釧路戦記 |
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第四十章
北大通を歩いていた私の足首を、突然掴んだ者がある。私は飛び上がりそうになった。早鐘を打ち始めた心臓の動悸を抑えながら、私は銃を向け誰何した。「だ、誰だ!?」 「……」 返事が無い。私は懐中電灯を取り出し、足元を照らした。手は、角材の下から出てきている。落ち着いて辺りを見回せば、ここは民兵軍末広町司令部墟である。私は安堵の溜息を漏らしながら言った。 「石田だな?」 「……そうです……」 かすかだが間違いなく石田の声だ。私は言った。 「すぐ助けてやるぞ。俺は矢板だ」 私は、家の柱や天井梁などを一つずつ取り除いていった。 やがて、石田が這い出してきた。多少衰弱している様子だ。私は訊いた。 「負傷していないか」 「大丈夫です」 「家が潰れたのに無傷なんて信じられんな」 「あの時丁度、階段の下にいたんです。そこが、地下室へ入る上げ蓋になっていたんですが、それを踏み抜いたその時に家が潰れたんで、間一髪で助かりました」 「地下室があるなんて知らなかったな」 「地下室に落ちて、すぐに脱出しようと試みました。しかし、壁が上げ蓋の上に倒れていたんで脱出できませんでした。 地下室を探してみると、まず蝋燭がありました。それを灯すかどうするか散々迷ったんですが――潰れる直前には相当ガスが漏れてましたから――臭いがしないことを頼りに灯してみましたが何ともありませんでした」 「一度爆発するとそれでガスは無くなってしまうからな」 「蝋燭で探してみると、斧と鋸がありました。で、それを使って壁を壊して脱出しようとしたんですが何しろ時間がかかって……どうにか外が見える所まで出られたのが今日の夕方でした」 「二昼夜半、何も食べてないのか」 「全く何も。……脱出したはいいけどどうやって食糧を手に入れたらいいんだろう……」 石田は考え込む。私は言った。 「心配する事は無い。明日朝になったら、敵の炊事場を見つけて、敵兵に化けて行けばいい。飯盒はそこらの敵兵から奪えばいい」 「敵の軍服をですか? 穴が開いて血だらけなのを着てったら怪しまれますよ」 「それは心配無い。血のしみ一つ無いのを三着持ってる。お前は背が高いからな……これがいいだろう」 私は軍曹の軍服を背嚢から取り出した。 「銃とか鉄兜とかはそこらで調達しろ。これを着ればお前は革命軍軍曹だ。 炊事場へ行く時のこつを教えておこう。敵は内部の上下が厳格だからな。下に対しては横柄でいいが上に対しては絶対に敬礼を忘れないようにな。敬礼を忘れると怪しまれるぞ」 「わかりました」 「さて、と。それじゃ、俺は出かける。敵の寝首を二、三十ばかり掻いて来る」 私は立ち上がった。小銃の弾倉をケースに詰めて肩から提げる。 ・ ・ ・
石田と別れた午後十一時頃から夜半までの一時間に、私は十一人の敵兵を殺した。その間、一発の銃弾も使わずにである。自家用車やトラックの運転台には、敵兵が寝ている事が多い。風が防げるからであろう。これは、掃敵には案外厄介なものである。戸がロックされていなければ――そんな間抜な敵兵は稀だが――、静かに戸を開けて銃剣で刺せばよい。では戸がロックされていたらどうするか。窓が大きく割れていれば、手を差し入れてロックを外し、開ければよい。或いは、銃剣を持った手を差し入れて、そのまま刺せばよい。窓が割れていなかったらどうするか。みすみす見逃す事だけはしたくない。そこで、窓を割る事になる。どうやって。銃弾を射ち込めば、敵兵が目を覚ますより前に殺せる。しかし、静かな町では例え消音器を付けていても銃声は遠くまで聞こえる。それでは困る。 そこで、十年ばかり前、私の家に忍び込んだ所を現行犯で捕まえた泥棒の手口を使う。蝋燭を灯し、窓ガラスの、ロックに近い所を熱する。熱したところを、濡れ手拭で冷やす。するとガラスにひびが入る。このガラスをつ突いて穴を開け、ロックを外す。あとは同じだ。 それにしても冬の北海道の夜は寒い。吐く息が凍るようだ。そこここにある水溜りは皆凍っている。 午前一時頃だったろうか。十字路に差しかかった時、一発の銃声と同時に左側頭部に衝撃を感じた。私は身を翻して家の陰に隠れた。数発の銃声が連続して起こった。左側の道からである。よしきた。左手へ行って、敵の背面から攻撃してやろう。路地へ入ると、左手へそっと進んだ。 この辺、と見当をつけて路地から顔を出した私の目の前にいたのは敵兵だった!! 「敵だ!」 失策った!! 殺される!! 絶体絶命!! とこの時、私の頭には瞬間にして芝居の筋書が出来上がった。私は叫んだ。 「待ってくれ! 俺は革命軍の者だ!」 私は慌てて背嚢を下ろし、中を一寸かき回して、一等兵の軍服を取り出した。 「ほら、これが本当の軍服だ。敵を混乱させる為に変装していたんだ」 言い繕っている所へ、敵の軍曹が来た。 「何事だ」 辺りにいた敵兵は一斉に敬礼した。むろん私も、陸軍仕込みの敬礼を決めた。一等兵が言う。 「敵兵に変装した友軍兵士がいました」 軍曹は私を見据えると言った。 「お前だな。姓名、階級、所属部隊を言え」 「はっ! 大河原三郎一等兵、第七連隊第二十一大隊第二中隊所属であります」 途端に軍曹の声が高くなった。 「認識番号!」 「一六五三○であります」 持っている軍服全部の、持主の姓名、階級、所属部隊、認識番号を憶えていて本当に命拾いした。これなら一点の嫌疑の生ずる余裕は無い。 と思って安心したところへ軍曹の言葉、 「一等兵が敵の三線の軍服を持ってるなぞ分不相応だ。その軍服を俺によこせ」 冗談じゃない! 私は逃げる手段を考えた。 「上官命令だぞ。従わないとは言わせん」 どうやって逃げ出す、ここを。…… 丁度その時、少し向うから走り寄ってきた兵がいた。その兵は軍曹の傍で立ち止まると敬礼し、言った。 「軍曹殿、少尉殿がお呼びです」 「わかった、すぐ行く」 軍曹は踵を返した。周りの兵もその方向に気を取られている。今だ! 私は小銃を乱射した。軍曹、伝令の兵、辺りにいた数人の兵は皆薙ぎ倒された。私は全速力で路地に逃げ込んだ。 ここからどうやって逃げ出すか。討伐隊兵士が逃げ込んだことが明白な路地からのこのこ這い出すのは無謀だ。敵兵に化けるか? しかし敵はたった今、「討伐隊に化けた」と偽った本物の討伐隊兵士に一杯喰わされたのだ。敵に化けて出てきても、「討伐隊が化けた」と勘ぐられるかも知れぬ。 化けるとしたら何に化ける。将校に化ければ、下士官兵は疑わないだろう。私は准尉に化けることにした。 五分後、革命軍准尉が一人、路地から出て行った。私は死んでいる敵兵から銃と弾薬を奪い、先刻伝令の兵が来た方向へ行った。准尉なら、少尉に近づき易いだろうから、何か有用な情報を掴めるかも知れないし、少尉の首級を上げることも可能だ。そうすれば、ここらの二十何人かに混乱を惹き起こせる。 角を曲がった時、出会い頭に二人の兵と会った。二人は私に敬礼した。私は答礼した。 「准尉殿、宮本軍曹殿を見かけませんでしたか?」 「宮本? 知らないな。ここの隊ではないから」 「もうちょっと駅の方へ行ったあたりにいた筈なんですが……先刻、小隊長殿がお呼びになったんですが」 まさか、私が殺したとは言えない。 「知らないな……。それはそうと、小隊長はどこにいる?」 「あそこの家です」 と言ってその兵は、何軒か先の家を指した。 「わかった。行ってよろしい」 私は瞬間的に考えた。この二人は倒すべきか。いや、今は、少尉に接近する方が先だ。それに、目撃されたらまずい。 私は二人が去ったのを見届けてから歩き出した。 目指す家のすぐ近くへは来たが、さて切り出す言葉が見つからない。そうしているうちに、先刻の兵二人が戻ってきた。兵は私には目もくれず家の戸を叩いた。 「鈴木伍長、戻りました」 「橋本二等兵、戻りました」 中から、少尉が顔を出した。少尉は言った。 「宮本軍曹はいたか」 伍長が答える。 「いませんでした。先刻この近くにいた准尉にも訊いてみたんですが御存知ないと」 少尉は私に気付いたらしい。 「おい、そこにいるのは誰だ?」 私は答えた。 「第七大隊の渡辺准尉です」 少尉は言う。 「准尉か。……寒いだろう。中へ入れよ」 又とない僥幸である。私は戸口から中へ入った。暖房が効いていて暖かい。 私と少尉は、机を挟んで差し向かいに坐った。机の上には酒瓶と、干鱈の載った皿がある。外では兵士達が震えているのに暖房の効いた部屋で晩酌とはどういう積りだろう。昔の軍でも、高級将校はこうだった。私達下士官兵が雨中立哨している時に酒盛りしているのだから頭に来る。 「俺は横山少尉だ。第六大隊第二中隊の小隊長だ。お前は――第七大隊の渡辺准尉だったな。一杯飲まないか」 そら来た。民間人から奪った酒など、絶対に飲めない。討伐隊の信義に悖る。 「戦闘中に酒は飲まない主義なんで」 「いやに生硬だな」 少尉は一人で酒を飲み始めた。やがて少尉は言った。 「ところで、お前の小隊はどうなったんだ」 「昨日の昼間ですね……作戦の打ち合わせをしている時に手榴弾投げ込まれて殆ど全滅です。軽傷で済んだのが不思議なほどです」 「じゃ今は独りなのか」 「独りです」 「独りなんだったら、うちの小隊の副官になって貰えないかな」 青天の霹靂とはこの事か。私は慎重に考えをめぐらせた。もし容れるとすると、一時にせよ討伐隊を敵に回して戦うことになる。それは道義的にはできない。しかし、「敵を欺くにはまず味方から」とも言う。敵の一員になる事によって、重要な情報が得られる可能性は飛躍的に高まるし、この小隊を破滅に向けて誘導することも可能になるだろう。 ……ここで余り考え込むのは不自然だ。私は決断を下した。 「いいでしょう」 随分妙な事態になったものだ。 「そうか。 明日……いや今日か、今日の任務を伝えておこう。雄別鉄道は知っているね」 「知っています」 「早朝、古潭から、機関車と貨車一両だけの貨物列車が来る事になっている。古潭発が○六○○、○六四○に、運河に架かる橋の南のたもとに来る。我々の任務は、その貨物を受け取る事だ」 となれば、如何にして一個小隊を全滅させるかよりも、如何にして貨物を分盗るかの方が当面の問題だ。 「わかりました」 「さて、と。もう寝るか。布団を持って来させよう」 「私の分はいいですよ」 「変な奴だな。兵なんか私用に使って構わないんだぞ」 「本当にいいんですって」 少尉は何も言わなかった。 三十分後、少尉が眠り込んだのを見届けた私は、そっと部屋を出た。便所に入ると、錠を下ろし、窓を細く開け、ハンディトーキーを取り出した。小さな声で、 「CK、CK、こちらTYH、応答願います」 〈こちらCK〉 本部長ではない。私は言った。 「本部長に取り次いでくれ」 〈了解〉 少時して、聞き慣れた声がした。 〈私だ。夜中に何だね〉 「情報を得ました。 明朝、雄別鉄道の古潭から、敵の物資を運ぶ列車が釧路へ向かいます。古潭発が○六○○、運河に架かる橋には○六四○に到着予定です。○五○○頃迄に、古潭に部隊を向けて下さい。以上です」 〈了解。御苦労〉 私は便所から出ると、少尉のいる部屋へ戻った。今はまだ、少尉を殺すまい。 ・ ・ ・
目を覚ました。少尉はまだ寝ている。時刻は午前五時五○分。やがて、少尉は目を覚ました。「お早う。……六時十分か。飯は後にしよう。あと二十分で出発だ」 少尉は言った。今頃はもう、我が軍は貨物奪取にかかっている筈だ。 六時三十分、小隊は出発した。敵兵は私を怪訝そうな目で見る。少尉が事情を話しても余り効かない。小隊の二十数人の中では唯一、私だけが自動小銃を持っている。 橋の南側のたもとに来て少時待つと、遠くに機関車が見えてきた。後ろには一両の石炭車が連結されている。あれに貨物は積まれていたのか。 少尉が線路上に立ち、腕を大きく振った。列車は減速しながら走って来ると、橋を少し通過した所で止まった。二十数人の敵兵が貨車に近づく。私は草薮の陰に隠れると、大急ぎで革命軍の軍服を脱ぎ、討伐隊員に戻って、小銃を構えた。 運転台から友軍兵士が顔を出すと、二十数人の敵兵に向かって銃を乱射した。それを合図に、貨車に被せられた布をはねのけて数人の友軍兵士が姿を現し、銃を連射した。敵兵は、次々に射倒され、築堤から転がり落ちてゆく。こちらへ走って来る者がある。少尉だ。呻きながら走って来る。 「何故だ……何故だ……」 私は銃を構えた。少尉は叫んだ。 「あっ! き、貴様あ……」 それが横山少尉の最後の言葉だった。その言葉と同時に、私は銃の引鉄を引いた。少尉は倒れた。私は呟いた。 「戦争は結局、謀略の勝負なのさ」 (2001.2.10) |
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