2月26日(土)
窓から射し込む日の光に目を覚まして、枕元の目覚まし時計を見ると……。
「げっ!?」
何たることか。今日は7時に起きて、上越新幹線で(私はふりんとぶらっく氏と同じ新潟県民である)上京して秋葉原のボークスへ行く予定だったのに、時計の針は正午を指しているではないか。
「友美ぃ、今日は秋葉原へ行くって、前から言ってたじゃないか!」
私が声をあげても、友美はデスクワークの手を止めず、意にも介さない様子で答える。
「『目覚まし時計を2つセットしておくから、友美が起こさなくても大丈夫』、って言ったのは誰?」
「うっ……」
言葉に窮する私に、友美は少し語気を和らげた。
「それに、先週は毎晩遅くまで、風邪を引くほど残業してたんでしょ? あんまり気持ちよさそうに寝てるから、起こさないでおいてあげたのよ。そうでなくても週末のたびに真夜中までチャットしてるんだから、病み上がりの日ぐらい、充分睡眠をとらないと体に毒よ」
そうか。友美は友美なりに、私の体を心配していてくれたんだ。そう思うと、友美が起こしてくれなかった事への不満は、嘘のように消えていった。
しかし、今日ふりんとぶらっく氏のカスタムドールを見に行くことができなかった、という事実は消えない。私の表情からそれを感じ取ったのか、友美は私をなだめるように言う。
「ふりんとぶらっくさんは、カスタムドールを3月3日まで秋葉原のボークスに預けることになってるんでしょ? 明日こそ、早起きして行けばいいわ」
「……そうだな。まだ休みは一日ある。明日行けばいいんだ」
「明日は、ちゃんと起こしてあげるわよ」
友美の声に、私はいつもと違う何かを感じた。それに、「起こしてあげる」だって?
私がまじまじと友美の顔を見返すと、友美はにっこりと微笑んだ。
「ねえ、私も明日、ふりんとぶらっくさんのカスタムドールを見に行ってもいい?」
私が「いや、だめだ」なんて言うはずがない、と見透かしたような声だった。
「ああ、いいよ」
「嬉しいっ! じゃあ、今日は、家の中のたまっている仕事を片づけてしまいましょ」
窓の外を見る。空は、この季節には珍しい快晴だ。久しぶりに布団を干そうと思った時、友美の布団はもう窓の外に干してあるのに気がついた。私がいつまでも寝ていたから、友美は私の布団を干せなかったのだ。ちょっと、友美に申し訳ない気がした。
夜は更けてテレホタイムになったが、いつもは早く寝る友美は、私の横に座ってモニターを覗き込んでいる。
「どうした、寝ないのか?」
私が尋ねると友美は、
「なんだか、わくわくしちゃって寝られないの。おかしいわよね、遠足に行く前の日の小学生みたいで」
と、ちょっと恥ずかしそうに答える。
「友美も、かわいいところがあるな」
私がからかうように言うと、友美は頬をふくらませた。
「……800さんの馬鹿」
それから、少し皮肉の色を交えた口調で、
「それに、私は800さんと違って、出張で年に何回も東京へ行ける仕事じゃないから。800さんはしょっちゅう出張で東京へ行ってるから、東京へ行くのが当たり前みたいになって、気が弛んで、この前みたいなことになるんじゃないの?」
友美は何かというと、私の過去の些細な失敗を持ち出す。これだけは何とかしてほしいものだ。
……年末に私の実家へ帰省した時、例のごとく秋葉原のLAOXへ行って、Oneのノベライズを買ったのだが、たまたま第2巻が売り切れていたのだ。
いや、失敗したのは、その事ではない。その後、2月15日から17日まで東京に出張する用事があり、用事は17日の午前中で終わったので、その時に秋葉原のLAOXか神保町のブックマートで第2巻を探そうと思ったのだが、肝心の「Oneの第2巻が欠けている」ということを手帳にメモしておくのを忘れたのだ。何巻を買うべきなのか、秋葉原に着いてから思い出そうとしたが、第2巻まで買ってあったKanonのノベライズとごっちゃになって、どうしても思い出せなかった。それで結局、この次に東京へ行けるのがいつになるか当てもないまま、手ぶらで帰ってきたのだった。
午前0時を過ぎても、けんたろうチャットには誰も来ない。そこで私は、掲示板によくカキコしている、そこつやの館、お昼寝宮、麗子となりぽしの部屋、同級生FanPage、88らいぶらりぃといったサイトの巡回を始めた。
「!!」
「ちょ、ちょっと何よ、これ!?」
私が掲示板カキコの常連になっている某サイトのトップが、暫定公開版から正規公開版に更新されていたのだが、そこに公開されていたCGは……
……いや、止めておこう。この文章を読む方々には、たぶん縁のないサイトだから。
今、打鍵している私の横で友美が、「思い出したくない」と言うかのように、黙って首を横に振っている。
午前1時を過ぎ、けんたろうチャットがいつもの夜の賑わいを見せるようになって暫くして、ICQのメッセージが届いた。
「なりぽしさんからだ。なになに……『800さん、ふりんとぶらっくさんへの10000HIT記念のCG見ましたよ。』」
「800さん、ふりんとぶらっくさんにCGを贈ったの?」
「うん。もう公開されたのか」
と言いながら私は、IEをもう一つ起動すると、「お気に入り」「下級生・その他」「Flintblack-Top」と手早くプルダウンしていく。トップページが開くのを待って、さらに「更新の記録」「宝箱」「2000/01〜現在」とクリックしていく。友美は横で、じっとモニターに見入っている。
画面が変わって、なりぽし氏の加奈CGのサムネイルの下に、私の描いたCGのサムネイルが表示された。
『チャット友達の800さんから10000ヒットのお祝いをいただきました。
私のお気に入り、「いいんちょ」こと保科智子嬢です。
なお、このイラストは連作になっていますので、2枚目をお見逃しなく(^^)!
800さんのHPは、まもなく発信の予定です。楽しみですね。』
私がなりぽし氏とICQでやりとりしている間、友美はふりんとぶらっく氏のコメントを小声で読んでいる。読み終わるのを待って、私はサムネイルをクリックした。
1枚目が表示される間、友美はモニターから私に目を移した。
「どうして、保科さんを描こうと思ったの?」
「うん……最初は下級生キャラを描こうと思ったんだ。ところがこの前けんたろうチャットで、ふりんとぶらっくさんに、下級生キャラの誰が一番萌えかと尋ねたら、美雪だっていうんだ。あいにく私は、美雪は、その、ちょっと……な……イベント全部見てないし、エンディングも迎えてないし……」
口を濁す私を、友美は牽制する。
「ちょっと、そこつやさんやKKSさんに聞かれたらどうするのよ?」
「だ、だから、それじゃ下級生キャラ以外では誰が好きかって尋ねたら、いいんちょだって。いいんちょなら私も好みだから−−もちろん友美が一番だけどさ−−感情移入して描けると思ったら、イメージ通りのシチュエーションもすぐに浮かんできて、一晩で2枚描けたんだ。いつも苦労してる背景には、ふりんとぶらっくさんのサイトで公開している背景写真を使ってもかまわないと、ふりんとぶらっくさんが言って下さったし」
友美はかすかに唇を歪め、
「ふ〜ん……確かに保科さんはクールだし、秀才だし、三つ編みにしてるし、私みたいに眼鏡をかけてるし、800さんが萌えそうな人だけど、今のところクリアしたのはマルチちゃんだけで、保科さんには相手にもされてないのに?」
「……友美の意地悪」
「いい歳して拗ねないの、子供みたいに」(800は30歳)
「……」
友美は私より7つも年下なのに、私の弱点を知り尽くしている。ときどき、どっちが年上なのかわからなくなる時がある。
やがて2枚目が表示された。
「ふりんとぶらっくさん、私がメールに書いたコメントをそのまま載せたのか……」
「良かったじゃない」
「違うよ。そうとわかってたら、『実力不足でした』なんて書かなかったってこと!」
友美は答えず、黙ってモニターを凝視している。ややあって低い声で、
「この胸の描き方、ちょっとあざとくない?」
……何だかいやな予感がする。
「もし私の、ブラウス1枚のバストショットを、この光の角度で真っ正面から描くとしたら、こんな具合にブラウスのひだを描くかしら?」
と言いながら友美は、モニターを指差した。
「何が言いたいんだ?」
友美はにわかに色をなして私に向き直った。
「やっぱり800さんは、胸の大きい女の子が好きなんでしょう!」
とうとう来た。友美は、いずみと新藤(旧姓)麗子さんの前では決して口にしないが、やはり内心コンプレックスがあるらしい。
「違うよ。私が好きなのは、眼鏡っ娘でもない、ストレートの長髪にヘアバンドをしている女の子でもない、学級委員を務めた頭のいい女の子でもない、スポーツ万能な女の子でもない、三つ編みにしている女の子でもない。ましてや胸の大きい小さいなんて全然関係ない」
「……それって、私みたいな女の子は好きじゃないってことじゃ……」
友美の目に、蒼白い炎がちらつき始めた。私は少しも怯まず言葉を続けた。
「『友美みたいな女の子』じゃなくて、私は友美だけが好きなんだよ」
「……800さん……」
私の顔を見つめる友美の目から、険しさが薄れていくと、涙が一粒頬を伝って流れ落ちた。
午前3時半に私は、ガン氏に別れを告げてけんたろうチャットを退室し、ICQをオフラインにした。今から寝ると、また寝過ごしてしまう恐れがある、という友美の進言に従って、二人で朝まで寝ずに起きていることにした。
……不謹慎なことを想像しないでいただきたい。サイト設立の準備作業や、先日8万ヒットを迎えた88らいぶらりぃへの寄贈CGの制作に従事したのだ。5万ヒットを迎えた恋姫達の社に寄贈するCGの参考にしようと、「恋姫」のプレイを始めようとも思ったが、それは友美に強く制止されて断念した。
2月27日(日)
午前7時半、歩道に積もった60cmの雪を踏み分けて、友美と私は出発した。自宅の最寄り駅からJRに乗り、上越新幹線に乗り継いで東京に到着したのは午前11時半であった。
……実はここで、一つ失敗をしている。上越新幹線の上りに乗る場合、終点の東京まで乗ると、わずか3.6キロ手前の上野で降りるより、特急料金が200円高くなる。今回は私用での上京、それも友美と私の二人なので、旅費を節約するために上野で新幹線を降りる予定だったのだ。
しかし、席に着くが早いか眠りに落ちた私が目を覚ました時、列車は東京駅に到着していた。今度ばかりはさすがの友美も、列車が上野を通り過ぎるまで寝てしまっていたらしい。
「……『ホーマーも居眠りする』ね」
友美は照れくさそうに言った。こんな時に、駄洒落に交えながらさりげなく博識を見せるのが、友美らしいと言えば言えよう。
ボークス秋葉原ショールームは、秋葉原駅電気街口の前、ラジオ会館ビルの6階にある。今日は2月25日から27日までの「2000年スプリングフェアー」の最終日ということで、満開の桜を思わせるような賑々しい飾り付けがなされていた。入り口の向かいの壁に貼ってあるミレニアムボディ「アマゾン」の大判ポスターに、友美は少し目を伏せたが、店内の左側半分にはSTAR WARSのメカのモデルなどが陳列されていて、プラモデル好きの「元」少年が出入りしてもいささかの不自然さもない。ふりんとぶらっく氏がチャットで、「ボークスはドールだけではないから入りやすい」と言っていた意味が、何となく理解できる。その一方、出入りする客には、女性客も少なくない。友美が一人で入ったとしても、奇異の目で見られることはないだろう。
ドールは店内の右側半分で扱っているようだ。人混みをかき分けて、ショーウィンドウを順々に見ていくと、すぐに見つかった。
モニターで何度も見た、ふりんとぶらっく氏の愛嬢たちが……。
左から、みこ、瑞穂Ver.2、中加奈、大加奈、そして前に、腰掛けた小加奈。
みこと瑞穂の瞳の描き込み、制服の質感。
小加奈が手にしたテトラパック。私が学校給食で毎日それになじんでいたのは、もうかれこれ20年も前のことだ。あのゲームはまだプロローグしかプレイしていないが、プロローグには、たぶん私と同年代であろう制作スタッフたちが小学生だった頃を思い出して制作したに違いない、不思議なノスタルジーを感じずにはいられなかったものだ。そのころ、私が住んでいた横浜市の小学校で米飯給食が始まり、最初は月に1度か2度だった米飯給食の日を、献立表に印を付けて待ち望んだことも、遠い思い出だ。友美が小学生の頃には、パンの日の方が少なくなっていたらしい。食後、テトラパックをつぶして班ごとに集めるのに、誰か1人のパックを広げてその中に他の人のパックを入れることになっていて、私がいつも自分のパックを、先割れスプーンでストロー穴から切り開いていた、と言っても、友美は何のことかわからないと言う。八十八町の小学校では、かなり早くから先割れスプーンを廃止して、普通のスプーン、フォーク、箸を使っていたらしい。
……脱線した。よくよく見るほどに、ふりんとぶらっく氏のドールへのこだわりが感じられる。
ふりんとぶらっく氏がドールの制作に使っているボークスのボディは、膝や肘の関節の可動範囲が大きく、かなり凝ったポーズを取らせることもできるのが特徴だと聞いていた。しかし、氏のサイトや他のサイトで、レゴの部品のような関節部を見ると、何となくげんなりしてしまうのも否めなかった。
ところが、ここに居並ぶ氏の愛嬢たちは、オーバーオールを着た小加奈は別として、ゲームでは確かにナマ足だったと記憶しているみこも瑞穂も、白ソックスとは別に肌色のストッキングを穿いている。ショーウィンドウの奥には鏡が張ってあるが、前から見ても後ろから見ても、膝関節の見苦しさは全くない。みこと瑞穂は冬制服、大加奈と小加奈も長袖を着ているので、肘関節も巧みに隠されている。めったにない晴れの場に臨む彼女たちに、見苦しくなく、しかもわざとらしくない姿をさせてやりたいという、氏の深い愛情を感じた。
瑞穂Ver.2の、あの愛くるしい口は、ヘッドに切り込んで開けてあるのだということに、私は今日初めて気がついた。氏があの表情をどうしても作りたいと思い立ち、例のない試みに踏み切ったのは、これも愛情のなせる技であろう。
その瑞穂Ver.2の、氏が削り出しで作ったのであろうヘアバンドを、いろいろな角度から見ている私に、友美が一抹の不安を覚えていたらしい。
私たちの左右では、友美と同年代くらいの女性客たちが、カスタムドールを見ては「かわいい」と繰り返している。しかし友美は、そういう女性客たちとは一線を画すようなクールさで、ドールを見つめている。
「ねえ、見て。このコメントのカード」
友美に言われて、氏の愛嬢たちから目を外らしてカードを見れば、
「神山みこ、結城端穂、カロ奈(幼年期、成長期、思春期)」
……友美はアラ探しが得意だ、と言うつもりはない。しかし、仮にも生みの親が、娘の名前を間違えるはずがない。これは氏の自筆ではないと確信した。
ボークス素体によるカスタムドールが妍を競うショーウィンドウの隣には、GENEというアメリカのドールメーカーのドールが並んでいる。それをしげしげと見ていた友美は、
「これは、日本とアメリカのドール文化の違いだわ」
と言う。
友美の言うところはこうだ。日本のドール(ボークスに限らず、背中合わせの棚に陳列されていたサクラ大戦キャラのドールも含めて)は、顔の輪郭といい、そこに描かれた目や口といい、実在の日本人のそれとは大きく隔たった、いわゆる「アニメ顔」のそれである。それに対してアメリカのドールは、少なくともGENEに限っては、顔の輪郭も目も口も、実在のアメリカ人のそれを、きわめて忠実に再現することに重きを置いている。これは、日本のドール愛好者が、姿形からして実在の人間からかけ離れたそれであるように、一種理想化された非現実的な存在であることをドールに求めるのに対し、アメリカのドール愛好者は、現実の人間の延長としてのドールを求めているのではないか、と。
「そうとは限らないんじゃないかな」
と言いながら私は、他のウィンドウに展示されているドールを友美と一緒に見て回った。アメリカのドールでもバービーは、実在の白人よりさらに理想化された顔立ちをしているし、一方日本のドールでも、1/3サイズくらいに見えるスーパードルフィーの顔立ちは、周り中にいる日本人女性のそれだ。−−このスーパードルフィーのショーウィンドウには、友美はあまり近づきたくなかったようだが。何しろ大きさといい裸の胴体といい、独身男性がある用途に使う人形を彷彿とさせたらしい。
「一口にドールと言っても、日本にもアメリカにもいろいろあるんだから、1メーカーのドールだけを見て文化の違いとまで言い切るのは早すぎないかな」
ふりんとぶらっく氏の愛嬢たちの前に戻ってから私が言うと、友美は何度もうなずいていた。
「でもねえ」
壁から離れたところに陳列してある、素体用の手のパーツや靴を手に取りながら、友美は言う。
「6分の1にしては、小さすぎないかしら、これって」
日本人成人女性の足の大きさは、人によるが21cmと24cmの間に入るだろう。男性なら、24cmと27cmの間だ。これを1/6に縮小すると、女性は3.5cmから4cm、男性なら4cmから4.5cmになるはずだ。手も、手首から中指の先までを1/6に縮小すると、3cm強になる。ところがここに陳列してあるのは、手のパーツも靴も、2cmほどしかない。
「だからそれは、生身の人間を忠実に縮小した物をドール愛好者が求めているわけじゃないから……」
私の言葉を遮るように、
「800さんはCGを描く時、目はともかく手の指は、実在の人間と同じ比率になるように描くのが流儀なんでしょ? 手の大きさが実在の人間と全然違うドールを買っていって、ポーズの勉強をするなんて言ってると、とんでもないCGを描くことになるわよ」
友美は先制攻撃してきた。
25日に来たというなりぽし氏は、先週のチャットでのふりんとぶらっく氏の薦めに従って、CG制作の際のポーズの勉強用に、素体を買っていったということだ。私もCG描きの真似事をしている身だが、先日同級生FanPageに投稿したCGに対して、腕の曲がり方がおかしいという指摘を常連のCG画家から受けたことがある。そこで、これはあくまでもポーズの勉強のためだと、友美そして自分の心に何度となく言い聞かせてから、エクセレントA素体を買い物かごに入れた。なりぽし氏は巨乳タイプを買う勇気が足りなかったと掲示板に書いていたが、私がCGに描こうと思うキャラは第一に友美であり、これから先、涼子や智子を描くことがあるとしても、彼女たちはあそこまで不自然なスタイルではない。だからAタイプを買うことに、何ら躊躇はなかった。1/6サイズ用のドールスタンドも、ポーズを取らせた素体を手で支えて原画を描くのは無理だから、と言って友美を納得させた。
しかし、1/6サイズで27cmだから換算身長は162cmで友美と同じだとか、みのりはもう少し背が低いはずだから寸詰めが必要になりそうだとか、エッチングの眼鏡を手に取っては、これを友美の眼鏡に似せるには接着剤を盛ってから黒く塗ればいいだろう、みのりの眼鏡は素通しでは無理だから……などと考えている私の頭の中を、友美はすでに見通していたようだ。
「今からドール作りに染まったら、サイトの立ち上げは無期限延期になりかねないわよ」
なぜそこまでわかるのか、と言うと、
「考え事をする時に独り言を言うのは、800さんの癖じゃない。そばで聞いてれば、何を考えてるか全部わかるわ」
痛いところを突いてくる。さらに友美は私の買い物かごに手を入れて、
「これは何?」
と言いながら私の目の前に突きつけたのは、「DOLPAFILE Vol.2 カスタマイズドールのススメ!」であった。私が見本を見るふりをして買い物かごに入れたのを、友美は見逃さなかったらしい。
「うぐぅ」
という言葉が私の口から漏れたかどうかは定かではない。
ホビーシャワーを全身に浴びた私と、そんな私の心の動きが不安でならないらしい友美は、ボークスを後にしてLAOXへ向かった。目的地はGAME館6階のノベル・コミック売り場、目標物はOneノベライズ第2巻とコミック「まほろまてぃっく」。
いつも感じることだが、このビルの設計は実に巧みだ。各階には上りエスカレーターが1本だけあって、みな同じ位置にある。そのため3階以上へ行く客は、2階から目的の1つ下の階までの全ての階で、エスカレーターを降りてから次のエスカレーターに乗るまで、その階の売り場を歩かなくてはならない。貴重な土地にエスカレーターを2本設けることができなかったという解釈も、エスカレーターを2本設けている本館とGAME館で、土地代がそんなに違うとは考えられない。そもそもそこまで土地が貴重なら、エレベーターの方が土地を使わないで済むはずだ。だからこのビルを設計するに際しては、上の階へ行く客に途中の階の売り場を通らせることで、「あっ、あれは何だ。ちょっと寄ってってみよう」という気を客に起こさせるために、このように設計したのだろう。
……実は上の段落に書いたことは、私が考えたのではなく、私が初めて友美を連れて秋葉原へ来た時に、GAME館に入ってから6階にたどり着くまでの間に友美が考えたことなのだ。大学時代から何度となく秋葉原に足を向けていた私が、10年近くかかっても考え至らなかったことを、初めて来たその場で看破した友美は、やはりただ者ではない。
コミック・ノベル売り場を、私と友美は手分けして探した。Oneノベライズ第2巻は平積みになっていて、探すまでもなく見つかったが、コミック「まほろまてぃっく」と、その原作になったというノベル「雪菜のねがい」は、ここでは見つからなかった。
それからもう一つ、私が探していた物がある。
サイトの同級生コンテンツとして、同級生1・同級生2の、コンシューマ版オリジナルキャラも含めた全女性キャラ(あるいは男性キャラまで拡張するかもしれない。ただしその場合でも、芳
樹だけは二度と描かないでほしい、と友美は私に要求している)の月替わりカレンダーあるいは壁紙を制作する、という企画を温めているのだが、そのための資料である。一度、一次資料なしに、知人のサイトで見たCGだけを頼りに西御寺静乃(プレイステーション版同級生2のオリジナルキャラ)を描いたことがあったが、後でプレイステーション版同級生2のガイドブックを買ってみたら、全然違う人物になってしまっていたことがあった。
それで、今私の手元には、プレイステーションもセガサターンも、本体もソフトもないにもかかわらず、プレイステーション版同級生2とセガサターン版同級生ifのガイドブックがある。これを買ったのはCGを描くための資料としてだと言ったら、友美はあっさりと納得した。これで、プレイステーション版同級生2の西御寺静乃と山本律子、セガサターン版同級生ifの桜木京子、高野みどり、堀真純の資料は調った。
最後に残ったのが、スーパーファミコン版同級生2のオリジナルキャラ、南雲摩耶。この文章を読む人のうち、いったいどれほどの人が、その存在を知っているだろうか。私の知っている限りの情報を検索しても、その設定についての断片的な情報しか得られず、画像資料は皆無である。もし私が、同級生ファンサイト史上初の摩耶のCGを公開したとすれば、それは壮挙かもしれないが、いかに私でも無から有を生み出すことはできない。
地元新潟での探索が徒労に終わった後、私は摩耶の画像資料を見つける最後の望みを賭して、秋葉原と神田に向かったのであった。
……しかし、LAOX GAME館6階には、摩耶の画像資料はなかった。
秋葉原のLAOXから神田の書泉ブックマートまで、私たちは歩いた。
東京には空がない、と言ったのは誰だっただろうか。安達太良山の上に広がるあの空が、本当の空だと。その言葉は、私には全てが真実であるとは思えない。確かに東京の空は、月のない夜には星の海と天の川を仰ぐことのできる空ではない。高校時代、天文部員だった私が見たことのある本当の空は、南アルプスの入笠山で見た空だ。それに比べたら東京の空は、ドブロクの澱に等しい。
しかし、新潟県に住んで幾年を経た私が、冬に上京して東京の町を歩く時、東京には空がある、と実感する。そう、太陽の見える空、雪の降ってこない空、青い空が。今日も、東京は晴だった。
ブックマートでの探索には手間取った。題名しか知らず、出版社のわからない本を、あの売り場で探し当てるのは大変な労働である。店員に聞けばいいと思うのだが、友美も私も、物事をなるべく他人の力を借りずに、自力で解決したい、という傾向があるようだ。それが友美を、あの悪夢のような事態に陥らせたのかもしれないが。
それはともかく、やっとの事で私たちは、「まほろまてぃっく」を見つけた。その時になって知ったのだが、このコミックのヒロイン「まほろ」は、人間ではなくてアンドロイドなのだそうだ。
メイド、アンドロイド。この2つの単語からは、即座に「ToHeart」のマルチが浮かんでくる。まほろは、使用する人間を諫めるほどの高い倫理性を持ったアンドロイドである。私がToHeartを初めてプレイしてマルチのエンディングを迎えた時から、何となく心の底にわだかまっている疑問、その後、宮本信一郎氏の「ワタシノココロ」をダウンロードして読んだ時に受けた衝撃、それらに共通する問題−−有限の時を動的に生きることを定められた人間と、メンテナンスさえ完璧なら事実上無限の時を、ただし静的に生き続けることが可能なアンドロイド、あるいは逆に、人間よりはるかに短い設計寿命しか持っていないかもしれないアンドロイド、それが、同じ心を持った対等の存在として生きることができるのか、同じ心を持った対等の存在としてアンドロイドを生かすことが人間に許されるのか、その問題について、コミックの原作者中山文十郎氏が、どんな見識を私たちに示してくれるのか、私は期待したい。
……しかしここにも、「雪菜のねがい」と、南雲摩耶の画像資料はなかった。
「あら? こんな物が、まだあったなんて」
ゲームソフトとOAVを見ようと、石丸電気ソフトワン館に入ろうとした時、友美が立ち止まって声をあげた。
友美がその前で立ち止まったのは、ポスタードリームだった。その機械自体は、何年も前からここにある。物珍しかったのは、景品のポスターが同級生2のポスターだったことだ。
「へえ、何で今頃……」
恋愛ゲームの不滅の名作、エルフの「同級生2」がDOS版で発売されたのは、友美が八十八学園の卒業を控え、浪人と留年を繰り返した私がようやく就職を決めた、1995年の早春だった。それから5年、友美は薬科大学を優秀な成績で卒業し、もちろん薬剤師の資格も難なく取って、新潟県内の総合病院に勤務している。私も職場では、いつの間にか中堅と呼ばれるようになっている。その間には、Windows95の普及に伴って同級生2はWindowsに移植され、あえて同級生2の続編たることを拒みながら広範な支持を集めた「下級生」が発売、さらにWindowsに移植。リーフの「雫」「痕」「ToHeart」の成功に追従するように「リフレインブルー」が発売され、その一方でエルフは「遺作」「臭作」の鬼畜路線に走るとも見え、「同級生3」の姿はいっこうに見えてこない。OAVも完結し、下級生OAVで制作されたようなディレクターズカットが制作される様子もなく、同級生2は次第に過去の物になりつつあるのではないか、と私は日頃から思っていたのだ。
5年の歳月は、10代の者にとっては決して短くはない。
唯は看護学校を卒業し、98年に看護婦になった。ある竜之介は、唯の影響を受けて看護学校へ進み、唯に1年遅れて看護士になったという。
美佐子さんは、八十八学園を卒業後2年間猛勉強して父親と同じ大学に入り考古学者の道を歩み始めた別の竜之介と、将来を誓っているそうだ。
可憐は八十八学園を卒業後、間もなく芸能界を引退した。もう一人の竜之介は、写真専門学校を98年に卒業した後、可憐御殿に住み込んで、カメラマンとしての修行を積んでいるという。
いずみは短大進学後、両親の反対を押し切ってまた別の竜之介と駆け落ちし、最近やっと両親に竜之介との結婚を認めさせた。その竜之介は、平社員として篠原重工に入社し、営業部員として頭角を現しているそうだ。
こずえは97年に八十八学園を卒業し、短大に進学、99年に卒業した。ある竜之介は八十八学園を4年目で中退したが、しばらくフリーター生活をした後、人生を見据えて98年に専門学校に入学したという。
洋子は八十八学園卒業と同時に、別の竜之介と強引に結婚した。整備士の専門学校に進学したその竜之介は、二級整備士の資格を取り、夫婦でモトプラザを継ぐ日に備えて、洋子の父の許で修行しているそうだ。
みのりは八十八学園を卒業後、他の竜之介と同棲しながら、二人でセブンマートのアルバイトを続けている。二人は今年、卒業から5年になるのを機に結婚するのだという。
八十八学園を卒業すると同時に片桐先生のマンションで同棲を始めた竜之介の一人は、片桐先生の感化を受けて教職を志し、浪人生活を経て教育大学に進学したそうだ。
桜子は、95年に3年遅れで八十八学園に入学し、98年に卒業した。今はまた別の竜之介と二人暮らししながら、看護学校に通っている。その竜之介は、八十八学園を卒業後、3年に及ぶ猛勉強の末、医科大学に合格したという。
ある竜之介は、八十八学園を卒業後、専門学校に入学して98年に保育士の資格を取り、愛美さんと一緒に暮らしているそうだ。
美沙は、97年に体育大学を卒業し、如月町にあるスポーツジムのインストラクターとして働いている。美沙と一緒に八十八町に住んでいるまた別の竜之介は、コンピューターの専門学校を卒業し、ソフトウェアの会社に就職したという。
冬至村に移り住んだもう一人の竜之介は、永島旅館の実質的な経営者として佐知子女将に認められつつあるそうだ。
久美子は、95年に冬至村から八十八町に出てきて、独り暮らしをしている。また別の竜之介は八十八学園を卒業後、美容専門学校に進み、その竜之介に影響された久美子も同じ学校に進んで、97年にはそろって美容師の免許を取ったそうだ。
ある竜之介は、八十八学園を卒業すると間もなく美里さんのマンションに転がり込み、美里さんに養われていたが、96年にある美術展で作品が入選し、翌年から通い始めた美術専門学校に在学中の99年に、新進気鋭のイラストレーターとしてデビューしたという。
その他、何人もの竜之介が、誰とも結ばれないままに八十八学園の卒業を迎え、夢仙人の力によって冬休みの初日へ戻っていったそうだ。
そして友美は薬剤師の道を途中で捨て、父の助手として考古学者への道を歩み始めたある竜之介の許へ走った、といわれている。今は竜之介と共に南米の奥地にいるとも。
しかし、それは、嘘だ。
なぜなら友美は、今、ここに、私と共にいるのだから。
日が暮れる頃、友美と私はもう一度ボークスへ行って、ふりんとぶらっく氏の愛嬢たちに別れを告げてから、上野から上越新幹線に乗った。
大清水トンネルを抜けると雪国だった。夜の底が白くなった。越後湯沢駅に列車が停まった。
この冬はすっかり回数が減ったが、新潟県に就職したばかりの頃は、毎週のように私はスキーに行った。越後湯沢駅には、何回降りたか忘れたほどに。
大学を卒業し、私と一緒に暮らすようになった友美と、私は何度もスキーに行った。生まれてからずっと、雪のない地方で暮らしていた友美は、私の予想を完全に裏切るほど、スキーが上手だった。高校の頃から、何度も新潟県へスキーに来ていたのだという。
ゲレンデでの友美は、髪を帽子に包み、レイバンをかけていても、まさしく輝いていた。軽やかな身のこなし、一分の隙もないテクニック。大学時代、女友達とスキーに来ていた時、下心見え見えで声をかける男どもを、友美はそのスキー場で一番難易度の高い斜面の上へ連れて行き、
「私より早く、この斜面を降りられたら、お茶してもいいわ」
と言ったのだそうだ。ほとんどの男どもは、尻尾を巻いて逃げた。果敢にも友美に挑戦した男に、友美は一度たりとも負けたことはなかったという。友美に負けまいとする男が何人か、転倒したりコースアウトしたりしてパトロールの厄介になったが、友美は一度として転んだことはなかったそうだ。
就職してからスキーを始めた私は、完全な我流で、テクニックを身につけようともせず、ボーゲンで上級コースに挑む、あるいはプルークの直滑降で中級コースを爆走するという、およそ華麗とは無縁なスキーをしていた。その代り、スキー仲間の誰一人として、私のスピードについてこられる者はいない、というのが秘かな自慢だった。
しかし友美は、私のその自慢を吹き飛ばした。中級コースをウェーデルンで颯爽と滑る友美は、本気を出せば私の直滑降など遠く及ばないスピードを出せることを、私と並んで雑談混じりに滑りながら立証してみせたのだ。
友美は、スポーツ万能と聞いていたが、これほどだったとは。
「スキーが終わって、バスで越後湯沢駅へ戻ってくると、楽しい休みが終わっちゃったなあ、って気になるわね」
新幹線上りホームで列車を待つ、首都圏へ帰るスキー客の大群を見ながら、友美は言った。
「うん。私の場合、帰りの列車の中でもう、来週はどこへ行こうか、と考え始めてたけど。友美はこっちへ来るまでは、毎週スキーに来るわけにはいかなかったんだから、そうだろうね」
「それにしても800さん、こっちに5年も住んでて、スキー道具も自家用車も持とうとしないなんて、客観的に見て、やっぱり変わってるわ」
「道具は重いし嵩張る、あれを担いで列車に乗ろうとは思わないからさ」
「800さんはどこへスキーに行くのにも、電車かバスなのよね。友達に話すと、その事からして信じられない、ってみんな言うわ」
「友美も私も、自家用車がなくても通勤できる職場に勤めてるだろう? それなのに、スキーに行くためだけに自家用車を持とうとは思わないよ、私は。スキーで疲れ果てた頭と体で、関越自動車道で自家用車を運転するなんて、そんな無謀なことはしたくない」
「それはそうね。でも……」
「何より、自家用車でスキーに行くと、私が運転するにしろ友美が運転するにしろ、運転手はスキーの後でビールが飲めない。私が運転手になって、あの一杯をあきらめるぐらいなら、いっそスキーを止めるよ」
「それが本音なわけ? あっきれた……」
と口では言いながらも、友美は苦笑いしている。一応内緒だが、友美は高校時代から、スキーの後の一杯が堪えられなかったらしいのだ。しかも酒にはめっぽう強いときている。高校時代、いずみの誕生パーティーで可憐と差しで飲んで、可憐が前後不覚になったのに友美はほろ酔い加減だったとか、大学時代、竜之介たちと泊まりがけで冬至温泉へスキーに行った時、いずみ、唯、あきら、竜之介、洋子の順で酔いつぶれた後、一人でしゃんとしていたという。
「越後湯沢駅の『幻の豚まん』、今年も売ってるかしら?」
友美が、ふと思い出したように言う。
「そうか、友美はあれが好きだったね。バスで湯沢駅へ戻ってきて、列車を待つ間に、あのでっかい豚まんを2つ買って1つずつ食べるのが、去年の冬のお決まりコースだったんだ」
「800さんは豚まんより、『湯沢高原ビール』だったでしょ。季節限定のが、いつも品切れでなかなか飲めなくて、残念がってたじゃない」
「思い出した。去年の冬だったかな、竜之介といずみが遊びに来た時、あれを2つ買って、いずみのスキーウェアの、胸のところに入れようとしたことがあったっけ。竜之介は笑ってたけど、いずみはえらく怒ったよなあ」
「……今の、聞かなかったことにしとくわ」
私は思い出し笑いを抑えられなかったのに、友美は気分を害したらしい。
夜もすっかり更けた頃、自宅への道すがら、友美が言った。
「800さん、サイトの立ち上げが一区切りついたら、私のカスタムドールを作りたいって思ってる?」
私は首を振った。
「……いいや、思わないな」
「……どうして?」
「……私には、作り物なんかじゃない、本物の友美がいるからさ」
友美は黙って、私の手を握った。厚手の手袋を通して、友美の手の温かさと握る力が、私の手に伝わってきた。
止んでいた雪が、また舞い始めた。
(完)