近江物語

第十章 新帝
 十四日、尚侍と一の宮は、女御参内に準ずる盛大な行列を組んで参内した。参内するとすぐ、清涼殿で帝と対面することになっている。他の女御達の、憤懣やる方ない様子が、内裏中に只ならぬ雰囲気となって張りつめている。だが、左大臣以下錚々たる面々が、威儀を正して組む行列には、女御達も「あやしきわざ」はできない。女房や蔵人に先導させ、一の宮を抱いた尚侍に、左大臣と内大臣が随き従い、東宮も尚侍の一族として加わっている。一の宮を抱いた尚侍の顔は、晴れがましさと言うよりは、他の女御達に対する勝ち誇った気持を露わにしていた。
 清涼殿の東廂に一行は勢揃いした。帝は、簾の中に、脇息に凭れかかっている。左右に侍医が坐っている。帝はこのところ体調を崩し、今日は起きているのがやっとなのを、左大臣が強いて押し切ったのだった。陰気な顔で坐っている帝の前に、尚侍が一の宮を抱いて進み出た。
「一の宮にございます。御覧下さいませ」
 尚侍が言ったその時、帝の暗い雰囲気に当たったのか、一の宮は激しく泣き始めた。帝は帝で、一の宮の顔を見た瞬間、
〈この子、僕の子じゃない!〉
と直感した次の刹那、激しい衝撃の余り、声も出さずに仰向けに昏倒した。
「お、主上! お気を確かに!」
「は、早く、一の宮をお鎮めしなされ、早く」
 清涼殿は、上を下への大騒ぎになった。その騒ぎのさ中、尚侍は一の宮を抱いて、素早く清涼殿から逃げ去った。東宮もその後を追おうとしたが、東宮という立場上、帝の側にいなければと内大臣に諭されて思い止まった。
 帝は、仰向けに倒れた時に後頭部を床に強打したのが災いしたのか、人事不省に陥ってしまった。侍医や僧侶達が大騒ぎする甲斐もなく、再び意識の蘇る事もないまま、夜更けに崩じた。享年十九歳、帝位にある事二年であった。
 突然の諒闇に、天下は大騒ぎとなった。とりあえず践祚の儀が翌日執り行われ、先帝の弟の東宮が、帝位に就いた。二年前から東宮として、いつか帝位に就くことを約束されていた身であってみても、実際に帝位に就いてみると、感慨を新たにするものがある。
〈この僕が、主上と呼ばれる身になったとは〉
 父も母も一介の貧農、およそ栄華とは無縁だった一男児が、万民の上に君臨する、天下に唯一人の帝となったのであった。あの人相見は、この日の来ることを見通していたのだろうか。
 新東宮には、尚侍が産んだ一の宮が立てられた。小野の父院は、昨年一条前尚侍が産んだ四の宮を立坊させたいと願ったのだが、さすがに母方の後楯がなさすぎるため、摂政派・左大臣派とも難色を示したのだった。それから僅かのうちに、宮中の勢力分布は大変動を遂げた。先帝の外祖父、摂政太政大臣家隆は致仕、落飾して政界を去り、代って新帝の外祖父、左大臣雅信が太政大臣に昇り、最大の権勢を集めることとなった。内大臣雅経は、右大臣家周を越えて左大臣となり、新帝の叔父達も続々と昇進して、廟堂の勢力はこの一族に集中した観がある。だがそんな事よりも、新帝の念頭にあるのは、一日も早く尚侍を、正式に自分の妃とすることであった。十一月十五日に即位礼を済ませると、新帝は左大臣を呼んで言った。
「かねてから考えていたことですが、尚侍を女御として入内させたいのです。私としてはできるだけ早く。いかがですか」
 こちらは何しろ帝なのだから、こういった事なら何でも思いのままなのだが、それでも一応伯父の顔を立てて、左大臣に相談したのだった。左大臣は、
「誠に仰せの通りです。ですがそう一朝一夕には行きませぬ。徽子の事もございますし」
 新帝、やれやれという気がした。東宮時代の妃二人も、一緒に女御とせよと言うのだ。
〈面倒なこった。徽子さんの方はともかく、靖子さんも入内させて、妃待遇しなきゃならんのか〉
「徽子さんの事は、わかりますが……右大臣の中の君も、ですか?」
「已むを得ませんな。前摂政家の顔を立てるためには」
 左大臣が言うのを聞いて、新帝は額を押えた。気疲れしたような口調で、
「あの人と私の仲は、どうもうまく行ってないんですよ。子供もない事だし、この際別れて、もっと互いに好き合える公達と結婚させてやりたいんです。その方が、あの人にとっても幸せでしょうし」
 男としての心情が吐露した一瞬であった。ところが左大臣は首を振って、
「主上、ここは前摂政家の顔を立てる方が先です。情に溺れてはなりませんぞ」
 これには新帝、むっとした。男として、自分が愛することのできない女を、一生不幸なままにしておくことの後ろめたさに言い出した事を、こんな風に言われては黙っていられない。売り言葉に買い言葉、新帝は皮肉な口調になった。
「伯父上達公卿の、綺麗事は聞き飽きましたよ。本音を仰言ったらどうです。右大臣の中の君が皇子を産んだら、そして万一、一の宮が先帝のように若くして死んだら、伯父上達が折角、前摂政家から奪い取った権勢は水泡に帰す、それを防ぐには中の君を離縁させるのが手っ取り早い、と思っておられる筈なのに」
 歯に衣着せぬ新帝の物言いに、左大臣は顔色を変えた。新帝は言い募った。
「情に溺れるなと仰言いましたね。しかし、私が思うに、愛し合っていない女を一生今のままに置いておくのが忍びなくて、別れてもっと良い縁を組ませようというのと、当人の思惑を無視して政略結婚させるのと、どちらが人倫に悖るというのか、答えて頂きたい。そもそも私が、中の君にもっと良い縁をと思い至った大本の理由は、伯父上達公卿がよくやる、政略結婚という代物なんですよ。右大臣にも申しておきたい事ですが」
 左大臣は返事もできない。新帝は一層語気を強めた。
「もういい、お退り下さい。
 蔵人頭はいるか」
 右大臣の長男で、新しく蔵人頭兼右近中将に昇進した家資が参上した。
「右大臣を呼びなさい」
 左大臣が退ると、右大臣が入れ替りに参上した。先帝の崩御によって、廟堂での勢力を一挙に失い、前内大臣に官を越された右大臣は、すっかり拗ねている様子がありありと見て取れる。新帝が、右大臣の次女靖子と離縁したいという話を持ち出すと、新帝の予想通り右大臣は、露骨に不快の情を表した。
〈そうだろうな、靖子さんとの仲がうまくいかないのは、元はと言えば全て僕のせいなのに、僕の方から離縁を言い出されたら〉
 右大臣は険しい口調で言った。
「恐れながら申し上げます。靖子との御仲が睦まじくないと仰せられますが、それは偏に、主上が甚だ御冷淡にあらせられる故と承っております。然るに、主上から御離縁をと仰せられるは、甚だ以て理不尽至極にございます。いかなる御叡慮にあらせられるか」
 言葉は慇懃だが、深く憤っているのがよくわかる。だが新帝は、ここで弱気に出てはならぬとばかり、努めて強気に出た。
「でははっきり申しましょう。私は、中の君が嫌いなのではない。姫を、皇子を産ませるための道具としか考えていない、貴方達公卿の考え方と、その考え方から出てくる政略結婚という代物、それが気に入らんのです。人を人とも思わぬ、子を産ませる道具としか見ない、それが人倫に悖る所業でなくて、何だと言うのですか」
 右大臣は反論できない。新帝はやや語気を緩めた。
「恩着せがましいかも知れませんがね、中の君は、名ばかりの妃として後宮で朽ち果てるより、真に中の君を愛してくれる公達と結ばれた方が、本人は幸せだと思いますよ。私は、そうなる事を願ってるんです」
 右大臣は、ようやく反論の糸口を掴んだ。
「し、しかし、靖子は幸せかも知れませんが……」
 新帝はきっぱりと決めつけた。
「一人の女を幸せにできなくて、万民を幸せにできますか。万民の幸せ、これこそが君主の責任でしょう、違いますか」
 やや強弁ではあるが、大義名分としてはこれに勝るものはない。右大臣は黙った。
 やがて右大臣は、苦しまぎれに言った。
「靖子との御仲がよろしくないのは、靖子に縁がなかったと諦めもしましょう……ですが主上、左大臣の中の君は女御として入内させなさって、一方靖子は女御となさらないというのは、いかがなものですかな、公正を欠くというのは、天子として……」
 帝は右大臣の言葉を遮った。
「そんな事だろうと思いましたよ。実は私も、左大臣の中の君との仲は、元からすっかり冷え切ってましてね。何しろ政略結婚でしたから。この際清算しようと思っているんですよ。どうですか、この際二組の政略結婚を揃って解消させたらと思いますがね。幸か不幸か、どちらにも絆となる子供はいないし」
 余りにも意外な事を言い出す帝に、右大臣は呆れ果てて声も出ない。やっとの事で、
「……そ、それでは、女御は一人も立てず、ということに……」
 帝は鼻で笑って、自信満々に言い切った。
「前例のない事ではないでしょう。私だって男です、自分の伴侶は自分で見つけます」
 退出しながら右大臣は、帝の言葉の一々を当惑しながら反芻していた。十四で出仕してから二十五年、今上帝の祖父の兄に当たる洞院の帝から、今上帝の祖父五条院、今上帝の父小野の新院、そして先帝、今上帝と五代の帝に仕えてきたが、こんなに型破りな帝は初めてだ。日々の政務では、右大臣という立場上、公卿会議を主催する事も多いが――この公卿会議というのも、先帝の在位中までは大抵、近衛陣に公卿を集めて行い、その議事録を帝に提出、先帝の場合は議事録も読めないので摂政に提出して決裁を得るのが普通だったのに、今上帝になってからは毎回必ず、紫宸殿の南面した大部屋で開かれ、帝は臨席しなかった事はない――色々と型破りな事が多くて、初めは公卿一同、戸惑う事が多かった。御前会議の最中にも、帝は頻繁に公卿に質問を浴びせる。初めのうちは、宮中の制度や慣習について、よく知らないからきちんと説明してくれ、という程度だったのが、そのうちに、それはおかしいんじゃないか、私はこう思う、と積極的に意見を述べるようになった。帝は、親政を布くことに強い意欲を持っていたのである。外祖父である雅信に、関白の宣旨を決して出そうとしなかったのが、その端的な表れであった。従来は公卿会議というのも、午後から始まって宵のうちに終わり、それからは酒宴が始まるというのが通例だったのが、帝は践祚した翌日、第一回の御前会議を辰の刻(午前八時)に召集して、二日酔で寝坊していた公卿連中の度胆を抜いた。
「一体誰だ、朝っぱらから公卿会議を召集するのは」
 などと言いながら左近衛の陣に集まった公卿に、蔵人頭が連絡に来て告げる。
「今日の会議は紫宸殿にて御前会議とされるよう、主上のお言葉です」
 ここ二年間、御前会議など一度も開かれたことがない。公卿達がざわざわと紫宸殿へ渡ってくると、帝は爽かな顔で高御座に出て坐っている。広間に揃った公卿達に、
「皆さん、お早う。会議の前に、皆さん方に申すことがあります」
 帝は快活に言った。何事かと顔を見合わせる公卿達を前に、帝は言った。
「私はこの度、兄先帝の崩御により、身寡薄ながらこの日本国を統べる帝の位に就きました。拙き身ながら天命を受けた今、皆さん方の経験と知識を支えとして、政を全うすること、それが私の責任であります。
 さて、政とは国を治めることです。国を治めるとは、即ち民を治めることです。民あっての国であり、民あってこそ私達、政に携わる者も生きることができるのです。民の暮しを安んじ、民を幸福にすること、これが政だと、私は考えます。そのためには、まず民を知らなければなりますまい。民を知らずして、どうして民を治められましょうか」
 公卿達は黙って傾聴している。帝はやや口調を改めた。
「しかし、兵部卿という官を頂いてから四年、私の見てきましたところ、果たして皆さんが、どれ程民を知っているか、些か疑問に思うのです。民を知らぬ者が政を執る時、政は民から離れます。民から離れた政は、もはや政とは呼べますまい。
 そこで、些かなりとも民の暮しを知る助けになろうかと、朝早くから会議を召集したのです。今迄公卿会議は、午後から始まっていました。しかし洛中洛外の民は、日の出と共に起きて、生計の途に就くのです。決して夜更しして、昼頃まで眠りを貪るような事はない。日の出と共に起き、働くのが、人として自然な生活ではないでしょうか。ですから今後は、公卿会議は朝から開きましょう。無論、言い出したのは私ですから、私も遅れずに臨席します」
 場がざわついた。帝は、
「何か仰言ることはありますか。私は帝とは云ってもごく若輩、年上の皆さん方の意見には、謙虚に聞く耳を持とうと思います」
 左大臣(この時はまだ太政大臣ではなかった)雅信が、恐る恐る言う。
「主上は今、遅れずにと仰せられましたが、今後も公卿会議は、御前会議とされるお考えにあらせられまするか」
「いかにもその通り。皆さん方がどのように考え、どのような意見を持たれるか、それを知りたいのです。時には私も、疑問に思うことや、私なりの意見などを述べるかも知れません。私は所詮若輩の身、政というものを、おいおいに学んでゆく積りです」
 今度の帝は一味違うぞと、列席の公卿達は思った。帝は一同を見回して言った。
「では始めて下さい。今日の議題は何ですか」
 右大臣が答える。
「ええ、先帝の大葬礼ならびに新帝の即位礼について……」――
 十月始めに行われた秋の除目(人事異動)会議の際も、帝は数日間にわたって、朝から夜更けまで、超人的とも思える体力で、会議に臨席し、公卿達と活溌に意見交換し、申請書類を読んだのだった。摂政も関白も置かれていないので、除目の決裁は全て帝の親裁となる。だからと言って専横を恣にすることは決してなく、各派閥それぞれの意見をよく聞いて、時には当事者に面接までして、除目を親裁したのだった。
 除目が発表されると、古今東西変わらぬ悲喜こもごもの光景が展開する。特に喜んでいるのは、越前や播磨、大和といった大国の国司に任ぜられた人々である。発令の翌日、帝は新任の国司を集めて言った。
「貴方達は国司という、民を安んじ民を富ます現場に最も近い職に就任したのです。任国の民を安んじ、任国を富ませることが、ひいては日本全国を栄え、富ませることにつながるのです。京洛ばかりが栄え富んでも、五畿七道が乱れ、荒れ頽れては、日本は成り立ちません。
 国司を望む人は、皆大国上国の司たることを望みます。しかし下国の司に任ぜられた方に言いたい。大国も下国も、京から赴任する国司にとっては四年間の勤務地にすぎないでしょうが、そこに住む民にとっては、先祖代々住んできた土地であり、その土地が全てなのです。大国も下国も、そのごく一角が全てである民にとっては変わりありません。その民草を安んじ富ませる国司の責任は、大国も下国も同じなのです。これを皆さん、よく肝に銘じてほしい」
 近江の一庶民の子供から身を起こした帝の、心からの言葉であった。前代未聞の詔を賜わった新任国司達は、恐懼するばかりであった。
 除目や、特別な議題がある時の公卿会議ばかりでなく、日常の事務の決裁にも、帝は並々ならぬ意欲を示した。太政官では毎日のように外記政が行われる。これは、太政官内外の様々な事務書類が、少納言及び弁官を通じて集まってくるのを、出席した公卿のうち筆頭の者が次々に決裁していくのだが、ここにも帝は頻繁に顔を出し、重要と思った事項については、慣習を破ってでも自ら親裁するのだった。
 こんな具合で、昼間はここ数代のどの帝よりも熱心に政務を親裁するので、公卿や蔵人達も気を抜けない。そして夜になると、政務で疲れたと言ってさっさと寝てしまい、管絃の遊びや酒宴が目的で参内している公卿連中をがっかりさせるのだった。
 十月十五日、秋の除目も片付いて、前代未聞の詔を賜った新任国司の挨拶回りも済み、上下とも一息ついた日であった。この日も朝から帝は、昨日が物忌で政務を親裁できなかったため、普段以上に精力的に政務をこなしていた。夕飯の後も蔵人頭を呼んで未決裁書類を持って来させて、灯火の下で一通ずつ読んでは、それを決裁していく。
 戌の刻(午後八時)になって、ようやく全書類の決裁が済んだ。蔵人頭を呼んで書類を片付けさせようとすると、蔵人頭は言った。
「主上、皆様お待ち兼ねでございます」
 帝は充血した目をこすりながら、
「お待ち兼ねって、何を?」
「今宵は望月、月見の宴を催されるものと、皆様、集まっておいでです」
〈やれやれまたか〉
 帝は面倒臭そうに言った。
「今日は、昨日の分も政務を執ったから、疲れて宴会どころじゃない、と言いなさい」
 蔵人頭が退って少しすると、左大臣が代って参上した。帝は読みかけた歴史書を閉じ、
「伯父上、何の用です?」
 左大臣は幾分苦々しい口調で言った。
「主上、余りそう宴をお嫌いなさるのは宜しくありませんぞ」
「そうですか?」
「大体主上は、兵部卿宮であらせられた頃から、宴がお嫌いだったと拝見しております。まして践祚なされてからは、毎日御政務でお疲れと仰言って、一度も宴を催された事はない。毎日宴をとは申しませぬが、時々はこう、私共の気持を汲んで下されば……」
 帝はやや意地悪く言った。
「政務に一生懸命になって疲れるのがいけないと言われたら、帝の立場がありませんね」
 左大臣は顔色を変えた。慌てて、
「そ、そんな滅相もない! 御政務に御熱心になられるのは至極結構でございます。ただ、時には気晴しをなさったら如何かと」
「気晴し? 先日気晴しに、東市へ微行しようと言ったら、大騒ぎして止めなさったのは伯父上でしたね、確か」
 何しろ精神構造が上流貴族と違うのだから、こういう事も起こるのだ。左大臣は気まずそうに口を濁した。
「そ、それは……その、御安全のため……」
「それはこの前も聞きましたよ」
 左大臣は顔を上げた。
「それでは一つお伺い申しますが、主上は何故、宴をお嫌いなさるのですか」
 帝は努めて、穏かな口調で言った。
「宴と言ったって、所詮酒を飲むだけでしょう。いい大人が夜中に、酔っ払うまで酒を飲んで、だらしなく居眠りしたり放歌高吟したり、見苦しいですよ。私は別に、酒は嫌いじゃないですがね、したたか酔っ払って正体をなくすまで酒を飲むような飲み方は、好きじゃないんです。私がこう言うと伯父上達は、また始まったという顔をなさるけど、酒は下々の者が一年働いて作った米で造るんです。米を作っている下々の民は、酒を飲むほどの暮しの余裕もないのに、私達がその米で造った酒を、浴びるほど飲んだ挙句には酔い潰れたり嘔したり、翌日一日頭が痛くて寝ていたりするのは、私は見ていて不愉快なんです」
 左大臣は、また始まったという顔をして聞いている。やがて左大臣は言った。
「わかりました。飲みすぎて醜態を曝すのは確かに見苦しい。しかし、詩歌管絃の宴も催されないのは、いかがですかな」
「詩歌管絃ですか。どうも私は、そういった方面には興味が余りないのです」
 すると左大臣は首を振って、
「いやいや主上、それは宜しからざるお考えですぞ。帝たる者、政の能力と学識ばかりでは充分とは申せませぬ。芸術の教養をも御身に着けてこそ、帝たるにふさわしいのです」
「そうは言っても、今から色々な芸術を全部、誰かに師事する訳にもいかないでしょう」
 帝が苦笑して言うと、左大臣は一層熱心に、
「されども、芸術に御理解を示しなさることはお出来になれるでしょう。主上、よくお考え下され。確かに庶民の暮しのために尽力なさる事こそ政の本筋ではありますが、庶民は所詮、諸芸、文化を担う者達ではないのです。私共貴族が、文化の担い手なのです。その文化を、御自身が興味がお有りでないと仰言って蔑ろになさったら、どうなりますか。いかに国が富み栄えようとも、文化を伝え、受け継ぐ者がなくなっては、人々の心の拠り所はどうなりましょう。幾ら下々の者まで、米を飽きる程食べられようとも、詩歌も音楽も廃れては、日本の民は、蛮族と変りなくなるではありませんか。詩歌管絃、芸術文化は、日本の民の心の拠り所なのです」
 左大臣の言葉に帝は、はっと胸を衝かれた思いがした。庶民を富ませることばかりが、政ではないのだ。文化を守り育てることも、政の重要な一面だということを、帝は今更のように思い知らされたのだ。
「全く、伯父上の仰言る通りです。私は今迄、詩歌管絃など閑人の道楽と思って蔑んでいました。芸術を守り育てることも、政の大切な一面だと、今やっと気付きました。では早速、私が守り育てるべき芸術文化とはどんなものか、皆さんに学ぶとしましょう」
 帝は立ち上がった。左大臣が退出して少時すると、十数人の上達部が、御座所の前の広廂に集まってきた。帝は言った。
「芸術に理解を持つことも君主の条件と教えられました。私は芸術には全く疎くて、自分では何もできないから、精々皆さんの腕前の程を聴いて耳を肥やす事にしましょう」
 夜更けまで、様々な楽器の合奏合唱が行われた。楽器や曲目についても、その楽器への造詣の深い者が、帝に説明する。一通り終わってから、帝は言った。
「なかなか楽しい夜でした。今迄このような方面に無関心だったのが悔やまれますよ。
 でも思うんですが、音楽にしても詩吟にしても、芸術の栄えた延喜の御代と、少しも変わっていないような気がします。少なくとも音楽の曲目は。
 私のような門外漢が言うのもおこがましいのですが、今の皆さん方は、延喜の御代の月卿雲客と別の人である以上、考え方も感じ方も違うと思うのです。その違いを音楽に託して、新しい音楽を創り出すことを試みてくれる方はいませんかね。型破りな帝が出てきた当惑、なんていうのも結構、音楽になりませんかね」
 末席の方から笑いが漏れた。帝は耳ざとく聞きつけた。
「宰相中将ですか、笑ったのは」
 帝はにこやかに言ったのだが、当の宰相中将は、帝の勘気に触れたかと思って恐縮して、
「も、申訳ございません!」
 帝は一層にこやかに言った。
「いやいや、それでいいのです。私が言ったのを聞いて、貴方の心が動いたから、笑ったのでしょう。その心の動きを、何かに託して表現することから、芸術は始まるのですから。和歌なんて皆そうでしょう。善や美だけが人の心を動かし歌を作らせるとは限らないのは、末摘花を思い出して頂ければわかるでしょう」
 末摘花と聞いて、場の雰囲気は一挙に和んだ。あちこちから笑いが漏れる。
「さあ、今夜はこのくらいにしましょう。明日も朝から外記政ですから」
 帝の言葉で、殿上人達は立ってゆく。
(2000.8.27)

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