量子力学から考えること(後)

後編の話題は、錬金術が中心になります。
錬金術とは、近代化学の前段階と呼べる学問体系で、起源は古代エジプトにまでさかのぼり、中世にアラビアからヨーロッパに伝わって広まり、やがて近代化学に発展していきました。日本語では字面から、あるいは俗に言われているように「卑金属を金にする術」と取られがちですが、現代の私たちが学校で勉強する化学では「そんなことは不可能である」とされていますから、昔の人の無知を笑うか、あるいは錬金術師は「いかさま師」の別名のように思ってしまうかもしれません。
実際、錬金術が盛んだった頃には、卑金属を金にする、あるいは不老不死の薬を作ると称して、欲の皮を突っ張らせたパトロンから金を巻き上げていた、詐欺師そのものの錬金術師も少なくなかったようです。
ちょっと話が横へそれますが、不老不死の薬と言えば、昔の中国にも西洋の錬金術に比べられるような学問・技術体系がありましたが、こちらの目標はもっぱら不老不死の薬を作ることで、「丹」と呼ばれたその薬を作る方法は、煉丹術と呼ばれました。といっても、そうやって作られた丹薬の正体はたいてい無機水銀化合物でしたから、不老不死の薬どころか慢性中毒を起こす猛毒で、中国の早死にした歴代皇帝はだいたいが水銀中毒が死因だったとされています。
錬金術に話を戻すと、卑金属を金にする、不老不死の薬を作る、あるいは人造人間を作る(試みられた例はあまり多くありませんが)といった錬金術の本来の目的は、決して金儲けではなかったはずです。むしろ純粋な知的好奇心、あるいは前編で述べたように、自然現象の法則を解明し、それを人間の思うままに制御する方法を開発することにあったと思います。
この時代の代表的な考え方である四元素説を真似たような言い方をすれば、地上には金や鉄などいろいろな金属が存在しますが、それは大元は「土」という1種類の元素(四元素の一つである「土」を、ここから先は斜体でと書きます。同様には、四元素の一つである「水」を表すことにします)であって、ただその姿が異なるために人間の目には違う金属に見えている、ということになります。土の中から掘り出した鉱物を精錬すると、金や銀や鉄や銅など、いろいろな金属に分かれますから、土は鉱物の混合物であり、それらの鉱物はが姿を変えたものである、と。そうやって精錬した鉄が次第に赤く錆びていくのを昔の人が見れば、精錬した鉄は「若い(より正確には「の1つの状態」)」であって、それが老いると赤錆(現代の化学で言えば赤鉄鉱・酸化第二鉄)という「老いた」になる、というように見えたことでしょう。赤錆を火で溶かして精錬し直せばまた鉄に戻りますが、これは「老いたを火で若返らせる(年老いると自らの身を火で焼いて若返るという、伝説の不死鳥フェニックスのように)」と考えられたに違いありません。
鉄や銅はすぐ錆びますが、金は錆びません。これを上の考え方から見れば、金は「不老不死を勝ち取った」です。とすれば、金が持っている不老不死の性質を取り出して、鉄や銅に与えてやれば、鉄や銅は金になります。まさに錬金術です。しかも錬金術では、その不老不死の性質はエリキサ(elixir)という一種の薬によってもたらされていると考えましたから、そのエリキサを作って人間が飲めば、人間も不老不死になるはずです。卑金属を金にするのと不老不死の薬を作るという、一見関係なさそうな二つの目標は、実はこういう接点があるわけです。
金は空気中で錆びないだけでなく、水・アルコール・酢・硫酸・油といった液体にも溶けません。その金を溶かす唯一の液体は? 当時の知見では、それは水銀です(アマルガムができる)。水銀はである辰砂から採れるであるだけでなく、金を溶かす唯一のでもある。錬金術において水銀が、特別な物質であると考えられたのはもっともなことです。中国の煉丹術で水銀化合物が不老不死の薬と考えられたのも、そのためかもしれません。
さて、赤錆を火で精錬して鉄にする、卑金属にエリキサを与えて金にするといった方法の違いはともかく、の状態を人間の手で変えて、望ましい状態(目的とする金属)にすることは、自然界における物質の存在様式を解明し、それを人間の思うままに制御することです。これは前編で述べたように、錬金術が廃れ、近代化学に取って代わられた後も、科学者たちの意志として連綿と受け継がれてきました。
錬金術の中では少数派に属する、人造人間を作るというのも、生命現象を自然現象の一部として捉えれば、その機構を解明し制御することによって、人間の子宮からでなく、人為的に人間の生命を発生させることができる、という考えに立脚していると言えます。ただこれは、神がアダムとイブを作って生命を与え給うたとするキリスト教の考え方から見れば、まさに神の御業に人間が挑戦することですから、中世に錬金術が教会によって異端視されたのは当然でした。

時代は降って20世紀、量子力学が確立される時代になると、もう錬金術など科学史の彼方に消え去ってしまったように見えます。
しかし前編で述べたように、物質の存在の法則を解明すれば物質の存在を人間の意志によって制御できる、という科学者の信念は決してなくなってはいません。むしろ量子力学が確立されたことによって、核物理学の基礎が据えられ、その応用である原子力工学によって人類はついに、物質を構成する原子の存在法則を制御する方法を手に入れました。
第一は原子力エネルギーの利用です。ウランなどの原子核に、加速した中性子を当てることによって原子核の崩壊を惹き起こし、その際に放出されるエネルギーを利用することができるようになりました。こうすることによって得られるエネルギーは、燃料の重量当たりに換算すると石炭や石油を遙かに上回ります。「原子力開発」で述べたように、現代のエネルギー多消費型社会は、多かれ少なかれ原子力エネルギーによって支えられているのです。もっとも人類が手にした原子力エネルギーを最初に用いたのは、大量殺戮兵器としての利用だった、という事実から目を逸らすことはできませんが。
第二は、ある側面を見ればもっと錬金術に似ています。高速増殖炉です。
原子力エネルギーを得るための核燃料として、代表的なのはウランですが、大雑把に言うとウランには原子核の質量が238であるウラン238と、235であるウラン235があります。天然に産出するウラン鉱石の99%以上は、普通の原子炉に入れても核分裂を起こさないウラン238で、核燃料として使えるウラン235は、平均してウラン鉱石に0.7%しか含まれていません。ですから採掘したウランを核燃料に加工するには、わずかな質量の差を利用してウラン235を濃縮しなければならず、濃縮した残りのウラン238は劣化ウランと呼ばれて、ほとんど利用されていません。
ところがこのウラン238を高速増殖炉に入れると、中性子を吸収してプルトニウム239に変わります。プルトニウム239はそのままで核分裂を起こすので、ウラン235と同じように核燃料として有効に利用できます。
つまり、「利用価値の低い金属(ウラン238)を、利用価値の高い金属(プルトニウム239)に変化させる」ことができるのです。近代的な経済の下では利用価値は経済価値に直結しますから、「経済価値の低い金属を経済価値の高い金属に変化させる」と読み替えることができるでしょう。これを現象の面だけで見れば、昔の錬金術が俗受けのする目標としていた「鉛を金に変化させる」と一致しています。
ですから私は常々、高速増殖炉を「現代の錬金術」と言い表しています。物質の存在様式を解明すれば人間の意志によって制御できるという信念、物質の存在様式を人間の意志で変えることによって大きな経済価値を生み出すという目的、そして無理解な大衆によって排斥されていること。どれも昔の錬金術と同じだからです。
(2001.6.27)

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