釧路戦記(改訂版) |
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第六章
私達はやっと一息ついた。今夜中にここを出るということなので、その前に各班毎に風呂に入って、血と埃を洗い流した。戦闘服を脱いで私服に戻ると、陸軍歩兵は民間人に戻った。銃などは鞄に入れてしまう。風呂へ行く時に、廊下から南門を見ると、パトカーが何台も集まっている。転がっている死体や、焼け爛れたワゴンの残骸には、警官が集まっている。少し離れたところにバリケードが作られ、その外には野次馬が群がっている。物々しい雰囲気ではあるが、一抹の空虚感も漂う。午後九時少し前である。 「三階の負傷者を、倉庫へ下ろせ。リフトで地下室へ降ろす」 中隊長が言った。私達は、三階の医務室に寝ている七人の重傷者、中村、高村、及川、八川、趙、早川、飯島を、一人ずつ倉庫に移した。倉庫の南東、作戦部室へ通ずる扉のすぐ裏の隅に、六尺三尺の厚い板が四本の鎖で吊ってある。これがリフトである。重傷者をリフトに載せ、ハンドルを回すと、リフトは降りていく。その間に、私達は作戦部室の隅の竪穴から地下室へ降りた。モルタルを塗った竪穴には鉄梯子がある。一階からも、この竪穴には入れるようになっている。地下室は一階から四メートルほど降りたところにあり、壁はコンクリートで固めてある。竪穴の近くにリフトも降りてくる。 全員揃った。最後に降りてきた中隊長は、総勢五十人の一同を前に話し始めた。 「我々五十一人は、今夜中にこの本部を引き払って決戦場へ移動する。高木班八名は、重傷者七名及び山岡と共に、本部のトラックで移動する。他は鉄道だ」 私達は狭いトンネルを通って、高木の家の地下室へ移動した。高木の家の隣に駐車場があり、大型トラックが二台停まっている。高木達は、重傷者を担架からトラックの荷台に移らせる。山岡も、もう正気に戻って、重傷の兵達に付き添っている。それでも、私を見ると、ひどく怯えた顔をする。 「どうしたんだ」 「……怖いんです……」 やはりそうだ。戦争の現実を知った人間の反応は、ひどく怖がるか、でなければ私のように、怖いという感情を完全に失うか、どちらかだが、経験的に言って前者が圧倒的に多い。私は力強く言った。 「怖がろうが怖がるまいが、もう戦争は始まったんだ。今更、後へは引けない。そうなった以上、怖がることは止めるんだ。戦闘を怖がる奴ほど早く弾丸に当たる、これは俺の経験から言って十中八、九正しい」 午後九時半頃、私達は高木の家を出て、練馬駅へ向かった。練馬から池袋、赤羽と乗り換えて、私達は青森行の列車の客となった。 ・ ・ ・
目を覚ました。時刻は午前九時。列車は林の中を走る。時々海が見える。あと一時間で釧路だ。私は洗面所で顔を洗い、部下達を見て回った。そろそろ、長旅の疲れが出ている。九時五十分、列車は釧路に着いた。東京を出てから、実に三日三晩の道程であった。しかしここは大都会だ。こんな所で決戦をやるとは思えない。ここから更に、何かに乗って行くのだろうか。六月だというのに肌寒く、遠くへ来たという思いを一層募らせる。 外へ出て人員を確認する。全員揃っている。とは言っても、トラックで運ばれているのが私の班にも一人、全体では八人いるのだ。この八人も、無事合流できるだろうか。 「一一〇〇に、基地からバスがくる。それまでここで待機するように」 中隊長が言った。私は駅の構内の大衆食堂に入り、遅い朝飯を食べた。待合室では、仲間達が新聞を広げている。私も覗き込んだ。大見出しがあった。
「大銃撃戦、百数十人死傷」
「爆破された自動車、手足のちぎれた死体、『まるで戦争』と青ざめる近所の住民。十二日夜八時過ぎ、練馬で起こった銃撃戦は、機関銃や手投げ弾が使用され、ヘリコプターが爆撃を試みるなど、左翼団体の抗争事件としては史上空前の大規模なものであった」 一体何人死んだのか。現場検証ではわかるまい。ヘリの直撃を受けた敵は、散華してしまっているに違いないからだ。 十一時十分前、濃淡の緑色に塗り分けたバスが駅前広場に入って来た。中隊長が号令をかける。 「全員集合! バスに乗れ!」 私達はバスに乗り込んだ。運転しているのは太刀川小隊長だ。吉川小隊長は声をかけた。 「おう、太刀川じゃないか」 「よう、吉川、待ってたぞ。 ラジオで聞いたぞ。随分派手にやってくれたなあ。百数十人か」 「敵が大勢来たから、やれる限りやっただけだ。何より、我々の方に死者が出なかったのが幸いだ」 「それは良かったな」 「ところで、人員輸送は輸送隊の仕事じゃないのか?」 「輸送隊は、他に運ぶ物が一杯あるんでね」 輸送隊とは何だろう。耳慣れない言葉だ。 バスが動き出した。 (2001.1.26) |
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