釧路戦記

第五章
 私達は、石塚を一人残して出発した。先頭はトロッコ、私と寺田と橋口と、石田に代わって西川が漕ぐ。その両脇には酒井と谷口。続いて荒木、君塚、古川、五十嵐、細谷、小林、浅野、この七人は分捕り品の砲を曳く。その周りには三木、和田、岸本、桐野。その次はトロッコ、角田、加藤、森、荻原が漕ぐ。その周りには大沢、木島、島、土屋。その後に二列縦隊で磯部、貝塚、宮川と、小笠原、片山、林が続き、最後尾には河村が続く。
 無線機が鳴った。
〈TYY、TYY、こちらTMH、応答せよ〉
 中隊長だ。私は応答した。
「こちらTYY。どうぞ」
〈そちらの状況を報告せよ。どうぞ〉
「え、まず二十三番川と二十五番川の間の丘で、塹壕とトーチカを破壊。二十五番川の沢の陣地を撃破、分水嶺上の七九・五メートル丘付近のトーチカを破壊しました。これだけです。どうぞ」
〈御苦労。損害も多かったろう。どうぞ〉
「ええ、石塚班の山村と鈴木と山本が死亡、うちの班の石田と、援軍に来た角田班の小杉が重傷です。あと十四人軽傷です。どうぞ」
〈これからの予定だ。そちらは、三十七番川あたりへ向かえ。ここで、左翼本隊と落ち合って行動しろ。大体一八三○を目安にしろ。どうぞ〉
「了解。三十七番へ向かいます」
〈あとは何かないか? どうぞ〉
「ええ……。石塚がですね、部下が三人も死んだもんですっかり頭にきて、隊を離脱しちゃいました。どうぞ」
〈離脱!? すぐ連れ戻せ!!〉
「は、はい! 連れ戻します! 以上」
 岸本が私を呼ぶ。
「矢板班長。うちの班長の事、中隊長が何か言ってました?」
「言ってたとも。すぐ連れ戻せって。絶対命令だ。
 おうい三木、ちょっと先頭を交代してくれ。俺と岸本で、石塚を連れ戻しに行く」
 三木は言う。
「放っといたらどうなんだ?」
「駄目だ。中隊長から直々に命令だ」
「じゃ仕方ない」
 私は三木と河村に隊を任せて、岸本と二人で石塚を探しに行った。先刻のトーチカ跡へ来てみると、そこには鈴木の墓標しかない。
「あいつ本気だな」
 私は舌打ちした。
「班長、どこ行ったんでしょうね」
「解らんな」
「……まっすぐ兵舎へ向かってみましょうか?」
「駄目だ。兵舎には帰る筈がない」
「どうして?」
「あいつのした事は、命令違背、それに敵前逃亡だ。重罪だぞ。昔の軍なら、軍法会議にかけられて、ほぼ間違いなく死刑だ。兵舎に帰れる訳がない」
「じゃどこでしょうね」
「解らん。ともかく、そんなに遠くへは行ってない筈だ。物分れになってから二十分しか経ってない」
「でも班長は足の速さではピカ一ですからねえ」
「こうしてる間にもあれは逃げてるんだ。急いで探さんと。……南へは行ってない。一度敵と交戦した所へまた行くかどうか。それがないとしたら、恐らく二十六番川に入った筈だ。行ってみよう」
 五十分後、二十七番川との合流点まで下ってきた。しかし、手掛りになる物は何一つない。
「何にもないな」
「本当ですね」
「煙草の吸い殻でもあれば解るんだがな」
「班長は煙草は喫いませんよ」
 私達は途方に暮れた。と、無線機が鳴った。
〈TYY、TYY、こちらTMH、応答せよ〉
「こちらTYY。見当りません。どうぞ」
〈捜索は中断だ。今は作戦遂行が第一だ。可及的速やかに本隊に合流せよ。以上〉
「了解。本隊に合流します。以上。
 ……捜索は打ち切りだ。すぐ戻れと」
 七時になった。もう日は沈みかけている。左翼本隊との合流予定時刻を完全に過ぎている。大急ぎで戻っても七時半までに合流することはまず不可能だ。
「まず二十六番川を遡って、右側のこの沢(地図を示しながら)から三十七番川に入ろう。八時までには三十七番川に入れる筈だ」
 鞍部に差しかかった頃、夜が訪れた。上弦の月が、南の空に輝いている。三郎川(通し番号でゆくと南三十五番川)の河谷では、時々砲弾の爆発が静寂を破る。
 無線機が鳴った。
〈TYY、TYY、こちらTYK、応答願う〉
「こちらTYY。どうぞ」
〈急いで来てくれ。三十七番川の、左から支流が入る所にいる。以上〉
「了解。すぐ行く。以上」
 私と岸本は、沢に沿って走り出した。一キロ半くらい下った頃、前方に光が見えた。私と岸本は立ち止まった。姿勢を低くして光に近づく。息づまる時間が過ぎた。
 光まで二十メートル。私は立ち上がった。三十人ばかりの人影がある。私は呼んだ。
「吉川小隊か? 矢板と岸本だ」
「そうだ」
 返事があった。河村の声に違いない。
 私は光の方へ歩み寄った。岸本が続いた。河村を初めとする三十二人の男達がいる。
「どうだった?」
「手掛りなし。中隊長から命令があって『今は作戦が大事だ』と言うから戻って来た」
 河村は舌打ちした。
「あいつ本当にどこへ行ったんだろう?」
「俺達だけであれを探すのは目をつぶって蚊を追うようなもんだ。まず見つかりゃしない。
 ……そりゃそうと、敵の様子はどうだ?」
「まだ攻撃はかけて来ない。だが、先刻から西の方で砲声がする。左翼部隊は相当派手にやってるようだ」
 私は、無線機の前に坐っている角田に訊いた。
「左翼本隊とはいつどこで合流する予定になってるんだ?」
「七時半にここでさ。ところが十五分過ぎたのに音沙汰なし。敵に阻まれてるんだ」
 その時、太刀川小隊の無線機が鳴った。
「こちらTTK。どうぞ」
〈……………〉
「了解。以上」
「何だって?」
「四十一番川の北の方に敵の陣地があるらしい。それで苦戦してるんだと。応援頼むとさ」
「何でまた俺達が? この兵力でか?」
「とにかくやるまでだ。南側から回り込んでやろう」
 私達は西へ向かって出発した。
 五、六分後、三郎川の川岸に近づいた頃、
 ピシューン ピシューン
「伏せろ!!」
 川向こうに敵の陣地がある。百メートルもない。私は銃を単発にし、陣地を狙った。
 パーン! パーン!
 ドドドドドドドドッ!
 重機が火を吹いた。敵兵が二人ばかり倒れた。重機が四挺、銃が二十四挺、並んで火を吹く。陣地からの銃声は次第に少なくなる。
 ドカ――ン!!
 大爆発が地を揺るがした。寺田が宙に舞い上がった。土くれが降る。
「は、班長……」
 西川が怯えたような声を出した。一目見て私も震え上がった。
「戦車!?」
 酒井が叫ぶ。また一発、橋口が吹き飛ばされた。
「あれは六一式だ! 九○ミリ持ってる!」
 戦車が一輛、南西の丘を下りて来る。また一発! 太刀川小隊の重機が横転し停まった。
「退却ー!」
 私達は必死の思いで丘を駆け登り、三十五番川の谷へ下りた。途中また二人倒れた。和田と磯部だ。
 三木が言った。
「あの戦車を何とかできないか?」
 酒井が言う。
「無理です。大体あれは九○ミリを持ってるってことは、九○ミリに耐えられるようになってる訳です。ましてこの四七ミリは加農と言うより榴弾ですし他は迫撃砲しかないですから」
 と言っているうちに、丘の上に戦車が姿を現した。
「一か八か、これでやって見ろ! 天井なら薄い筈だ!」
 私は怒鳴った。迫撃砲が発射された。戦車の近くに爆発が起こった。次の一発は前面に命中したが、凹みもしない。
「駄目だ! もう一人ついて来い!」
 河村が立ち上がった。林が従う。河村は傍らにあった倒木を拾うと、林と一緒に、それを脇に抱えて突進した。私も後を追った。
「援護しろ!」
 私は銃を乱射した。戦車の後からついて来た三人の兵が、一連射でなぎ倒された。
 河村は戦車に近づくと、倒木をキャタピラに突っ込んだ。車輪に丸太が挟まって、戦車は動けない。その間に彼は戦車の天蓋に登り、ハッチを開けて中へ向かって銃を乱射した。そのまま彼は砲塔にもぐり込んだ。
 エンジンが止まった。
「やったぞ!」
 河村はハッチから身を乗り出して叫んだ。
 私達は戦車のまわりに集まった。河村は、乗員の死体を担ぎ出してくると、車外へ放り出した。何人かが、キャタピラから丸太を取り払った。
「酒井、お前戦車操縦できるか?」
「できますとも」
「それじゃやってくれ」
 河村に言われて、酒井は戦車に乗り込んだ。
「あと砲手は林に頼もう。……これは結構広いな。石田と小杉を乗せて行けるかもしれん」
「じゃ乗せて行こう。あとは全員、戦車の後からついて行く」
 まんまと戦車を分捕った河村は、ハッチから上半身を出し、重機を構えた。戦車が動き出した。私達は、戦車の陰に隠れ、敵陣を目指した。
 丘を越えた。戦車はたて続けに九○ミリ弾を発射した。四七ミリや六○ミリと違って大変な威力だ。陣地に火柱が立ち、敵兵が次々に吹き飛ばされる。
 川岸に着いた。いささか深い。戦車なら渡れるだろうが、重機を担いで徒渉するのは無理だ。
「ここで待っててくれ。一暴れしてくる」
 河村は言い残すと、川へ向かって戦車を走らせた。戦車は砲塔まで水に浸ったが難なく川を渡り、対岸に上陸した。そしてそのまま四十一番川に向かって走って行った。やがて丘の頂上に火柱が立ち始めた。
「敵の奴相当泡喰ってるだろうな」
 誰かが呟いた。
 八時二十分頃、戦車が戻ってきた。後ろにもう三台の車と、約十台のトロッコ、二百人余りの兵士が続いている。
 ハッチが開いて、河村が姿を現した。中隊長が河村を見上げて言った。
「でかしたぞ。戦車分捕りとは上出来だ」
 その声には喜びがあった。
「その車は何です?」
 私は中隊長に訊いた。
「敵の自走砲だ。ワゴンに装甲つけて四七ミリを載せた奴だ」
 中隊長は叫んだ。
「さあ、最後の追い込みだ。四十二番川の谷へ進撃だ!」
 左翼本隊二個中隊二百数十人と、私達の隊二十九人は、戦車と改造自走砲を先頭に立て、夜の谷を進んで行った。
 中隊長の無線機が鳴った。
「こちらTMH。どうぞ」
〈………………〉
「丘の陣地は撃破した。どうぞ」
〈…………〉
「ああ、吉川小隊が敵の戦車を分捕ったのだ。どうぞ」
〈……………………〉
「了解。以上」
「何ですか?」
 私は中隊長に訊いた。
「敵の残党が三十八番川に逃げたらしい。戦車の機動力で掃蕩しろと」
 河村がハッチから顔を出すと言った。
「じゃやってきますか。自走砲もついて来てくれ。トロッコもできたら」
 中隊長は河村を制止した。
「ちょっと待て! 作戦計画だ。降りて来い」
 河村は戦車を停めて降りてきた。中隊長は地図を拡げた。
「敵の退路は、恐らくこの九線道路だ。だから多分、二十八番川から敵はこの涸れ沢に逃げるに違いない。だから戦車と装甲車は、五○・九メートルの丘を通る尾根、この辺りで敵を喰い止めろ。歩兵部隊は三十八番川の、上流と下流から敵を挟撃する」
 太刀川小隊長が言った。
「挟撃より、散兵線を作って攻撃したらどうですか? 二キロの散兵線になりますが、この月明かり、特に問題は無いでしょう」
「ならそれでやろう。行くぞ!」
 河村は戦車に飛び乗ると、戦車を急発進させた。私は遠ざかる戦車に向かって叫んだ。
「敵に気付かれるな!」
 私達は、幅二キロ近い広大な散兵線を作り、尾根へ向かって登って行った。隣の兵士までが約十メートルある。
 尾根上に出た。八時四十五分。月明かりの中で目を凝らすと、数十の敵兵が見える。
 敗れた敵に対する追撃は迅速に行われねばならない。敵に立ち直る暇を与えないための追撃であるから。私は走り始めた。周りの仲間も走り始める。先頭を切って飛び出したのはトロッコだ。漕ぎ手四人に銃手一人、重機で敵兵を射ながら走る。敵軍は、潰走状態からようやく立ち直ってきた時に第二撃を喰ったので、算を乱して我勝ちに東の丘へ向かって走る。それをトロッコが追い回し、更には丘の向こうから戦車と装甲車が現れて、逃げ惑う敵兵を次々に血祭りに上げる。数十の敵兵は、今や僅か十数人にまで減ってしまった。
 この時、北東の丘から下ってくる一群の兵士が見えた。その数約五十。接近してくる者をよく見れば、敵軍ではないか! 双方とも敵の存在に気付いた。新手の敵軍は速度を増して押し寄せてくる。
 私は、遇々近くを通りかかったトロッコに駆け寄った。丁度その時、トロッコの銃手が仰向けに引っくり返った。私はトロッコに飛び乗った。
 銃手は胸を射抜かれて、既に事切れている。私は弾帯を銃の周りに積み上げながら、声を嗄らして喚いた。
「新手の敵だ!!」
 私は後ろを振り返って叫んだ。
「北東へ向かって突撃だ。行くぞ!」
 漕ぐ四人の仲間は頷いた。トロッコは速度を増し、軋み始めた。私は重機を振り回し、敵兵を次々に薙ぎ倒した。
 改造装甲車がトロッコに続く。二十ばかりの味方が、トロッコの周りに付き、北東の丘を目指して走る。
(2001.1.30)

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