釧路戦記(改訂版)

あとがき
 私が初めて執筆した本格的な小説「釧路戦記」は、原稿用紙900枚以上の長編小説を、中学3年から高校1年まで丸1年以上かかって書き上げたこと、その後「拾い子」を書くまで5年間、小説の執筆から遠ざかっていたこともあって、私としては人生の記念碑とも呼びたいほどに思い出深い作品です。
 しかし執筆からしばらく経つと、かけがえのない自筆原稿が、悪筆のために判読できなくなったり綴じ目がばらけて散佚したりする恐れが出てきたと感じました。そこで自宅でパソコンが使えるようになった1991年頃から、この作品の電子化に取りかかりましたが、一字一句テキストエディタで打ち込んでいく間には、書き直したい箇所がいくらでも出てきました。
 それは私だって最初の原稿を執筆してから数年間、いろいろな本を読んだり実生活でさまざまな体験をしたりしていますから、それなりに知識も人生経験も増えて、小説を読み批評する上でそれらが活かされてくる──つまり最初の原稿を執筆した頃より成長する分だけ、昔の作品の出来に満足できなくなるのは当然のことです。
 でも、今取りかかっている作業は古い小説をなるべく原型に忠実に保存するための作業だと決めていたのですから、直したくなった部分がどれだけあろうと、誤字脱字に至るまで自筆原稿通りに電子化したのです。

 しかしそう自分に言い聞かせながら作業をしていても、やはり書き直したいという欲求は抑えられませんでした。
 そこで王朝三部作の執筆が終わった──第3作「岩倉宮物語」は中断してしまいましたが──1993年頃から、「釧路戦記」の全面的な改訂に取りかかりました。
 改訂によって改められた箇所は非常に多いですが、基本的な方針としては非現実的な部分を改め、冗長さを除く、という方針に則って行いました。
 その結果第一部では、先制攻撃を受けた革命軍からの予告状がなくなり、戦闘場面では擬音語が削除される、というようにしてライン数が約2割減少するという、私としては画期的な結果になりました。それに対して第一部の次に改訂した第三部は、ほとんど変化がありません。
 しかしこの改訂作業も、第二部第三章(改訂前の原稿では第五章)に入ったところで中断してしまいました。
 それは、この頃から学業が忙しくなったこともありますが、最大の原因は、この素材ではどれだけ改訂しても当時の私が満足できる作品にはならない、と見切りをつけたことです。
 昭和40年代の日本で、巨大な犯罪集団と私設軍隊が根釧原野で戦争を行うという最も基本的なプロットが、王朝三部作を書き上げた私には、あまりに荒唐無稽に感じられたのです。
 そして今、実生活で肉親の死に立ち会ったこともある私には、夥しい数の人の死を小説として書くことは、相当の覚悟と勇気を要すると思います。
 未完に終わった「釧路戦記(改訂版)」、ウェブサイトで公開するにはあまりにも中途半端な形ですが、改訂作業が途中で終わったという事実が、ある意味では私の、人間としての成長の跡と言えるかもしれません。
2001年2月14日

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