岩倉宮物語 |
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第一部
第一章
もしこれが自叙伝というような物ならば、その冒頭は自己紹介でなければなるまい。姓名、生年、そして官位――今の世の中、人間というのは貴族と庶民からなっている。手っ取り早く言えば官職位階を持っている人間とそうでない人間だ。それからもう一つ、何よりも家柄が物を言う当節、父祖の姓名、極官というのも書かなければならない。しかし、残念ながら私には、そのような自己紹介はできない。何故なら私は、自分の姓名をすら知らないのだ。それどころか、私の父母が誰なのか、それも知らない。所謂自己紹介的な事どもで、私の知っている事と言えば、生年だけだ。私は今年十八歳、十三歳の時に元服を済ませた。それだけだ。 私は、父母を知らない。ごく幼い頃から、乳母に育てられてきた。乳母は私を、それは大切に育ててくれた。実の母を知らない私にとって、親とも呼べる人はこの乳母一人だと言ってもいい。乳母にしても、夫とは死別し、私と同じ年に生まれた一人息子も幼くして亡くし、今では私が只一人の子にも等しいのだ。 私達の家は、京都と言ってもごく場末、右京九条という所にある。都の華やかさとは全く無縁な、田舎じみた土地に小さな家を持ち、そこに私は、乳母と、乳母のまた乳母だという年老いた女房と、三人でひっそりと暮していた。 生活は、それは決して豊かではない。乳母の親戚筋からの援助で、辛うじて食べていけるといった程度だ。継ぎの当った衣を着て、梅干をおかずに薄い粥を啜り、秋冬の夜は綿も入れない衾を被って寒さに震えながら寝る。昼間は、家の周りに開いた畑を耕し、時には近所の百姓家へ田作りの手伝いに出ることもある。そうやって貰った幾何かの米、また畑で穫れた瓜や茄子、そういった物を乳母は時々、市へ持って行って布や銭に替えて来る。 こんな暮しをしていても、乳母は常に私に、その辺の百姓の子供達とは違う人間であるということを知らせようとしていた。いつの頃からだろうか、乳母は私に、古びた冊子を読ませるようになった。それを手本にして、字を書くことも覚えさせた。綴じ糸が切れ、紙が虫に喰われたその冊子は、今にして思えば古今集か何かだったのだろう。八つか九つの子供に、古今集の何たるかがわかるとは思わないだろうが、私はこれが不思議に性に合ったのか、二三年の間に大半は覚えてしまい、十二三の頃には、歌集の歌を一句ずつ継ぎ合わせたような三十一文字を口ずさむようになっていた。 元服は十三歳の時だった。この時乳母は、私が今迄見た事もない衣を仕立ててくれた。私がいつも着ていた、洗い晒しの草臥れた衣と違って、滑らかで艶があって、二重になっているので重い。私の家の近所に、このような衣を着ている人は誰もいない。 今迄ずっと古着ばかり着ていたので、新しい衣を貰えたのに嬉しくなって、柄にもなくはしゃいでいると、老女房が乳母に、 「さすが若様、御直衣がお似合いですこと」 それは私が初めて聞く言葉だった。 「これ、『おんのうし』って言うの?」 私が言ったのに、乳母は笑って、 「いいえ、直衣、ですよ。貴族の方々が着る衣なのです」 貴族。それが何を意味するのか、田舎の農民達の間に身を置いてきた私には、今一つ理解できなかったものの、つい口走った。 「それじゃ、僕は貴族なんだね」 その時、ほんの一刹那、それまで明るく微笑んでいた乳母の顔に、暗い翳りが差したように見えたのは、見間違いだったろうか。もしそれが見間違いでなかったとしても、その当時の私には、それが何を意味するのかはわからなかった。 だが、もし私が貴族と呼ばれる人間だったとしても、私の日常生活は貴族のそれではなかっただろう。生まれは貴族であるかも知れないが、現実の生き様に於いて百姓そのものである、どっちつかずの人間、それが今の私なのだ。 元服の日から後、たまに私は乳母に、何気ない風を装って問うことがあった。私は貴族なのか、と。ところが乳母は、不思議な事に、決してその問に答えようとしなかった。素早く別の話に外らしてしまうか、曖昧に誤魔化すか、さもなければ黙ってしまうか。そして黙ってしまう時にはいつも、その顔に不可解な翳りが差しているのに、私は薄々ながら気付いていた。 これはどういう事なのだろうか。乳母は私に、貴族の子弟たるに相応しい衣を作ってくれただけでなく、数年を費して、貴族の子弟たるに相応しい教養を授けようと努めてきた筈だ。つまり乳母は私を、貴族の子弟として世に出す積りであること、これは今の私にとっては、確信になっている。それでいながら、私が貴族の出自であるか否かという最も根本的な事に関する問いには、頑強に答を拒む。一体乳母は何を考えて、このように相反する態度を取るのだろうか。しかしよく考えてみれば、乳母は私が貴族の出自でない、とは只の一度も言った事はないのだ。ただ肯定も否定も、断定的な事を言うのは避けているだけだ。つまり、私が貴族の出自であるという根本の点に於いては、それは事実であるのに違いない。 では何故か。私は私なりに考えた。到達した結論は――私が貴族の出自であると明かしたら、私はきっと乳母に、では私の父母は誰なのか、と問うだろう、と乳母は考えたに違いない。そうすれば乳母は、その問いにも答えなければならない。もしそこに、乳母が私に対してさえ明かすことのできない秘密があったとしたら? 自分の出自に、自分の知らない秘密があるということ。これは私の胸の内に、名状し難い不可思議な感興を惹き起こした。だが私は決して、その秘密から目を外らそうとは思わなかった。どんな秘密であれ、私というこのかけがえのない一人の人間が今、こうしてここに存在している、その存在の根本に関わる秘密なのだ。私がこの世に生きている限り、突き止めずにはおくまい。 ・ ・ ・
秋の末頃、老女房が亡くなった。六十を過ぎた齢であった。肉親というものを全く知らない私にとっては、祖母にも似た存在であった筈なのだが、不思議とこの老女房の印象は少ない。乳母が私の母代りとして、私を精一杯育んだ、その蔭に隠れてしまったのだろうか。秋に入る頃から乳母も、体が万全でないような様子が見えていた。私はそうと気付いてからは、極力乳母を労るよう努めた。水汲みや薪割り、或いは稲刈りといった力仕事は、私一人でできる限りやった。それでも日一日と、乳母は痩せ衰え、顔は土気色になっていった。夜中に咳こみ、私が目を覚ますことも度々であった。これは明らかに病気であった。しかし今年は凶作で、食べる米にも事欠く始末、医師を頼む金など、家のどこを探しても出てくる筈がなかった。 冬のある夜、衾に入ったものの寒さの余り一向に寝付けず、頭から衾を被ってじっとしていると、乳母の咳こむ音が聞こえた。私は衾から顔を出した。乳母は衾にくるまったまま起き出して、薄暗い灯火の下で、寒さに縮こまりながら書き物をしている。ここ数日というもの、すっかり弱って、用足しに立つ元気もなかったというのに、無理に起きてはどうなる事だろう。 「ばあや、起きてたの?」 私が起き上がりながら声をかけると、乳母は顔を上げた。と見る間に、その顔を歪めて、苦しげに咳こんだ。 「駄目だよ、寝てなくちゃ」 私はにじり寄って、乳母の背中をさすった。乳母は浅い息の下から、小声で言った。 「わ、若様、……もし、ばあやがいけなくなったら、この文を、お持ちになって、さ、三条南東堀川西の、邸へお行きなさい……」 いけなくなったら? ……私は声を上げた。 「馬鹿な事言わないでよ! ばあや、きっと良くなるよ。僕が、今迄よりもっと働いて、薬も、食べ物も、炭も衾も買って、ばあやの病気なんか、すぐ治してあげるから!」 家中探したって一文の銭もないのに、こんな事を言ったところで気休めにもなるまい。だが、こうとでも言うより他にないではないか。 乳母は、ふと口元に、寂しげな微笑を浮かべた。私に言うというより、独り言のような調子で、 「……三条南東堀川西の、お邸ですよ……」 私は有無を言わさず、乳母を床に寝かせた。 「もう夜中に起きたりしちゃ駄目だよ」 私が乳母の顔を覗き込むようにして言うと、乳母は私を見上げ、再び、寂しさと悲しみの交ったような、不思議な微笑を浮かべた。薄暗い灯火の下、乳母の目が微かに光ったような気がした。 朝になった。底冷えのする寒さだ。こんな寒さはこの冬初めてだ。私は衾から這い出し、窓の板を持ち上げた。 窓の外は、一面の雪景色であった。空も大地も真白だ。今年初めての雪である。道理で寒い訳だ。私は窓の板に突支い棒を入れ、振り返りながら言った。 「ばあや、雪だよ。今すぐお湯を……」 振り返った途端、私の舌は凍りついた。乳母の僅かに開いた唇から、夥しい血が溢れ、衾の衿元から枕まで、真紅に染めていたのだ。 「ばあや!?」 私は無我夢中で駈け寄り、乳母を抱き起こした。乳母の体は冷たく強張り、揺すっても叩いても、ぴくりとも動かない。 否応なく受け容れなければならない事実。乳母は死んだのだ。そして私は、天涯孤独の身の上となったのだ。 不思議な程、私の心は落ち着いていた。私は立ち上がり、竈に歩み寄ると、毎朝しているように、竈に火を起こして湯を沸かした。湯が沸くと、私はそれを盥に注ぎ、手拭を浸して絞った。その手拭で、乳母の唇から首筋にかけて流れ、こびり付いた血糊を拭い取った。吐いた血を喉に詰まらせたのだろうか、死顔は安らかとは言えなかった。苦しげに歪んだ乳母の死顔を見ているうちに、急に胸の奥から衝き上げてくるものがあった。目の前が霞んできた。私は唇を噛みながら戸口へ行き、草鞋を履いて戸外へ出た。新雪を踏みしめて一番近い家へ行き、戸を叩いた。起きてきた顔見知りの主人に、私は一言、 「乳母が、死にました」 ・ ・ ・
近所の人に来て貰って、ささやかな葬式を営んだ。近くの小さな寺から僧を呼んで、型通りの受戒をさせた時、私の頭の中にあった事は、お布施を幾ら出したら良いか、であった。私達は本当の赤貧で、家中探しても金目の物はおよそ何もなかったのだ。米すらも、あと何日間食べられるかというくらいの量があるだけだった。お布施が何もないとわかると、僧の態度が幾分軽蔑を含んだように感じられたのは僻目だろうか。一番身近な人の葬式も満足に出せない自分自身の腑甲斐なさ、いやそれよりも、その元となったのはこの貧しさだ、その貧しさを私は深く憎んだ。生まれて初めて、何かある物事を憎んだのだった。もしこれ程貧しくなかったら、きちんとした葬式が出せた、いや、医師を頼んで、滋養のある物を乳母に食べさせて、葬式を出さずに済ませられた筈なのだ。老女房はともかく、乳母はまだ四十ばかりだった。病気さえ治せば、死にはしなかったのだ。貧しかったばかりに乳母は、私の前から去ってしまったのだ。雪道の野辺送りを済ませた後、私は乳母が亡くなる前の晩、書いていた文を取り出した。きちんと包んで封をしてあるが、包み紙には何も書いてない。その時、乳母が最後に言い残した言葉が、頭の中に聞こえてきた。 ……ばあやがいけなくなったら…… 乳母はあの時、既に自分の死期が近いことを悟っていたのだろうか。そうとしか考えられない。 私は肚を決めた。三条南東堀川西とかいう邸へ行こう。そこがどんな所かは知らぬが、今の暮らしより悪くはなるまい。今の暮らしは最低だ。明日食べる米もあるかないかという、赤貧のどん底だ。乳母はその一生の最後の時に、私にその赤貧から脱出する可能性を与えてくれたのだ。それに報いることが、十八年間乳母に育まれてきた私の義務ではないのか。 翌日の朝、私は近所の誰にも告げずに、そっと九条の小さな家を後にした。いつも着ている衣の上に、元服した時乳母が作ってくれた直衣を着、指貫(袴の一種)を穿き、烏帽子を被っている。十三歳の時に作った衣なので、袖丈や袴の丈はやや短いが、それでも立派な衣だ。普段着と重ねて着ていると、大分温かい。それだけでも、何か今迄の自分と違った、新しい自分になったような気分がする。 さて三条南東堀川西という所へは、どう行ったらいいのか。私が住んでいた所は右京九条だったから、三条と言えば北、東堀川と言えば東にあたる。日の昇る方角が東、東を向いた時左側が北。それだけを目安に、私は三条西東堀川南を目指した。無謀と言えば言えたろう。しかし他になす術はない。 やがて、南北に流れる細い川に突き当たった。川の両岸に道がつけられている。ここが東堀川だろう。ここから北へ行けば、そのうち三条に出るに違いない。 北へ進むうちに私は、市場に差しかかった。実は私は、この齢になるまで市場なる場所に足を踏み入れた事がない。物珍しさの余り、思わず足を踏み入れた。様々な店が軒を並べている。売っている物も様々だ。米や野菜ばかりでなく、魚あり鳥あり、酒や油もあり、食べ物ばかりではなく布や衣、台所道具、刀剣、薬、何でもある。その店に出入りする人々も様々だ。老若男女、庶民ばかりではなく、私のような直衣を着た人、即ち貴族もいる。直衣を着て立烏帽子を被り、剣を帯びて従者を従えた貴族は、やはり庶民とは違うものがある。私も他人から見れば、あの貴族の一人に見えるのだろう。そう思うと、周りの庶民達に対して、微かな優越感を覚えた。 金がないのだから市場にいても仕方がない。私は市場を出て、尚も川に沿って北へ進んだ。三条というのはどの辺りなのだろうか。今迄一度も来た事のない土地を、たった一人で歩くのは、昼日中と言ってもやはり不安である。左右をきょろきょろと見回しながら歩いてゆく。 突然、 「危いっ!」 左の方から若い男の叫び声が聞こえた。私はびっくりして立ち止まり、振り返った。目の前に馬が! 私は無我夢中で飛びすさった。道に尻餅をついた私の目の前で馬は棒立ちになり、騎乗の若い男は、馬の首にしがみ付かんばかりになって、やっとの事で馬を停めた。 馬から降りてきた男の年格好は、私と同じくらいか。私と同じような立烏帽子を被り、指貫の紐を膝のすぐ下で括っている。上衣の形は私の直衣と少し違うが、同じように艶のある上等な布でできている。この男も貴族なのだろうか。 馬を降りた男は、私の衣を見て、私を貴族と思ったのだろう。 「済みません、お怪我はありませんか」 深々と頭を下げて詫びると、私の手を取って助け起こそうとする。私は自力で立ち上がり、烏帽子がずれたのを直して言った。 「大丈夫です。御心配には及びません」 男が尚も恐縮した様子で、何やら言い出そうとするのを、私は止めて言った。 「一つお伺いしたいのですが、三条南東堀川西の邸へは、どう行ったらよいのでしょうか」 男は驚いて聞き返した。 「三条南東堀川西の邸?」 「ええ、そこへこれから……」 男は、驚きとも喜びともつかぬ声を上げた。 「そこは、私の邸ですよ。いや、偶然ですね、一緒に参りましょう」 大した偶然だ。これは仲々幸先が良い。 「御案内頂けますか。それは有難い」 私が言うと、男は私に手を貸して、鞍に乗せてくれた。 「手綱は私が持ちます」 男自身はそう言って、馬の手綱を引いて徒歩でゆく。私は初めて馬に乗ったが、どうも乗り慣れない者には徒歩の方が楽だ。それは私が、畑仕事などで歩き慣れているせいだろうが。 「私は邸の主人播磨守の三男、検非違使少尉源泰家という者です」 男は名乗った。さあ困った。私も自己紹介しなければならない。泰家は、私が馬上でもじもじしているのに気付かず、 「貴方は、いずれ名のある御方とお見受け致しました。官職だけでもお伺いできれば」 「官職? ハリマノカミとか、ケビイシとか、そういうのですか」 愚問中の愚問だったか。しかし泰家は軽蔑した様子もなく、 「ええ、そうです」 この泰家という男、若いのに仲々礼儀正しい男だ。言葉遣いにも嫌味がない。好感の持てる男だ。こういう男に、変に隠しだてしたり嘘を言ったりするのは気がひける。こうなったら仕方がない、ありのままを言おう。 「そのような官職は、何も持っていません」 泰家は訝る様子も見せず、 「では、どこかのお邸の家司なのですね」 「いや、そのケイシとかいう者でもありません」 私の受け答えは、どうも彼の予想とかなり違っていたらしい。彼は黙り込んだ。これは困った。もし彼が、私を不審な人物だと思ったら、今すぐ馬から降ろされるか、或いはどこかへ連行されるか、二つに一つだ。 しかし、程なく泰家は口を開いた。 「貴方は、どなたのお使いで私の邸へおいでになるのですか」 官職を持たず、家司でもない、そのくせ貴族ではあるという不可解な人物が、自分の邸へ来るということを、彼なりにうまく理屈に合わせようとしたのが見え見えの話しぶりだ。私は覚悟を決めた。私が言うことを、この男が一から十まで信じるとは到底思えないが、何か言わなければ一層不審に思われよう。 「私は、誰の使いで参るのでもありません。恐らく信じて頂けないでしょうが、こんな訳なのです。 私は物心ついてからずっと、右京九条という所に、乳母ともう一人の女房と、三人だけで暮らしてきました。ですから父も母も、顔を見た事もなければ名前を聞いた事もありません。 つい先頃、女房も乳母も亡くなりました。乳母は亡くなる直前、私に、私――乳母ですよ、乳母が死んだら、三条南東堀川西の邸へ行きなさいと、言い残してゆきました。きっとそこに、私の縁者か、乳母の縁者かが住んでいるのだと思いました。そこで今日、その三条南東堀川西の邸へ参ろうと、九条の家を出て来たのです。三条南東堀川西がどこかもわからずに、ただ歩いていたら、図らずも貴方にお会いして。 如何ですか。もし信じて頂けないなら、今すぐ馬から降ろすなり、どこかへ連れて行って引き渡すなり、どうとでもして下さい」 私が強く言い切ると、泰家は私を見上げ、 「とんでもない。諸国の流浪人ならいざ知らず、貴方のような立派な御方を、引き渡すなどと。私にはよくわかりませんが、何かきっと深い訳がお有りなのでしょう」 と言って、無邪気に微笑んでみせた。 何という幸運だろう。初めて出会った貴族が、こんな善良な男であったとは。しかもこの男が、私がこれから行こうとする三条南東堀川西の邸の住人だったとは。これもきっと、乳母の霊が導いてくれたのだろう。 やがて泰家は、立派な門の前で馬を停めた。 「さあ、着きました。ここが私の邸です」 泰家の言葉を聞きつけて、二三人の門番が出て来た。 「お帰りなさいませ。その御方は?」 「うむ、ここを訪ねて来られた客人だ」 この一言で、私は何の詮議も受けずに門内へ入った。門は、立烏帽子の者が乗馬のまま入るにはやや低いので、身を屈めて烏帽子を引っかけないようにしなければならない。 これが貴族の邸というものか。門を入った所にある厩からして、私が今迄住んでいた九条の家より大きい。馬を降りて、邸の者に案内されて中門を入ると、広い中庭である。池があり、島があり、様々な木が植わっている。庭全体は、九条の家の周りの畑より広いだろう。この庭とこの水を余す所なく利用したら、どれくらい野菜が作れるだろうか……。 庭を囲んで、東、北、西と大きな家がある。それぞれが九条の家の何軒分もある。その宏壮さに私は圧倒された。 東側の家の隅にある部屋に、私は通された。床は板張りだ。土間に寝起きするのに慣れた私は、床の下が地面まで何尺もあると思うと、立っていても落着かない。部屋の真中に藁を丸く編んだ見慣れない物と、炭火の入った桶がある。 「どうぞ、ごゆるりと」 案内してきた家の者は、部屋を出てゆく。私は一人取り残された。他人の家を訪れることも滅多にないのに、まして貴族の邸に招ぜられたのは初めてだから、どうも落ち着かない。 だが、ここで臆してなるものか。私が、貴族として生きていけるかどうか、それはまず私が、この邸にうまく受け容れられるかどうかにかかっている。幾ら生まれが貴族だと言ってみても、余りにも貴族に相応しからぬ様子を見せれば、見くびられるか不審がられるか、どっちにしても良い事にはなるまい。だがその点私は、泰家なる若者に良い第一印象を与えることはできたのだ。とは云え、この邸の人全てが泰家のように善良である、などとは思わない方が良いだろうが。泰家という男も、私が見る限りでは中々の好青年である。あの男が私の縁者だとしたら、悪い話ではなさそうだ。 さて、かなり時間が経つのに誰も来る様子がない。丸く編んだ藁の上に端座しているのも、そろそろ疲れてきた。誰の使いでもないなどと言った私を、どう扱ったものか、処置を考えているのだろうか。 奥の方から衣ずれの音がして、一人の女が入ってきた。私は目を瞠った。 世の中にはこんな衣があるものなのか! 床に曵く程長い衣、艶のある上等な地に様々な紋様を作り出した豪勢な衣を、何枚も重ね着している。これが貴族の女性の衣というものか。乳母や老女房が生前着ていた衣とは大違いだ。 女は、私と目が合った途端、妙にそわそわした落ち着きのない表情を見せたように見えたが、次の瞬間には入ってきた時のような、つんと済ました顔に戻って言った。 「どなたに、何の御用ですの?」 ああ、何故私は、乳母からもっとよく聞き出さなかったのだろう。乳母の残した文を、誰に何と言って差し出せばよいのか、それがわからないのでは乳母の文も、何の役にも立ちはしない。 「どなたに、と申したら良いのか……」 もごもごと呟くように言うと、女は一層つんとした様子で、 「それでは、どなたにもお取り次ぎできませんね」 と突き放すように言う。やはり、この正体不明の客人に対し、警戒心を抱いているのだ。それはまあ当然というものだが。しかし私にとっては、ここが正念場だ、ここで追い出されたら、それこそ流浪人にでもなるしかあるまい。 「待って下さい」 女が立ち上がろうとするのを、私は呼び止めた。私は袂から、乳母の文を取り出した。 「私の乳母が亡くなる時、この文を私に託して、これを持ってこちらに参りなさい、と申しました。どなた宛の文とは、聞きそびれましたが。どうかこれを、御主人か誰かに、御覧に入れて下さい。何か御心当りがあるかも知れません」 女は私の差し出した文を、怪訝な面持ちで手に取った。表裏をためつすがめつ見てから、私に一瞥をよこして言った。 「かしこまりました。今しばしお待ちを」 女は足早に出てゆく。私は再び、一人取り残された。あの女が警戒を解いていないのは、私だってよくわかる。一向に得体の知れない男が、宛先不明の文を差し出したところで、誰が警戒を解くものか。それにしてもあの女の、髪の長さはどうだ。立って床に届く程だ。百姓の女は、野良に出て働く都合上、あんなに髪を伸ばす訳にはいかない。 しかし先刻の女の振舞をよく思い出してみると、私を正体不明の客人として警戒し、うまくあしらって追っ払おうという、それだけではない何かがあったような気がする。私と初めて目が会った時の、狼狽にも似た表情の変化は何だったのだろう。もしかしてあの女が、私の出自の秘密について、何か知っているのではないだろうか。いや待て、それは少し考えすぎかな? あの女の年格好は、私より幾分上だが、でもせいぜい二十過ぎだ。私が生まれた頃の事どもを知り尽くしているとは、どうも思えない。だとすると何だろう? ふと私の耳に、衣ずれの音が聞こえてきた。私は、床に足を投げ出していたのを、きちんと坐り直した。先刻の女が入ってくると、 「先程は大変失礼致しました。どうぞこちらへ、おいで下さいませ」 と、一転して愛想良く、にこやかに言う。 何なんだ、この態度の差は? 私は内心大いに訝りながらも、努めてそれを顔に出さないように、軽く会釈して立ち上がった。女の後に続いて、長い廊下を歩いてゆく。 そのうちに私は、変な事に気付いた。廊下のあちこちの柱の陰に、妙に人の気配がするのだ。あの長い衣の裾が見えたり、光の加減で人の影が見えたり。時には、扇で顔を半ば隠しながら、私が歩いてくるのを見守っている女がいたりする。柱の陰から私を見ていた若い女に、私は何気なく会釈した。途端にその女は、扇で顔を覆って物陰に走り去ってしまった。この邸の住人の、こんなにも多くが、私の出自の秘密を知っているのか、そうとも思えない。物陰から私を見ているのは、定かではないが若い女が多い。中には、私より年下に見えるのもいる。そんな若い女が、私の出自の秘密を知っているとは、ちょっと考えにくいのだ。何にしても、物陰からそっと覗かれているのは、気持の良いものではない。 長い廊下を渡って、庭の北側にある大きな建物に入った。その時になって気付いたが、庭のすぐ北側にある大きな建物の北にもう一つ、これも大きな建物がある。この邸には、それ一つが九条の家の何倍もあるような建物が、少なくとも四棟ある訳だ。それに、道すがら見かけた多くの女達。邸に奉公している、所謂女房という女達が、十人や二十人といった数はいると見た。いやはや貴族の邸というのは大したものだ。 私は、一番北側にある建物の、南に面した大部屋の、南側に張り出した縁側に導かれた。部屋の床は縁側より一段高くなっていて、何かの草を編んだ敷物が敷いてある。その上に更に一枚、華やかな紋様を織り出した薄い衾のような物があって、そこへ私は坐らせられた。 (筆者註 この時代の畳は、今日のように部屋中に敷き詰めるものではなく、茣蓙のように使った。播磨守の邸で、部屋中に畳を敷き詰めたのは、大国の国守という地位に伴う厖大な財力のなせる業であった) 部屋の中に吊った簾の向こうに、人影が見える。私は床に手を突き、深々と一礼した。簾の向こうから声が聞こえる。 「面をお上げなさい。そんなに他人行儀にしないで」 女の声だ。少し低い、落ち着いた声音に、何とも言えぬ雅びさが漂っている。「他人行儀にしないで」と言ったが、ではこの人は、私の縁者なのだろうか。私の何に当たる人なのだろう。私は顔を上げた。 「私は、貴方の母の姉です。貴方の事は、貴方が生まれた時から知っておりました。漸く対面が叶って、私も嬉しいですよ」 簾の向こうの人は言う。 そうだったのか。この女は、私の伯母だったのだ。こんな立派な邸に住む貴族、それもこの邸の主人のような人が、私の近い縁続きだったとは。私は体中が痺れるような、深い感動に満たされた。 「貴方は今年、十八歳でしたね」 伯母は、親しみをこめた声で言う。 「はい」 返事する声も、つい上ずってしまう。伯母は感慨深げな声で、 「まあ、すっかり立派に成人されたこと。貴方の母も、きっと喜んでいる事でしょう…」 母と聞いて私は、思わず身を乗り出した。 「母は、母は今、どこにいるのです!? どうか母に会わせて下さい!」 ところが伯母は、沈痛な声で途切れ勝ちに、 「いいえ……貴方の母は、……貴方の母は、貴方を生んだその時、……亡くなりました」 何ということだ。母は、私の母は、もうこの世の人ではなかったのだ! 信じられない、いや、信じたくない……。 私は気を取り直し、高鳴る胸を鎮めつつ、伯母に尋ねた。 「では、私の父は、誰なのですか。今、どこにいるのですか」 伯母は、低い声で答えた。 「私は、知りません」 そんな事があるか。姉が、妹の夫を知らないなんて。 「それはおかしいじゃありませんか。私の母の夫が誰だったのか、伯母上、貴女が御存知ないと仰言るのは」 つい声高になった私を、伯母は制した。 「まあ、お聞きなさい。貴方にとって、こんな事を聞くのは辛いでしょうが、もしどうしても貴方が、貴方の生まれの事を知りたいと言うのなら、お話ししましょう。近う寄りなさい」 伯母が扇で私を招く。私は中腰になって、簾ににじり寄った。ふと気がつくと、簾の内外にいた女達は、ざわざわと衣ずれの音をさせて出てゆく。どんな話があるのだろう。私は期待と不安に胸が高鳴るのを感じた。簾のすぐ前まで来ると、伯母の表情も幾分かは、簾を通して窺うことができる。 伯母は、遠い昔を思い出すようなまなざしで、低い声で語り始めた。 「十八年前、私も妹も、亡き父岩倉宮の娘として、それは大切に傳かれておりました。父は特に、妹を慈しみ、妹に立派な婿を取ろうと心を砕いておりました。私は既に、さる公達を夫としておりました。ところがある夜妹の許に、何者とも知れぬ不埒な男が忍び込み、そして何と不幸な事に、たった一度のその契りで、妹は身籠ったのでした。勿論、その不埒者は、身籠った妹に一瞥すら与えませんでした。 たった一夜の戯れに、妹の心はどれ程傷付いたか。妹の嘆きは、端目にも哀れの極みでした。父もまた、どれ程落胆した事でしょう。妹と共に嘆き、或いはその不埒者を、烈火の如き怒りを以て呪っておりました。妹は心痛の余り、見る間にやつれて行き、そして月満ちて、やつれた身の最後の力を振り絞って子を産み、産み終わると間もなく、息を引き取ったのでした。 妹に先立たれた父は、失意の余り出家しました。父が亡くなったのは、三年程後でしょうか。同じ頃、母も亡くなりました。 私の手許には、妹の忘れ形身の赤児が残されておりました。私はその少し前に娘を産んでおりましたので、その子を娘と一緒に、私の子として育てようとも思いましたが、世間体を憚った父の厳命によってそれは叶わず、私はその子を、乳母の一人に託して邸から去らせたのでした。 乳母は九条の辺に、ひっそりと暮らしていると、たまに文がありました。私は秘かに、乳母の暮しに入用な物などを送ってやりました。乳母に託して邸を去らせてから十七年、私は片時たりとも、その子の事を忘れた事はありませんでした。その子は確かに、妹の一生を台無しにした不埒者の子ではありますが、それよりも、私の大切な妹の、唯一つの忘れ形身なのですから。 もうお分かりでしょう。その子が、貴方なのです」 ……。私はしばし、何も考えることができなかった。私の出生に、こんな意外な、驚くべき、否、忌むべき秘密が隠されていたとは! 私の父、それは誰か、どんな男かは知らないが、その男は伯母の話を聞く限りでは、母を殺したにも等しいではないか。私の、貴族としての第一日目に、こんな事実を知らされるとは、思ってもみなかった。 伯母にとっても、こんな事は口にしたくなかったようだ。そこに思い至った私は、努めて平静を装って言った。 「わかりました。父を詮索する事は、決してしますまい。過ぎ去った事です」 伯母も頷いた。 「そうです、それでよいのです。過去にしがみ付いて生きるには、貴方はまだ若すぎます」 僅かの間、沈黙が流れた。何か別の話題を出そうと、伯母は考えているらしい。やがて伯母は口を開いた。 「ところで貴方、名は何と言いましたかね?」 ありのままを答えるしかない。 「それが、わからないのです。物心ついてから今迄、名前というような呼ばれ方をした事はないので。乳母は、『若様』としか呼びませんでしたし。小さい頃は、それが名前だと思っていましたが、そんなのが名前でない事くらい、十八になればわかります」 伯母は、扇で口元を覆って低く含み笑いした。侮蔑というのではなさそうだ。 「それでは、貴方の親に代って、私が名前を付けてあげましょう。これからは……正良と名乗りなさい」 伯母は言った。 「正しいという字に、良いという字です。正の字は、父岩倉宮の諱から採りました。貴方は、岩倉宮の血を引く、只一人の男なのですからね」 只一人の? 私は尋ねた。 「播磨守様の息子方は、岩倉宮の血を引いてはいないのですか?」 伯母は笑った。 「おや、それは違いますよ。父が亡くなってから、母娘二人で頼る者もなく、……夫も、いつとはなしに別れたきりです、薄情な夫でしたが、その頃の私達の境遇を思えば致し方ありますまい。父の遺した財産も減ってゆくばかりで、しまいにはその日の暮らしにも事欠くようになってきた折に、大殿から結婚の申し入れがあったのですよ。あの頃の暮らしは、それはもう、毎日の食べ物にも事欠くほどでしたから、あの人が、国の守というのは本当に大金持ちですからね、決して不自由はさせない、誰よりも大切に傳いて差し上げよう、と熱心に申し入れて来ましたのに、心が動かされましてね。それに、私一人だけならどんな貧しい暮らしにも耐えましょうが、娘がもう物心つく年頃になっておりましたから、せめて娘には、物語に描かれている落ちぶれた宮家の姫君のような、そういう暮らしはさせたくなかったのです。それで、あの人と再婚したのが、十二年前でした。宮家の姫という方々は、私もそうですし、私の他にも何人か知っていますが、中には妙に宮家の出であることに誇りを持って、裕福な国の守達の申し出を撥ねつけながら、落ちぶれるに任せている方もいらっしゃいます。そういう方から見れば、私などは生活の安楽のために宮家の誇りを捨てた、恥知らずな女という事になるのでしょう。まして私は再婚ですから。でも私は、大殿と再婚した事を、恥じても悔いてもおりません。大殿はそれは良い人で、私も娘も、この上なく大切にしてくれますし、特に娘を、何不自由なく育ててくれた事には、深く感謝しています」 伯母の述懐には、しみじみとした感慨がこもっていた。私にも伯母の心境が、痛い程よくわかるのだった。 「仰言る通りです。貧しい生活の辛さは、私にもよくわかります。貧しかった故に、病に臥した乳母に、栄養のある物も食べさせられず、薬も飲ませられず……乳母は……」 不意に胸の奥がこみ上げてきて、私は言葉を切った。唇をきっと引き結び、目を瞬き、一呼吸入れてから私は続けた。 「一番親しい人が病に倒れたのに、何もしてあげる事ができないような、そして亡くなったその人に、人並みの葬式も出してやれないような、そんな辛い目に遭うのも、貧しさが全てです。そんな貧しさを、私は憎みます。伯母上が、貧しさから逃れようと、いえ、そう申すと語弊があるでしょうが、播磨守様と再婚なさったのは、決して恥じる事ではないと思います。貧しさから逃れようと努力すること、それを咎められる人は、どこにおりましょうか。人は生きている限り、食べなければならないし、着る衣も、火桶に入れる炭も要るのですから。宮家の誇りと仰言いましたが、誇りがおかずになりますか、誇りで冬の寒さが凌げますか……失礼、少し言いすぎました。お気に障ったら、お許し下さい」 私が頭を下げると、伯母は笑って言った。 「いいえ、いいんですよ。正良も、相当苦労して来たのでしょう。 そうそう、播磨守の子供達の話でしたね。大殿は、先の奥方との間に、息子ばかり三人の子供達を儲けておりました。一番下の息子、正良をここへ案内した泰家ですよ、泰家が四歳の時でしたか、先の奥方が亡くなり、大殿は息子三人のために、母親となってやれる人が欲しいと、そう願っていたのです。大殿が何と言って私に求婚してきたか、わかります?」 私は首を振った。 「『私が貴女の娘御の、父親となって差し上げるように、私の倅共の母親となって下さらんか』、と言ったのですよ。娘だった時分に聞いたら、何てまあ変な口説き文句、と笑ったでしょうね。でも人の子の母となってかなり経っていた私には、それは何の抵抗もなく、受け容れられました。そればかりでなく、大殿が、……少し話が外れますけど、世間の裕福な国の守達が、宮家の娘を奥方にしたがるのは、財産はあっても家柄が低くて、その家柄の低さに引け目を感じている者が、家柄に何と言いますか、箔をつけようとしたがるからだと、世間ではよく言われておりますが、大殿が私に求婚したのはそんな下心からではないと、はっきりわかりました。それで私は、そう、大殿の心意気に感じて、再婚する決心をつけたのです。私は子供が好きですし。幸いな事に、大殿の息子達は、一番上の子は十歳になっていましたが、皆、私によくなついてくれました。私も大殿も、お互いの子供達を、分け隔てなく慈しんできたつもりです」 伯母は一息入れると、私を見てにっこりと微笑んだ。 「勿論、私達の四人の子供の中へ、もう一人入ってきた甥を、分け隔てする気は決してありませんよ。 何か、随分つまらない事まで喋ってしまいましたね。嬉しかったものですから、つい……。伯母ののろけ話なぞ、聞かなかった事にして下さいな。 正良、貴方は今日から、この邸の家族の一人なのです。暮らし向きの事は、何も心配するには及びません。安心して、私と大殿に任せなさい」 自信満々に言い切る伯母に、私は床に手を突き、深々と一礼した。 「有難うございます」 伯母は手を上げて、 「そう他人行儀にしないで。それで、貴方のお部屋ですけど、何しろ新しく人を邸に受け容れるとなると、お部屋の支度にも色々とかかるもので。悪いけれど今日明日くらいは、泰家と一緒のお部屋に入って下さいな。泰家にも申しておきますから」 「わかりました」 「案内させましょう。これ、美濃や」 伯母は手を叩いて人を呼んだ。衣ずれの音がして、縁側から入ってきた女がいる。美濃と呼ばれたその女房は、私の傍らに跪いた。 「お呼びですか、北の方様」 この声は、先刻私をここへ案内してきた女の声ではないか。 伯母は、一家の女主人に相応しい貫禄を見せて、美濃に指図する。 「小太郎君を、三郎君のお部屋に御案内しなさい。差し当って、三郎君のお部屋に入って貰いますから」 それから伯母は私に、 「言い忘れましたが、家の者には貴方を、小太郎君と呼ばせることにしました。私の妹の、太郎君(長男)ですから」 美濃は伯母に一礼すると立ち上がった。 「こちらへどうぞ」 私も、伯母に一礼すると腰を上げた。立ち上がりざま、美濃と目が合うと、またしても美濃は、初めて私と目を合わせた時のような微妙な表情の動揺を見せ、わざとらしく目を外らしてしまった。 私は美濃の後に続いて、東側の建物にある泰家の部屋へ来た。来る途中も、そこここの柱の陰に、妙に人の気配がするのに気付いていた。どうも不愉快だ。貴族というのは、家の主人に正当に迎え入れられた客人に対しても、こんなに警戒感を持つものなのだろうか。迎え入れられた早々、こんな事を言い出すのは不作法かも知れないが、目に余るようだったらそれとなく言ってみるか。// 歩いていくうちに、若い男が二三人、何やら掛声を掛け合っているのが聞こえてきた。何か物を叩くような音も聞こえる。 「美濃、と言ったね」 私が声をかけると、 「は、はい」 妙に上ずった声で美濃は返事する。 「あの掛声は何かな?」 「あ、あれは、その、蹴鞠ですわ」 どうしたと言うのだろう、私に答えるのがすっかりしどろもどろになってしまっている。どうも女性の心理というものはわからない。 廊下の角を曲がると、建物の前の庭で、泰家と二人の若い男が、互いに声をかけながら丸い物を空へ蹴り上げている。これが蹴鞠というものなのだろう。 「おや、先刻の客人ではありませんか。 吉則、光男、蹴鞠は止めだ。客人が見えた」 泰家は私が廊下に立っているのに気付くと、二人の男に言った。一人が鞠を拾って布で拭い、泰家に渡すと、二人の男は一礼して去ってゆく。泰家は廊下へ登ってくると、私に深々と頭を下げた。私は親しみを込めて言った。 「そう他人行儀にしないで。私は貴方の従弟です、貴方の母上の、妹の息子です」 すると泰家は、嬉しそうに一歩進み出て、私の手を握った。私も軽く握り返すと、彼はすっかり上機嫌で、 「そうだったのか。僕の知らない従弟が、この京にいたなんて、夢のような話だね。まあまあ、立ち話も何だから、こちらでゆっくりと」 言葉遣いも、兄弟や親友に対するそれに変わった。泰家が私の手を取って、簾を掲げて部屋の中へ招じ入れると、美濃はさっと部屋に入って、薄い布団のような敷物や、火桶の用意をする。 火桶を挟んで泰家と差し向かいに坐った私は、まず、私がこの邸の住人の一人になること、部屋の支度が整うまで一日か二日、泰家の部屋に同室することを告げた。 「今日明日なんて言わずに、もっと長くいてくれても構わないのに。部屋が別になっても、僕の部屋へ来てくれるよね」 この泰家の人なつっこさはどうだ。かと言って余り馴れ馴れしすぎるというのでもない、こういう性格は、きっと人に好かれるだろう。 さて、当面私がしなければならない事は、貴族社会に心身を順応させることである。私は何しろ育ちが育ちだから、普通の貴族なら誰もが物心つく頃から教え込まれて知っているであろうところの、貴族社会のしきたりや様々な知識というものに、余りにも欠けている。蹴鞠を知らなかった事がそのいい例だ。そこで私は、 「君には(と私の言葉遣いも知らず知らずかなり馴れ馴れしくなっている)もう話したけれど、私は京とは言ってもごく田舎の九条の方で暮らしてきたし、官職というものもない。だから君達貴族の社会でのしきたりとか、そういった事を全然知らないんだ。それで君、もし迷惑でなかったら、そういう事を教えてくれないか。君が知っているだけでいい」 すると泰家は、例の鞠を持ち出してきて、蹴鞠のやり方を得々と喋り始めた。もっと他に聞きたい事はあるのだが、教えてくれと言った手前、そんな事は聞かなくていいとは言えない。まあ蹴鞠についても、何も知らないのだから、一通り聞いておいて損はなかろう。 「一つ、やってみせようか?」 一通り話し終わった泰家が、鞠を持って庭へ降りようとするのを、私は引き留めて言った。 「いや、蹴鞠の話はもう充分聞かせて貰ったから。それより、もっと他に色々と、教えて欲しい事があるんだ。変な奴だと思わないで、教えてくれないか。例えばこれ、坐る時に敷く物らしいけど、何て言うのかは知らないんだ」 と言って、その上に私が坐っていた薄い布団を指した。泰家は呆れ返ったと言わんばかりの顔をして、 「君って、僕等には想像もできないような暮しをしてきたんだね……あ、御免、気に障ったかな?」 と、私の顔色を伺うような様子を見せる。私は笑って、 「いやいや、別に気にしてないよ。確かにその通りさ、百姓と同じ暮らしをしてきたんだ、床もない小さな家に寝起きして、畑を耕し、近所の田んぼを手伝ってね。まあそんな事は、今はもう、どうでもいい事だ」 私は貴族として、これからの世を生きてゆく人間なのだ。庶民の中に身を置いた、赤貧洗うが如き昔の生活を、いつまでも引きずって生きる事はない。 「部屋の中のいろんな道具なんかの事は、僕よりも女房に聞いた方がいいな。美濃、教えてやってくれ」 泰家が美濃を振り返って言うと、美濃は、また妙に落ち着かない様子で、部屋の調度のあれこれについて、説明を始めた。妙に私を意識して、ちらちらと私の顔を伺っているようでいながら、私と目が合うと急に目を外らしたり横を向いたりする。どうも気になって仕方がない。と言って、どうかしたのかと本人にしかと問い質すのも気がひける。 そのうちに夕方になった。夕餉の支度が整った、と別の女房が呼びに来て、美濃は部屋を出て行った。私は泰家と二人きりになったところで、昼間から気になっていた事を切り出した。 「ここへ来た時から気になっていたんだ。ここの邸の女房達は、何かこう、物陰に隠れて私の様子を窺っているような気がするんだけれど、どうも嫌だな。女房達は、誰が来てもこうなのかな」 すると泰家は不思議そうに、 「そんな事があったのかい?」 私は尚も続けた。 「それに、君はもう気付いていると思っていたけど、あの美濃って女房の様子も気になるな。私の顔をちらちらと見たり、そのくせ私と目が合うと横向いたり。この部屋へ来る時、蹴鞠の事を聞いたら、随分しどろもどろになっていたんだよ。いつもそうなのかな」 私が言い終わらないうちに泰家は笑い出した。 「わかったよ、そりゃ君、君が凄い美青年だからさ! 男の口から言うと変だけど、君、僕等兄弟とは段違いだよ。そんな美青年が目の前にいたら、美濃でなくたって、ちらちら見たくもなるよ。女房達が物陰に隠れてるってのは、それは、君に最初に応対に出たのは美濃だろ、美濃が、邸中の女房に言いふらかしたのさ、だから邸中の若い女房が、どれ程の美青年か、一目見てみようと思ったのさ! これだからねえ、女ってのは」 泰家は、笑いが止まらないといった調子で言う。こうまであけすけに言われると、面喰らうものがある。 「私がか?」 半信半疑で言ったのに、泰家は大きく頷き、 「そうとも。君、朝廷に出仕したら、それこそ光源氏の再来って、朝廷中の女官達が大騒ぎする事間違いなし、だよ」 この泰家の盛り上がり方は何なのだ。本人を差し措いてこんなに盛り上がられると、見ている方が却って鼻白む。どうも私は、泰家というこの従兄(齢は一つほど下のようだが)に、やや軽率な印象を持ち始めたようだ。 やがて女房が二人、蒔絵の台盤を捧げ持って、しずしずと入ってきた。台盤に並べた椀や皿も、漆塗りの豪奢な物である。椀に大盛りの飯、何皿も並んだ様々なおかず、九条の家で私が食べていた食餉とは大違いだ。何しろここ数年というもの、米よりも上澄みの方が多いような粥ばかりだったから、椀に盛り上げた飯を見た時には、手を合わせて拝みそうになってしまった。米粒の歯応えは、生まれて初めて味わうような気がした。おかずも、茄子や菜っ葉、瓜や芋しか食べた事のない私には、初めて見る物ばかりだ。 「これは何だい」 私が尋ねると、泰家は一品ずつ、これが鰤、これは鮑、牡蛎、と教えてくれる。 「播磨の国は海辺にあるんでね、一年中魚や貝や、いろんな物が獲れるんだ。特に今頃は牡蛎だね」 勧められるままに食べてみると、これは仲々美味なものである。このような豪勢な食膳を、私のために特別に作ってくれたと言うのなら、何とも恐縮の至りだ。 女房達が食膳を下げて少時すると、入れ替りに別の女房がやって来て口上を述べた。 「大殿様が、小太郎君様にお目にかかりたいとの仰せにございます」 伯父がか。ここは甥という立場上、私の方から出向くのが礼儀だろう。 「宜しければ私から、伯父上の方へ参上致したい、と申し上げてくれないか」 「かしこまりました」 女房は一礼して出てゆく。私が参上すると言えば、先方でも支度する必要があるから、まず女房を介して連絡をとるのが、貴族社会でのしきたりだと教わったばかりである。これを先触れという。 程なく先刻の女房が、手燭を持って現れると、 「大殿様、お待ち兼ねにございます」 「うん。すぐ参上しよう」 私は腰を上げた。手燭を持った女房の先導で、邸の中央にある寝殿へ向かった。 (筆者註 平安時代の貴族の邸宅は、敷地の中央北寄りに主人の住む寝殿があり、その北側と東西に対屋がある。北の対屋は奥方の住居であり、東西の対屋に娘夫婦や、独身の息子が住む事が多い。播磨守邸では、東の対屋に泰家が住み、正良が同居している) 「おう、そなたが正良かの。遠慮は要らん、もっと近う寄れ」 妻戸から部屋へ入った私に、伯父はのっけから親近感溢れる声をかけてきた。私は床に手を突き、深々と頭を下げた。 「本日よりこの邸の御厄介になる事をお許し頂けました事、有難き至極に存じ上げます。早速御礼言上に参上すべき処、かくも遅れました事、御容赦下さいませ」 私の口上が終わるか否かのうちに、伯父は扇を上げて私を差し招き、 「堅苦しい挨拶は抜きじゃ。伯父と甥の間ではないか。ささ、もっと近う」 私は腰を上げた。一人の女房が、伯父の目の前に新しい褥(座布団)を出し、私はそこに腰を下ろす。 「儂は播磨守源泰親と申す」 近くへ寄ってみると、いよいよ恰幅の良い人物である。齢は四十過ぎだろうか。伯父は私をしげしげと見て、感慨深げに、 「やはり宮家の生まれは違うのう。儂の倅共は、どうも武骨でいかん。しかしその直衣、夏物ではないか」 この直衣は乳母が私に遺してくれた物だ、私にとっては貴族の証にも等しい物を、身内とは云え何か言われるのは面白くない。私は素気なく答えた。 「これが私の、一張羅ですから」 ちょっと口調がまずかったかな? と思ったが、伯父はそれに気付いた様子はなく、 「そうか、なら冬物の装束を、すぐ作らせよう。儂の甥が着たきり雀では聞こえが悪いからのう」 どういうもんだろうね。悪気は無いのだが、どうもこういう感覚の人間とは、真から打ち解けられないような気がする。それでも礼儀というものがあるから、 「有難うございます。色々とお気遣い頂いて、恐れ入ります」 伯父は笑って、 「何、気にする事はない。儂は受領、家柄は低いし官位も大した事はないが、財産だけはあるからの」 播磨守という官職は、「大した事はない」官職なのか。「財産だけは」という言い方も、ちょっと引っかかるものがある。昼間伯母が言っていた事が、頭に浮かんできた。財産はあっても家柄が低く、低い家柄に劣等感を持っている国の守達が、家柄に箔を付けようと、宮家の姫を奥方にしたがる、か……。 「正良、聞こえておるのか」 「は、はい」 伯父の声に、私は我に返った。 「そなたは幾つだったかの」 「私は、今年十八歳です」 今はまだ十二月だった筈だ。 伯父は腕組みした。 「ならば、もうすぐ十九じゃの。十九で無冠無位では仕様がない。春の叙位で官位を頂けるよう、左大臣様に働きかけてあげよう。儂の弟泰朝は左大臣様の家司じゃからの」 「有難うございます」 「何々、この齢までいる事を知らなかった甥、それも岩倉宮様の御血筋の方が世に出るのには、一肌脱いで当然じゃ、ハッハッハ」 伯父は豪快に笑う。 しかし、ちょっと待てよ? 何か今の言葉、引っかかるぞ? この齢まで伯父は、私が世にいる事を知らなかったのか? 伯父が伯母と結婚したのは、伯母が言うには十二年前じゃないか、それから十二年間、伯母は私の事を、伯父に言わなかったのか? そう思ってみると、伯母の言った事も何か腑に落ちない。私の母が私を産んですぐ亡くなった後、伯母は私を、伯母の子として育てようとしたが、私にとっては祖父に当たる岩倉宮が、そうさせなかった、と伯母は言った。だが、何故祖父は、世間体を憚ったのか? 伯母と母が、時をほぼ同じくして子を産んだ事自体、別に世間に憚るような事だろうか。確かに伯母の子、娘だと伯母は言ったが、その子は伯母と先夫の間の子だとはっきりしている、それに対して私の方は、正式に結婚していない母が産んだ、父の知れない子だ。それが全部世間に明らかになれば、それは確かに不体裁な事だろう。だが伯母が、私と、私から見れば従姉にあたる娘とを一緒に産んだと世間に対して言っても、それがそんなに世間を憚る事とは思えないのだが。 まあ、これは祖父がそう考えてさせた事だから、祖父が亡くなった今、無理に詮索しても始まらない。だが、それから先もまた納得できない事がある。もし伯母が私を、乳母に託して去らせたのが、祖父の命によるのだとしたら、それから三年程後に祖父が亡くなった後、何故十年以上も、私を迎え取るなり何なり、しようとしなかったのだろうか? 祖父が亡くなってから暫くの間は、伯母自身も毎日の食べ物にも事欠くような暮らしだったと言うのだから、私を迎え取るどころではなかった、というのはわからないでもない。しかし伯母は播磨守と再婚した。その頃既に、播磨守は相当の財をなしていたに違いない。それは別に、伯母が播磨守の財に目が眩んだというのではないと私は思いたい。しかし客観的事実として、伯母は播磨守と再婚した結果、毎日の食べ物にも事欠くような貧しい暮らしから脱却できた事は確かだ。そしてそれから十二年間伯母は、財産だけはあるなどと広言して憚らない伯父の許で、かなり裕福な暮らしをしてきたであろう事も、動かし難い事実に違いない。そして伯母の娘、私の従姉も、何不自由なく育てられた、と伯母は明言したのだ。 それなのに、それなのに何故伯母は、そんなに豊かな暮らしを満喫しながら、都の片隅で赤貧に喘いでいた私と乳母を、十二年間も、迎え取ろうともせずに放っておいたのか。私達の貧しさがどれ程だったか、それはもう思い出したくもない。私の一張羅の直衣を作るために、乳母は自分の持ち物、鏡や衣装などを、殆ど売り払ってしまったのだ。直衣を作って貰った後、家の中にあった鏡や、衣装を入れてあった唐櫃がなくなっているのに気がついて、子供心にも不思議に思ったが、今となってはその辺りの事情はすっかりわかる。もし伯母が、本当に私を伯母の子として、従姉と一緒に分け隔てなく育てようと、私が生まれた時にそう思ったのなら、何故十二年間も、従姉には何不自由ない暮らしをさせながら、そのために播磨守と再婚しながら、私を極貧のどん底に放っておいたのか。従姉のために播磨守と再婚したのなら、何故その従姉と分け隔てしないとまで言った私の存在を、十二年間も伯父に黙っていたのか。それが、本当に私を、片時も忘れなかった人のする事と言えるのか。それが、伯母の大切な妹の、唯一つの忘れ形身に対する仕打、そうだ、仕打と呼ぼう、それが私に対する仕打なのか……。 その夜、私は西の対屋の一室で、厚い衾にくるまりながら、一睡もできなかった。寒さのためではない、枕が変わったためでもない、伯母の言葉と行為に対する、拭い去り難い疑問のためであった。 (2000.11.4) |
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