫然と立ちつくす私の横をすり抜けて、さっと私の部屋へ入り込んだ女、それこそ、誰あろう、従姉澄子だったのだ。
 我に返った私は、どう判断したのか、咄嗟に妻戸に錠を差した。振り返って従姉に歩み寄り、その前に片膝を突き、声をひそめて、
「従姉上……」
 澄子は、低い静かな、そっと囁くような声で、
「澄子、と呼んで下さい、正良様」
 これが澄子の声か。名前に違わず、澄んだ玲瓏たる声だ。しかし、その上べの雅びさに似ない、何か知れぬ静かな熱と力を底に秘めたような声だ。切羽詰まったような感じもする。
「澄子さん、何故貴女が、ここにいるのです。どうして来たのです」
 世間一般の常識から言って、到底考えられない事だ。男が女の部屋に忍び込むならともかく、物忌に服している男の部屋へ、女が独りでやって来るなんて。
 澄子は、床に両手を突いたまま、きっと顔を上げて、私を真向から見据えた。その目は、私が初めて澄子を見た時の、あの穏かな温かい目ではもはやなく、激しく燃え盛る炎のような輝きを持った目であった。私は、はっと胸を衝かれた。
 これが、人を恋する人の目だ。人を恋し、慕い、その思いの余り余人の理解を超えた挙に走ることさえ厭わぬ人の目だ。澄子は私を、それ程迄に恋していたのか。
「正良様……私の、私のこの心、わかって下さい、正良様なら、正良様だけは、わかって下さる、それだけを信じて、ここへ参った私の心、どうか、わかって下さい」
 澄子の声は、一層熱を帯びてきた。答える代りに、私は深く頷いた。
 私と澄子は、互いに、一生涯にもこれ程という事は二度とはない程、見つめ合った。その息苦しさに耐えかねて、私は口を開いた。
「しかし、何も私が物忌の今日、それを……」
 澄子は、女とは思えぬ程力強く、私の言葉を遮った。
「物忌が何だと言うのです。恋する人の心を、何が堰き止められると言うのです。それに、私も今日は物忌です。正良様が物忌、私も物忌、しかもお父様の任官祝いで、東の対も西の対も人少なです、そんな今日でなくて、お母様に貴方との仲を裂かれている私が、いつ貴方に、私の思いを打ち明けられますか」
 人は見掛けによらぬものとは言うけれど、あの澄子に、こんな奔放な情熱が秘められているとは、毫も思わなかった。
 澄子は、決然と言った。
「縦え貴方が私を恋していなくても、私は貴方を恋しています、それだけは、どうか忘れないでいて下さい。では」
 そう言われて気がついた。私は澄子に何度か文を贈ったが、万一にも近江以外の女房の手に入った場合の気恥かしさから、恋心の片鱗さえも文には見せた事がなかったのだ。私は一気に我を忘れ、床に突いた澄子の両手に私の手を覆い被せた。思い切った言葉が、口から飛び出した。
「澄子さん、貴女が私を恋する以上に、私は貴女を恋しています!」
 頭を下げて後ずさりしようとしていた澄子は、驚いたように顔を上げた。私は夢中で言い募った。
「初めて貴女を見たあの時、私は人を恋する事を知ったのです。それを教えてくれたのは貴女です。それからずっと、私は、貴女が私を恋するよりも、いや、この世の誰が誰を恋するよりも、もっと深く、もっと熱く、貴女に恋し続けてきたのです。ああ、私は貴女が羨ましい、たった一人で、物忌を押し切って貴女の部屋を訪れる勇気を、持てなかった私が腑甲斐ない……」
 不意に澄子は腰を上げた、と思う間に、その上体を私の胸に投げ出した。澄子の両腕が私の腋の下をくぐり、私は澄子に、がっしりと抱きすくめられていた。初春とは云え衣を通して伝わってくる、澄子の体の温かみと、その胸の激しい高鳴りに、私はしばし、理性の全てを失っていた。私の手が澄子の、長い黒髪に触れると、澄子は私の胸に顔を埋めたまま、やるせない溜息をついた。と思うと、その顔を上げ、上げた顔が目の前に迫ってきたと思ううちに、紅をさした澄子の唇が、私の唇を捉えた……。
 ……どれくらい経っただろうか。妻戸を叩く音がする。それも、かなり乱暴にだ。
「正良、正良! 起きているの?」
 伯母の声だ。かなり取り乱している。澄子は言った。
「私が部屋にいないのに、女房が気付いたようね」
 私は慌てた。この状況を伯母に見られたら、どう説明するのだ。
「ど、どうする!? ……そうだ、あの屏風の陰に」
 私が部屋の隅にある屏風を指すと、澄子は首を振った。
「いいえ、私は、逃げも隠れもしないわ!」
 私は一層慌てた。腋の下を、冷たい物が流れていく。
「正良! どうしたの、早く開けなさい! 物忌なんか、どうだっていい、大変な事が起こったんですよ!」
 伯母は一層声を荒げ、戸を激しく叩く。伯母の他にも、数人の女房がいるらしい。
「小太郎君様、早く、お開けになって」
 近江の声だ。まだ逡巡している私に、澄子が言った。
「早く、開けて」
 私はとうとう覚悟を決め、すっくと立ち上がった。つかつかと妻戸に歩み寄り、錠を外した。妻戸を破らんばかりの勢いで、部屋に飛び込んできた伯母は、部屋の真中に端座している澄子を見て、凍りついたように立ちすくんだ。続いて入ってきた女房達も、戸口に立ちすくんだままだ。
 伯母は、ゆっくりと振り向くと、激しい怒りに燃えた目で私を睨み据えた。
「ま、正良、貴方という子は……何という、何という恥知らずな事を!」
 その時、部屋の真中で伯母を見上げていた澄子が口を切った。
「いいえ、お母様、私です、私が独りで、ここへ来たのです! 正良様に、思いのたけを、訴えたかったのです!」
 伯母は澄子に顔を向けた。澄子は尚も言い募る。
「お母様、私と正良様の仲は、もう従姉弟の仲ではありません、恋仲です、その仲を、どうか、認めて下さい! 私には正良様しか、生涯を共にする人はいません! もしそれを、認めて頂けないのなら、私は、私は、あっ、あっ……」
 澄子は言い募るうちに感情が昂ぶって、はらはらと涙を流し始めた。澄子がこうまでしているのに、私が黙って突っ立っていられようか。私は女房達の手前も省みず、床に膝を突いた。
「私からもお願いします、私と澄子さんの仲を、認めて下さい! もし認めて下さらないのなら、その時は私も男です、私にだって覚悟はあります!」
 何の覚悟か、と伯母は言うに違いない。と思ったが、一向に伯母の声は聞こえない。暫く経って、低い、静かな声が聞こえた。
「……貴方達の仲は、私には、私にだけは、認められません」
「何故!?……」
 認められないのか、と言おうとした私は、伯母の顔を見上げて、口を閉ざした。伯母の顔は、深い苦悩と悲しみとを、溢れんばかりに湛えていたからだ。
 伯母は女房達を振り返って言った。
「お前達はお退りなさい」
 女房達は、ざわざわと退ってゆく。伯母は澄子の前の床に、静かに坐り込んだ。
「正良、ここへおいでなさい」
 私は澄子の隣に坐り直した。灯火に照らされた伯母の顔は、今迄見た事がない程厳粛であった。
 伯母は静かに口を開いた。
「正良、澄子。よくお聞きなさい。私が何故、貴方達の仲を認めることができないか、その訳を話しましょう。貴方達二人は、私の産んだ、姉弟だからです。今迄ずっと、従姉弟だと言ってきましたが、今こそ本当の事を言います。貴方達は、同い腹の姉弟なのです。同い腹の姉弟の結婚は、天神地祇に於いて許されぬ事です」
 澄子が、呻くような声を二三度出したかと思うと、床に突っ伏した。私は崩折れそうになる心を奮い立たせ、凍りついた舌で、伯母、いや母に問うた。
「では何故、何故伯母上、いや、母上は、私を、母上の妹の息子だなどと、偽ったのです。何故、母上の息子だと、仰言らなかったのです」
 母は、深い苦悩に満ちた声で答えた。
「……今だから言いましょう。貴方と澄子は、双子だったのです」
 双子。
「私はあの日の事を、永久に忘れますまい。乳母や女房達が、常よりも大きな子だと申すうちに、正良、貴方が生まれました。その喜びは、半刻も経たぬうちに悲しみに変わりました。澄子が生まれたのです。双子、それも男女の双子は、強く忌まれたのです。父も夫も、乳母も女房達も、どちらか一人を邸から去らせよと私に迫りました。しかし二人とも、私の腹を痛めた子です、誰が自分の子を、自分の子でないとして見捨てる事ができましょう! でも父には抗えませんでした。私は身を切る思いで、男の子を乳母に託し、邸を去らせたのです。それから今まで、澄子に双子の弟があった事は、今の夫にも、澄子にも話しておりません。それ程までに、男女の双子は忌まれたのです。十七年の間、私は貴方の事を、忘れようと努めました。しかし、貴方が大人になって、ここへ来た時、私は決めました。貴方は私の息子ではない、妹の息子だと、世間にも、夫にも、澄子にも、私自身にも信じ込ませようと。実の息子、私の腹を痛めた息子を、実の息子だと言えない母の辛さが、正良、貴方にわかりますか? 貴方が、母は誰かと尋ねた時、母は私ですと言えなかった、この苦しさが、貴方にわかりますか? 貴方は小賢しくも、伯父上上総宮様を訪ね、私の妹が、貴方が生まれた時には既に亡かった事を聞き出してきましたね。あれは私の、第二の失敗でした。しかし今日、私は第一の失敗を悟りました。それは貴方と澄子が、恋仲になるのを防げなかった事です。恋仲になれば、いずれ結婚をと言い出すに決まっている。従姉弟の結婚は、法も許しています。しかし私は、真実を知っていればこそ、貴方と澄子の結婚を、許すことはできないのです。それは、天神地祇に対する罪です。天神地祇に対する罪を犯すのは、死に値します。死に値する罪を犯さないためには、忌まわしい真実を明らかにする事も已むを得なかったのです。
 正良。私を恨むなら、心ゆくまで恨みなさい。私はその恨み、甘んじて受けましょう。しかしそれは、貴方が世に忌まれないため、貴方が死に値する罪を犯さないためにした事なのです。それでも私を恨むなら、恨みなさい、心ゆくまで!」
 母は絞り出すような声で話し終わると、じっと私を見据えた。その瞳を、私は直視できなかった。俯向いた私の目から涙が溢れ、膝の上にぽたぽたと落ちた。
 ……気がつくと、部屋には私一人だけが取り残されていた。母も澄子もいず、ただその衣の薫りだけが、うっすらと漂っている。私はのろのろと立ち上がり、床を整え、衾を引き被った。止めどなく涙が溢れた。澄子の俤が、私の目の前から、涙に溶かされるように消え去ってゆく。恋破れた者が一人過ごすには、春の夜は余りにも長かった。
 この顛末は、結局継父には知らされなかったらしい。物忌が明けても、継父は私に何も言わなかった。恐らく継父は、私と澄子が姉弟である事も知らされないままであったろう。
(2000.11.4)

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