岩倉宮物語 |
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第二章
翌朝早く、母が厳粛な顔でやって来た。「昨夜、大殿(播磨守)と話し合って決めました。これ以上貴方を、この邸にいさせると、里退りした澄子に何をするかわかりません。今日のうちに、ここを出て行きなさい。丁度今日は、引越しの吉日です」 そう来たか。私も一晩、頭を冷やした後だ。ここで未練がましくうじうじと言ったら、男の沽券にかかわる。ここは潔く、身を引くべきだ。 「わかりました。今すぐにでも、出て行きましょう。鴨川の河原に小屋掛けでもして、雨露を凌ぎますか」 私がさばさばした口調で言うと、母は、 「鴨川の河原へ行かなくても結構ですよ」 と笑って言って、女房に持たせた文箱を受け取り、紐を解いた。 「これは伯父上のお邸の地券(登記書)です。伯父上が出家なさる時、私に下さったのです。これを貴方に上げます」 私は床に平伏した。鴨川の河原と言ったのは、庶民に身を堕す覚悟ならそれで暮らせるという積りだったのだが、今の私が宿願を果たすには、貴族社会の中枢に喰らいついていく事が欠かせないのだから、ここを出てどこへ行くか、それが内心大いに気になっていたのだ。と言って、不倶戴天の仇敵と化した帝に、邸を斡旋して貰うのは屈辱であった。そこへ、上総宮の邸に入れるとなったのだから、何とも有難い僥倖であった。 私は早速、近江と桔梗を呼びつけて、引越しの支度をさせた。私達三人が引越しの支度に忙しい頃、澄子の入内の支度で、邸中大忙しであった。一家挙げての慶事の当日に、前触れもなく追放同然に引越しとあって、さすがに近江や桔梗も、何の因果でこんな事に、と思っているのがよくわかるような顔をする。それを見ると、私も胸が詰まった。ただ近江は、余り悔しいだの悲しいだのといった感情は表に出さないし、それに引越し先が、昔永年勤めていた上総宮邸だと聞かされて、その懐しさの方が勝っているようで、それには私も救われた。 入内の支度に狩り出されて忙しいに違いない泰家が、私の出発間際に会いに来た。 「昨夜何があったのか知らないけど、気を落さないでよ」 何があったか知らない、か。同じ東の対にいながら、暢気な男だ。 「君が乗り慣れてたあの馬、君にあげるよ」 泰家は私を励ますように言う。このところ心が荒み切っていたから、こういう底意のない好意が、本当に有難く心に沁みる。私はその馬に乗り、女房二人と家財道具を載せた三台の牛車を先導して、押小路南室町西の上総宮邸へ向かった。 上総宮邸は、東西が半町しかない小さな邸であった。親王とは云え、一人の子もなかった上総宮には、小さい邸で十分だったのだろう。西側の半町は、さる受領の邸である。 (筆者註 平安京の貴族の邸宅は、四十丈((約百二十メートル))四方の一町を敷地とするのが基本で、二町を敷地とする邸や、四町を敷地とする大邸宅もあった) ここは三条南東堀川西の前の邸に比べると、もっと都心に近づいた感じのする地域にある。北側を走る押小路の、もう一つ北は二条大路で、少し東に桜宮邸があり、また東側を走る室町小路を北へ行くと、すぐに信孝の室町殿がある。先に焼けて再建された烏丸殿は、巽(東南)に少し行った所だ。 私は閉ざされた門の前に馬を停め、大声で案内を乞うた。すると年老いた門番が出て来て、 「どなた様で?」 私は馬を降り、丁重に挨拶して言った。 「私は岩倉宮正良と申します。今日からこの邸に住む事になりました」 老門番は怪訝そうな顔で、私を上から下までじろじろ見て、首を傾げて言った。 「岩倉宮? はて、岩倉宮様は、もう疾うにお隠れになられた筈……」 どうやら母は、何の連絡もしていないらしい。私は苛立ちを抑えながら言った。 「この邸の元の御主人は、上総宮様でしたね」 「へえ」 「その上総宮様が、御出家なさる時に、故岩倉宮の大君、播磨守殿の北の方に、この邸をお譲りになりました。それは知っていますか」 老門番は頷いた。 「それは存じております」 「私はその大君の甥、故岩倉宮の孫に当たる者です。今迄は播磨守殿の邸に掛り人となっておりましたが、訳があって邸を出る事になって、伯母君からこの邸の地券を頂戴致しました。おわかりですか」 私が声を大にして説明しても、老門番にはどうも納得できないらしい。私は、 「じれったいな、もう! 近江、この邸の地券、どこへしまった?」 一台の牛車の物見窓を開け、中の近江に声をかけた。近江が物見窓から顔を見せた時、不意に、 「おや、近江さんじゃないか!」 老門番の頓狂な声が聞こえた。近江も目を輝かせて、 「あら、岩造小父さん! まだ門番やってらしたの」 「まだ、とは何だ。儂は死ぬまで、この邸の門番じゃぞ」 老門番は相好を崩している。岩造というこの門番と近江は、かなり前からの知り合いのようだ。近江は播磨守邸へ来る前、十五年程もここに勤めていたのだから、奉公人同士知らぬ仲ではなかったとしても不自然ではないが。しかし、二人を思い出話に耽らせる訳にもいかない。 「近江、地券は!?」 私が少し声を荒らげると、近江は慌てて、ごそごそと車内を探し始めたが、近江が文箱を差し出すより早く、 「いや、地券は結構です。失礼致しました。ささ、お入り下され」 岩造の声と、門を開ける音が聞こえた。私はむっつりとしたまま、馬を引いて門を通った。牛車が続く。車寄せに車を着けるが早いか、牛飼の一人が、 「小太郎君様、私ら、御荷物を卸したらすぐ戻るようにと、大殿様に申し渡されてますんで、早く帰して頂きたいんですが」 入内と引越しをぶつけるから、こういう事になる。私は少しむっとしたが、牛飼の責任ではない。努めて朗らかな声で、 「わかった、早く済ませよう」 荷物と言っても三人分で、高が知れているので、女房二人に牛飼と力を合わせて、すぐに荷卸しを済ませた。早く帰らなければと気もそぞろな牛飼を労おうと、私は懐から巾着を出し、牛飼の一人に銭を少し握らせた。 「これ、皆の酒代の足しにでもしてくれ」 牛飼達は、私達に別れを告げるのもそこそこに、車を出した。その頃になって、五十余りの老女がやって来た。私達三人を見るなり、 「おや、近江さんじゃないかい」 近江はまたしても嬉しそうな声で、 「まあ、静さん」 静と呼ばれた女――装束は、女房と言うには粗末すぎる。台所番か何かだろう――は私を見て、訝しそうな顔をする。私は再び、一から説明し直す羽目になった。静が去ってから、私は近江に言った。 「近江の方が私より、この邸では顔が利くというのはわかるがね、先刻の岩造といい静といい、何なんだ、私はそんなに信用できない人間に見えるか?」 近江は気分を害した様子もなく、平然と、 「年寄りとは、そういうものですわ」 私は鼻を鳴らした。 「まあともかく、近江がいてくれて助かったよ」 と言いながらふと気が付くと、桔梗がしょげ返っている。今日になって突然、知らない邸へ引越しを言い渡され、同僚と別れて来て、不安と寂しさで胸が一杯なのに違いない。こんな桔梗にも、気を配ってやらなければならない。 「桔梗も、信頼してるよ。引越して気分一新、これからも頑張って勤めてくれよ」 私に言葉をかけられて、桔梗の顔が少し、明るくなった。 私達三人は、それぞれの荷物を部屋へ運び込んだ。寝殿と北の対しかない邸だが、私達三人、それに岩造と静の五人で住むには広すぎる位だ。邸のどこを取っても、金に飽かせて豪奢に拵えた感じのする播磨守邸と違って、簡素であっさりしている。その方が、私の好みではある。 さて、曲りなりにも一つの邸を持つという事になると、部屋住みの時分と何もかも同じという訳にはいかない。邸内の事務的な事は、近いうちに親王家たる私の家に対し、宮廷から家司が付けられる事になっているが、それとは別に女房を雇う必要が出てくる。近江と桔梗は私の、静は岩造の――近江に聞いた所ではこの二人は夫婦らしい――身の回りの事が仕事で、その他に邸内の細々した雑事をこなす女房が要るのだ。それに、牛飼や馬飼も要る。そんな事どもも、私の肩にのしかかってくる。 翌日、私の家の家司が決まり、家司達が挨拶に来た。政所別当は左少弁良清、年預は神奈備強、王珥惟澄、伴夏見、中原保友。よくまあここまで、無名の氏族を集めたものだ。他に蔵人所別当が左少将兼光、以下蔵人が三人。侍所別当が右兵衛尉平季盛。こういった者達はそれぞれ何らかの本官を持っていて、私の家に専属という訳ではない。その最たるものが、家司の総元締たる勅別当権中納言公廉(内大臣の従弟)である。 また、家司達の親類筋や、或いは以前この邸に奉公していた者の筋を伝って、五人ばかりの女を雇い入れた。その中には、以前この邸に奉公していて、私の出自に関する貴重な証拠をもたらした、あの少納言もいる。少納言はあの後、親類を頼って伊勢へ下っていたのを、近江が呼び戻したのだった。女房というのは少納言だけで、他は台所番や掃除婦といった下級使用人である。門番、牛飼、馬飼といった下働きの男達も、数人雇い入れた。それからもう一つ、邸を持つ身となると忘れてはならない事がある。昨今の都は、平安京とは名ばかりで治安が悪い。一昨年の冬、桜宮邸の周りを男がうろついていたり、昨年の七月烏丸殿が放火されたり、これらはいずれも真相は別の所にあった訳だが、このような事件、群盗が徘徊したり、邸に押し入ったり火を付けたりといった事件は跡を絶たないのだ。夜更けて退出する貴族が辻強盗に襲われる、などという物騒な事件も起こっている。それで、自分の身は自分で守るために、腕の立つ護衛を雇うのが普通になっている。院や公卿、近衛中少将には、宮廷の方で随身を付けてくれるが、親王にはそれがない。そこで私は、近衛衛門両府に顔の利く信孝に渡りをつけて、近衛や衛門の舎人の、腕の立つ者を紹介して貰おうと考えた。 ところが、その心配は無用であった。私が上総宮邸に移った次の日から、毎日のように騎馬武者や徒歩の侍が、護衛に雇ってくれと面会を乞うてきた。とかくこういう手合は権門勢家に取り入りたがるもので、権門勢家に比べれば宮家など旨味の少ないものだが、私は帝の信任も格別という事で、計算高い連中は私に取り入ろうとしているのに違いない。かく言う私自身が、帝に取り入って帝を油断させ、その上で思うさま術策を弄しようと考えているのだが。ともあれ、屈強な侍を三人、私設随身として雇い入れた。 宮家としての体裁が整ってくると、私は再び朝廷に出仕し始めた。三品大宰帥親王として俄に脚光を浴びた私には、どの公卿も一目置いている。今の朝廷には、上総宮を初めとする数人の老いた入道親王の他には、親王というのは私と、弘安帝の遺子高仁親王、伏見院の叔父中務卿親王、院の異母弟兵部卿親王、式部卿親王、上野宮だけである。中務卿親王はもう六十を過ぎ、半ば隠棲しているに等しいし、高仁親王は伏見院−今上帝の血統から外れていて、親王宣下は受けたものの叙品もなければ任官もなしという、言わば干された状態で、かつまた右大臣の掌中の珠という事もあって、宮中には殆ど出てこない。式部卿親王は病弱で、この頃は邸に引き籠ったままである。黒に近い濃紫の袍を着て、悠然と宮中に出入りする私が、公卿殿上人達の注目を集めるのは当然の成行きであった。そうして公卿達と親しく交わる中でも、私は常に、どうやって帝に復讐したものかと、考えをめぐらしていた。 ・ ・ ・
二月の初め、妙な騒ぎが起こった。右京五条にある淡路守の邸――当主は既に亡くなって、北の方と少数の女房だけが暮らしているのだが、昨夜その邸の庭先に、顔に大火傷を負った僧形の者が現れて、「無念だ……」 と言った、というのである。目撃した女房は、てっきり昨年の謀叛僧が、今一度帝に刃を向けるべく再起を期したものと思い込み、あちこちに文を書きまくったので、一夜にして噂は広まったのだった。殿上の間は、性覚現わるの噂で持ち切りとなった。あの当時、追捕の指揮に当たっていた信孝には、今度こそ性覚を捕まえて、先年の失敗を挽回しよう、と声援を送る者がいるらしい。 帝の耳にも噂は達し、帝は私を召した。いつになく憔悴した様子で、 「このところ変な噂が立って、私もすっかり弱っている」 と言って溜息をついた。 「もし性覚が、逃げ延びた南のどこかから舞い戻って、この京洛にいるとなると、私としても放っておけない。調査を命じ、本当に性覚なら、謀叛人として追捕しなければならない。しかしそれは……」 帝が性覚を追捕したくない、というのは私にもよくわかる。性覚は帝の、弟だからだ。 「しかし、噂は日毎に喧しくなっております。噂の真相だけでも、蔵人少将殿に、或いは他の者に、調べさせなさるのが筋ではないでしょうか。無用な噂ばかりが大きくなって、人心を動揺させるのは危険と存じます」 私は極めて冷静に、正論を述べた。私には、その僧形の者が性覚ではないという、絶対の確信があるのだ。だからその僧形の者が性覚ではないかという、不安と希望が綯い交ぜになったような思いは、抱く余地はなかった。 案の定帝は、 「そなたは性覚を、追捕したいのか? 性覚は、そなたの弟でもあるのだぞ」 と声をひそめて言う。私は、 「追捕したいとは申した覚えはございません」 平然と開き直る。帝は、暫く考え込んでいたが、やがて顔を上げて言った。 「退ってよろしい」 数日後、私は信孝を自邸に呼んだ。 「性覚を捕えるのに関わった者同士、また、性覚の本当の身元を知っている者同士として、このところの噂には、私も無関心ではいられないのです」 私が人払いをして、信孝に近く寄って小声で言うと、信孝は少し疲れたような顔をした。それには構わず、私は尋ねた。 「信孝殿、貴方はどうお考えですか。率直に言って、性覚は生きていると考えますか」 信孝は黙り込んだ。やがて信孝は、意を決したように深く息を吸い、口を開いた。 「先日、桜宮様に召されました。その時桜宮様も、正良殿と同じ事をお尋ねになりました。桜宮様に申し上げた通りに、申します」 私も居ずまいを正した。 「性覚は、生きていると思う、いや、生きていてほしいと思います。正良殿、貴方なら同じようにお思いでしょう」 残念ながら私は、その思いを完全に断ち切ってしまっている。あの厳然たる事実の前に。しかし、その事実は信孝は知らない。 「ええ、性覚は帝の御弟宮ですからね」 信孝は低い声で、ゆっくりと言った。 「しかし、今、京中を騒がせている僧は、性覚ではないと思います」 おやおや。どこからそういう推理が出てくるのだろう。もしかして信孝は、その僧を見たのだろうか。かまをかけてみよう。 「信孝殿。何故、そう思われるのです。その僧を、しかと見たのですか」 信孝は首を振った。 「顔を見てはいません。僧形と覚しき者を、夜目にちらりと見ただけです。しかし、その僧を見なくとも、私は信じています。性覚がもし生きていれば必ず、どんな事をしても、吉野へ行く筈だと」 私は頷いた。 「吉野、ですか。性覚は子供の頃、吉野で暮らしていた、その時分に晴姫と、仲良しだったらしいと、あの時、院が仰せになりましたね。確か今、晴姫がその吉野で、落馬の傷の養生をなさっているそうですね」 突然晴子の話題を出されたので、信孝は急に顔を赫らめた。やがて、 「性覚は、只の謀叛人とは違う。聞こえよがしに、無念を晴らすなどと言ってのける人間ではないのです」 妙に確信を持って言った。どういう根拠があるのだろう。だが、そこを突っ込むのは止めた。私の方も、その僧が性覚ではないという事には、信孝のような思い込みではない、絶対の確信があるのだが、その根拠を示せと言われると、返答に窮してしまう。 「そうですか。でもそうすると、その僧は何者でしょう。誰が、何のために、性覚の存在を匂わすような事をしているのでしょう」 私が誘導すると、信孝は今少しにじり寄ってきて、ごく低く抑えた声で言った。 「これから申す事は、帝にも申し上げてはおりません。ですから正良殿も、ゆめ口外なさらないよう、お願い申し上げます」 私は信孝と膝を突き合わせ、黙って頷いた。 「……誰かある者が、僧形の者を子飼いにして、何らかの陰謀を進めているのではないか、と考えたのです。これは極めて畏れ多い事ですが。御存じの通りこの夏に、石清水への行幸が計画されていますね。行幸となると文武百官が供奉しますから、余程の事がないと帝に近付き奉ることは難かしいですが、それでも洛外ですから、大内の中よりは隙が生じるかも知れない。その隙に僧形の者が現れて、帝を……弑し奉ったとすれば……」 信孝は、慎重に言葉を選ぶ。有能な男だとは思っていたが、なかなか深く考えたものだ。 「その時までに、性覚が生き延びているという噂が京洛を席捲していれば、どうなるでしょうか。性覚は一旦、帝に刃を向けて果たせなかった者、もし生き延びていれば、必ずもう一度機を窺うだろうと、誰もが思っている筈です。ですから、仮にもしそのような事が起これば、誰もが下手人は性覚だと思い込み、疑いを差し挟む者はないでしょう」 私は深く頷いた。 「なかなか深い読みですね。ただ……行幸先で帝を弑し奉るという事は、およそ成算のない事、そのような事を企てる者がいるか、それにもしいるとして、それが誰か、というのが問題ですね」 信孝は、我が意を得たりと頷いた。 「やはり正良殿は、そう仰言って下さいましたね。実は桜宮様にも、同じように私の考えを申し上げたのですが、全然、取り合って下さらなかったのです。考え過ぎ、と」 そんな事だろうと思った。桜宮は確かに、女性としては聡明な方ではあるが、それでも所詮は女性だ。世間の事どもを、自らの陰謀に有利なように利用し尽くす、というような発想が欠落している。こと政界の陰謀となると、人間、とんでもない悪知恵が出てくるものだから、それに対処する方も、考えて考え過ぎるという事はないのだ。 少し考えてから、私は言った。 「こういう事も、考えられなくはありませんか? 謀叛僧が生きていた。しかし、再び帝を弑し奉る機会を狙ったものの、以前と違って大内に出入りもできない身では殆ど成功の見込みはない。しかしこのまま引き退るのは癪だ。そうすると、あの時、帝に刃を向けたまさにその時、斬りつけられて失敗に終わった、その斬りつけたのは貴方です。となれば、せめて貴方に一矢報いてから引き退りたい、と思うのではないでしょうか」 信孝は、訳がわからぬといった様子で、訝しそうに私を見ている。私は続けた。 「私は別に、帝の弟である性覚、晴姫の幼馴染でもあったらしい性覚が、そういう事をするとは思ってませんよ。しかし、そういった背景を何も知らない世間の人は、帝を害し奉ろうとして果たせなかった性覚は、土壇場で失敗する原因となった貴方に一矢報いる気でいるだろうと思っているでしょう。ですから、もしもですよ、貴方に何か、深い私怨のある人物がいたとしたら、そ奴が、性覚が貴方を恨んでいるだろうと世間が噂するに違いないことを利用しようと考えて、性覚の生存説を流した、というのはあり得ませんか」 信孝の顔色が、見る間に変わった。やがて、 「……そんな事、全然思い至りませんでした」 私は穏かに言った。 「貴方も私も、あの時院が仰せになった事を拝聴して、何故性覚がああいう挙に出たか、その背景を知っています。しかし、背景を知っているという事は、背景を知っているそれに限定してしまう事になりがちです。先刻貴方は、性覚は聞こえよがしに、無念を晴らすなどと言う人間ではないと言いましたね。それもそう、先入観という物です。貴方はどういう先入観を持って、そう言ったのかは私は知りません。しかし、ことこういった陰謀、と言うのはまだ早計ですが、そういう事の背景を考える場合には、先入観は持たない方がいいですよ。陰謀などというのは、その標的となっている人物や世間一般の先入観の、裏をかいて虚を突くものなのですから」 信孝は、何度も何度も深く頷きながら、考え込んでいる。 ・ ・ ・
翌日、騒ぎはあっけない幕切れを迎えた。信孝が帰った夜、室町殿に僧形の賊が押し入ったというのである。信孝は賊を組み伏せ、不審に思って問い詰めると、次のように白状した。 ――性覚が生きているという噂を流して京を騒がせ、人心を惑わせてその混乱に乗じて一暴れしようと目論んでいた。そして、時いよいよと最初に忍び込んだのが室町殿だった―― 隠れ家まで白状させたところで、検非違使に引き渡そうと気を緩めた隙に、賊は逃走した。直ちに室町殿の侍や家人が、右京の場末にある隠れ家に踏み込んだが、もぬけの殻であった。僧衣や袿、火傷を負ったと見せるのに使ったらしい丹の粉などが残っていただけである。賊は、いずこともなく逃げ去ったらしい。 帝は、余りにも出来すぎた話に、本当に僧形の賊は性覚ではなかったのかと、何度も信孝を召しては下問する。信孝も、毎度毎度同じ事を答えるだけである。 小さな一騒動ではあったが、この一件で、世間の噂は少し風向きが変わった。晴子の怪異一色に染められていたものが、性覚を装った謀叛僧の噂の方が主流になってきたのだ。世間の一は、やはり古い噂よりは新しい噂の方を好むものである。そういう効果もあったのか、と考えるうちに、ふと思い当たるものがあった。 性覚が出現したという噂が立つ事で、直接得をする者は誰か、と考えるから、陰謀という壮大かつ取りとめのない話になって、考えが行き詰まってしまうのだ。どんな噂であれ、前の噂をかき消してくれる事で、誰かが得をするだろうか、と考えてみよう。そうすると、晴子の怪異の噂が、上は殿上の間から下は洛外まで席捲している事で、肩身の狭い思いをしている人間、それは父の内大臣と、弟の公晴ではないか。その辺りが、今回の騒ぎの仕掛け人なのではないか。しかしそうだとしても、余り上手なやり方とは思えない。性覚が京洛に戻ってきたとなれば、検非違使や六衛府が出る大騒ぎとなる。そこまでしなくとも、もう少し穏便な方法があったのではないか。もし万一、性覚を内大臣や公晴が匿まっていたなどと言われた日には、一族揃って断罪である。内大臣も公晴も、そこまで考え至らなかったのだろうか。 信孝が何度も帝に召されては、同じ事を下問されて同じ事を答えての繰り返しにうんざりしている様子なのを見ると、私としても少し、このままでいいのかな、という気がする。何と言っても、性覚の本当の末路について、知っているのは私一人なのだ。しかし、と私は考え直した。もしここで、性覚は死んだと言えば、何故あの時虚偽の報告をしたか、と詰問されるに違いない。それは私にとって、得策とは言えない。私は、本望を遂げるために、今よりももっと帝と親密になり、もっと帝の信頼を得る必要があるのだ。私の生涯をかけた大目標のためには、信孝への同情などは捨ててしまわねばならない。それともう一つ、性覚の死という事実は、帝に味わわせるべき悲しみと苦しみの中では、ずっと後まで取っておくべき切札にしようと思うのだ。妃達を次々に失う悲しみの最後に、立ち直れなくなる程の決定的な大打撃を与えるために、大切に温存しておくべき切札なのだ。 ・ ・ ・
澄子が入内し、梅壷更衣と呼ばれるようになってから、私は努めて澄子を避けるように振舞っていた。公卿達は、新しい妃の血縁でありながら、その殿舎へも行かず、殿上の間でも話題に出さず、ごく疎んじているかのように振舞う私に、納得がいかないというような目を向ける。「帥宮殿は、どうして梅壷へお行きにならないのですか。余りにも冷淡すぎるのでは」 ある公卿が承香殿から帰ってきて、殿上の間に居合わせた私に尋ねたことがある。 「うっかり更衣を見て、一目惚れでもしたら大変ですからね」 私はさりげなく言った。するとその公卿は意外そうに、 「おやおや。帥宮殿は、更衣を御覧になった事がないのですか」 余計な事を言う男だ。私は内心舌打ちしながら、努めて朗らかに答えた。 「女も三日会わざれば刮目して見るべし、ですよ。帝の妃になったら、前とは段違いに美しくなっていて、見慣れていた積りが思わず一目惚れ、なんて事もないとは言えないでしょう。それに、もし私が一目惚れしなくても、先方が私に、なんて事になると一層具合が悪いですから」 すると別の公卿が肩をすくめて、 「おうやおや、言って下さいますねぇえ」 勝手にせい! 本当は、本当は私は、毎日だって梅壷に行きたいのだ、行って澄子に会いたいのだ。しかし、行って澄子に会った私が、澄子への止み難い恋慕の余り、理性を失って何をしでかすかわからない。それが怖いのだ、二つの理由で。一つは、あの夜のように私が理性を失って常軌を逸した挙に出た場合、帝の咎めを受けること。帝に隔意を持たれては、帝に徹底的に取り入り、帝を徹底的に油断させ切る私の作戦は失敗に終わるからだ。そして今一つは、澄子が、あの夜のように再び私を、厳しく拒絶するに違いないこと。もう一度、あんな風に拒絶されたら、今の私はそれに堪え切れるだろうか。その自信はない。だから私は、私の本心に反してまで、澄子に対しては努めて冷淡に振舞っているのだ。澄子に会わないでいる限り、理性の抑えが利く。澄子が姿も見えず手も届かない所にいる限り、澄子に対して常軌を逸した挙に出る危険はない。澄子に会ったら、一切の抑えが利かなくなる恐れがある。それだけが怖いのだ。 そんな具合だから、澄子が入内してから、どんな具合であるかは、全く知らない。帝にも、わざわざ聞き出すような事はしない。帝はそれを、どう思っていたのだろうか。 五月の初め、梅雨の降り始めたある日の事だった。帝は私を召して言った。 「梅壷更衣が今日、里退りするということだ」 播磨守邸へ帰る、という事である。 「はあ」 私が気のない返事をすると、帝は、 「その理由が、どうも体を悪くしたらしいんだな」 と、幾分は心配しているような調子で言う。 「体を悪くした、ですと」 これは聞き捨てならぬ。私が声を上げると、帝は驚いたように、 「そなた、知らなかったのか!?」 知る訳がなかろう、顔も見ず声も聞かず、音信すら不通だというのに。 「今の今まで、全く存じませんでした」 私が答えると、帝は、 「そなたも存外、冷淡だな。梅壷へ御機嫌伺いに行っていれば、知らないという事はあるまいに。ここ暫く、梅壷へ行ったことはあるのか?」 それが出来れば、誰がこんなに苦労するんだ。毎晩毎晩澄子の夢ばかり見る程、澄子を恋い慕っていて、それ故に梅壷へ行けない、行くまいと、感情と理性の相剋に苦しんでいる私の胸の内を、誰が知ろう。 「梅壷へは、一度も参っておりません」 私の声が陰鬱な響きを含んでいるのに帝は気付かなかったに違いない。帝は呆れ返ったような声で、 「信じられんな。梅壷の入内を、あれ程喜んでいたそなたではないか」 私は黙り込んだ。帝は、 「……そうだな、梅壷が体を悪くしたというのは、気苦労のせいではないか、と思うんだな。既にこの後宮には、妃が四人いる。中でも承香殿あたりは、実家の権勢があるから、つい権高になるのかも知れないな、そこへ新参の、それも身分の低い更衣となると、何かと気苦労も多かろう」 私は、苦々しい思いで聞いていた。よくまあ臆面もなく、他人事のように言ってくれるよ。気苦労だと? そんな要らざる気苦労をする破目になったのは、入内したからではないか。入内さえしなければ、気苦労などする必要はなかったのだ。澄子は、とても繊細な心の持ち主なんだ、私が落馬したと聞いて三日も寝込む程。そんな繊細な心の持ち主が、新参の妃として何人もの他の妃と帝の寵愛を奪い合うような、そんな後宮生活に耐えられるものか。しかも、更衣という低い身分に甘んじさせられ――低い身分、だと!? 澄子の母は二世の女王、父は他ならぬ伏見院ではないか、承香殿なんかより、ずっと高い身分、桜宮にさえ匹敵する身分だろうが! その澄子を捕まえて、低い身分とは何だ! 私の胸の内を帝は知らず、 「そんな梅壷の気苦労に、何故そなたが早く気付いて、慰めてやるなり何なりしてやらなかったのだ」 などと、恨みがましい口調で言いさえする。私は、腹の底から湧き上がってくるどす黒い瞋恚の炎を、ぐっと力を入れて鎮めながら、 「私にはそのような差し出た真似はできません。苟くも帝の妃の一人である更衣に。帝の方が私より、更衣にはずっと親しくなされる御身分なのですから、帝の方が早く御気付になって、更衣をお慰め下さるのが筋と申すものでしょう」 と、僅かな皮肉の味付けをした口調で言った。言ってしまってから、帝がこの皮肉に気付いたらまずいな、と少し後悔したところだが、帝は全然気付いた様子はなく、 「そなたは前から、何事も控え目だったからな」 それにしてもこの帝は、どうしてこんなに勘が鈍いのだろうか。私の弟とも思えない。でもまあ、私のように弐心ある者にとっては、勘が鈍いというのは有難い事だが。 私の胸の内には、静かな、しかし烈火よりも熱く大洋よりも深い怒りが漲っていた。澄子の病、それは全て、帝に帰せられるべきである。承香殿などの妃が、新参の澄子に辛く当たる事があったとしても、その大元の原因は帝にある。帝が澄子を入内させさえしなければ、澄子の気苦労など決してなかったのだ。もし澄子が、帝でない他の男の妻となっていたとしても、私がその男を憎む事には変りはないが、もしその男が他の女に目もくれず、誠心誠意澄子だけを真に愛していたならば、権高な他の妃との軋轢に苦しむ事は決してなく、繊細な神経を傷付けられて心身を害する事もなかった筈なのだ。 帝は、私の神経を逆撫でするような台詞を吐いた。 「早く気付いてと言っても、この頃は梅壷を余り召していなかったから」 「何ですと!?」 思わず私の声は鋭くなった。 「あ、いや、その、全然という訳ではなくて、余り、と言っただけだが」 帝は急にしどろもどろになり、汗を拭いた。 「余り、召されなかったのですね。入内して半年も経たない更衣を、余り御顧みなさらなかったと、主上自ら、お認めになるのですね」 私は言い募った。やはり、帝は澄子の夫たるに相応しい男ではなかったのだ。結婚して半年も経たない澄子に、余り目もくれなかったと、そんな不実な男だったのだ。この世のどんな男が、澄子を、この世の誰を愛するよりも誠実に愛したとしても、私はその男を憎まずにはいられないが、こんな不実な男であれば、私の憎悪はいや増しに増すばかりである。 「あー、いや、だから、それは勿論、そなたの気持ちはわからないでもない、しかし、私には他に妃が、四人いるのだ、だからその、一人だけを特別に贔屓するという訳には……」 いよいよ弁解がましくなる帝に、私は低い声で、ぼそりと言った。 「道頼の母の言った通りですね」 (筆註「落窪物語」の男主人公道頼が女主人公落窪君と結婚後、中納言の四の君との縁談が起こった時、道頼の母が、 「人あまた持たるは嘆き負ふなり。身も苦しげなり(妻を何人も持つのはその人達の嘆きを一身に負うものだ。自分自身も苦しむことだ)」 と言ったこと) 帝はもじもじと落着きなく体を動かし、せわしなく汗を拭ったり扇を使ったりしながら、 「うー、あー、ええと、も、もういい、退って宜しい、退って」 ここまで動揺した帝を見たのは初めてだ。私は丁寧に一礼して退りながら、帝に見えないように、秘やかな、しかし見る人が見れば総毛立つような冷笑を泛べた。これで私は、帝に対して気持の上で優位に立てた。 私は早目に帰邸すると、近江に言った。 「実は今日、従姉上が(梅壷更衣が、と言う気にはどうもならない)里退りしたらしいんだ」 すると意外にも近江は、 「存じております」 私は意表を突かれた。 「何で知ってるんだ?」 近江は取り澄ました顔で、 「あちらのお邸の女房の一人と、時々文をやりとりしているのでございます。先日の文に、梅壷様が今日、お里退りなさると書いて来ましたのです」 それなら何故、もっと早く知らせてくれなかったのだ!? と詰る気は、近江の顔を見ていると不思議と起こってこない。私はやや拍子抜けしたが、 「それじゃ、その女房と連絡を取って、出来るだけ詳しく、先方の様子を探ってくれないか。私はあの邸へは出入りしにくいし、私の名前で文を書くのも、何かと気まずいから」 「かしこまりました」 近江は心得顔で答える。近江は私の胸の内を、かなり良くわかっているようだ。私が澄子と恋仲になったこと、澄子と私が実の姉弟であること、そしてあの晩、私が澄子に挑んで厳しく拒絶された事、こうした事実は、皆近江は知っている。今の私が、播磨守邸に顔を出せる立場でない事も。 それから十日ほど後、近江が私に、播磨守邸から文が来たと言ってきた。その顔を見て、私は澄子の様子が芳しくないとすぐに察した。 近江はおずおずと、 「どうも……この事を申し上げると、若殿様はきっと複雑なお気持になられるでしょうから……」 どういう事なのだ。私が複雑な気持になるような事というのは。 「言ってくれ。何だ」 私に促されて近江は、 「……梅壷様は、御懐妊なさったのでございます」 私は、顔が強張るのを感じた。 澄子が、懐妊した。私がこの世の誰よりも恋して已まない澄子が、他の男、この世の誰よりも憎まずにはいられない男の胤を。これで澄子は、完全にあの男の物になってしまう。子を産んでしまったら、縦え男と別れようとも、その男の妻だったという事実は、子供という人間の存在によって、払拭し得ない事実となって残る。そうなったら私は、その子供をどうしたら良いのか。その子供は、私にとって不倶戴天の仇敵であるあの男の子であると同時に、澄子の子でもあるのだ。憎む事も、愛する事も到底できそうにない。と言って、あの男の縁続きである以上、あの男に生涯を賭けた復讐を成し遂げるためには、その復讐を完全ならしめるためには、その子供を我が手にかけずにはいられまい。ああ! 私はその子を、どうしたら良いのだ!? 「あれ程までに恋い慕われた御方が、御懐妊なさったとあっては、素直にお喜びにはなれないでしょうけれど」 近江は、全く的外れな事を言っている。私は、黙れ! と一喝したくなったのをぐっと抑えて、わざと剽軽に、 「そうだ、その通りだ。どうしてそんなに、私の思ってる事がよくわかるのかな」 それから一転して顔を引き締め、真面目な声に戻った。 「しかし、それと体調が悪いって事と、どういう関係があるのかな。里退りの時には、まだそうとはわからなかったんだろう?」 すると近江は咳払いして、 「ええ、私自身の経験から申しますと」 私は意外に思った。近江ほどの齢なら、子供がいてもおかしくはないと思うが、実際に結婚して子供を産んだ事があるという話は、初耳だったからだ。 「懐妊しますと、最初は、あの、月のものが来なくなります。次に、つわりと申しまして、食べた物をよく嘔す事があります。これは人によって、全然ない人もいれば何も食べられない程重くなる人もいますが。梅壷様はきっと、つわりが重くていらっしゃったのでしょう。それで、御体の具合がお悪くなったと仰言って、お里退りなさったのではないでしょうか。つわりというのは結構、気分的な物ですから、お里退りなさって、北の方様のお顔を御覧になれば、きっと良くなるでしょう、と」 ふむ。そう言えば帝も、そんな事を言っていたな。澄子が後宮暮らしで、気苦労が多くて――その気苦労には、帝が余り澄子を召さなかった事が大きな原因になっている筈だ!――体調を崩したから、実家へ帰って療養すると。 「それで、里退りから十日になるが、そのつわりとか言うのは、良くなったのかな」 私が水を向けると、近江は沈んだ声で、 「いいえ、その、文によりますと、……御覧下さい」 と言って文を差し出す。開いてみると、
〈……御里退りの後も御つわりは一層重く、近頃は蜜柑さえもお召上りにならなくなりました。医師の見立てでは御むくみが出ているとの事……〉
かなり悪い状況だ。「むくみ、って何だ?」 私が尋ねると、近江は暗い顔で、 「顔や手足が、熱を持たないで腫れる事ですわ。まだ三月ほどのうちから、御むくみが出るというのは……」 近江の経験に照らしてみて、正常な経過ではない、と言おうとしたのだろうか。私は沈痛な気分になった。
〈……更衣様は時折、御自分の運命の拙さをお嘆きになる事がございます。その度に私共は、生まれて来る御子のためにも、もっと気を強くお持ち下さいませ、と申しておりますが、更衣様はすっかり弱気になられておいでで、私共のお慰めも全くお役に立ちません……〉
そうなのだ。今でも澄子は、入内は嫌だと言ったあの時から、少しも心変りしていないのだ。国母と称えられる事をも、毫も望んでいなかった澄子は、望まざる入内以来、ずっとそのために嘆き、悩み続けていたに違いない。その夜一晩、私は寝つけなかった。文面から察するに澄子は、つわりを克服しようとする意欲を沮喪していると見える。病は気からというが、これでは治る病気も治るまい。つわりだからと言って、何も食べないというのは、宇治大君の如く、さながら緩慢な自殺である。澄子が生きる意欲を失って、徐々に死への道を歩もうとしているというのなら、私は澄子の弟である以前に人間として、断じてそれを見過ごす訳にはいかぬ。月並な言い回しだが、人間命あっての物種、生きていてこそ花も実もある。何が何でも澄子には、生き延びて貰わなければならない。それがまず誰よりも、澄子本人のためなのだ。 事ここに至ったら、今迄の経緯は措いておいて、播磨守邸へ行こう。私自身で澄子に会って、澄子を力付け、励まそう。生死の境にあっては、継父や母が何と言おうが、万難を排して会おう。 ・ ・ ・
蔀戸の隙間から薄明かりが漏れてきた頃、外が騒がしくなった。と思う間もなく、慌だしい足音がして、妻戸を叩く音がした。「若殿様、お目覚め下さいませ」 少納言の声だ。幾分、慌てている様子だ。 「起きているよ。何だい」 私は落ち着いて返事すると、夜着のまま起って、妻戸の閂を外した。 戸を開くと、夜着のままの少納言が跪いている。明け方の薄明りで見る少納言の顔は、何か重大な出来事が起こったことを、無言のうちに物語っていた。少納言の後ろに、見知らぬ若い男が跪いている。 「播磨守様のお使いで参りました」 その男は言った。 私は、こめかみがぴくりと動くのを感じた。使者は続けた。 「急ぎ、当邸へおいで下さい」 私は、次に続く言葉を瞬時に察した。使者の口からは、私が予想した通りの言葉が流れ出た。 「梅壷更衣様、御危篤になられました」 来るべき物が来た、という思いと、こんなに早く、という思いとが、相次いで私の胸を貫いた。私は、自分でも意外に思った程冷静な声で答えていた。 「わかりました。すぐ、参上致します。朝早くから御苦労」 使者が一礼して立ってゆくと、私は足音荒く寝所へ戻り、几帳に掛けてある直衣を手早く着込んだ。指貫の裾を高く括り、足早に部屋を出ると、真っすぐ車宿へ向かった。 「どちらへおいでで?」 起き出してきた牛飼が、寝ぼけ眼で尋ねるのに、 「播磨守殿の邸だ。車はいい、馬だ、馬を出せ!」 私は声高に答えて、厩番が起き出すより早く、以前から乗り慣れた馬の縄を解き、鞍も置かずに飛び乗ると、一鞭くれて門へ向かった。 真っしぐらに三条大路を走り、播磨守邸の門前へ駆けつけると、 「開門ー! 岩倉宮だ!」 門番が出てくるのももどかしく、少し開いた門から突入し、中門に乗りつけた。蒼惶とした足取りで出てきた女房に、 「澄子はどちらに!?」 私の口調の強さに、女房は恐れをなしてか言葉に詰まったが、突っかえながら答えた。 「こ、更衣様は、西の、対屋です」 「わかった!」 私は先導の女房もなしに、足音高く西の対へ向かった。渡殿を渡る時、私が西の対へ足を踏み入れるのはこれが初めてである事に、ふと気が付いた。最後の最後まで、母は私を澄子から遠ざけていたのだ。 西の対からは、読経の声が聞こえる。赤の他人の念仏の力と、私の恋慕の力と、澄子を現世に繋ぎ止めておく力はどちらが強いか、しかと見極めてやろう。私は妻戸を開けた。読経の声と抹香の煙が、私に襲いかかった。几帳の前に、継父と泰家、数人の僧侶が坐っている。妻戸を開けた音を聞いて、継父が振り返った。私は言った。 「正良、只今参りました」 几帳の中から、母の声がする。 「こちらへおいでなさい」 母が、私が澄子に近づくことを了承したのは、これが初めてではないか。しかしそうと悟っても、嬉しさというような気持は全くしない。言わばこれは、今生の別れ、なのだ。几帳の前に坐った私に、母は、 「お入りなさい」 母がこうまで言うという事は、私の確信を一層強めた。私は意を決して、几帳をくぐった。 澄子は、そこに臥していた。燭台の光に照らされた澄子の顔は、危篤の病人という言葉から想像されるよりはふっくらとして、……いや、違う。これは健康な肉付きではない。昨日の文にあった、むくみ、だ。頬も瞼も腫れぼったく、生気ある張りがない。目は閉じたままで、私が歩み寄っても何の反応もない。澄子は深い眠りに落ちている。微かに上下する胸の動きは、私の呼吸よりずっと遅い。 「……先程、物怪がついて、すっかり正気を失ってしまったのです」 母の重い、沈痛な声が聞こえた。私の脳裏に、もし澄子が目覚めても私がわからないのではないか、という考えがよぎった。その途端、今まで感じた事もなかったような、ぞっとするような不安感が私を揺り動かした。私は、衾の下から半分出ている澄子の右手を、力一杯握りしめ、読経の声に負けじと、声を上げて呼びかけた。 「澄子、澄子! 私だ、正良だ! どうかもう一度、目を覚ましてくれ!」 母の声が聞こえたような気がした、いや、それは声になっていなかった。 その時、澄子は目を開いた。だが、ああ、その目は死んだ魚の目のように濁った、生気のない虚ろな目だった。私の知っている澄子は、こんな目をしてはいなかった、その名の通り、清らかに澄んだ美しい目をしていた。私は澄子の顔を覗き込んだ。 何という事だ! 澄子は私を見ても、何の反応も示さない。その目は焦点が定まらず、視線は中空をさ迷っている。私は激しい絶望に打ちひしがれた。物怪に取り憑かれた澄子には、最早私がわからないのだ。 「澄子、私だ、正良だ! わからないのか!?」 私は、血を吐くような声で口走った。 澄子は、依然として何の反応も示さない。とろんとした虚ろな目を、中空に向けているだけだ。 こうなったら、あれだ。今生の別れが迫っている時だ、母も見逃してくれるだろう。私は、澄子の枕辺へ膝を進めた。もしこれでも澄子が何の反応も示さなかったら、その時こそ、ここにいる危篤の澄子は、私の知っている澄子、私の胸に刻まれている澄子ではないと思い切ろう。私の知っている澄子、私の恋い慕って已まない澄子は、あの入内前夜、死んだものと思い切ろう。 私は澄子の頭を抱え上げた。長い、艶の美しい髪は、昔の澄子そのままだ。私は膝の上に澄子の頭を抱え上げ、深く息を吸い込んでから上体を折り、澄子の唇をしっかと捕えた。 おお、見よ、澄子の目から、涙が、溢れるように流れてきた! 澄子の目からは、涙に洗われるように濁りが消え失せ、三年前の冬のあの夜、初めて見た時のような、温かい光が満ちてきた。 澄子の舌が、動いた。私は唇を放した。 「正良……」 澄子の唇が動いて、微かな、しかし忘れ得もせぬあの玲瓏たる声が漏れた。微かな声ではあったが、私の耳には、澄子の声より他は何も、喧しい読経の声すらも聞こえなかった。 「……これが、私達の、運命だったのですね。今生では、決して結ばれなかった私達……。でも、私は、誰よりも、貴方が一番、好きです。私が本当に好きなのは、今でも、貴方だけです。縦え、決して、結ばれなくても……」 私は、止めどなく流れる涙を、如何ともし得なかった。私の涙は澄子の頬に滴り、澄子の涙と混じった。半ば嗚咽のような言葉が、私の唇から漏れた。 「……澄子……」 澄子は、切々と訴えるように言葉を続けた。 「……会者定離は、世の定めです。私が貴方に会ったのも、貴方と決して結ばれなかったのも、帝の妃に参ったのも、そして今日、貴方に見看られてゆくのも、全ては運命です。何人も運命を変える事はできません。ですから、どうか正良、貴方の運命を、恨んだり憎んだりしないで下さい。貴方がその運命を憎み、運命のために人を憎んでは、私は往生できません。どうか、誓って下さい、私のために、決して運命を、人を、憎まないと。来世に、同じ蓮の台に生まれたいのなら……」 私は黙って、答えなかった。諾と言えば、私の心を欺く事になる。私は最早、生きながら修羅と化し、憎悪と瞋恚にのみ生きる決心をしているのだ。と云って否と言えば、澄子を最後の最後に悲しませる事になる。どちらも、したくなかった。 澄子は、悲しげな顔をした。私は、殆ど何も考えず、黙って力強く頷いた。口に出して諾と言うのは、堪えられなかった。 澄子の顔に、無上の平安が漂ってきた。先刻より一段と小さな声で、 「……ああ……貴方は、とうとう、愛に目覚めてくれましたね。貴方が、私に会い、別れることで、真実の愛に目覚められたなら、私は貴方を、幸せにできたと、満足して世を去れます。私の一生は、無駄ではなかった……」 いつの間にか母が、私の向かい側に膝を進めてきていた。 「澄子、母にも、何か聞かせておくれ」 母の悲痛な声に、澄子は目だけ動かし、母を見上げた。それから、ゆっくりと、 「……お母様……逆縁の不幸を、お許し下さい……極楽浄土で、お待ちして、い、ま、す……」 澄子の言葉は、吸い込まれるように消えた。胸は最早、微動だにしない。頚筋の脈も、触れなくなった。澄子は、私の腕の中で、その二十一年の生涯を終えたのだ。 夜明けのうちに上げられていた蔀戸から、朝日の光が差し込んできた。朝日に照らされた澄子の顔は、生前の美しさは幾分損われていたが、気高さと平安とを、一杯に湛えていた。 母と二三人の女房が、床に突っ伏した。腸を抉るような慟哭に交じって、読経の声が聞こえてきた。私は唇を噛んで、じっと黙っていた。体中が強張ったまま、微動だにできなかった。ただひたすら、涙ばかりが落ちた。 ・ ・ ・
読経に来ていた僧の一人を戒師として、形ばかりの受戒を行った。こんな受戒でも、功徳があるというのだろうか。私は、そぎ落とした澄子の髪を一束乞い受け、束ねて畳紙に包んだ。ようやく正気に復した母は言った。 「正良、今日から七日だけ、喪に服しなさい」 私はすぐに、その意味を察した。 「……亡くなった後でも、澄子は私の、従姉なのですね、世間に向けては」 「……そうです」 (筆註 従兄弟姉妹に対しては服喪七日。同母の姉に対しては、服喪九十日) それとは別に、死者の出た邸にいた事による触穢が三十日間ある。本当ならこの間はここから出歩けないのだが、その間自邸を空けておく訳にもいかないので、一区切りついたら祓を受けて帰邸する事にした。 葬式や形見分けといった事どもが片付いたのは、翌々日であった。その日まで三日間、私は播磨守邸に逗留していた。主を失った西の対からは、女房や乳母の哀哭の声が絶える事はなかった。私とて、もし人目を憚る事がなかったなら、伏し転んで声を限りに慟哭したであろう。歯を喰い縛り、じっと耐えている私の胸の内は、さながら夜の闇に閉ざされたかのようであった。深く暗い、重い悲しみは、やがて静かな、しかし深い、暗く燃える憤怒、瞋恚へと転じていった。 三日目に私は、自邸へ帰った。七日の喪が明けるまで、私は寝ても覚めても、怒りと憎しみに身を焦がし続けた。こうなってみると、母が私を七日しか喪に服させなかったのは、却って幸いでもあった。七日の間に、帝に復讐せんとする私の思いは、日毎に高まり、固く熱く盛り上がってきていたが、これを九十日もお預けを喰ったら、私の精神はそれに耐え得たであろうか。 七日の喪が明けてから、私は参内した。帝は早速私を召した。さすがにしょげ返ったような声で、 「梅壷には、気の毒な事になったな」 私は全身の血が顔に集まったと思った。 お前が殺した澄子の弟に、言う事はそれだけか!? 「なった」などと、責任逃れのような台詞を吐いて! 澄子を殺したのは、お前だ! どうせお前は、もっと可愛がってる他の妃どもにかまけて、幾らも経たぬうちに澄子の事など、跡形もなく忘れ去るに決まっている。お前にとって澄子は、その程度の女でしかなかったのだ、しかし澄子は、私にとっては同じ母の腹から同じ父の子として生まれた、この世で唯一人の姉であり、私が恋した唯一人の女であり、私だけを愛した女であった。その澄子を奪い去られ、幸薄いまま殺された恨みを、私は終生、否、七度生まれ変わるとも忘れるまい。お前とお前の一族、お前の愛する者共を、末代まで恨み、呪い、祟り続けてやる。生きながら修羅となって、何度でも生まれ変わって、もし来世、人間に生まれる事が叶わなければ、雷神、風神、火神、疫癘神と化してでも。 (2000.11.19) |
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