死刑制度と三権分立

この3番倉庫は、日々の生活の中で私が思い、考えたことで、運行日誌に書くには分量的に多すぎるようなこと、あるいは後々まで残しておきたいようなことを、折に触れて書いて公開していこうと思って設けたコンテンツです。
開設当初は、週に1本くらいのペースで公開していければいいかと思い、それなりに題材もストックしていたのですが、実際にサイトを開設してみると、なかなか思うように公開もできず、今までのところは月に1本のペースになってしまっています。
今後は題材も硬軟取り混ぜて、もう少し頻繁に公開していくつもりですので、よろしければお付き合い下さい。

今回は季節ネタや創作とは無関係、しかもやたらに堅苦しい内容です。題を見て引いてしまった方も多かったのではないでしょうか。
最初に断っておきますが、死刑制度について書くといったところで、世間ではこの事を論じるというと必ず焦点にされる、「死刑を存続するか廃止するか」を今ここで論じるつもりはありません。その点に関しては私は死刑存続派ですが、今はそれは傍に置いておきます。
現在の日本では、制度として、死刑という刑罰が存在します。犯罪者として起訴された被告に対して、死刑に限らず各種の判決が下されると、判決と法手続に基づいて刑罰を迅速に執行することが、行政府には求められています。死刑も刑罰である以上、その執行は法手続に基づいて行われなければなりませんが、死刑にはその刑罰としての特殊性から、その執行にあたっては特別な慎重さが定められています。ですが法律によれば、死刑判決が確定した被告に対しては、恩赦出願・再審請求が行われている、その他法律で定めるところの事情がなければ、判決確定から6ヶ月以内に法務大臣は死刑執行命令を出さなければならず、執行命令が出されると5日以内に刑を執行しなければなりません。
ところが、もうかなり前のことになりますが、数年間にわたって複数の法務大臣が、死刑執行命令を出さなかった期間がありました。その後で就任した法務大臣、たしか後藤田正晴氏だったと思いますが、数年ぶりに死刑執行命令を出して死刑が執行され、死刑に反対する市民団体などが騒いだことがあったのを覚えています。
死刑反対派の市民団体の言い分はさておき、私が思うに、死刑執行命令を出すという、後藤田法相が取った行為は全てにおいて正当であり、非難される余地は全くありません。むしろ、それまで死刑執行命令を出すことをしなかった歴代法相こそ、責められるべき非があると思います。
法務大臣は国家公務員であり、国家公務員には、いな日本国民には、法令を誠実に遵守し、法令に基づいて行うことを定められた行為を実行する義務があります。そして法務大臣には、法律の定めるところに従って死刑執行命令を出す義務があるのです。いかなる理由があるにせよ、法律の定める期間内に死刑執行命令を出さなかったならば、それは職務怠慢であり、法令遵守義務違反です。
死刑執行命令を出すことを忌避した理由として、ある法相は信仰上の理由を挙げていたと思いますが、それは理由になりません。法務大臣に就任する時点で、法務大臣の職務の一つに死刑執行命令を出すことがあるのを知らなかったとは言わせません。知っていて就任したのなら、いかなる個人的理由も乗り越えて職務を遂行すべきであり、もし個人的理由により職務が遂行できないなら、辞任すべきです。法務大臣の地位は名誉職ではなく、それだけの責任をともなう地位なのです。
たとえ話をしますが、もし一警察官が、信仰上の理由と言って犯人の逮捕を拒んだとしたら、懲戒処分を受けるのが当然です。それと同じ事を閣僚が行う正当性はありません。むしろ閣僚が行う方が、罪は重いでしょう。
ここで、もう一つ考えなければならないことがあります。題名の後半「三権分立」です。
刑事被告人に対して判決を下すのは、裁判所すなわち司法府です。司法府の下した判決に従って刑罰を執行する義務が、行政府にはあります。
ところが、ここで行政府に属する法務大臣が、司法府が下した判決に従った刑罰を故意に執行しなかったとしたら、これは司法に対する行政の越権であり、司法の蹂躙ではないでしょうか。この点からも、死刑執行命令の忌避は非難されるべきではないかと思います。
もう少し情緒的な方面から考えてみると、死刑判決を下した裁判官の立場はどうなるのか、ということです。
裁判官は、法律と、自己の良心に基づいて判決を下します。その際、なるべく被告に重い刑を科してやろう、できるならどんどん死刑にしてやろう、などと思っている裁判官は、異端宣告をして火刑台に送った人数を競ったと言われる中世ヨーロッパの異端審問官ならいざ知らず、今の日本にいるとは思いません。特に死刑を求刑されている被告に対して、自分が書く一行の判決主文がその生死を分けるということになったら、裁判官だって生身の人間ですから、何とかして被告に有利な情状を探し出して、死刑を回避したい、罪一等を減じて無期懲役にしたい、というのが多くの裁判官の、偽らざる心情ではないかと思います。
あらゆる事情を斟酌しても、それでも、この被告には死刑判決を下さなければ、法と社会正義が守られない、という結論に至って、裁判官は、それこそ身を削る思いで死刑判決を下すのです。昨夜夫婦喧嘩してむしゃくしゃしているから死刑判決を下す、そんな裁判官はいません。そうして下した判決が確定した後、行政府の一存でその判決が棚上げにされるというようなことがまかり通るとしたら、司法の権威はどこへ行くのでしょうか。
不思議なことに、今まで私が知る限り、死刑の存続と廃止を巡る議論に際して、判決を下す裁判官の立場や心情に踏み込んだ議論を聞いた覚えはありません。おそらくどの裁判官も、あくまで法と判例に基づいて判決を下したとだけ言い、その時の心情や、確定判決が執行されないでいることに対しては口を閉ざし続けるでしょうが。
(2000.7.13)

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