拾い子
原作 H.v.クライスト
制作:1991年3月4日 改訂:1998年9月21日

登場人物
◎アントニオ・ピアキ:60歳前後。ローマの富裕な商人。頑健な肉体の持主。
○ニコロ(少年):12−3歳。真面目そうで賢く見える。
(成人):20歳前後。華奢な男。
◎エルヴィーレ(大人):27−8歳。ごく華奢な女性、憂愁の面持ち。
(少女):13−15歳。
・ パオロ:11歳。少年。
◎クサヴィエラ:30歳前後。妖艶な女。
○コンスタンツェ:17−8歳。純情可憐な女性、体はごく虚弱。
・ クララ:3−4歳、幼女。
○コリーノ:ジェノヴァの騎士(ニコロ((成人))と一人二役)
・ ヴァレリオ:老弁護士
・ 病院長:初老の僧
・ 宿屋の主人、女中など
・ ラグーサの官憲 4人
・ モントフェラト侯、従者、女中など
・ ピアキ家の執事、女中4人ほど
・ クサヴィエラの侍女
・ 聖マグダレーナ教会の寺男など
・ パルケ家・家長フィリッポ、職工数人
・ ローマの裁判所関係者、司祭、獄吏など
・ 群衆
セット
・ ピアキ邸:2階建、中庭を囲む四角形で2階の中庭に面したところに廊下あり。玄関の反対側に階段があって1階へ降りる。降りたところに食堂があり、食堂には勝手口が通ずる。2階にはアントニオとエルヴィーレの寝室、1階にニコロの居室がある。
・ パルケ家:海辺の岸壁に接し、2階の壁から海へ木の梁が出ていて、そこに染色した布が干してある。家業は染物屋である。
衣装
舞台は中世イタリアである。衣装の考証はそれに従うこと。特に第10−12、32、34景のニコロと第23、28、29景のコリーノは正確に同じ衣装を用いること。
所要時間 約30分

第1景:ラグーサ郊外の道。2頭立て馬車をアントニオが馭し、左隣にパオロが座る。カメラは遠景、次第に近づく馬車を斜め前方から写す。
ナレーション(N):ローマの富裕な地所仲買人アントニオ・ピアキは、仕事柄長旅をすることが多かった。
(カメラ、アントニオをアップ)
 ラグーサで疫病が発生したという報を受け、彼はラグーサを避け、早々とローマへの帰途に就いた。
(カメラ、馬車の荷台から前方を中景。道路右端にニコロ((少年))が座り込んでいる。汚れたみすぼらしい服装。顔色悪い。馬車が近づくと、ニコロ立ち上がる。)
ニコロ:(哀願するように)旦那様……。
(カメラ、ニコロの背後からアントニオを写す)
アントニオ:(馬車を停めニコロを見下ろす)何だね?
ニコロ:僕を連れてって下さい。僕の父さんも母さんも、病気で死にました。町の人が、僕を捕まえようとしてます。あの町にいたら、僕も病気で死ぬでしょう。どうか、お願いです、連れてって下さい……。
(ニコロ、アントニオの右手に縋り付く。アントニオ、しばらく躊躇。パオロ、アントニオを見上げる)
パオロ:お父さん、この子を連れていってあげようよ。かわいそうに、こんなに痩せて……。
アントニオ:よし、わかった。ここにお乗り。(腰を左へずらし座席を空ける)
(ニコロ、アントニオの右隣に座る。アントニオ、馬車を進ませる)
N:この少年の名は、ニコロといった。(カメラ、遠ざかる馬車を後ろから写す)

第2景:宿屋。薄暗い灯の下、アントニオ、パオロ、ニコロが卓を囲み食事をとる。
カメラ、食卓とその向こうの戸口を写す。
扉が開き、ラグーサの官憲4人入ってくる。戸口を振り返る3人。
官憲1:ラグーサから連れ出された病気の子供はお前だな。(ニコロを睨む)病院への収容命令だ。来い!
(官憲2、歩み寄ってニコロの肩を掴む。ニコロ、アントニオの背に隠れる)
アントニオ:ちょっと待ってくれ、この子のどこが病気だというのだ? ラグーサの病院なんかに収容されたら、それこそ疫病で死んでしまうではないか。
官憲1:黙れ、市当局の命令だ!
 市当局の命令により、伝染病患者と接触した者も病院に収容されなければならん。お前と、お前の息子もだ。
(官憲2−4、3人を拘束、連れ出す)

第3景:ラグーサ市の病院裏の共同墓地。真新しい盛り土と十字架の傍らに、アントニオとニコロ、病院長が立つ。涙を拭うアントニオ、無表情なニコロ。
N:(病院長の朗読と重なる)皮肉な運命であった。アントニオの息子パオロが、疫病に斃れたのであった。
病院長:アーメン。

第4景:病院の前。アントニオは馬車を馭す。病院長とニコロが傍らに立つ。カメラ、馬車の側前方から、アントニオとニコロを写す。沈鬱な表情のアントニオ、ふと気付いたようにニコロを見る。
アントニオ:お前も来るかい?
ニコロ:うん、行くよ!
(アントニオ、病院長を顧みる)
病院長:この子には父も母もないのです。あなたが連れて行かれても、誰も何も申しますまい。この子に神の御加護がありますように。
(アントニオ、座席を空ける。ニコロ、登る。アントニオ、馬車を進める。カメラ、去って行く馬車を真後ろから写す)

第5景:ピアキ邸の居間。アントニオと、後妻エルヴィーレが立ち、アントニオの斜め後ろにニコロ。
エルヴィーレ:かわいそうなパオロ、心の優しい子だったのに。
アントニオ:なあエルヴィーレ、今となっては仕方のないことだ。このニコロを、儂等の子として育てようじゃないか。
エルヴィーレ:(身を屈めてニコロを抱きしめる)さあニコロ、こちらへいらっしゃい。(ニコロを連れて、部屋から出て行く)

第6景:同。アントニオとニコロが向かい合って卓を囲む。ニコロの服装は、パオロと同様の立派なもの。
N:ニコロは、アントニオの養子になった。
(卓上には、アルファベットの大文字を刻んだ四角いブロックが散らばる。カメラ、ニコロの背後から写す)
アントニオ(声):いいかいニコロ、お前の名前を、もう一回並べてごらん。
(ニコロ、ブロックを「NICOLO」と並べる)
ニコロ:こう?
アントニオ(声):そう、そうだ。
(カメラ、6個のブロックをズームアップ)

第7景:同。アントニオとエルヴィーレが卓を囲む。カメラ、エルヴィーレの背後からアントニオを写す。
アントニオ:ニコロはいい子だよ。事務所の仕事をやらせても、前からいる番頭より良くこなしてる。儂の後継ぎにはもう充分だ。
 しかしあいつ、このところ日曜日に家にいたためしがない。毎週毎週どこへ行ってるんだ。
エルヴィーレ:何でも、朝の礼拝からずっと、修道院にいるらしいですわ。(カメラ、エルヴィーレを写す)
アントニオ:(苦々しく)修道院! あのカルメル派のか! あんな生臭坊主共と付き合ってはろくな事になるまい。あそこの連中は皆、いずれ儂の財産がニコロに譲られると見込んで、それが目当てでニコロと付き合ってるんだ!
 それにだ、あの修道院長の囲われ者のクサヴィエラというのが、聞くところではとんだ性悪女らしい。ニコロも色気づいてくる頃だ、変な女に引っかからないよう、お前からも気をつけてやってくれ。

第8景:ヴァレリオの事務所。ヴァレリオは机に向かい、机上に1枚の書面。アントニオとニコロ(成人)がその前に立つ。
ヴァレリオ:家屋の所有権は、アントニオさんから、ニコロさんに譲られる、これでよろしいですね?
アントニオ:ええ。
ヴァレリオ:ではアントニオさん、ここにサインして下さい。ニコロさんはここに。(書面を写す)
(アントニオがサイン。ニコロがサインする時、カメラはヴァレリオの視点から、満足げなアントニオを写す。ニコロの表情には、微かな笑みがある)

第9景:ピアキ邸の居間。夜で、灯が各所にある。アントニオ、エルヴィーレ、コンスタンツェが憩ぐ。コンスタンツェは身重。
アントニオ:ニコロはどうしたんだ?
コンスタンツェ:今宵はカーニバルだとおっしゃって、夕方から出かけてますわ。
アントニオ:やれやれ、あいつも結婚したら、少しは落ち着くかと思ってたが、夜遊びの癖はちっとも治っとらんわい。儂が若かった頃は……。
エルヴィーレ:あなた。
アントニオ:ん、とにかく、儂は寝る。コンスタンツェ、お前も大切な体だ、早く寝なさい。
(アントニオ、立って出ていく。エルヴィーレ、続く。コンスタンツェ、別の戸口から出ていく)

第10景:カーニバルの広場。浮かれ騒ぐ群衆の中、ニコロはジェノヴァの騎士の扮装をしている。クサヴィエラが濃厚な化粧で、ニコロに寄り添う。

第11景:アントニオとエルヴィーレの寝室。薄暗がりの中で、眠っているアントニオが呻く。
エルヴィーレ:(燭台を手に起き上がる)あなた、どうなさいましたの?(カメラ、アントニオの枕元から、エルヴィーレを写す。服装、二人とも寝間着)
アントニオ:(苦しげに)う、う、……気分が、……。
エルヴィーレ:すぐ、酢を持って参りますわ。(起き上がって出ていく)

第12景:食堂。薄暗がりの中、エルヴィーレは椅子に登り、戸棚を開けて瓶を探す。カメラ、エルヴィーレを横から。
この時、勝手口の戸が静かに開き、ジェノヴァの騎士の扮装をしたニコロが入ってくる。カメラ、ニコロを追う。ニコロは自分の寝室の戸に近づき、ノブを回すが開かない。この音にエルヴィーレ振り向き(カメラ、エルヴィーレを写す→顔を素早くズームアップ)驚愕の余り椅子から転げ落ちる。(カメラ、物音と同時にニコロを写す)ニコロ振り向き、エルヴィーレを見て驚く。(フラッシュ:物音を耳にしてアントニオ起き上がる)(カメラ、酢や酒の瓶を持ったまま倒れているエルヴィーレを写す)
ニコロ、エルヴィーレに駆け寄り、腰につけた鍵束をとり、自室の鍵を探し出して外す。(カメラ、ニコロの手元を写す)ニコロ立ち上がり(カメラ、ニコロの全身を写す)自室の戸を開けて素早く中へ消える。
アントニオ、ガウンを着、寝室から起きてくる。執事、女中3人、灯を持って集まってくる。アントニオ、エルヴィーレに駆け寄り、抱き起こす(カメラ、アップ)
アントニオ:エルヴィーレ、どうしたんだ、しっかりしなさい!
女中1:(灯を近づけ)奥様、お気を確かに!
(エルヴィーレ、驚きと恐怖の余り目を見開いたまま、声が出ない)
(戸が開く音がする。アントニオと女中、顔を上げる。カメラ、移動、自室からガウンを着て出てきたニコロを写す。ニコロ、慌てたふりをする)
ニコロ:何事です?
(エルヴィーレ反応なし)
アントニオ:(執事に)すぐ医者を呼べ!(女中1、2に)エルヴィーレを、寝室へ運べ。(女中3に)ここを片付けておけ。
(執事、女中、あたふたと動く。アントニオ、エルヴィーレに付き添って去り、ニコロのみ残る)

第13景:昼。コンスタンツェの寝室。
N:カーニバルの夜の事件からしばらく時は流れ、コンスタンツェのお産が近づいていた。
(寝台上にコンスタンツェ、傍らにエルヴィーレ、女中、産婆。コンスタンツェ苦しむ)
エルヴィーレ:(コンスタンツェの手を握り)しっかりして! 私が、ついてますからね!

第14景:夜更け。ニコロ、居間に入ってくる。コンスタンツェの寝室から、女中達の泣き声。
(エルヴィーレ、涙を拭いながら出てくる。ニコロを見て、静かな怒りに満ちた声で)
エルヴィーレ:コンスタンツェは、死にました。あなたが遊び歩いている間に。(カメラ、エルヴィーレをアップ)
(ニコロ、表情を変えず。カメラ、エルヴィーレの背後からニコロを写す)
(エルヴィーレ、足早に立ち去る)

第15景:夕方。ニコロの居室。机に向かっているニコロの右隣に、クサヴィエラの侍女が侍る。ニコロ、手紙に封をする。
ニコロ:(侍女に手紙を渡しながら)じゃこれ、あの人に渡してくれよ。
侍女:かしこまりました。
エルヴィーレ(声):ニコロ、明日のお葬式の……(言いながら戸を開けて入ってくる。カメラ、戸口を写す。エルヴィーレ、驚いて言いさし、音を立てて戸を閉める。カメラ、ニコロと侍女を写す。ニコロ、しばらくバツの悪そうな顔)
ニコロ:す、すぐに……。
(侍女、出ていく)

第16景:コンスタンツェの産室。ベッドに代わり、棺が置かれている。エルヴィーレ、よろめく足取りで入ってくる。エルヴィーレ、棺に縋り付く。
エルヴィーレ:(啜り泣きながら)かわいそうなコンスタンツェ。あなたのお葬式も済まないのに、ニコロはあのクサヴィエラと……。

第17景:ピアキ邸の玄関。侍女が手紙を手に、出ていこうとするところへ、アントニオが帰ってくる。侍女、手紙を背中に隠す。
アントニオ:何の用事だ? 今背中に隠した物を見せなさい!(足早に歩み寄り、力ずくで手紙を奪い取る。アントニオ足早に去り、侍女途方に暮れる)

第18景:アントニオの居室。アントニオ、侍女から奪った手紙を開く。(カメラ、アントニオの視点から手紙を写す)
ニコロ(手紙):愛しいクサヴィエラ様、あなたに逢う時を思うと胸も焦がれんばかりです。今夜は家の者は、葬式の準備で取り込んでいて、私がいなくても気付きますまい。どうか今夜、お逢いしましょう。場所と時間を、お教え下さい。ニコロ
(以上イタリア語筆記体。字幕を出す)
(アントニオ、舌打ちしながら便箋とペンをとり、女性風の筆蹟で書く)
アントニオ(手紙):夕暮れ前に、聖マグダレーナ教会で逢いましょう。クサヴィエラ
(同じくイタリア語筆記体。字幕を出す)
(アントニオ、手紙を封緘し、女中を呼ぶ)(カメラ、アントニオの半身を写す)
アントニオ:(女中に手紙を渡し)これをニコロに渡してくれ。誰からとは言わなくていい。

第19景:同。窓口に立ったアントニオの眼下を、ニコロが嬉々として出てゆく。アントニオ、怒りの表情で見送る。
アントニオ:(激怒した声で)執事はいるか!?
執事:(部屋へ駆け込んでくる)はい、大旦那様!
アントニオ:(執事に)明日のコンスタンツェの葬式は取り止めだ! 今すぐやる! 教会に連絡しろ! 今すぐ支度するよう、エルヴィーレと、女中達にも伝えろ!
執事:かしこまりました、大旦那様!

第20景:聖マグダレーナ教会の前。ニコロ、待ち遠しげに立っている。(カメラ、ニコロを写す)そこへ、寺男が担ぐコンスタンツェの棺を先頭に、エルヴィーレが棺の横に付き添い、アントニオが棺の後に祈祷書を持って続き、その他執事、女中など数人の葬列が来る。(カメラ、葬列を写す。服装、全員喪服)
葬列がニコロの前を通り過ぎる。
ニコロ:(驚いてアントニオに)これはどういう事です? 誰の葬式なんです?
アントニオ:(祈祷書から顔を上げず、冷厳な声で)クサヴィエラ・タルティーニのだ。
(ニコロ、茫然と立ちすくむ。葬列は教会に入ってゆく。カメラ、ニコロに固定)
ニコロ:(独り呟く)エルヴィーレだ……。

第21景:夕方。アントニオの居室。アントニオの足元に跪くニコロ。
アントニオ:本当に、あの女と縁を切るんだな!?
ニコロ:本当ですお父さん、今後決して、クサヴィエラに近づきません!
N:勿論彼には、クサヴィエラと手を切る気は毛頭なかった。ただコンスタンツェの、莫大な遺産を手にするために、アントニオとエルヴィーレの心証を良くする必要があったのだ。

第22景:昼間。エルヴィーレの寝室の前の廊下。通りかかったニコロ立ち止まり、不審の面持ちで耳を澄ます。
エルヴィーレ(声、囁くように):ああ、コリーノ様、愛しい人……。
(ニコロ身を屈め、鍵穴から覗き込み、驚いて息を呑む。カメラ、鍵穴形の視野に、騎士の足元に跪くエルヴィーレを写す。
ニコロ:(怪しく歪めた顔で呟く)エルヴィーレも、コリーノとかいう男を引っ張り込んでるじゃないか! 今に見ておれ。(カメラ、ニコロの顔をアップ)
(ニコロ、足音を立てずに立ち去り、廊下の角に身を隠す。カメラ、ニコロを追う)
(エルヴィーレ、部屋から出てくる。一人で、階下へ去る。ニコロ、廊下の角から素早く出て、エルヴィーレの寝室の戸に歩み寄る。ニコロ、合い鍵で錠を開け、音もなく戸を開く)

第23景:エルヴィーレの寝室の中。カメラ、ニコロの視点から室内を見回す。誰もいない。壁龕の中に、赤いカーテンがかかっている。ニコロ、壁龕に歩み寄り、カーテンを開ける(カメラ、ニコロの背後から写す)と、そこにジェノヴァの騎士コリーノの等身像がある。(この装束は、第12景のニコロの服装と正確に同じ。)ニコロ、左右を見回し、慌ててカーテンを閉め、戸口へ後ずさりする。廊下へ出たニコロ、不審な顔で廊下を歩いていく。(カメラ、ニコロの顔を追う)
ニコロ:(呟く)あれは誰だろう? コリーノって名前も、この辺じゃ聞かないな……。
N:それから数日後、アントニオとエルヴィーレが共に不在の日、ニコロはクサヴィエラを、ある貴婦人がエルヴィーレの刺繍の腕前を知って、一度作品を見たがっているという口実をこしらえて、エルヴィーレの寝室に導き入れた。クサヴィエラはかねてからイタリア中の騎士と広い交遊を持っていて、コリーノという騎士が何者か、知っているかもしれないとニコロに言ったのであった。

第24景:同。ニコロに続いて、クサヴィエラと、娘のクララが入ってくる。(カメラは室内から)
ニコロ:(カーテンを上げ)この男……。
クララ:(驚いて叫ぶ)あ、ニコロお兄ちゃんだ!
(クサヴィエラ、顔を強張らせる。ニコロ、当惑)
クサヴィエラ:(しばし沈黙の後、苛立った声で)この絵に似ている男は、私の知り合いにはいないわ。さ、クララ、帰りましょ!(クララの手を引き、足早に出ていく)
ニコロ:(絵を見ながら)そうか……俺の絵か……? でも、コリーノって言ってたし……?

第25景:夜。居間。卓の向こうでエルヴィーレが刺繍をしている。卓の上に、アルファベットのブロックが6個。アントニオと女中一人が立ち、ニコロが卓に向かってエルヴィーレの向かい側に座っている。
アントニオ:(女中に)そのブロックは、他に見つからんのか? 隣の子供にくれるのに、たった6個では役に立つまい。
女中:いくら探しても、見つからないのです。
アントニオ:仕方がないな。(出ていく。女中、出ていく)
(ニコロ、「NICOLO」を作る6個のブロックを、何気なくいじっている。エルヴィーレ、刺繍に没頭。やがてニコロ、驚いた顔でブロックを見つめる。カメラ、ニコロの視点から第6景と同じようにブロックをアップ。ブロック、「COLINO」と並んでいる。
やがてエルヴィーレ、ふと顔を上げる。カメラ、ニコロの後方から写す。ブロックを見たエルヴィーレ、動揺して刺繍道具を取り落とし、顔を覆い、走って出ていく)
ニコロ:(得心した顔で呟く)やっぱり、あれは俺の絵だったんだ。そうだと気付かれないように、身なりを変えて、名前も並べ替えたんだ。エルヴィーレは、俺に惚れてるんだ!(カメラ、ニコロをアップ)

第26景:昼。クサヴィエラの居室。ニコロ入ってくる。上機嫌。
ニコロ:(クサヴィエラに)耳寄りな話って、何です?(カメラ、ニコロを写す)
クサヴィエラ:(長椅子に横たわり)まあおかけなさいな。実はねニコロ、エルヴィーレが絵まで描かせたあの男は、12年前から土の下なのよ。(カメラ、クサヴィエラを写す)

第27景:ジェノヴァの海辺。パルケ家には忙しく人が出入りし、家の裏側、海へ向かって突き出た梁に、染めた布がはためく。(カメラ、周辺部ぼかし)
クサヴィエラ(声):エルヴィーレは、ジェノヴァの有名な染物屋の娘なのよ。

第28景:夜。パルケ家炎上。エルヴィーレ(少女)、寝間着のまま家の中を逃げまどう。
エルヴィーレ:お父様! お母様! 助けて!
(エルヴィーレ、布地の懸かっている梁の上に立ちすくむ。その時、梁から見通せる家の中に、ジェノヴァの騎士の装束のコリーノ現れる。((コリーノの装束は、絵と同じであることは勿論のこと、第12景のニコロの服装とも寸分違わず同じでなければならない。))((カメラ、梁からコリーノを写す。コリーノ、頭から血を流している))
コリーノ梁に登ると、エルヴィーレをマントにくるみ、片腕に抱え、もう片腕で布地に縋り付き、海へ降りていく。((カメラ、梁の上から))
海辺で群衆が見守る中、コリーノはエルヴィーレを抱えたまま、岸へ泳ぎ着く。群衆の大喝采。((カメラ、群衆の中から))
だがコリーノは、岸へ泳ぎ着くと間もなく倒れる。父モントフェラト侯、従者など駆け寄る)
モントフェラト侯:コリーノ!
従者:頭に、お怪我なさっています!
クサヴィエラ(声):モントフェラト侯のご子息アロイジウスさんは、幼い頃パリの叔父君の許で育てられて、叔父君コラン(字幕:Collin→Colinoと出す)様の名前をとって、コリーノと呼ばれていたのよ。この辺じゃ聞かない名前ですものね。

第29景:モントフェラト侯の邸内、コリーノの寝室。頭に厚く包帯を巻いたコリーノが寝台で眠っている。エルヴィーレ(少女)、寝台の傍らに跪き離れない。
クサヴィエラ(声):コリーノさんはこの時の、頭の怪我がもとで、3年後に亡くなったのよ。その間ずっと、いいえ、それからもずっと、エルヴィーレは、コリーノさんを愛し続けているのさ。

第30景:クサヴィエラの居室。カメラ、通常画像に復す。ニコロ、極めて不快な面持ちで座っている。カメラ、クサヴィエラの背後からニコロを写す。
クサヴィエラ:この事は、修道院の司祭から、決して他人に話さないといって聞き出したんだから、ニコロ、絶対に他人に話さないでちょうだいな。
ニコロ:(不快感に満ちた声で)ええ、わかりました! 決して誰にも、話しませんとも! そうそう、用事を思い出しました、すぐ帰らないと、失礼!(足早に出ていく)
(カメラ、クサヴィエラをアップ)
クサヴィエラ:(苦笑しながら独りごつ)あの子、自分がエルヴィーレに恋されてると思ってたようね。まだ若いわ。

第31景:道中。カメラ、ニコロをアップ。
ニコロ:(憤怒に満ちて呟く)ようし、こうなったら、俺もやってやるぞ! 今夜は親父は帰ってこない筈だったな。

第32景:夜。エルヴィーレの居室。ニコロ、コリーノの絵と寸分違わず同じ服装で、壁龕の中に立つ。絵には、黒い布が張ってある。カメラ、ニコロの頭から足へ、アップ。
エルヴィーレ入ってくる。(カメラ、室内を広く、エルヴィーレを写す。壁龕のカーテンは閉じてある)
(カメラ、ニコロをアップ。エルヴィーレの着替えの音が聞こえる)
着替えたエルヴィーレ、カーテンを開ける。ニコロが、生前のコリーノの姿で立っている。(カメラ、ニコロを写す)
エルヴィーレ:(絶叫)コリーノ様!(カメラ、ニコロの視点から)
(エルヴィーレ、驚きの余り失神、床に倒れる)
(ニコロ、壁龕から出てくる。カメラ、ニコロを写す。ニコロ、エルヴィーレを抱き抱え、寝台へ走る)

第33景:夜の町。アントニオが馬車を走らせる。
アントニオ:(呟く)商談が早くまとまったわい。エルヴィーレが待っているだろう、早く帰ろう。

第34景:アントニオ、音もなくエルヴィーレの寝室の錠を外し、戸を開ける。カメラ、アントニオの視点から。
アントニオ(声、小声で):エルヴィーレ、今帰ったよ……(戸を開け、ニコロを認める。厳しく誰何)
 誰だ! そこにいるのは!
(ニコロ振り返る。驚愕の余り声も出ない)
アントニオ(声、激怒):ニコロ! そんな格好で、何をしておる!
(エルヴィーレ正気に返り、起き上がる。恐怖に凍りついた目でニコロを見る。カメラ、3人を写す)
アントニオ:(歩み入り、戸口を指してニコロに)このならず者め! 今すぐこの家から出ていけ!
ニコロ:(冷静に)出ていけ? 出ていくのは父さん達でしょう! この家は僕の家だ、父さんはその書類にサインしたでしょう!
アントニオ:(意表を突かれて)な、何だと?
ニコロ:(勝ち誇ったように)何なら今すぐ、ヴァレリオ先生の所へ行って、登記書を見てきたら?
アントニオ:(憤懣やる方なく呟く)この悪魔め!(出ていく)

第35景:ヴァレリオの事務所。朝。アントニオとヴァレリオが机を挟んで向かい合う。
アントニオ:(立ち上がり、机を叩いて言い募る)先生、何とか、あの悪党への財産贈与を取り消せないんですか!?
ヴァレリオ:(困惑)そうおっしゃっても……あなたと息子さんの、双方の合意のもとに行われた贈与ですからねえ……。
アントニオ:あんな奴を息子とは思わん! 先生、どうにかならんのですか!?
N:その間にニコロは、アントニオから相続する資産の相当な分をカルメル派の修道院に寄付すること、修道院長が別れたがっていたクサヴィエラと結婚することを条件に、裁判所に圧力をかけるよう修道院長の約束を取りつけていた。
程なく、ニコロへの財産贈与の取消の申し立てを、却下する判決が下った。

第36景:ヴァレリオの家の一室。棺の傍らに立ち尽くすアントニオ。判決文を持つ手が震える。(カメラ、室内、続いて判決文を写す。判決主文の内容を字幕で出す)
アントニオ:(深い怒りと悲しみに満ち)エルヴィーレ……。

第37景:ニコロの居室。クサヴィエラからの手紙を胸をときめかせて読むニコロ。そこへ、戸が開き、憤怒の形相のアントニオが入ってくる。ポケットに、判決文をねじ込んでいる。恐怖に立ち尽くすニコロに、アントニオは掴み掛かり、力任せに投げ倒そうとする。カメラ、二人の顔をアップ。

第38景:廊下。ニコロの部屋から只ならぬ物音がし、執事、女中が駆けつける。

第39景:ニコロの居室。戸を開けて入ってきた執事(カメラ、執事の視点)、アントニオがニコロを組み伏せ、膝の間にニコロの頭を挟み、ニコロの口に判決文を詰め込むのを見る。
執事:(恐怖)旦那様!
(ニコロ、頭から血を流し絶命している)(女中の悲鳴)
(アントニオ、立ち上がる)
アントニオ:儂はニコロを殺した。さっさと警察を呼べ!
N:アントニオは、ニコロを殺した罪により死刑に処せられることになった。当時ローマには、死刑囚は処刑の前に、教会による免罪を受ける規則があった。

第40景:絞首台。後ろ手に縛られたアントニオに獄吏が付き添う。横に司祭。
司祭:(地獄の責め苦と天国の平安を説いた後)あなたは贖罪の恵みにあずかりたいと思いませんか? 聖体拝領を受けたいと思いませんか?
アントニオ:(司祭に)儂は天国になど行きたくない! 地獄の底まで行って、そこにいるに違いないニコロの大悪党に、この世でしきれなかった仕返しをしてやりたいのだ! 悪魔よ、今すぐ儂を、ニコロのいる所へ連れていってくれ! 地獄へ行けるなら、司祭の頭だってぶち割ってやる!
(獄吏に)さあ早く、儂を縛り首にしろ!
N:こうしてアントニオは、教皇の特別命令により、免罪を受けずに処刑されることになった。

第41景:同。アントニオ、絞首台に登る。司祭はいない。獄吏、アントニオの首に絞縄をかける。暗転。
(完)

あとがき
 クライスト(Heinrich von Kleist, 1777〜1811)は、戯曲「こわれ甕」小説「O侯爵夫人」「チリの地震」などを残したドイツの作家です。貴族の家柄に生まれながら公職に就かず作家となり、最後は人妻と心中した生涯は、太宰治の先駆けと言っては語弊があるでしょうか。
 短い生涯に残した小説は、切れ味の鋭い短編が多く、書かれてから2世紀を経た今読んでも新鮮です。逆にそのために、書かれた当時は斬新すぎて世間に受け容れられなかったのかもしれません。
 この「拾い子(原題「Der Findling」)」の斬新さは、エルヴィーレが不貞を働いている(とニコロが思い込んでいる)男の名前「コリーノ(COLINO)」が、「ニコロ(NICOLO)」のアナグラム(並べ替え)になっているところです。ポーによって本格的な推理小説が書かれるより半世紀も前に、こんなトリックを使った小説が書かれていたことに驚かされます。
(2000.4.1公開)

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