岩倉宮物語

第四章
 十一月十五日頃、弘徽殿女御が里退りして来た。光子は早速、東の対屋へ弘徽殿に会いに行き、日が暮れるまで語り合っていたそうだが、私は、同じ邸内にいながら、それが故に弘徽殿に会いに行けないのが、何とももどかしかった。
 夜、部屋で着替えていると、近江が来た。
「若殿様、宜しゅうございますか」
「うん、何だい」
 着替える手を止めて返事すると、近江は懐から立文を取り出し、私に差し出した。
「弘徽殿女御様のお付きの女房の方から、若殿様に差し上げて下さい、といってお預りしたのです」
「女御様のお付きの女房の方から? 何だろうな、光子に仰言りたい事なら、私に文遣いを仰せつける必要はない筈だが……」
 私は訝りながら立文を受け取った。夜着に着替えてから、腰を落ち着けて文を開くと、
〈内密に、御相談致したい事がございます。つきましては今夜、お時間を下さい。子の刻(午前零時)より後に、お一人で東の対においで下さい。西面の右端の妻戸を三度、軽く叩いて下さい、それが合図です。
 尚この文は、すぐに焼き捨てて下さい。決して、誰の目にも触れさせないように〉
 ……最後の一文が気になる。誰にも見せるな、とはどういう事か。何となく引っかかる物を感じたが、合図を覚えて文を火桶にくべると、すぐ光子の部屋へ、近江の先導で行った。
「一月振りに女御様にお会いして、さぞかし話が弾んだろうね」
 帳台に登りながら言うと、光子は身を起こした。
「うん。貴方に東の対へ来て頂けないのを、とても残念がってらしたわ」
 先刻の文の主は弘徽殿に間違いない、と思うと、我知らず苦笑が洩れた。実に虚々しい演技をやってのけたものだ。無邪気で世間擦れしていない光子は、ころりと瞞されてしまったが。
「何が可笑しいの?」
 不思議そうに私を見上げた光子に、
「何でもないよ。それより、……」
 私は素早く顔を引き締めて、話題を転じた。今日宮中であった事や、弘徽殿と光子が話していた事など、あれこれと語らううちに、不意に光子は欠伸をした。
「あぁあ、何か私、疲れちゃった。久し振りにお姉様と会えて、嬉しくてはしゃぎ過ぎちゃったみたい」
 睡たげな声で呟いた光子を、私は床に寝かしつけ、衾を掛けてやった。
「お寝み」
 そう言ってから小半刻(三十分)も経たぬうちに、光子は寝入っていた。私は光子を起こさぬように、そっと帳台を抜け出した。簀子へ出ると、冬の満月の冷たい光が、寒々とした庭を照らしている。もう子の刻を過ぎた頃であろう。私は一人、足音を忍ばせて、弘徽殿女御のいる東の対へと足を進めた。
 西面の右端の妻戸の前で、私は立ち止まった。辺りを見回しても、人の姿は見えない。私は意を決して、中指の節で、コツコツコツと三度、軽く妻戸を叩いた。
 妻戸の閂を外す音がしたと思うと、微かな軋みを立てて、妻戸が開いた。暗い室内に、白い夜着に身を包んだ女の姿が、ぼうっと浮かび上がっている。女は無言のまま、手を差し伸べて私の手を取った。この指の感触は、力仕事をやっている人間のものではない。
 女に誘われるままに、私は室内に入った。女が妻戸を閉め、閂を差すと、辺りは深い闇に包まれた。女は私の手を取って、奥へと導いてゆく。暗がりの中で目を凝らすと、帳台や塗籠が、朧ろに浮かんで見えた。
 女は塗籠の戸を開けた。燭台の光が塗籠の壁に映え、室内を仄かに照らし出した。女は私の背中を押すようにして塗籠に入らせ、肩に手を置いて坐らせると、塗籠の戸にも錠を差した。この音を聞いた瞬間、私は確信した。裾を捌いて私の前に坐り、手を突いた女に、私は小声で尋ねた。
「女御様ですね」
「……はい」
 弘徽殿はゆっくりと顔を上げて、私を見つめた。目が合ったその時、私は弘徽殿の目に現れたその思いを、はっきりと感じ取った。私は我知らず、頬が赧らむのを感じた。
「……それで、何でしょうか、私に御相談なさりたいと仰言る事とは」
 動揺を抑えつつ静かに尋ねると、弘徽殿は微かな衣擦れの音をさせて私ににじり寄った。と思う間に、私の膝の上に腰を移し、上体を私の胸に凭せかけた。女が夫でない男に対して、こんな大胆な挙に出るとは、到底信じ難かった。私は当惑して、微動だにせず端座していた。
 弘徽殿は私の耳に口を近づけると、低く囁いた。
「……私、帥宮様の御子を、頂きとうございます」
 ――驚天動地などと、言うも愚かだ。今しがた弘徽殿の目を隔てる物なく見て、私への止み難い恋慕の思いに溢れている事は察知したが、こんな言葉を、帝の妃の口から聞くとは思わなかった。私は首を捻って、弘徽殿をまじまじと見返した。今や弘徽殿の目は、身の内から溢れんとする思いを湛え、燭台の光を映して煌々と輝いている。
 私が黙っていると、弘徽殿は囁いた。
「驚いてらっしゃるでしょう。いえ、こんな事を申した私を蔑み、厭ってらっしゃるでしょう。でもこれは私の、偽らざる胸の内です。私は法成寺入道関白様、京極関白様の一門に連なる者として、何物に代えても若宮をお産み申しとうございます。若宮をお産み申し、東宮の生母となって、承香殿様を見返してやりたいのです。お父様の御遺志で後宮に参ってから二年、それだけを支えに生きて参りました。苦しく辛い後宮での暮らしも、偏にこの意地一つで耐えて参りました。でも二年余りの間、時は空しく過ぎて行きました。毎月障りが始まる度に、これでまた私の一生の本懐は遂げられる望みが薄くなった、と思う事の繰り返しでした。主上の御寵愛も薄いまま年を経て、素腹のまま老い朽ちてゆくのかと思うと、やり切れない思いの毎日でした。
 そんな時に、帥宮様が光子と御結婚なさったのでした。実は私も永らく帥宮様には憧れておりましたから、帥宮様と結婚できてこれ以上の幸せはないと嬉しそうに語る光子には、愚かな嫉妬の情を覚えた事もございます。何と申しても帥宮様は、妹にも等しい光子の婿君に収まりなさった御方ですもの。それでも浅ましくも私の胸に宿った、帥宮様をお慕いする心は、どうしても消せなかったのでございます。そんな折も折、帥宮様は主上の御前で、かの傍若無人な承香殿様を叱って下さいましたね。あの傲岸不遜な承香殿様が、私にお詫びめいた事を申されたのは、あの時が初めてです。あの時私は、思い定めましてございます、私が御子をお産み申し上げる御方は、帥宮様を措いて他にはいらっしゃらない、主上とても、私の血を分ける子の父となるには値しないと。その後、主上が藤壷様の三の妹君を御入内させなさる御意向をお持ちと伺って、一層その思いを固めましてございます。帥宮様は既に、光子の腹に御子を儲けられた御方、光子とそれ程の御縁を結ばれた御方にこんな事を申すのが、道理に背き、人倫に悖る愚かな事とは、百も承知でございます。ただ帥宮様には、私の思いの程を知って頂きたかったのです」
 弘徽殿は、微動だにせず沈黙を守っている私の目を、真向から見つめて言った。
「帥宮様。私を厭われるのなら、はっきりそうと仰言って下さい。いいえ、お言葉を賜るのさえ嫌と思召しなら、態度でお示し下さい。突き放すなり叩くなり、何なりとなさって下さい。そうして頂ければ、私も潔く諦める事が出来ます。曖昧にじらされるのは、辛うございます」
 私は、じっくりと考えた、三年前の事を思い出しながら。あの時の考えは、帝の妃を盗み、盗まれた妃の心が帝を離れれば、それが帝への復讐になる、というのだった。第一弾として桐壷を盗んだところ、桐壷の心が帝を離れたかどうか、それはわからないが、男子が生まれ、東宮に立てられた。罪の意識に怯える桐壷が秘密を漏泄しないようにと、あれは純然たる自己保身から出た考えで、東宮を位から下ろそうと画策した。その途中では晴子と厳しく敵対し、一度は晴子の殺害を決行した程だ――失敗に終わったが。あのような事はもう御免だ。それに比べて今の状況はどうか。弘徽殿の心は、既に帝を離れつつある。且また弘徽殿は、男子を産んで、承香殿を見返してやりたいと決心している。承香殿には私も、含む所大である。私が弘徽殿と通じて子を儲ければ、そしてもしその子が男子であって、東宮に立てられれば、承香殿を見返す事によって、あの承香殿を苦しめ、ひいては帝をも苦しめる事ができよう。それは私の、大いに望むところだ。弘徽殿は桐壷と違って、自ら共犯者たろうと決心しているのだから、罪の意識に怯えて私の手を煩わすような事はないであろう。更に、うまく隠しおおせるならば、私は帝から弘徽殿のみならず、皇統をも奪い取る事ができる、帝に知られる事なく。帝は苦しみ悩む事はないだろうが、逆に言えば帝に何も悟らせる事なく復讐を成し遂げる事こそ、最も完全なる復讐の成就と言えないであろうか。
 私の意識の中から、一切の迷いが消えた。私は弘徽殿の瞳を見つめて、静かに問いかけた。
「後悔なさいませんか」
 弘徽殿は、僅かにかぶりを振った。
「では……」
 呟きながら私は弘徽殿を、そっと抱き締めた。目を閉じて口を半開きにした弘徽殿に私は顔を寄せ、その唇を捕えた。頬に感じる弘徽殿の息遣いに、私も陶然となって……。
 ……どれ位の時間が経っただろうか。私は弘徽殿を抱き締めた腕を緩め、唇を放した。幾分潤んだ目で私を見つめる弘徽殿に、私は囁いた。
「私の子をお産みなさりたいと仰言いましたが、では具体的に、どうなさるお積りなのですか」
 弘徽殿は首を振った。
「それはまだ、何も……」
 やれやれ。感情が先走りして思考が追い付かない、という図だ。ここは私がこの頭脳を以て、一から十まで作戦を教授してやらねばなるまい。
「では私が、然るべく考えます。私としては何よりも、安全第一で行きたい。そのために、いつ、どのようにするかを、私が考えて差し上げます。追って文を差し上げますから、今日は、これで」
 すると弘徽殿は、今一度唇を求める仕草をした。私は弘徽殿の頭を軽く引き寄せて、唇を重ねた。舌が絡みつくような濃厚な接吻は、弘徽殿の心が急速に私に傾きつつある事を悟らせるのに充分だった。
 私は弘徽殿をそこに残して塗籠を出た。微かな明りを頼りに妻戸に辿り着き、閂を外して簀子に出た。影は幾分動いている。足音を忍ばせて東の対を後にし、西の対へ戻ると、まず私室へ行って、懐紙で唇を拭った――先頃、参内する前に光子と唇を重ねたところが、唇に紅が残っていて宮中で冷やかされた事があるので。それから足音を忍ばせて光子の部屋へ行き、帳台の内で眠っている光子の隣に身を横たえた。
 翌朝、朝飯を食べている時、光子がふと、
「そう云えば貴方、昨夜私に『お寝み』って言ってから、何してたの?」
と意外な事を言い出した。
「何してたって? どうして」
 私がさりげなくとぼけると、光子は箸と椀を台盤に置き、はったと顔を上げて、
「夜中に目を覚ましたら、貴方、いなかったわよ。この帳台から出て、どこへ行って何をしていたのよ?」
 怒気をすら含んだ声で私を詰問する。私の行動に不審の念を持っているのは間違いない。それが、変な思い込みから嫉妬に変わってゆくような事になっては面白くない。私は箸と椀を置き、姿勢を正した。
「じゃ言おう。昨夜着替えている時に、近江が来て、話したい事があると言ったんだ。急な用事じゃなさそうだったから、光子が寝てからにしてくれ、と言って、ここへ来たんだよ。光子が寝てから、近江の部屋へ行って、少し話したんだ」
 私が着替えている時近江が来た、というのは疑いのない事実だ。それ以上の追求はしないだろう、と思っていると、
「話しただけ?」
 妙に含みのある声で喰い下がる。私が光子という妻がいながら近江とやる事やるような、そんな節操のない男に見えるか!? と怒鳴りつけては大人気ない。私は悠然と応じた。
「そうだよ。私と近江は、主人と筆頭女房、それ以上でも以下でもない。変に勘ぐるなんて、光子らしくないよ。どうしたと言うんだ、一体」
 私が些かも動じないので、光子も一人で気色ばんでいるのが気恥しくなったのか、少し俯いて、
「だって……昨夜みたいな事、初めてだったんですもん」
といつもの少し甘えたような、しかし消え入りそうな声で言った。
「そうか、それは悪かったね」
 しゅんとしている光子を元気付けるように私は、努めて明るく、笑顔を作りながら、
「さ、もういいだろう、済んだ事だし。くよくよすると、お腹の子に良くないよ」
 すると光子は、何を思ったか台盤を横へどけ、私の前にいざり出て来ると、いきなり私の胸に身を投げ出してきた。箸と椀を両手に持っていた私は光子を抱き止める事もできず、粥をこぼさずに椀を台盤に置くのが精一杯だった。右手に箸を握ったまま、押し倒されそうになりながら光子の体を抱え、
「どうしたの」
と尋ねても光子は答えず、黙って私の胸に顔を埋めている。肩を小刻みに震わせ、鼻を鳴らしているのに気が付いて、
「どうして泣くの。光子に泣かれると、私まで悲しくなってしまうよ」
 精一杯優しく宥めてやると、光子は顔を伏せたまま、途切れ勝ちに呟いた。
「私……私ったら……貴方が、お腹の赤ちゃんの事まで心配してくれてるのに、醜い嫉妬なんかして……こんな醜い心の私、嫌いになった?」
 私は光子の頭を撫でて言った。
「嫌いになんかなるものか。自分で自分の心を、そんな風にちゃんと見られるって事は、大変立派な事なんだよ。それができる光子が、醜い心を持ってる筈がないじゃないか。本当に醜い心の人っていうのはね、自分の心の醜さを認めようとしない人の事だ。それに比べたら光子は、とても美しい心を持ってるんだ、嫌いになんかなるものか、もっと好きになったよ」
 光子は顔を上げた。その顔からはもう涙は消えて、名前の通り光り輝くような純真な微笑みが溢れている。私は感情の奔るまま、光子の唇を捉えた。唇の端に、粥がこびり付いていた。
 ふと人の気配を感じて横目で見ると、台盤を下げに来たらしい年嵩の女房が、何とも居づらそうに坐っている。私は全身が痒くなるような極まり悪さを感じて、光子を放した。
「あの……お下げしても宜しいでしょうか」
 女房の声に光子も我に返って、後ずさりしながら居ずまいを正す。私は椀を取って、粥の残りをかき込んだ。
 私は参内する牛車の中で――本当の事を言えば私は、血の穢れを持って退出してきた弘徽殿の、部屋に入ったのみならず、抱き合って唇を重ねさえしたのだから、弘徽殿の穢れに触れた事になり、参内など以ての外なのだが、その事は極秘である以上、参内を休んで不審がられる方が困ると、天を恐れぬ所業に及んだのだ――考え込んでいた。あの時弘徽殿が、「誰であれ」と言ったのは、光子がいみじくも言った通り、帝でなくても、という意味だったのか。それはさておき、双方合意の上で事に臨むに際して、その段取りを私一人で考えなければならない。今回は桐壷の時と違って、向こうもその気なのだから、少々の無理は利くかも知れないが、だとしても事は慎重の上にも慎重を期して運ばなければならないのは言う迄もない。私が弘徽殿と密通したなどという事が露見したら、誰よりも悲しむのは、他でもない光子である。私が罪を得て流されるような事になれば、既に私の子を身籠っている光子を、どれ程の悲しみのどん底に突き落とすか、想像するだに震えが来る。いや、光子に味わわせるのは悲しみには留まらない、むしろ怒り――自分と結婚し、子まで儲けながら、姉にも等しい弘徽殿と密通するという、許し難い背信に対する怒りだ。私が罪を得て流されるのが、他人の失脚を図ったというような事によるのであれば、光子は私に同情を禁じ得ないだろうが、自分という天下に認められた正妻を差し措いて他人の妻、それもよりによって実の姉にも等しい弘徽殿と密通した事によるというのでは、光子は私の裏切りを、憎む以外に何もし得ないであろう。さらに累は、生まれて来る子に及ぶ――光子が産む子と、弘徽殿が産むかも知れない子の両方に。弘徽殿が産むかも知れない子は、不義の子という宿命を一生負い続けなければならないし、光子が産む子とて、不義の子ではないものの、「私」、「帥宮」――「弘徽殿女御と密通した」という前置き付きで呼ばれる――の子である限り、一生世間から後ろ指を差され、日蔭者としての人生を強いられよう。それのみならずその子は、母たる光子の目に、どのように映るだろうか。許し難い背信行為を働いた、憎んでも憎み切れぬ私の、血を分けた子であれば、縦え自分の子であっても、母として愛し得るだろうか。私がどんな背信行為を働いても、子には罪はないと黙って受け容れてくれるような、それ程の度量が光子にあるか、私には断言できない。母の愛を受けられない事、これがどんな事であるか、私は知りすぎる程知っている。私の血を分けた子を、そんな不幸に合わせたくない。だから、計画は慎重の上にも慎重を期さなければならないのだ。
 幾らも考えないうちに、作戦の大略はまとまった。つまり、こういう事だ。弘徽殿の主である女御は、月に一度、五日ばかり退出するが、女御が弘徽殿にいる時でも、女房達は代る代る、月の不浄のために退出する。そこで女御を、月の不浄のために退出する女房の一人に変装させて、後宮から脱出させる。後宮を脱出した女御は、どこかで私と落ち合って、五日間せっせと――子を産むための労働に励む、という寸法だ。勿論、その五日間に、もし帝が女御を召すような事があったら万事休すだから、それへの予防線は欠かせない。女御が五日間、後宮に留まったままで、尚且外部の者と――できれば女房達とも――面会謝絶になる、という状況を、どうやって作り出すか、それが問題だ。何にしても必要なのは、女房全員が完璧に口裏を合わせて、誰にも不審がられずに女御一人を後宮から脱出させる事、この一点に尽きる。
 確実に女御を懐妊させるのであれば、女御に仮病でも使わせて、一ヵ月か二ヵ月間退出させ、その間ひたすら、という手も考えられる。しかしこれでは源氏物語同様、月が合わなくなって露見する事は必定だ。よって却下。
 女御が後宮に留まったまま、外部の者と面会謝絶、という状況を作り出す事は、実は案外簡単なのではないか。そもそもさる七月、承香殿女御と激突したのは、承香殿女御が物忌中にも関わらず弘徽殿へ押しかけて来た事が原因ではなかったか。あの時承香殿が、月の不浄だったのではあるまい。その時の物忌というのを、もっと重くすれば、周りの女房とも会えず、声も聞かせられぬ、という状況を作り出す事は可能だ。
 では次に、その作戦をいつ決行するか、という事だ。私が以前、桐壷と唯一度の契りを結び、そのたった一度の契りで桐壷が懐妊したのは、月の不浄からほぼ半月後の事だった。そうすると、現在続いている月の不浄から半月後、つまり十一月末から十二月初頭が、最も確実に弘徽殿を懐妊させられる時期という事になるだろう。その次となると年末から正月にかけての頃で、その時期に女御を後宮から連れ出すのは面倒だ。
 私は帰邸すると、立案した作戦を文にまとめ――実行期日を十一月末から十二月初頭と指定した根拠だけは、私自身の経験とは書かず、唐の医学書に書いてあった事の又聞きと書いたが――、厳重に封をして、近江に手渡して言った。
「昨夜私宛の文を取り次いだ女房に、この文を渡してくれないか。女御様に差し上げて欲しい、と言って」
「承知致しました」
 近江は一切の詮索をせずに文を受け取り、さっと退って行く。その後ろ姿を見送りながら私は、この作戦を確実に遂行するために欠かせない協力者の人選を考えていた。何と言っても殿舎を一歩出る事すら容易にはできない女御に、五日前後もの間後宮から脱出させるのだ。余程秘密を守れる人間を選ばなければならない。私の周りで言えばさしずめ近江あたりだが、弘徽殿の周りに近江に匹敵する程頼りになる女房が、どれ程いるだろうか。理想を言えば弘徽殿側の協力者は三人欲しい。その中一人は、本当に十一月末から十二月初頭に月の不浄が来る人間であること。つまり、この第一の協力者が退出するという触れ込みで、弘徽殿女御を退出させるのである。時を同じくして女御は厳重な物忌で面会謝絶になり、殿舎の一角に籠居して外部との接触を断つ、という触れ込みにする。実際に殿舎に籠居するのは、女御の替玉となる第一の協力者だが。替玉の女御と外部との唯一の窓口を務めるのが第二の協力者。この者は特に人選を要する。計画がうまく行くかどうかは、この第二の協力者次第なのだ。第三の協力者は、後宮を脱出してどこか(この高松殿は使えない)に隠れる女御の、身の周りの世話をする者。これはもし手当てできなければ、私の方から出してもいい、余り重要な者ではない。この三人の人選についても、女御に送った計画書に書いておいた。計画書の最後に一筆、「光子に不審に思われる惧れがあるから、邸内での往来や文のやり取りは控えた方が良かろう」と書き添えるのを忘れなかった。
 四五日後、女御が参内したその日の夕方、私は弘徽殿を訪れた。近頃では帝も毎度の事と思っているのか、私が一人で弘徽殿を訪れるのをさほど気に留めてもいないらしい。
 女房を退らせ、私を簾近くまで招き寄せると、開口一番弘徽殿は、
「余り日もございませんね」
と言った声には、近づいた作戦を前に、全身の内から湧き上がってくる意気込みが潤み出ていた。昨年の夏、烏丸殿に単身乗り込む直前の綾子の声を思い出す。
「女御様に御協力申し上げる女房達の人選は、お済みですか」
 私が小声で尋ねると、弘徽殿は淀みなく答えた。
「御文の通り、選んでありますわ。私の替玉には朝霧と申す、先頃まで女童だった者、ここの留守を守るのは、左近と申す乳姉妹、三人目は出雲と申します者です」
「成程。しかし実に丁度良い具合に、この月末に、その、障りが起こる者が女御様のお側近くにいましたね。実はそこのところが、一番心配だったのですよ」
 こんなにもうまい具合に事が運ぶとは、正直言って予想していなかったのだ。すると弘徽殿は、何でもないように言った。
「本当は朝霧は、来月五日頃に来る筈なのですよ。でもまだ子供ですから、五日や十日ずれても、誰も不思議に思いませんわ」
 ……しかし、年頃の男女が昼日中から何を話し合っているかと思えば。私は話題を変えた。
「それで、場所ですが、私の前いた邸という事にしましょう。五日程続けて高松殿を空けるとなると、それ相応の口実も要りますから」
「そうですわね」
 その後、細かい段取りについて話し合ってから、私は宮中を退出し、以前いた本邸へ行った。当日、すぐ行動にかかれるように、今のうちに準備しておく必要がある。寝殿の北面にある局の一つを、その場所と定めて、衾やら褥やらを運び込んだ。
・ ・ ・
 十一月二十九日、いよいよ作戦決行の日である。午前中に参内した私は、すぐに弘徽殿へ行った。すると前以て示し合わせておいた通り、左近が顔を出し、わざと辺りに聞こえるような声で言った。
「女御様には御夢見のお悪うございました故、本日より暫く、厳重な御物忌に服せられる由にございます。どうか、お引き取り下さいませ、申訳ございません」
 言い終わると左近は、扇の陰から覗かせた片目をつぶって見せた。私は、これまた聞こえよがしに、
「悪しき御夢見とは、残念至極です」
 それから左近を捕まえて耳打ちした。
「女御様と出雲は、もう退出されたか」
 左近は私を見上げて、黙って頷いた。私も黙って頷くと、そそくさと弘徽殿を後にした。
 やがて帝が私を召した。
「弘徽殿が、夢見が悪かったと言って物忌に服しているそうだな」
「は。実は私も、先程伺ってお付きの者に聞いて、何か不吉な事ではと御心配申し上げているのです」
 私が虚々しい台詞を流すと、帝は納得が行かないという顔で、
「変な事もあるものだな。昨夜弘徽殿を召した時には、そんな様子は微塵もなかったのだが……」
 昨夜召したぁ!? と、いう事は、弘徽殿は昨夜一晩、帝と一緒にいた訳だ、それなのに夢見が悪かった、なんて言ったら、ちょっとまずいぞ、これは……。
「恐れながら臆測致しますれば、弘徽殿様は今朝、殿舎へお戻りになってから、今一度お寝みになられたのではございますまいか。その折に、悪しき夢御覧になったのではないでしょうか。明け方目が覚めて寝直した時には、よく夢を見るものです、私なども」
 どんな些細な瑕から、破綻しないとも限らない。何とかそれらしく言ってやると、帝は納得したようで、
「そうだろうな。冬の朝暗いうちに目が覚めて寝直すと、確かによく夢を見る。私もそうだ」
と言っただけで、それ以上追求しなかった。私は内心、ほっと肩の力を抜いた。帝の不審を買わなかった事のみならず、買わずに済む見通しが立ったからだ。もし今日から数日の間に弘徽殿が懐妊した(他ならぬ私の子を)としても、昨夜帝が弘徽殿を召したという事実が厳としてある限り、月勘定の点で帝に不審の念を持たれる事は決してあり得ないからだ。勿論、昨夜弘徽殿が帝の子を懐妊している可能性もあるのだが、それならそれで良しとしよう。
 昼過ぎに私は宮中を退出し、本邸へ行った。車宿には、どこにでもあるような地味な網代車が停まっている。私の牛車だが、参内には使わず、吉野へ旅行した時や、遡れば晴子を内裏から拉致した時に使った車だ。
 邸は少数の留守番がいるだけで、随分静かになってしまっている。留守番の一人を呼んで尋ねた。
「この前言った、方違えに来る二人の客人は、もう来ているか」
 留守番は何事もないように答えた。
「は。辰の刻過ぎにお見えになったので、寝殿の北面東端の局にお通し致しました」
 段取り通りだ。弘徽殿と出雲の二人を本邸に入れる口実として、私の知り合いの邸に勤める女房二人に、方違えのため数日間局を貸す、という事にしたのだ。北面東端の局は、留守番の者達の雑舎から一番遠い。物音が聞こえないように、という配慮である。
 局の戸を軽く叩くと、戸を開けて顔を出したのは出雲であった。私と目が合うと出雲は、
「どうぞ、お入り下さい」
 私は軽く頷いて、すっと局に入った。局の狭さには不釣合な程に、几帳や屏風が立てられているが、これも私の計算に基づく。朝のうちから火桶で暖められた部屋の中を通って、一番奥の几帳の前に私は坐った。几帳の垂布には、端坐している弘徽殿の影が仄かに浮かび上がっている。軽く咳払いして注意を喚起してから、
「帥宮です。お入りして宜しいですか」
 几帳の中からは、聞き慣れた声で、
「どうぞ」
 私は几帳の垂布を掻き上げて、几帳の中へと膝を進めた。褥の上には弘徽殿が、若女房に相応しいような装束に身を包んで坐っている。私を見て浮かべた艶然たる微笑みの中に、幾分かは照れのようなものも感じられる。
「その御装束は、朝霧のですか」
 私が尋ねると、弘徽殿は頷いた。
「ええ。何か恥ずかしいですわ、濃色の袴は」
 濃色の袴は、未婚の女性が穿く物である。膝に目を落として照れ笑いする弘徽殿に、私は、
「結構お似合いですよ。それに……私とは、初めてなのですから」
「まっ」
 上目遣いに私を睨んだ弘徽殿に、私はにじり寄ってその肩を抱き寄せた。弘徽殿は私の胸に体を凭せかけ、腕を私の首に回して来る。唇を重ね合わせたまま、私達は褥の上に倒れ込んだ……。
 ……物に憑かれたかと思う程、執拗に私を求め続けた弘徽殿も、さすがに疲れたのか、私の腕の中でしどけない姿で眠りに落ちている。私は静かに起き上がると、身繕いにかかった。身繕いを済ませて立ち上がろうとした時、直衣の裾を掴まれた。振り返ると、眠っているとばかり思っていた弘徽殿が、胸乳を露わにしたまま起き上がり、私の直衣の裾に縋り付いている。私を見上げるその瞳は潤み、無言のうちにも熱く訴えかけるものを感じる。私は坐り直した。
「もう、行ってしまうの……」
 弘徽殿は、私の顔を見つめて呟いた。私は頷いた。
「明日また、必ず参ります」
 すると弘徽殿は、嫌々というように首を振って、甘えた声で、
「嫌、行かないで」
 やれやれ、弘徽殿も女だ。私は真顔で弘徽殿を諭した。
「聞き分けのない事を仰言らないで下さい。私達の事は、誰にも悟られてはならないのです。就中光子に。今迄ずっと仲睦まじく過ごして来られた光子と、憎み合う仲にはなりたくないでしょう。光子に悟られないためには、夜にならないうちに高松殿へ帰らねばならないのです。お分りですか」
 光子の名を持ち出されると、弘徽殿も理性が戻ったのか、黙って頷いて、直衣の裾を掴んだ手を放した。
 高松殿へ帰った私は、いつもしているように、今日宮中であった事を光子に話して聞かせた。弘徽殿が夢見が悪かったため物忌に服すという話は、昼のうちに高松殿に伝えられていたらしく、光子も頻りと弘徽殿の身を案ずる。その様子が、真相を知っている者から見ると何とも可笑しいというよりも哀れで、私は複雑な心境だった。
 十二月四日まで、私は毎日、午前中参内し、午後から自邸へ行き、夕方高松殿へ帰る日々を送った。毎日弘徽殿に求められるまま、濃厚な交歓を繰り返して高松殿へ帰ると、光子と事に及ぶ精力など、幾ら私が強健でもどこにも残っていない。それでも幸いな事には、光子は懐妊しているので、その事は余りやらないようにと二条に言われているらしくて、二日や三日間が空いても光子の方からは求めて来ない。それでも五日も空くのはさすがにまずいから、三日目には弘徽殿との方を少し抑えて、光子と衾を共にした。
 もう六ヶ月目に入っている光子は、急に膨らんできた腹に腹帯を巻いて、立居振舞いもどことなく大儀そうである。それでも、生まれて来る子について、男か女か、私と光子のどっちに似ているだろうとか、何という名前にしようか、などと言っている時の顔には、新しい生命の母となる事を無上の幸福と思い、その希望と喜びに浸り切っているのがありありと表れている。気の早い事と思いつつも相槌を打ちながら、腹帯の上から光子の膨らんだ腹を撫でていると、何かが動くのを感じた。
「あ」
 私と光子は、思わず顔を見合わせた。
「光子、もしかして、これ、お腹の子が!?」
 口走った私に、光子も興奮を抑え切れぬ様子で、
「そうよ、きっとそうだわ!」
と言い終わらぬうちから、両の目に涙を浮かべて、
「ああ! 本当に、本当に貴方の子が、私のお腹に宿っているのね! 私のお腹で、生きてるのね!」
 私の子が、光子の腹に……と思ってしみじみとしたのも束の間、一つの事に思い当たって、はっとした。今この瞬間にも、「私の子が」、「弘徽殿の腹に」宿っているかも知れないという事に。私も弘徽殿も了承した上での事なのだから、と思っても、何も知らない光子に対する重大な背信行為には違いないと思うと、何か背筋が薄ら寒くなるような気がした。
 左近からは毎日文が来たが、二日目、十二月一日の文には、雅信少将が殿舎に来たと書いてあった。少将もその前日まで五日程、物忌と称して欠勤していたのだが、弘徽殿が夢見が悪かったために物忌に服していると聞いて、一言見舞でも言いに来たのだろう。美貌の若公達が来たとあって、女房達が簾の向こうに鈴なりになっていたと書いてあるのが、何とも浅薄ではある。
 私は弘徽殿に文を読んで聞かせてから、弘徽殿に尋ねた。
「少将が弘徽殿へ参るようになったのは、いつ頃からですか。前はこちらへ参ったのを見た覚えは余りないのですが」
 少将は弘徽殿の血縁ではないから、そうそう弘徽殿を訪れる事もない、私が藤壷や承香殿を訪れる事が滅多にないように。私の問いに弘徽殿は答えて、
「そう、十一月に入ってからですわね。それ迄は全然、少将になった挨拶にも参らなかったのに、十一月の初め頃からちょくちょく来るようになりましたわ」
 ちょくちょく、と弘徽殿が言ったのが、妙に気になる。
「何ででしょうね。もしかして少将は、女御様に気があるのでは」
 深い意味はない出任せを言うと、弘徽殿は笑って打ち消した。
「まさか。大体少将は、女ですわ、私の目に狂いがなければ」
 何と弘徽殿も、私と同じ事に気付いていたのか! 私は軽い驚きを含めた声で呟いた。
「女御様も、お気付きだったのですか」
 弘徽殿は興味深そうな声で尋ねる。
「女御様も、と仰言るからには、帥宮様もそうお考えだったのですか、少将は女と?」
 私は深く頷いた。
「そうです。元服以来ずっと見て来て、様々な状況証拠と併せて、到達した結論です」
 弘徽殿は、ゆったりと溜息をついて、笑いを含んだ声で言った。
「やはり帥宮様は理詰めでお考えになる、本当の男ですわね。私は違いますわ。初めて御簾越しに対面した時、肌で感じたのですよ。いいえ、感じたと申すのは間違いですわね、少将と対面した時、感じなかったのですよ、『男』を」
 これが、女の直感という物か。いや私も、少将の正体に疑問を抱く契機となったのは、元服する少将の体から、十七歳という年齢相応の「男」を感じ取らなかった事だったのだ。
「『男』を感じなかったのですか。やはり女御様は感覚を重んじなさる、本当の女ですね」
 弘徽殿の口調を真似て言うと、
「まあ、帥宮様!」
 気色ばんだ声を上げた弘徽殿だが、その声には笑いと、一種の媚態が含まれていた。
 だが私は、内心甚だ心強い思いであった。少将が本当は女であると考えたのが、私の深読み癖から来る思い込みでないとわかったからだ。弘徽殿が女の直感で感じ取ったというのは、理詰めで考え抜いた私とは拠って立つ所は異なるが、到達する所は同じである。
 十二月五日が、作戦の終了日であった。前日の夕方、弘徽殿との最後の情交を終えた後、私は出雲を呼んで、明朝参内する手筈を再確認した。出雲と左近の連絡も密接に行き、明日の参内の手筈は整っているという事である。万事、私の仕組んだ通りに進んでいる。あとは弘徽殿が、私の子を懐妊しているかどうか、しかしそれは人智の及ぶ所ではない。
 翌朝私は、いつもより少し早目に参内して、弘徽殿の参内を待った。予定通りの辰の刻、東の宣陽門の方から通ずる渡廊を、出雲に先導されて、朝霧の装束に身を包んだ弘徽殿が歩いて来た。周りの者に不審に見られないよう、私に対しては女房が取るような礼を取るが、その目は異様に輝いていた。
 弘徽殿と朝霧の入れ替りが終わったと思われる頃、左近が現れ、清涼殿へ弘徽殿の物忌が解けた旨を報告に行った。左近が戻って来るとすぐ、帝が来ると先触れがあった。
「おや、帥宮ではないか」
 女官に先導されて入って来るや、帝は私を見つけて言った。その帝の顔を私は、顔色一つ変えず、平然として見上げる事ができた。後ろめたさや良心の呵責、罪の意識や恐怖といったものは、毛の先程も感じはしなかった。それどころか、弘徽殿は元々私の妻であり、帝の妃でも何でもないのだ、という錯覚すら感じていた。
「夢見が悪かったとかで、長い物忌だったが、そなたも元気そうで何よりだな、顔を見て安心した」
 何も知らない帝が弘徽殿に言うのに、
「主上には、お変りもなく」
 素っ気なく紋切型の台詞で答えた弘徽殿の言葉の底には、普通の人には恐らく感じ取れないであろう程微かな、しかし感じ取る者は震え上がらずにはいられないような、この世の物とも思えぬ冷たさが横たわっていた。弘徽殿は無言のうちに、帝を冷たく突き放していたのだ。私はもう貴方の何でもない、と言わんばかりに。
 十日過ぎに弘徽殿は退出して来た。妃の退出というのは、実際に不浄が始まってからするのではなくて、何日頃に来る筈と見当をつけて、予防的にするものなので、弘徽殿が退出して来たからと言って作戦が不成功だったとは言えない。私としては一日も早く、事の首尾を知りたいのだが、表立って弘徽殿に会いに行く訳にもゆかず、参内していても何となく落ち着かなかった。光子は昼間はずっと東の対に入り浸っているに違いないのだが、だからと言って光子に、「女御様に、月の不浄が来ているかいないか聞いて来てくれ」と頼む訳にもいかない。光子に弘徽殿の様子を適当に喋らせて、その中から察知するとしても、良く言えばおっとりした、悪く言えば勘の鈍い光子が、私が作戦の正否を判断できる程微に入り細に亘って弘徽殿を観察して来てくれるか覚束ない。
 夜、一つ褥に光子と並んで身を横たえた時、光子は弘徽殿の様子を話し始めた。
「お姉様、私が身籠ってる事、随分気にしてらっしゃるみたいね。腹帯はいつしたとか、お乳は張らないかとか、つわりはどうだった、なんて事まで聞かれたわ。つわりなんて普通、二ヶ月か三ヶ月の頃でしょ、私は全然なかったけど、もしあったってとっくに終わってるわよ。どうなさったのかしら、お姉様」
 光子すら訝しがる程、弘徽殿の様子が変わったとすれば、これはもしかすると、作戦は上首尾だったのかも知れぬ。だとしても速断は止めた方がいい。私は笑いながら、
「女御様はきっと、光子が羨ましいんだよ。ずっと前から、帝の御子を欲しがっておられたもの。そこへ光子が、そのお腹で行ったから……。毎日見てるとそうでもないけど、一月振りに見たら、さぞかし驚かれたろうと思うよ、光子は元から太目だったけど」
「やぁーだ、もう!」
 拗ねてそっぽを向いた光子だが、本気で怒っているのではない。後ろからすり寄りながら胸元に手を差し入れると、くすぐったそうに身を捩り、忍び笑いを洩らす。光子の乳房が最近、その本来の働きに備えるかのように、急に持ち重りがする程に膨らんできたのに、私も気が付いていた。
 一日千秋の思いで日を送るうちに、四五日が過ぎて、弘徽殿は女房達を伴って参内した。待ちくたびれた私は、翌朝早速弘徽殿を訪れた。しかし弘徽殿も、左近その他の女房達も、懐妊したかどうかについて断定的な事は何も言わない。
「医師の見立てを待たないと、何とも申せません」
を繰り返すばかりだ。焦りの色を表面に出さないように、とは思っていても、中々そうも言っていられない。二十日過ぎのある日、弘徽殿を訪ねた私は、左近を捕まえて強い口調で問い質した。
「御懐妊かどうか、まだわからないのか。もし御懐妊でないのだったら、私の方も準備する都合がある。この前と同じ手口で行けるとは思えないが、そうと言って別の手口も考えつかなくて困っているのだ。お側にお仕えする者なら、女御様のどんな些細な御変りもわからぬ筈はないだろう。単刀直入に尋ねる。あの後女御様に、月の障りはお有りか、否か」
 余りにも単刀直入に尋ねられて、左近は妙にどぎまぎして、吃りながら、
「え、あの、それは、まだ……ございません……」
 ようし、やったぞ!! 作戦成功だ!!
・ ・ ・
 その夜、着替えを済ませて光子の部屋へ行き、一日の出来事を静かに語り合おうとした矢先、どたどたと廊下を踏み鳴らして駈け寄って来る足音がした。光子はぎょっとして褥から身を起こし、怯えたように私にしがみ付く。私も思わず、片手で光子を抱き締めながら、もう片手を枕元の太刀の柄にやった。
「帥宮殿! 光子!」
 叫びながら部屋へ飛び込んで来たのは、他ならぬ高松権大納言だった。私は太刀を光子の枕元に戻した。光子の腕の力も緩んだ。
「何ですか、義父上」
「お父様、どうなさったの」
 権大納言は、握りしめた文を振りかざして口走る。
「吉報ですぞ! 弘徽殿様が、御懐妊なさったそうだ。これ、この文に」
「お姉様が!?」
 光子は弾かれたように立ち上がり、権大納言の手から文を引ったくった。震える手で開いた文を、私も立ち上がって覗き込んだ。紛れもなく弘徽殿の自筆で、医師の見立てにより間違いなく懐妊と判明した事が記されていた。光子は輝く目で中空の一点を見つめ、喜びに打ち震えている。権大納言も喜色満面、今にも跳ね回らんばかりに、部屋中うろうろしている。そんな二人を見守る私の胸中は、慶事を喜ぶよりも、作戦の成功に凱歌を上げたい思いで満たされていた。
「そうだ、すぐ、御文を書かなくっちゃ」
 はっと我に返った光子は、硯箱を取り出し、墨を磨り始めた。権大納言は一しきり騒いでから、部屋を出て行った。
 翌朝私は、光子から弘徽殿女御に宛てた文を携えて参内した。清涼殿へ行くより先に弘徽殿へ行き、光子の文を差し出して言った。
「義父上も光子も、筆舌に尽し難い喜びようですよ。私からも重ねて、お祝い申し上げます」
「これで漸く、入内申してからの宿願が、現実の物となって来ましたわ」
 弘徽殿女御は笑いながら答える。それが単なる笑いでない事は、私にはよくわかっていた。
「故内大臣殿の御娘君としての御宿願もさる事ながら、女御様個人としての御宿願も、ですね」
 と言いながら私は、承香殿を眺めた。弘徽殿女御の懐妊を知った承香殿女御の、深い憎悪と嫉妬とが、夏の雷雲のように殿舎にわだかまり、逆巻いているように、私には感じられるのだった。
 清涼殿へ戻るとすぐ、帝に召された。
「弘徽殿が懐妊したという事だ。これでもし男皇子が生まれたら、東宮だな」
 何も知らない帝は、嬉しそうに言う。その笑顔を見上げる私も笑顔を作っているが、それは表面上は帝の慶事を祝う笑顔でありながら、一皮剥けば何も知らない帝を激しく侮蔑する、鋭い冷笑であった。私達の作戦がうまく推移すれば、帝は我が子ならざる子を我が子と信じ込まされたまま、その子に帝位を譲り渡す事になる。それこそ、復讐された者にそうと自覚されない復讐の成就である。帝は最後まで、「愚者」であり続けるのだ。
「祝着至極に存じ奉ります」
 紋切り型の口上を述べると、帝は上機嫌で、
「うむ。そなたの妻も、懐妊しているのだったな。来年の四月だって?」
「は。そのように申しております」
「子供はいいぞ。理屈では説明できないが、そなたにももうすぐ、わかるだろう。そうしたらそなたも、もう少し人間が丸くなるだろうな、私のように」
 帝のように我侭で、世間知らずで、横柄で、好色なのが、人間が丸くなる事だとは噴飯物だ、とは言わない。まあ、いい。何も知らずに他人の子を抱いて、一生私と弘徽殿に、冷笑され続けるがいい。
「……しかし、弘徽殿が男皇子を産んだとして、その子を東宮にするとなると、今の東宮の周辺にいる者達は、どう出るだろうな。一の宮(桐壷所生の男皇子、他ならぬ私の子だ)の時のように、後見するに違いない高松権大納言に圧力をかけて、東宮を孤立させるような事になると……それに、弘徽殿の子となると、む……」
 私は前の床を、渾身の力を込めて撃った。驚いて言いさした帝を、私は厳しく睨み据え、低く抑えた暗い声で、
「その先を、拝聴致しとうございません」
 帝はすっかり狼狽して、早口に口走る。
「わ、わかった、今はちょっと、口が滑っただけだ。だからそう、怖い顔をするな、心臓に悪い」
 私は眉一つ動かさず、帝を睨み据えたまま、
「今後二度と、かかるお言葉を発せられる事の無きよう、伏して冀う次第にございます」
と言って平伏した。帝は何とも居心地の悪そうな声で、
「うう、わかった。もう、退って宜しい、退って」
 退出した後で聞き耳を立てていると、帝が朝っぱらから疲れたような声で、近くの蔵人に言うらしい声が聞こえた。
「全く、帥宮も何とかならんものかな。あの性格は、向かい合っていると気疲れする。まあ、軽佻浮薄で信用できないというのよりはましだが」
 何とでも言わせておけ。後半は、誰の事を指したものかわからないが。
(2000.12.26)

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