釧路戦記

第三十一章
 ドカ――ン!!
 未明の静寂を破る激しい爆発音。階下から突き上げる衝撃に、私達は眠りを破られた。十一月二十五日、午前五時三分である。
 私は跳ね起きると、鉄兜を被り、無線機を背負い、小銃をひっ掴み、押入の衾を破って二階の廊下へ飛び出した。階下から銃声が聞こえる。私は階下へ通ずる階段を駆け降りた。と、足が滑った。ひどい音を立てて階段から落ちた時、妙な音がした。
 見ると私の足の下に敵兵がいる。背中から飛び蹴りを喰って床に伸びてしまっている。私は反射的に、敵兵の頚椎に鉄拳を叩きつけた。敵兵は動かなくなった。
 また銃声がする。銃声のした方向へ走った。前方を見ると、敵兵が私に背中を向けている。私は銃剣を抜き、首筋を狙って投げつけた。狙いは過たず、銃剣は敵兵の右頚動脈を刺し貫き、その兵は倒れた。私はその兵に駆け寄り、銃剣を引き抜いた。前を見ると、老人が倒れている。私は老人の肩を掴んで揺すった。
「おい、爺さん、何が起こったんだ!?」
 老人は虫の息の下から言った。
「民兵を……召集してくれ」
 老人はがくりと首を垂れた。私は廊下の突き当たりの納戸へ向かって走った。ここに通信機がある。スイッチを入れ、送話器に向かって叫んだ。
「民兵に告ぐ。末広町司令部が襲われた。大至急出動せよ。繰り返す。末広町司令部が襲われた。大至急出動せよ!」
 廊下に足音がした。見ると敵兵が三人。一連射。三人とも倒れた。
 私は店の方を窺った。シャッターが消し飛んでいる。敵兵が数人入ってきた。小銃を連射する。次から次へと倒れる。私は石田と早川に命じた。
「重機持って来い」
 十分後、重機が組み上がった。私は発射準備を整えた。
 やって来たやって来た。敵兵三十。私は思い切り重機を振り回した。
「どうだこれが点五○の重機だ」
 私は叫んだ。敵兵はばたばたと倒れていく。敵兵は全て倒された。
 数分後、十五人ほどの男達が顔を出した。一人の男が言った。
「第一班来ました」
 私は辺りに転がっている死体を指しながら言った。
「第一班はここを守る。これでバリケードを作れ。家の中にもある。ここへ運んで来い」
 誰も動こうとしない。私は怒鳴った。
「こいつらを人間となんか思っちゃいかん! でかい芥だと思え」
 外から沢山の足音が聞こえた。私は誰何した。
「誰だ!?」
 答えは無く、銃声が数発起こった。敵の第二波だ。私は敵兵の死体の陰に隠れて小銃を連射した。民兵達も銃をいる。重機が鳴り響く。一人、また一人、二人、三人、四人、敵を次々に射倒す。敵は退却した。私は民兵に命じた。
「急いでバリケードを作れ!」
 敵兵の死体を積んだバリケードが完成した。この際死人がどうのといった事は言っていられない。とは言っても死臭はやはり鼻をつく。これから後何日になるか知らんが、腐乱しない事を願うばかりだ。
 また敵兵が現れた。私は小銃を構えた。しかしその兵はこの家には向かって来ず、この家に背を向けている。私は一瞬ためらった。この一瞬にその兵は手榴弾を投じた。私はその背に向かって引鉄を引いた。その兵は前のめりに倒れた。二秒ばかり経ったか、向かいの家で激しい爆発。どうも敵は、自警団本部だけを狙っているのではなく、無差別破壊を行っているようだ。私は歯ぎしりした。敵への憎悪が、爆発的に燃え上がった。
「敵の野郎! 一兵たりとも明日までも生かしてはおかんぞ!」
 あちこちで銃声が起こっている。敵の無差別破壊だ。民兵が銃で戦っているのだろう。時々爆発が起こる。敵は手榴弾を持っているのだろうか。あれが有ると無いとでは大違いである。
 敵兵が通りかかった。問答無用、射殺する。
 また敵兵が現れた。と、短い棒のような物を投げてきた。いわゆるダイナマイトである。民兵達が一斉に伏せた。ダイナマイトは私の手の届く所に落ちた。導火線の燃える速度からするとあと三秒ばかり燃える筈だ、と一瞬のうちに判断すると、私はダイナマイトを引っ掴み、道へ向かって投げ返した。やがて耳を聾する轟音。硝煙と爆風の後、私が顔を上げてみると、敵兵はいない。
 と突然、私に向かって激しい銃火が起こった。私は頭を引っ込めた。死体の間の僅かな隙間から覗いてみると、敵兵は二十ばかりだ。遮蔽物もない。私は手榴弾のピンを抜き、敵兵の群の真ん中へ投げ込んだ。頭を引っ込めて……
 不発! 爆音が聞こえない。敵情を窺ってみると、敵は遮蔽物に隠れてしまった。銃を単発にし、一人ずつ狙って発射する。
 敵兵が陰から飛び出してきた。一斉突撃にかかるか。重機の音が聞こえる。私も小銃を連発に戻した。敵兵は次々に倒れる。それにしても、敵の状況判断力の無さには呆れる程だ。これほどの死者を出しながら、あくまで歩兵による突撃に固執している。もう少し判断力があれば、こうまで徒らな損害を出す方法を取り続けるという愚は犯すまい。もっとも、こんな敵を相手に戦うのは本当に簡単だが。何も考えずに銃を振り回していればいいのだ。私の見るところでは、敵兵の訓練度は、本部防衛戦の時に比べて、明らかに低下している。判断力などでは、私達生え抜きの一線部隊員に比べて明らかに劣る二線部隊員、これが大体、本部防衛戦の時の敵兵くらいだが、それより更に劣るのであるから、私達から見ると目を覆いたくなるくらいだ。大体が十日前までこそ泥やかっ払いをやっていたようなチンピラ共である。そんな連中に銃の持ち方だけ教えて前線へ連れてきたような兵士と、私のように訓練から実戦と、二年間鍛え抜かれてきた兵士とが戦ったら、一体どうなるかは火を見るよりも明らかである。これから考えられる事。敵は兵力が殆ど払底している。
 敵の様子を見ていると、弾丸をかなりの時間をおいて射っている。三十八式歩兵銃のような、一発射つ毎に手で遊底を動かす式の銃でも、もっと迅速に弾丸を発射できる。まして敵の銃はいちいち遊底を動かさなくてもいい半自動銃が多いのだから、弾丸が充分あるのなら、もっともっと迅速に発射できる筈である。ということからすると、敵は弾丸も欠乏しているのではないか。
 やがて敵は、弾丸が無くなったのか退散した。私の小銃も、予備弾倉は一個も無い。私は石田に訊いた。
「重機の弾丸はあとどれ位ある?」
「あと一本半です」
 重機も弾丸切れが近い。私は言った。
「弾丸を調達してくるぞ。ここを守ってろ」
「はい、ここを守ります」
 私は二階へ戻って裏の路地へ出ると、東へ通ずる広い道を通って川上町へ向かった。細い道に入った時、前方から銃声と共に流れ弾が飛んできた。私は反射的に道に伏せた。前方を見ると、久寿里橋をめぐって激戦が展開されているようだ。接近してみると、まずい! こちら側にいるのは敵だ。幣舞橋へ回ってみるか。
 幣舞橋へ回ってみると、ここでも大激戦が展開されている。ここの敵の方が強固だ。しかし数多い遮蔽物を使えば、対岸に渡るのは容易であろう。私は敵兵の陣に後ろから接近した。後ろの方に一人、太った兵がいる。私の頭には瞬間的に一案が閃いた。私は息を殺してその兵に接近し、兵の後頭部を一撃した。
 五分後、私は革命軍兵士になり済ましていた。自分の鉄兜と分解した小銃、靴を背嚢に入れ、敵の小銃を持って前の方へ歩いて行った。最前線へ来た時、ここの部隊の指揮官と思われる少尉が言った。
「敵の最前線に、ダイナマイトを投げに行かせよう」
 私はすかさず言った。
「私が行きます」
「よし、これを投げに行け」
 少尉は私に、ダイナマイト二本とライターを手渡した。私は前の方へ走って行った。
 味方の前線まで十メートル。土嚢の陰に飛び込んだ私は、素早く敵の軍服を脱いで、一まとめにして服の下に隠し、我が軍の鉄兜を被り、点火したダイナマイトを後ろへ投げると、味方の前線へ向かって全力疾走した。
「あいつは敵だ!」
「撃て!」
 後ろから敵の声がする。程なく大爆音。いきなり飛び込んできた私に、前線の兵が小銃を突きつけた。私は淀みなく言った。
「矢板正則、東京第一中隊第一小隊長、釧路警備隊所属、認識番号一二三一五番」
 その兵は、黙って銃を下げた。私は南へ向かって歩いた。難なく幣舞橋を渡った私は、本部へ向かった。
 大体の情勢は察しがついた。敵は我が軍の分断を図って、釧路川に架かる橋を占領する作戦に出たようだ。
 本部に着いた。私は本部長に会うなり言った。
「釧路川より北では物資が欠乏しています。一個小隊分の弾薬を下さい」
 本部長は済まなさそうに言った。
「そうしたいところだが……トラックが出払ってしまっているのだ」
 何の為にかはすぐ分かった。矢臼別・三股・茶内・標茶・知安別・阿歴内各兵站基地からの、増援部隊輸送の為に間違いない。
「あとどれ位したら来ますか?」
「今六時十分か。五時十五分に一斉に出発したが……阿歴内からのがあと十五分程度で着く筈だ」
「暫くここで待ちましょう」
 私は窓から、対岸の敵を狙って単発で射た。外は次第に日の出が近づいていた。私が目を覚した時は日の出一時間半前で、まだ辺りは暗かったが、今はもう日の出まで二十分くらいである。
 六時半になったが、トラックの来る様子はない。本部長は気楽に言った。
「何、物資の積み込みが遅れているだけだ。気にする事はない。戦争で予定通りになんか行く訳がないんだから」
 しかし私は一抹の不安を感じた。
 程なく、その不安は現実のものとなった。一人の兵士が、一本の棒に縋りつくようにして私達に近づいてきた。ひどい姿だ。髪は焼けて半分無くなり、戦闘服も焦げている。
「どうした!?」
 本部長は驚いて叫んだ。その兵は敬礼するそぶりをすると、弱々しく言った。
「トラックが……全滅しました」
 私は絶句した。本部長はその兵を坐らせると、鋭い声で問い質し始めた。私は茫然として立っていた。
 やがて本部長が私に向かって言った。
「弱った事になった。敵が、市街から外へ出る道を封鎖しているらしい。先刻出したトラックは、別保川の橋の手前で銃撃されて炎上したという事だ」
「それじゃ、ここは、全勢力を掻き集めて外部との連絡路を確保するという事に」
 私が言いかけるのを、本部長は遮った。
「無理だ。敵は、雪裡橋付近だけで五百はいるという事だ。我が方は何人だ? 四百人もいない。しかも、その半分は川向うにいる。川向うとこっちを結ぶ橋は、全部敵が占領しているんだ。だから、雪裡橋方面に割ける勢力は、たった二百人だ。勝ち目はない」
「どうするんですか、本当に」
「……」
 本部長は黙ってしまった。
 九時三十分、沢山のトラックの音が近づいて来た。外を見ると、我が軍のトラック数両が駐車場に入ってくるのが見える。私は本部長に続いて外へ出た。先頭のトラックを運転している兵に、本部長は言った。
「幣舞橋へ行け」
 兵員を満載したトラックは、轟音を立てて幣舞橋へと向かった。
「あのトラックは阿歴内から来た車だ。とすると四国か中国第三中隊だな。しかし、どこから市内に入って来たのだ?
 どこから入って来たにしてもだ、入る道があったとなれば、そこから茶内、矢臼別、標茶の部隊も入って来られる筈だ」
 本部長は言った。
「順調に行けば――今現在もう順調には行ってないが――午前中には根釧原野の全二十個中隊が移動して来る筈だ」
 私は言った。
「幣舞橋へ行きます。弾倉を下さい」
 私は倉庫へ行き、弾倉と手榴弾を、ポケットに入るだけ入れた。鉄兜の顎紐を締め直して、幣舞橋へ向かった。川を挟んで南に我が軍、北に敵軍が対峙している。敵の方が優勢だ。ここを維持し、北岸の敵を撃滅して、市の南と北を一本の太い橋で繋ぐというのが我が軍の作戦であろう。双方にとって、橋を確保することは味方の交通手段を確保し、敵の交通を遮断することであり、戦闘遂行上極めて重要な事であるから、このためには双方とも全力を投入することとなる。
 中国第三中隊が、橋の南側に展開した。私はその中に加わった。辺りを見ても知らない兵ばかりである。前線へ匍匐前進で進んで行った。遮蔽物が多く、敵の姿は仲々見えない。私は更に前進し、最前線まで来た。銃を単発にして、敵兵が頭を上げるのを待つ。しかし、一向に敵兵は頭を上げない。
 私は引き返した。橋のたもとの建物の陰に中国第三中隊の本部があると本部長は言っていた。この前を通り過ぎようとした時、呼び止める声があった。
「そこの三線、ちょっと来い」
 私は足を止めた。この言い方は無いだろう。声のした方を見ると、四線と三線が一人ずつ、一線が三人いる。私は五人の方へ歩み寄った。
「何の用事です?」
 四線は鋭く詰問した。
「お前こそ何の用事でここにいる? 私の中隊の者では無いだろう。姓名身分を言え」
 敵兵と思われているらしい。私は答えた。
「名前は矢板正則、東京第一中隊第一小隊長、認識番号一二三一五番。現在釧路市警備隊員。警備区域は釧路川北岸、弾薬欠乏により補給の為本部に来ました。以上」
 四線と三線の顔が和らいだ。四線は言った。
「わかった。疑って済まなかったな。私は中国第三中隊の大久保だ。彼は参謀の水野だ」
 水野は会釈した。
「前線の方を見てきたんですが、現在の我が軍の勢力では、膠着状態に陥りそうです。双方共に有力な遮蔽物を持っているので、戦果が全く上がりません」
 私は言った。中隊長は私に質問した。
「それでは、どうすれば良いのかね」
「大型トラックに重機を数挺載せて、敵の中へ突入させたらどうかと思いますが」
 中隊長は苦笑した。
「中々面白い案だな。しかしもう五分早く言ってくれれば実行できたのに。トラックは全部、矢臼別へ向かって出発した後だ」
「……」
 戦線が膠着状態に陥っていることを示すかのように、彼我の銃火は疎らになっている。
「橋を砲撃せずに現状を打開するには、背面攻撃しか無いでしょうね」
 水野が言った。橋を破壊してしまったのでは、敵に与える損害も大きいが我方の不利益が大き過ぎる。従って我方としてはこれは出来ない相談である。
 南大通りの方から、八トントラックの轟音が聞こえてきた。見ると、我が軍のトラックが走ってくる。先頭のトラックが停まり、四線の男が降りてきた。彼は言った。
「私は北陸第二中隊の戸田だ。茶内から来た」
 大久保中隊長は言った。
「私は中国第三中隊の大久保だ」
 戸田中隊長は不思議そうに言った。
「中国第三中隊には参謀が二人いるのか」
 私は答えた。
「私は違います。東京第一中隊の矢板小隊長です」
 戸田中隊長は頷いた。彼は大久保中隊長に尋ねた。
「情勢はどうなってる?」
「見ての通りこの橋には遮蔽物が沢山作られている。そのため、戦局は殆ど進展しない。膠着状態は避けねばならないが」
 大久保中隊長が答える。私は言った。
「そこで、あのトラックに重機二−三挺を積んで、トラックを敵の前線を突破して突入させたらどうかと考えたのです」
 戸田中隊長は首を降った。
「駄目だな。トラックで前線が突破できるとは思えん。八トン車は輸送に欠かせないから、もしやるなら失敗しても損害の少ない二トン車でやるよう忠告しよう。それにだ、本部で聞いたところではもう八トン車が五両も喪われたという事だ。これ以上トラックを失ったら輸送に重大な支障を生ずる。我が中隊も本来トラック七両に分乗してくる筈が五両に詰め込む事態になったのだ」
 慎重論である。私は考えた。トラックが駄目なら、自走砲か戦車だ。
「なら自走砲か戦車でやりましょう」
 戸田中隊長は慎重に言った。
「今やらなくてもいいのではないか? 今やるのでは例え自走砲でも成功は覚束ない。そのうち、標茶の近畿第一、第二中隊が北大通りから背面攻撃をかける。これで敵陣が崩れたらそれに乗じて突撃すればよい」
 私には反論の余地は無かった。私は言った。
「それでは、命令が出るまで待ちましょう。しかし……大方トラックは輸送に使うことになっているんでしょう」
「そうだ。このトラックは標茶と茶内へ行く」
 幣舞橋の南側には広場がある。中国第三中隊は右翼へ移動し、新来の北陸第二中隊が左翼に展開した。
 広場の西側にある四階建の建物が、何故銃座に使われていないのか。私は無線機を使って、本部長に質問してみた。
「幣舞橋南側広場の西側の四階建、あれが何故銃座に使われてないのです? どうぞ」
〈敵が立て籠っているのだ。どうぞ〉
「それなら攻撃させて下さい。どうぞ」
〈さし当って重要課題は幣舞橋の奪取なのだ。だからその建物は放ってある。それに攻撃者は防禦者より不利だ。敵の方が優勢である以上、これ以上我軍が不利になるような戦闘は避けているのだ。その建物の敵も、待機中なのだろう、攻撃して来ない事だし〉
 私は憤然として叫んだ。
「何ですかその臆病風は!! あれを放っといたら絶対に後顧の憂いを残しますよ! 待機してるってのは、我が軍が橋を奪取した後に、それを奪還するためにでしょうが! 私はやります! 以上!」
 一体本部長はどうしてしまったのだ。私は無線機のスイッチを切ると、広場を横切って建物に近づいた。
(2001.2.10)

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