岩倉宮物語

第十一章
 その日参内した私は、信孝に会った。
「実は昨日、ひょんな事から、桜井宮の綾姫を私の邸にお預りする事になりまして」
 信孝は、意外な事を聞かされたという顔で、
「綾姫を?」
 どうやら信孝は、綾子が烏丸殿を出た事を知らないらしい。
「そうなのですよ。実は先頃から、桜井宮家の御有様を耳に挟んでおりまして、同じ宮家の出として何とかして差し上げたい、と思って、それとなく申し出てなどもいたのですが、烏丸殿の掛り人となられたと耳にしまして、それなら私が差し出た事をする迄もないと思っていたのです。それがどうした事か、昨日の朝いきなり私の邸へお見えになって、今となってはお縋りできる方は帥宮様だけです、などと仰言るものですから」
「……そうですか」
 私は下腹に力を入れ、わざと愁いを含んだ顔を拵えて言った。
「どうやら私は、晴姫にすっかり嫌われているらしいですね。いろいろと綾姫に伺って、胸が塞がる心地がしました」
 綾子から聞く迄もなく、晴子が私に好感を持っていない事は確かなのだが。会う前から、私を策略を使って陥れようと謀り、会えばあれ程挑戦的に対決し、その挙句に気絶させられて、そんな人間が私に好意を持っている筈がない。
「はっきりとは仰言らなかったのですが、綾姫が烏丸殿を出られたのも、どうも私の事らしいですね。綾姫が晴姫の前で、私から文を貰った事を話題に出した途端、帥宮の名を聞くのも汚らわしい、帥宮から文を貰うような奴はここから出ていけ、と罵られたらしいですよ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、にしても、あんまりじゃありませんか」
 私はわざと、信孝の同情を引くような溜息をついた。
「お会いした事もないのに、そこ迄嫌われているとは悲しい。何か、誤解されているのではないでしょうか。そのうちに貴方にまで、私と一切付き合うな、などと仰言りそうな気がして」
 と言いながら、信孝の表情を鋭く観察していると、「お会いした事もないのに」と言った瞬間、信孝の顔に微妙な表情が浮かんだ。どうやら信孝は、三日の夜私が烏丸殿へ侵入した事を、晴子から聞いて知っているらしい。だが信孝の顔に一瞬浮かんだ表情は、「私が知らないと思って嘘を言っているな」という否定的な捉え方ではなく、事が事だけに人聞きを憚る奥床しさの表れだという、肯定的な捉え方であった。これも、三年余りかかって醸成した信頼関係の賜物である。
「私と貴方の仲じゃありませんか。もし妻が何か誤解申し上げているなら、私がきっとその誤解を解いてやりますよ」
 信孝は私を励ますように力説する。こんな良い親友を、私の方から失いたくはないものだ、と思うと、不意に良心の呵責を感じた。――だが、こと女が絡んでくると、それ迄友情と信頼に結ばれていた男の仲が、一朝にして断絶する事がある。それは私が、誰よりも良く知っている。断絶するだけでない、双方に、場合によっては片方だけに、深く暗く抜き難い憎しみをもたらす事があるという事も……。
 信孝が私に対し、こういう心証を持っているのなら、この点での心配は要らない。私は話題を転じた。
「ところで、今日は何の日ですか。乞巧奠はもう終わった筈なのに、妙にざわついてますね。貴方も、武官の物具とは珍しい」
 信孝の本官は右近衛少将であるが、蔵人及び左少弁としての仕事の方が主だ。それなのに今日の信孝は、闕腋袍に巻纓冠、やなぐいに弓箭を帯した、武官としての正装である。
「ああ、帥宮殿は昨日参内なさらなかったから、ご存じないんですね。実は今日、大后の宮が行啓あらせられるのですよ」
 信孝は、あっさりと言った。
「大后の宮が? 大后の宮の御参内は、確か二十七日の予定だと、伺っていましたが」
「ええ、予定はそうだったのですよ。ところが昨日、伏見から御使が参って、大后の宮には夢占いの卦が悪しく、御心騒がせて、よって万難を排して竜顔を拝し奉り、安堵せられたいとの御意向と。それで主上におかせられても御心安からず、急遽今日、行啓と相成った次第です」
 と説明する信孝の顔には、微妙な翳りがある。
「恐れ多い事ながら、私にはどうも、信じられないのですよ。大后の宮ともあろう御方が、高々御夢占程度の事で、行啓を繰り上げあらせられるというのが」
 信孝は院殿上を許された身なので、大后の宮とも面識がある。私も大后の宮とは、知らぬ顔ではない。私の知っている限りの大后の宮は、確かに信孝の言う通り、夢占いが悪かった程度で騒ぐような、弱気な肝っ玉の小さい人物ではないのだ。だからと言って私は、信孝がそうであるように臣下として大后の宮の事を心配している訳ではなく、帝がそうであるように肉親として心配している訳でもない、何となれば大后の宮は、帝の生母ではあっても私には何の血縁関係もない人物だからだ。どうやらまたいつもの、深読みしすぎる癖が出てきたと見える。夢占がどうのというのは口実で、大后の宮の参内の陰に、何かが隠されているのではないか。
「私は行啓の、供奉を拝命していますので、もうじき退出せねばなりません。失礼致します」
 信孝は頭を下げると、足早に右近衛陣へ向かっていった。やがて信孝を始め、近衛の武官達が、騎馬で出てゆくのが聞こえてきた。
 午後になって私は、帝に召された。私がいつもするように五感を研ぎ澄まして観察する迄もなく、帝に心配事があるのがわかった。母が妙に弱気になって、参内を早めると言い出した事に、何か不安を抱いているのだろう。
「そなた、もう聞いているかな。二十七日に予定されていた母宮の行啓が、急遽繰り上がったのだ」
 予想通りだ。私は落ち着いて、
「は。先程、信孝に聞きました」
「そうか」
 帝は、いかにも心配で堪らないといった様子で、
「そなたも知っておろうが、母宮はそれは気丈な方だ。夢占いの卦が悪かった位で、動揺して行啓を繰り上げられるような、そんな方ではなかった筈なのに、どうした事だろう」
 帝の様子は、年老いた――と言っても今年四十二歳だが――母の身を案ずる息子そのものである。こんな帝に、大后の宮の参内を口実に何かを企んでいる者がいるのでは、との憶測を述べるのはさすがに憚られる。だがその時、はっと思い当たった事があった。
 晴子、だ!
 法成寺入道の変に際し、晴子が大活躍した事は、帝の口から伏見院及び大后の宮に洩れ伝わっていたらしい。かつまた、性覚が帝を害せんとした前後、晴子は九条という名で伏見御所にあり、院御所から車を借りて性覚を救出しようとしたのだ。あの後もたまに、帝は大后の宮や伏見院に、晴子の事を話している様子があるから、大后の宮と晴子は、決して知らぬ仲ではない。そうすると……。
「正良!?」
 突然、帝の声が聞こえて、私は我に返った。
「はっ!」
 慌てて返事した私に、帝は、
「どうした、何か考え事でもしていたのか?」
 図星だ。だが、私が今考えている事を、帝に話すのは上策ではない。
「あ、いえ、ほんの私事です、申し上げる程の事でもございません。失礼仕りました」
 適当に言い繕って、帝の御前を退出してから、私は人少なになった殿上の間に坐り込んで、じっと考えをめぐらせた。
 大后の宮の参内繰り上げの裏に、もし晴子がいるとしたら。まず第一に、晴子の目的は。――恐らく晴子は、あの性格からして、私に手ひどく痛めつけられた以上、黙って引っ込んではいまい。私と再びの対決を図ってくるであろう。しかし、自分の陣地たる烏丸殿にいては、私との再度の対決は望むべくもない。と言って、私と対決すると言っても、私の本陣に殴り込みをかける、などという事はするまい。地の利を得た私、しかも膂力では圧倒的に優勢な私に、力ずくで勝負しても勝ち目は皆無だ。そこで、私の本陣である自邸には綾子を乗り込ませ、そして自身は更に別の場所で、私との対決を目論んでいるだろう。その場所とは、私に腕力で捻じ伏せられる恐れのない場所、しかも衆人環視、青天白日の下でなければならない。とすれば、考えられる場所はここ、宮中だ。ここへ晴子が乗り込むとしたら、方法は一つ、大后の宮か桜宮付きの女房を装うだけだ、烏丸殿が放火された時のように。ところで、桜宮は、帝が仕組んで私が利用した悪企みを知っている訳だから、桜宮付きの女房を装うのは、桜宮から私に筒抜けになる事が考えられる、晴子程度の頭脳でもそう考えるだろう。そこで、何ともはや畏れ多い事ながら、大后の宮を利用する事を考えついたのであろう。
 ただ、これはあくまで推測に過ぎない。晴子がどう考え、どう動いているかを知る手段は、つい先日失われてしまった。他でもない綾子だ。そうなった以上、私の策は第一に、推測の検証である。軽い陽動作戦をやって、反応を探る事だ。
 考えがまとまった私は、蔵人に筆と硯を借りると、懐紙を取り出して書きつけた。
〈私達の計画の支障となるかも知れない動きの気配がある。しかし、確証はない。そこで、動きを見極めるために陽動作戦をやる。今夜、大后の宮が参内遊ばされて落ち着かれたら、物怪を出現させ、騒ぎを起こせ〉
 実際、晴子はどういう考えで私と対決しようとしているにせよ、私と大弐の作戦にとっては、障害となる可能性が多分にある。そうである以上、晴子の出方を探り、それを牽制し、回避するよう対策を講じなければならない。
 私は人目を忍んで淑景舎へ行き、妻戸を軽く、初め二度、次いで三度叩いた。これが大弐に対する、私が来たという合図だ。
 妻戸が少し開いて、大弐の目が見えた。私は黙って懐紙を差し入れた。大弐が受け取ったのを確認すると、私は素早く淑景舎を後にした。
 淑景舎から戻ってきた私は、思わず大きな溜息をついた。帝への復讐のために桐壷を寝盗った、その結果として東宮が生まれた。その東宮を位から降りさせるために、その障害となる可能性を排除すべく行動した結果、晴子が私に挑戦してきて、それへの対策に頭を痛める事になった。何だか、動けば動くほど深みに嵌まっていくような気がする。しかも私は、そうと知りながら次々に対策を講じなければならない。もし何もしないで手を拱いていれば、一層身動きならぬ深みに嵌まってゆくだけだからだ。
 夕方、大后の宮の一行が到着した。宮は麗景殿に入ることになり、帝との対面は時間が遅いため明日にしよう、という事になった。帝は信孝を召し、大后の宮の様子を尋ねる。殿上の間で漏れ聞いたところでは、宮には別段変わった様子は見られないという事で、帝はやや愁眉を開いた様子だ。
 帰りがけに信孝は、嬉しそうに私に言った。
「行啓も一区切りついた事ですし、今夜は久し振りに、烏丸殿へ行ってみます」
 その烏丸殿に、晴子がいなかったら、信孝はどう思うだろう。だが、晴子がいないかも知れないという事は、私が知っている筈もなく、思い至りさえしない筈の事だ。
 今夜淑景舎に、物怪が出現する手筈になっている。私がその物怪と無関係であるように装う最も簡単な方法は、出現する時刻に私が現場から遠く離れた所にいる事だ。日が暮れると私は、退出して邸へ帰った。
・ ・ ・
 翌日参内すると、宮中は異様な雰囲気に包まれていた。どこからともなく読経の声が聞こえてくるし、弓箭を帯した近衛の武官が詰めていて、いやにピリピリしている。
 私が殿上の間に入って間もなく、頭弁が入って来た。
「帥宮、こちらへ」
 私は頭弁に続いて、御前に参上した。
「正良、来たか。もっと近う」
 帝の声には、かなり深い苦悩と焦燥が現れている。私が御前に進み出ると、帝は蔵人を退らせた。
「どうしたというのだろうな、この頃」
 帝は、心底疲れ切ったような声で言った。
「昨夜、淑景舎に物怪が出た」
 そうだ! 私の指図通り、大弐は物怪を出現させ、騒ぎを惹き起こしたのだ。宮中のこの様相を見よ。
「それであのように、御読経をさせておられるのですね」
 私は会心の笑みを浮かべそうになったのを慌てて引き締め、落ち着いて言った。
「うむ。読経だけでなく、近衛も召してある。
 しかし、後宮に物怪が出るなど、永らくなかった事だというのに、不吉だな。母宮の夢占といい、その母宮が参内された当夜の物怪といい、何かの前兆ではないだろうか」
 迷信深い昨今の貴族に、こういう怪力乱神を鵜呑みにするな、その後ろに何かがないか探ってみろ、というのは無理な相談だが、真相を知っている者としては、内心舌を出したくなる話であった。大后の宮の夢占はともかく、昨夜の物怪は、私が大弐に指図して出させた物なのだ。大弐がどんな方法で物怪を出したか? それは知らない。しかし、物怪が出ると思い込んで怯えている人間には、枯尾花が物怪に見えたりするものだ、灯火のない夜に、大弐自身が白い袿でも被って淑景舎の簀子をうろつくだけで、遠目に見れば立派な物怪に見えるだろう。
「それにしても随分、折悪しい話ですね。よりによって大后の宮の参内遊ばされた当夜に出るとは、行啓日程を変えさせる程の、国母の宮の御威光も、物怪には及びませんのか」
 日程を変えさせる、という所に少しだけ力を入れて言ってやると、帝は私をしげしげと見て、
「変な事を言うな」
 だが、さして疑問にも思わなかったようで、すぐまたいつもの顔に戻った。
「そう、母宮も、夢占の卦が悪く出たとて、日程を繰り上げてまで参内されてみれば、当夜に後宮で物怪が出て、さぞかし御心を痛められておいでだろう。今から、御機嫌伺いに参ろうと思う。そなたも、来ないか」
 こんな機会を逸す手はない。
「はっ。謹んで、供奉させて頂きます」
 私がわざと真面目くさって言ってやると、帝は破顔一笑、
「後宮に参るのに、供奉はないだろう、供奉は」
「では、御一緒させて頂きます」
「うむ」
 帝は頭弁を呼んで、これから麗景殿へ大后の宮の御機嫌伺いに参る由、宮に伝えるようにと命じた。
 少時後、帝と私は、女房に先導されて麗景殿へと向かった。淑景舎へ秘密の連絡に赴く時と違って、辺りを全く憚る事なく、堂々と後宮へ入って行けるのは、こんな時ならではだ。帝の后妃の住処である後宮において、私は基本的に他所者なのだ。
 麗景殿に着いた。部屋の奥の方に大后の宮、その左右に宮付きの、二条や高倉といった顔馴染みの女房が控えている。部屋の中央の帝専用の高座に帝は坐り、私はその横、廂に近い所に座を占めた。
「母宮、御機嫌麗しく、祝着至極に存じます」
 挨拶する帝の声は、やや取り澄ました感じがする。私と親しく語らう時の声ではない。
「有難うございます。主上もお変りなく、喜ばしい事ですわ」
 大后の宮が答える。と、宮は私を珍しそうに見て、
「おや、まあ、岩倉宮もおられるのね」
 私は深々と平伏して言った。
「は。僭越ながら主上にお供仕りましてございます。大后の宮に御目通り叶います事は、私、身に過ぎたる幸せにございます」
 すると宮は微笑んだ。
「まあ、そんなに他人行儀になさらずに」
 そう言ったって他人なんだから、他人行儀にするしかなかろうが。
「どうも岩倉宮は、真面目すぎるのが珠に瑕でして」
 帝が愛想笑いする。ややあって宮は、
「前々から、ふとした拍子に思う事がありましたけれど、岩倉宮はどことのう、主上に似ておいでですわね。こう、横顔やら目許の辺りやらが、何とのう……」
と言いながら、心和んだように笑う。そりゃ私は、帝とは異母兄弟なのだから、似ていても不思議ではない。その事は私が貴族社会に初めて姿を現した頃から、気付いていた人はいたのだった。
「とんでもない事でございます、大后の宮」
 私はどこまでも控え目に言った。控え目な人物だと、大后の宮には思われているらしいのだ。私の本性を、誰が知ろう。
「私は育ちも淋しく、華やかな主上の光の下では、ただ眩しく、うなだれるばかりです、桜の傍らの深山木、昼の月のように」
 大后の宮は快活な気性そのままに、私を激励するように言う。
「何を申されるのです。岩倉宮は主上とも、異腹の再従兄弟とも思えない程親しく、信任の厚い宮、もっと自信を持って、堂々と振舞っても良いのですよ。まあ、岩倉宮のその、落ち着いた控え目なところも、私は気に入っているのですけどね」
 それから、しみじみと昔を懐しむ口振りになった。
「岩倉宮の落ち着いたところと、主上が珠に瑕と仰せられた真面目なところとは、先代の岩倉宮、明徳院(治仁親王は皇位に就いてはいないが、伏見院の父に当たるため、伏見院の代に太上天皇号を追贈されている)の異腹の弟宮に似たのでしょうね」
 私の母方の祖父、先代の岩倉宮が、極めて生真面目な人物だったという事は、兵部卿宮からも聞いた事だ。
「祖父宮の事は私は知らないのですが、皆様、そのように仰言います」
 私が畏まって言うと、大后の宮は続けた。
「私が伏見院の妃に上がったのは、もう二十六年も前になりますけれど、その頃は先代の岩倉宮はまだ御存命でした。兄宮の上総宮と共に、御生母が身分の低い源典侍であったために、日蔭におられたままでしたけれど。思えばあの御兄弟も、幸薄い御兄弟でした。兄の上総宮は五条院の、最初に儲けられた皇子でしたのに、御生母の身分が低かったばかりに帝位に即く事も叶わず、弟の岩倉宮は、無品無官のままでした。いえ、御生母の身分だけではありますまい。あの御兄弟は、特に弟宮の方は、風流の方面には幾分疎いものの、学識に優れ、質実剛健な気性の持ち主で、なまじ皇子などに生まれず、臣下として生まれていたら国家の柱石となったに違いない逸材とまで呼ばれた方で(私の祖父は、そんなに立派な人物と仰がれていたのか、と幾分の晴れがましさを感じずにはいられなかった)、そのような方に人望が集まるのを恐れた人達の圧力で、臣籍に降されず名ばかりの親王の地位に留められていたのだと、明徳院は仰せられておりました。
 伏見院から、こんな話も伺った事がありますよ。院の弟宮、兵部卿宮が若い頃、奥方のある身で桜井宮の奥方に懸想された事があって、それが桜井宮の奥方の叔父に当ります先代の岩倉宮のお耳に入って、兵部卿宮をお叱りになったと。大体、殿方と申すものは、奥方がいても他の女に手を出すのを、まして先方が人妻であろうと、少しも道に外れた事、後ろめたい事と思わないようなところがありますからね(と言って宮は、帝に意味深長な目を向けた)、兵部卿宮など特に、そのような話の少なくなかった宮ですから、そういう怪しからん振舞を匡して下さる殿方が今の世にもおられるものと、感動さえしましたよ」
 そうだろうな。浮気は男の甲斐性、などと多くの男は嘯いているが、それは女の方から見れば我慢できない話だろう。大后の宮の言葉は帝にも耳が痛かったのか、帝は少し俯いて黙っている。
「色々な殿方を目の当りにして来ますと、どうして殿方とはこんなものなのか、と思わずにいられない事もあるものですよ」
 大后の宮の言葉は、やや棘がある。
「藤宮の話など、何とも聞き苦しい話です」
「藤宮?」
 初めて聞く名前だ。私は思わず聞き返した。
「そうです。岩倉宮は、ご存知ないのですか」
「はあ、初めて耳に致しました」
 大后の宮は、ふっと昔を思い出すような、和やかな口調になった。
「藤宮の祖母君は、五条院にお仕えした藤典侍と呼ばれた方で、絶世の佳人との誉れの高かった方でした。五条院が御譲位遊ばされた後に、藤典侍との間に御一方の姫君を儲けられたのですが、藤典侍は間もなく亡くなられたと聞きましたし、その後幾らも経たずに五条院も崩御遊ばされました。後には唯一人の姫宮だけが残され、後見もなく、そのままでは本当にお気の毒な事になったでしょうね。
 五条院が崩御遊ばされてからは、親子程も歳の離れた兄宮の明徳院が、お邸にお引き取りになって、伏見院と兄妹のようにしてお世話なさっておいででした。私が伏見院の妃となった時、確か十三歳だったと思います。私や伏見院は、その姫宮を、藤の姫宮と申しておりました。私とは祭の見物などの折に会うだけで、日頃は文を交わし合うだけの仲でしたが、私を実の姉のように慕っていた、本当に可愛らしい姫宮でした。
 ところがまあ、何とも浅ましい事が起こったのですよ」
 大后の宮は、一転して怒気を含んだ声になった。
「私が桜宮を産んだ翌年、藤の姫宮は十六歳でしたが、姫をお産みになったではありませんか。しかもその父親は、明徳院だったとわかった時、どれ程心苦しい思いをしたか。余りの可愛らしさに、目が眩んでしまわれたとしか思われません。何という事でしょう、歳が離れ、腹違いとは云え、父を同じくする兄妹ですよ。この世の中には、なさっても良い事と良くない事というものがあります。明徳院は当時、四十七歳でしたか。兄妹でなかったとしても、余りにも痛ましい事ですわ。ねえ、主上」
 帝は、はっとしたように顔を上げ、
「母宮、まあ、そういうお話は、余り、あからさまに申されない方が……」
と取りなすように言うのを、
「あからさまにできない、人聞きの悪い事をなさるのが、世の殿方というものですわ。幾ら藤の姫宮を愛しく思われても、御自分の立場、お齢を考えれば、もし兄妹でなかったとしても、到底そんな、愛人の一人に加えるなどという事はできない、いえ、しないのが男の分別というものではありませんか。あの翌年、明徳院が崩御遊ばされたのは、異腹とは云え妹と通じなさった罰ではないかと、私は思っておりますわ」
 大后の宮は一層激しく、責めるような口調で言い切った。
「は、母宮、罰などと……」
 帝は、ぶつぶつと呟いて、そのまま黙ってしまった。
 辺りに漂った気まずい雰囲気を何とかしようと、私は口を出した。
「それでは、その、藤宮と申される方は、その姫なのですか」
「そうです。父明徳院が崩御遊ばされて後は、母宮にも後ろ楯がおありでなく、本当に心細い御有様でしたから、それに母宮が、実の兄と通じた事をこの上もなく気に病んでおいでで、じきに若い身空で出家されておしまいになりましたので、一層不憫に思われて、私が後宮にお引き取り申して、母親代りになってお世話申し上げてきました」
 すると、今迄黙っていた帝が、
「だから藤宮は母宮に似て、気がお強いし、言い出したら退かないところもあるのですよ。まるで母娘のように、御気性が似ていらっしゃる。人間、氏より育ち、ですからね」
 反撃の機を狙っていたかのように、やんわりと厭味を言うと、大后の宮は平然と受け流し、
「だったら、岩倉宮にも後宮に来て頂くのでしたわ。そうしたら主上も、少しは岩倉宮のような、穏かな御気性になられたかも知れませんわね。派手な事は控えて、誠実な御気性になられたかも知れませんわ」
と厭味で応酬し、余裕綽々に笑う。言い込められた帝は、首を振りながら溜息をついた。控えている女房達は笑いさざめき、何とも優雅な、平和な雰囲気が醸し出された。
 大后の宮は笑いながらも、ふと気付いたように、
「そう言えばね、岩倉宮には、申訳ない思いでおりますよ」
 不意に、しみじみとした口調で言った。
「どうした訳か先代の岩倉宮も、貴方の伯母宮も、貴方が生まれた事を私にも、院にも申されなかったものですから、まして貴方が、きっと何か事情があったのでしょうけど、九条辺りに沈淪されていたとは思いもよらず、十九歳になられるまで日の当たらない侘しい暮らしをおさせしてしまいましたね。申訳ない事ですわ」
「大后の宮、何を仰せられます。私は、去年の春の除目で、主上の御恩を蒙りました事さえ、身に余る事と思っておりますのに」
 その大抜擢を正当化するために、澄子が私から奪い去られた事を、思い出すだけで胸が苦しく、物狂おしくかき乱されるというのに。それでも、その内なる思いを外に表わさずに、こんな空々しい台詞を吐けるようになった事、それは私があの思い出すのも忌まわしい悲劇をくぐり抜ける間に身に着けた術の一つだ。
 私の内心を全く知らず、大后の宮は、
「あれより前から、岩倉宮は主上の御心に留まっておいででしたと見えましたけれど、岩倉宮の従姉宮、梅壷更衣でしたね、更衣の入内を機に、縁続きの岩倉宮を、親王に陞らせただけでなく帥宮に推挙なされた主上の御心が、私には嬉しかったですわ。永らく賎しい土民の間に紛れて、寂しく沈淪しておいでだった岩倉宮に、これからは一層華やかなお暮しをさせてあげようとの、有難いお心が」
と言って、嬉しそうに溜息をついた。
 どうもこういう考え方は、私には気に入らないな。勿論私だって、今更あの当時の暮らしに戻りたいとは毛頭思わないが、「賎しい土民」というような、思い上がった身分意識が鼻につく物言いには反発したくなる。九条に住んでいた時分の隣近所の人達、私と一緒に畑を耕し、田の草をむしり、稲を刈り、労働の辛苦と実りの喜びを分かち合った人達の事を、私は一種の懐しさを感じつつ思い出す事がある。あの人達、確かに貧しく、無知蒙昧で、粗野で武骨でもあったが、蓄財や出世、政権闘争や女漁りに齷齪する事のない彼等の純朴さは、今となっては懐しい。
「岩倉宮とは、大分前からの知り合いでしたからね。宮には、何かと力になって貰った事もありましてね」
 不意に帝が、嬉しそうに声を弾ませた。男とはこんな物、などという話題から外れて、やっと解放された、という感じの声だった。
「まあ。それは、どういう事です?」
 大后の宮は、意外そうに身を乗り出した。帝は得意そうに、
「今だから口にできる事ですが、先年、私が宮中を抜け出して、桜宮のお邸を拠点に、あれこれと動いていた事、今なら母宮も御存じでしょう」
「勿論ですわ。そうそう、あの折に、烏丸殿の晴姫ともお親しくなられたのでしたわね。あの、風変りで、大層お元気な姫に」
 と言って笑った大后の宮の声を、私は鋭く聞き咎めた。「晴姫」という一言に、思いなしか力が入っていたような気がする。これはどういう事だ。得意技の深読み癖を発揮して、思い切り勘ぐってみよう。もしやこの近く、大后の宮の声が聞こえる位の所に、晴子が身を潜めている、などという事はないだろうか。几帳の陰か、壁代の向こうか、塗籠の中か、まさか床下という事はないだろうが……。
「そうそう、そうでした。あの折、東宮坊の者をもう一人使って、あちこちを探らせていたと母宮には申しましたが、実は」
 と帝は声を潜めて、
「この岩倉宮に、動いて貰っていたのですよ」
 内緒話を打ち開けるように言った。
「まあ……!」
 大后の宮は、初めて知らされたに違いない事実に、すっかり驚いている。
「岩倉宮が初めて参内して、私と会った時から、何か一介の王族と違うような、どう申したらいいのか、この宮なら信頼できる、どんな事でも任せられる、というような物を感じていたのです。それであの時、誰に託そうかと思った時、岩倉宮が真っ先に浮かんだのです」
 私に初めて会った時から、何かを感じていたというのは、私にも言っていた事だ。血は水よりも濃い、というものだろうか。
「では、岩倉宮を帥に御推挙なさったのは、その折の御礼という意味合いもあったのですね」
 大后の宮は、やれやれというように言った。私はわざと遠慮がちに、
「いえ、私はこうも思っております。宮中に参るようになったとは云え従五位下の一介の侍従に過ぎなかった私を、何とか陽の当たる所に引き出してやろうという思召しが先にあり、そのために、私に秘密の特命を賜ったのだと。従姉を入内させなさったのも、同じ思召しからの叡慮であったと。私を帥宮に召して下さる時に、片や内々の、片や表向きの、又とない良い口実になりますからね」
 前半はともかく、後半は本当だ。帝は私宛の文に、澄子を入内させる事で私を抜擢する事ができる、来年の除目を期待していてくれ、などとぬけぬけと書いてきたのだ。
「物の数にも入らぬ私を、そうやって御心に留めて下さっていたのです。有難い御叡慮です」
 これ程私の本音と正反対な事を、顔の筋一つ動かさずに言ってのけられるとは、私の鉄面皮は以前にも増して厚くなったというところか。帝は満足そうに微笑みを浮かべているし、大后の宮はしんみりと耳を傾けている。
「私は最早、この世には何も望む物はないながら、主上のお優しさだけは有難く、終生忘れてはならぬものと心に決めております。主上の御為ならば、どのような事でも致す積りです」
 しみじみと、思い入れたっぷりに言ってやると、辺りの女房の中には袖を目に当てる者も出てきた。私は内心、舌を出していた。先刻の私の言葉は、こう言い換えねばなるまい。――「私は最早、主上への復讐以外にこの世には何も望む物はないながら、主上の偽瞞に満ちた恩着せがましいお優しさだけは有難迷惑で、終生忘れたくとも忘れられぬ物と心に決めております。主上に腸が千々に断たれる程の悲しみ、一寸刻みに切り小間裂かれるのにも優る苦しみを味わわせ尽くす為ならば、私は悪鬼羅刹、天魔波旬にも化して、どのような事でも致す積りです」と。
「心強い、嬉しい言葉ですよ、岩倉宮、いえ、帥宮殿」
 私の内心を知る由もない大后の宮は、心から、しみじみと頷いている様子だ。
「それはそうと、母宮」
 ふと帝が、思い出したように言った。
「昨夜の騒ぎは、お心を煩わせませんでしたか。母宮の御参内の当夜に、あのような怪異。申訳なく思っています。こちらの殿舎にも近い淑景舎での騒ぎ、さぞ、母宮には驚かれた事と……」
 渋い声で言いかける帝を遮るように、
「いいえ、私は物怪なぞ、何も恐れておりませんよ。先程、桐壷にも申し上げたけれど、本当に恐ろしいのは、現世に生きている人間。人間は、どんな事でもやってのけます。麗しい仮面の下で、裏切りもし、あらぬ企みもするのです」
 随分、図星を差してくれるではないか。
「母宮はまた、お気丈ですね」
「いいえ、長く生きてきた老人の言う事は真実ですよ。恐ろしいのは、生きている人間の心に巣喰う闇なのです。まだ若い桐壷には、それがお分りではないのですよ。幻の如き物に怯えるなど、母としての御自覚が欠けておられるのです」
「いや、それは余りにお可愛想な御言葉でしょう、大后の宮」
 私はわざと言った。一体誰の味方をしているのか判断しかねる鵺のような態度、これは韜晦術の一つである。
「女御様には御後見が頼りなく、お寂しいお暮しとか。お寂しい、頼る物もない暮しの中では、風の音、花の落ちる音にも心驚き、涙誘われるものなのです。私にも、身に覚えのある事です」
 最後の言葉は大嘘だ。私は小さい頃から乳母に傳かれた割には剛毅で、風の音に涙を誘われた事など絶えてないのだ。いや、大風で稲が薙ぎ倒されるのを見て、今年は凶作間違いなし、来年夏までどうやって食いつなごうと、天を仰いで涙した事はあるが……。
 私に誘われるように、帝もしみじみと呟いた。
「あの人は、お気の毒な人です。後宮に参られた時から、儚げな方でした。まして承香殿が入内なさってからは、室町殿の権勢に遠慮なさって、ひっそりとお暮らしだった。それが男皇子の御誕生、そして立坊と、思いもかけぬ運命に恵まれてしまった。その運命の重さに耐えるには、余りにも儚げな方だから……」
 女房達が、また目を押さえる。しかし、運命に恵まれた、というのは語弊があるな。私の帝への復讐の第一歩が、予期しなかった結果をもたらしたのだから。だが、その運命の重さに耐えるには弱すぎる、というのは事実で、そのために私も手を焼いているのだ。
「私も、何と言っても一番長い仲ですから、あの人を庇って差し上げたいのですが、そうなれば近衛殿や室町殿でも快くは思わぬでしょう。今の宮廷では近衛殿は権勢第一です。近衛殿や室町殿に、あらぬ反感を持たれては、あの人の為にもならぬと思い、つい、疎々しくなってしまって……」
 俄に私の胸中に燃え盛った怒りの炎を、私は顔に出さぬよう努めた。承香殿の後見に着いている関白太政大臣や左大臣に気兼ねして、桐壷に疎々しくなったというが、それと同じ仕打を澄子にもしたに違いないのだ。そう思うと、怒りの矛先は承香殿、更には関白太政大臣や左大臣、つまり信孝の一族にまで際限なく向いていく。
「むしろ、承香殿が男皇子をお生み申し上げて、立坊なさった方が、却って桐壷のためも良かったのかも知れませんね。そうなれば誰に気兼ねする事もなく、それなりに心静かに、暢かにお暮しできたかも知れない。今となっては叶わぬ事ですが……」
 大后の宮が溜息交りに言った。桐壷以外の女御として、まず承香殿が出てくるのは、大后の宮が関白太政大臣の姪であり、この一派に属する人間であれば当然の事であろう。弘徽殿、宣耀殿が出てこないのは、特に宣耀殿は無理もない。いずれにせよ、今が好機だ。
「それについては、承香殿女御様の妹姫、佳姫の入内の事などが、殿上の間でも屡々噂に上っておりますね」
 帝は、少し慌てたように、
「そんな噂は、大后の宮のお耳に入れる程の事ではないよ」
 どう言っても、大后の宮の耳に届いた事だけは確かだ。
 そこへ不意に、秘やかな女房の声がした。
「恐れ入ります。頭中将より、申し上げ参らせます」
 帝は、はっと我に返ったように、
「うむ」
「至急、奏上すべき事がございますれば、清涼殿の方に還御遊ばされたいとの事でございます」
 帝は迷惑そうに言った。
「頭中将が? 折角母宮との語らいを楽しんでいるのに、気の利かぬ者だ。こちらに参らせよ」
 すると不意に大后の宮が、
「ああ、それならば弁少将を参らせるようになさいませ、主上。物怪騒ぎで、気が沈んでいた処ですわ。座興を一つ、お目にかけましょう。弁少将に引き合わせたい女房がおりましてね。弁少将はさぞ、驚くでしょうよ。それを見物するのも一興ですわ」
 この時、私の脳裏にピンとくる物があった。その女房とやらは、晴子ではないのか。大后の宮付きの女房や宮に親しい女で、信孝が会えば驚くに違いない女、となれば、私の知っている限りでは晴子しか思い浮かばない。
「母宮、弁少将は、どのような美しい女房を見ても無駄ですよ。まるで朴念仁なのだから。全く風情を解さない男なんだ。晴姫の尻に敷かれてるんですよ」
 帝は悔しそうに言った。私は思わず忍び笑いを漏らした。あの晴子なら、年下の信孝を尻に敷きそうだ。
「主上は、晴姫に、いまだ御執心の御様子ですね。そのように御心に叶う姫とも思えないのですが」
「晴姫は楽しい姫ですよ。あのような姫が身近にいれば、退屈はしませんよ」
 そう言って帝は笑った。私は僅かに含み笑いをしながら呟いた。
「退屈なさらない、か。いや、確かに、それはその通りでしょうが、しかし主上が、他の姫君の入内に今一つ乗り気でいらっしゃらないのは、よもや晴姫のためでもありませんでしょうに。それとも、そうなのですか」
 それから、私はわざと真面目くさって、
「主上がそのようにお考えなのでは、私はまた、あの時のように諌言仕らねばなりますまい」
 帝は軽く受け流した。
「またそれを言う。晴姫ははや、人妻ですからね。あらぬ事は考えてはおりませんよ。勿論、弁少将が若死にでもすれば、若い未亡人になる訳ですから、その時は尚侍としてでも、出仕を願えるでしょうけれどね」
「まあ、主上、そのような事……」
 大后の宮が咳払いするのを帝は意に介さず、
「まあ、そんな事にはなりますまい。しかし、晴姫は凡そ常識外れな事をなさる。それを見ているのが楽しいのですよ。私も東宮時代は少しは好きな事もできたが、今の身には軽々しい事もできない。尚更、懐しく思われます」
 妙にしみじみと言う。確かに帝となれば、軽々しい事はできないが、権力に物を言わせて横車を押す事はできるし、それをやろうとした事も確かだ。内心帝を斜に見ながら、私は出まかせを言った。
「しかし、洩れ伺うところでは、室町殿の佳姫という姫君、大層なお転婆で、中々気の強い方だとか。そう言えば、私は文使いで烏丸殿に参り、御簾越しとは云え晴姫に対面させて頂きましたが、お声などは、佳姫に似ておいででしたね」
「え?」
 帝は、好奇心をそそられたようだ。
「声が似ている? それは初耳だな。宮は、佳姫のお声を聞いた事があるのか」
「はい。いつぞやの室町殿の宴の折に、佳姫のお声を小耳に挟んだのです。兄君の三条大納言殿に、何やら我侭を仰言っているようでした。可愛らしいお声で、心に留めておりました。そして、先日の文使いの折に晴姫のお声を伺って、ふと佳姫を思い浮かべてしまったのですよ」
 これは全て嘘。佳子の声など一言半句も聞いた事がない。しかしそんな事は問題ではない。佳姫を入内させたいな、という気を帝に起こさせればいいのだ。
「ほう、お声がね。では、さぞ佳姫もお気の強い姫君だろうね。あの控え目な信孝の妹君が、晴姫並に気丈でいらっしゃるのだろうか。意外な気もするが」
 帝は私の術中に陥った。声には明らかに、佳子への並々ならぬ興味が現れている。
 程なく、
「お召しにより、参りました」
 簀子縁から、信孝の声が聞こえた。ちらりと見ると、信孝は昨日と同じ闕腋袍を着て、弓箭は帯しないものの武官の正装をしている。後宮には何ともそぐわない武骨さだ。
「うむ、頭中将は何を」
 帝は一転して、帝ぶった声になった。
「それにつきましては……」
 と口籠りながら、信孝は左右に目配せした。女房達が心得たように立ち上がり、二条と高倉を除いては退出していく。
「先程源大納言が、申文を参らせました。面目を失する噂あり、これよりは東宮坊大夫の御役目、恥じ入りて、お仕えする事叶わず、何卒御解任あるよう願い入り、御沙汰ある迄謹慎申し上げる、との事でございます」
 私は内心、高らかに凱歌を叫んだ。源大納言に圧力をかけ、東宮大夫を辞任させるよう三条大納言を唆かしたのが、結実したのだ。
「それは、どのような噂か。私の耳には届いていないぞ」
 私の思いとは裏腹に、帝は不愉快そうに、あからさまに厳しい声で言う。信孝が平伏していると、帝は重ねて、
「少将、どのような噂か。知っているなら、申すよう」
「それは……」
 信孝は口籠った末に、思い切って顔を上げ、
「それは、この度の淑景舎に現れた物怪は、源大納言の妹君だと、女房等が騒いでいる事だと察せられます」
 私は内心、力強く頷いた。以前、桐壷を後見する源大納言が、三条大納言からの働きかけが奏功して桐壷の後見に積極的でなくなってきたと大弐が言った時、私は大弐に、物怪出現の騒ぎが大きくなったら、その機に乗じて、源大納言の妹、桐壷にとっては亡き継母が物怪となって出たという噂を流すよう、策を授けていたのだ。
「物怪が、源大納言の妹君だと……?」
「そのように、淑景舎の女房等が騒いでいるらしゅうございます。それが源大納言の耳にも届き、我が身内が物怪になって女御をお悩ませする筈がない、亡き妹の名を汚されたと、大層な御立腹で……」
「それはそうだろう。源大納言の立腹も尤もだ。何故、桐壷方は、そのような事を口軽く……」
 大后の宮が身を乗り出し、帝を遮った。
「いえ、主上。桐壷女御は、これ迄にも度々、物怪に悩まされておいでとの事。お仕えしている女房等も、ずっと怯えていたのでしょう。それでつい、そのような事を口走った迄の事。それを本気に取るとは、源大納言も大人気ない事ですよ」
 大后の宮が取りなす声に紛れるようにして、私はしみじみと呟いた。
「――しかし、亡き妹が物怪となり、女御をお悩ませしていると噂されては、後見なさっている大納言のお立場もない。さぞ情なく、口惜しく思われたでしょう。大層仲の良かった兄妹と伺っておりますし。御同情申し上げますね」
 辺りは一瞬、しんとなった。私の鵺のような言動が、一座の雰囲気を私の思う壷に嵌める事に成功したのだ。桐壷や女房達に対する帝や大后の宮の心証を少しでも悪化させる事、それが私の策であった。
「しかし、源大納言殿が辞退なさった後、東宮大夫の大任をお受けして、東宮をお守りできるような公卿がおられるのでしょうか。東宮もおいたわしい事です」
 さも心配そうに、同情たっぷりに言ったその時だった。
「いいえ、東宮大夫をお受けする者はいるわ! 我が父内大臣が喜んで、その任に就くわよ!」
 聞き慣れたあの甲高い声が、麗景殿中に響き渡った。
・ ・ ・
 部屋の隅にあった几帳を蹴倒さんばかりの勢いで、晴子は私の眼前へ飛び出し、立ちはだかった。晴子は音高く床を踏み鳴らしながら言い募った。
「それに、いずれ私は姫を産むわ。意地でも姫を産み分けてやる。そしたら、姫誕生、即、東宮様と御婚約よ。そうなれば東宮様は、私の義理の息子、私が命賭けで、義理の息子をお守りしてやるわ!」
 晴子はそれだけ叫び終えると、ふらふらとその場に坐り込んだ。何とも名状し難い沈黙の後、晴子は顔を上げた。
「は、晴姫……」
 帝は驚き取り乱した余り、喉が裏返ったような声で、
「い、い、いつから、そ、そこに……」
 厳しく咎めようとしたのだろうが、却ってつかえてしまって、全然威厳の片もない。晴子は肩をすくめて帝の方へ向き直り、
「岑男の帝がお出ましになる前から、ずっといたわよ」
 ぴしゃりと言い切った。
「例え信孝が若死にして、未亡人になっても、私は尚侍なんかで出仕しないわよ。明るい未亡人になって、遺産で面白おかしく暮らすんだ。あちこちに気を遣わなきゃならない、暗そうな宮仕えなんて、真平御免よ。お生憎様でした!」
 肩を聳かしてせせら笑ったものの、私の気配を感じたのか、振り返った。
 私は、ここに晴子がいるかも知れないとは既に予想していた事であるから、些かも驚いた様子は見せず、静かな微笑を浮かべて、じっと晴子を見ていた。私の悠揚迫らぬ態度に晴子の方が気圧されたのか、顔を引きつらせて無理に笑顔を作り、
「お久し振りね、帥宮。いつぞやは御文の御使い、御苦労様。それにしても、私の声が佳姫に似ているとは初耳だわね」
 私は眉一つ動かさず、静かに呟いた。
「晴姫には、御機嫌麗しゅう、おめでとうございます」
 そう言って微かに頭を下げてから、次の手に出た。次の手とは、勿論、
「お元気そうですね、晴姫。御文をお届けした折は、どこかお悩みのようでしたが」
と言いながら人差指を口許に持って行って、そっと微笑を浮かべ、
「お化粧なさった唇の紅が、お美しいですね。まるで口許に、赤い撫子の花が咲いたように、お美しい。しばし、見惚れてしまう程です」
 私が晴子の口許に見惚れる筈が、どこにあろうか。真意は勿論、あの夜の事をバラされたくなかったら控えろ、という脅しだ。
「く、く、口許って、貴方……」
 案の定晴子は、顔中真っ赤にして口籠った。
「ほほほ、晴姫、いえ右近は相変わらず、元気なこと」
 余裕綽々の笑いと共に、その場の収拾に乗り出したのは、さすがに年季の入った大后の宮であった。
「主上、この者は、右近と申しますの。(信孝が右近少将である事から持ち出した名だな、と私は思った。)私が参内してすぐ、物怪騒ぎなどがありましたでしょう。気も沈みがちなので、若い元気な女房を一人二人、呼び寄せようと思いましてね。でも、院御所の女房等は皆、年寄りばかり。それで、お付き合いのある烏丸殿に頼んで、一人貸して貰ったのですよ」
 この堂々たる態度に比べて、からきし駄目なのが帝であった。
「いや、何というか、相変わらず思いも寄らぬ事をする方で……」
 と間の抜けた顔で晴子を眺めながら、絶句して目を瞑った。日頃偉ぶっているくせに、こういう事が起こるとまるで駄目だ。そのうちに帝は、深く嘆息しつつ、
「弁少将、不意の婚儀を恨めしくも思ったが……。こういう北の方では、何かと苦労も絶えぬだろうなあ……」
と思い切り間の抜けた口ぶりで言った。信孝はと見れば、帝に厭味を言われて初めて我に返り、がばと平伏して、
「恐れ入ります。面目もございません」
 何だろうね。私のこの悠然たる落ち着きに比べて。こんな近衛で、外夷でも攻めて来たらどうするんだろう。
「右近。この場は一まず、局にお退りなさい。後は、私に任せて」
 大后の宮は、晴子に目配せしながら言った。それで晴子は、ゆるゆると立ち上がり、部屋を出て行ったが、晴子が去っても私達の頭はあの豆台風で占められていた。
「少将、ほんの座興の積りだったのですよ。右近を叱ってはいけませんよ」
「は……」
 平伏したまま答える信孝の声には元気がない。帝が溜息をつきながら、
「そうだろうな。少将は結婚以来、晴姫を烏丸殿に閉じ込めて、私や桜宮、母宮に文も書かせなかったらしいな。さぞ、うんざりしたろう、ちょっとした悪戯をしたくなるのも尤もだ」
 どうしてこうなんだ、この帝は? 信孝は平伏したまま、返事もしない。
「右近の夫は、堅物と聞いているし、ほんのちょっとした息抜きの積りだったのだろう」
 全く、厭味言うしか能がないのか、この男は!? 私はそりゃ、晴子を気絶させるような目に遭わせはしたし、桐壷を寝盗りもしたが、他人にあからさまな厭味などは、そうそう言った事はない。厭味や陰口、そんな女々しい事は嫌いだ。男なら正々堂々、正面切って言う事を言ったがいい。
 そのうちに、皆も少しは落ち着いてきたのか、ふと帝が口を切った。
「……右近は、あれ程迄に桐壷に心を寄せていたのか。私とした事が、少しも気が付かなかった」
 大后の宮も、深く頷いた。
「右近は無茶な事もするけれど、心根の優しい人ですよ。確かに桐壷にはこれと言って頼る者もなく、お気の毒です。私もつい、歯痒い思いがあって、お優しくするよりはお説教ばかりしてしまいますけれど」
 帝はしみじみと言った。
「どうやら、私も右近程には、桐壷に優しくなかったのではないだろうか。右近を見習わなければ」
 さて、ここで私はどう言うか。帝や大后の宮が、晴子の暴言に惑わされた余り、必要以上に桐壷に肩入れするようになるのは、何としても避けねばならない。それは桐壷の為、というより私の為にならない。だが、今の豆台風のせいで、一座の雰囲気はすっかり変わってしまった。
 私の思いをよそに、帝はふと思いついたように、
「源大納言がこのまま東宮大夫を辞退し続けるのなら、後任には、内大臣が良いかも知れないな。内大臣は人の良い方だし、財力にも恵まれているし、何よりも、近衛派と直接与してはいない。右近もあのように言っていた事だし、桐壷もさぞ、心強かろう」
 大后の宮も、嬉しそうに相槌を打つ。
「それは良いお考えですわ、主上。右近どうこうは別にしましても」
 大后の宮と帝は顔を見合わせて、にやりと笑い合った。しかし私は、笑うどころではない。下手に反対意見を唱えたら、帝の不審を買うばかりだ。
 私は大急ぎで考えをまとめた。
「……しかし、それでは室町殿の皆様は快く思わないでしょうね。内大臣様が桐壷様を後見なさる事は、確かに桐壷様にも東宮にとっても頼もしい限りですが、それが元で権門同士がいがみ合うような事になっては、由々しき事になりましょう」
「げにも」
 帝の声は一転して沈み込んだ。
「近衛派と烏丸派が、土御門派のように対立し合う仲になってしまっては困る。岩倉宮の申す通りだ」
 よし、来たぞ。私は極力さりげなく切り出した。
「私の洩れ伺います所では、室町殿では佳姫の事でいろいろとお考えもあるようです。ですから、そこに御配慮があれば、左大臣様やその周りにも波風をさほど立てず、万事宜しいようになるのではないでしょうか」
 帝は、先刻私が言った虚言に惑わされて、佳子の入内に心が傾いていたところであろう、俄に目を輝かせた。
「うむ、それもそうだな。佳姫の入内の事について、考えてみようか」
 やった、遂に言わせたぞ! 世に、「綸言汗の如し」と言われ、帝の言葉は一旦口を出てしまったら、軽々しく変える事のできない物とされている。だから、一度でも、それを仄めかすような事さえ言わせてしまえば、もう後へは引けないのだ。
 不意に私は、只ならぬ気配を簀子の方に感じた。もしや晴子が、私にもう一撃を浴びせようと捲土重来したか!? と振り返ってみると、簀子縁には晴子の姿はなく、相変わらず信孝が控えているばかりであった。しかしその顔は透き通るように青く、今にも気絶しそうな様子であった。私はさっと信孝から目を外らし、帝を見上げながら、信孝の事に思いをめぐらした。
 何故信孝は、あんな顔をしていたのだろう。そう言えば、信孝は以前、佳子の婿探しの宴を催した事がある。その宴には私も招かれたのだった。そうすると信孝は、妹を入内させたくないのだろうか。……まさか、信孝は実の妹と!? いや、あの信孝に限って、そんな事はないと信じる。だとしたら何故?
 やがて、いつとはなしに話も途切れがちになってきた。豆台風通過の疲れも出てきたのか、帝は会談をそろそろ切り上げようという気分になってきたらしい。帝と私は大后の宮に暇乞いをして麗景殿を出た。
 麗景殿を後にしながら、私は言った。
「藤宮という方の事は、初めて伺いました。今は、どうしておられるのですか」
 帝は振り返りもせず、
「今は、斎宮になっておられる」
 それから、妙に気疲れしたような声で、
「しかし母宮も、何かと言うとああいう話ばかり、何とかならないものかな。明徳院の崩御が、異腹の妹と通じた罰だなんて、迂闊な事をそなたの耳に入れたくなかったのに」
 突如、私の胸の奥から、熱い塊のような物が突き上げてきた。
 ……帝と澄子は、異母姉弟ではなかったか!? そうだ、私と澄子が双子の姉弟であり、私と帝が異母兄弟であるのだから、澄子と帝は異母姉弟だ。異母妹と通じた明徳院が、その罰を蒙って死んだのなら、澄子が儚く死んだのも、異母弟と通じたからか? だが、しかし、それなら何故、何故、自らそうする事など全く望んでいなかった澄子が罰を蒙らなければならなかったのだ!? もし帝と澄子が通じた事が天罰を蒙ったのなら、罰を蒙るべき責は、その一切が帝に帰すべきではないのか!? それなのに何故、澄子はあんなにも幸薄く世を去り、そして帝は、しゃあしゃあと生き延びているのだ!? 天の配剤とは、そんなに不公平なものなのか!?……
 ……一時的な激昂は、やがて鎮まった。私は、一つの結論に達したのだった。異母姉弟でありながら通じた澄子と帝に対し、天罰が下った。澄子に対する罰は、懐妊のために命を失う事であり、そして帝に対する罰は、姉を奪い去られた私の、全身に激る憎悪と憤怒、それを原動力とした生涯を賭した復讐、実の弟による復讐を、この世に生き永らえて受け続ける事なのではないか。そうだ、きっとそうに違いない。病や事故で、あっさりと死ぬ事よりも、長い年月に亘って執拗な、激しい復讐を受け続ける事の方が、より激しい苦しみではないのか。そうだ、私はそう思う。そうであるが故に私は、帝を害しはしまい、指一本触れはしない、その代り帝の心を一寸刻みに切り刻み、片時も休む暇なく責め苛み、帝をさながら生き地獄にのた打ち回らせようと決心したのだ。私をしてそこ迄の断乎たる決意に至らしめるには、私に、私自身の心が切り刻まれるような苦悩と悲しみとを与えねばならない。そのために、私が誰に対するよりも深く恋し、私だけを愛した澄子を、私と帝の生きるこの現世から、去らせる必要があったのだ。そう考えると、澄子の死は、澄子に対する罰ではなかったのだ、とも考えられる。つまり澄子の死は、帝に対する罰を与えるために、私を帝に対する罰の執行人たらしめるために必要な犠牲だったのであり、最終的には帝に対する罰となるよう定められた物だったのだ。これこそ、深遠なる天の配剤ではあるまいか。そこまで考え至った時、それはあたかも一条の光明となって、私の胸の内に射し込んだ。それ迄私の胸の内にうっすらと漂っていた躊躇や逡巡は、朝靄のように消え去った。今迄ずっと、私の復讐が澄子の遺志に背かないか、という疑念が離れなかったが、それは今や跡形もなく消え去った。帝への復讐は天命なのだ、何を躊う事があろう。
 私と帝は、清涼殿へ帰った。殿上の間では、源大納言が東宮大夫の辞表を出した事をめぐって、ざわざわしていた。私が入ってゆくと、三条大納言は私を見上げ、意味あり気に片目をつぶって見せた。私は黙って、軽く会釈した。少し経って、大納言が用足しに中座し、帰ってくるのを殿上の間の外で待ち受けて、私は大納言に囁いた。
「大納言殿、いい報せですよ」
「何? 何です?」
 大納言は意気込んだ。私は大納言を手で制し、小声で、
「先程、源大納言殿が東宮大夫を辞められた後任に、烏丸殿をという話が出ましたのでね、そうなさるなら左大臣様御一族への見返りに佳姫の御入内を、と申し上げました。帝は、『考えてみようか』と仰せられましたよ」
 大納言は、目を飛び出さんばかりに見開いて、
「『考えてみようか』と!? 確かに、そう仰せられたのか!?」
 私は頷いた。
「そうか、そうか! いや、帥宮殿、よくぞ申し上げて下さった! 有難い、有難い! この通り、感謝致しますぞ」
 大納言は狂喜乱舞せんばかりの様子で、私の手を取り、握ったり撫で回したり、お蔭で私は、鳥肌を立てないようにするのに苦労した。
「まだ御内意ですから、余り表沙汰になさらないで下さい。それから、私が帝に申し上げたという事は、どうか内密に」
 私が大納言を制するのも、大納言の耳には入っていないようだ。
(2000.12.8)

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