正直な与兵衛(第2稿) |
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改作 2000年7月9日 |
昔むかし、あるところに、与兵衛(よへえ)という若い男が、一人で暮らしていました。
ある時与兵衛が、山の畑へ野良仕事に行くと、畑のすぐそばに、鶴がうずくまっています。よく見ると、猟師の射た矢が鶴の体に刺さっているのでした。
その夜、与兵衛が夜なべ仕事をしていると、とんとん、と家の戸を叩く音がします。
明くる日になりましたが、女は与兵衛の家を出ていこうとせず、家に居着いてしまいました。そして、与兵衛が何も言わないのに、あれこれと与兵衛の世話を焼くようになりました。両親を亡くしてから男一人で暮らしていた与兵衛は、お寺の和尚様に相談して、女と祝言(しゅうげん)をあげて、夫婦になりました。女は、名を「つう」といいました。
やがて何十年も経ち、与兵衛もつうも年寄りになりました。子供たちも大人になり、子供たちと孫たちに囲まれて、与兵衛とつうは幸せに暮らしていましたが、寄る年波には勝てず、つうは病気になって、床に臥してしまいました。与兵衛と子供たちの看病の甲斐もなく、臨終が近づいたのを悟ったつうは、枕辺に与兵衛を呼んで言いました。 |
あとがき
初稿を公開した後、読者の方から頂いたのは、「つうの最後の台詞が悲しい」という感想でした。私としては全く予想していなかった感想ですが、最後の台詞、なかんずく「私はお前さんと暮らして、幸せな一生でした」を除いてみると、つうは「頭に『馬鹿』がつくほどの正直者」である与兵衛のせいで、一族のもとに帰れずに一生を終わる身の不幸を恨んでいる、と取られてもしかたがないでしょう。 それに、前の方で「私が機を織っているところを、決して見ないと約束してください」と言っていながら、最後に「どうして、私が機を織っているところを見なかったのですか」と言うのでは、不条理ではないでしょうか。 というわけで、結末を書き直しました。 初稿と比べると、あまりにも内容のない、安っぽいギャグに堕しているかもしれません。 でも敢えて言えば、その安っぽいギャグこそが最初に私が狙ったところであり、まして「正直すぎる人間は時として周りを不幸にする」などというしかつめらしい命題を提示する意図は全くなかったのです。 (2000.7.9) |
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