番外日記
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2002年6月8日(土)
初プレイでシエルのシナリオを見たので、次はメインヒロインと位置づけられているアルクェイドです。秋葉シナリオはアルクェイドとシエルの両シナリオとは様相を異にするらしいので、この次に取っておきます。……それとあと、シエルシナリオに登場した秋葉が、あまりにも「萌えなさすぎた」、というのも本音だったりして。
アルクェイドシナリオとシエルシナリオは表裏一体と言いますか、生まれついての吸血種(ゲームでは「真祖」と呼ぶ)であるアルクェイド、もともとは人間であり人間から変じた吸血鬼(ゲームでは「死徒」と呼ぶ)の不老不死性に飽きたらず転生という形で究極の不老不死性を求めたロア、カトリック教会に属して吸血鬼の封印を使命とするシエル、そしてはなはだ尋常ならざる形でアルクェイドと関わりを持った志貴、この4人物が織りなす大きなストーリーを、それぞれアルクェイド寄りとシエル寄りの志貴の立場から見たような形になっています。そうなると実は、シエルシナリオを終えた時点でこのストーリーの全貌が、ロアが今転生しているシキと主人公志貴の関係まで含めてほぼ見えてしまうので、ストーリーとしてのアルクェイドシナリオはいささか新鮮味に欠ける憾みなしとしません。そもそもロアがなぜ、普通に死徒となって得ることのできる不老不死性に飽きたらず、さらなる不老不死性を求めようとしたのか、アルクェイドシナリオでは全く語られないのにシエルシナリオで、ロアがシキの肉体を滅ぼされた後に転生先に選んだ志貴の口から暗示されるので、プレイの順序としては、アルクェイドシナリオをシエルシナリオより先にプレイする方がよいと思います。
人間から変じた吸血鬼ではない真祖は、自然の一部ともいわれるくらいで、本当の不老不死性を具えていますが、その真祖であるアルクェイド(生まれてから800年以上生きていて、しかもその間死徒を討伐に出る時以外はずっと眠り続けていたという)には、老いていつかは死ぬ定めにある志貴が今生きている「生」とその「時」というものが理解しにくいのかもしれません。志貴は「いつか終わる命だから、今を生きていること自体が楽しい」というような言い方をしていますが、いつか終わる命だからこそ、今という時と、その今を生きている生が尊いのだ、という考え方は、他のノベルタイプのゲームでも読んだことがあったような気がします。逆の見方として、不老不死を手に入れてしまった死徒はそれと同時に生きる目的と欲望、さらには生きる意義をすら失ってしまっていて、不老不死は死と同じだ、というようなことをシエルが志貴に言う場面があったと思いますし、「アトラク=ナクア」で比良坂初音が深山奏子に説いたのだったと思いますが、何百年という時間を老いずに生きることは、人間の精神がそれに耐えられないほどの苦痛である、というような意味の文章でした。
脱線しましたが、そういう具合で生身の人間からは遠くかけ離れた存在であるアルクェイドに、志貴たち生身の人間が生きている俗世の楽しみをたくさん知ってほしい、一緒に人間世界を生きたい、というのが志貴の願いだということ。これは「ロアが存在している限り死ぬことがない」という運命の枷を最後に解き放つことができたシエルに対しても、志貴は同じ願いを持っていただろうと思いますが、アルクェイドがシエルよりもっと人間からかけ離れた存在であるだけに、いっそう「普通の女の子」としてアルクェイドを見ていたいという志貴の願いは強かったことでしょう。
(6月9日アップ)

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