番外日記
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2003年1月27日(月)〜31日(金)
ゲームの舞台は過疎化の進む山村、安曇(あずみ)村。村で唯一の学校である安曇学園が、生徒数が6人にまで減ったために今年度限りで閉鎖になると、春の始業式の日に生徒たちに告げられるところから始まります。
学園の生徒は、ただ一人の男生徒である主人公(デフォルト名は戒田 正士)、同学年の芳野 雨音・穂村 悠夏・八車 文乃、下級生の松倉 藍と松倉 明日菜の双子の姉妹。教師は瀬能 英里子1人。(安曇学園が中高一貫の私立校だとすると、この辺は学校教育法違反なんですが、その手のツッコミはしないでおきましょう)
子供がこれだけ少なくなるほど過疎化が進み、廃村も時間の問題と思われる安曇村に、振興の切り札として鉄道が開通することになっているのですが、用地買収に絡んで村に住み着いた堂島という元代議士──とは言いながら裏世界にどっぷり浸かっていて、中央にいられなくなって安曇村に身を潜めたというもっぱらの噂──が村の平穏を乱しています。不動産バブル華やかなりし頃に盛んだった「地上げ」が横行しているのですよ。
ゲームの季節は「始業式」から始まり、穂村山へのハイキングの「春」、「夏」を経て、ストーリーが深刻化していく「秋」、そして月食の夜「冬」にクライマックスを迎えます。学園物の形を取っていながら授業のシーンは皆無で、秋以降は学園に生徒が来るシーンもほとんどありません。春と夏の牧歌的な雰囲気が秋になると一変するという評がありましたが、春の部の後半から暗雲が漂い出し、秋の部になると、村を蹂躙する堂島の巨悪に対して、追いつめられた生徒たちが堂島の一味を撃退すべく圧倒的に不利な闘いを挑むゲーム──そんな雰囲気すらあります。
もっとも徒手空拳で立ち向かうのではなくて、ここに安曇村に伝わる古い話があって、それがクライマックスの鍵になります。それは
「冬の月食の夜、穂村山から『ヤマノカミ』が降りてくる。」
ですから冬の部はオカルト全開で、プレイヤーによって好悪が真っ二つに割れるところでしょう。
もちろんそれだけではなくて、正士が5人の女生徒それぞれと絆を深めていくゲームでもあります。キャラ別に述べてみます。

・穂村 悠夏  ↑最初へ ↓次へ
安曇村の鎮守、穂村神社の一人娘。勝ち気な幼馴染みで、冒頭から正士とは恋仲と周囲から見られています。父 辻夫が神主を務める穂村神社は、堂島の最も執拗な地上げ攻勢に遭っていて、堂島の度重なる狼藉とそれに続く場面に漂う、辻夫と悠夏の無力感と鬱屈した怒りが綯い交ぜになったやり切れなさは、私が今までプレイしたゲームでは味わわされたことのない物です。最初のプレイでこの空気に当たると、プレイを続けることに耐えられなくなる恐れが多分にあり、私は最初に悠夏シナリオをプレイしましたが、最初に悠夏シナリオをプレイするのはお勧めできません。
それと悠夏シナリオの前半は、春の遠足で悠夏・藍と一緒に行動し、夏にも悠夏・藍と3人で旅行に行くことになるのですが、こういったあたりでまま見られる、彼女たちの“性”に対する好奇心、これが人によっては相当嫌悪感を催す可能性があります。主人公たる正士が年齢相応に(昨今のゲームの例に洩れず具体的な年齢は明記されていませんが)女性に対して好奇心を持っていることが随所に見えるのに、同年齢の彼女たちに清純無垢であることを求めるのは筋違いであり、男性の身勝手な幻想であるとは思いますが。
安曇村の伝承では「穂村」は同音の「炎(ほむら)」と読み替えることができ、ヤマノカミの祭祀を司る家柄に当たっていて、「炎の巫女」たる悠夏は特別な能力を有している、というようなテキストを読んだ気がするのですが、このシナリオではその点はどうもはっきりせず、悠夏自身がヤマノカミを召喚するとか超自然的な能力を発揮するわけでもありません。他のヒロインのシナリオに比べて、構成がちょっと弱いような気がしました。

・芳野 雨音  ↑前へ ↓次へ
両親はいつ頃からか消息不明で、独り暮らししながら家政婦などのアルバイトをしています。いかにもメインヒロイン的な造形で、正士も悠夏よりもどちらかというと雨音に心惹かれている様子があります。
雨音シナリオでも夏は、悠夏・藍・雨音と4人で旅行することになります。旅行先で正士は雨音から告白されて、そこから2人の関係が急進展するのですが、そのあたりでの悠夏と雨音の心理描写は振るっています。旅行先の出来事も比較的安心して見ていられるもので、最初のプレイは雨音シナリオがいいとされているのは、それも理由の一つ(シナリオの雰囲気になじみやすい)かもしれません。
雨音シナリオ独特の主題は、安曇村の伝承にある、これも「芳野」と同音の「世忍(よしの)」というもので、そもそも芳野家はヤマノカミを鎮めるために人身御供を捧げる儀式を司る家柄に当たっていました。もちろん儀式といったって現代の法律では殺人罪ですから、雨音の両親はそれを知った堂島に脅迫され、堂島に対決を挑んで返り討ちに遭ったらしいことが、ハッピーエンドへのルートの最後でわかります。
雨音シナリオは、留守になる堂島邸の戸締まりに来た警官と話した正士(堂島邸の留守は、堂島の悪事の証拠を盗み出す千載一遇の好機だと思って)が「警察は正義の味方ではなく権力者の味方だ」と悟らされて、視界がモノクロになるほど落胆するとか、雨音を守ろうと堂島邸で働き始めた正士と他のヤクザ者どもの交流、その結果か、ヤクザ者どもを仕切る堀田──なんで堂島ごときに仕えているのかわからないとヤクザ者どもに評されるほどの漢中の漢が、土壇場で堂島に命じられても正士に銃を向けることをためらう、といった機微がありますが、堂島が戒田家で正士を恫喝するまさにその時、それまで不在だった宗介(正士の父、作家兼郷土史家でマスコミとのつながりがある)が取材の記者団を引き連れて現れ、手出しできなくなった堂島が退散するとか、クライマックスで堂島の一味が正士と雨音を追いつめたところへ突然文乃が現れるとか、昔の文学作品で“無理やりハッピーエンド”を演出するために濫用された deus ex machina の連発がちょっと残念です。
deus ex machina (1)古代演劇で急場の解決に登場する宙乗りの神 (2)戯曲などの困難な場面で突然現われて不自然で強引な解決をもたらす人物・事件(研究社 リーダーズ英和辞典)
英語に訳せば god from the machinery となります。
(ここまで2月3日アップ)

・松倉 藍  ↑前へ
村でたぶん唯一の商店、松倉商店の娘。両親は健在ですが、父は遠くへ出稼ぎに行っており、母は隣町で働いていて、松倉商店は事実上姉妹(もっと言えば明日菜一人)で切り盛りしています。悠夏が苛立つほど正士になついていて、異常なほどの猫好き、戒田家の近くにある猫屋敷と呼ばれている廃屋に棲み着いている数十匹の野良猫に餌をやっています。しかしこれを微笑ましいと言っていられるのは初めのうちだけです。
春の部の終わりで早くも、藍の知能テストの結果が尋常ならざるものであったと英里子から知らされます。最初のテストでは天才的なIQを叩き出し、再テストで故意に間違ったらしい回答の配列を解析すると「猫のDNA配列」が出たとか。しかしこのゲームのようにオカルト色で塗り潰したようなゲームには、変にこう“科学的”な要素を持ち込まない方がいいと思うのは私だけでしょうか。
夏の部は悠夏・藍と3人の旅行で、旅行先で正士は全く予期しなかった告白を藍から受けることになるのですが、帰ってくると猫屋敷の猫が惨殺されていて、ここから一気に雰囲気が変わります。秋の部で起こるいろいろな出来事は誰のシナリオでも同じ時期に起こるようになっていて、それぞれのシナリオが並列世界になっている度合いは「Kanon」などより強く、「YU-NO」に近いです。
安曇村の伝承では「松倉」も同音の「魔ツ蔵(まつくら)」と読み替えることができて、ヤマノカミの神社の御神体である絵馬(これが猫に似ている)に反射した日光が射し込む猫屋敷が、ヤマノカミの眷属を封じる魔ツ蔵なのだそうです。それでクライマックスの様相は、文乃が決定的な役割を演じる他のシナリオとは少し違っていて、藍(魔ツ蔵の末裔なのでしょうか)自身が中心的な役割を演じることになります。その最終局面を見ると……「もし十二支に猫があったら猫年には猫耳少女のCGが」なんて呑気なことは言えない気分になってしまいました。
(2月5日アップ)

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