番外日記 |
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2001年2月11日(日)
人外の生き物が人間に姿を変え、人間界にやってくるという話は、昔話の王道です。そしてその際、人間に姿を変えた生き物は、人間界で人間の姿をしたまま生を全うすることができないのが共通点です。それはつまり、「人として生まれた者は人として死に、人外の物として生まれた者は人外の物として死ぬ。どう変化しようとも、死ぬ時は生まれた時の姿に還らねばならず、それを犯す者は夭逝か横死を免れない」というような掟があるのだと思います。 私はその掟を、「正直な与兵衛」で思いきりおちょくってしまったわけですが。 しかしそういった昔話と、Kanonの真琴シナリオとの大きな違いは、真琴シナリオでは「妖狐」でありながら人間に姿を変えた真琴が、人間の形を留めたまま、次第に手先が利かなくなり、感情が失われ、人語を解しなくなり──要するに「徐々に人間でなくなっていく」のです。そしてその退行が終わった時が、妖狐としての生命も尽きる時なのです。 シナリオ作者の言わんとすることは、人外の物が人間に化するという奇跡を起こすにはそれだけの代償を要する──つまり奇跡とは決して安直なものではないということでしょうし、一方、妖狐が化した人間の辿るべき運命がそれほどまでに苛酷であり、生来の人間には正視するに耐え難いものであることが、かつてそれを経験した天野美汐の心を、祐一に向かって「二度と妖狐の一族には関わりたくない」と口走らせるほど圧し拉いだとするために必要だったのでしょうけれど。 (2月14日アップ 11月8日分離) |
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