正直な与兵衛(第2稿)
改作 2000年7月9日

 昔むかし、あるところに、与兵衛(よへえ)という若い男が、一人で暮らしていました。
 与兵衛は働き者で、気が優しくて欲がなく、そして、頭に「馬鹿」がつくほどの正直者でした。

 ある時与兵衛が、山の畑へ野良仕事に行くと、畑のすぐそばに、鶴がうずくまっています。よく見ると、猟師の射た矢が鶴の体に刺さっているのでした。
 与兵衛は気の毒に思って、鶴の体から矢を抜いて、傷の手当てをしてやりました。すると鶴は舞い上がって、与兵衛の頭の上で二三度回ったと思うと、どこへともなく飛び去っていきました。

 その夜、与兵衛が夜なべ仕事をしていると、とんとん、と家の戸を叩く音がします。
 与兵衛が立っていって戸を開けると、見慣れない、若い女が立っていました。女は言いました。
「私は旅の者です。今夜一晩、泊めてください」
 与兵衛は、
「おれの家は男一人だし、こんなあばら屋で何もないけど、もう夜だしな。泊まっていきな」
と言って、女を家に入れて、泊めてやりました。

 明くる日になりましたが、女は与兵衛の家を出ていこうとせず、家に居着いてしまいました。そして、与兵衛が何も言わないのに、あれこれと与兵衛の世話を焼くようになりました。両親を亡くしてから男一人で暮らしていた与兵衛は、お寺の和尚様に相談して、女と祝言(しゅうげん)をあげて、夫婦になりました。女は、名を「つう」といいました。
 ある日つうは、与兵衛の母が使っていた機(はた)を見て、与兵衛に言いました。
「私は今日から機を織りますが、私が機を織っているところを、決して見ないと約束してください」
 与兵衛は言いました。
「ああ、約束するよ。つうが機を織っているところを、決して見ないとも」
 それでもつうは心配だったのか、与兵衛が畑へ仕事に行っている間だけ、機を織りました。与兵衛は正直者でしたから、たまに早く帰ってきて、機を織る音が聞こえていても、つうが機を織っているところを、決して見ようとはしませんでした。
 何十日もかかって、つうは一枚の布を織り上げました。その布は、与兵衛はもちろん、この辺りの村から町へと布を売り買いして歩く商人の誰も、一度も見たことがないほど、見事な布でした。
 与兵衛から布を買った商人が、布をお城のお殿様に差し上げますと、お殿様は商人を通じて与兵衛に、小判百両ものご褒美をくれました。与兵衛は欲のない男でしたから、そのお金で贅沢をしようとはせず、お寺やお宮や、貧しい人たちに施しました。
 それから毎年、つうは一枚だけ布を織りました。与兵衛はちっとも欲を出さず、もっと何枚も布を織ってくれとつうに言うこともなく、布を商人に売ってお金が手に入っても、二人の暮らしに足りる分の他は施してしまって、つましく暮らしていました。
 やがて与兵衛とつうの間には、子供が何人も生まれました。与兵衛は、子供たちにも、つうが機を織っているところを見てはいけないと言いつけました。子供たちも、与兵衛に似て正直でしたから、与兵衛の言いつけを守って、つうが機を織っているところを決して見ようとしませんでした。

 やがて何十年も経ち、与兵衛もつうも年寄りになりました。子供たちも大人になり、子供たちと孫たちに囲まれて、与兵衛とつうは幸せに暮らしていましたが、寄る年波には勝てず、つうは病気になって、床に臥してしまいました。与兵衛と子供たちの看病の甲斐もなく、臨終が近づいたのを悟ったつうは、枕辺に与兵衛を呼んで言いました。
「私はお前さんと暮らして、幸せな一生でした。それはなんと言っても、お前さんが正直に私との約束を守って、私が機を織っているところを見ないでいてくれたからです。
 私は、あの時お前さんに助けられた鶴です。私の一族は、私の前にも何羽も、人間の姿になって人間の里に行きましたが、みんなすぐに、機を織っているところを見られて帰ってきました。私の一族との約束を最後まで守り抜いたのは、お前さんが初めてです。世の中には、正直な人間もいるものですね」
 おしまい。


あとがき
 初稿を公開した後、読者の方から頂いたのは、「つうの最後の台詞が悲しい」という感想でした。
 私としては全く予想していなかった感想ですが、最後の台詞、なかんずく「私はお前さんと暮らして、幸せな一生でした」を除いてみると、つうは「頭に『馬鹿』がつくほどの正直者」である与兵衛のせいで、一族のもとに帰れずに一生を終わる身の不幸を恨んでいる、と取られてもしかたがないでしょう。
 それに、前の方で「私が機を織っているところを、決して見ないと約束してください」と言っていながら、最後に「どうして、私が機を織っているところを見なかったのですか」と言うのでは、不条理ではないでしょうか。
 というわけで、結末を書き直しました。
 初稿と比べると、あまりにも内容のない、安っぽいギャグに堕しているかもしれません。
 でも敢えて言えば、その安っぽいギャグこそが最初に私が狙ったところであり、まして「正直すぎる人間は時として周りを不幸にする」などというしかつめらしい命題を提示する意図は全くなかったのです。
(2000.7.9)

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