番外日記 |
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2002年4月30日(火)〜5月1日(水)
第2回でエンディングに到達できるのは岩崎ちなつです。ちなつのストーリーも、かなりの王道というのでしょうか、一介の生徒である ちなつが一介の添乗員である義博に本気で恋をしてしまって、それを察した杉野治美(ちなつの先輩という触れ込み)が、失恋の傷が深くならないうちに諦めさせてやってくれと義博に頼み込んでくるという、ありがちなストーリーです。ちなつの母は亡く、父は ちなつが幼い頃からずっと海外に行ったまま帰らず、それで ちなつは治美の家に預けられて(関係としては治美の父が ちなつの母の兄という関係)育ったこと。そしてこのサマースクールには、東陽学園の生徒でないのに治美の後輩の名前を借りて潜り込んでいる、だから極力目立たないように振る舞わなければいけないと治美に言い渡されている、というあたりの事情が終盤で明かされるのが、王道的シナリオの彩りでしょう。9月には遠くへ引っ越すことが予定されている ちなつと、たまたまサマースクールの添乗員として知り合っただけの義博とが、持続的な交際ができるはずもありませんから、「できない約束はしない方がいい」とあくまでも冷たく突き放した時、かつて義博自身も深景と「できない約束」をしたことを思い出して、本当の優しさであっても、相手だけでなく自分をも傷つけることがあると悟る──相手が傷を負うことが避けられないのなら、できる限り浅い傷に止めることが本当の優しさだと。私も、そんなことをどこかに書いたような気がします。 ちょっと、いや、かなり残念な気がしたのは、最後の夜に ちなつが義博の部屋へ来て、「いつかまた会う」という約束が「できない約束」であるのなら義博のことは忘れる、でも何も残らないのは嫌だといって義博に抱かれることを求めてきて、そして義博がそれを肯わないとトゥルーエンドに達しないこと、つまり森沢奈緒のシナリオで否定することに成功したと見えた、この手のゲームシナリオにありがちな安直な性行為を、結局は否定し切れていないように感じられたことです。義博の回想の中では、かつて深景に別れを告げられた時、「これが最後だから抱いてくれ、というのなら受け容れられない」と言って深景を抱くことを否んだのに、です。 誤解のないように言っておきますが、パソコンゲームではもはや不可欠の要素となっているに等しい18禁行為そのものを、十把一絡げに否定しているのではありません。シナリオを読む限り、ちなつがどう読んでも18歳未満であるとしか判断できないから、遠慮しておいたほうが──なんて言うほど偽善者ぶるつもりもありません。 過去の出来事を想い出に昇華することができた奈緒のシナリオと違って、ちなつの場合はこれからが、出来事を想い出に昇華していく苦難の道のりとなるので、「傷は消えても傷跡は残る」と義博が述懐するように、最終日のシーンはかなり痛いのですが、最後の最後で一縷の救いがもたらされます。このシーンまで、deus ex machina 的お約束と言って切って捨てることは、しないでおきましょう。「お話の中でくらい、ハッピーエンドが見たいじゃないですか」。 奈緒のシナリオを終えたばかりの時から、かなり気懸りだったことがありました。それはもし ちなつが(ちなつ以外のヒロインでもですが)処女だったとしたら(奈緒は処女ではないのですが、その点については既にプレイした知り合いの人は、かなり苦々しげに非難していました)、その場面で破瓜の出血を殊更に強調した叙述になっていたら、激しく萎えるだろうなー、ということです。 このことはずっと前にWindows版「ToHeart」をプレイした時から、何となく気になっていたことで、昨年の11月から12月にかけて「WHITE ALBUM」をプレイしていた間には、その頃の日記には書きませんでしたが、Hシーンの度に正直言って萎えていたものでした。 それで奈緒のHシーンが、なんだかToHeartやWHITE ALBUMのそれに似ているような雰囲気があったものですから、もしアレがあり得るケースでアレを強調していたら──と憂慮していたのですが、幸いにして杞憂でした。 (5月1日アップ) |
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