釧路戦記(改訂版)

第五章
 この夜襲は、完全な宣戦布告であった。十日の早朝、私は本部に召集された。本部へ行ってみると、中隊長以下、小隊長、班長が全員集まっている。太刀川小隊の兵も三十人余り、完全武装で屯している。その様子を一目見て、私はピンときた。彼等は皆、一戦交えてきた面構えをしている。
 中隊長は、太刀川小隊以外の各小隊の小隊長、班長を集めて言った。
「昨夜太刀川小隊は、敵のアジトと武器弾薬庫を襲撃し、多大な戦果を上げた。かかる上は我々も、敵の報復攻撃があるものとしなければならぬ。そこで、三個小隊が交替で、本部の警備に当たることとする。
 交番を発表する。今日は上村小隊、明日は大原小隊、明後日は吉川小隊、以後はこれを繰り返す。但し、状況次第では非番の小隊を召集する場合もあるから、心して待機せよ。
 警備の担当時間は、〇九〇〇から翌日〇九〇〇までだ。もし敵襲があった場合は、ここを引き払ってすぐ出発するから、ここへ来る時には最低限度の生活用品等も持って来ること。武器弾薬は今から各班の分を支給するが、それを持って来るのは言う迄もない。戦闘服も持って来るのは勿論だが、来る時は平服で来ること、一般人に怪しまれないためだ。以上、帰ったら部下に周知させること。武器の保管には注意するように、実弾だからな。
 上村小隊は、〇九〇〇から警備に就け。他の小隊は、配給品を受け取ったら帰ってよろしい。朝早くから御苦労。以上」
 私達は倉庫へ行って、部下と自分の分の武器弾薬などを受け取った。武器は一人当り自動小銃一挺、弾倉五個、手榴弾五個、銃剣一本。他には医薬品、軍用ナイフ、水筒、スコップなど。敵から奪ってきた拳銃も配られた。
 私は工場へ戻ると、部下に命令を伝えた。若い石田はすっかり興奮していたが、前の戦争を経験している谷口や酒井は、いよいよ目の前に迫ってきた戦争に、いつになく緊張していた。私だってそうだ。前の戦争から二十余年、再び銃を執って戦う時が来ると、一昨年までは夢想だにしなかった。それが今、現実となって近づいてくるのだ。
 酒井が言うには、私達に与えられた自動小銃は、陸上自衛隊で新たに制式採用した銃と全く同じだそうだ。とすると、我が討伐隊は、自衛隊と武器弾薬の共用が可能なように考えて兵站計画を立てたのだろうか。もし自衛隊と共同戦線が張れるとなれば、我が隊の勝利は約束されたも同然だ。
「ただ、敵だって一応日本国民な訳ですから、それに政治的なこともありますし、余程の事態にならない限り自衛隊は出てこないでしょう」
 酒井は慎重に言う。私は笑い飛ばした。
「自衛隊が我々に向かって来なけりゃ、大丈夫さ。我々は勝てる。目的のない烏合の衆を、一致団結した精兵が攻めるんだからな」
 十二日の朝、食事中に電話が鳴った。
「矢板です」
「本部だ。そろそろ交代だ」
「了解」
 私は部下に言った。
「食べ終わったら警備に出発だ」
「はい」「了解」
 私達八人は、武器弾薬や生活用品やを詰めた鞄や雑嚢を持ち、トラックに乗って出発した。私と酒井、谷口の他は荷台に乗る。
 本部に着いた。いつも通りの静けさも、今日は一層不気味だ。私は開いている門から車を入れた。近くにいた大原小隊の兵に声をかける。
「吉川小隊の矢板班だ。交代に来たよ」
 車を駐車場に入れてから、揃って二階の作戦部室へ行く。中隊長以下、中隊本部班と吉川小隊本部班、大原小隊本部班、合計十五人がいる。無論山岡もだ。皆戦闘服に身を固め、物々しい雰囲気が部屋中に漂っている。
「吉川小隊矢板班八名、交代に来ました」
「よし、あと二十分で交代だ。着替えて準備しておけ」
 中隊長の声は重々しい。
 私達は作戦部室を辞して、西棟の更衣室で戦闘服に着替えた。ポケットに手榴弾や医薬品を入れ、右腰に拳銃、左腰に銃剣を提げる。右肩から左腋へ弾倉ケースを掛け、弾倉四個を納める。長靴を履き、鉄兜を被って顎紐を締め、左肩に銃を提げると、たちまち陸軍歩兵である。私はハンディトーキーを持つ。
 九時、警備交代。私の班は南側の門の周辺を守る。他の班は、東・西・北の三方の門を守る。
 昼頃、小隊本部班の者が、昼飯を配りに来た。完全武装の歩兵が、握り飯を盛った篭を抱えて歩き回る姿は、何か滑稽なものがある。山岡も完全武装で、薬缶の茶を注いで回っている。従軍看護婦と言うより婦人兵だ。
 門の外は通る人も疎らだ。何事もなく夕方になり、夕飯の配給が来た。今度も握り飯だ。
 午後八時、車の音がした。私は立ち上がり、塀の上から頭を出して周囲を窺った。前の道を、黒塗りで側面に「新日本革命軍」と白で大書したワゴン車が数台走ってきて、門の前に集まり始めた。私の目の前にワゴンが停まった。窓が開いている。中に数人の敵兵がいる。私は丁度街灯の死角に入っているので、まだ敵には気づかれていないらしい。私はポケットから手榴弾を取り出した。握りしめて安全ピンを抜き、頭を下げて手を伸ばし、車の窓からそっと放り込み、急いで頭を引っ込める。
 轟音が塀を揺るがした。断末魔の呻きや、他の車の敵兵の騒ぐ声が聞こえる。足音もする。私は塀の出っ張りに足を掛け、塀の上から上体を出し、銃を横に構えて片っ端から撃ちまくった。
 爆破されたワゴンの周りにいた二人の敵が、呻き声を上げて倒れた。爆破されたワゴンは燃え上がり、辺りを煌々と照らしている。その光に照らし出された三人の敵を狙い撃ちにする。三人とも倒れた。
 私の左側にいた石田と橋口が加勢する。左のワゴンの後ろにいた敵がよろめいて倒れる。本部の亘り廊下の窓からも火蓋が切られる。爆破されたワゴンの向こうに、もう一台ワゴンが停まった。私はすかさず銃を引っ込め、手榴弾を投げつけた。ワゴンの窓には届かなかったらしい。爆音が止んでから見ると、ワゴンは左半分が大破している。
 右側からも銃声が響いて、敵兵の叫び声や呻きが起こる。私も右側を掃射する。敵が三人倒れている。
 いまや南の門の前は戦場そのものである。ワゴン一台が炎上し、二台が大破し、十人を越す敵兵が死んでいる。本部の亘り廊下の窓、門の左右の塀の上から銃火が間断なく起こり、硝煙の臭いが辺りに立ちこめる。
 門の前の敵は、四台のワゴンと十余人の死者を残して退却した。銃声が止む。
「班長、やりましたね!」
 石田が声を上げる。
「あれくらいで退散する敵か。またすぐ来るぞ、油断するな」
 すぐ後ろで、木の葉を踏む音がした。私は素早く振り返った。敵兵だ! 私は敵が拳銃を抜くより早く一連射浴びせた。敵は胸から血を噴き、私の足元に崩折れた。私は敵の拳銃と弾薬を奪い、ポケットにねじ込んだ。
「右手にいるぞ。来い」
 私は塀に沿って進む。前方に人影がある。私は銃を構えた。木蔭から出てきたのは味方だ。
「三木か!?」
「そうだ、矢板か?」
「そうだ」
 その時、塀の上から影が差した。私が銃を向けるより一瞬早く、三木の銃が火を噴いた。敵兵は塀の向こうへ転げ落ちた。
「南側、まだいるんじゃないのか?」
 三木は言う。
「そうだな、誘い込んで叩き潰そう」
 私は南の門へ戻った。寺田、西川、橋口を集めて言った。
「外にいる敵を誘い込むぞ」
「どうやって?」
「まあ見てろ、俺が命ずるまで音を立てるな」
 私は植え込みの蔭から門を窺いながら、わざと大声を上げた。
「敵は北側へ回ったらしいぞう」
 私の声に釣られて、若い敵兵が門から入ってきた。私は手振りで示した。
(まだ射つな)
 敵兵が声を上げる。
「小隊長殿、敵はいません」
 外から、小隊長と思われる敵兵の声がした。
「よし、行くぞ」
(戦闘態勢に就け!)
 私は合図した。部下達は銃を構える。
 トラックが入ってきた。私は運転台を狙って引鉄を引いた。弾丸切れだ。しかし隣から銃声が起こる。タイヤに命中した。私は荷台を狙って手榴弾を投げた。爆発に続いて、荷台から火柱が立つ。火炎放射機でも積んでいたのか。盛大な黒煙が噴き上がる。運転台から敵兵が逃げ出してきた。たちまち銃火の餌食になる。銃火は運転台に集中し、もう一人の敵兵も窓から半身を乗り出したまま絶命した。
 もう一台のトラックが進入してきた。門の左側から手榴弾が飛び、運転台を吹き飛ばす。トラックは尚も走り続け、炎上する前のトラックに追突した。エンジンから火を発し、荷台から火柱が立つ。敵兵がたじろぐ間に、私はトラックの前を突っ切って、門の左側の植え込みに転がり込んだ。左側は谷口、酒井、中村の三人しかいず手薄なのだ。
 トラックの後から、敵が続々と入ってきた。門の左右に陣取った私達は、銃を連射し、手榴弾を次々に投げつける。敵兵はただ闇雲に突っ込んでくるだけ、そのくせ及び腰で、銃を射つこともしない。私達は敵兵を次々に薙ぎ倒した。
 敵が入って来なくなったところで、気がつくと中村がいない。私は酒井に訊いた。
「中村はどこだ?」
「先刻あっちの方へ、用足しに行きました」
 酒井は東の方を指した。突然、その方向から中村の叫び声が聞こえた。
「中村がやられたぞ! 酒井、来い!」
 私は東へ走った。見ると敵が、塀を乗り越えて進入してくる。私は銃を連射した。弾倉が空になる。追いついた酒井も、銃を連射する。不意に酒井は、右の肘を押えた。負傷か。
 中村は、数メートル先に倒れている。この状況では近寄れない。敵を防ぐのが手一杯だ。東の門の方から、石塚班の岸本が来た。谷口も駆けつけて来た。
「援護しろ! 中村を助けるんだ」
 三人の援護射撃を得て、私は中村の傍らへ走った。中村は臥伏している。息はある。私は中村の肩を掴んで揺さぶった。
「中村、おい、しっかりしろ、大丈夫か!?」
 中村は目を開いた。脇腹を押さえている。出血がひどいようだ。私は中村を引っ抱えて、酒井達のいる木蔭へ戻った。
「中村、もう大丈夫だ、俺が付いてる」
 私は中村を励ましながら、脇腹の傷の応急手当をする。右足にも負傷しているようだ。
「どうだ、歩けるか?」
 中村は首を振る。酒井が言った。
「俺が一緒に行こう。左手に掴まれよ」
 谷口が酒井に言う。
「俺も行く。弾丸が切れそうなんだ」
「いや、戦える者が戦線離脱しちゃ駄目だ。弾丸なら俺のをやるよ。中村も持ってるだろ?」
「う、うん。班長、これ使って下さい」
 中村は弾倉を一個、胸のケースから抜いて私に差し出した。酒井は中村を支えて、東の門へ向かう。私と谷口、岸本は、攻めてくる敵を狙い撃つ。敵は塀の向こうにもいるようだ。
「銃じゃ埒があかん、手榴弾だ」
 私は最後の一個となった手榴弾を取り出し、塀の外へ放り投げた。何と、不発!
「クソッタレ!」
 私の罵声と同時に谷口が叫んだ。
「弾丸が切れた!」
 私の銃も、この弾倉が最後だ。私は已むなく、拳銃を抜いて谷口に渡した。程なく、私の銃の弾倉は空になった。谷口の拳銃も沈黙した。私は岸本の方を向いて訊いた。
「そっちは弾丸はあるか?」
 岸本も悲痛な声で、
「あと一個です!」
 私は叫んだ。
「しょうがない、一時退却だ!」
 私と谷口、岸本は、東の戸口へ向かって植え込みの中を進んだ。岸本の銃が頼りだ。
 東門に近づくと、石塚がいた。
「石塚、東南の角から敵が入ってくる! 暫く喰い止めててくれ!」
 私は言い残すと、石塚が何も言わないうちに扉を開けて飛び込んだ。谷口が続く。私は谷口に言った。
「弾丸を取って来る。ここで待ってろ」
 ところが、角を曲がった途端、敵兵と鉢合わせした。どこから入ったのかと考えるより先に、私は敵の鳩尾に正拳突きを入れた。敵がひるむ隙に、銃剣を抜くと喉笛を掻き切った。敵は喉から妙な音を発し、崩折れた。私は銃剣を拭い、敵の拳銃を奪うと、二階へ通ずる階段を登った。倉庫には、作戦部室からしか入れない。敵が侵入しないように、他の入口は封鎖してあるのだ。私は作戦部室の扉を開けると叫んだ。
「敵が建物に入って来ました!」
 中隊長達は総立ちになった。
「本当か!?」
「本当です。階段の下で一人殺しました」
 その時、一人の兵が足を引きずりながら入って来た。
「西門を破られました」
 秋山参謀は中隊長を見やって言う。
「どうしますか? 他の小隊を召集しますか?」
「そうだ。上村小隊を召集しろ。大至急だ」
 秋山参謀は電話機に飛びついた。その時私は後ろに人気を感じて振り返った。敵だ! 私は銃剣を投げつけた。後ろから銃声が響き、敵は仰向けに倒れながら拳銃を発射した。弾丸は天井に当たった。
 参謀は受話器を取り、何度もダイヤルを回していたが、受話器を放り出すと悔しそうに言った。
「全く通じません。電話線がやられてます」
「高木班には連絡が取れるぞ。あの班を通じて召集しよう」
 中隊長は言った。私は中隊長に言った。
「弾丸を下さい。弾丸が切れました」
「弾倉は倉庫にある。余り沢山はないぞ」
 私は倉庫の鉄扉を開けて入った。この倉庫の扉は厚さ三センチの鋼板でできていて、手榴弾の直撃に耐えられると聞いたことがあるが、それだけに非常に重い。私は弾倉十個と手榴弾五個をポケットにねじ込んだ。
 外へ出ようとすると銃弾が扉に当たる音がする。私は扉を少し開けて、隙間から様子を窺った。敵兵が数人いる。
「当分出られそうにないな。
 ん? これは?」
 倉庫の中を見回した私の目に止まった物がある。重機関銃だ。この殺傷力は絶大だ。
「やるか」
 私はそこにあったスパナを使って重機を組み立てた。弾丸も一箱ある。ベルト弾帯だ。それを本体に差し込み、扉を少し押し開けた。敵が見える。力一杯、押鉄を押す。
 振り回すのは大変だ。しかし、敵兵は次々に薙ぎ倒される。
「矢板! 重機があったか!?」
 小隊長の声だ。敵が途絶えたのを見て私は手を離した。小隊長が扉を開ける。部屋の壁は穴だらけだ。廊下の窓も悉く割れている。辺りの壁や床を血に染めて、十人を越す敵兵が死んでいる。
「重機は俺達に任せろ。今のうちに行け」
 小隊長に言われて、私は素早く廊下に出た。重機に怯んだのか、敵は攻めてこない。私は壁伝いに廊下を走り、階段を降りた。
「んぐぐぐ」
 階段の下から呻き声が聞こえた。私は階段を駆け降りた。谷口が敵兵に絞め上げられている。ここで撃ったら、谷口も死んでしまう。私は敵兵の頚っ玉に、猛烈な飛び蹴りを放った。敵は天井を仰ぎ、腰砕けになった。谷口は頚から敵の手を剥がすと、肩で息をしながら敵を突き放した。頚を折られた敵は、ぴくりともしない。
「大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。助かりました」
「俺の空手は殺人技だからな。本当に殺したのは初めてだが。
 弾丸、取ってきたぞ。西の門が破られてるらしい。いこう」
 私は弾倉三個と手榴弾二個を谷口に渡し、西棟の南側を通って西門へ向かった。途中にいた橋口と寺田にも、弾倉を二個ずつ与えて西門へ向かわせた。
 敵は西門に殺到し、三木班はかなり苦戦している様子だ。銃火は止む時を知らず、手榴弾も次々に飛ぶ。
 ヘリの音が聞こえてきた。見上げると、一機のヘリが西の方から、低空飛行で飛んで来る。敵の徽章が描いてある。胴体の下には何かが提がっている。敵のヘリが、本部を空爆に来たのに違いない。撃墜あるのみ。しかし、地上から銃で撃っても、そう当たるものではない。
 西棟二階の窓が開いた。と見るうちに、曳光弾が空を横切り、重機の力強い銃声が響いてきた。私は思わず叫んだ。
「いいぞ、やっちまえ!」
 曳光弾がヘリに吸い込まれる。ヘリは後部から火を噴いた。回転翼が停まり、滑空しながら高度を下げてくる。どこに墜ちるか。本部に墜ちたら只では済まない。だがヘリは、北の門の向こうに墜落した。轟音と共に、火柱が立つ。
 もう一機、北の方からヘリが飛んできた。すかさず重機が火箭を放つ。突然、ヘリは巨大な火の玉となった。胴体下に提げていた爆弾を射抜かれたのに違いない。鉄片が辺りに降る。味方の兵達が、一斉に歓声を上げた。ヘリまで投入したのに、何の戦果も上げられなかったのだから、長期的にみた敵の損害は大きい。
 だが、戦況は楽観を許さない。我が方は弾薬が底を尽きかけているらしい。銃声が次第に疎らになってくる。私が先刻倉庫に入った時点で、弾倉は二箱、約五十個しかなかったのだ。今頃はもう、僅かしか残っていないだろう。弾丸が尽きたら、白兵戦あるのみだ。白兵戦に持ち込むには、銃が使えない狭い場所へ敵を誘い込む必要がある。銃が使えない狭い場所、しかも地の利を得られる場所となると、本部建物の中だ。
 三木の声が聞こえる。
「俺の班以外は、一時退却しろ! 建物の中だ! 援護射撃は俺達がする!」
 三木も、私と同じ事を考えていたらしい。私は左右にいた谷口と寺田に言った。
「お前達、一時退却だ! 俺は後から行く」
 屋内戦となったら手榴弾は使いにくい。谷口は私に、手榴弾一個を差し出すと、建物へ駆け込んだ。三々五々、味方の兵は退却していく。残ったのは三木班七人と私だけだ。
「矢板、ここは俺達に任せろ!」
 私に気づいた三木が怒鳴る。私は、最後の手榴弾を門の外へ投げると、開いている扉から建物へ駆け込んだ。
「矢板、どこにいたんだ。お前の班は、ここを守れ。今のうちに配置に就け」
 作戦部室に戻った私に、小隊長が言った。
「了解。重機はどこに据えますか」
 私の質問に小隊長は首を振った。
「いや、重機の弾丸はもう無い」
 何という事だ。私は気を取り直して、部下を確認した。中村の他は全員いる。酒井も、応急手当を受けただけで戦列復帰している。私は部下に命じて、机や椅子を廊下に運び出させ、バリケードを作った。鉄製の机板は弾丸よけにもなるだろう。
「我々にはもう弾丸が無い。銃に着剣しろ」
 私達は銃に着剣し、バリケードの陰に身を潜めた。
 突然、南に面した廊下の窓から、発煙筒のような物が投げ込まれた。煙は余り濃くないのに、目が激しく痛んで開けていられない。さては催涙ガスか!? 私は窓際へ這い寄り、煙を吹き出している小さな筒を拾って、窓の外へ投げ捨てた。
 ガスマスクを被った敵兵が躍り込んできた。私は銃剣で、その兵の下腹を薙ぎ払った。崩折れるところへ襲いかかり、軍用ナイフを頚筋に突き立てた。敵兵は首を垂れた。私は素早くガスマスクをむしり取り、自分で被った。これで、これ以上毒ガスにやられる事はない。私の目の前に、もう一人の敵が飛び降りてきた。私はその足を掴むと、ナイフを敵兵の尻に突き立て、膝の裏側まで引き切った。敵兵の悲鳴が聞こえる。私は銃剣を持ち直し、敵兵の腹を掻き切った。敵兵は前のめりに倒れたが、まだ致命傷ではない。私は敵兵に馬乗りになり、後頭部の急所に銃剣を突き立てた。今度こそ致命傷だ。敵兵は動かなくなった。
 立ち上がった私は、不意に羽交い締めにされた。もう一人の敵が私の右腕を捻り上げ、銃剣を奪った。だがここからが私の殺人空手の真骨頂だ。私の銃剣を奪った敵は小柄だ。私はその敵の頬に回し蹴りを放った。敵は吹っ飛んだ。私は左腕を振りほどき、背中の敵の右肩に手刀を叩きつけた。敵兵の右腕は力を失う。私は素早く敵から離れ、回し蹴りを喰って気絶している敵から銃剣を奪い返すと、その敵の喉を掻き切った。それから振り返ると、敵は既に味方に刺されている。
 左の二の腕に鋭い痛みが走った。私は振り返りざま、銃剣を振りかざした敵兵の脇腹に蹴りを入れた。よろめく敵兵に私は突進し、敵兵の左胸に銃剣を突き立て、半回転捻って引き抜いた。敵兵は胸から血を噴きながら倒れ伏した。敵兵は倒したが私の方も負傷だ。私は三階へ通ずる階段を登った。
 三階にも敵はいた。ここは毒ガスは薄い。ガスマスクを着けていない敵と鉢合わせした。私はとっさに、敵兵の目に指を突っ込んだ。敵兵が怯んだところで、銃剣を右手に持ち直し、敵兵の左胸を狙った。手が滑った。右手は左腕の傷を押さえていたから血塗れだったのだ。こうなったら仕方がない。私は敵兵の鳩尾や急所を狙って、正拳や膝蹴りを連発した。とりあえず気絶させておこう。
 敵兵は腰砕けになった。私はガスマスクを外し、山岡を呼んだ。
「山岡、どこだ? 負傷兵だ!」
「きゃああああっ!!」
 絹を裂くような悲鳴が聞こえた。奥の便所の方からだ。私は銃剣を握り直し、声のした方へ走った。便所の扉は半開きになっている。踏み込むと、山岡は二人の敵に組み敷かれている。
 私はこの時、なぜ激怒したのだろうか。この戦闘が始まってからずっと保ち続けてきた冷静さは消し飛び、私は雄叫びを上げながら二人の敵兵に襲いかかった。殆ど無我夢中で暴れまくり、気がつくと敵兵は二人とも、喉を掻き切られ、天井まで血汐を噴き上げて絶命していたのだった。
 山岡は起き上がったが、引き破られた上衣を掻き合わせようともせず、血の海の中に坐り込んだままだ。血の気の全然ない青い顔で震えているのを、腑甲斐ないと言うのは酷だろうか。卒倒しなかっただけ良しとしようか。
 そこへ、足音が近寄ってきた。私は反射的に身構えたが、山岡はと見れば、肩に担った銃を構えようともしない。
「山岡、銃をよこせ!」
 私は苛立って叫びながら、山岡の銃を引ったくった。丁度その時、敵兵が入ってきた。私は一連射浴びせた。敵は倒れた。
「山岡、応急手当してくれ」
 私は左腕を突き出して言った。かなり出血している。よく今まで戦ってきたものだ。ところが山岡は、全く反応を示さない。私は憤然と立ち上がり、足早に便所を出た。部屋の隅にある机の上に、救急箱が載っている。私は救急箱を開け、左腕の傷を消毒し、包帯を巻いた。それから便所へ戻り、山岡に言った。
「弾倉よこせ、ケースごとだ」
 山岡はポケットから弾倉を一個取り出し、私に差し出した。私は自分の銃を取り、弾倉を装着した。そこへ敵が飛び込んできた。私は山岡の銃で一連射浴びせた。敵兵はきりきり舞いをして倒れる。弾丸が切れた。私はその銃を山岡に投げ渡し、自分の銃を構えて出口へ向かった。弾丸は大切に使わなければならない。階段に出ようとした時、階下から銃火が起こった。鉄兜に弾丸が当たる。人数は多そうだ。私は銃剣を握り直し、戸口の陰に身を潜めた。
 敵兵が階段を登ってくる音がする。私は銃剣を構えた。一対一の格闘なら負けはしない。
 敵兵が顔を出した。私は敵兵の喉笛に回し蹴りを喰わした。敵兵は階段を転げ落ちていく。私は階段に飛び出しながら銃を連射した。三人の敵兵が一緒くたになっている。私は階段を駆け降りると、一人ずつ止めを刺した。
 作戦部室の前の廊下の毒ガスは、もうかなり薄れている。開いている窓から流れ出たのだろう。もうこの付近には、生きている敵は一人もいず、死屍累々の有様だ。銃声も聞こえず、異様な静けさだ。
「矢板も負傷か」
 小隊長が私に声を掛けた。振り返ると、小隊長も右腕に包帯を巻いている。
「軽傷です。小隊長もですか」
「擦っただけだ。敵がこれだけ死んだんだ、我々も損害皆無とは行くまい。それにしても毒ガスと言うのは予想外だったな」
 部下達は、作戦部室の隅にある手洗い場で目を洗ったり、上衣で廊下の空気をあおいだりしている。
「あの人達は?」
 私は部屋の隅に集まっている七人に気づいた。先刻はいなかった筈だ。
「私は上村小隊の高木だ。召集を受けて駆けつけた」
 私は怪訝に思った。
「駆けつけたって、どこから入ったんだ? 敵に包囲されてるのに」
 高木は平然と言った。
「地下からだ。私の家からここまでトンネルが掘ってあるんだ。非常時には臨時本部として使えるように」
 同僚や部下達が、三々五々戻ってくる。河村が小隊長に報告する。
「本棟一階の敵は全滅です。建物の外にも、敵はいません。報告終わり」
 三木が報告する。
「西棟の敵は全滅しました。以上」
 人員の損害状況の報告も終わった。中隊長は、作戦部室に集まった一同を見回して言った。
「さあ、これからが本番だ。全面戦争に突入だ。我々の目標は只一つである。そのために、一丸となって戦うのだ!」
 皆、口には出さないが意気盛んである。
(2001.1.26)

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