番外日記
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2001年12月13日(木)
このゲームはエンディングが6種類あることは、すでに日記に書いたとおりですが、そのうちエンディングNo.1から3までとNo.4から6までは途中経過がずいぶん違っていて、メーカーのサイトでもNo.1から3までを「活発ルート」4から6までを「知的ルート」と称しているそうです。ですから私はまず活発(病弱な少女が「活発」というのもちょっとおかしな話ですけどね)ルートのエンディング2つを見てから、知的ルートのエンディングを見たわけですが、それぞれで加奈のあり方がずいぶん違いました。
知的ルートの特徴は、加奈が中学生の時、加奈が入院している病院に、父の妹である霧原須摩子とその娘の霧原香奈(読みが同じ「カナ」なので紛らわしいです)が入院してくることを発端とします。須摩子が入院するのはただの病棟ではなくてホスピス──須摩子は20代で乳ガンに冒され、もう末期状態にあるのです。一見元気な香奈も、先天性の肝不全を患っていて、長生きはできないと言われています。
「死をまっすぐに見つめて生きていた」叔母の死を中等期のうちに目の当たりにしたことから、高等期に入ると加奈は生命科学や哲学の本を手当たり次第に読んでは「人はなぜ死ぬのだろう」「生命は子孫繁栄のためだけにあるのだろうか」と考えたり、「時間がない、何かしなければいけない」と言ったり、隆道をして「俺よりずっと遠くを見つめている」と言わしめるほどの知性の迸りを見せます。その一方では「自立しなければ」と思い詰めたり、体が変調をきたしたことから自暴自棄になったり、加奈の生涯最後の日々は忙しいです。
思索の果てに「日記をつけることにした」と言うのですが、実はエンディングNo.4「雪」では日記の話はそれきり出てきません。いよいよ最後の帰宅となった時の様子は、何となく「Kanon」の沢渡真琴シナリオの大詰めを偲ばせますが、加奈は真琴と違って精神のきらめきを見せています。臨終の時に季節外れの(10月中旬)雪が降って、No.4はそこで終わり。臨終直前の場面はNo.3に比べて大いに盛り上げてありますが、あるファンサイトを運営している人が言うには、最も印象の薄いエンディングだそうです。
臨終の場面まではNo.4と同じような流れにあるエンディングNo.5「おもいで」は、そこから急展開します。「もうすぐ命が尽きる自分にできる事は」と考えた加奈が、自分の死後肝臓を香奈に提供するよう意思表示していったこと。いくらHLA型が一致していたとしたって、慢性腎不全に端を発する多臓器不全が命取りになった人間が、臓器を他人に提供できるのか、という疑問を抱くのは間違っているでしょうか? No.2と3では両親の反対を押し切って自ら腎臓を加奈に提供する隆道が、ここでは加奈から肝臓を移植することに頑強に反対するというのも、生きている隆道と永遠の安息にある加奈の違いがあるとしても、いささか解せない気がしました。結局は隆道が承諾することによって加奈の肝臓が香奈に移植され、香奈は生き延びる可能性をつかみます(ややこしい)。
No.5の圧巻は、加奈が残した日記です。最後の帰宅の時、長い思索の末に加奈が達したのは「人が死を恐がるのは、やり残したことがあるから。自分のなすべきことを終えた人は、安心して命をまっとうできる。その時、人は死を克服する力を手に入れる」。だから、まだやるべき事があるのに死ななければならない人が、一人でも命を全うできるように、臓器バンクにドナー登録したのだと。そして加奈がやり残したことというのが「海を見ること」で、海を見に行った日の日記はただの1行──「今日、海を見た。もう恐くない」。ギャルゲーのシナリオが到達した、前人未踏の境地を見る思いがしました。しかしそうすると、No.5に行くべき流れに乗っていても最後の帰宅の日に海を見に行かないとNo.4になるのですが、その後で隆道が加奈の日記を読んだとしたら、隆道は加奈に海を見せてやらなかったことを、一生、悔やんでも悔やみきれないでしょうね。

さて実は、No.4を見たレコード系列の途中から分岐してNo.5を見ることができないかどうか、試してみたのです。ところが変なことに、中等期に霧原親娘に会ったので知的ルート間違いなしと思っていたのに、高等期になるといつの間にか活発ルートに乗り換わっていて、到達したのはNo.2でした(しかもNo.3に行くための選択も出現せず)。攻略本によれば幼少期、初めて加奈の見舞に行った時に「偉人伝『野口秀雄』」を貸すと知的ルートに行くとされているのですが、攻略本に載っているNo.5へのチャート自体が「小説『ぼくたちの小遣い戦争』(を貸す)」となっているうえに、こんなことがあったのですから、活発ルートと知的ルートを分けるのは、1つの選択によってイエスかノーかではなくて、多数の選択が量的に関与している可能性が大きいです。だいたい攻略本の記事というのが、仮説を立てて試験を行って検証するというやり方ではなく、「こんな具合にやってみたらこうなりました」という1つの例を載せているにすぎないのが多いですから。そうでなければ、特定のエンディングへ行くために「この選択はこっちを選ばなければならない」と「この選択はどれを選んでも結果は同じ」の見分けがつくはずです。
(12月17日アップ 2002年1月19日改訂)

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