昔むかし、あるところに、与兵衛(よへえ)という若い男が、一人で暮らしていました。
与兵衛は働き者で、気が優しくて欲がなく、そして、頭に「馬鹿」がつくほどの正直者でした。
ある時与兵衛が、山の畑へ野良仕事に行くと、畑のすぐそばに、鶴がうずくまっています。よく見ると、猟師の射た矢が鶴の体に刺さっているのでした。
与兵衛は気の毒に思って、鶴の体から矢を抜いて、傷の手当てをしてやりました。すると鶴は舞い上がって、与兵衛の頭の上で二三度回ったと思うと、どこへともなく飛び去っていきました。
その夜、与兵衛が夜なべ仕事をしていると、とんとん、と家の戸を叩く音がします。
与兵衛が立っていって戸を開けると、見慣れない、若い女が立っていました。女は言いました。
「私は旅の者です。今夜一晩、泊めてください」
与兵衛は、
「おれの家は男一人だし、こんなあばら屋で何もないけど、もう夜だしな。泊まっていきな」
と言って、女を家に入れて、泊めてやりました。
明くる日になりましたが、女は与兵衛の家を出ていこうとせず、家に居着いてしまいました。そして、与兵衛が何も言わないのに、あれこれと与兵衛の世話を焼くようになりました。両親を亡くしてから男一人で暮らしていた与兵衛は、お寺の和尚様に相談して、女と祝言(しゅうげん)をあげて、夫婦になりました。女は、名を「つう」といいました。
ある日つうは、与兵衛の母が使っていた機(はた)を見て、与兵衛に言いました。
「私は今日から機を織りますが、私が機を織っているところを、決して見ないと約束してください」
与兵衛は言いました。
「ああ、約束するよ。つうが機を織っているところを、決して見ないとも」
それでもつうは心配だったのか、与兵衛が畑へ仕事に行っている間だけ、機を織りました。与兵衛は正直者でしたから、たまに早く帰ってきて、機を織る音が聞こえていても、つうが機を織っているところを、決して見ようとはしませんでした。
何十日もかかって、つうは一枚の布を織り上げました。その布は、与兵衛はもちろん、この辺りの村から町へと布を売り買いして歩く商人の誰も、一度も見たことがないほど、見事な布でした。
与兵衛から布を買った商人が、布をお城のお殿様に差し上げますと、お殿様は商人を通じて与兵衛に、小判百両ものご褒美をくれました。与兵衛は欲のない男でしたから、そのお金で贅沢をしようとはせず、お寺やお宮や、貧しい人たちに施しました。
それから毎年、つうは一枚だけ布を織りました。与兵衛はちっとも欲を出さず、もっと何枚も布を織ってくれとつうに言うこともなく、布を商人に売ってお金が手に入っても、二人の暮らしに足りる分の他は施してしまって、つましく暮らしていました。
やがて与兵衛とつうの間には、子供が何人も生まれました。与兵衛とつうは、子供たちにも、つうが機を織っているところを見てはいけないと言いつけました。子供たちも、与兵衛に似て正直でしたから、与兵衛の言いつけを守って、つうが機を織っているところを決して見ようとしませんでした。
やがて何十年も経ち、与兵衛もつうも年寄りになりました。子供たちも大人になり、子供たちと孫たちに囲まれて、与兵衛とつうは幸せに暮らしていましたが、寄る年波には勝てず、つうは病気になって、床に臥してしまいました。与兵衛と子供たちの看病の甲斐もなく、臨終が近づいたのを悟ったつうは、枕辺に与兵衛を呼んで言いました。
「私はお前さんと暮らして、幸せな一生でした。でもお前さん、どうして、私が機を織っているところを見なかったのですか。
私は、あの時お前さんに助けられた鶴です。お前さんが馬鹿正直に私との約束を守って、私が機を織っているところを見なかったから、私は鶴の姿に戻る機会がなくて、一族のもとへ帰ることもできず、とうとう人間の姿のまま、一生を終えることになってしまったのです」
おしまい。