釧路戦記

第四十二章
 七日の昼過ぎ、中隊長から指令があった。
〈哨戒に出ている兵を二○○○までに召集せよ〉
 私は半信半疑ながら部下を集めた。八時少し前に再び指令があった。
〈二○三○までに、本部に出頭せよ。完全武装で来い。夜間行軍だ〉
 やっと解った。根釧原野に、一大決戦を展開するのだろう。私と部下は、完全武装で本部へ向かった。
 本部の前の広場は、百人以上の兵士で埋まった。中隊長は話し始めた。
「敵は根釧原野に、まだまだ大勢力を有している。我が軍は、明朝を期して決戦を行う。我が中隊は、遠矢北東方、仮監に駐泊している敵部隊と戦う。明朝○四○○、ここを出発する。以上」
 この日を待っていたのだ。私の胸は躍った。
 私は中隊長に呼ばれた。
「弾薬の割り当てだ。重機四挺、弾は各々五千発。迫撃砲二門、弾は各々五十発。これを、トロッコ四台に積む」
「了解」
「ああ、それに、携帯食糧を各人五食分だ」
 倉庫から、トロッコが引き出されてきた。これを見るのは何か月振りだろう。七月からだから五か月振りだ。私は部下に命じた。
「浅野、早川、食糧を受け取って来い。三十人分、一五○食だ。一五○食。石田、屋代、中山、迫撃砲と弾丸を運べ。本隊は二門、弾丸は百発だ。発煙弾がもしあったら十発くらい混ぜて運んで来い。河村班、重機を運べ。四挺だ。俺も行く。他の者は十七人いるな、一人六本ずつ、重機の弾帯を運べ。分かれ」
 皆一斉に作業にかかった。重機の運び方というのは、旧軍の九二式重機と同じやり方で、斜め前へ出ている二脚の先に受け口があり、ここに棒を通し、前後を二人で持ち、担架を運ぶようにして運ぶのである。
 重機を担いでトロッコに戻ってみると、トロッコの上には重機の弾帯が雑然と積まれている。その上に兵士達が、芥を投げ捨てるような感じで弾帯を放り投げている。私は怒鳴った。
「積み込み止め! こんな積み方ではすぐ荷崩れする。トロから弾帯を下ろせ」
 兵士達は、トロッコから弾帯を下ろし始めた。下ろし終わったところで、私は言った。
「弾帯は、弾と弾の間が空いている。ここに、上の弾帯の弾がはまるように積むのだ。それと、弾帯より優先して積む物がある。重機だ。重機を一挺、トロの前の方に、縦に向けて積む。横が空くから、ここに弾帯を縦に並べて積む。重機の後ろには、迫撃砲と砲弾を積む。砲弾も、きちんと並べて積むのだ。
 一台に積めるのは、四人で漕ぐとして、重機一挺と迫撃砲一門、迫撃砲の弾丸、の他には弾帯は三三本迄だ。迫撃砲を積まないとしても四二本。あの漕ぎ方は難しいからやりたくないんだが……あれだと迫撃砲まで全部積めるな。しかし補充兵には……。やっぱり止すか。
 決めた。トロ一台には重機一挺、弾帯四十本、迫撃砲一式か、その代りに弾帯十本を積もう。あと弾帯は……と二十本か。一人一本ずつ担げ」
 とそこへ、秋山参謀が来て言った。
「矢板、個人装備を受け取りに来い」
 すっかり忘れていた!
「忘れてた。皆、早く弾帯を運んで来い。済んだ者から個人装備を受け取りに行け」
 私は個人装備を受け取りに行った。個人装備はいつになく多い。弾倉十八個、手榴弾八個だ。弾倉ケースがもう一つ必要だ。しかしそれは無い。となれば、手榴弾に比べて荷崩れしにくい弾倉をトロッコに積むことにしよう。その代り、弾帯を一本ずつ担ぐか。
 全員揃った。私は命じた。
「弾倉を十五個ずつ、トロッコに積め。きちんと揃えて積め。弾帯を一人二本ずつ持て。トロには四二本を二台、三二本を二台だ。三二本の方には迫撃砲を積め。終わったら休んでよろしい。明日は三時半起床だ」
 弾帯二本で二十キロ。小銃六キロ。弾倉三個で二キロ。手榴弾八キロ。銃剣一キロ。しめて三五キロ。これを持って戦うのは少々辛そうだ。私達は本部の倉庫で、煎餅布団を被って寝た。
 翌朝三時半、中隊長が起こしに来た。私は、部下を起こして回った。
 ○四○○、定時に私達は、トロッコ十六台を連ねて出発した。粉雪の降る未明だった。私の小隊は先頭を努める。私が先頭に立ち、谷口班、河村班、酒井班、古川班のトロッコが続く。谷口班のトロッコは石田、屋代、中山が、河村班のトロッコは河村、赤坂、丸山が、酒井班のトロッコは桐野、栗原、福島が、古川班のトロッコは宇田川、中川、和田が漕ぎ、そのほかの部下はトロッコの前後左右を固める。私の小隊の後に太刀川小隊、その後に上村小隊、最後に大原小隊が位置する。
 六時少し前、遠矢の集落を通過した。参謀が私の所へ来て言った。
「この先の丁字路では直進だ。仮監峠へ向かう」
「了解」
 丁字路を、仮監峠へ向かって直進してゆく。右手に広がる丘陵は、根釧原野の西を限る丘で、西側中腹の沢に天寧の駐屯地があり、東の方には阿歴内兵站基地がある。道をゆくとやがて遠矢川の谷底に広がる狭い平野を横切る。ここからは、一転して曲がりくねった上り坂になる。後ろから参謀が来た。
「一旦停止だ」
「了解。停まれ」
 停まってすぐ、中隊長と参謀、後続の小隊長が来た。中隊長は言った。
「仮監峠の南方に、敵部隊が駐泊しているらしいが定かでない。峠の状況も不明だ。そこで、矢板の小隊から斥候を出させる」
「了解」
 私は近くにいた浅野と石田に言った。
「斥候に行く。ついて来い」
 太刀川の声がする。
「班長上がりの行動力だな」
 私は二人を従えて、峠へ通ずる道を登っていった。やがて南へ突き出た尾根を迂回した。
「右の沢へ降りてみるぞ。音を立てないようにしろ」
 林の中をそっと降りてゆくと、沢の底に開けた草地に、敵の幕舎が沢山見える。
「やあ、敵だ」
 浅野が声を上げる。
「しっ! 静かにしろ。幕舎は……二十ばかり見えるぞ。一つの大きさは」
「二十畳敷ぐらいですかね」
「とすると……三、四百人はいるな」
「そんな見当ですね」
 私は幕営地をよく観察した。ふと私は気付いた。二人に言った。
「おい、幕舎の入り口をよく見ろ。どれも、南に付いてる。て事はだ、物資補給路は南から入っていて、北側は裏山なんだ。攻めるには北から攻めるのが良さそうだ」
「そうですね」
「南からの脱出路を封ずる必要もあろうが……南を偵察してみる」
 私達は幕営地の西側を迂回し、南側へ出た。南の方を細い道が通っているが、その道に通ずる道は開かれていない。
「南への明瞭な脱出路は無い。となれば、南は林の中に二十人ほど張り込ませればいいだろう。
 今度は峠を偵察するぞ」
 峠へ登る道へ戻り、峠へ向かった。峠は切り通しになっている。敵兵数十が屯している。
「切り通しの上から重機で射かければ一網打尽だ。しかし敵がそれに気付かない訳がない。切り通しの上に陣地を作っている筈だ。ここの通過には激戦を強いられるぞ」
 私は双眼鏡を取り出し、切り通しを見た。予想通り、切り通しの上には軽機を置いた陣地がある。
「やはり思った通りだ。軽機がいる」
「迫撃砲を使ったらどうでしょう」
 石田が言う。私は言った。
「それはどうかな。あの崖を崩しちまったら通れなくなるぞ」
 浅野が言う。
「山の上を通って行って、陣地を背面攻撃したらどうでしょう」
「この崖は登れないぞ。十メートルはある」
「一ヵ所だけ登れる所があります。先刻通ってきた尾根の手前に、左へ道が分れる所があったでしょう。あそこは崖になってませんよ」
「そうだった。まず左側はそこから行けばいいな。反対側は」
「反対側は、この谷底の幕営地の南を回って行って、向こうの尾根に登ればいいです」
「わかった。それで行こう」
 私達は本隊へ戻った。雪は止んでいた。戻るなり私は中隊長に報告した。中隊長は言った。
「わかった。兵力を四分するのだな。いや五分か」
「随分少なくなりますな。一ヵ所あたりのが」
「いや、我が中隊の他、第二中隊、東海中隊、甲信中隊が続いてここに来る」
 言われて気付くと、東京第一中隊の十六台のトロッコの他に、数十台のトロッコが続いている。ここ仮監峠は、釧路から標茶へ抜ける道の上にあって、極めて重要な交通の要衝なのである。
 中隊長が三人来た。四人の中隊長は暫く話し合っていたが、やがて決定したらしく中隊長は私と他三人の小隊長に言った。
「我が中隊は、駐泊地を攻撃する。北方から上村を除く三小隊が攻撃、上村は南からだ。三小隊は左翼だ。第二中隊が右翼。峠の方は、東海中隊が峠正面から攻撃、甲信中隊は左右の山の上からだ。○八三○に攻撃を開始する。以上」
「了解」
 八時二十五分、私達は敵の幕営地の北方山林中に展開していた。私達は満を持して、攻撃の時を待った。
・ ・ ・
 八時三十分。一発の迫撃砲弾が、緊迫した空気の中で炸裂した。敵の幕舎の一つから、煙が立ち昇る。次々に、砲弾が敵幕営地に炸裂する。十四門の一斉射撃だ。まず各門五発ずつ発射、合計七十発を叩き込んでから、今度は重機二十八挺が数千発の火箭を射ち込み、その後で歩兵が総攻撃をかける。
 炸裂音が止んだ。同時に重機が一斉に唸り始める。トロッコの上に陣取った重機は、点五○の弾を敵幕舎に射ち込む。
 重機の音も止んだ。今度は私達歩兵が、銃を振りかざしながら突撃する。鉄条網が無い。呆気ないほど簡単に幕営地に突入する。着剣した銃で幕舎の布を切り裂き、中へ躍り込む。重機の連射で負傷している兵は、実に手易く射殺できる。私一人で、敵兵を十人単位で血祭りに上げた。
 戦闘は、あっと言う間に終わった。二十分後、敵兵の姿は見られなかった。私達は、木の陰草の中を、生きている敵兵を求めて歩き回った。掃蕩戦である。今は木の葉は落ちてしまって無いから、木の上に敵兵が隠れている可能性は低い。が、それを考慮しない訳にはいかない。
 やはりいた。木の上に一人、丸腰の兵が隠れている。ここは一つ、私の技をやってやろう。
 木の下に立ち、腰に着けた二本の銃剣を抜き、二本の銃剣を敵兵の肩と腰を狙って同時に投げる。二本とも過たず命中、敵兵は木の上から落ちてきた。着剣した銃を、敵の落ちて来そうな所に、銃口を上にして立てれば、敵兵は自身の落ちる勢いで体を刺し貫かれる。
 これほどの技を使える者はそういない。二年以上にわたる日々弛まぬ訓練がここまで私の腕を上達させたのだ。私の場合、射撃よりもむしろ銃剣投げの方に重点を置いて訓練してきたのだ。
 一兵の敵も無くなった。私達は敵の武器弾薬をかき集め、山腹の道へ担ぎ上げた。あと暫くのうちにトラックが来て、これを釧路へ運んでゆく筈である。敵の物資を枯渇させるための、徹底した収奪である。
 仮監峠に近づいてみると、ここでは激戦が展開中である。ここを抜かれると標茶まで一直線だから、敵も守りに本腰を入れている様子だ。この状況では、高い位置から攻撃できる敵がどう見ても有利だ。我が軍は現に苦戦を強いられている。
 無線機で交信していた中隊長が、私達小隊長四人を呼びつけて言った。
「東海中隊は苦戦を強いられている。この状況では敵の有利は否めない。正攻法では無理だ。戦法を変えねばならぬ」
「丘の上から襲うのは……」
 私が言いかけると中隊長は遮った。
「それがどうも上手くいかないらしい。敵もそれを考慮していたと見える。丘の上にも敵が多数隠れているらしい」
 その時、峠のすぐ手前の崖っ縁で何かが爆発したと思うと、一人の兵士が転がり落ちてきた。味方の兵だ! 大原が言った。
「地雷も仕掛けられてるらしいですね」
 中隊長が頷く。
「そうらしい。これでは攻略できない」
 上村が言った。
「迫撃砲を使っている様子がありませんね」
 中隊長の声に、苦渋の色が現れている。
「使えないらしい。先刻の矢板の報告には無かったんだが、敵は崖の中腹に銃眼を造っているのだ。丁度我々の要塞のように。あれには迫撃砲は全然利かない」
 垂直に近い斜面に、落角が垂直に近い迫撃砲の弾丸を斜めから射ち込んでも滑ってしまって全然利かないのは当然だ。
「水平爆撃か、戦車砲をぶち込むか、二つに一つでしょうな」
 太刀川が言った。
「飛行機は二機とも丘珠だ。戦車は矢臼別だ。自走砲もここには無い。ここにある物だけで突破する方法を考えろ」
 中隊長の声にも苛立ちが感じられる。
「逃げ腰だと言われるでしょうが、別の道から回ったらどうでしょうか」
 上村が言った。
「それは難しいな。仮監峠を通らずに達古武へ抜ける道はあるにはあるが、徒歩では通過できるがトロは通れそうにない」
 秋山は地図を広げる。ここから達古武へ抜ける間道は、北へ尾根を越える道があるが、中ノ沢という沢に入ると小径になる。また、遠矢川の南をゆく道は、仮監峠を越える道の東側を迂回して達古武へ下ってゆくが、この道も幅二メートル以下の箇所があり、トロッコの通過は難しい。トロッコが確実に通れる道となると、遠矢川の南の道を、達古武へ抜ける道の先まで行った所に、オビラシケ川に沿って東進する道がある。この道をゆくと阿歴内で一号幹線道路に合流する。
「阿歴内へ抜ける道しかないな。左翼が主力と合流したところで何になる?」
 私は呟いた。
「何としても突破するのだ」
 中隊長は繰り返す。
「根釧原野の入り口で四個中隊が足止めを喰っておるのだぞ」
 中隊長の苛立ちが私達に伝わってくる。私だって膠着状態は絶対に回避したい。
 私は言った。
「鹵獲品を調べる。何か役に立つ物があるかも知れない」
 道に山積みにされていた鹵獲品は、トラックに積み込まれていく。私は叫んだ。
「積み込み中断! 峠の陣地を攻撃できる物があるかどうか、手分けして捜せ!」
 私は近くのトラックの荷台に登った。積まれている鹵獲品は、小銃、挿弾子、食糧、大したものではない。
 ふと私は、一つの梱包に目を止めた。段ボール箱の側には、黒インキで砲弾の絵が描いてある。私はそれを担いで荷台から降りた。銃剣で箱を切り開いてみると、中身は確かに四七ミリ加農の弾丸である。
「あったぞ。……とすると、どこかに砲の本体がある筈だが?」
 私は、鹵獲品を調べている兵に言った。
「この弾丸か、バズーカの弾丸が入っている梱包をより分けろ。他は積み込んでよい」
 それから私は、中隊長の所へ行った。
「四七ミリ加農の弾丸がありました。どこかに本体がある筈です。本体を見なかったか調べさせるように他の中隊長に頼んで下さい」
「わかった。うちの中隊の者にも訊いてみろ」
「了解」
 私は三人の小隊長に、部下に訊いてみるよう頼んでから、部下一人一人に当たってみた。
 私の小隊には、砲の本体を見た者は一人もいなかった。中隊長のもとへ報告に行った私を、落胆させる知らせが待っていた。他の中隊には、一人として砲の本体を見た者はないというのである。
「弾丸があったって砲の本体がなけりゃ何にもならん。どこかにある筈だ」
 中隊長は言う。
「敵の将校を二、三人捕まえておけば良かったな」
 小隊長の間からも声が漏れる。
「砲はこんな谷底に置いておくとは限らないぞ」
 大原が言う。
「どこかの山の上に砲台があると言うのか?」
 上村が訊く。
「そうだ。どこかに。どこかはわからんが」
 大原の言う事も頼りない。秋山が言う。
「そこの砲を分捕って峠へぶち込むと矢板は言いたいんだろう。しかしな、ここの駐泊地の管轄は相当広いぞ。矢臼別基地の管轄下の要塞のうちには、基地から直線距離で十キロ以上離れているのがあるように、ここの管轄は細岡や塘路どころか、場合によっては五十石あたりまで含んでいるかも知れん。そのどこかに砲台があったとしても、そこまで行って分捕ってくるくらいなら丘珠の飛行機を頼んだ方が早いぞ」
 五十石と言ったら標茶の近くだ。ここからだと二十キロ以上ある。私は歯がみした。
「しかし五十石にある可能性と、あの山にある可能性は、どちらが極端に高いとは言えない」
 私は、南の低い山を指して言った。
「こうやって考え込んでても何にもならん。俺は偶然を信じる性格だ。あの山に登ってみる」
 銃を担ぎ直して歩き出そうとすると太刀川が言った。
「八百キロの加農を一人で動かすのか? 部下を連れて行けよ」
 私は部下を集めて言った。
「南の山の上に、敵の砲があるかも知れん。分捕りに行こうと思う者はいないか」
「行きます」
「行きましょう」
 十数人進み出た。河村が言った。
「そこにあるという確信はあるのか?」
「ないという保証はない」
 部下達は顔を見合わせた。
「小隊長の気まぐれに付き合わされるのは御免だ」
 川田が言った。河村が飛び出し、私の両腕を押えつけた。私は苦々しげに言った。
「その図体を弾よけにされんように気をつけろ」
 私は、一緒に行く意を表明した九人の部下と共に出発した。谷口、酒井、石田、屋代、片山、赤坂、福島、和田、宇田川である。石田と屋代が、砲弾の梱包を二人で分けて担いでいく。
 遠矢川の谷に降り、南の尾根に登ってゆく。この尾根道は、昔は重要な道だったらしいのだが――地図に通じている河村はそう言う――今となっては雑木が生え、薮が茂り、トロッコの通れる道ではなくなっている。
 十五分ほども歩いたろうか。加農砲が林の中に置かれているのが見えた。
「伏せろ! 敵がいるかも知れん」
 匍匐前進で敵に近づく。人気は感じられない。目の前に、一人の敵兵が倒れている。銃でつ突いてみても動かない。私はその兵の喉に手を触れてみた。脈はない。既に死んでいるのだった。
 よく見ると、他にも何人かの兵が倒れている。私は立ち上がった。後の部下達も立ち上がった。
「やっぱり小隊長は正しかった」
 屋代だ。
「此奴等はどうしたんだろう?」
 谷口がいぶかる。
「くたばってるのはまず間違いないとして、何故くたばったんだろう?」
 酒井も言う。
「そんな事はどうでもいい。ここに砲がある、これをこれからどうするか、だけを考えていればいい」
 私は言った。
「太陽の方角からすると……峠はあの方角にある訳だが……ここからの砲撃は無理だな。北方が開けている所へこれを運んで行こう」
「ところで、この砲は本当にこの弾丸が使える奴なんですかね」
 屋代が言った。
「入れてみりゃわかるだろうが」
 屋代は砲の尾栓を開けた。中に、一発の弾丸が入っている。屋代はそれを取り出し、石田が担いでいた弾丸と比べて言った。
「同じ弾丸ですよ。この弾丸はこの砲に使える。ここまで運んできたのが水の泡にならなくて良かったな」
 私は、砲の中に入っていた弾丸と鹵獲した弾丸とが同じ弾丸であることを確認すると、部下に命じた。
「峠が真っすぐに見通せる場所を捜せ。そこから砲撃をかける」
 部下達は辺りに散った。私も道沿いに、北方が開けている所を捜した。尾根沿いに少し登ると、北方が開けている場所が見つかった。私は部下を集め、そこへ砲を運ばせることにした。
 十人がかりで砲を押し上げている時、事故は起こった。道が狭くなっている所で、砲の車輪が道から外れ、道端の穴に嵌まったのである。いきなり砲が傾いて動かなくなり、何人かは転がった。
「ぎゃあっ!!」
 その時であった、赤坂の奇声が響いたのは。
「あっ、あっ、足が……」
 石田の声がした。
「何だ何だ、いきなり変な声出して」
 私は叫んだ。
「奴は重傷だぞ! 悪ふざけじゃない、奴は屋代とは違う」
 屋代の声だ。
「そりゃどういう意味です!?」
 私は答えず、赤坂に駆け寄った。二本ある砲の脚の片方が、砲が傾いた時に赤坂を薙ぎ倒し、その脚は、彼の足を打ち砕いている。私は砲の脚を、渾身の力を込めて持ち上げた。谷口と宇田川が加勢する。酒井は、赤坂を砲の下から引き出そうとする。赤坂は叫ぶ。
「痛っ! もっとそうっとやって下さいよ」
 道の真ん中へ引き出された赤坂を私は診た。両足一緒に砲の脚の下敷になったようだが、どうだろうか。私は彼の右足を動かした。
「ぎゃ――っ!!」
 血を吐くような赤坂の絶叫だ。
「右足が折れてるな。何か太い棒を探せ」
 片山が太い枯枝を持ってきた。私はそれを赤坂の右足に縛りつけようとしたが、縄のようなものは無い。私は舌打ちした。
「畜生! 衛生兵がいないんだな」
 とそこへ、屋代が帯のような物を持ってきた。よく見ると敵兵のベルトだ。私はそれを使って赤坂の脚に副木を当てると、他の部下に言った。
「赤坂は、ここに残して行くぞ」
「ちょっと待って下さい!」
 誰かが叫んだ。私はすかさず言い返した。
「誰が見殺しにすると言った? 帰りにまたここを通る、その時に運んで行くのだ。もし上まで運んで行くなら、そのために二人人員を割かれる。七人でこれを上まで運んで行けるか、これを?」
 私は砲を叩きながら言った。誰も何も言わなかった。
「わかったら行くぞ」
 私達九人は、少し上へ砲を運び上げた。ここからだと仮監峠がよく見える。私は無線機を取った。
「TMH、こちらTYH、応答願います。TMH、こちらTYH、応答願います」
〈こちらTMH〉
「こちらTYH。砲はありました。砲撃準備にかかります。どうぞ」
〈よく見つけたな。どうぞ〉
「峠付近の部隊を避難させて下さい。以上」
〈了解〉
 砲を仮監峠の方角へ向けて、さて距離は? どの位だろうか……。困った。
 私が考え込んでいるところへ、谷口が言った。
「距離がわからないんでしょう。どこかで聞いたんですがね、立っている人間の背丈が、右手を一杯に伸ばして銃を持った時の銃身の太さと同じに見える時、その人間の距離は大体一○○メートルだというんです」
「ということは、もし十五メートルの崖が銃身の太さと同じに見えれば、崖までは一キロメートルって訳か。試してみよう」
 私は銃を使って試してみた。十五メートルの崖は、銃身の幅よりは小さく見える。
「どうやら一五○○くらいだな。一五○○でまず一発やってみよう」
 私は双眼鏡を峠に向けた。友軍の兵士達は既に避難している。
「て――っ」
 峠より少し東側に命中した。射程は正しいようだ。
「左へ少し」
 第二弾。今度は陣地に命中した。
「ようしいいぞ。連射だ」
 次々に爆発が起こり、峠は土煙と硝煙に包まれた。煙は、風に流されてゆく。勢いに任せて砲弾を発射する。
 やがて弾丸が無くなった。私は引き揚げを命じた。尾栓を壊しておくことを忘れなかった。敵が巻き返してきても、この砲を使えないようにである。
 赤坂を即製の担架に載せて、私達は本隊に戻った。峠の敵陣地は散々に破壊され、友軍の総攻撃が始まっている。
「うまくやったな」
 太刀川が言ってくれた。
「赤坂が右足骨折の負傷です。トラックで後送しましょう」
「そうしよう」
 午前十時前に仮監峠は陥落した。私の小隊の損害は、戦死者一人、千葉と、それに赤坂であった。初陣で戦死とは運の悪い話である。
(2001.2.12)

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