釧路戦記

第三章
 目を覚ました。時計を見ると午前四時である。あと二十分で函館に入港だ。靴を履き、手提鞄を持って船室を出る。幾分寝不足で頭が重い。上の遊歩甲板へ行く。今は明け方で、右手の空はかなり明るくなっている。右手には函館山が、前方には函館市街が見える。
 いよいよ北海道に上陸だ。汽笛が長く響く。曳船が近づいてくる。私は下へ降りた。河村と部下が集まってくる。小隊長が私を見つけて言った。
「今度の列車は六時八分の旭川行だ。時間があるから降車口を出たところで待てと」
 接岸、タラップが降ろされた。私達は改札口を出たところに集まった。員数確認を済ますと、大隊長は言った。
「○六○八の列車に札幌まで乗る。○五四○に乗車口に集まれ。それまでに朝飯を済ませてもいい。ただし単独行動はいかん」
 私は立喰そばを食べると、待合室の椅子に坐って、しばしまどろんだ。程なく、小隊長が起こしに来た。私達は改札を入って、旭川行の札の差してある列車に乗り込んだ。
・ ・ ・
 選抜試験の次の週の日曜日のことだった。朝早く、
「両国工場長の矢板だね。重要な指令があるから、筆記具を持って、至急本部へ来るように」
と、耳慣れない声で電話があった。
 私は何だろうと思った。長谷川部長でない。ともかく、工場の方は任せて、トラックで本部へ向かう。
 本部に着くと、二階の、「作戦部」という表札のある部屋に通された。部屋に入ると、面識のない年配の男が一人、他に十数人の男がいる。中に河村もいた。
「両国工場長の矢板だね。私は教導部の宮島だ。席に着いて」
 この部屋には窓がない。壁も防音だ。相当重要な指令があるに違いない。黒板がある。宮島は、黒板の前に立って講義を始めた。
「君達十六人には、各々が一般兵員七名を率いる班長となってもらう。そこで、戦術の基本を教える。
 まず、森林地帯での戦闘の場合。……」
 休憩を挟んで講義は夕方まで続いた。私の大学ノートは三十ページ以上埋まった。大体私が二十年前にみっちり仕込まれた事と同じだ。講義は翌々日の火曜日、そして木曜日にもあった。木曜日の講義では、敵と味方の識別のために、敵の階級などについての説明があった。敵の階級は最高位の将軍から最下位の三等兵まで十七階級もあり、階級章は星と線を組み合わせてある。将軍は赤地に金線一本と大きい金星一個。大佐・中佐・少佐・准佐(これは昔の軍には無かった階級だ)は赤地に銀線三本、銀星が大佐は四個、以下は一つずつ減って准佐は一個。大尉・中尉・少尉・准尉は赤地に銀線二本、銀星は佐官と同じく大尉は四個、准尉は一個。上級曹長・曹長・軍曹・伍長は赤地に銀線一本、銀星は上級曹長四個、曹長三個、軍曹二個、伍長一個。兵長・一等兵・二等兵・三等兵は、赤地に銀線は無く銀星が兵長は四個、以下一つずつ減って三等兵は一個。全体として昔の陸軍の模倣である。階級章は左襟と肩に付き、徽章が両袖と右襟に付く。徽章は、黒の銃と刀が斜めに交差した形で、その下に将軍は金一本、佐官は銀四本、尉官は銀三本、下士官は銀二本、兵は銀一本の短い横線があり、地色は襟のものは赤、袖のものは白である。
「……では、今日はこれまで。来週の日曜日にもう一度来ること、以上」
 翌週は講義はなく、班の割り当てがあった。私の班には、次の七人が充てられた。
 石田 正人 二十二歳
 酒井 毅  三十歳 元自衛官
 谷口 真一郎 三十一歳 元警官
 寺田 宏  三十歳
 中村 紀夫 二十六歳
 西川 仁  二十五歳
 橋口 二郎 二十六歳
 私は四十三歳だからかなりのロートルだ。しかし四年の実戦経験だけは七人の誰も持ってない物だ。これだけは年の功か。
「矢板さん、よろしくお願いします」
「さん付けなんかいいよ、『班長』でいい」
 宮島副長が言った。
「では明日は、荒川の河川敷へ演習に行く。モデルガンを持って、  橋(その付近の地図を描きながら)に八時に集まるように」
 十数人の班長のうち、私、河村、三木、石塚の四人は、吉川小隊に属することになった。四個班で一つの小隊をなし、小隊長、三人の兵員からなる本部班と合せて一個小隊は三十六人からなる。小隊は、吉川小隊の他、大原小隊、上村小隊、太刀川小隊と四個ある。四個小隊が一個中隊となり、別に宮島中隊長以下参謀二人、兵三人の本部班がある。総勢百五十人が、東京第一中隊の全兵力である。
 翌日、私はモデルガンを持ち、トラックに乗って河川敷へ行った。一メートル近い草が生い茂り、隠れるには良さそうだ。
 吉川小隊長から指示を受ける。
「矢板のトラックをこの辺に、三木のワゴンをあのあたりに置いて遮蔽物にしよう。割れると困るから窓を開けておこう。始まってから三十分経つか、陣地を陥したら交代する」
 小隊長は私と河村に指示した。
「矢板班と河村班はトラックの向こうを陣地にしろ」
 私はトラックを指示された場所へ動かし、班を集めて指示した。
「俺と中村と寺田と酒井は前進する。石田と西川と谷口と橋口は後ろから援護しろ。俺達が前進する時に敵を射つんだ。俺達がいくらか前進したら今度は後ろからついて来い」
 演習が始まった。私と中村、寺田、酒井はトラックの陰にいる。
「援護しろ!」
 私は前方の茂みへ向かって飛び出した。酒井、中村、寺田が続く。敵が射ってくる。私は木の近くの茂みまで行った。三人はもう一つ後ろの茂みだ。三人が這ってきた。
「前進!」
 後ろの四人が走ってきた。私達は前方を射つ。河村班も右後方の茂みから二人ばかり来た。
「わっ!」
 石田が叫んで後ろへ倒れた。一発で戦死。
「木立の前まで行くぞ」
 後ろから河村の声がした。
「矢板班を援護しろ!」
 私達は飛び出した。茂みへ転がり込む。敵の射撃は熾烈だ。西川が倒れた。
「ここからだと難しいな。手榴弾やるか」
 私は砂玉を取り出し、それについている爆竹の導火線に点火して投げた。木立の向こうで爆竹の音がした。一人飛び上がって倒れる。
「右の茂みにはいないな。俺がここで囮になる。五人で右の茂みから回り込め」
 私は木の陰に隠れて射る。河村班の援護射撃で敵がまた一人倒れた。五人は右へ這っていった。私は動けない。
 不意に、ワゴンの近くの茂みでたて続けに爆竹の音がした。敵の射撃がひるむ。私は木の陰から飛び出し、木立の向こうの茂みに飛び込んだ。敵は眼前だ。私は砂玉をいくつも投げた。後ろから河村班が前進してくる。敵の射撃は止んだ。私は茂みから這い出した。途端に茂みから銃声がして、私は二、三発被弾した。致命傷だ。私は地面に伸びる。敵にはめられた。
 右の方では酒井、谷口、中村、寺田、橋口の五人が敵と射ち合っている。河村班の兵が数人左の方を這っていき、敵の背後から射ちまくった。敵は全滅した。右の茂みから五人が飛び出す。河村は敵陣に立って歓声を上げた。吉川小隊長が叫んだ。
「よし、そこまで!」
 第一回は、私の班と河村班が勝った。私の班では、私と石田、西川が「戦死」した。
 このような訓練が、この日から日曜日を除く毎日、河川敷や林などで行われた。基礎訓練に比べ、激しさは更に増した。実戦訓練に入ると、私達班長には、ハンディトーキーという携帯無線機が与えられた。靴くらいの大きさで、革帯で肩から吊るすようになっている。ハンディトーキー同士での交信距離は二キロメートル。それにしても、自動小銃といい、携帯無線といい、二十五年前に私がいた頃の軍とは大した変りようだ。
・ ・ ・
 二月中ばのある日の朝、電話が鳴った。
「矢板です」
「班長ですか? 谷口です。うちの班に入りたがってるのがいるんですが」
「ああそうか。小隊長に相談してみる」
「その……それが、女の子なんです」
「女の子だって!?」
 私は絶句した。
「そうです。どうしても復讐したいんだそうで」
「……うーん。ちょっと面倒だな。ともかく小隊長に相談して指示を仰ごう」
「了解。そう言っときます」
 私は小隊長の家へ電話した。
「吉川です」
「小隊の矢板です。うちの班に入りたがってるのがいるって谷口が言うんです。どうでしょうか」
「いいんじゃないか? 中隊長にも一応報告しておく」
「それが谷口の言うところでは女の子なんです」
「えっ!? ……じゃ、この隊は軍隊なんだってことを説明して止めさせた方がいいだろう。谷口にはそう伝えてくれ」
「どうしてもうちの隊に入って革命軍に復讐するんだと言ってるそうですが。一応会ってみたらどうですか?」
「そうしよう。それじゃ矢板の工場で会ってみよう。それでいいか」
「ええ、谷口は私の工場を知ってますから」
 私は谷口にも電話する。
「谷口です。班長ですか?」
「そうだ。小隊長に相談してみた。会ってみようということになった。特に不都合でなかったら来てくれ」
「了解」
 ほどなく、谷口がその子を連れてやってきた。年の頃は二十一、二か。私がちょっと面喰らったほど険しい顔だ。冷徹というのはこういう人を指すのだろうか。
「この方が私の班の矢板班長だ」
「山岡京子です」
 山岡は頭を下げた。
「私が矢板だ。この隊のことはどこから聞いたのかね」
「真一郎さんからです」
 谷口が言う。
「京子さんは私の姪なんです」
 とそこへ、吉川小隊長が自転車でやってきた。私達を見ると近づいてきた。
「この娘さんが隊に入りたがってるのかね?」
「そうです。……この方が吉川小隊長だ」
「山岡京子です」
 谷口が小隊長と話している。
「あまり丈夫そうでもないな」
「ええ……。でも准看だから役に立つと思いますよ。うちの小隊に衛生兵として使えるのはいますか?」
「うむ、准看だったら役に立つな。
 よかろう、採用だ」
 山岡はこの時まで、血の気のない顔をしていたが、急に顔が明るくなった。
 小隊長が帰っていくと、私は早速言った。
「山岡、鉄砲は使えるか?」
「使えません」
「じゃ訓練だ。谷口、これからいつもの所へ行こう。モデルガンあるか?」
「あります。すぐ行きましょう」
 トラックで荒川へ向かう。道中、私は助手席の山岡に話しかけた。
「山岡、我々は遊び半分じゃないんだ。いつ革命軍と戦争になるかわからない。そうなったら命の保障はしかねる。わかってるか?」
「わかってます。私が隊に入ろうと思ったのは復讐の為なんです。私は婚約してました。昨日の夜、公園でデートしていたんです。そこへ愚連隊って感じの三人の男が現れて、いきなり私を襲ったんです。彼は私を助けようとして、ナイフで刺されて死んじゃったんです。私は三人組に犯されました」
「そりゃ、復讐する気になるのも無理もないだろな……。どうして革命軍とわかったんだ?」
「犯した後で言ったんです。私は決心しました。その三人組を皆殺しにするまでは復讐を続けると」
 山岡は決然と言い放った。それから語気を和らげて言う。
「私は高校時代アーチェリーでは一目置かれてました。ちょっとは役立つでしょうか」
「アーチェリーてのは何だ?」
「要するに弓です」
 今は弓道とは呼ばないのだろうか。
「弓矢か。戦場では一撃必殺よりも射ちまくりだから役立つかな。訓練すれば速射もできるようになるさ」
 荒川に着いた。堤防の下に車を駐めて河原へ行く。私はモデルガンを山岡に渡した。
「ここに目標を置く。あの木の陰から射ってみな。戦場では一秒でも早い方が勝つんだからできる限りの早射ちをやってみろ」
 山岡が木の陰に隠れると、
 パン  ……音がしなくなった。
「次!」
 パン ……… パン
 一発ごとに狙っている。当たりは精確だがこれではだめだ。山岡が戻って来る。
「もっと早く射たなきゃだめだ。少々外れてもいいくらいのつもりで射て」
 三時間ぐらいでこつを飲み込んだようだ。
「本物は引鉄を引くと、ダダダダダダッ! ぐらいの早さなんだ。一瞬の早い遅いが勝ち敗けを決めるってことを忘れないように」
 彼女はもともと射撃は上手いから、早射ちができるようになればきっと名手になる。
 山岡は吉川小隊の本部班に編入された。吉川小隊の、と言うより東京第一中隊の紅一点だ。他の小隊の者が我々を見る目は、明らかに羨望のまなざしになった。
・ ・ ・
 我に返った。車窓の外はもう午後である。時計を見ると三時十分。列車は寂しい海辺を走る。空腹を感じる。
「この分だと今夜には釧路に着けないな。明日か」
 三時半になった。私は先頭車から最後尾車までを歩き回って、部下を確認して回った。全員いた。中隊長に報告する。
 桑園を通過すると線路が増え、貨車の群などが左右に見える。もう札幌は間近だ。
 三時四八分、札幌に着いた。ここで降りる。ホームの隅の方に集まった私達を前に、中隊長は言った。
「今夜二二一五に出る釧路行に乗る。それまで自由時間だ。但し、何遍も言うが単独行動は厳禁だ。余り遠くへ行ってはいかん」
 宮本参謀が皮肉な声で言った。
「釧路は地獄の一丁目だ。今のうちにせいぜい楽しんでおくんだな」
 嫌な事を言う。
 さて半日の自由時間と云ったところで、何をするというのか。戦前なら、さしずめ公娼へ繰り出すところだが、今ではそうもいかない。
「一体何をしろっていうんだ? 酒飲む金も女抱く金もないってのに」
「札幌市内巡りでもやるか?」
「修学旅行じゃあるまいし」
 あちこちで声がする。
「北海道まで来たからにゃ、北海道でなきゃ食えない物を食わなきゃ」
 石田の声だ。西川の声がする。
「石田、お前って奴は、違う意味で口から生まれてきたような奴だな」
 私は中隊長に呼ばれた。
「矢板の腕の傷、縫わなきゃならんという事だったな」
 そう言えばそうだった。縫うほどの傷を二日も放っておいて、よく傷口が開かなかったものだ。
「今のうちに縫ってもらえ」
 いきなり何を言い出すのか。
「中隊長、腕の傷をズボンの綻びと一緒にしないで下さい!」
 中隊長は苦笑する。
「だから、外科へ行って、だ。いいか、駅前から市電に乗って、山鼻二十条という停留所で降りると、すぐ近くに近藤医院という外科がある。ここの院長は、近日中に釧路の衛戍病院の副院長になる。隊の者だと言えば、只でやってくれる筈だ。
 お前の他に、酒井も負傷しているな。二人で行け」
「山鼻二十条の、近藤医院ですね。了解」
 私は酒井と一緒に市電に乗った。車中、私は酒井に話しかけた。
「酒井は、北海道は初めてか?」
「いいえ、自衛隊の演習で来たのが三回、その前に就職のために一回、札幌へ来たことがあります」
「札幌か……」
「その時の帰りに、函館で盲腸になって、二晩泊って行ったんです。盲腸でなかったら乗っていた筈の船が、洞爺丸」
「洞爺丸!? あの、台風で?」
「次の日新聞を見て仰天ですよ。人生、何が幸いするかわかりませんね」
 中隊長に言われた停留所で降りると、近藤医院はすぐ近くにあった。だが貼り紙あり、
「都合により当分の間休診致します」
 どうなっているのだ。玄関へ回って、呼び鈴を押すと、白髪の老医師が現れた。
「今日は休診だよ」
 私は声をひそめて言った。
「討伐隊の者ですが」
 この一言で、老医師の態度が変わった。
「あ、隊の。こっちへ」
 私達は診察室へ通された。診察室には、薬品やら手術道具やらの梱包が雑然と積まれている。
「今夜釧路へ出発てことで、取り込み中だが。どれ、見せて」
 と言いながら、私が袖をまくった左腕の包帯を外すが早いか、
「あ、こりゃ、縫わなきゃならんな」
 それは私にもわかっている。私は言った。
「わかりました。今すぐ頼みます」
 老医師は立ち上がって、床に積まれた梱包を探していたが、やがて私を振り返って言った。
「どうも麻酔薬を送っちまったらしい」
 麻酔薬を!? だが私は即座に答えた。
「構いません。やって下さい」
 医師の方が心細げだ。
「やるのかね?」
 私は椅子に坐り直し、決然と言い放った。
「やって下さい。縫うのが痛くて、戦闘員は務まりません」
 手術は約一時間かかった。私は机の縁に爪を喰い込ませ、一言も発さなかった。左手の指は硬直していた。
「次は酒井の番だ。どこを負傷しているんだ?」
 私は、今にも逃げ出しそうな酒井を振り返って言った。
「右の肘じゃなかったか? 弾丸が入ってるんだったら、すぐ抜かなきゃならんな」
 酒井は怯えている。
「麻酔なしで、ですか!?」
 老医師は取りなすように言う。
「診るだけ診てみよう。弾丸が入ってなかったら、慌てて縫わなくてもいいから」
 渋々椅子に坐った酒井を診ていた老医師はやがて言った。
「弾丸は入ってない」
 酒井は安堵の溜息をついた。
 夜までは差し当ってする事もないので、私達は荷造りを手伝うことにした。この荷物が、いつか友軍兵士の命を救うことを思いながら。
 夕刻、私と酒井は駅へ戻った。私達の報告を受けた中隊長は苦笑して言った。
「戦時中ならともかく、今時麻酔なしなんて信じられんな」
 やがて夜は更け、私達は釧路行の鈍行列車の客となった。これで道中三泊目である。
(2001.1.26)

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