番外日記
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2003年3月2日(日)〜7日(金)
このゲームのシナリオは、春から夏にかけての段階で、悠夏・雨音・藍シナリオと、文乃・明日菜シナリオにはっきりと分岐します。夏の段階で最も端的に分かれるのは、前者だと夏休みに海へ旅行する(雨音は行かない場合もある)のに対して、後者では文乃の手伝いのために文献調査三昧の夏休みになります。でもゲーム全体として見ると、どちらの流れでもクライマックスでは文乃がキーパーソンになっていて、そのため攻略サイトは「文乃シナリオは最後にプレイするべき」と口を揃えています。

・松倉 明日菜  ↓次へ
松倉藍の双子の姉妹。読書が好きで、それに飽きたらず自分で小説を書いては、宗介に見てもらっています。春から夏にかけて藍が悠夏とずっと行動を共にしているのとは対照的に、ほぼ全期間を通じて文乃と行動を共にしています。
明日菜シナリオの後半は完全に文乃シナリオのアナザールートになっていますが、バッドエンドでは、堂島一味を殲滅して安曇村を救うために文乃が行う呪術、生きている人間を犠牲にして死者を復活させるという、まさに黒魔術と呼ぶのがふさわしい呪術に、明日菜が自ら進んで犠牲になったことが明かされます。そこまで見てくると、悠夏シナリオの大詰めは「そうだったのか」と思い出され、そしてバッドエンドの方が内容が深くてゲーム全体の根底に迫るので、どこかの攻略サイトで見たように「バッドエンドの方が評価が高い」のも肯けるのですが、正士の決意──「将来、呪術を使って明日菜を復活させる」は、あまりにも後味が悪いです、それは必然的に、その時生きている他の誰かを犠牲にするわけですから。
蛇足ですが、以前に、双子の姉妹のどちらが姉でどちらが妹とされているか、そしてそれがシナリオにどのように影響しているか、ということを考えてみたことがありましたが、この姉妹は一応、藍が姉で明日菜が妹とされているらしい、と判断できる、明日菜の台詞が一ヶ所だけありました。しかし藍のシナリオと明日菜のシナリオは、ずいぶん早い時期に完全に分離してしまうので、長幼の順がシナリオに影響を与えている様子はありません。どのSSだったかちょっと思い出せないのですが、明日菜が姉であると独自に設定したうえで、明日菜の心理を描いた作品もありました。

・八車 文乃  ↑前へ ↓次へ
中学を卒業したくらいの頃に安曇村に移り住んできた、いわば学園唯一の他所者です(始業式の場面で一人だけ違う制服を着ていることが、それを暗示します)。シュールレアリスムの画家である父、八車 斉臥と同居していますが、親子の間は冷え切っています。それというのも文乃が安曇村に移り住んできたのは、斉臥に復讐するためだったから。その目的のために、斉臥のスポンサーになっていて斉臥にだけは頭が上がらない堂島をも手玉にとって利用し尽くそうとする、安曇村の他の誰も持っていないほどのしたたかさを持っていて、正士をして「彼女が敵でなくて良かったと改めて思った」と独白させるほどです。それほどの文乃に引き換え……ということで、ところどころで正士の無力感が漂います。
クライマックスでは月食の夜に文乃が呪術を行い、それが不完全に終わるとハッピーエンド、完全に成功するとバッドエンド(明日菜シナリオのバッドエンドは文乃シナリオのバッドエンドと酷似した経過を取ります)ということになるのですが、呪術の結果悟らされることは、文乃が人生の目標と思い定めていた復讐は思い違いだったということと、今ここにいる八車文乃は八車斉臥の娘である八車文乃ではなかったということ(ここに雨音シナリオがリンクしてきます)。いかに気丈な文乃でも「自分が自分でなかった」と思い知らされた時の衝撃は想像に難くありません。
文乃が行なったのと同じ呪術を斉臥が行なったのが「前の月食の時」で、正士と文乃が生まれたのはその年だと宗介は言うのですが、天文学的にいうとよく似た条件の月食は18年と約10日の周期で起こります(サロスといいます)。もちろんその18年間に一度も月食が起こらないわけではありませんが、シナリオを書くにあたって、ある月食(おそらくは皆既月食)が起こる18年前のちょうど同じ季節にも月食が起こることに着目したのは卓見だと思います。

・瀬能 英里子  ↑前へ ↑最初へ
正士と結ばれるシナリオが用意されている女性というわけではないのですが、安曇学園関係者中唯一の大人である英里子は、堂島との関わりにおいて、単なる脇役には留まらない重要な役割を担っています。有り体に言えば、堂島に学園に手出しさせないように、英里子の持つ唯一最大の“武器”を使って立ち回っているわけですが、その思惑が正士には理解できず「英里子は堂島方についた」と思い込んだり、雨音シナリオでは英里子と正士の思惑が食い違って英里子と正士が対立するといった紛糾があります。ここらへんを、正士は大人の事情を理解できないと言ってしまえばそれまでですが、そのあたりのシナリオの書き方が、年齢相応といいますか、たしかに田舎の平均的な高校生だったらこう思い、こう考え、こう行動するだろう、という現実感が感じられるのは、このゲームのシナリオのよくできたところです。悠夏シナリオの感想で触れた、プレイヤーによっては思いきり引きそうな要素も、見方を変えればプレイヤーの幻想におもねらず現実感を押し出したと言えるのかもしれません。
(3月7日アップ)

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