2000年10月前半の日記
←10月後半の日記へ   ↑2000年の日記へ   9月後半の日記へ→

10月15日(日)
今日は午後から長岡で用事があるので午前10時に起きなければいけないのに、徹夜チャットを終えて寝たのが午前7時です。
とにかく10時に起きて、長岡へ向かいます。
午後1時頃長岡に着くと、駅前の大通りが通行止めになっていて、パレードをやっています。
何の祭りなのかと、バスを降りてから行ってみると、シドニーオリンピック女子平泳ぎで銀メダルを獲った中村真衣選手(長岡市出身)の凱旋パレードと祝賀会なのでした。
女子マラソンで金メダルを獲った高橋尚子選手は国民栄誉賞を受賞しましたが、銀メダルの中村選手はそれには及ばないものの、これを機に県民栄誉賞を設けて表彰すると県知事が発言した、と新聞で読んでいます。
首都圏に比べて必ずしも競技環境に恵まれているとは言えない新潟県出身で、才能と鍛錬の結果として世界のトップ選手となり、日本代表というプレッシャーとも戦いながらオリンピックで銀メダルに輝いた中村選手には、同郷者の一人として素直に傾倒します。
しかし、いまだ学生、21歳という若さで「時の人」となった中村選手が、人生を誤るような落とし穴に陥らないだろうか、という一抹の不安があります。
それというのも先日、同じくシドニーオリンピック日本選手団として出場した西武の松坂選手が、何とも由々しき不祥事の渦中にあるのを知ったからです。
この辺りについては、近いうちに文章にまとめて3番倉庫に入れたいと思います。
(ここまで10月17日アップ)
午後2時から長岡市郊外のホールで、これまでにもこの日誌で何度か触れたチェンバロの演奏会がありました。
今日の題は「情熱のチェンバロ」。バッハやヘンデルに代表されるバロック音楽は、情熱という言葉からは程遠い、中庸と節制を旨とする音楽のように思われているかもしれませんが、その中にも情熱的な音楽はあるということです。
しかし私が今日聴いた曲の範囲では、情熱的といってもやはりバロック時代(16世紀〜18世紀前半)の尺度での情熱であって、後世の音楽に比べると安心して聴いていられます。私の偏見かもしれませんが、今世紀のクラシック音楽の中には、「音楽」という言葉の字面に反して、聴衆に当惑と苦痛を与えることを目的としたような曲が稀ではないと思います。

今日の最大のイベントは、「そこつやの館」チャットルームの常連の人たちの間で企画されていたオフ会です。
場所は東京池袋、集合時刻は午後8時ということなので、長岡を午後5時過ぎに出る上越新幹線に乗って東京へ向かいました。
定刻の午後8時に池袋駅に着きましたが、うっかりして集合場所を忘れていたので、幹事のぶらぢるさんばさんの携帯に電話して集合場所を聞き、そこへ行くと、ぶらぢるさんばさんの他、既にさん、なりぽしさん、ふりんとぶらっくさんが集まっていました。
少し遅れてじんとにっくさんが合流したところで、さっそく近くの居酒屋に乗り込んで一次会となります。
私たちの間では「下級生」キャラクターのカスタマイズドール制作で知られるふりんとぶらっくさんは、今日のオフ会にも何体ものドールを同伴してきていましたが、一次会の席でさっそくSDタイプの結城瑞穂ドールがお目見得して、虜になる人が続出しました。
私も、オフ会に持参すると公言していた原画制作道具一式を取り出して、飲み食いをそっちのけでスケッチを始めました。
一次会は、仕事の都合で遅れて合流することになっていたガンさんとtomiさんが合流するまでの腹ごしらえという位置づけだったのか、みんなそれほど痛飲しないうちに2時間ほどが過ぎ、ガンさんからぶらぢるさんばさんの携帯に連絡があって、店を出たところでお二人と合流して8人揃いました。
すぐ近くの居酒屋に入って二次会となります。時刻は午後10時を過ぎていましたが、まだまだ夜は長いので私などは飲みを抑えているうちに、tomiさんが大いに飲んで、いつものチャットの様子からは想像もできなかったほど快活になりました。
午前0時を過ぎて二次会も終わり、今度はカラオケボックスに場所を移して三次会となります。
こういう場で歌うのはアニメソングと相場が決まっているのでしょうか、40歳前後の人がいるにしては誰も演歌など歌わず、アニメソングばかりが続きます。
私も、放送当時生まれていなかったはずなのになぜか知っている「鉄腕アトム」を替え歌にして歌ったりしていましたが、出発前に3時間しか寝ていなかったのが災いして、午前4時半頃から後の記憶がありません。
それでも午前2時頃までに、今回がお目見得となる加納涼子と、装いを新たにした新藤麗子のスケッチをものしました。
この他にも持田真歩子と、もっと大きいサイズのSDタイプ結城瑞穂、さらに他のドールも披露されたと思うのですが、残念ながらスケッチしていません。
(10月18日アップ)

10月14日(土)
昨夜の問題提起は、見事なまでに拒絶されました。
どうやらリレーSS参加者の共通認識事項として、主人公の名前、ここでは「けんたろう」は、他の登場人物が持つ「姓・名」とは異なる独自のシンボルとしての意味を持つらしいです。
そのことの当否を問題にすることはしません。私一人の創作でなく、リレーSSとして共通の基盤を持つ複数の作者の共同創作に参画する限り、その多数を占める参加者の了承事項を尊重するのは已むを得ないでしょう。
一番の問題は、既に公開されている回の内容に変更を迫ることであり、リレーが走り始めてからルールの変更を申し立てることが、そもそも無理だったのでした。

という次第で、私としては初挑戦になる、「下級生」二次創作の打鍵を始めます。
今までの経験からして、私がモノローグを書くと読むに堪えない代物ができるということがわかっているので、モノローグにだけはしない、そのためには一人称を止めて三人称にする、とまず決めます。
幸い、第8回が三人称で書かれているので、それの最後を受けて続ければ三人称で続けられます。
あとは、パラグラフを長くしすぎないこと、なるべく平易な言葉を使うこと、会話にはオリジナリティを出すこと、といったところに留意して打鍵します。
午後10時には一応完成しましたが……題名が決まっていない。
書き出しと結末が決まっていて、途中も大まかに決めてあって、途中経過は少し予定と変わりましたが、案外すらすらと打鍵できたつもりだったのに、最後でおかしな事になってしまいました。
CGもそうですが、最後に題名を決めるようなことになると、たいてい拙劣な題名になります。
どんな評価を受けるか、あと2時間もすればわかるでしょう。
それから、参加当初から多大な期待を寄せられていたらしい挿し絵の制作にかかります。
これは私の場合、本文の拙さを補うためにも不可欠ではあるのですが、時間的制約もあるのであまり本格的なCGは描かず、極めて簡易なモノクロ画にすることにして、30分ほどで制作しました。
(ここから下は10月17日アップ)
午前0時頃、「そこつやの館」のチャットルームに行くと、常連の方々が三々五々集まってきました。
チャットルームで耳にした限りでは、私が担当したリレーSSとその挿し絵には、割と好意的な批評が寄せられました。
しかし、10人余り集まった常連客のほとんどがリレーSSの執筆者でもあるという状況の下では、話題はすぐにリレーSSの今後、それに際しての問題提起に移っていきます。そのためチャットの後半は、これまでに公開された分の感想を述べ合う場ではなく、リレーSSのルールを議論する場になっていったのは否めません。
その他にも、チャットのCGIがサーバに負担をかけるせいかサーバエラーが頻発するので、予備のチャットルームをメインチャットにする話が起こりましたが、利用者の立場からいろいろな要望を述べる人がいて、管理者のそこつやさんがCGIの改造に奮闘し、チャットが散会になったのは午前6時を過ぎていました。

10月13日(金)
13時間も寝たというのに、心身とも絶好調とは程遠い状態で、むしろ風邪がぶり返したような気がします。
そうしている間にも容赦なく時間は過ぎて、リレーSSの期限が迫ってきます。1巡目から時間切れで「落として」いるようでは他の参加者の方々に申し訳が立たないので、今夜から明日いっぱいは、本腰を入れてリレーSSに取りかかることにしましょう。
と思いながら、テレホタイム前に巡回してみると、11日の深夜に私がした発言「下級生リレーSS勝手に番外編」に、他の参加者の方から苦言が呈されていました。
その論旨は至極尤もなので、番外編は止めます。
そうすると第7回に続ける形の第8回を書くことに専念するしかなくなるわけですが、ここで一つ、本来ならばリレーSSが始まる前に提起しておくべきだったと思うのですが、改めて提起したくなった問題があります。
エルフのゲームにだいたい共通しますが、元のゲームでプレイヤーが演じるキャラクターの名前が変更可能になっている場合、下の名前だけを設定するようになっています。「下級生」で言えば、デフォルトは「けんたろう(仮名書き)」で、これを仮名8文字以内の名前に変更することができます。
ところが、現代の日本の高校を舞台にしたゲームであることを考えると、ゲームに登場する人物が全て、主人公を下の名前で呼ぶことには、私としてはどうしても違和感を感じる場合があるのです。
主人公は高校3年生なのですが、それを下の名前で呼ぶことに私が違和感を感じる人物の双璧は、担任の教師と、学年が下の生徒です。
同学年の生徒であっても、最初、主人公と親しくないうちは主人公を名字で呼んでいて、ある程度親しくなってきた時点で主人公を下の名前あるいはあだ名で呼ぶようになる、その方が現代の日本の学校を舞台にしたゲームにはふさわしいと思うし、まして元のゲーム「下級生」は恋愛シミュレーションゲームですから、「下の名前で呼ぶようになる」のが一つのメルクマールになっていてほしかったと思うのです。
ですから私が担当する回を書く時には、担任の教師、学年が下の生徒、同学年であっても親しくない生徒、他校の生徒、こういった人物には主人公を名字で呼ばせたいと思います。
そのために、リレーSSに登場する「けんたろう」の名字を設定してみたくなったのです。
ですがこれは、大袈裟に言えばリレーSSの世界観に影響を与える行為であり、そうでなくても既に公開されている回の内容に変更を迫ることになるので、これを独断で行うわけにもいきません。
期限まであと一昼夜となりましたが、今夜のチャットで、この問題提起をしてみます。

10月12日(木)
昨夜2時過ぎまでネットにつなぎ、その後も布団の中で考え事をしていたので、また重度の寝不足になり、帰宅するなり翌朝まで寝てしまいました。
(10月13日アップ)

10月11日(水)
制作したいCGは何枚もありますが、そうかといってせっかく思いついた3番倉庫のネタを文章化するのを後回しにしていては、そのうちに時機を逸して書く気を失ってしまうと思うので、今夜はCGの制作は横に置いて、3番倉庫に入れる文章を打鍵します。
今度のは、いかにもインターネットおたくっぽい題材です。
実はこの文章を書くきっかけになった新聞記事は、日記帳によると9月18日に読んだ(9月18日付とは限らない)日本経済新聞の記事だったらしいのですが、8日と今日の夕方、図書館へ行って9月分の日経を探してみても、それらしい記事が見つかりません。
それで原文を参照することはできず、日記帳に書いてあることを手がかりに、20日以上前に新聞を読んだ時に考えたことを文章に再構成して打鍵したのです。
3番倉庫のネタはもう一つあって、オリンピックを新聞記事で見ていて感じたことなどです。
これこそ、早く文章化しないと時機を逸してしまいますね。
(ここから下は10月13日アップ)
サイトを更新した後で巡回していると、ICQのメッセージが入ったので、そこつやの館のチャットルームへ行きました。
10月になってからそこつやの館で始まった企画、「下級生リレーSS」には、私も菲才を顧みず参加していて、執筆順序は8番目となっていますが、第6回を担当したじんとにっくさんの後を受けて私が第7回を書くとしたらどんな風に書くか、そんなことを何となく考えていました。
ところがチャット中に、第7回を担当するひろゆきさんが来て、担当分が書き上がったと言うので、読みに行ってみると、これが私の予想をはるかに超えた方向へ展開していて、この後を続ける自信を跡形もなく失いました。
こうなるとリレーの特権あるいは禁じ手とも言われる、「その頃○○は〜」という強行手段くらいしか思いつかないのですが、第9回を担当する人のことを思うと強引な場面転換もしたくないし、下手に場面転換して不得手なキャラクターを主役にして書けば自爆するのは目に見えているし、「CGなら」と言って参加表明したからといっても第7回の挿し絵はいい場面を思いつかないし、それに私と同じようにCGで参加したじんとにっくさんが見事な文章を書いているのに私が文章を何も書かないのも面白くないし、という具合で、3日間の制限時間は始まったばかりだというのに、すっかり手詰まりになってしまいました。
その一方で、「第7回を私が書くとしたら」と想像していた文章は、ボツにするには少しもったいないと思ったので、第8回として書く文章とは別に、「下級生リレーSS勝手に番外編」とでも名付けて投稿しよう、などと考え始めます。
それやこれやで、パソコンの電源を切ったのは2時を過ぎていました。

10月10日(火)
昨夜はサイトの更新は午前0時頃に終わったのでしたが、その後いっこうに眠くならないので、次に公開しようと考えている旧作の小説のHTML化に取りかかり、気がつくと午前6時になっていました。
2時間ほど仮眠しただけで出勤しましたが、これでもそれなりに仕事ができてしまうものです。
などと自分の体力を過信していると、週末にその反動が出てきてしまうでしょう。

昭和39年のこの日に東京オリンピックの開会式が行われたことを記念して祝日に制定された「体育の日」でしたが、今年からは毎年必ず三連休ができるようにするための移動祝日に選ばれて、「10月10日」ではなく「10月第2月曜日」になりました。
今年からは成人の日も移動祝日になりましたが、どうも私たちは移動祝日というものにまだ慣れていないようで、職場の掲示板に「○○の会議を10/10(火)に行う」と書いてあるのを見ると、一瞬あれっと思います。

帰ってからは今夜も、サイト全体にわたる微修正です。昨日の項に書いた寄贈先サイトあるいは拝領元サイトへのリンクですが、普通のウェブサイトではリンク箇所のテキストには下線を付けるようになっています。というよりもInternet ExplorerとNetscape Navigatorでは、デフォルトでリンク箇所のテキストには下線が付きます。
しかし当サイトでは、サイト内の他のページへのリンクがあちこちにあるので(運行日誌の中にも過去の日誌へのリンクが随所にあります)、リンクが目障りにならないように、リンク箇所のテキストの色を背景と同系色にし、スタイルシートを使ってわざとリンクの下線を消すようにしています。
ところがそうした結果、本当に見てもらいたいリンクまで目立たなくなってしまったので、寄贈先サイトあるいは拝領元サイトへのリンク箇所には、後からタグを使って下線を付けることにしました。何だか二度手間をかけているような気がしないでもありません。
(ここから下は10月11日アップ)
0時過ぎにサイトを更新してから巡回していると、かつて当サイトからリンクしていた「R's Castles」が再開しているのを見つけました。
正確に言うと、私がネットにアクセスできる日は欠かさずに巡回している「恋姫達の社」の日記のページに、R's Castlesが再開したという記事を見つけたのです。
7月3日に、サイトを閉鎖するというメールを受け取って以来、サイトに関しては何の音沙汰もないのですが、管理者のRさんは近頃ではチャットルームにも顔を出されていて、サイトの再開はいつになるのか、少し気にかかっていたところでした。
Rさんからはサイト再開の挨拶を何も受け取っていないのですが、恋姫達の社のリンクページに再登録されていたので、独断で当サイトのオプショナルコースに再登録させていただくことにしました。
一晩で二度目の更新は午前2時半に終了しました。しかし明日も定時出勤なのですから、こう毎晩夜更かしするのはあまり好ましいことではありません。

10月9日(月)
昨夜、新作CGをコメント付きでアップロードしたのは、結局午前4時でした。
それから布団に入って、後先考えずに爆睡し、起きたのが午後2時です。
これだけ寝たというのに、風邪はむしろ悪化したようです。
この次の週末までには、確実に治しておかなければなりません。

「ダイヤ改正」には特に書いていませんが、1番倉庫を中心に、事務所の広範囲にわたって多少の修正を行っています。
例えば私が制作して寄贈したCGの場合、1番倉庫の目録ページ(事務所のメニューからリンクをクリックして最初に到達するページ)には寄贈先サイトへのリンクが設けてありますが、CGを公開してあるページへダイヤ改正から直行すると、そのページには寄贈先サイトへのリンクがないのがほとんどです。
これはいささか難があるかもしれないと思ったので、コメントの中に寄贈先サイト名が最初に出現する箇所に、寄贈先サイトへのリンクを設けることにしました。

10月8日(日)
昨夜は0時頃に行きつけのチャットルームへ行き、久しぶりに談論風発、大いに盛り上がりましたが、私は午前4時半頃から断続的に居眠りしてしまい、午前6時に目を覚ますとマシンがフリーズしている体たらくです。
マシンを再起動しても、もうチャットを続ける気力が失せてしまいましたが、寝るなら布団に入って寝ればいいのに、コタツに当たった姿勢から後ろへ倒れてそのまま寝てしまったものですから、またもや体調が崩れかかっているようです。

昼頃起きて図書館へ行き、今日の分までの新聞を片づけると、引き続き新聞のバックナンバーや縮刷版を漁ります。
実は、7月以来新着がない3番倉庫に、ちょっと書いておきたいネタが浮かんできたのですが、その一つは先月頃に職場で拾い読みした新聞の記事から思いついたものなので、改めて文章にするに際して確認しておこうと思ったのです。
もう一つは先頃閉幕したシドニーオリンピックに関わることで、1984年のロサンゼルスオリンピック当時の新聞記事を見ようと思ったことです。
それにしても、私は子供の頃から図書館をよく利用してきて、こういった多種多様な情報提供サービスを無料で利用できることをごく当然のことと思っていましたが、自転車や徒歩で行ける距離に図書館がない地区はいくらでもあるわけですし、もし公立図書館に匹敵するサービスを完全独立採算の民間企業が提供するとしたら、どれくらいの対価を払わなければならないか、ということを考えてみると、図書館を無料で利用できるというのは大変なことなのだと思わずにはいられません。
例えば4大新聞を全部、個人の家庭で購読したらいくらかかるか、それだけを考えれば充分でしょう。
最近はインターネットで新聞を読むことができるようですが、要約だけで全文は読めないらしいですし、インターネットの接続料や電話代だって無料ではありません。
まして公立図書館の、万冊単位の蔵書を所有し、管理するなど個人の力では不可能です。
もっとも無料といっても、それはつまり自治体が経費を負担しているのであって、私たちは住民税という形で間接的に図書館の利用料金を払っているわけですが。

帰ってきてからもCGの制作を続け、夜半前に完成しました。
完成したCGの縮小版は案内所に公開してあるので、もうご覧になったはずですが(このページをブックマークしている奇特な方はいないでしょうね)、案内所に公開した「洋子・いずみ版」の他に、もう1枚「いずみ単独版」を制作してあります。
「いずみ単独版」の方は、日頃からネットでお付き合いさせていただいているさん(「お昼寝宮」管理者)にお贈りしました。
「洋子・いずみ版」の方は当サイトで公開しますが、日誌の打鍵やコメントの制作に時間がかかりすぎていて、午前2時を過ぎたのに公開できる様子がありません。

10月7日(土)
昨夜はそれほど遅くまでチャットした実感もないのに(オフラインにしたのが午前3時……これを遅くないと言うのか?)、CGの作業中に寝てしまって、目を覚ましたのは午後3時でした。
今週は連日、午前3時4時までパソコンに向かっていましたが、その反動が出たのでしょう。
しかもパソコンデスク代わりのコタツに入ったまま寝ていたので、寝冷えしたようです。

図書館へ新聞を読みに行ってから、帰宅後は引き続きCGの制作です。
このところずっと制作を続けているCGは、今夜チャットルームへ行かなければ明日の朝には人物が完成する見通しです。
こんなに時間がかかってしまったのは「八十八学園の『春』」以来でしょう。
今のトップCG「紅環」は、公開と同時に反響を呼んでいるようですし、自分としてもまずまず満足のいく作品なのですが、サイトのトップに置いておくにはやはり、あまりにも陰惨なので、早く次のトップに差し替えたい、というところです。

10月6日(金)
今日も晴れました。定時に仕事を終えて、自転車に乗って市内の図書館へ向かう途中、民家の庭先にコスモスが咲いているのを見かけました。
コスモスは「秋桜」とも書きます。この事を思い出すと、またもや次のCGの題材が浮かんできました。
下級生リレーSSの挿し絵も描きたいし、それよりも先月から制作中のCGを完成させなければならず、明日から3連休とはいえどちらをするにも充分な時間があるとはいえないというのに、題材ばかりが次々に浮かんでくるというのも困ったことですが、それも贅沢な悩みでしょう。
夜もせっせとCG制作を続けますが、午後12時前には中断して、日誌をさっと打鍵してからチャットルームへ向かいます。

10月5日(木)
何日ぶりかに晴れた今日、職場の構内を歩いていると、キンモクセイの香りが鼻をくすぐります。
晴れた空を見上げると、夏の風物詩だった積雲の代わりに秋を思わせる巻積雲が浮かんでいます。
こうして日一日と秋は深まり、やがて冬が訪れるのです。

夜を日に継いで、と言うと大袈裟ですが、この頃は毎晩、次回作のCGの制作に時間を費やしています。
制作に着手したのが先月の26日、その直後にはISDN回線への切り替えに際して深刻なトラブルに直面したわけですが、それにしても着手してから10日目になるのに背景もできあがっていないとなると、やはり構想が大きすぎたのではないかという気がしてきます。

毎月5日は、前月後半の運行日誌を「過去の日誌」に移す日、ということにしています。
7月までは毎月1日に、前月分の更新記録と伝言板のログを、それぞれ過去区分に移すことにしていましたが、7月の途中からは「ダイヤ改正」から更新箇所に直接リンクするようにしたので、月末近くに更新した箇所へのリンクをなるべく長い期間残しておけるように、前月分の更新記録を過去区分に移すのは、毎月10日をめどにすることにします。
というよりも、なぜか8月・9月とも月の上旬にサイトの更新ができなくなり、前月の更新記録を過去区分に移すのが10日以後になったので、それを前例にするという方が正しいでしょう。

10月4日(水)
昨夜帰りがけに雨に打たれたせいか、風邪を引きかけているようです。
今のところ風邪薬で抑えていますが、週末までには完治させておきたいところです。

今夜の更新は、昨日制作した「紅環」の公開です。
サイトのトップに置くには、ちょっと雰囲気が暗すぎないかという気もしますが、「ラインの黄金」のトップもずいぶん長いし、次回トップに予定しているCGの制作にはまだ時間がかかりそうなので、気分転換を図るためにトップにも公開します。
それから3日分の日誌の打鍵。あまり遅くなるようだと、5日の更新の扱いにすることになるかもしれません。

10月3日(火)
相変わらず、次回案内所に公開する予定のCGの制作が捗らず、気分的に少し煮詰まってきたので、肩の力を抜いて気楽にラフ画でも描いてみようと思いました。
そこで題材に選んだのは、昨日の項に書いた下級生リレーSSではなくて、先日「お昼寝宮」に公開された、天巡 暦さんの新作SS「春雨相似夜話−陰の章−『紅環』」です。
これは、9月の初めに私が天巡さんから頂いたSS「春雨相似夜話−陽の章−『白衣』」の対になる作品です。
お昼寝宮で初めて読んだ時には、かなり複雑な気分になりましたが、それの挿し絵またはイメージ画を描きたいという意欲が、今日になって澎湃として湧き起こってきました。
そこで今度は、次回作予定のCGよりも自分の制作意欲を優先することにし、「紅環」のイメージ画を描くことにしました。
それには、下級生リレーSSに挿し絵画家として参加することになった場合、次々に書き継がれていく文章に合わせて挿し絵を描いていくために、なるべく短時間で手早く仕上げる練習をする、という意味合いもあります。
実際の制作は、グラデーションを使うなどラフ画と呼ぶには手をかけすぎた結果、3時間ほどかかりましたが。
夜が更けてから、さん(「お昼寝宮」管理者)たちをICQでチャットルームに呼んで、完成したばかりのCGを見てもらうと、「天巡さんにお贈りしては」という意見が多かったので、ICQがオフラインだった天巡さんにメールを出してCGをお贈りしました。
(10月4日アップ)

10月2日(月)
10月に入って時雨がちな日々、朝夕はすっかり涼しくなりました。
こんな季節になってくると、そろそろ案内所のCGを差し替えたくなります。
私の定期巡回先に入っているサイトの一つが、8月から「暑中見舞のCG」をトップに公開していましたが、いくら何でも10月になって暑中見舞でもなかろうと、トップCGを引っ込めたのを知っています。
現在の「ラインの黄金」は特に夏季限定のCGというわけではありませんが、掲出したのが8月27日だったので、もう1ヶ月以上過ぎています。
その次に制作した「夏こそたい焼きっ!!」は、これは題材が(ギャグに走りすぎただけでなく)夏季限定なので、今さら案内所に出すわけにもいきません。
というわけで次に案内所に掲出する予定のCGの制作を進めていますが、どうやら今度も構想が大規模すぎたようで、なかなか制作が進みません。
その一方で、CG制作の息抜きに巡回すると、「そこつやの館」で「下級生リレーSS」が始まっていて、第1回を見たとたんに挿し絵のイメージが閃きます。
こういう時は、とにかく機を逸さずに制作に取りかかるのが最善の方法、少しでも躊躇すると制作しそびれてしまう、というのが日頃の考え方ですが、さすがに1枚CGを制作中に、次のCGに取りかかるというのは、共倒れになる危険を思うと二の足を踏んでしまいます。
(10月4日アップ)

10月1日(日)
昨夜の更新では、コメントを付けないままで公開してあった、そこつやさんのSS「はばたけ友美、明日の空へ」にコメントを付けました。
その他、日誌を打鍵したりトップページを修正したりして、午前2時過ぎにサイトをアップロードします。
今夜からは「ISDNのテレホーダイ」なので、1ヶ月に12時間(ただし午後11時から午前8時までの間)接続すれば元が取れるわけですが、初日からそう意気込むこともあるまい、今夜は寝ようと思っていると、ICQのメッセージが入りました。
ネットでの知り合いの方々の間で、ある企画が持ち上がりつつあり、その方々の間ではCG作家と見なされているらしい私にも、その企画へのお誘いがかかったという事のようです。
企画の内容は、まだここで明かすことはできませんが、かなり細かいところまで詰められているようで、夜が更けるのにもお構いなしに熱心な議論が続きました。
議論は尽きなかったのですが、窓の外が明るむ頃、急激な睡魔に襲われて、午前6時前に退出して寝ました。

起きると午後2時です。どうすれば健康を害せずに睡眠時間を切りつめられるか、有効な方法をご存じの方のご教示を乞いたいです。
天気予報では曇または雨だったのに、秋晴れの好天です。昨日は月末で図書館の休館日だったので、この天気なら図書館へ行くのがいつもの習慣ですが、毎月1日に図書館に行っても前月分の新聞は製本中で読めないと経験的に知っているので、今日は図書館へは行かないことにして、CGの制作にかかります。
ところが参考資料として図書館から借りてあった本をスキャンしようとすると、スキャナがうまく作動しません。
スキャナはUSB接続ではなくてSCSI接続なので、USBポートの問題ではないはずだと、あちこち調べてみると、どうやらOSを再インストールした結果、その前にインストールしたままになっていたスキャナが本来の「イメージングデバイス」として認識されていず、「その他のデバイス」として認識されていたため、TWAINドライバがスキャナからパソコンへデータを正常に出力できていなかったようでした。
OSの再インストール(もしかすると本当はそれをやる必要はなかったのかもしれません)の結果、こうあちこちに問題が出てくるとすると、USBポートに接続したままドライバの更新も何もしていないタブレットが正常に作動するか、非常に不安です。
その不安が杞憂で終わるか現実になるかは、今夜サイトを更新した後、CG制作がパソコン上での作業に移ってから明らかにされるでしょう。

昨夜あたりから急に肌寒くなったので、洗濯物を整理するついでに衣替えをしました。
ところで今日は、5年に1度の国勢調査の日です。調査票は9月中旬には配られていたので、記入要領を見ながら記入しますが、先月29日のように勤務時間が終わった後、仕事上のつき合いで飲み会に参加させられた場合、それに拘束された時間を労働時間に加算したくなったのは私だけでしょうか。
……給料を貰っていないのだから労働時間ではないんでしょうね、きっと。
それと、私が今の住所に引っ越してきたのは5年前の10月5日です。10月1日付で転勤の辞令を受け取って、5日にここへ来たのですが、その時、前の住所でも今の住所でも、国勢調査の調査票を記入した覚えがありません。
そうすると1995年から2000年まで、私という人間の存在は、衆議院の選挙区割りその他、国勢調査に基づいて実施されるいろいろな行政上の決定に反映されてこなかったことになるのでしょうか。
まあ、そんなことで悩んでも始まらないでしょう。私には国籍も戸籍も、住民票もあるのですから。いろいろな事情でそれらがない人だって、日本にはいると思います。

ページのトップへ戻る

←10月後半の日記へ   ↑2000年の日記へ   9月後半の日記へ→