正直な与兵衛
制作 2000年7月8日

 昔むかし、あるところに、与兵衛(よへえ)という若い男が、一人で暮らしていました。
 与兵衛は働き者で、気が優しくて欲がなく、そして、頭に「馬鹿」がつくほどの正直者でした。

 ある時与兵衛が、山の畑へ野良仕事に行くと、畑のすぐそばに、鶴がうずくまっています。よく見ると、猟師の射た矢が鶴の体に刺さっているのでした。
 与兵衛は気の毒に思って、鶴の体から矢を抜いて、傷の手当てをしてやりました。すると鶴は舞い上がって、与兵衛の頭の上で二三度回ったと思うと、どこへともなく飛び去っていきました。

 その夜、与兵衛が夜なべ仕事をしていると、とんとん、と家の戸を叩く音がします。
 与兵衛が立っていって戸を開けると、見慣れない、若い女が立っていました。女は言いました。
「私は旅の者です。今夜一晩、泊めてください」
 与兵衛は、
「おれの家は男一人だし、こんなあばら屋で何もないけど、もう夜だしな。泊まっていきな」
と言って、女を家に入れて、泊めてやりました。

 明くる日になりましたが、女は与兵衛の家を出ていこうとせず、家に居着いてしまいました。そして、与兵衛が何も言わないのに、あれこれと与兵衛の世話を焼くようになりました。両親を亡くしてから男一人で暮らしていた与兵衛は、お寺の和尚様に相談して、女と祝言(しゅうげん)をあげて、夫婦になりました。女は、名を「つう」といいました。
 ある日つうは、与兵衛の母が使っていた機(はた)を見て、与兵衛に言いました。
「私は今日から機を織りますが、私が機を織っているところを、決して見ないと約束してください」
 与兵衛は言いました。
「ああ、約束するよ。つうが機を織っているところを、決して見ないとも」
 それでもつうは心配だったのか、与兵衛が畑へ仕事に行っている間だけ、機を織りました。与兵衛は正直者でしたから、たまに早く帰ってきて、機を織る音が聞こえていても、つうが機を織っているところを、決して見ようとはしませんでした。
 何十日もかかって、つうは一枚の布を織り上げました。その布は、与兵衛はもちろん、この辺りの村から町へと布を売り買いして歩く商人の誰も、一度も見たことがないほど、見事な布でした。
 与兵衛から布を買った商人が、布をお城のお殿様に差し上げますと、お殿様は商人を通じて与兵衛に、小判百両ものご褒美をくれました。与兵衛は欲のない男でしたから、そのお金で贅沢をしようとはせず、お寺やお宮や、貧しい人たちに施しました。
 それから毎年、つうは一枚だけ布を織りました。与兵衛はちっとも欲を出さず、もっと何枚も布を織ってくれとつうに言うこともなく、布を商人に売ってお金が手に入っても、二人の暮らしに足りる分の他は施してしまって、つましく暮らしていました。
 やがて与兵衛とつうの間には、子供が何人も生まれました。与兵衛とつうは、子供たちにも、つうが機を織っているところを見てはいけないと言いつけました。子供たちも、与兵衛に似て正直でしたから、与兵衛の言いつけを守って、つうが機を織っているところを決して見ようとしませんでした。

 やがて何十年も経ち、与兵衛もつうも年寄りになりました。子供たちも大人になり、子供たちと孫たちに囲まれて、与兵衛とつうは幸せに暮らしていましたが、寄る年波には勝てず、つうは病気になって、床に臥してしまいました。与兵衛と子供たちの看病の甲斐もなく、臨終が近づいたのを悟ったつうは、枕辺に与兵衛を呼んで言いました。
「私はお前さんと暮らして、幸せな一生でした。でもお前さん、どうして、私が機を織っているところを見なかったのですか。
 私は、あの時お前さんに助けられた鶴です。お前さんが馬鹿正直に私との約束を守って、私が機を織っているところを見なかったから、私は鶴の姿に戻る機会がなくて、一族のもとへ帰ることもできず、とうとう人間の姿のまま、一生を終えることになってしまったのです」
 おしまい。


あとがき
 皆さんは、「鶴女房」という民話はご存じでしょうか。木下順二の戯曲「夕鶴」は、私の地元新潟県の、佐渡に伝わる民話に基づいて書かれた戯曲です。
 人間に助けられた鳥が、人間の女に姿を変えてやってきて、恩返しのために布を織るという、この手の民話は、日本各地にあるそうです。しかしそれらの民話では、必ず、機を織っているところを見ないでくれ、という女の戒めを男が破って、女が鳥の姿に戻って自分の羽を抜いて機を織っているところを見てしまいます。正体を見られた女は、男のもとにいることができなくなったと言って、鳥の姿に戻って去っていく、という結末がパターン化しています。
 ならば、もし男が最後まで、女が機を織っているところを見なかったら?
 という素朴な疑問を抱いたのが、この短編を書いたきっかけです。
 他にも「見るなの座敷」「浦島太郎」のように、人間界と異なる世界の住人が、そこを訪れた人間に何らかの戒めを課すタイプの民話があります。そういった民話でも、人間は例外なく戒めを破ります。
 皆さんは、なぜ人間は必ず戒めを破るのか、という疑問を持ったことはありませんか?
 ……それが「民話のお約束」だから? そう言われると、私としてはちょっとがっかりしますね。
(2000.7.8)

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