岩倉宮物語

第一部あとがき
 平安時代に舞台を設定して書いた小説「王朝三部作」の最後の作品が、この「岩倉宮物語」です。
 現存する平安時代の物語「落窪物語」に基づいた翻案「私本落窪物語」を、当時の自分としてはほぼ満足のゆく出来栄えに書き上げた後、オリジナル創作に挑戦したのが「近江物語」でした。これも当時の自分としては意欲的な作品だったのですが、いかんせん、数奇な運命の下に生きた一組の男女の半生記という厖大な内容を、原稿用紙400枚弱に詰め込んだ結果、心情描写などに言葉が足りず、いかにも消化不良な作品になってしまった憾みがありました。
 そこで「近江物語」完成後、また新たに構想を立て直して書き始めたのがこの作品です。
 主人公正良は皇族の血筋でありながら、最初は庶民に交じって、親の名前も知らず、極貧の暮らしをしています。これは古典文学の類型の一つ、「貴種流離譚」に属します。普通の王朝文学ですと、その本来の身分にふさわしい暮らしに戻った主人公は、庶民の間に沈淪していた時代のことを思い出そうともしないものなのですが、現代社会に生きる庶民の一人である私が書くと、正良は貴族社会に入り込んだ後でも、心情的には庶民に近いところにあって、常に一歩退いたところから、貴族社会を醒めた目で見続けています。これは「近江物語」の延長線上にあると言えるでしょう。「近江物語」ほど直截には書かなかったつもりですが。
 第一章から第四章までは、貴族社会に入り込んだものの両親を知らない正良が、自分の出自を明らかにしていく話と、最初に入り込んだ貴族社会である播磨守の邸で、まさに運命的な出会いをした澄子との恋物語が縒り合わさっています。執筆当時22歳だった私自身は、現実には全く体験したことのない恋物語を書くのには、それは苦労しました、本当に。
 第五章は一転して宮廷陰謀のサスペンスになります。実はここから先は、氷室冴子さんの王朝ライトノベル「なんて素敵にジャパネスク」シリーズ(講談社コバルト文庫、全12巻)を、主人公を入れ替えて裏側から書いたような形になっています。内容の対応としては、「岩倉宮物語」第五章が「ジャパネスク」第一巻第三話、「岩倉宮物語」第六章が「ジャパネスク」第二巻に相当します。
 ただ、「ジャパネスク」第一巻と第二巻には、正良に相当する人物は登場しません。それを敢えて登場させた結果、「ジャパネスク」第一巻に登場する東宮(「岩倉宮物語」第五章でも東宮として登場します)の役割を、こちらでは東宮と正良が分担するような形になって、多少無理が生じてしまったのは否めません。
 同じように第六章では、正良はずっと黒子のような役回りです。その正良が決定的な役割を演じる機会が、たった一箇所だけありました。それは、「ジャパネスク」では結末で生死不明とされていた性覚(「ジャパネスク」では唯恵という名前で登場しますが)に、単騎追い詰めた正良が止めを刺す、という場面だったのですが、作中の正良が手を下すのを躊躇したように、私自身そう書くことを躊躇して、正良が止めを刺すことにはなりませんでした。
 「ジャパネスク」で性覚の生死を不明にしたのは、読者層を考慮したのと、もう一つの理由があったからではないかと思うのですが、今にして私の作品「岩倉宮物語」を読み返すと、その直後に明かされる真相をより痛切にするためには、正良の手で性覚に止めを刺させるべきだったのではないかと思います。
2000年11月4日

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