番外日記
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2002年5月27日(月)〜29日(水)
まず最初に誤解のないように断っておきますが、私は捕鯨存続派です。その上で、反捕鯨派の発想を揶揄する意図を持って、以下の文章を書いていることを了解してください。

日本が南極海での商業捕鯨再開を主張する際の論拠は一貫しています。「南極海のミンククジラの個体数は増えており、ミンククジラを年間○○頭獲ったとしてもミンククジラが絶滅する危険性はないことが科学的に明らかである。それだけでなく捕鯨を行わないと、ミンククジラが増えることによって、餌となる魚やオキアミが枯渇して、他のヒゲクジラを始め海洋生態系に悪影響を与える。」というような論法です。
それに対して、こんな反論ができるのです。「ある哺乳動物の個体数は近年急速に増えており、それが増えることによって餌となる動植物が枯渇して、地球全体の生態系に重大な悪影響を与えている。その動物の個体数には、ミンククジラの個体数よりずっと正確なデータがあり、年間○○頭獲って食用にしたとしてもその種が絶滅する危険性はないことが科学的に明らかにできる。」一見とても科学的ですね。
では、反論で挙げられている哺乳動物を、人間の食用にすることを認めると、国際会議の場で発言する人がいたら、私はその人の意見にはとうてい賛成できませんが、その発言をした向こう見ずな勇気にだけは、最大限の敬意を表します。
──その哺乳動物とは、人間です。
世界の総人口が近年急速に増えていること、食料となる動植物が枯渇しつつあり地球全体の生態系に重大な悪影響を与えていること、人口動態に関しては科学的な議論の前提にできるくらい正確なデータがあること、どれも嘘ではありませんよ。
実際、『ガリヴァー旅行記』を著したJ.スウィフトは晩年、貧民の嬰児を高い値段で買い上げて食用にすれば、貧民たちの貧困と過剰人口を解決でき、富裕者は新しい珍味を食べることができて一石三鳥、という論を唱えました。きっと誰からも相手にされなかったでしょう。まして今の日本のように、殺人犯の人権を被害者の人権より尊重すべきだというような似非人権主義が横行している社会では、そんな発言をした人間を私が殺したとしても、人権主義者が自らの命と引き替えにしてでも守ってくれるでしょう。罪のない人を殺したって守ってくれるのに、まして人権主義者にとって不愉快なことを言う人を殺したんですもの。
(5月31日アップ)

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