近江物語

あとがき
 この「近江物語」は、前作「私本落窪物語」を書き上げた直後、余勢を駆って執筆した作品です。
 そもそもの動機は「私本落窪物語」を執筆していた頃、瀬戸内寂聴さんの「女人源氏物語」(小学館)を読んだことです。
 「女人源氏物語」は、源氏物語54巻のそれぞれを、その巻に登場する女性誰か一人の一人称の形で、もちろん原作の逐語訳ではなく、瀬戸内さんならではの創作も加えて再構成した作品です。語り手となる女性は大勢いますが、その中に近江の君と呼ばれる、光源氏の君の親友頭中将の落胤の女性がいます。
 原作の源氏物語では「常夏」の巻から「真木柱」の巻にかけて登場する近江の君は、教養も何もない田舎者として、頭中将の息子達や彼らに仕える女房にまで馬鹿にされるだけの存在ですが、「女人源氏物語」の近江の君は、粗野ではありますが純朴で健康な庶民の代弁者として、王朝貴族たちに対する精一杯の抗議の声をあげています。
 私自身、生まれも育ちも骨の髄まで100%庶民ですから、これを読んだ時、「これだっ」と思い立ちました。
 ふとした運命のいたずらから貴族社会の中へ乗り込んでいった庶民が、庶民ならではのバイタリティを発揮して、周りの貴族たちを手玉に取りながらのし上がっていく、と同時に、庶民の目から見た貴族社会へのアンチテーゼを盛り込んだ作品を書こうと思ったのです。
 もちろん一介の庶民が貴族社会に乗り込み、のし上がっていくことが、尋常一般の手段で易々とできるはずはありません。そこで男主人公は帝の第二皇子と瓜二つであるという設定にし、女主人公は源氏物語の近江の君と同じく、今を時めく権門の落胤であるという触れ込みにします。
 そして帝の第二皇子が疫病で死んだまさにその時、女主人公の策謀によって、誰にも知られずに男主人公が第二皇子になりすまし、二人は一生、周りの貴族たちを欺しおおせるのです。この入れ替わりを決行した時、二人は12歳。恐るべき子供たちです。
 第13章あたりから、米作りに関する話が増えてきます。これは執筆当時、稲作に興味を持っていて、実家の庭に発泡スチロールの箱を並べて稲を植えてみるというようなことをやっていた影響です。
 王朝貴族社会へのアンチテーゼは、第10章で書いた政略結婚の頭ごなしの否定を頂点に、作品中あちこちにちりばめられていますが、中には相当古文に造詣の深い方でなければおわかりにならないようなことを書いた場面もあります。例えば第14章の中程、
「折敷みたいな物を被って、田んぼの中で屈んだり反ったり、(中略)何でも知ってるって訳じゃ全然ないんだな」(男主人公)
「香炉峰がどうこうより、自分達が食べるお米の事の方が、余程大切な事よね」(女主人公)
 ここで二人が槍玉に挙げているのは、誰あろう清少納言です。「枕草子」の中に、中宮藤原定子が清少納言に「香炉峰の雪はどのくらい」と尋ねた時、白楽天の詩にちなんだ機知で返したという段(第278段)がある一方、田植え風景を見て「折敷みたいな物を被って云々」と、何をやっているのか全く理解していないような書き方をしている段(第248段)がある、ということを二人は批判しているのです。

 書き上げてから9年も経って、インターネットで公開するために読み直してみると、やはりいろいろと気になる部分はあります。
 ストーリー構成上まずかったなと思うのは、大きな場面転換のほとんどが、主人公たちの身近にいる登場人物の死によって起こっていることです。
 男主人公の父、母、女主人公の母、帝の第二皇子、帝、五条院、太政大臣、そして最後は疫病の流行によって保守派が全滅する……。
 もう少し、何とかできなかったかな、と思います。
 それから王朝貴族社会へのアンチテーゼにしても、政略結婚の否定など、小説の主人公の台詞としてはあまりにも生硬すぎたと思います。
 この次に書いた作品「岩倉宮物語」では、もっと弁証法的な解決に持ち込むべきだったのですが。
2000年9月24日
2000年9月29日 改訂

↑目次へ戻る ↑↑4号館1号室へ戻る