ソルトレイクシティ訪問記

出発前〜アメリカ到着
 まず最初にお知らせです。【海外出張をすることになりました。】(1)
 出張の日程は、10月30日の夜に成田を発ち、ポートランド(ワシントン州)で乗り換えて、30日の午後にソルトレイクシティに着きます(このからくりはもちろんおわかりでしょう)。31日から11月4日まで会議、5日の朝にソルトレイクシティを発って、同じくポートランドで乗り換えて6日の夕方に成田に着きます。ソルトレイクシティといえばモルモン教の総本山で、それ以外には特に観光地もなければ歓楽街もなし、何か変わったことがあるとすれば2002年冬季オリンピックの競技場の建設が始まっているくらいでしょうから、会議場とホテルを往復する以外に何もすることがないかもしれません。成田からソルトレイクシティへの直行便がないために飛行機を乗り換えることになったポートランドも、行きも帰りも乗り換え時間が2時間程度と中途半端なので、何もする当てがありません。もし乗り換えがホノルルで、乗り換え時間が一日あったなら、同行者を説き伏せてUSSアリゾナメモリアル(2)へ連れて行きたいものですが、それはまた別の機会になるでしょう。

 たいへん長らくお待たせしました。前回の手紙でお知らせしてあるとおり、平成11年10月30日から11月6日まで、アメリカへ出張しました。
 まず一つ訂正しなければなりません。前回の手紙に、飛行機の乗り換え地をポートランド(ワシントン州)と書きましたが、オレゴン州の間違いでした。旅行代理店から航空券を受け取ってから気づいたのですが、航空券(往復ともデルタ航空)には「PORTLAND ORE」と書いてあります。そして現地でデルタ航空の時刻表を手に入れて、自分が乗る飛行機のポートランド発着時刻を見ようとすると、「PORTLAND OR」の前に「PORTLAND ME」という項目があります。つまりアメリカには少なくとも2カ所、ポートランドという地名、それも空港を持っている都市があり、そのうちの1つは西の果てオレゴン州、もう1つは東の果てメイン州にあるのです。メイン州のポートランドへは日本からの直行便はなく、旅行ガイドブックにもあまり取り上げられていない町のようなので、普通の人は知らないと思います。
(OREgon州とMainE州。Mで始まる州は、アメリカにはなぜかたくさんあります(3)

 アメリカへ出張すると決まったのが夏頃で、会議の参加登録はインターネットで居ながらにしてできるのですが、それにはクレジットカードが必要だと言われて、あわててクレジットカードを申し込んだりしていたのが9月。その頃には旅行代理店から書類が送られてきて、パスポート用の写真を撮ったり、ビザ申請用の書類を庶務課に出したり、海外旅行傷害保険の申込書を代理店に送ったりして、次第に海外旅行気分が盛り上がってきます。そしてパスポートとビザと航空券が送られてくると、出発直前の旅行準備らしいことといえば、旅行ガイドブックを図書館から借りてきて(本屋で買ったのではないことに注意)、銀行で米ドルの現金とTCを両替したくらいです。
 旅行鞄に関しては、レンタルであれ買うのであれ、いわゆるスーツケースを使うことは全く考えていませんでした。忘れていたのではなくて、アメリカへ行くと決まった時から、確信を持って「スーツケースは持って行かない」と決め、周りにも言いふらしていたのです。大学時代に上野経由で通学していた頃から感じていた疑問でしたが、人はなぜ海外旅行というと、まるでそうすることが国際条約で決められてでもいるかのように、スーツケースを引きずっていくのでしょうか。南極越冬隊やPKO参加部隊、ボランティア医師団として、極地や戦地や被災地へ行くのならいざ知らず、平時に普通一般の日本人が観光旅行で行くような渡航先なら、アメリカ合衆国であれヨーロッパであれ、日本人が必要とする程度の生活物資は現地調達できるはずです、現地の人は今の日本と同じ程度の物質文明社会で、何不自由なく市民生活を営んでいるのですから。極論すれば海外旅行に必要な物はパスポート(ビザを含む)とクレジットカードと若干の現金だけですから、それらを服のポケットに入れて手ぶらで海外へ行くことだって可能なはずです。昔の南米移民なら家財道具を持てる限り持って船に乗り込んだかもしれませんが、今外国へ移住するなら家財道具こそ現地で買った方がいいですし、そうなると最後は、あのスーツケースを引きずった日本人は観光客を装った密輸団に違いない、などという妄想まで始まります。
 日本人の先入観と固定観念に挑戦し、自らの実践によってそれを打破することを使命と心得るに至った自分はともかく、他の人はどんな荷物を持って出るかと見ていると、以前にアメリカへ出張したことのある上司は大きめのスポーツバッグとナップザック1つずつ、他の二人はスーツケースと、ナップザックまたは肩掛け鞄1つずつという具合でした。出張先でプレゼンテーションをするからといったって、液晶プロジェクターのような機材一式を持っていくわけではなく、書類とスライドくらいですから、A4判のファイルケースに十分収まる量です。海外旅行そのものに絶対に必要な貴重品に、出張に必要なそれを合わせても、小さい方の入れ物に十分収まるはずです。いったい何を持っていくためにスーツケースが必要になるのかと聞いてみると、人は着替えと答えます。しかし日頃から、着る体が一つしかないのに着せる服が何枚も必要な理由はないという曲論を吐いて憚らない人間には、それも実践によって打破すべき日本人の固定観念と映ります。8日間の旅行だからといって下着が8組必要でしょうか。砂漠や極地で露営するならいざ知らず、アメリカで中級以上のホテルに泊まれば、下着を洗濯して乾かすぐらいのことはできるはずです。行き先が日本より寒いとしても、シベリアの奥地ならともかくアメリカやカナダの都会なら、ジャンパーの1枚ぐらい現地で買えるはずですし、それこそまたとない海外旅行土産になるでしょう。国際会議のレセプションに出たりホストファミリーの主催するパーティーに出たりするのにフォーマルな服装が必要だというのなら、日本からそれを着ていけばよいでしょう、王室主催の晩餐会で、タキシードまたはローブデコルテの着用を求められているのならともかく。自分の考えとしては、旅行中に訪れる場所のうち、最もフォーマルな服装を求められる場所に合わせた服装にしていけば、他のどの場所へ行くにも問題はないはずです。だから今回のアメリカ出張では、会議場に行くのに差し支えない服装、つまり普通のスーツに普通のネクタイ、普通のワイシャツと普通のコート、これで全日程を過ごせるはずだと決め込んでいました。カリフォルニア州の大学に留学していた人の話では、大学教授でも普段はネクタイなどしていないというので、これでも過剰装備だったかもしれません。それで結局、荷物として持っていく衣類はワイシャツ2枚とネクタイ1本と下着2組にまで減らすことができました。ここまで減らし、肩掛け鞄とウエストバッグとコートのポケットに全てを納めた先見の明は、すぐに発揮されます。
2つのポートランド 一行4人の荷物 成田空港の検問
2つのポートランド一行4人の荷物成田空港の検問
 成田までは、4人揃って行くことになります。30日の朝、上司の奥さんが車で駅まで送ってくれることになって、肩掛け鞄一つで手には何も持たず、コートの前を妙に膨らませて(ウエストバッグのせいです)車に乗り込むと、前から吹聴していたことではあっても、他の人はやはり奇異の目で見ます。
 上越新幹線で東京までは、ごく普通の国内旅行ですが、成田エクスプレスに乗るために東京駅の地下ホームへ行くと、外国人旅行者と、日本人旅行者が引きずるスーツケースが目につくようになり、次第に海外旅行気分になってきます。そして成田に着くと、駅の改札を出たとたんに検問があって、「治安の良さで有名な」日本に第一歩を記した外国人はこれを見てどう感じるのだろうと思いました。
 ポートランド経由アトランタ行き、デルタ航空52便は、搭乗終了が17時35分です。それに乗るための出国手続は午後4時頃から始まりますが、自分達が成田空港に着いたのは3時前でした。カウンターでの搭乗手続は始まっていますが、それを済ませてしまうとする事がなくなります。海外旅行に出る時は出発する空港に搭乗終了の2時間前に行く、というのも日本人の習慣になっているようですが、搭乗終了の2時間前では出国手続も始まっていないのに、そんなに早く行ってどうするのか、と思います。今の日本で、成田や関空から出発する飛行機の時刻が、予告なしに1時間も2時間も早くなることが日常的にあるとは思えず(遅くなるのはよくあることだとしても)、そうなると・・・に続く文章は書くのをやめておきます。(そうなると、日本人旅行客が海外旅行に出る時は出発する空港に搭乗終了の2時間前に行くことになっているのは、旅行代理店が土産物屋からリベートをもらっているからに違いない、と書きたかったのです。)
機内持ち込み手荷物の目安ゲージ  搭乗手続をするカウンターの近くに、機内に持ち込める手荷物の大きさの目安を示したゲージがあり、自分の荷物をそれに合わせてみると、肩掛け鞄と縦横が同じで厚みが2倍の荷物でも、座席の下に入れることができるようです。頭の上の収納場所になら、もっと大きい荷物でも入れることができます。ただし、普通のスーツケースは入らないようですが。とすれば、普通の日本人旅行者なら、自分ほど荷物を減らそうと苦心しなくても、全ての荷物を機内持ち込みにできるはずです──スーツケースの呪縛を解きさえすれば。
 空港の中にも銀行があって、外貨の両替を行っています。国によってはこういう場所での両替はレートが悪いと言われていますが、日本ではそういうことはなくて、日本円と米ドルの両替レートは地元の銀行とほぼ同じでした。この時この場所でのレートは、日本円→米ドルが現金108円TC106円、逆が現金102円TC104円でした。現金とTCの差、あるいは売りと買いの差は、量のたくさん出る米ドルが最も少ないようで、オーストラリアドルやカナダドル、ポンドやフランではもっと差が出ます。また、ユーロの両替はTCだけで、現金はまだ行われていませんでした(4)
 そうこうしているうちに他の3人を見失ってしまいましたが、自分が乗るべき飛行機に乗りさえすればいいのだと気にも留めず、4時半頃出国手続に入ると、時計も眼鏡も外していたのに金属探知機が反応しました。ボディチェックです。どうやらベルトのバックルが反応したらしいのですが、自分と同じようにズボンをはいてベルトを締めている大多数の男性客は、何事もなく金属探知機を通り抜けていきます。実はこの後、合計4回金属探知機を通ったのですが、毎回ボディチェックを受けることになりました。自分は骨が丈夫だからカルシウムが多いし、血が濃い分だけ鉄も多いから、というのは冗談です。
 人間が金属探知機を通るのと同様、機内持ち込みの手荷物もX線検査を受けます。この時、拳銃や刀剣を持ち込もうとすればもちろん現行犯逮捕ですが、鋏やドライバー程度の金属製品でも、少しでも凶器になりうる物は機内持ち込みにできません。とすると、もし海外旅行に、預託手荷物にすることはできるが機内持ち込みにはできない道具を持っていく必要があるのなら、それを預けるためというただ一点にのみ、スーツケースの存在意義を見出すことができるでしょう。そんな物を持っていく必然性があればの話ですが。
 5時過ぎに搭乗開始となり、乗り込んだ飛行機は、5年前にオーストラリアへ行く時(5)に乗ったジャンボ機よりは幅の狭い飛行機(MD11)で、座席は2+5+2の9列でした。自分の席はその5の中央です。もう夜になっていて、ここから先もずっと夜間飛行なので、窓際でなくても別にかまいませんが、通路から最も遠い席だと機内サービスを受ける時やトイレに行く時に困るかな、と思いました。5時25分にゲートを閉め、滑走路に向かって動き始めましたが、離陸したのは5時56分でした。この間に機内では、シートベルトの締め方や救命胴衣の使い方を、テレビで案内します。オーストラリアへ行った時は、救命胴衣の使い方はスチュワーデスが実演していたと思います。
 さて、これを読んでいる人が以前に海外旅行をした時、飛行機に喫煙席はありましたか?
 禁煙先進国のアメリカらしく、デルタ航空の飛行機は離着陸時だけでなく、国内線国際線を問わず、またクラスを問わず、全区間全席禁煙です。それにもかかわらず、トイレで隠れ煙草をする客が時々いるようで、「トイレには煙検出装置が設置されていて、喫煙が発見された場合は連邦航空法により最高2000ドルの罰金」と日本語で機内放送しています。(それをやる客に日本人が特に多いのだとしたら嘆かわしいことです。)最近新聞で読みましたが、日本の国内線も全区間全席禁煙になっているにもかかわらずトイレで隠れ煙草をする客が後を絶たず、それに対して日本ではまだ罰則付きの法律ができていないので、厳格に対処できず頭を抱えているそうです。書き忘れましたが機内放送は英語と日本語の両方で行われていて、スチュワーデスの中にも少なくとも一人、日本語で案内のできる人(日本人とは限りませんが)がいます。
 機内のテレビは、離着陸の前後には飛行機の現在位置と速度・高度・風速・外気温を表示していて、これが英語だとヤードポンド法(Ground speed : Miles per hour, Altitude : Feet, Wind : HeadまたはTail,mph, Temperature :゜F)、日本語だとメートル法で、その換算をしながら見ていると面白いのですが、安定飛行に入ると英語のテレビ番組になってしまいます。日本語字幕などあるわけがなく(離陸前の案内の時は英語の字幕が出ます)、周りがうるさくて聞き取りも充分できないとなると、機内食が終わったらさっさと寝るだけです。
 機内食は、ご存じのようにトレイ1枚に盛り切りです。メインはビーフステーキ、チキン、海鮮丼のどれかを選ぶようになっていて、その他にサラダ、ロールパン、そば、パイ、飲み物といったところです。日本人客が多いので、それを念頭に置いて和洋混ぜこぜのメニューにしてありますが、自分としては、これからアメリカへ、未知の大地へ旅立とうと胸躍らせている時に、何が悲しくてこんなところで日本を引きずらなければならないのか、という気がします。ですからメインは、もちろんビーフステーキにしました。日本人客は、これが日本食とのしばしの別れと思って海鮮丼にした人が多かったのでしょう。もっともアメリカ人客にしても、食べ慣れたAmerican beefを一刻も早く食べたかった人もいれば、これがJapanese mealの食べ納めと思った人もいるでしょう。オーストラリアの時にも感じたことですが、機内食は質は上等でも、量は日本人の自分でも全然物足りないと思う程度で、大食の西洋人がこれで満足できるのだろうか、と思います。アメリカの食事の分量については、追い追い触れていきます。
 明けて10月31日の朝──感覚的には。現地時間では30日になるわけですが──、朝日に向かって飛ぶ飛行機の中では朝食が出ます。今度も菓子パンまたは巻き寿司を選ぶようになっていて、その他にヨーグルト、果物、ジュースです。そこで今度も菓子パンにすると、やがて同行者の一人から、巻き寿司の余りが回ってきました。同行者のうち食の細そうな人が何を食べるかを見て、余りが回ってくるのを当て込んでそれと違うのを食べる、という計算が全くなかったとは言えません。それにしても「あの」機内食を余す人がいる、という事実は不思議です。
 ポートランドに着陸した時、手元の時計は1時48分でした。成田からの正味飛行時間は7時間52分、日本からアメリカ西海岸まで9時間といわれている割には、ずいぶん早く到着しました。これは、今の季節成層圏で強く吹いているジェット気流を追い風にしてきたからで、機内の表示では最高で96mph(毎秒43m)の追い風でした。

脚注
(1)ここからすぐ下の横線までは、出張前に出した手紙の一部です。[戻る]
(2)2001年2月1日の日記にも書きましたが、ホノルルのすぐ近く、真珠湾内にある記念館です。1941年12月7日に日本海軍航空隊の奇襲攻撃によって沈没した戦艦アリゾナの、残骸を跨ぐように建設されています。戦艦アリゾナはアメリカ人にとっては、日本人にとっての原爆ドームに相当する戦跡に違いありません。[戻る]
(3)州名のアルファベット順で、MainE、MarylanD、MAssachusetts、MIchigan、MiNnesota、MiSsissippi、MissOuri、MonTanaの8州。全ての州名をアルファベット2文字の略号(大文字にした2文字)で表すために、苦心の跡が見られます。私はこの略号を調べようと思って辞書を引くまで、MOはミズーリ州でなくてモンタナ州の略号だと思い込んでいました。[戻る]
(4)2002年1月からユーロの現金の流通が始まっています。また、現在の円とドルの為替レートは1ドル132円(3月5日)という円安で、日本経済の低迷ぶりを如実に表しています。[戻る]
(5)1994年の3月に、父の定年退職(55歳、その後は子会社に出向)と妹の就職を記念して、一家でオーストラリアのケアンズとシドニーへ旅行しました。本当は私の就職記念旅行にもなるはずだったのですが、私は就職が決まらなくて自主留年しました。[戻る]
(2002.3.6)

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