夏の風物詩 〜残暑編〜
制作者 夕凪様 拝受 2004年3月20日

この作品は、2000年8月に「kunta's room」に寄贈されました。「kunta's room」の閉鎖に際して、
管理者kuntaさんと作者夕凪さんのご希望により、当サイトでお預かりすることになったものです。


 <夏の風物詩 〜残暑編〜>



 夜の校舎。
 そこは異質な世界……。
 静寂と闇に包まれ、昼間の姿とは全く正反対の姿を見せる空間。
 夜の学校とは、そんな場所だということを俺が知るようになったのは、ごく最近のことだった。
 そんな、本来だれもいない筈の空間に、一振りの剣を携え、『魔物』の討伐を自らに課した使命として、今日も一人の少女がたたずんでいる事など、当然の事ながら、誰も知りはしないだろう……。
 ごく一部の人間を除いては。

「よぉ、舞」
 その『ごく一部の人間』の一人である俺は、廊下に立ち尽くしている少女に向かって、例によってコンビニの袋を見せながら軽い口調で挨拶した。
「…………」
 舞が俺の方に目を向ける。それが挨拶と言う訳だ。
「今日の夜食は海苔煎餅。それに玉露だぞ……といっても缶のやつだけどな」
「…………」
「舞は玉露、好きか?」
「…………嫌いじゃない」
 やっぱり。煎餅には緑茶、緑茶なら豪華に玉露だよなーと思ったのだった。
「ほら」
 玉露の缶を投げて渡す。
 ぱしっ、と剣を握っていない方の手でそれをうまくキャッチする舞。
「…………」
 俺が手にしている煎餅と、自分の手の中の緑茶を交互に見やる。
「…………」
「…………」
 はぁ……と俺は溜息をつく。舞が何を逡巡しているのか、手に取るように分かったからだ。
「分かった。お茶は俺が持っとくから、先に煎餅食え」
 舞から缶のお茶を受け取り、代わりに煎餅を渡す。
「…………」
 無言のまま食べ始める舞。
 ぱりぱり……。
 例によって、雰囲気をぶち壊しにしているような気もするが、まぁいつもの事だ。
「…………」
 無心に海苔煎餅を食べている舞を横目で見ながら、もうこんな生活が始まってから十日ぐらい経つんだなぁ……などと感慨深く思ってしまう。
 最初はただ興味があっただけだった。
 剣を携え、夜の校舎で一人魔物を討つ少女。
 まるでファンタジー小説みたいな話が、俺のすぐ近くで実際に起こっているのだから、興味を抱かない方がおかしかったかもしれない。
 現実に存在する、目に見えない『何か』と対峙する舞。
 俺はただその場に身を置く為に、夜食を持っては彼女の元に通い詰めた。
 そしていつしか俺は、魔物を狩る少女にではなく、舞そのものに興味を抱くようになっていた。
 舞の側にいたいと思うようになった。
 舞の為に何かしてやりたいと思うようになった。
 だから、舞が夜食を持って来る俺のことを「嫌いじゃない」と言ってくれた時、とても嬉しかった。
「…………祐一」
「え?」
 ふと我に返ると、舞が俺の方に手を伸ばしていた。
「どうした?」
「…………お茶」
「あ、わりぃわりぃ」
 ぷしっ、と口を開けてから渡してやる。
 こくこく……と喉を鳴らしながらお茶を飲む。どうやら喉に詰まってたらしい。
 はは……。
 俺は思わず苦笑する。
 しかし、この夜食タイムの間も、俺はどうしても緊張を緩めるわけにはいかない。
 いつ奴らが襲ってくるか分からないからだ。
 どこに潜んでいるかも分からない。
 いや、そもそもどんな形状をしているのかすら分からない、未知なる敵。
 ただ一つ分かっていること。
 それは……どうやら俺を狙っているらしいということだけだ。
 この前、舞はこう言った。
「祐一がいると……囮になるから」
 と。
 つまり俺は連中をおびき寄せる為のエサという訳だ。
 全くぞっとしない話だが、のこのこ現れた敵を見逃す舞ではない。
 だから安心だ。
 ……っていうのも情けない話なんだが。
 夜食を持って来て囮になるだけじゃなく、俺も剣を持って、少しでも舞の為に戦いたいのだが……。
「祐一より私の方が強い」
 と、舞が言う通りなのだから仕方がない。
 ああ、俺は囮として、ただここにボーっと立っているだけなのか。
 何か剣を振るう以外に、舞と共に戦う方法はないのか?
「…………ん?」
 ふと我に返ると、舞が俺の方に向けて手を伸ばしていた。
「どうした?」
「……飲み物」
「お前なぁ、さっきお茶渡しただろうがっ!」
「……全部飲んだ」
「それしかなかったんだけど」
「………………ひくっ」
「……。分かった。水を汲んできてやるよ」
「…………気を付けて」
 舞の言葉を背に受けながら、俺は、どこで水を汲んでくればいいのだろうかと途方に暮れた。空になった缶を持ってこなかったのは失敗だったと思ったのは、洗面所まで来たときだった。何に水を汲んで舞の所に届ければいいのだろうか。
 お、そうだ。
 俺はあることを思いだした。
 職員室の隣には確か給湯室があった筈だ。
 そこにならコップの一つや二つぐらいあるだろう。
 俺は踵を返して職員室の方へと向かった。
 給湯室は誰もいない職員室の隣にあった。窓から差し込む常夜灯のか細い光を頼りに、紙コップを見つけだす。
 水道の蛇口を捻って、コップに水を注ぎだした俺は、ふと、蛇口の隣にある食器棚の裏に隠すように、何かが置かれていることに気が付いた。暗くてよく見えないが……。
「何だろう?」
 目を近づける……と、その奇妙な物体の正体が分かった。
 台所の天敵を捕まえるためのものだった。
「こんな寒いとこにも、出るのか……」
 驚いたような呆れたような呟きを漏らしたとき、
(……待てよ?)
 ふと俺の脳裏に何かが引っかかった。
 囮……。
 敵を誘き寄せる為のエサ……。
 ……そうか。
「これだっ!」
 突如、俺の頭の中であるアイデアが閃いた。
 俺は紙コップを手に舞のもとに駆け戻った。舞に突きつけるようにして紙コップを差し出すと、
「舞、悪いが先に帰るぞ。急用を思い出したんだ」
 俺の言葉に、舞は紙コップを受け取ってから、じっと俺の顔を見て、
「…………」
 こくり、肯いた。
「じゃあ、また明日、学校で」
 それだけ言うと、俺は大急ぎで家に戻った。
 閃いたアイデアをもっと具体化しなければならなかったからだ。



 翌日。
 二限目の終了後、俺は三年生の教室へと向かった。
 舞の大親友である佐祐理さんに会う為である。
「どうしたんですかー? 祐一さん」
 佐祐理さんが、いつものようににこやかな笑顔で訊ねて来る。
「あのさぁ、ちょっとお願いがあるんだけど……舞の事で」
 舞の名前を持ち出すと、
「舞の事で、ですか?」
 はぇ〜?と言った表情で首を傾げる佐祐理さんに、俺は、昨日徹夜で書いた、ある図面を見せた。
「実は舞の為に、これを作りたいと思うんだけど」
「お二人のスイートホームですか?」
 佐祐理さんの言葉に、思わず倒れそうになって壁で頭を打った俺である。
「大丈夫ですか、祐一さん?」
「てて……佐祐理さん、これ、家じゃないんだけど」
「あははーっ。でも、お家に見えますよ」
「床の所が、ちょっと違ってるでしょ」
「床、ですか?」
 一見、何かの家の設計図に見える俺の図面。その一部に書かれた文字を見た佐祐理さんが、不思議そうな表情で首を傾げた。
「祐一さん、これ、何に使うんですか?」
「詳しくは話せないんだけど……これがあると、舞がとても喜ぶと思うんだ」
「はえ〜……」
 設計図と俺の顔を何度も見比べながら、佐祐理さんはずっと不思議そうな表情をしていた。しかし、やがてにっこりと微笑んで、
「分かりました。佐祐理に任せてください」
「ありがとう、佐祐理さん」
 よし、上手く行ったぞ。
 ドレスでさえあっさりと手に入れる佐祐理さんである。
 きっと大丈夫だ。……いまいち根拠は希薄な気もするが。
 ま、あとは完成を待つだけだな。



 数日後の夜。
「よぉっ、舞」
 例によってコンビニの袋を下げて学校にやってきた俺を出迎えたのは、廊下を塞ぐようにして建っている大きなテントみたいな建物と、その前で立ち尽くす舞だった。
 それは廊下を塞ぐように置かれていた。紙で出来た壁のあちこちに、人が出入りできるくらいの窓がいくつも設けられている。出入り口は前後に二箇所。
「……祐一」
 俺の声に振り返った舞が、訊ねてくる。
「これはなに」
「いや、何って言われても……」
 俺が、給湯室で見つけた、別名夏の風物詩とも呼ばれる主に台所等に出没する黒い物体用の捕獲器から思いついたものなんだが。
 そういえば佐祐理さん、これをどうやってここに運び込んだんだろうか……?
 ま、いっか。
「これはな、一種の罠だ」
「……?」
「説明しよう」
 俺は舞の横を通って、件の家の中に足を踏み入れた。茶色く、鈍く光る床。
 その中央に、僅か十センチほどの幅の、白い線が引かれている部分があった。そこが安全通路なのだ。白い通路の先、ちょうど家の中心部に当たる部分には約一メートル四方の安全地帯が設けられていた。
「いいか、舞。まだ入るんじゃないぞ」
 一応忠告してから、俺は安全通路を慎重に歩き始めた。こけて茶色の部分にでも入ろうものならとても笑える事態になるだろう。
 なんとか無事に安全地帯にたどり着き、俺はホッと溜息をつく。
 それから、舞の方を振り返って、
「舞、聞こえるかー?」
 とちょっと大きめの声で呼びかけた。
 舞がこくりと頷くのを見てから、俺は説明を始めた。
「実はこの家はただの家じゃないんだ。床は強力な粘着剤になっていて、踏み込んだものを絶対に逃さない仕組みになっているんだ」
「……」
「魔物は俺を狙ってやって来る。つまり、俺がここにいる限り、魔物はどうしてもその床の部分を歩いて来ざるを得ない。そうすると、魔物は強力粘着剤に体の自由を奪われるというわけだ」
「……」
 とにかく俊敏に動き、しかも目に見えない魔物の動きを封じ、且つ、狙いやすく出来るという点において、これはうってつけの筈だ。
「名付けて、魔物ホイホ……」
 パキッ……
 俺の言葉を遮るように、微かな音が響き渡る。
 おっ、魔物のお出ましか?
「…………来た」
 舞の表情にも緊張の色が浮かぶ。
「舞、取り敢えず隠れてるんだ」
「……どうして」
「魔物に俺だけを狙わせて、ここに誘き寄せるんだよ」
「……でも、祐一が危ない」
「大丈夫だ。そのための罠なんだから」
 暫く逡巡したあと、舞は建物の陰に隠れた。
「いいか舞、魔物が粘着剤に引っ掛かった時がチャンスだぞ! 一気に叩き切れっ!」
 こくりと、舞は肯いて見せた。
 ミシッ……
 床が鳴る。
 なるテンポは、人が歩くテンポとは異なっている。やはりそれは人間ではないのだ。
 ミシッ……ミシッ……
 音は徐々に俺の方へと近づいている。
 そして……
 ぐにょ。
 粘着面の一部が凹み、次いで、
 うにょー。
 とその部分が宙に引っ張られた。
 しかし粘着剤の粘着力の方が上で、一旦伸びた粘着部分は再びぺちゃっと張り付いてしまう。
「かかったぁ!」
 身体ごと倒れこんだのか、ぐにょっと大きい面積が凹んだ。もがくようにあちこちの粘着面がウニウニと動いている様は見ていてものすごく無気味だ。
 本体が見えないせいもあろう。
「舞、今だっ!」
 俺が叫ぶよりも早く、剣を後ろに引いた形で舞が駆けていた。
 そして……!
 ぐにょっ。
「…………」
「…………」
 身動きの取れない魔物に切りかかろうとした舞も、同じように粘着面に足をとられていた。
「…………」
 不思議そうに自分の足元を見下ろし、足を上げようとする舞。
 もちろん、粘着剤が舞の足を捕らえて放さない。
「…………」
「…………」
「…………祐一」
 舞が、俺の方を向いていた。
「…………動けない」
「見りゃあ分かるっ!」
 俺は思わず怒鳴っていた。自分から罠にかかる奴があるかっ!
「…………!」
 その時、舞の表情が微かに歪む。
 奴が、標的を俺から舞に変更したのだ。
 もぞもぞと粘着剤(にかかった身体)を蠢かしながら、徐々に舞の方へと近づいている……ように見える。しかし、舞は足を動かせず思うように剣が振るえない。
「舞ッ!」
 俺は堪らず、念のために用意しておいた木刀を手に、飛び出していた。
 その瞬間!
 ぐにょ。
「…………ぐあ」
 自分も引っかかっていた。
「…………」
 舞が唖然とした表情で、俺の方をじっと見ていた。
「…………俺って馬鹿?」
 自嘲気味な呟きに、こくり!と舞が大きく肯いた。



 結局、魔物が真っ先に粘着地獄から逃げ出していった。
 俺たちどころではなかったらしく、二人とも襲われる事はなかったが。
 次に俺がほうほうの体で安全地帯に引き返し、非常梯子を伝って捕獲器の外に一旦出たあと、入口の辺りにくっついている舞を何とか救出した。
「お互い酷い姿だな」
「…………」
 粘着剤まみれの舞が、黙って俺の顔を見ていた。
 いつもの無表情……でもカンカンに怒っているようで恐い。
 それよりも、舞の役に立つどころか完全に足を引っ張った挙げ句に危険にまで晒してしまった事が、俺は本当に申し訳なく思って、
「……悪かった。俺が浅はかだったよ」
 そう素直に謝った。
 まさか自分まで填まるとは思わなかった。
「…………」
 頭を下げる俺に、舞はいつもの無表情のまま、
「…………でも、悪くない」
「……え?」
 舞の言ったことが一瞬理解できなくて、俺は思わず聞き返していた。
「今、なんて……」
「……悪い考えじゃなかった」
 舞は俺の目を見ながらそう言った。
「……あと一歩だったから」
 舞は、つまり、俺の作戦が有効だったと言っているのだ。
「そうか……」
 俺は思わず嬉しくなってしまった。意気消沈しているところに、舞からそんな言葉を掛けられた俺は、
「よし! 次はもっとヴァージョンアップした罠を仕掛けるぞ!」
 と宣言してしまっていた。
「……」
 舞はいつもの無表情だったが、頷かなかったことに俺が気が付くのは、もっとあとの話である。



 俺たちと『魔物』との戦いは、それから約一週間に渡って続けられた。
 その間に、俺は佐祐理さんの意外な過去や『魔物』の正体、そして、舞自身に秘められたある忌まわしき『力』についてを知ることになるのだが……。

 ……それはまた、いずれ語る機会があるだろう。

 その時には、俺の考案した『捕獲器二号作戦』がどういう結果を迎えたのか、その顛末についても話したいと思う。

<終>

あとがき(らしいもの)

どうも。
残暑お見舞い用SSと銘打っておきながら、夏ももう終わりですね。
もうすぐ秋ですね(ぉ
すいません。完成が遅れまして……(言い訳)
しかもあんまり面白くなくって……(愚痴)
「こんなの舞じゃないっ!」
とか、
「こんな佐祐理さんはいやだっ!」
とか、
「こんなのKanonじゃねーっ!」
などの苦情は夕凪まで。受付だけはします(ぉぃ

とにかくまだまだ暑いんで、体調には充分お気をつけ下さいね。

ではでは。

2000.08.31. 夕凪


800のコメント
 夜の校舎に出没する、目に見えない魔物。その正体はさておき、魔物を討つために孤独な戦いをずっと続けてきた舞のために、自分にできることは何かないかと考えた祐一は、この話では工夫を凝らした罠で舞を援護することを考えつきました。
 着眼点は良かったと思うのですが……首尾はご覧の通り。
 しかし、姿なき魔物が巨大なゴキブリ捕獲器に引っかかった場面って、想像するとかなり間抜けな気がするのは、私だけでしょうか?
 巨大なゴキブリ捕獲器で魔物を捕獲するという、夕凪さんの発想に脱帽しました。

(2004.3.21)

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