岩倉宮物語 |
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第二部あとがき
「王朝三部作」最後の作品、量的には私の文章作品のうちでも最大級の「岩倉宮物語」も、第二部で佳境に入ってきます。しかし題材としては、第一部第四章で澄子との恋破れた主人公正良がその恋をどうしても振り切れないでいるうちに、そんなことを知る由もない帝が澄子を入内させ、帝としては正良に良かれと思ってした事であるのに正良の逆恨みを買う、という話から始まります。 そして澄子がはかなく病死してしまうと、後に残るのは正良の、帝に対する理不尽な復讐の念ばかりです。書いてから9年も経って読み直してみると、作者自身、主人公に全く感情移入できず、なんでこんなストーリーを作ったのかと思ってしまいます。 第一部のあとがきにも書いたように、この作品の大部分は、氷室冴子さんの王朝ライトノベル「なんて素敵にジャパネスク」シリーズを、主人公を入れ替えて裏側から書いたような形になっています。第二部の第三章から第十四章までが、ほぼ「ジャパネスク」シリーズ第五巻から第十二巻までに相当します。 ただ、第十二巻の結末に相当する第十四章は、途中からかなり大きく変えてあります。「ジャパネスク」シリーズでは自殺をほのめかし、信孝に組み伏せられて和泉へ送られることになる正良は、ここでは帝への復讐を続けるために貴族社会で生き延びてみせると豪語して、信孝を打ちのめし、自らの作戦を決行します。しかしそのために、第十四章の末尾で信孝と晴子に問い詰められて嘘で言い逃れする正良を書くことになったのは、今にして思えば蛇足以外の何物でもなかったと思います。 その見苦しさをなくそうと、正良の生涯の目標、すなわち帝への復讐を完遂するために、正良のそれまでの所業を知っていて将来正良の邪魔になりうると正良が判断した人物、つまり信孝と晴子と桐壷とを、正良がこの場で皆殺しにしてしまう、という書き直しを考えたこともありました。信孝はともかく、晴子と桐壷はここから後、全く登場しないのですから。しかしそんな惨劇を20代の私が書いて、皆さんが読むに堪える文章にできた自信は全くありません。 第十五章から先はオリジナルになります。ここでの最大の失敗は第十六章で、政略結婚を毛嫌いしている正良に父伏見院が「確かな絆ができてしまえば初めが政略結婚だったかどうかなど問題ではない」と言って聞かせる、前作「近江物語」に比べれば格段の進歩になり得た場面を書いていながら、後の方では高松大納言家との縁組が政略結婚だからと言って逃げようとする正良に対して、大納言の娘光子に「私は前から帥宮に恋していた」と言わせてしまったことでした。遙か前に伏線を張ってあったとはいうものの、安直な解決であったことは否めません。それに続く第十七章も蛇足でした。 それでも、実らぬ恋とそれから生まれた憎悪に身を焦がす正良を、本当に人を愛することを知る人間に変容させて、長く続いた闇に一条の光明が射すような形で第二部を終わらせることができました。 第三部は新展開になります。残念ながら未完になってしまいましたが。 2000年12月21日 |
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