釧路戦記(改訂版)

第一部
第一章
 目の前に、青い機関車に牽かれた客車列車が滑り込んできた。私はそれに乗り込んだ。手には黒い大きな手提鞄。人は私を、地方へ出張する会社員とでも見るか。一見してごく普通の中小企業の従業員だ。後ろに二人、似たような身なりの、手提鞄を提げた男が続く。私の部下、頼りになる男達だ。
 腕時計を見る。時刻は午後十時五十五分。ここは赤羽駅の東北本線ホ−ム、私達三人が乗ったのは青森行夜行四二一列車だ。一号車の中程の向い合わせの席に三人で坐る。
 遠く機関車の汽笛が聞こえてくると、列車は動き出した。実に古い車両で、背凭れに綿が入っていない。少々寝にくい車両だが我慢しよう。今、列車は川口を通過した。目を閉じて眠るよう努力する。次第に睡気が忍び寄ってきた。
・ ・ ・
 ……私の脳裏に、三年前のあの日のことが浮かび上がってきた。忘れ得もせぬ、あの日のことが。あの日、それ迄の私は消え失せ、今の私が現れたのだ。
 私は、東京墨田区、両国にほど近い所で、従業員五人の小さな町工場を経営していた。生活はごく普通なもので、同い歳の妻、高校生の息子、中学生の娘がいる、ごく普通の家庭を営んでいた、その日までは。
 昭和三十九年三月二十一日、未明であった。まだ暗い午前五時、私は目を覚ました。妙な音がする。何か妙な臭いもする。所謂「きな臭い」というあの臭いである。何だろうか。床から起き上がった。私の部屋は工場の中にあり、家族のいる母屋と隣り合っている。寒い。綿入れを羽織り、窓から母屋の様子を見た。
 息を呑んだ。母屋が燃え上がっている。階段を駆け降り、母屋に飛び込んだ。
 火勢は激しい。煙で良く見えない。
「文子! 信一! 由香理!」
 声を嗄らして叫ぶ。答えはない。床に這うようにして電話台に近づく。受話器をとり、一一九番を回す。通じない。電話の線が切られている。何者かが、ペンチか何かで切ったのだ。歯ぎしりする。外へ行くしかない。玄関に着いて、錠を開ける。戸を開けると、消防車のサイレンが聞こえた。消防車が二台やって来る。
 外へ出た。二階が激しく燃えている。消防車が放水を始めた。年配の消防士が車から降りて来て訊く。
「誰かいますか!?」
「家族が! 家族がいる!」
 何年来無かったほど私は興奮していた。野次馬が集まり始めた。私は殴りつけたいほど腹が立った。家が燃えている者の身になってみろ。
 パトカーがやって来た。
 ……やがて鎮火した。私はまだ煙の立ち昇る焼け跡に立っていた。警察官が現場検証を始めた。野次馬は三々五々去り始めた。
 私の足は軟かい物に触れた。私の目に入ったのは、変わり果てた息子の姿であった。私は崩折れて慟哭した。親に似ず頭が良く、この春大学に進学が決まっていた。私と妻の期待を受け、周りからも期待されていた前途有為な息子の信一。その未来ある命をここに散らそうとは。後から後から涙が流れる。今は哀惜の念よりない。息子よ。
 妻と娘も、屍となって発見された。元来私は涙もろい方ではないが、この時ばかりは心の底から泣いた。若い命を火魔に散らした子供達が哀れでならなかったからだ。
・ ・ ・
 私は家族を失ってしまった。家も失った。残ったのは工場と、それに付いている私の部屋だけだ。その日私は、一日中部屋で何するともなく寝転がっていた。虚しさ、寂しさ、悲しさ……。
 夕方、新聞を開くと、記事に目が止まった。

「放火、本所で朝火事」「母子三人焼死」
 今朝五時頃、東京都墨田区××*丁目×の×の××、鉄工所「矢板鉄工」=同所矢板正則さん(四三)経営=内の矢板さん方から出火、木造二階建一棟約八十平方メートルを全焼、隣接する工場の壁を焦がして五時三十分頃鎮火した。この火事で矢板さんの妻文子さん(四三)、長男信一さん(一八)=××高校三年=、長女由香理さん(一四)=××中学二年=が焼死した。
 本所署の調べによると、玄関脇が火元と推定され、出火前の午前四時半頃、ポリタンクを持った不審な男が現場付近を歩き回っていたのを見たという証言があり、同署では放火と断定し、この男の行方を追っている。

 不意に頭に血が上るのを感じた。何者かわからぬその男に対し、言葉に表せないほどの怒りを感じた。私は猛然と新聞を引き裂き、床に叩きつけた。いつの日か殺してやる。その男を呪った。
・ ・ ・
 私は目を覚ました。怒りに身が震えている。列車は小山駅に滑り込むところだ。心が落ち着いてきた。今迄何度この夢を見たろう。目が潤んできた。部下達も寝ている。目を閉じた。
・ ・ ・
 あの日から三日後、犯人は逮捕された。その男は左翼団体「新日本革命軍」構成員、佐藤裕之(三五)で、調べに対し「右翼団体『忠誠会』の者に事務所に投石された報復に放火した」と自供した。この右翼団体事務所というのは私の家と通りを隔てた所にある。間違えたのだろうが、その間違いが無辜の三人の命を奪ったことを知っているのか。猛烈に立腹した。
 逮捕の翌日、私は新日本革命軍を訴えた。損害賠償と慰藉料とを。実際、このような団体を訴えたところでどうなるものでもないとは思ったが。案の定、私に対する嫌がらせが始まった。まず電線が切られた。次には無人車が突っ込んできた。私自身も何度か襲われた。私は空手二段の腕があるからその度に撃退し、怪我したことはなかったが。そして一か月ばかり経ったある日、また放火された。今度は工場の機械を焼かれて操業不能になり、工場は閉鎖に追い込まれた。
 うち続く嫌がらせに、私は遂に思いつめた。こうなったら、力には力で対抗するしかない、と。勿論相手は超大規模な無法集団だ。広域暴力団数個分と、並の極左暴力集団数十個分を合わせたくらいの勢力はある。私一人でどうなるものでもない、ということはわかっていた。とすれば、「団結あるのみ」だ。
 翌日私は封書を受け取った。差出人は書いてない。封を切ってみると便箋が一枚入っていた。

 突然、失礼します。
 新日本革命軍の暴徒に家を焼かれ、妻子を殺された貴方の心中をお察しします。私の妻も、先年新日本革命軍の狂った者共が、対立抗争からか銃撃戦を展開した時に、流れ弾に当って命を失ったのです。私には妻を奪った革命軍を、例え何を許すことができても許せません。この怒り、悲しみを同じくする貴方、私と力を合わせ、この世の癌、革命軍を撲滅しましょう。悪はいつの日か滅びます。その悪を滅ぼすのは私達です。
 貴方は革命軍を許しますか。泣き寝入りしますか。私に賛同して下さるのでしたら御一報下さい。
東京都八王子市××町×−××
河村 等

 私は嬉しくなった。私と同じように悲しみ、そして怒る人がいることを知ったのだ。
 私はすぐさま、トラックを運転して八王子へ向かった。河村という人の家はすぐ見つかった。河村は三十くらいの、聡明そうな男であった。
「矢板です。お手紙頂きました」
「ようこそ、お上がり下さい」
 私を迎え入れると、河村は切り出した。
「私に賛同して下さる人が一人でも増えて幸いです」
「増えて、と言いますと?」
「実はですね、私と同じ趣旨の人が、約一万人集まって組織を作ってるんですよ。私はその、東京支部員という訳で」
「一万人! ……そんなにですか」
「そうです。何しろあの革命軍という奴は全国組織のうえ図体がバカでかく、年がら年中どこかで抗争やってる気狂い団体なもんで、いや失礼。とにかく私や矢板さんのような巻添えの被害者が跡を絶たないんですよ」
「その組織の名前は何て言うんですか?」
「『討伐隊』です。あの革命軍を討伐する、私設軍隊です」
 彼は革命軍の名を口にする時は露骨に嫌な顔をし、憎々しげに言う。もし私が何でもない者なら、彼を過激派だと思い、私設軍隊と聞いて尻込みしただろう。だか今の私には、この事に対する世間一般的な判断力などは失われていた。だから彼には、心の底から同調したのだった。
「そりゃいいですね。私設軍隊、ですか」
 彼は私を見詰めて言った。
「矢板さん、隊に加わってくれますか?」
 私は反射的に叫んだ。
「加わります!」
 この時、私は普通の一市民、放火の被害者から脱却し、復讐者と化したのだった。
「ありがとう!」
 彼は私の手を握った。
「私の家は鉄工場です。機械は放火された時に焼けて使えなくなったんですが、修理できると思います」
 河村は目を輝かせた。
「それは有難い! 今の隊にはそういう機械が少ないから、武器など何も作れないんですよ。矢板さんが加わってくれて大助かりです。早速上の方に知らせましょう」
 この日──昭和三十九年四月二十九日は、私の生涯に残る日となろう。私はこの日から、新しい私となったのだ。次の日、私は依頼していた弁護士に、訴えを取り下げることを告げた。弁護士は驚いたようだった。
「貴方、泣き寝入りするんですか?」
「嫌がらせがひどすぎるんです。また放火されるくらいじゃ済みませんよ」
「貴方はそれじゃ、悪に迎合するんですか。訴えを取り下げたって、必ずやりますよ。やられ損じゃ何にもならないでしょう」
「とにかく止めたんです。何も仰言らないで」
 勿論私は、泣き寝入りなどしたのではなかった。法から離れ、法によらずに闘う決意の表明であった。
(2001.1.26)

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