番外日記
日記本文へ戻る

2002年1月16日(水)
感想と言っても、エンディングNo.6「今を生きる」はNo.4および5と同じ「知的ルートのエンディング」と位置づけられていて、しかもエンディングの経過はNo.5とほとんど変わらず、最後に隆道が復学した大学の構内で夕美に再会するところだけが変わっているので、加奈の生涯に関する限り、No.5を見た時に比べて特に新しく感じたことがあるわけではありません。
ただNo.5では、加奈の危篤を聞いて病院に駆けつけた隆道が、待合室で夕美に「(加奈が最後に帰宅した時つまり加奈を海に連れて行った日の夜に)加奈を抱いた」と告白し、これで隆道と夕美の関係は最終的な破局に至ったに違いないだろうと思われたのですが、No.6では、『命を見つめて』という題で上梓された加奈の遺稿を読んだ夕美が「まあ、許してやってもいいかなって/……こんなの読まされて、まだ恨みを捨てられなかったら……私、鬼ばばだよ」と隆道に言う場面があります。
そこから想像すると、この再会からさらに時を経て──まあ一朝一夕にはいかないかもしれませんが──和解を果たした隆道と夕美が結ばれる、という後日談があってもいいのではないか、という気がします。隆道が加奈のことを忘れてしまうことはあり得ないでしょうが、No.2と3に比べると、No.5と6の隆道のほうが、「気持ちの整理ができた」状態に近づいているように感じられます。

No.5と6を比べると、6は言ってみれば「夕美寄りエンド」なので、そこに至るまでの選択肢の選び方も、幼少期では「照れ隠しのエスケープ」「(下駄箱に入っていた人形を)こっそり持ち帰る」中等期では「俺はとっさに鹿島(夕美)(*)に手を伸ばした」高等期では「(卒業式の日、制服の第2ボタンを夕美に)あげる」となっているのですが、夕美とつき合い始めた頃に夕美から貰った人形を見て、ずっと昔に手に入った人形(それが上述の「下駄箱に入っていた人形」)のことを思い出す場面があります。
それを思い出して押し入れを捜索している時、隆道が幼稚園にいた頃に描いた「家族の絵」を掘り当てますが、その絵には隆道と両親しか描かれていないことに触れられているのに気づいた時、これは遠い伏線に違いない、と考えた私は考えすぎだったでしょうか。No.2と3では臨終直前に至って明かされる「兄妹の真相」は、知的ルートではもっと早くから示唆されていて、それは「隆道が幼い頃の家族の写真に加奈が写っていない」ことに、ある夜二人でアルバムを見ていて隆道が気づくことです(その時に加奈も気づいていたことが、エンディングで遺稿を読み始めるとわかります)。
まあ私も、No.4と5を見た後でなかったら、「家族の絵」には気づかず、それが何かの伏線だとか考えなかったでしょう。前にNo.3を見た時のプレイでも、同じ場面を経過していたはずでしたが、その時の日記帳(ゲームプレイ記録)を見ても、それに気づいたという記述はありませんし。
(*)幼少期の後半から高等期の序盤にかけて、つまり隆道が夕美を憎み続けている間、隆道の一人称で語られる地の文では「鹿島」と表記し、つき合い始めると書き方が「夕美」に変わります。エンディングに入ってからも、移植コーディネータの書き方が、加奈からの肝臓の摘出に反対している間は「女」だったのが本を上梓した最後の場面では「織笠さん」に変わっているというように、このゲームのシナリオはさりげないところに注意が行き届いています。
(1月19日アップ)

日記本文へ戻る