『ものみの丘』補足説明
Kanonの舞台となる北国の街の近くに、このCGのタイトルに名前を取った「ものみの丘」という草原があり、そこには昔から妖狐の一族が住み着いているという言い伝えがあります。
かつて相沢祐一(ゲームの主人公)がこの街に滞在していた時、ものみの丘で、傷ついた子ギツネを拾いました。子ギツネは祐一になつきますが、やがて祐一が街を去る時、子ギツネはものみの丘に置き去りにされます。
それから7年、あるいはもっと長い時を経て北国の街へ移り住んできた祐一の前に、真琴が現れます。真琴こそ、妖狐の一族が起こしうる「奇跡」──この言葉こそKanonのキーワードでありましょう──によって人間に姿を変えた、かつて祐一に拾われた子ギツネでした。
しかしこの奇跡は、キツネだった時の記憶をほとんど全部失い、また人間に姿を変えた後には、ごくわずかな日数の間に人間としての精神を失っていき、最後には精神も肉体も、跡形もなく消滅するという代償を求めます。ですから人間に姿を変えた真琴には、かつて自分を置き去りにした祐一に対する憎しみ以外の記憶はなく、人間として存在できるのもごくわずかの間であることも、真琴は知りません。
祐一に対する憎しみだけを持って祐一の前に姿を現した真琴と、祐一との間に心が通い始めたのも束の間、真琴の精神が崩壊を始めます。その時、祐一に妖狐の言い伝えと真琴の正体を教えるのが、かつて同じように妖狐が人間に姿を変える奇跡とその末路を目の当たりにした美汐です。奇跡の末路を知っている美汐は、妖狐の一族と関わり合いになることを初めは拒みますが、やがて真琴に起こった奇跡の終焉すなわち真琴の消滅が目前に迫るに及んで、ただ一度だけ、真琴を受け容れます。
個人的感想ですが、真琴シナリオ終盤の痛切さは、他の4ヒロインのシナリオとは完全に一線を画します。最後の最後に奇跡が救いをもたらす形を取っている、あるいはそれが示唆されている他のシナリオと、奇跡自体が救いのなさを招来する真琴シナリオは、質的に全く異なると言っていいでしょう。
(2001.10.21 2001.11.8分離)