夏の風物詩 〜海岸編〜
制作者 夕凪様 拝領 2001年8月14日 挿絵 800


<夏の風物詩 〜海岸編〜>

 夏。
 と言えば、海。

 海。
 と言えば、海水浴ーっ!

「やっぱり、夏は海だよね」
 ビーチボールと戯れているあかりと志保を見ながら、雅史が言った。
「浩之もそう思うでしょ」
「まあ、確かにな」
 俺は生返事を返した。
 ……と言うわけで、俺、雅史、あかり、志保の仲良し四人組は、近くの海岸に海水浴に来ていた。
 この海岸は、俺たちの住んでいる街から電車で三〇分の距離にあるにもかかわらず、滅多に海水浴客が訪れないことで有名だ。
 現に今、この海岸には俺たち四人以外の誰の姿を見ることも出来ない。
 もちろん、ここはあまり広い海岸ではないから、大勢の人間が訪れるには向かない場所だ、というのも理由の一つだ。
 しかし、実はもう一つ大きな理由がある。



 もうかれこれ五〇年以上昔の……まだ太平洋戦争中の話だそうだ。季節は夏。
 この近くの海上で、小規模な戦闘があり、大日本帝國海軍の駆逐艦が、アメリカ海軍の急降下爆撃機の攻撃を受けて撃沈され、その艦の乗組員と思われる遺体がこの浜辺に打ち上げられたことがあったらしい。
 小型の駆逐艦は数十機の敵機に襲われて、反撃することさえままならず、沈んでいったという……。
 それからだ。
 夏になると、海辺に水兵の亡霊が現れる……という噂が立つようになったのは。
 最初はただの噂話だったらしい。
 しかし、実際に海水浴に来ていた家族連れやカップルなどの目撃談が相次ぎ、年々客足が遠のき始め、売上がさっぱりになった時点で海の家も撤退。
 そしてとうとう、誰も訪れなくなってしまったのだという……。

「……っていう話なんだけど、そんなの、信じられないわよねぇ」
 一学期の終業式を終え、例によって商店街に繰り出した俺たちがヤックの二階で志保から聞かされたのはそういう話だった。
「うーん、どうなんだろう。僕は、幽霊とか見たこと無いから」
 雅史が当たり障りのない返答をする。
「でも、もし本当だったら、恐いよね」
 あかりが少し怯えたように言う。
「ヒロはどう思う?」
「俺か? 俺はそういうこともあるかもしんないとは思うけどな……ただやっぱり自分の目で見てみないことにはな」
「そう言うと思った」
 何故か志保は嬉しそうに目を輝かせ、
「そこでさぁ、あたしたち四人で行ってみない?」
「どこに?」
「その、問題の海岸によ」
「ええーっ!?」
 あかりの声が店内に響き渡った。
「そんな、だって、もし本当に幽霊とか出たら……」
「大丈夫よ。昼間は出ないだろうし、だいたい本当に出るワケがないじゃないの」
 志保はそう言ってあかりの肩をぽんぽんと叩いた。
「とか言って志保、お前本当は一人で行くのが恐いから、俺たちを誘ってるんじゃないのか〜?」
 俺がそう言ってからかうと、
「なっ、何言ってんのよっ! この志保様が、そんなウワサごときに振り回されるはずがないでしょっ?」
 充分振り回されていると思うが……?
「まぁ、幽霊がいるかどうかは別として、僕も海に行きたいとは思ってたんだ」
 雅史が口を挟む。
「じゃあ、雅史は決定ね。あかりも、みんなで行くんだったらいいでしょ?」
「うん……」
 渋々といった感じであかりが頷く。
「よし、あかりが行くんだから、当然ヒロも決定よね」
「待て、俺は行くとはまだ言っていないぞ」
「あらぁ、あかりを見捨てる気なのぉ?」
「うっ……」
 痛いところを突かれてたじろぐ俺。
「それとも、ヒロは幽霊が恐いのかしらぁ?」
 こっ、この……。
「べ、別にそんなことねぇよ。俺だって、あかりと海に行きてぇって思ってたから、ちょうどいいぜ! 行ってやろうじゃないか!」
「ひろゆきちゃん……」
 志保がしてやったりの笑みを浮かべる。
「よし、じゃあこれで決定っ! ええと、それじゃあ明後日の一〇時に、駅前の……」



 そんなわけで、俺たち四人はひとけも海の家も全くない、曰く付きの海岸に遊びに来ているのだった。
 もちろん全員水着着用でバリバリに泳ぎまくったし、志保が(もちろん噂の現場を激写するために)持ってきたポラロイドカメラで記念撮影をしたり、俺と雅史が疲れて休憩中の間、志保とあかりはビーチバレーをやったりしていて……
「普通の海水浴風景じゃないか、これって」
「噂の幽霊も見当たらないし、普通と言えば普通だよね……海の家はないけど」
 雅史がそう言って笑う。
「まあな……」
 呟きながら、さっきポラロイドカメラで撮ったばかりの写真をぼんやりと眺める。雅史はのんびりと、あかりが恥ずかしそうに、そして俺が憮然とした表情で写っている。俺の表情がこうなのは、写真を撮る前に志保と一戦やらかしたせいだ。
 それ以外には誰も写っていない。俺が志保と交代して三人を撮った写真も同じだ。幽霊の類なんか影も形もない。
「やっぱり噂なんてアテにならねぇよなぁ……」
 呟きながら俺は周囲を見回す。
 他には人の姿が全く見えない寂しい浜辺。
 幽霊が出るという海岸。
 その噂さえなければ、ごくフツーの、子供連れや俺たちみたいな学生達、若いカップル等々で賑わっているだろう平凡な海岸だった。
「本当に何もないんだな……あれ?」
 何も建っていないはずの浜辺を見渡していた俺の視界に、なにやらプレハブ小屋のような建物が飛び込んできた。
「なんだ、ありゃ?」
「なになにー、どったの?」
 いつの間に戻ってきたのか、志保が興味津々と言った表情で俺の顔を覗き込んでいた。俺は三〇〇メートルぐらい先のプレハブ小屋を指差して、
「あれ」
 と言った。
「あら、何かしら」
「海の家みたいだけど……」
 あかりが自信無さそうに言う。志保が目を丸くして、
「ええ?……あ、ホント、あかりの言うとおり、海の家みたいだわ」
「海の家? だってお前、ここは海の家すらない心霊スポットだって……」
「でも、やっぱりそんな感じだよ」
 雅史も同意する。
「ほら、テーブルとか椅子とか外に出てるし」
「『氷』っていう字も見えるわねぇ……よし、行ってみましょ」
 言うが早いか、さっさと志保が歩き出す。
「おいおい……」
 まったく、本当に落ち着きのないヤツだ……。
 そう思いながら、俺たち三人もその後に続いて歩き出した。



「うーん、これはどう見ても海の家よねぇ」
 志保が呆れたように呟いた。
「間違いないだろうな」
 俺も頷かざるを得なかった。
 そのプレハブ小屋のような建物には大きく『海の家』と看板が上がっていたのだ。
「ふ……志保ちゃん情報はやっぱりアテにならねーな」
「何よぉ、その言い方はっ!」
 志保がムッとしたような表情になるが、取り敢えず無視しておく。
「入ってみるか。喉も乾いたし」
「そうだね、お腹も空いたし」
 例によって雅史がのんびりとそう頷いた。
 ちり〜ん……。
 風鈴が涼しげな音を立てる。それに誘われるように中に入ってみる。
「ちわーす」
 店内に声をかけると、
「はぁーいっ、いらっしゃいませーっ」
 どこかで聞いたような元気な声が返ってきた。
「あのー、注文したいんですけど……って……」
 ぱたぱたと店の奥から駆けてきた小柄な人影を見て、俺は思わず絶句した。
「あっ、浩之さん」
 エプロン姿の女の子がにっこりと笑って挨拶する。
「お久しぶりです〜」
「マ、マルチ……じゃないか」
 それは、HMX−12型メイドロボットのマルチだった。
「ど、どうしてこんな所で海の家なんかに……?」
「えっと、これも一種の実用試験なんです」
「実用試験?」
「はい。何でも夏期の高温多湿な状況下における耐久試験とかで……」
「……」
「更に潮風に対する耐蝕性の試験も兼ねているそうで……要するに、そういう過酷な条件下でも正常に機能を保つことが出来るか……っていうテストみたいです」
「そ、そうなのか」
「はいっ」
 元気良く頷くマルチ。
「ああ〜ッ! いつぞやのメイドロボットじゃない!」
「えっ? マルチちゃん?」
 背後から志保とあかりの声が聞こえた。
「あ、お久しぶりです〜」
 マルチがにっこりと微笑みながら二人に頭を下げた。
「それで、ご注文は何になさいますか〜?」
「あ、ええと……」
「取り敢えずコーラ四つと焼きトウモロコシ四つ」
 志保が口を挟む。
「焼きそばも食べたいよね」
 雅史が言う。
「私はかき氷が食べたい……イチゴシロップがいいな」
 あかりが付け加える。
「……ということで、頼む」
「はい、かしこまりました〜」
 ぺこりと頭を下げて、店の奥に走って行くマルチ。
「……まさかマルチ一人でやってるんじゃないだろうな」
 俺はふと不安を覚えた。
 もし『炭化したトウモロコシ、煎餅っぽい焼きそば、イチゴシロップが掛かった角氷』とかが出てきたらどうするんだ?
 マルチの自炊能力が向上していればいいが……さもなければここは新たな惨劇の現場として後世に語り継がれることになるだろう。
 と、戦慄に身を震わせているうちに、店の中からマルチの声が聞こえてきた。
「セリオさーん、焼きトウモロコシと焼きそばとかき氷お願いします〜」
「なんだ……セリオも一緒なのか」
 店の奥に入っていくと、HMX−13型メイドロボ・通称セリオがエプロン姿でトウモロコシを焼きながら焼きそばを作り始めようとしていた。
 さすが最新型。同時にいくつもの作業をこなすことが出来るらしい。しかも衛星から調理情報を転送して貰っているせいか、手付きがプロ並みだ。
 ああ、惨劇を免れることが出来そうだ、と俺は安堵の溜息をついた。
 と言うか、セリオがいるんだったら、もっと別の食い物でも頼めば良かったかな……セリオならきっとフランス料理のフルコースでも作ってみせてくれるだろう。
 材料があれば、の話だけどな。
「わーっ!」
 その隣で悲鳴を上げるマルチ。どうやらコーラをコップについでいて、こぼしてしまったらしい。
「……相変わらずだな。マルチは……」
 本当に学習能力があるのだろうか? と思わず首を傾げてしまう。



 ビーチパラソルが差されたテーブルに着いて、ぼんやりと待つこと約八分。
「お待たせしましたぁ」
 マルチが例によってにっこりと笑顔を浮かべ、食べ物と飲み物の乗ったお盆を抱えて、よろよろとした足取りでテーブルの方へと歩いてきた。
「危なっかしいなぁ……」
 そう呟いて腰を浮かすのと、マルチがフラッとよろめくのがほぼ同時だった。
「わっ、わわわわわわわ………」
 間一髪、俺がお盆を抱えたため、折角の料理が砂浜にぶちまけられるという事態は回避された。
「ふぅ〜……す、すいません、浩之さん……」
「いっぺんに持ってこないで、2回に分けて運べよな、今度から」
「はい……」
 俯いて素直に反省するマルチ。この辺も相変わらずである。俺はお盆をテーブルの上に置き、皿に盛られた料理や飲み物をテーブルの上に並べた。
「あーお腹空いたー!」
 言うが早いか、志保が焼きトウモロコシに手を伸ばした。
「……あれ? 焼きそばがないよ」
 雅史が不思議そうに首を傾げた。
「あ、焼きそばはお盆に載せ切れなかったので……今持ってきますね〜」
 お盆を抱えてぱたぱたと駆けて行くマルチ。
「そう言えば、出ないわよねぇ」
 トウモロコシを片手に、唐突に志保が切り出す。
「何がだよ」
「ユーレイよ、幽霊。あたしたち、それを確認しに来たのよ? それなのに……」
 と志保はトウモロコシを左右に振って見せ、
「こーんな所でのんびりとお昼御飯食べてていいのかしら」
「いいじゃねーかよ。なぁ、あかり」
「うん。出ない方が、いいよね」
「うーん……まあ、楽しいからいいんだけどさ」
「お待たせしました〜」
 という声に振り返ると、マルチが焼きそばの盛られた皿を持って立っていた。
「お、悪いな、マルチ」
 焼きそばを受け取り、それを雅史のヤツに渡してやる。
「それでは、また何かご注文がありましたら呼んで下さい〜」
 ぱたぱたと走っていくマルチを見やりながら、俺はぼんやりと呟いた。
「まぁ、考えてみりゃあこの科学万能のご時世に、幽霊もへったくれもないか……」
 何しろ、ロボットが泣いたり喜んだりする世の中だもんな……。
「ところでヒロ、あの約束、忘れてないわよね?」
 不意に志保が訊いてきた。
「ああ?」
 咄嗟に何のことか分からない俺である。
「何の約束だっけ?」
「こないだゲーセンで勝負したとき、ヒロあっさりと負けたじゃない」
「ぐっ……そう言やぁ、そんなこともあったな」
「あの時、私に一回奢りって約束したわよね?」
「……した」
 グチグチ言い訳するのも好きじゃないのであっさりと頷く。
「じゃ、焼きトウモロコシと飲み物もう一個ずつ追加ね」
「まだ食うのか?」
「結構美味しかったじゃない」
 うん、確かに美味しい焼きトウモロコシだったと思うが。
「……ちなみに、それを俺が払うのか?」
「奢りだもん。当然でしょ」
「…………」
「あらぁ? ヒロは約束を破るような男だったのねェ……」
 志保が挑発するようにフフン、と笑ってみせる。
 くっ……てめぇ、次にゲーセンで遭ったときは覚悟しとけよ。
 そう心の中で歯ぎしりをしながら、俺は仕方なくトウモロコシと飲み物を注文しようとマルチの方を振り返った。
「……ん?」
 そして異常に気が付いた。
(マルチのやつ……明後日の方向に向かって何を喋ってるんだ?)
 お盆を持ったマルチが、にこやかな笑顔を浮かべてテーブルに話しかけている。一番海側に近いテーブルだ。もちろん無人である。
(……遂に壊れたか)
 俺は蒼い空の真ん中で情熱的に輝いている太陽を見上げた。地球温暖化の折、今年の夏は異様に暑いんだっけ……機械もたまらんだろうな……そんなことをふと考える。
 耳を澄ませば、マルチは熱心にメモを取っているようだった。
「ええと、ご注文を繰り返しますね。ソーダ水と、イチゴかき氷と、焼きトウモロコシですね。かしこまりました〜」
 テーブルに向かって頭を下げたマルチが、ぱたぱたとこちらに駆けてくる。
 一体誰からメニューを聴取したのやら。機械にも幻聴というものがあるのだろうか。あるいは熱中症と言うべきか?
「……あ、マルチ?」
「はい。どうしたんですか浩之さん。追加でご注文ですか?」
「なあ……今誰と話してたんだ?」
「はい?」
 マルチが怪訝そうな表情を浮かべる。
「あの……そこのテーブルに座ってらっしゃる方ですけど」
 マルチは意味不明なことを言った。いよいよこの暑さで機械がイカレてしまっているらしいなと俺は確信した。
「誰もいないじゃん?」
「もう、浩之さん、からかわないでくださいよ」
 マルチは苦笑を浮かべて、
「ほら、あのテーブルですよ。若い男の人が座ってるでしょう?」
 と先程の無人のテーブルを指差した。
 テーブルの上も、テーブルを挟むように配置された二つの椅子の上にも誰の姿も見えなかった……。
「…………」
 俺が沈黙している間に、マルチは頭に「?」マークを四つぐらい浮かべたまま店の奥に入っていった。
「いや、どう見ても誰もいないんだけどな……」
 ぽつりと呟く。
 日差しが妙に鋭く感じる。暑いを通り越して痛いぐらいだ。まぁ、ビーチパラソルの立ててあるテーブルの下を出て直射日光に当たっているんだから当然か。
 振り返れば、パラソルの日陰の下で志保が不満そうな表情で(もう、さっさと頼みなさいよ往生際が悪いわねぇとその表情が雄弁に語っていた)あかりが心配そうな表情で(浩之ちゃん……大丈夫?とその表情が語りかけていた)こちらを見ていた。
 雅史はマイペースで焼きそばをつついていた。
「……」
 この異常事態を誰かに伝えるべきだろうか。
 いや待てよ? 実はオカシイのは俺の方で、あのテーブルにはちゃんと人が座っているのかもしれない。
 仮にも最新鋭のメイドロボが、たかが気温39℃超・湿度60%程度の状況で壊れるはずがないではないか。逆に人間様なぞ、そういう状況下では熱中症になりかけて正常な思考能力を失うこと請け合いだ。
 とすると、やっぱり壊れているのは俺か……?
「……訊いてみよう」
 俺はのろのろと三人の待つテーブルへ戻っていった。
 志保が何かを口にするより先に、
「なあ、あのテーブルなんだけどな」
「何よ……」
 気勢を殺がれた形になった志保が気後れしたように訊いてくる。
「テーブルがどうかしたの?」
「誰か座ってるか、あそこに」
「……はあ? ヒロ、あんた、暑さで頭がどうかしちゃったんじゃないの?」
 志保が呆れたような口調で言った。あかりがいよいよ不安そうな表情になる。
「……浩之ちゃん……熱中症とかじゃないよね? あ、ほら、冷たいもの飲んだ方がいいよ……はい」
 そう言ってコーラを差し出す。
 受け取って一気に飲み干すと、少しは気分が落ち着いた。
「……で? 誰かいるのか?」
「ヒロ、あんたそれマジで訊いてるわけ?」
 今度は志保は目を丸くした。
「見て分かるとおり、誰も座ってないじゃない」
「……だよなぁ」
 俺はホッとした。別に俺が壊れているわけじゃないのだ。
 と言うことは。
(そこに、何かがいる?)
 目に見えない何かが…………?
 立ち尽くす俺の傍らを、お盆を抱えたマルチがぱたぱたと駆けて行く。お盆の上に注文されたものを載せ、件のテーブルに向かって……。
 俺はふと、どうして今日ここの海岸に来たのかを思いだした。
(こりゃあ、ひょっとするとひょっとするのかもしれない……)
「……我が偵察班は、只今から、写真撮影により敵情を解明する!」
 先日観た洋画のノリで、突然俺はそう叫んだ。
「長岡志保一等兵、写真機材よーい!」
「らじゃーっ!」
 さすがに志保はノリがいい。突然の俺の号令にも動じずカメラを取り出した。撮影すればその場で写真が見られるポラロイドカメラだ。
「撮影準備!」
 志保がレンズのカバーを外す。
「撮影準備よし」
 俺は今し方テーブルに辿り着いたマルチの方をビシッ、と指差し、
「目標、マルチ、及びテーブル全体!」
「りょーかい!」
 志保がマルチの方に向かってカメラを構える。ピントが合っていることを示す緑色のランプがファインダーの中に点灯した。
「ロックオン」
「撮影始め!」
「はい、チーズ」
 パシャ。
「撮影終了!」
 ウィィィーン。
 ポラロイドカメラの利点はこれだ。
 わざわざ現像に出す必要がない。撮って暫くすれば結果が分かるのだ。
「さてさて、どんな写真が出来上がりますやら……」
 数分後……。
 現場は上を下への大騒ぎになった。
 まあ、トウモロコシどころじゃなくなったことだけは良かったとしておこう。



「いやー、ホントだったのねぇ、あの話」
 志保がとぼけたような表情で言うと、
「うーん、まさか本当にいたなんて、まだ信じられない気分だよ」
 雅史がのんびりと言い、
「でも、写真に写ってるんだったら本当なんだろうね」
 と、一人で納得していた。
「浩之ちゃん……」
 あかりはまだ怯えていて俺の腕にしがみついたままだ。当分は一人で眠れないのではないだろうか。
「ううむ……」
 俺はと言うと、志保の撮った写真を見ては唸っているという状態だった。
 写真の中のマルチは何が楽しいのかいつもの笑顔を浮かべて、更にピースサインまでしていた。
 その隣。
 焼きそばとソーダ水の置かれたテーブルの横に、誰も座っていなかったはずの椅子の上に、海軍の制服を着た若い水兵がいつの間にか座っていたのだった。
 困ったことにその水兵は『軍海國帝本日大』と書かれた帽子なんかを被っていた。
 更に、決定的なことに足が写ってなかった。
 そしてその水兵は、マルチと同じように笑顔でピースサインを送っていたのだった。
 ノリのいい幽霊である。
「ううむ。何回見ても足がないよな」
「幽霊だもの、あるわけないじゃない」
 志保があっさりと言ってのける。
「でも、目には見えなくても写真には写るって本当だったんだね」
 またもや、雅史は一人で納得したように頷いていた。
「まぁまぁ、見た感じ取り憑きそうな悪霊って感じじゃないから、そう心配しなくっても大丈夫よ」
 志保が笑顔を浮かべてあかりの肩をぽんぽんと叩いた。雅史が俺の手元……写真を覗き込みながら、
「制帽に大日本帝國海軍って書かれている以上は、やっぱり件の駆逐艦の乗組員だったのかな?」
「多分な」
 俺は頷いた。終戦記念日の正午にはご冥福を祈って黙祷を捧げなければ。
「……待てよ?」
 間もなく駅に着くというアナウンスを耳にしながら、俺はふと思った。
(そう言えば……目にも見えないはずの幽霊を、マルチは一体どうやって見つけたんだろうか……?)
 謎だった。
 ただ、マルチが試験を終えて研究所に戻ったときのことを想像すると……不謹慎だが、ちょっとだけ笑えるような気がした。
 間違いなく、研究所は蜂の巣をつついたような騒ぎになるに違いない。
 マルチの記憶データを再生すれば、当然あの幽霊も映っているだろうからな。



 さて、これには後日談がある。
 お盆に先祖の墓参りに行ったときだ。
「……あれ?」
 俺は墓地の入り口で、箒を手に掃除をしている小柄な人影を見つけた。
 マルチだった。
「あ、浩之さん、こんにちは。今日も暑いですねー」
「……マルチ、お前どうしてこんな所に?」
 思わず面食らっている俺に向かって、マルチはいつもの笑顔で、
「はい、先日の耐用試験は結果が良好だったので、今度はここで違う試験をすることになったんです」
「違う試験?」
「はいっ。……なんでも、特定状況下における特殊認識能力の試験、だそうです」
 マルチは脳天気な笑顔でそう答えた。
「…………」
(……特定状況……特殊認識……って、もしかして……? というか、あのあと研究所で一体何があったんだろうか……?)
 ……い、いや、深くは考えないようにしよう。多分、その方がいい。うん。
「そ、そうか、頑張れよ、マルチ」
「はいっ」
 元気良く答えるマルチに手を振って別れる。
 やっぱり気になって途中で振り返ってみた。ぎょっとする。さっき脳裏を過ぎった考えは間違いではなかったらしい。
「…………違う方面に用途が変更されたりしなきゃいいけど」
 そんなことを思いながら、俺は足早に先祖の墓へと向かった。やだなぁ。メイドロボならぬ巫女さんロボとか御祓いロボとかできあがったら。
「……はぁ」
 誰もいない空間に向かって笑顔で話しかけるマルチの姿が、俺はやけに気になった。

(終)

イラスト(800作)

 <あとがき>

 どうも、夕凪です〜。
 やっぱり、海と幽霊は夏の風物詩でしょう!
 というわけで勢いで書いてみました。

 一応、初の東鳩SSということになります。
 昨年夏に東鳩始めて、暑中見舞いに東鳩SSを書こう!
 ……と思ってから一年が経過した訳で(ぉ
 何とか二年目の夏が終わる前に完成しました。残暑見舞いになりましたが。
 う〜ん。一年経過する間に東鳩ほとんど忘れちゃったんで、どうかなぁ……。

 ちなみに、研究所でどんな騒動があったのかは私にも謎です(^^;)


 2001.8.14  夕凪


800のコメント
 新進気鋭の「Kanon」SS作家夕凪さんの、初の「ToHeart」SSです。私がToHeartに入れあげている一方、Kanonにはあまり熱心でないのを見て、わざわざ私のためにToHeartSSを書いて下さったのでしょう。
 しかもモチーフは「夏の風物詩」と称して幽霊譚、それも軍事関係に造詣の深い夕凪さんらしく、太平洋戦争に散った護国の英霊です。
 誰も寄りつかず海の家も一軒もないはずの海岸に海の家がある時点で、「海の家も、そこにいるマルチとセリオも白日夢では?」とお思いになった方がいらっしゃるのではないでしょうか。
 あるいは、浩之たち生身の人間が誰一人として見ることのできなかった幽霊を、電子回路のプログラムしか持っていないマルチがなぜ見ることができたのか。もし一行に芹香が加わっていたらどうなっていただろうか。想像は広がります。

 それから、調子に乗って描いてしまったイラストですが、実は原作どおりではありません。
 太平洋戦争に散った護国の英霊がピースサインをするのはいくら何でもまずいだろう、と勝手に考えて、帝国海軍式の敬礼に変えました。

(2001.8.16)

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