ソルトレイクシティ訪問記 |
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ポートランド〜ソルトレイクシティ
アメリカ合衆国に第一歩を記した感慨に耽りながら、まず入国審査です。ガイドブックにはここで渡航目的と滞在日数を聞かれるので「Sightseeing, ○days」と答える、と書いてありますが、まあそんな具合でした。そこを通ると、ポートランドで降りる客は(アトランタまで乗っていく客も、ポートランドで入国審査を受けます)預託手荷物を受け取りに行き、例のベルトコンベアの上を自分の荷物が流れてくるのをじっと待つことになるのですが、全ての荷物を身に着けていればその必要がありません。そのすぐ先に税関があり、ここも特に申告する物もないので、必要事項を記入した申告書を出すだけです。すると税関の職員に「荷物はそれだけか」というようなことを聞かれましたが、「This bag only」と答えると、納得して通してくれました。スーツケースを持たないばかりか、肩掛け鞄一つでアメリカまでやってくる日本人旅行者は、やはり珍しいのかもしれません。手元の時計が2時半を指す頃、空港の時計は10時半を指していました。さてここで、ガイドブックにはアメリカ太平洋岸標準時は日本時間より17時間遅れていると書いてあるのを見て、はて、と首を傾げましたが、よく読むと「10月最終土曜日まで夏時間を実施している(つまり日本標準時より16時間遅い)」と書いてあります。つまりアメリカに到着したこの日が、夏時間の最終日だったわけです(10月30日が土曜日)。10月の末となると日本の感覚ではもう晩秋なので、その頃まで「夏」時間と言われてもピンときません。もっともアメリカでは、SummertimeよりもDaylight savingと言っているようなので、夏だけではなく春から秋までという感覚なのでしょう。 ここで乗り継ぐソルトレイクシティ行き、デルタ航空2159便は、午後1時05分の出発です。出発案内を見ていて気がつきましたが、日本では交通機関の時刻表が24時制になっているのに対して、アメリカでは交通機関の時刻表も、日常生活と同じ12時制になっています。(この写真も参照)いずれにしても2時間以上あるので、ここで昼食にすることになり、自由行動になったのを幸いにさっさとゲートを出ました。 何しろ生まれて初めて訪れるアメリカなので、目に入る物は全て好奇心の的です。硬貨の自動両替機という物があって、「銀行では硬貨の両替はしない(だからここで米ドルに替えていきなさい)」と書いてあるのですが、これが500円=3ドルという言語道断なレートです。日本円だけを不当に扱っているのではなくて、1カナダドル=60セント、1ポンド=1.2ドル、10フラン=1.25ドル(成田空港の両替所では1カナダドル=83円、1ポンド=185円、1フラン=17円)という具合です。いくらものは試しと言っても、日本へ帰れば約5ドル相当の500円玉をここで3ドルに替える気にはならず、その隣にある米ドルの両替機を使ってみると、1ドル札を入れると25セント玉4枚が出てきました。その両替機は5ドルと1ドルの札を入れるだけでなく、50セント玉を入れる口もあります。その後、釣り銭の受払の時に注意して見ていると、今のアメリカでは50セント玉というのは事実上流通していないようです。 それから郵便切手の自動販売機を見ると、切手10枚で6ドルのシート(アメリカ発の航空郵便は1通60セント)などを売っていますが、「新20ドル札は使えません」と書いてありました。地元の銀行で米ドルの現金を買った時、海外旅行用の100ドルパックというのを買ったのですが、その内訳は20ドル札(Hamilton)3枚、10ドル札(Jefferson)3枚、1ドル札(Washington)10枚となっていて、20ドル札の肖像画が10ドル札と1ドル札のそれに比べて大きいのに、その時になって気がつき、アメリカも新札に切り替え中なのだな、と思いましたが、日本で市販されているガイドブックに載っていないほど小さな町ならともかく、オレゴン州一の大都会の、国際空港の中にある自動販売機が新札に対応していないというのが、何だか意外な気がしました。 しかし、日が経つにつれてわかってきたことは、今のアメリカは日本人の想像を超えるクレジットカード社会になっていて、ファストフード店などでの1ドル単位の支払いには現金を使うものの、10ドルを超える金額の支払いはクレジットカードでするのが当然のようになっていることです。デパートやレストランはもちろん、スーパーマーケットも、コンビニも、郵便局も、パーソナルチェックお断りと書いてあるタクシーさえ、クレジットカードで払えます。そうなると、クレジットカードを持てるまっとうなアメリカ市民にとって、20ドル以上の札という物は使う機会のない物なのかもしれません。出張中に20ドルを越える札を見たのは、レストランの支払いをみんなでまとめてする時に同行者から50ドル札が出てきた一度きりで、ここまでは日常的に使われているとガイドブックに書いてある100ドル札は、とうとう一度も見ませんでした。 ゲートを出たと言っても、時間も土地勘もないのに、一人で空港を出て市街地まで行くわけにはいきません。それで空港ビルの中、デルタ航空を初めとする各航空会社のカウンターの辺りをうろうろしていたのですが、さすがはアメリカ、と思った掲示がありました。アメリカでも盲導犬以外の動物は飛行機の客室に連れて入ることはできず、預託手荷物にしなければなりませんが、その際に動物を入れる容器の大きさが「動物が立ち上がり、座り、自然に姿勢を変えるのに十分な余裕を持たなければならない」と、連邦農務省令で定められているのです。もう一つ、やはりアメリカと思ったのは、空港ビル内は全て禁煙になっていることです。 |
こんな所に日本語が! | 動物愛護先進国 | 初めて食べた アメリカのファストフード |
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昼食は空港ビル内のハンバーガーショップに入りました。日本でハンバーガーというと、どうしてあれを崩さずに裏返せるのだろうと不思議に思うくらい薄い肉しか挟んでありませんが、ここでは挟む肉を1枚から3枚まで選べるので、思い切って3枚のTripleを頼んでみました。すると店員が「Single or Double?」と聞き返します。そこで指を3本出して「Triple」と繰り返します。後でその話をすると、現地の人でも3枚重ねを食べる人はめったにいないだろうのに、どう見ても日本人旅行者にしか見えない者が3枚重ねを注文するとは思わなかったのではないか、と言われました。店の掲示によると、肉1枚が4オンス、従ってTripleは12オンスということになります。その他にフレンチポテトと飲み物、これはMediumとBiggieがあり、ここでは手始めにMediumにしてみましたが、それでも日本のLサイズよりもっと大きいぐらいです。量がこんなにあるだけでなく、味の方も日本で食べるハンバーガーのセットにいささかも遜色ありません。アメリカに着いて最初の食事で、これだけアメリカを満喫して、値段が5ドル39セントでした。この安さにも感激して、自分はもうこれですっかりアメリカに参ってしまいましたが、アメリカのハンバーガーがおいしいと言うと、同行者たちはなぜか自分が異人種であるような目で見ます。代金を1ドル札6枚で払うと、25セント玉2枚、10セント玉1枚、1セント玉1枚が返ってきます。これが先に書いたように、50セント玉が使われていないという実例です。 昼食にするためにゲートを出てしまったので、次の飛行機に乗るためにはゲートを通らなければなりません。その時また金属探知機に引っかかってボディチェックを受けたのですが、金属探知機を通る前に、首から提げたカメラを外して係員に渡すと、ソフトケースから取り出すだけでなく、スイッチを入れてシャッターが降りる状態にすることを求められます。その状態にしたカメラを係員に渡すと、係員がファインダーを覗いて、これでやっとOKが出ます。手荷物検査でカメラをこのようにチェックしているのはポートランドだけのようで、ソルトレイクシティではカメラのチェックはしていませんでした(1)。 離陸した飛行機は、緑濃いオレゴンの山の上を飛んでゆきます。アメリカ西海岸と一口に言っても、南のカリフォルニア州と北のオレゴン・ワシントン両州では気候が違います。オレゴン州からカナダのブリティッシュコロンビア州にかけては、ヨーロッパでいうとスコットランドやノルウェーに似て、一年中雨と霧が多く、針葉樹林に覆われています。アメリカとカナダから日本向けに輸出される木材、米松(べいまつ)やスプルースといって売られているのは、だいたいがこの3州の山に生えていた木だそうです。それでアメリカでも、「オレゴン生まれ」というと「森育ち」というイメージがある、と言っていた人がいました。その緑濃い森も山脈の海側だけで、オレゴン州東部からアイダホ州に入るともう畑が広がり、ユタ州に入ると平野は畑、山は禿げ山に変わります。 ソルトレイクシティに着陸したのは、山岳地帯標準時の夏時間で午後3時24分でした。ポートランドとこことで時間帯が違い(ソルトレイクシティの方が1時間早い)、しかも今日まで夏時間で明日にはまた時間が変わるというので、多少混乱している人もいたようです。自分は時計を合わせ直すのが面倒だったので、アメリカへ行っている間ずっと日本時間に合わせたままでした。ですからソルトレイクシティに着陸した時、自分の腕時計は日本時間で31日午前6時24分を指しているわけですが、それを30日午後6時24分と読み替えて、日記帳にもそのように書いていました。夕方になって日が傾いてきましたが、空気が乾いて澄んでいるので、陽射しは日本の真夏の昼下がりより強いぐらいです。 |
オリンピックの兆し | 窓は大丈夫? | シャワールーム |
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空港から市街地まではタクシーで15分ぐらいです。ホテルは市の中心街からは多少離れた地区にあって、この町では中級かもう少し安いくらいのランクのようです。(ちなみに室料は1泊49ドルでした。)それでも客室は日本のシティホテルのシングルルームの倍くらいあって、ベッドもダブルベッドでなぜか枕が2つ置いてありました。客室の南側に廊下があり、廊下から階段を下りるとフロント前を通らずに駐車場に出られるような構造で、つまり廊下は宿泊客以外の者でも見とがめられずに出入り自由な状態です。客室にはその廊下に面して、格子も金網も入っていない大窓がついています。客室の日当たりはいいのですが、防犯という事を考えると、日本人の感覚でもいつ強盗が窓から押し入ってこないかと不安になります。しかし逆に言うと、日本人の感覚でも不安になるほど無防備な構造でホテルが営業していられるほど、この町は治安がいい、ということになるのでしょう。公共の場での喫煙は全面禁止と言ってもいいアメリカですが、ホテルの部屋には灰皿がありました。
泊まったホテルにはレストランがなかったので、夕食は隣の街区にあるもう少し高級なホテルのレストランに行きました。土曜日の夜だったのでレストランはやや混雑していましたが、客は自分達以外は例外なく夫婦連れで、小さい子供はいませんでした。アメリカの社会では、熟年夫婦が水入らずでレストランに行くのがごく普通のことである一方、子供を連れて入る場所と大人だけで行く場所とをはっきり区別しているのでしょう。 さて、初めて食べるアメリカのディナーです。肉料理のコースを頼むと、最初に直径30cmの皿に山盛りのサラダが出てきて、人によってはこれだけで満腹してしまうくらいです。前菜がこれなら、主菜の肉はどんなのが出てくるかと期待していると、この時自分が頼んだのは牛レバーのステーキでしたが、15cm×5cm×5mmが3枚と、肩すかし気味の量でした。想像していたのは20cm×10cm×1cmが2〜3枚、とは言わないでおきましたが。その横についてくるのは、マッシュポテトが日本標準量の5倍と、インゲン・ニンジン・ブロッコリーなどの油炒めが3倍です。欧米人は肉食とよく言いますが、腹を満たす主たる食物は、やはり芋類を含む広い意味での穀物なのではないでしょうか。この時のマッシュポテト、後日入ったイタリアンレストランでのパスタ、これらを残さず食べるのは同行者にとっては試練だったようでした。 それから、ここのレストランでテーブルに置いてあるメニューを見ると、ソフトドリンクしか載っていません。「とりあえずビールで乾杯」が習慣になっている日本人旅行者は、ウェイターに頼んでAlcoholic beverageのメニューを持ってきてもらって、これで初めてビールが注文できます。いわゆるモルモン教が国教ならぬ州教となっているユタ州でも、州内全面禁酒というわけではなくて、地ビールの醸造場もあり、市内ではスーパーやコンビニどころかガソリンスタンドでまでビールを売っていますが、レストランのような公共の場での飲酒は、あまり是認されていないようです。後日入った別のレストランでは、営業上の規制でか経営方針でか、「アルコール飲料は出さない」とはっきり断られました。食事を済ませて勘定書を見ると、注文したビールはHeavy Beerと書いてあります。これは別に、アルコール度数が20度もあるビールを注文したわけではなくて、日本で売っているのと同じ、アルコール度数が5度くらいの普通のビールです。これについては後でまた触れます(2)。 |
脚注 | ||
(1) | もちろん、あの2001年9月11日の同時多発テロ以後は、機内持ち込み手荷物のチェックが格段に厳しくなったのは想像に難くありません。それにしても手荷物のチェックのやり方まで州によって違うのかと、この時は不思議に思いました。[戻る] | |
(2) | 後で触れるつもりの手紙を出さずじまいになってしまったので、ここに書いておきます。 ユタ州ではアルコール度数3.2%までの低アルコール飲料はスーパーやコンビニで販売していますが、それ以上の酒は規制の対象になっていて、州直営のState Liquor Shopでしか販売していません。日本に輸入されているBudweizerなどのアメリカ産ビールは、アルコール度数が5%くらいありますから、ユタ州では規制の対象になるわけで、それを指してHeavy Beerと称しているのでしょう。帰路ポートランドから成田へのフライト中に機内サービスで出た、MillerLiteという低アルコールビールを飲んでみた上司は、帰国後それを「ビールの水割り」と貶していました。 | |
(2002.3.6) |
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