釧路戦記 |
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第十六章
十一時頃目を覚ました私は、丁度本部班の四人が立ち働いていた倉庫へ行った。食糧が山積みにされている。私はふと、ある事に気付いた。「昨日運んできた分より随分多いぞ。これはどういう事なんだ?」 私の声を聞きつけて、早川が言った。 「今日の分は、ここに積んであるこれです。昨日運んできた分は、あと七日間手をつけずに置いときます」 また傍らを見ると、石油罐が沢山積んである。私は早川に訊いた。 「この中身は何だ? 石油にしちゃ多すぎるぞ? 炊事には石油は使ってないんだろう?」 「これは水です。二十リットル缶に……大体百五十個、三千リットルはある筈です」 「何の為にそんなに?」 「籠城戦の為です。三千リットルだから一人九十リットル、風呂に入らなければ一ヵ月籠城できる筈です」 「すると食糧もか?」 「ええ、常時八日分の食糧を蓄えてあるんです」 「用意周到だな」 しかも驚いた事には、炊事を室内で行うのである。室内は石炭の燃える臭でむせ返るほどになり、しかも煙が立ち込める。窓を開けてはいるが、もともとそんなに大きな窓ではないから換気が悪く息苦しい。 昼飯の時、私は酒井にこの事を言った。 「そりゃそうです。敵中に単騎乗り込む以上、いつでも籠城戦できる構えをしておく必要は絶対にあります。食糧の七日分というのはむしろ少な過ぎるくらいで、本部にも上申してるんですが、何しろ冷蔵設備なんかないから、腐るって言って相手にしてくれないんです」 「米だったら一月くらい何ともないだろう」 「そうなんですよ。豆に芋に人参や大根なんかは一月は充分保つ。問題は肉ですが乾肉や塩漬けなら充分保つ筈なんですがね」 「そうだろうなあ」 「もしかすると本当の理由は別なんじゃないかな」 「別っていうと?」 「トラック。二トン車だと、人を載せる関係もあって今以上は難しいんじゃないですか。もし食糧が今の二倍になったら食糧はともかく、石炭を積み切れません」 「幌付きってのも案外不便なんだな」 「そう。幌がなけりゃ五トンは積めるんです」 「倉庫の広さは充分だからな。 ところで、まわりを敵に完全に囲まれて、一歩外へ出たら蜂の巣になるような状況になったら、窓は閉めるんだろう? 換気はどうするんだ?」 「大丈夫。扉を見ました? 隙間だらけです。仮に窓を閉めたとしても酸欠は防げるものと思います」 「十日も二十日も?」 「大丈夫。それに、まだ見せてなかったですが立派な換気孔があります」 「どこに?」 「ちょっとこっちへ」 酒井は立ち上がると、懐中電灯を手に取り、部屋の隅へ歩いて行った。そこには垂れ幕がある。酒井はそれを持ち上げた。垂れ幕の奥に狭い区画がある。私は酒井に近寄った。彼は懐中電灯を灯けて中を照らした。鉄の箱が下がっていて、木の梯子が設けてある。 「何だこの竪穴は?」 「ついて来て下さい」 彼は梯子を登り始めた。私は彼に続いた。普通の建物にすると四階くらいまで登ると、竪穴は行き止まりになっていた。 「一体全体何なんだ!?」 私は思わず叫んだ。酒井は、片手で天井を押した。すると天井板は外れて、その上に空間が開けた。彼は懐中電灯を持ち直し、上へ登っていった。私は彼に続いた。 彼の懐中電灯の光で辺りを見回すと、そこは差し渡し三メートルくらいの、円い部屋であった。部屋の真ん中には、九○ミリ加農砲が据えつけてある。 「こ、これは……!?」 酒井は平然と言った。 「そうです。ここはトーチカです」 よく見回すと、屋根は半球形のドーム型になっており、円型のレールの上を回るようになっている。軍艦の砲塔のような物だ。 私は砲塔から外へ出た。遠くからでもよく分りそうな半球型の砲塔だ。私は砲塔の傍らに立ち、砲塔の周囲を見回した。すると私は、ある一つの事に気付いた。この砲塔は、河原のかなりの部分を死角としているのだ。崖の上にあるのだから無理もないが。しかもこれはこの砲が十度くらいの俯角を持っているとしてである。もし俯角ゼロなら、死角は極めて広くなる。それこそ河原は砲撃できない。加農砲は水平に近い弾道であるから尚更である。 「普段はここは閉めてますが下の窓が開いているから大丈夫。戦闘時にはこの砲身の出る穴が開いてるから大丈夫です」 「ちょっと待てよ。炭酸ガスは空気より重いんじゃなかったか?」 「え?」 「だから、いくらてっぺんが開いてても下の方に炭酸ガスがたまって何にもならない」 「あ……」 「高等小しか出てない俺が気付いた事に、高卒のお前が気付かなかったとはな」 「う――ん。困ったな……」 「三十五人が呼吸して出す炭酸ガスの量は大変だからな。すぐ酸欠をきたすぞ」 「……」 「それにもっと心配な事がある。今は夏だからいいが、もし戦争が長びいて冬になったらどうなる? このへんは冬は凄く寒いぞ。洞穴の中だって氷点下になるに違いない、扉が隙間だらけなら」 「そうだな……」 「それでもし暖めるとしたらだ、その分の石炭か練炭か、その分だって馬鹿にならん。倉庫の広さも足りるかどうか疑問だし、大体閉め切った洞穴で石炭暖房しようもんなら一発で酸欠だ」 「換気は最大の問題ですね」 「換気孔からは鉄砲玉も入るということを忘れないでくれよ」 「わかってますよ」 私と酒井は下へ降りた。まず私は小隊長室へ行った。小隊長は入ってきた私に言った。 「何か上申したい事があるのか? 飯がまずくなるような事は言うな。ただでさえ基地の飯よりまずいのに」 こういう私達をあからさまに軽蔑するようなことを平気で言う限り、私達の誰一人として、私達が吉川小隊長に対してそうであったように彼を慕いはしないだろう。 私は換気のことについて説明し、換気孔を作る工事を始めたい旨を述べた。 「俺の部屋にも作ってくれんかな。俺煙草喫うだろ? 部屋の空気が臭くてかなわん」 換気というのが私達の死命を制しうることに気付いていないのか。私は憤りを押し隠しながら言った。 「兵員室に換気孔を作る工事の許可を頂けますか」 小隊長は答えた。 「やりたきゃやってもいい。どうせ俺は兵員室には用はないんだから」 「工事のために、哨戒に出る人数を減らすことになると思います。その許可も頂きたい」 「そりゃ駄目だ。我々の任務遂行に支障を及ぼしてはいかん」 「わかりました」 抗議するのは無駄だ。私は引き下がった。 兵員室へ戻って、酒井に言った。 「工事の許可は出た。ただし、哨戒の人数は今通りでやれと」 「ちょっときついですね」 「材料は鉛管がいいな。しかしそんな物があるかな」 「探そう。……おい、吉村。倉庫へ行って、金属の管を探してみてくれないか」 「はい」 数分後、吉村が戻ってきた。 「ありません」 「そうか。……基地にあるかな」 私は小隊長室へ行って、無線機を借り出した。 「俺は宮本だってのに、いつまで経ってもTYHのままだ」 小隊長は苦々しげに言った。 私は窓を細目に開けて、無線機のアンテナを出してスイッチを入れた。 「TMH、TMH、こちらTYH」 〈こちらTMH、TYH、どうぞ〉 「TYHです。突然ですけど、そちらに鉛管ありますか? どうぞ」 〈鉛管? 何に使うんだ? どうぞ〉 「換気孔を作るんです。籠城戦の為に。どうぞ〉 〈よろしい。鉛管ならいくらでもある。どうぞ〉 「わかりました。今から行きます。以上」 私はスイッチを切り、アンテナを縮めてから言った。 「ここにはドリルはあるんだろう?」 「何の事ですか?」 「鉄管の先をこんな形に切って(と掌に のように示しながら)真ん中に錐をつけた奴だ。前に倉庫で見かけたんだが」 「そりゃありませんね」 「じゃそれも持って来ないと」 「そうだな」 「じゃ行くか。吉村、一緒に来い」 「はい」 私は小隊長からエンジンキーを借り、トラックを駆って兵站基地の総務部へ行った。 「というような訳で、鉛管とドリルを下さい」 「よろしい。どの位要る?」 「三メートルで足ります」 鉛管による排気孔を天井付近と床付近に三ヵ所ずつ計六ヵ所、五十センチずつ使って作る計画であった。 「わかった。ここに一メートルが三本ある。持って行き給え」 私は礼を言って鉛管とドリルを受け取ると、今度は烹炊部へ行った。「食糧備蓄十五日分」を実現するためである。烹炊部長はなかなか首を縦に振らない。 「十五日分を貯蔵する場所があるのかね」 「あります。洞窟を掘って広げれば何とでもなります」 「腐ると言っているだろう」 「腐らないと言い切れます。食糧ってのは要するに米と芋と豆と乾燥肉と干し魚と、根っこの野菜なんでしょう。そういうのは、十五日なら充分保ちます」 「十五日ではないぞ」 「何故ですか?」 「十五日経ったら手をつけるということは、十六日目に最初のを食べるから、最後のは三十日目に食べることになる。一ヵ月保つ保証はあるか?」 「なら何日までなら保証できます?」 「二十五日くらいだな」 「そうですか。それなら今は二十二日間食糧を置いてるんですから、その三日分を頂きましょう」 「あくまで食い下がるんだな。そんなにしてまで備蓄を増やすのは何故だ?」 「籠城戦の為です! 何偏も言ってるでしょう。私達の小隊は、敵の真っ只中にあるんですから、ここみたいに安全な供給路は無いんです。だから、供給路が遮断された時、できるだけ籠城するためには、少しでも多くの備蓄が必要なんです」 「仕方が無いな。三日分だけだぞ」 遂に部長も折れた。私は米四二キロを初めとする食糧・石炭を積み込み、小隊に向かって出発した。 帰って来ると河村班と古川班も戻っていた。谷口班と酒井班は、哨戒に出ている。私は先刻の酒井との話を説明してから言った。 「という訳だ。哨戒が今のままではきついかも知れんが仕方ない」 河村が答えた。 「分かった」 「それじゃ作業にかかろう。皆聞け。 皆、この兵舎にしばらく暮らしてるからわかると思うが、この兵舎は換気が悪い。籠城戦になって窓を塞いだら、数時間で窒息するかも知れん。 だから、これから換気孔を作る。 ここに鉛管がある。これを五十センチずつに切る。さらに真ん中から斜めに切る。 次に、この筒で細い穴を壁に掘り、そこに鉛管を入れる。掘り方は後で指示する。 わかったか。それじゃ、作業にかかれ。弓鋸は三本ある」 私は古川班を集めて言った。 「まずこれをだな、この弓鋸で真ん中から真っ直ぐに切れ。誰か、両端を押えろ」 本部班が昼飯の支度を始めた。部屋の中に石炭の煙が立ち込めてきた。その中で弓鋸を挽くと、酸素の少ない空気の中での労働であるから息苦しい。 「副小隊長。切れました」 古川が私を呼んだ。 「よし、それじゃ次は、その五十センチのをさらに半分に切る。ただし、斜めにだ。角度は六○度くらいだ」 「六○度ですね」 「切れたぞ」 河村が私を呼んだ。 「よし、じゃそれを、さらに半分に切る。ただし、斜めに、六○度くらいに切る」 「どの角度が六○になるんだ?」 「切り口を、筒の中心に対してだ」 さてこれからが最難関だ。室内と外の両方から斜めに穴を掘るのである。私は河村が切り終わるのを待って言った。 「河村、この窓の右上の隅から真上へ五十センチ測って、そこに印をつけろ。そこから、斜め上三○度に、これで穴を掘れ」 「三○度……。わかった」 河村がどうやって正確に三○度を出したか。鉛管の切り口を壁に着けて、鉛管と平行に筒で掘ったのである。 「二十センチ掘ったらそこで止めろ」 この辺の岩盤は硬い訳ではないが、ドリルで掘るとなると話は別だ。しかも、厚さ五センチのコンクリートの壁が岩盤の内側に作ってある。これを崩すのが大変だ。 二時間程かかったろうか。片山が私を呼んだ。 「副小隊長。二十センチ掘りました」 「そうか。そうしたら今度は、外側から、窓の右上の隅の真上五十センチの所から掘れ。角度は同じ六○度だ」 片山は橋本を連れて外へ行ったが、やがて窓を開けて私を呼んだ。 「角度が測れません」 「どうしてだ?」 「崖は斜めなんです」 迂闊だった。これでは角度を出すのは無理だ。私は自分の荷物の中から糸を出し、これを窓から片山に手渡しながら言った。 「この糸に錘りをつけて、それが下がる方向が真下だ。それで何とかしろ」 ドリルは一本しか無いので、古川班はする事がない。私は兵舎の入り口の扉を見ながら河村に言った。 「この扉は少々脆くないか?」 「俺もそう思う」 「一体どういう構造なんだ? 何センチの硬鋼板が入ってるんだ?」 「硬鋼板は無い。軟鉄板の、それも五ミリのが入ってる」 私は耳を疑った。 「五ミリの軟鉄板!? そんな扉、榴弾砲にかかったら唐紙みたいに破れちまうぞ。壁をこれだけ強化してあるんなら、扉ももっと強化せねばならん」 「俺もそう思う。ところがあいつが、つべこべ言わずに設計図通りに作れと言ったんだ」 河村はそう言って、小隊長室の扉を指した。 「やれやれ。この扉より硬い石頭だな」 「扉はもっと丈夫にすべきだとは思う。でもなあ。矢板の望み通りにコンクリで二十センチの扉を作ったりしたら、重くて開けたてできないぞ」 「コンクリにするから重くなる。鋼板だ」 「十センチのか?」 「……。どこかで聞いたんだが、装甲ってのは厚いの一枚より薄いの二枚の方が強いらしい。外側のが破られても、その爆発エネルギーは内側のには殆どかからないそうだ。榴弾砲ってのはもともと、弾丸の初速が遅いから、どう頑張っても要塞や戦車を破壊するのは無理なんだ。だから榴弾の信管ってのは皆瞬発信管で、遅発信管はないんだ。そうすると、例えば加農の弾丸ならその速度でもって一枚目を破り、二枚目も破ってから爆発するが、榴弾砲の弾丸は一枚目で爆発して二枚目には全く損害を与えない」 「そうか。つまり二−三センチのでいいから、鋼板を入れた扉を何枚も作れって言うんだな」 「そうだ。近日中に必ずもう一枚作ろう」 「善は急げ、だ」 私は小隊長室へ行った。 「また来たのか。今度は何だ?」 小隊長は些か迷惑そうだ。しかし、私に言わせれば、小隊長が工事の陣頭指揮に立たないのが不満なくらいである。 私は、扉の補強について説明した。すぐに小隊長は遮った。 「一ヵ月前、河村が同じ事を言った。却下の理由も同じだ。資材がない。人手が足りん。鋼板は木材と違うんだぞ。こんな何の機械もないところで作業ができるか。現実をよく見ろ」 私は諦めなかった。 「扉が弱いのも現実です。五ミリの鉄板なんて、基地のバス並ですよ。敵が攻めてきたら、すぐ破られるのは明らかです。何なら今すぐ、手榴弾投げつけてみますか?」 私の挑発に、小隊長は黙った。私は続けた。 「それに、入り口の扉が破られたとなったら、これはもう全隊の問題ですよ。自分はこの部屋にいるから、なんて暢気な事は言ってられませんよ」 小隊長はしばらく黙りこくっていたが、やがて言った。 「やれるもんなら、やってみろ。資材があるかどうかもわからんがな」 「わかりました。明日から始めます」 私は兵員室へ戻って、河村に言った。 「やれるもんならやってみろ、だと。やってみようじゃないか」 その時、高村が私を呼んだ。 「穴が開きました」 私は立ち上がった。 「そうか。よし、それじゃ、鉛管を入れてみよう。これをそっちから入れてみろ」 私は窓から、外の高村に鉛管を渡し、それから、もう一本の鉛管を穴に押し込んだ。 「しっかり入ってるか?」 「入りました」 「それじゃ、こっちから照らすぞ。光が見えるか?」 私は懐中電灯を灯け、鉛管の中を照らした。 「よく見えます」 「よし、成功だ。 おい、古川。部下を使って穴を掘らせろ。穴の位置はこの辺、床から二十センチくらいの所だ。掘り方を説明してやる」 私はふと考えた。ドリルが一本しかないというのは考え物だ。一度に一つの穴しか掘れないのだから。明日基地へ行くついでに持って来よう。 私は河村に言った。 「昼間気が付いたんだがな、あのトーチカに入ってる砲の俯角はどれくらいだか知らんが、あれでは河原の敵は砲撃できないぞ」 河村は言った。 「その事はずっと前から俺も気が付いてた。そこで最近考えついたんだが、二つばかり案がある。 一つは、基地へ行って迫撃砲を持ってくること。あの竪穴の途中から横穴を掘って、もう一つ迫撃砲用の砲台を造るんだ。今の砲台ほど大がかりでなくてもいい。塹壕を鉄条網で囲った程度でいいと思う。 もう一つは、竪穴の途中から横穴を掘って、崖の中腹に重機銃座を造る。運ぶのに三人も四人も要るような重機は、機銃座に据えつけてこそ意味がある。今のように倉庫にしまっておくと、敵襲があっても射撃態勢に入るまでに五分くらいかかるんだ」 「俺が言おうとしてた事、全部言ってくれた。重機はどう考えても、機銃座がないと役に立たん。迫撃砲はともかく、崖の重機銃座は絶対に造らねばならん」 早速私は、小隊長室へ行った。小隊長は私を見るなり言った。 「今度は何の上申だ」 昨日より機嫌が悪い。 「重機の活用法に関してです」 私は砲台の欠陥、重機が活用されていないこと、そして重機銃座の建設について説いた。聞き終わると小隊長は、意地悪そうに言った。 「それで、俺にどうしろと言うつもりだ?」 私は答えた。 「建設工事の許可を出していただきたい」 「もし俺がそれを拒否したらどうする気だ?」 「もう一度上申します」 小隊長は私を見据えて言った。 「いいか、よく聞け。ここの要塞の、守備隊長は俺だ。兵を動かす権限は俺にある。それだと言うのに、お前は俺の部下を、まるでお前の部下のように使っている。どこか間違ってないか?」 何を言うか。私は言い返した。 「もし太刀川小隊長がここへ来て、ここの者に指図して工事をさせたなら、小隊長は今の言葉、百遍でも繰り返して結構です。しかし私は小隊長の部下であり、守備隊員の一人です。その私が、同僚に指図して工事をやったからと言って、どこが間違ってるのか、私にはわかりません」 小隊長は黙った。私は続けた。 「私の上申を聞いて、小隊長が、要塞改良工事の計画を立てて、私を始めとする部下に命令して工事をやる、ということにしたらどうです? その場合、小隊長が工事の現場指揮に当たることを前提にしますが」 やにわに小隊長は語気を荒げた。 「今、改良と言ったな。改良ということは、今の要塞が悪いものだと認めることになる。お前はそれを、俺に要求する気か? 俺が設計した要塞を、悪いと認めろと?」 「何だ、そういう訳ですか。私は今まで小隊長を、上からの命令には一言も文句を言わずに盲従する権威主義者だと思ってた。そうじゃなくて、自分の考えを決して改めようとしない、どうしようもない独善主義……」 いきなり小隊長は立ち上がり、私の胸倉を掴み上げた。 「貴様ー!! 下手に出てりゃ、いい気になりやがって!!」 私は平然と言った。 「自分で設計した要塞なら、その欠点を自分の責任で直すのは当然だと思いますが」 小隊長は拳を振り上げた。私は微動だにせず、落ち着いて言った。 「もし今私を殴ったら、どうなると思います? 三十三人の部下は、一人残らず小隊長の敵になりますよ。もし誰かが中隊長に通報したら、中隊長相手に理屈をこねてまで守り通してきた小隊長の地位は、どうなりますかね」 「……!」 小隊長は、振り上げた拳を下ろした。私の胸倉から手を放すと、崩れるように椅子に座り込んだ。机を拳で叩きながら小隊長は叫んだ。 「畜生! どいつもこいつも、どうして俺のよき部下にならんのだあ!」 私は小隊長に、微かな憐れみを感じた。 「私の同僚は、長い者は二年以上も、吉川小隊長の部下でした。それを、『自分の』部下にするのは、すぐにできることじゃありません」 「でも、俺が小隊長になって、一ヵ月だぞ! 一ヵ月の間、俺に対して、本当の忠誠心のかけらも見せてくれた奴はいねえ!」 私は独り言のように言った。 「部下を持つのは、どんな者にでもできる。でも、『よき部下』を持つには、まず自分が『よき上官』にならなければ。階級章を振りかざせば、誰だって従わせられる。でも、どの部下もが、従わせなくても従うような上官になるのは、誰にでもできる事じゃない」 「ええい! お、俺は……『よき上官』じゃない、そう言うんだな? そうだ、俺は、昔からそうだったし、今もそうだ。どうせ俺は、吉川みたいにはなれん。あいつは、本当にいい奴だった。お前達にとっても、『よき上官』だったろう! 太刀川も、上村も、大原も、みんないい上官だ。秋山も、頭がいいから参謀になってるが、中隊中の誰からも頼りにされてる。俺とは大違いだ。俺は、吉川が、秋山が、羨しかった。だから、吉川が除隊になった時、俺は小隊長を買って出たんだ。それだのに、部下の心は、もう戻ってこない吉川と、後方のお前に向かってて、俺には全然向かってこなかった! お前に、俺のこの気持がわかるか!? 部下の誰にも信頼されない、誰も本当の忠誠心を見せてくれない、上官の気持が!?」 小隊長は机に突っ伏した。私は複雑な心境だった。私は言った。 「銃座建設の許可をいただきたい」 小隊長は絞り出すように叫んだ。 「勝手にしろ!」 私は兵員室へ戻り、哨戒に出る支度をしていた河村に言った。 「許可が出た。明日から始める」 「明日からか?」 「敵襲はいつあるかわからん。やるべき工事は早くやらねばならん」 「わかった。明日からかかろう」 それだけ言って、河村は出て行った。 (2001.2.4) |
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