釧路戦記

第四章
「ん? 何だ」
「あそこに敵の塹壕がありますよ」
 私はトロッコを漕ぐ手を放し、双眼鏡を取った。南二十五番川の沢に塹壕がある。
「よし、やるか! おうい止まれ」
 河村が振り返った。
「あそこに敵の塹壕がある。約五十人、砲に類するものは無いと見た。殲滅だ。
 まず、全力で走れる者が、川下の方から迫撃砲と重機の援護で突進する。他の者は、このまわりの丘陵に散開し、その砲で塹壕を破壊する。そして、上流にある泥炭地に追い込んで潰す。
 走れない者は……和田と片山、お前達は少々無理だな。その砲で塹壕を叩け。他は……酒井と谷口、貝塚と宮川、それに岸本と鈴木は重機だ。弾運びは小笠原と桐野、あと西川だ。左右の丘の上から射撃しろ。迫撃砲は……」
 河村が言った。
「ちょっと待て。あの丘の頂上付近にトーチカがあるぞ。あれを叩かないと難しい」
 南西の、八○メートルの丘の頂上に何かある。双眼鏡で見れば立派なトーチカだ。
「あるだろう。この砲はトーチカを吹っ飛ばすのに使った方がいいと思うが」
「そうだな。もしあのトーチカに同じ砲があったらだ、確実にこの沢は砲の射程内だ。
 わかった。河村、加農でトーチカをやってくれ」
「よし。じゃ和田と片山はトーチカに充てる。そっちは迫撃砲があるんだからいいだろう」
「うむ。橋口と寺田、荒木と古川、迫撃砲だ。あの林の中から塹壕を砲撃しろ」
「はい」
「じゃ石塚、石田、山村、山本、五十嵐、君塚、細谷、浅野、小林は俺に……とすると残りがたった三人か。正面攻撃は十人は欲しいが……二十九人で二ヵ所同時にやれって言うのが土台無理なんだ!」
 つい不機嫌になった。河村が言う。
「そう言っても仕方ないだろう」
「わかったわかった。河村、加農から一人回せないか?」
「いいけど二人とも足傷めてるぜ。走れない」
「だから重機に回すんだ。貝塚、お前、重機は止めだ。片山、小笠原と組んで重機をやれ」
「はい」
「貝塚は、後方に散開して敵を逃さないようにしろ。あと二−三人何とかならんかな?……橋口、お前はどうだ」
 寺田が言った。
「私一人じゃ迫撃砲は運べませんよ」
「弾帯運びの三人はどうだろう」
 谷口や山本が一斉に言い返す。
「二人じゃ本体運ぶのが精一杯ですよ!」
「むむむ。……二ヵ所同時は難しすぎる!」
 また河村が私を制する。
「愚痴を言っても始まらないよ」
 と、右手の方から足音がした。
「誰だっ!?」
 何人かが銃を構えた。
「いやに殺気立ってるな。味方だよ、味方」
 現れたのは角田だ。
「あれ? はぐれたのか?」
 驚いた私の問に、角田は答えた。
「いやなに、そちらがトーチカ相手に苦戦してるって大隊長から連絡でね。うちの小隊が援軍として派遣されたって訳だ」
「そりゃ有難い。いや本当に困ってた処だ。トーチカと塹壕――あそこだ――あれを同時攻撃するんだが人手不足でね」
 続々と十四人やってきた。森、島、木島、加藤、荻原、土屋、長野、桐谷、大木、浜口、早川、小杉、近藤、松井だ。河村が怪訝そうに言った。
「木村はどうした?」
 角田は声を落とした。
「……死んだよ。二十一番川と二十三番川の間の塹壕を攻撃した時にな。その塹壕は迫撃砲で吹っ飛ばしたが」
「そうか……ともかく、やろうぜ」
 河村が言った。角田が部下の二人に言った。
「森と荻原、二人は迫撃砲だ。矢板、迫撃砲はどこに配置する?」
 私は地図を取り出した。
「ええと、ここと、ここと、ここに配置する予定だ。この一門は正面攻撃部隊の援護だ」
「そうか。じゃ、ここの丘の上に行け」
「はい」
「貝塚、また変更だ。重機やれ。小笠原、宮川と一緒に、ここの丘だ。片山は砲に戻す。石塚、石田、山村、山本、それから角田と長野班のうち重機以外の五人は正面攻撃」
「はい」「はい」「はい」
「次にここの重機は岸本と桐野と鈴木」
「角田の方の重機はここの丘の上だ」「わかった」
「長野班はここだ」「了解」
「迫撃砲の一つはここだ。橋口と寺田。もう一つはここだ。荒木と古川」
「はい」「はい」
「そっちの方はここの丘だ」「わかった」
「酒井と谷口と西川、重機でこの辺から、正面攻撃を援護しろ」
「はい」「はい」
「河村と片山と和田、トーチカ頼んだぞ」
「任せとけ」「はい」
「残り、磯部、林、君塚、三木、五十嵐、浅野、小林、細谷は谷の奥の方に散開して敵を逃がさないようにしろ」
「はい」「はい」
「よし、行動にかかれ」
 私達四十三人は、敵を包囲するように散った。私と石田、石塚、山村、山本、角田、木島、長野、小杉、近藤、浜口、松井の正面攻撃隊は、南二十五番川の左側の沢を下り、川の近くの尾根陰に隠れた。貝塚や岸本、加藤達総勢九人の重機隊が、林の中を通って川の右岸へ向かっていく。午後五時三十分。
 百メートルばかり先に、塹壕があるようだ。私は谷口と酒井に言った。
「あそこだ。俺が射ったら援護しろ」
 私は、川沿いに草の中を、塹壕のすぐ手前まで這って行った。後ろから十一人がついて来た。
 私はさっと立ち上がると、小銃を乱射した。それまでのんびりとしていた敵兵は、自動小銃を手に取るより前に大方射殺された。
「突撃ー!」
 私は塹壕に突っ込んだ。ここにいた十人ばかりの敵は、全く反撃する余裕もなく全滅した。死体を踏み越えてさらに走る。
 奥の方にある主陣地から、兵が自動小銃を構えた。後ろの重機が猛然と火を吹いた。私達十二人も小銃を乱射する。さらに、左の丘の三挺の重機も火を吹く。塹壕の周囲に、爆発が次々と起こっては土煙が立つ。右手の丘の上から迫撃砲が射撃を始めたのだ。
 と、私のすぐ後ろで爆発が起こった。あのトーチカの砲撃だろう。後ろの山本の呻き声がした。
「山本がやられた!」
 石塚が叫んだ。
「構うな! 前進しろ!」
 私は叫び返した。敵のトーチカは尚も砲撃を続ける。
 ドカ――ン!!
 耳を聾する轟音がした。トーチカのあった丘の頂上付近に煙が立ち昇っている。
(トーチカが吹っ飛んだな)
 十一人の――さらに上の方にも散開していたのは八人いた――小銃、四挺の重機、加農、二門の迫撃砲の猛烈な射撃は、あたりを土煙で覆い、塹壕を次々に破壊した。敵兵は、次々に屍となる。殷々たる砲声、爆発音、さらに私達の怒号、あたりは耳を聾する音に包まれた。
 遂に敵は、塹壕を捨てて退却を始めた。塹壕から走り去る敵兵を、私達は何人も倒した。
 右の肩に痛みを感じた。退却しながら発射した敵兵の弾がかすったのだ。構わず私は突進した。
「進め! 敵を谷の奥へ追い込むんだ!」
 私は怒鳴った。私達は遮二無二前進した。敵は、泥炭地に追い込まれてゆく。左手の丘の上から、二挺の重機が盛大に射ちまくっている。敵兵は泥炭に足をとられて逃げられず、次々に機関銃の餌食となってゆく。
「射ち方止め!」
 私は命じた。泥炭地には敵兵の姿はない。周囲をよく歩き回って敵の残党を探したが、全くいなかった。私は時計を見た。五時五十分であった。
 三々五々、西方の八○メートルの丘の上に集まってきた。我方の損害は、
 ・戦死 山村、山本
 ・重傷 鈴木、小杉
 ・軽傷 私、河村、石塚、石田、岸本、三木、長野、浜口、松井
 これで、無傷なのは二二人になった。重傷の二人と、角田班の重機、迫撃砲をトロッコに積むことにし、石塚達が漕いでいたトロッコは角田達が漕ぐことになった。
「それにしても派手に爆発したなあ。あの音は数キロ四方に響いたろうな」
「このトーチカは、この辺一帯の陣地の弾薬の集積所だったらしいな」
 トーチカの廃墟に立って、何人かが感慨の声を上げている。
 ドカ――ン!!
 突如、目の前数メートルで爆発が起こった。
「伏せろ!!」
 私は絶叫した。また少し離れて爆発が起こった。
「何が起こったんだ?」
 石塚が訊いた。
「決まってる! この近くにもう一つトーチカがあるんだ!」
 私はトーチカの残骸の陰から顔を出し、双眼鏡であたりを見回した。爆発は数秒おきに続く。
「あったぞ!」
 西南西微南、七九・五メートルの丘に、トーチカが見える。また煙が上がった。
「また来るぞ!」
 言い終わるや否や、また爆発が起こった。
「迫撃砲だ! 加農も準備しろ!」
「はいっ!」
 また爆発が起こった。
「迫撃砲準備終わり!」
「よし、方位角二五一度、距離八○○!」
 バシュッ! バシュッ!
「加農準備終わり!」
 ドーン! ……ドーン!
 双眼鏡の視野の中に、土煙が幾つも立つ。一分ばかりの応酬の末、視野の中のトーチカが爆発した。すると、それっきり爆発は起こらなくなった。
「射ち方やめ!」
 皆立ち上がった。私の近くにいた岸本が言った。
「鈴木が死にました」
 これで四十一人になってしまった。石田が弾の破片で重傷を負っている。担架は鈴木を石田に乗せ換えた。石塚は、塹壕を掘るために持っているシャベルで、近くの穴に鈴木を埋め、鈴木の銃を地面に立てた。そして銃の前にぬかずき、合掌したまま黙り込んでいる。
「早くしろ、行くぞ!」
 突然、石塚は立ち上がると、私に詰め寄ってきた。
「お前って奴は、……死んだ部下を弔うのが軍人のする事でないと言うのか!? 部下を死なせた上官の心も解らないのか!? え!? 先刻まず山本が、山本の次に山村が、そして今度は鈴木だ! 一日に三人も部下を死なせたんだぞ! それを……それを弔うのを許さないのか!? さっき……山本が死んだ時、お前は『構わず前進しろ』って言ったな!? あの時は黙ってたが、今度はもう黙ってないぞ!」
 石塚の凄まじいばかりの怒りに、皆茫然としている。河村までも黙っている。
「確かに俺の部下達は、召集令状で無理やり連れて来られたんじゃない。それなりに死の覚悟くらいあるだろうさ。だからって、だからって、『死ぬのはそいつの勝手だからそれにわずらわされるのは御免』とでも言うのか!? 部下達は、死にたくて死んだんじゃないぞ! 解ってるのか!? お前だって兵隊に行ったんだろう!? 部下や同僚が死ぬのを見てきた筈だ! だからもう少し俺の気持が解ると思ったよ! お前は、敵を殺しすぎて、頭がイカレちまってるんだ!」
「お、おい……」
 河村が石塚を止めようとした。が石塚は、河村にも怒りをぶつける。
「部下を死なせた事もない奴に、俺の気持ちがわかってたまるか!」
 石塚は、
「そのうち石田が死んだら、お前にも俺の気持ちが解るだろうよ!」
 私に捨てぜりふを浴びせると、トーチカの残骸に腰を降ろし、そっぽを向いてしまった。
「どうする?」
 河村が私の気色を伺う。
「あれだけ怒ってるのは、命令で従わせるよりないな。小隊長代理として命令する」
 石塚は、私の言葉を聞きつけたか、振り返って怒鳴る。
「大隊長に命令されたって従うもんか! これ以上部下を殺すような任務はもう嫌だ! 俺は降りたぜ! この分じゃ俺も岸本も桐野も、明日の朝日を拝む前に死ぬからな!」
 私は石塚の言葉に驚いた。昔の軍隊なら絶対あってはならぬ事だ。
「任務を捨てるのか!?」
「そうだ! それで首になったって何になったって、犬死によりかましだ!」
 私もこの言葉で頭に来た。
「犬死にだ!?」
「そうだろうが! いくらトーチカ壊したって、次から次へと弾丸が飛んで来る! いくらやってもきりがない! 弾丸の無駄と命の無駄だ!」
「馬鹿を言うな! 今までトーチカをいくつも陥して来て、明らかに敵は勢力をそがれている! そのための犠牲が無駄だったとでも言うのか!?」
「無駄でなくたって、死なさなくていいのを死なせたんだ!」
「じゃどうやれば死なさずに済むんだ!? どうしろと言うんだ!?」
「飛行機とか戦車とかを大々的に使うんだ。歩兵なんかで戦うから死ぬんだ。もっと安全なのは、何にもやらないことだ!」
 私は逆上した。
「そうか! そんならそう上申してみろ! 無線はこれだ! きっと『寝言を言うな!』の一言で却下されるから!」
 私が怒って喚いていると、河村が私を制した。
「喚いたってトーチカは壊れないぜ。時間はどんどん過ぎてく。早く行こう」
「わかった。早く何とかしないと、助かる石田も助からないからな。
 よし、俺と一緒に行く者は返事しろ」
「行きます」
「行きます」
「俺も行くよ」
 石塚と重傷の二人以外の三十一人は、私について来ると返事した。
「俺が指揮官で異存ないな?」
 すると、河村が言った。
「俺は本当はお前と同格なんだがな。まいいや。中隊長に指名されたことを尊重しよう」
 私は石塚を顧みた。
「さてどうだ。ここから兵舎まで八キロ、敵の中を一人で帰るか?」
 石塚は返事をしない。河村が言った。
「放っとこうぜ。行こう」
(2001.1.30)

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