原子力開発

ローカルネタといえばローカルネタなのですが、10月22日に新潟県知事選挙がありました。その前の週、10月15日に投票が行われた長野県知事選挙の方が、世間一般の話題になっていると思います。
選挙結果を見れば、代々の伝統に則って県議会と市町村長会の支持を取り付けて出馬した副知事が、長野県出身の作家に敗北を喫するというマスコミ受けのする結果になった長野県知事選に比べて、3選を目指す現職知事が新人2人を破って当選した新潟県知事選は、大方の予想通り、全然面白味のない結果だったかもしれません。
かく言う私も現職知事に投票したのですが、そのように投票した根拠は、と問われれば、原子力開発に対する各候補者の姿勢です。
ご存じの方もいると思いますが、新潟県は原子力発電所の多い県です。東京電力刈羽発電所は1発電所の発電量としては日本最大、柏崎発電所ではプルトニウムをウランと混ぜて燃料にするプルサーマル発電の試験が進められています。また西蒲原郡巻町では、東北電力が建設を計画している巻発電所をめぐって、町有地を一部の反対派住民に売却するということがあって紛糾しています。
原子力開発は国のエネルギー政策に関わってくるので、自治体の首長選挙がそれを争点にすることが妥当かどうかという疑問はありますが、新潟県知事選での各候補者の姿勢を見ると、現職知事が推進というか現状通り、他の2候補者はいずれも反対でした。
もう言うまでもなく、私は原子力開発に関しては、プルサーマル発電のような新しい技術開発は「積極的に推進するべき」、原子力発電所の新規建設は「已むを得ない」という姿勢です。

この文章をご覧になっている方は、間違いなく電気を利用しています。そしてその電気は、ほぼ間違いなく発電所で発電されたものです。携帯電話のiモードでご覧になっている方がいるとしても、工場でバッテリーを作るのには発電所で発電された電気を使っているはずです。
つまり、現代の私たちの社会は、いろいろな方面に電気を、もっと言えば電気に限らずエネルギーを大量に消費することで成り立っているのです。社会が電気を大量に消費するようになっているので、そこに電気を供給する方法の一つとして、原子力発電が存在しているのです。
もし何らかの理由で原子力発電を排斥するとしたら、そこにある選択肢は2つ。原子力発電で供給していた電気を、他の発電方法で供給するか、社会全体の電気需要を、原子力発電を必要としない水準まで減らすか、です。
他の発電方法を見てみます。ウランやプルトニウムを使う現在の原子力発電に代わる、究極の発電方法とされるのが核融合ですが、これは今すぐに実用化できる見込みはありません。
現在でも発電の主力を占める、石油・石炭・天然ガスを使った火力発電。これらはいずれも二酸化炭素と、窒素酸化物や硫黄酸化物を排出します。つまり地球温暖化と酸性雨の原因になるので、これを減らすことが国際的課題になっているものです。またこれらはいずれも、枯渇が心配されている資源であって、いわば発電に使うにはもったいない資源です。
水力発電は、日本国内ではほとんど開発し尽くしてしまっており、今後の新規立地によって原子力に代わる電気供給源になることは期待できません。
その他、風力、潮汐力、地熱、太陽光といった発電方法は、立地が限られる、大規模な発電ができない(従って発電コストが高い)、供給が不安定であるといった欠点があり、絶海の孤島のような場所で局地的な電気供給源として使うことはできても、原子力発電所に代わって大都市に電力を供給する主たる方法にはなり得ないでしょう。
そうするともう一つの選択肢、社会全体の電気需要を減らすことですが、これが実現可能だと本気で考えている方はどのくらいいるでしょうか。
それは単に日本社会の電気消費量を引き下げるだけではなく、今の日本より国民一人あたり電気消費量の少ない国々が、今の日本がそうであるような電気多消費社会になることを拒否することだからです。例えば中国やインドの人々が、今の日本人が享受しているような利便性を享受しようとする時、それを拒否する資格が、今の日本人にあるでしょうか。
ヨーロッパではノルウェーやドイツが原子力発電所の縮小を決めたということですが、ノルウェーには日本と違って、まだ開発可能な水力発電資源が潤沢にあります。それに人口が日本よりずっと少ないノルウェーでは、国全体の発電量も少ないのです。
開発可能な水力発電資源がそれほど多いとも思えず、しかも国全体の電力需要がノルウェーよりずっと多いドイツが、どういう見通しをもって原子力発電の縮小を言い出したのか、非常に疑問です。実際のところは、国境を越えて送電線が繋がっているフランスから電力を買うことになるのではないでしょうか。
ご存じかもしれませんが、全世界で原子力発電の比率が最も高いのがフランスです。フランスの原子力発電所で発電した電気をドイツが買う形になったら、両国の国民感情に照らして、どんなことになるのでしょうか。

プルサーマル発電のような新しい技術開発を積極的に推進するべきであることは、もっと強く私の確信するところです。
特に、運転管理のミスから放射能漏れがあって、そのために開発計画そのものが頓挫してしまっている高速増殖炉、愛称「もんじゅ」です。
原子力開発に社会全体から強い逆風が吹いている理由の一つは、発電コストの面で原子力発電が火力発電に比べて不利であるということなのですが、技術開発の側面が強い原子力発電を、コストだけで考えることには異議があります。
石油を始めとする化石燃料やウランが有限な資源である以上、将来いつの日かそれらが枯渇することは、必ず起こります。将来必ずそうなるのだから、その時に備えて、たとえ今はコストが高くつこうと何であろうと、原子力開発、その中でも高速増殖炉やプルサーマル発電の開発を続けていくことは、技術の確立と同時にその継承のために必要にして不可欠であると信じています。
高度な科学技術はその継承がいかに必要であるかは、戦前まではアメリカやドイツに決して引けを取らなかった日本の航空機産業が、敗戦によって全てが無に帰し講和発効まで7年間の空白を挟んだ結果として、アメリカはもちろんフランスやソ連にまで後れをとることになり、今もってそれらの国に遠く引き離されたままであることを見れば明らかです。
将来、石油や、そのままで原発に使えるウランが枯渇した時、高速増殖炉の開発を続けてきた日本が救世主として讃えられるか、原子力技術もなければ石炭も天然ガスもほとんど出ないエネルギー最貧国となり果てた日本が国家百年の計を誤ったことを悔いるか。今のままでは、きっと後者になる、という気がしてなりません。
(2000.10.31)

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