番外日記
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2002年5月11日(土)〜12日(日)
リフレインブルーのゲームシステムとして、3人目にトゥルーエンドを迎えることができるのは津賀島つぐみに限定されていますが、つぐみシナリオは途中まで前回の ちなつシナリオとぴったり並行していて、サマースクール4日目(サマースクールの日程は6日間)のハイキングの途中まで来て、はっきりと分岐します。もちろんそれ以前から つぐみの姿は見え隠れしていますが。
初めの頃の印象は、一見とても人当たりが良くて一点の曇りも陰もない明朗さと、その裏では何でも金稼ぎに利用しようと狂奔する姿のギャップに軽い当惑を覚えますが、後者と“いわゆる関西弁”の結合がいささか安直に感じられました。
このゲームの登場人物中、もう1人“関西弁”を使う人物がいて、それが寮の管理人です。しかし奈緒シナリオの後半で管理人と話を交わすことが何度かあった頃から気になっていたのですが、管理人のイントネーションはどうも今までに私が知っている関西出身ゲームキャラ(例が少なすぎますが、「ToHeart」の保科智子と「こみパ」の猪名川由宇)のそれと違って、どことなく東京弁に近い気がしましたし、つぐみの場合は語彙の中に、妙に違和感のあるのがありました。
後半、義博の夢に現れた織女が「私にできるのはここまで」と告げてからがシナリオの核心となりますが、そこからは一転して重苦しい話になってきます。つぐみは幼時に母親から度重なる虐待を受け、たった1つの「いい思い出(遊園地で風船を買ってもらったこと)」は、さらに苦い思い出(その日のうちに遺棄されたこと)を思い出させずにはおかない。そのために つぐみは、自分の思い出を作ること、他人の思い出に登場すること(サマースクールの集合写真に写るまいとする)、それのみならず人に愛されること(たった一度だけ生みの母に愛されたと思ったとたんに遺棄されたから)を恐れ、拒否し、その代わり他人の思い出を自分のそれと思い込ませ、「偽りの思い出」で過去を塗り固めてきた。つぐみが10年前に蜻蛉海岸に来た時の思い出、と言って義博に語ったのが、由織の幼時の思い出だったのを義博が知ったことからそれを看破するのですが、それを義博が知った場面の描写が、気を持たせすぎというのでしょうか、ちょっと引っ掛かります。
ある出来事にまつわる思い出が自分にとって「いい思い出」でないために、それにまつわる他人の思い出に登場することを拒絶している つぐみの心理は、私にも少しはわかります。ゲームとは関係ない話なので、別ページにしました。
シナリオ構成上、ちょっとこれはどうかなと思ったのは、第一に序盤で つぐみが ちなつをモデルにして写真を撮る場面。ゲーム内での時系列的には ちなつシナリオで ちなつの正体(東陽学園の生徒ではないのに潜り込んでいる)を義博が治美から打ち明けられるより前ですが、ゲームシステム的にはプレイヤーは、つぐみシナリオのこの場面を見る前に、ちなつシナリオを終了して ちなつの正体を知っているはずですから、ちなつの顔写真が学園新聞に載ったら大変なことになると治美はわかっているはずではないかと。第二は、義博も つぐみと同様、思い出として胸に留めるには苦すぎる「真実の過去」があって、それが故に一度は「偽りの思い出」をつぐみに語っているのですが、ではその真実の過去はというに、7年前にこの海岸で深景と別れてすぐ、深景は幽明境を異にしたことだというのです。奈緒シナリオの結末で明かされる、義博の許を去った深景が残していった置き文が、それを示唆していると言えなくはないのですが、仮に ちなつ→奈緒→つぐみの順でプレイしてきたとしても、もう少し伏線がないと、いささか唐突ではないかと思います。
そしてこれは、つぐみシナリオ単体としてみた時、かなり大きな弱点に感じられてしまうのではないかと思うのですが、つぐみは脱衣所の盗撮やら下着泥やら、犯罪そのものの行為をしてまで金を稼いでは、それをどこかへ募金しているらしいですが、「何のために」「どこへ」つまり動機と目的が、シナリオを最後まで見ても、つぐみ自身の口からは明らかにされないことです。
──それくらい想像できないようでは、ビジュアルノベルをプレイする資格はない、ですか。
(5月14日アップ)

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