番外日記
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2003年10月25日(土)
モーツァルトの室内楽曲というのは、いろいろな楽器のためにたくさんの曲が書かれていますが、年長の作曲家として深く敬愛していたハイドンの作品に啓発されて、大変な時間をかけて慎重に作曲された「ハイドン・セット」と呼ばれる6曲の弦楽四重奏曲と、モーツァルト自身あまり好きな楽器ではなかったというフルートを独奏楽器にし(*)、当時のポピュラーソングの旋律を借りて、いかにも気軽な音楽として作曲されたフルート四重奏曲とは、かなり雰囲気が異なります。モーツァルトはハイドン・セットを、人類の文化遺産に数えられるに値する芸術作品、ミューズへの捧げ物として作曲し、フルート四重奏曲の方は楽譜屋に売って当座の生活費を稼ぐ材料くらいのつもりで作曲したのかもしれませんが、モーツァルトがハイドン・セットによって弦楽四重奏曲を「派手な音色を排し、凝縮された内容の純粋な器楽曲」として方向付けた(それをさらに推し進めて、とてつもなく晦渋な音楽ジャンルに固定してしまったのは晩年のベートーヴェンですが)結果、19世紀を経て20世紀に入るくらいまで、室内楽曲というと地味で禁欲的で息詰まる弦楽四重奏曲ばかり、という傾向ができてしまったのは、ある意味では残念なことです。
(*)モーツァルトが書いたフルートの独奏曲は、今日のこの曲の他にも3曲の四重奏曲と2曲の協奏曲が伝わっていますが、それら5曲は、転職先を求めた旅行先で知り合った、フルートが好きな大金持ちのディレッタントに頼まれて、謝礼のために書かれたという曲です。モーツァルトは旅先でこれらの曲を書きながら、郷里の父に宛てた手紙で「こんな楽器(フルート)のために音楽を書いていると、すぐイヤになってしまう」と愚痴っていたそうです。それでフルート協奏曲の2曲目の方は、旧作のオーボエ協奏曲をそのまま転用したのが依頼者にバレて、謝礼を約束の半分しか貰えなかったといわれています。
日が経ってから打鍵すると、こういうしかつめらしい事や、いかにもインターネットで検索してきたような雑学ネタばかりを書き連ねてしまいますが、演奏会場でフルート四重奏曲(フルート・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ)を聴いている時には、何故か「ヴィオラがイイなあ」なんて思っていました。
独奏楽器と3つの(3つのパートの)弦楽器というアンサンブルは、昨年のクリスマスコンサートでハイドンのオルガン協奏曲を1曲聴いてから、秋葉原でハイドンや同時代の作曲家の、オルガン協奏曲やチェンバロ協奏曲、チェンバロ四重奏曲のCDを買っては、繰り返し聴いていますが、四重奏曲の弦楽器は大部分がヴァイオリン2つとチェロです。もっと弦楽器の編成が大きい協奏曲でも、ヴィオラは編成に加わっていなかったり、チェロの1オクターブ上をなぞっているだけだったりします。
古典派といってもハイドンくらいまでは、このようにヴィオラの重要性が低いのですが、モーツァルトになるとフルート四重奏曲やピアノ四重奏曲の弦楽器はヴァイオリン・ヴィオラ・チェロになります。それだけアンサンブルでのヴィオラの重要性が増し、音楽的にも主旋律と左手の低音の間に位置する、内声が充実していくのが感じられるのですが、フルート四重奏曲とチェンバロ四重奏曲(あるいはピアノ四重奏曲)とでは、独奏楽器の違いというのもあるかもしれないと思いました。
いろいろな楽器の音域つまりチェンバロ・ピアノ・オルガンの音域は、この時代でもチェロの最低音からヴァイオリンの相当高い音域までをカバーしていますから、ヴァイオリンとチェロの間の音域、言い方を変えればヴィオラの最もヴィオラらしい音域の内声は、それらの独奏楽器で演奏できます。ところがフルートの最低音はヴァイオリンの最低音より高いですから、チェロが低音を演奏している時にヴァイオリンとチェロの間の音域を演奏できる楽器がありません。つまりフルート四重奏曲を、フルート・ヴァイオリン2つ・チェロという編成にすると、高音域の楽器3つと低音域の楽器1つの間が空いてしまいます。それでフルート・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロという、高音域から低音域までまんべんなくカバーできる編成になっているのかな、と思ったのでした。
そこからまたさらに想像が進んで、フルートと同じくらいの長さの管楽器でありながら最低音はフルートよりずっと低くてヴィオラに近い不思議な管楽器、クラリネット四重奏曲というのがハイドンの時代に書かれていたなら、ヴァイオリン2つとチェロの間の音域をほぼカバーでき、しかも低音が出しにくいフルートと違ってクラリネットの低音域は、モーツァルトが晩年の名作クラリネット協奏曲で存分に活用したように、クラリネットならではの音色を聴かせることができますから、クラリネット・ヴァイオリン2つ・チェロという編成でも内声の充実が図れるかもしれないと思いました。
しかしクラリネットという楽器は、管楽器の中では遅れて登場した楽器で、ハイドンがチェンバロ四重奏曲やオルガン協奏曲を書いていた時代には、ウィーンの楽壇にはまだ普及していなかったかもしれず、モーツァルトが積極的にクラリネットのための曲を書いたのは晩年になってからでした。その頃には弦楽アンサンブルはヴィオラが含まれるのが普通になっていたと思われ、モーツァルトがクラリネットのために書いたもう一つの名曲クラリネット五重奏曲は、クラリネット・ヴァイオリン2つ・ヴィオラ・チェロという編成です。
(10月30日アップ)

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