2003年8月前半の日記
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8月15日(金)
お盆のピークを過ぎたのか、私の職場では、一昨日 昨日と休みを取っていたパートの人たちが何人も出勤してきました。もっとも、もし私の職場が今が忙しい職場でなく、そして私がもっと気楽に仕事を休める身分だったら、夏コミとは関係なくても今日も休み、週末につないで大型連休にしたいと思うところです。
ネットでの古いお知り合いである桂芳恵さんから、久しぶりに季節物のCGを頂いたので、今夜の更新ではまずこれを公開することにします。
それから、夏コミにサークル参加すると聞いている人のサイトを巡回して情報収集していると、リニューアルのために春から一時閉鎖されていた、永沢葉月さんのサイト「HAZUKI☆HAZUKI」が、「はづHP」と名を改めて再開しているのを見つけました。早速、リンクページを修正します。
しかしサイト再開は7月4日だったとのことで、リンクを張らせてもらっているのに1ヶ月以上もそのことに気づかなかったというのは、いかに私が自サイトのリンクページの保守を等閑にしていたかの証拠と言われても、返す言葉がありません。
そういった作業をしているうちにチャットルームが賑わう時間帯になったので、行きつけのチャットルームに行ってみましたが、不思議なほど人少なでした。
(8月16日アップ)

8月14日(木)
世間一般に言う「お盆」とはいつ頃を指すのか、たった今手許にある広辞苑を引いてみるまで知りませんでしたが、広辞苑には「うらぼん【盂蘭盆】」の項目に「陰暦7月13〜15日を中心に行われる」と載っています。そうすると今年の場合は8月10〜12日になりますが、太陰暦で日を決めていると、復活節と同じように年によって1ヶ月くらい日が動いてしまいますから、現実には8月10日から15日頃ということにしているのでしょう。そして「お盆の頃の金曜日から日曜日」という基準で日を決めているように見える夏コミは、今年は8月15〜17日と、例年に比べて遅い日程になっています。
夏コミの前にお盆が来たことを実感するのは、昨日あたりから、職場のパートの人たちが揃って休みを取っていることです。私だって休みたい時に仕事を休めるものなら、夏コミ前に充分休んで体調を整えて初日から参加するとか、夏コミ後にじっくり休んでから職場復帰するとかしたいのは山々ですが、これもパート職員より責任ある仕事(とそれなりに高い給料)を与えられている身の宿命と思うことにします。
暑かった昨日から、今日はまた一転して、一日中雨が降って涼しい日でした。先ごろ暑中見舞CGを頂いたなりぽしさんから、昨夜遅く今度は残暑見舞CGを頂きましたが、なりぽしさんがお住まいの地方は新潟県よりもっと涼しい日が続いているのか、CGに描かれた人物曰く「夏なんて無かった」らしいです。
ずっと涼しいならまだしも、新潟県は三寒四温ならぬ一寒一暑の天気で、夏コミ直前だというのに体調維持もままなりません。ともあれ今夜の更新ではまず、頂いたCGを公開します。それから付随的な作業を少し。CG制作は延期です。

8月13日(水)
昨夜は自室でホットコーヒーを淹れたほど肌寒かったのに、今日は朝から晴れて、また暑くなりました。仕事から帰ってくるなり、冷蔵庫を開けて“清涼飲料”(ノンアルコールビール)を1本空けました。
新潟県はこんな具合に天気が不安定ですが、今週末の東京の天気はどうなるでしょうか。夏コミ当日の天気を、無風の炎暑・オフセ本が飛ばされるほどの暴風・風は吹かずに土砂降りの雨、の3つのうちからどれか1つ選べと言われたら、私なら、紙製品(同人誌)を扱う関係上、大雨だけは御免蒙りたいものです。
昨夜遅く、「竜騎兵小火器工廠」Dragoonさんから暑中見舞CGを頂いたので、今日はこれを公開します。コメントに妙な事を書きましたが、あまり気にしないで下さい。

8月11日(月)〜12日(火)
今年の立秋は8月8日だったので、それを過ぎると暦の上では秋に入ることになり、知り合いの人たちに手紙なりメールなりを出す際の題目は「暑中見舞」ではなくて「残暑見舞」になります。
この「暦の上では秋」という常套句ですが、感覚的には8月10日頃というのは夏コミ直前夏の盛りとしか言いようのない時季です。統計的に見ても、日本国内の大半の土地で、一年で日平均気温が最も高いのはこの頃にあたるでしょう。それでよく「立秋というのに夏の盛り」というのですが、そもそも立秋というのは夏の極致に達してここからは秋へ向かって下っていく一方という時を指す、だから夏の盛りなのは当然だ、というようなことをどこかで読んだことがあります。広辞苑によると、天文学上は夏至から秋分までを夏とするそうで、そうすると立秋は夏至と秋分の中間にあたりますから、立秋の頃こそ夏の真っ盛りということになるのも納得のいくことなのかもしれません。
ですから例年は立秋を過ぎても暑さの盛りなのですが、今年はどうもそうではないようです。10日こそ台風一過で晴れて暑くなりましたが、11日からは雨模様で涼しく、今日12日などは、夜になって窓を開けたままパソコンの前に座ると肌寒くなり、冷蔵庫に冷えているノンアルコールビールを開ける代わりにコンロで湯を沸かしてコーヒーを淹れたほどでした。
そんな夜に虫が鳴いているので、秋の虫が鳴き始めたのかと思って聞いていると、これが秋の虫ではなくてセミです。前にもこんなことはありましたが、セミって夜行性の昆虫だったでしょうか?
(8月12日アップ)

8月10日(日)
昨夜サイトを更新した後、チャット中に、藤咲はじのさんから残暑見舞のメールを頂きました。
残暑見舞のCGを公開する作業をチャット中にやるのは無理なので、チャットが終わってからその作業にかかり、なるべく早く公開しようと思っていましたが、一昨日から昨日にかけてほとんど寝ていないのが祟って、チャットが終わる頃には作業意欲がすっかり失せて、結局作業をしないままパソコンの前を離れました。
それで今日、起きたのは午後2時です。外は台風一過──と言うには台風が来襲した実感が全くないのですが──の晴天ですが、どこへ出かけるにも時間が遅すぎます。でも何もしないよりはましと思って図書館へ行きましたが、2週間分の新聞を読むには時間が足りず、すぐに閉館時刻になって帰ってきました。
なぜか、夜になっても積極的に何かをしようという意欲がほとんど湧いてこないのですが、最低限の作業として自分に課した、頂き物の公開だけは済ませることにします。CGの制作には取りかからずじまい。完成までには、あと1日か2日は要しそうです。

8月9日(土)
昨日仕事が終わってから、暑気払いと称して宴会がありました。齢のことも考えて飲み過ぎないように心がけていたのですが、そうしたら今度は食べ過ぎてしまい、帰宅すると酔ってはいないのに腹が苦しくてパソコンに向かう気になれず、ちょっと休もうと横になったら、夜半過ぎまで寝てしまいました。
この頃は金曜日の夜にチャットルームに行くことはあまりなくなったので、ネット遊びの機会を損したとは思いませんが、CGの制作に充てることのできた時間を寝て浪費してしまったと感じることのないようにしたいものです。今日9日は台風が来る2日に故障したモニタを引き取りに来る予定のため、待機していなければならず外出できないので、それならCGの制作に専念しましょう──台風で停電しなければいいのですが。
(ここまで8月9日未明アップ)
夜半過ぎに起きると、まず、8日付として更新するには遅すぎる時間帯になりますが日記を更新し、それからはひたすらCGの制作に専念します。パソコンに向かったまま断続的に意識が途切れるという、極めて不健康な状態で作業を強行していると、やがて朝になり昼になります。
そのうちにソニーのサービスセンターから電話があって、夕方4時半から5時までの間にモニタを引き取りに来ると知らせてきました。時間帯がわかれば一日待機している必要はなくなるので、天気が良ければ図書館へ出かけるところですが、外は雨です。といっても、はっきり降り始めたとわかったのは午前11時頃からで、窓を開けていても吹き込んでくる風はかすかなもの、とても台風が新潟県に最も接近している時間帯とは思えないような天気です。
夕方、モニタを引き取りに来た業者に預け、それからもCGの制作を続けますが、どうも今回は原画段階の仕上げが雑だったようで、パソコンに取り込んでからの作業に手間取り、今夜ネット遊びを始めるまでに完成させるのは無理のようです。
その途中でメールチェックをすると、夕凪さんから残暑見舞の写真付きのメールが届いていました。そこでCGの制作は中断し、今夜はまず頂き物の公開を第一に行うことにします。

8月4日(月)〜8日(金)
4日の夜に日記を更新してからは毎晩、暑中見舞CGに続くCGの制作に没頭しています。内容的には夏服シリーズ第4作ですが、登場するキャラは今度も「ONE」の女性キャラであり、しかも題材としては夏服である必然性があまりないので、この夏の連作は第2次夏服シリーズというよりも「ONE連作」と銘打つべきだったかもしれません。
幸いなことにこの夏はネタ出しが好調で、ONE連作が終わっても夏服シリーズ連作が続けられそうなくらい題材は浮かんでいるのですが、問題は制作時間で、ゲームを全くプレイせず余暇時間を全てCGの制作に傾注して、これだけ頑張っても現状の週1枚が限度だとすると、8月の貴重な週末のうち2回はイベントで上京する予定が入っていますし、制作したい全てのCGの制作を終える頃には秋どころか冬になってしまっているでしょう。

先日両親が来た時に言っていたのですが、父は6日から、広島−長崎間450kmウォーキングに出発するそうです。詳しいスタート地点と時刻は聞いていませんが、8月6日に広島市を出発するということが有する象徴的な意味は、大部分の日本人、なかんずく日本の長距離ウォーカーの中心を占める60代以上の人たちには、言うまでもなく明らかなことであろうと思います。
そうすると長崎市へのゴールインは8月9日の午前11時?と思いたくなるところですが、いくら自称「アル中(歩き中毒)」の集まりでも3昼夜で450kmを踏破するのは無理ですから(1昼夜で、箱根駅伝の片道より長い距離を歩かなければなりません)、ゴールインの日時に象徴的な意味を持たせるなら、終戦記念日の玉音放送があった8月15日の正午あたりでしょう。
何度でも繰り返しますが、日本政府が旧ソ連政府に対してポツダム宣言の受諾を通告した(昭和20年8月14日)ことを日本国民に発表した昭和20年8月15日以降も、日本固有の領土である択捉島以南の千島列島において、旧ソ連軍による侵略行為が続いていたこと、それ以来50年以上にわたってその地域が不法に占領されているということは、朝鮮半島北部を実効支配する武装勢力が日本領土内において日本人を朝鮮半島北部に拉致したということよりも、もっと疑いを差しはさむ余地のない厳然たる事実として存在しています。
そういうわけで今頃、父を含む熟年ウォーカーの一団が山陽路を西へ下って歩いているはずなのですが、父は強力な晴れ男を自任しているにもかかわらず、今日8日には強い台風が中国地方を直撃した様子です。今のところ新潟県はまだ雨が降ってはいませんが、夜遅くなるとそろそろ風向きが怪しくなってきました。天気予報によると、台風は明日9日の日中に北陸地方を通過する様子です。
(8月9日アップ)

8月3日(日)
先月後半からの懸案事項だった暑中見舞CGの制作と公開が終わったので、CG制作意欲が持続しているうちに次のCGの制作に取りかかるか、それとも3号機が帰ってくるまでは気分を変えて軽い(マシンパワーを要しない)ゲームの消化でもするか、というところです。気分的には第2次夏服シリーズの継続という形でCGの制作に取りかかりたいところですが、その前に、暑中見舞CGを制作している間ずっと放置していた日記の更新という名の宿題、まさに気分的には宿題そのものの作業を済ませておくことにします。
(8月4日アップ)

8月2日(土)
10時前に起きて朝飯を済ませて、さて暑中見舞CGの制作に邁進しようとすると、今度はモニタが故障している様子です。電源は入るのですがパソコンからの入力信号が入っていないようで、すぐに待機状態になってしまいます。
3号機の故障に続いて、一難去ってまた一難としか言いようがありませんが、こんな事もあろうかと押し入れに押し込んだままになっていたもう1台のDellのモニタの箱を引きずり出し、今まで使っていたソニーのモニタとつなぎ替えます。パソコンの側をちょっと調整してやる必要がありましたが、Dellのモニタが正常に動作することを確認すると、ソニーのモニタを箱詰めにし、ソニーのサービスセンターに電話して、修理のために引き取りに来てもらうことにしました。
3号機を修理に出したのは買ってから2ヶ月足らず、新品ですから保証期間内だったのに対して、このモニタを買ったのは2号機を買った直後ですからもう4年近くになり、メーカー保証はとうに切れています。そうなると修理代がどのくらいかかるか予想がつかないのですが、17インチCRTを今新しく1台買うよりは安く済むでしょう、というより安く済むことを願います。
引き取りに来るのは、平日の昼間は留守にしているため、9日(土)になりました。お盆を挟むことでもあり、修理が終わって戻ってくるのは9月になってからだと思っていればいいでしょう。

朝からアクシデントがありましたが、モニタの修理の手配を済ませてからはひたすらCGの制作を続け、夜に入った頃に完成しました。いつもだとサイトで公開するためのHTMLを組んでコメントを打つ作業が続くのですが、今回はコメントは後回しにしてでも、CG本体をできるだけ早く公開し、そして公開したことをメールでお知り合いの人たちにお知らせすることを優先することにしました。
いつ、どこで目にしたのだったか、はっきりとは思い出せないのですが、自前のサイトを持っているCG画家が暑中見舞や年賀・クリスマスにCGを制作した場合、ネットの友人知人にメールを出すと同時にサイトにそのCGを公開したのでは、特にそのメールがCGを添付して贈るメールでなく、私がやっているようにアップしたCGのURLだけを書いてあるようなメールだと、メールを貰った人はブラウザを起動して贈り主のサイトを見に行かなければなりませんが、その時既にCGが一般公開されているのであれば、メールを貰わなかった人もCGを見ることができるわけですから、メールを貰った人にとってはあまり有難味がないのではないか、というような意見を目にしたことがあります。
このあたりのやり方は、CGを贈るのにCGそのものをメールに添付して贈るか、URLだけ書いたメールを贈るか(どちらも一長一短だと思います)というのと同じように、サイト管理者によってその根拠とする考え方が異なると思います。私に暑中見舞や年賀のメールをくれる、自前のサイトをお持ちのCG画家の方の中でも、メールにCGを添付して送信してきた方もいれば、メールはURLが書いてあるだけで、そのURLをしばらくの間は一般公開しない(サイトのトップページからリンクしない)ことにしている方もいます。
私の場合は、年末年始に帰省しているため、年が変わる瞬間には自分の自由に使えるパソコンの前を離れているのが毎年の例であることもあって、年賀CGのURLを書いたメールを送信してから年賀CGをサイトで一般公開するまでに若干のタイムラグがありますが、暑中見舞ないし残暑見舞とクリスマスの時には、できるだけ早く不特定多数の人たちに見てもらいたいという思いがありますから、CGのURLを書いたメールを送信するのとHTMLファイルを組んで一般公開するのがほぼ同時、というのが従来のやり方でした。
しかしそのやり方だとメールを貰った人は有難味がない、という考え方があることを知ってから、今年は少しやり方を変えてみようと思っていました。
そうはいっても、サイトでの一般公開をあまり遅らせると、立秋に間に合わず残暑見舞になってしまった昨年と似たようなことになりますから、暑中見舞CGの公開そのものは、メールを送信した後すぐ、2日の夜半前に行いました。ではどのように去年までとやり方を変えたかは、いずれ明らかにするつもりです。
(8月4日アップ)

8月1日(金)
私と同じ新潟県在住の兄は、脱サラから数年を経て30代も後半になっていい人ができそうだと、昨年末に上京した時に聞きましたが、それから話が順調に進んで、この土曜日に兄と両親、それに相手の女性とその両親が顔合わせをすることになりました。
それで両親がはるばる首都圏から兄の所まで来るついでに、今日の夕方、私の所へも来ると、少し前に連絡がありました。そっち方面の話が何一つ聞こえてこない独り暮らしの次男が、なかんずくその住居がどんな状況にあるか査察するのが目的ではなくて、ちょうどいい機会だから誕生祝をしてやる、ということです。独り暮らしが長いまま30歳を過ぎると、自分の誕生日は忘れることなく覚えていても、それを祝ってくれる人なんて周りにはいませんから、運転免許センターから免許更新の通知が来る年以外は誕生日を気にかけることもあまりありませんでしたが、今年は偶然の巡り合わせで、思いがけないことになりました。
それで、金曜日にもかかわらず仕事を極力早めに切り上げて、駅前のホテルに投宿している両親と落ち合います。三食自炊の独り暮らしをするようになってから、ほとんど食べることのなくなった物というと、まず銀シャリ──は健康のために自分の考えで麦飯を食べることにしたのですから除外するとして、寿司と天ぷらでしょうか。天ぷらはスーパーの惣菜売場で買ってくることが時々ありますが、それは翌日以降の弁当のおかずに入れるためで、1回の食事で食べきることは決してないので、「揚げたての」天ぷらというのは、もう何年も食べていない気がします。
ですから祝ってもらう側の私としては、そう意志表示して寿司屋か天ぷら屋に入りたかったところですが、父に連れられるままに入ったのはなぜか居酒屋でした。居酒屋のメニューというと、独り暮らしでも比較的簡単に作れる、天ぷら以外の揚げ物や焼き物が多く、ですから私が日頃食べている物が多くなってしまうのですが、文句は言わずに「のっぺ」や茶碗蒸しなど、日頃食べない物を食べることにしました。
両親は60代なのでそう飲むこともなく、私も自転車で帰宅する必要上なるべく飲まないことにして、久しぶりに両親といろいろな話をして、夜10時頃に両親と別れました。

帰ってくると週末前夜です。しかし今夜はチャットルームには行かないでCGの制作に専念することにしました。その作業も午前1時頃という、週末前夜にしては早い時間に中断して、明日に備えて寝ることにしました。もしかすると何か、虫の知らせがあったのかもしれません。
(8月3日アップ)

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