釧路戦記

第四十一章
 釧路市内の様相は一変した。市の人口の一割強にも当たる、二万人の自衛隊員が市内を往来し始めたのである。自衛隊のしている事というのは、革命軍の討伐よりもむしろ市民の救護である。食糧、衣類などを奪われて飢餓と寒さに苦しむ市民に対し、自衛隊は、毛布やら米やらの救援物資を送り込み、市民に分け与えている。無人の建物は、応急的な病院に改装されて、負傷した市民が収容されている。無念の死を遂げた市民の遺体は、市内の寺院に集められている。今日二十八日は葬儀の行われる様子はない、おそらく蜂起の終熄後に合同葬儀が営まれるのに違いない。私としても、武運つたなく戦死した部下、同僚達の葬儀は、敵を滅ぼすまではやるべきでないと思う。敵撃滅の報告こそ、彼らの霊前への何よりの手向けとなるであろう。
 それにしても町は静かになってしまった。通りを行き交う市民の姿は、全くと言っていいほど見られない。自衛隊員、医師、討伐隊の兵士、そして革命軍の兵士。町には軍服ばかりが行き交う。
 町の民家は、日毎に空き家が増えていく。特に二十八、二十九、三十とここ三日間は異常なほどである。詳しい数字は定かにできないが、この三日間、毎日二万人からの市民が姿を消してゆく計算になるのである。一体何故、こんなに急激に市民が減ってゆくのか。二十五日から二十七日迄の三日間には、一日当りの市民の死者は千人を越えない筈だと、本部長は言うのだ。
 実はこれは、非常に簡単な事であった。何の事は無い避難である。釧路駅・東釧路駅とも自衛隊が奪還したので、列車は平常通り動いている。しかし、何しろ釧路発の帯広方面行列車は一日十六本、うち三本は尺別あたりまでしか行かない。そのため定期列車は超満員で、国鉄では石炭貨車まで動員して臨時列車を大増発している。釧路駅には人混みの消える事は無く、帯広と網走の二方面へ向かう列車はデッキまで満員になって釧路駅を出てゆく。また、釧路からは東京行の客船が出ているが、これも超満員であるし、海上自衛隊の護衛艦、水産会社の貨物船までもが、甲板を避難民で一杯にして出てゆく。更に、鉄道や船で高飛びするのでなく、「近くの村まで」と歩いて避難する市民も多い。彼等は、この戦闘がすぐ終わるものと思っているのだろう。それは私達も、そうであるべく努力している事である。
 さて、私達も実はかなり窮しているのである。それは、二十六日に東京を出港した筈の、「勝利」という名の、我が軍の輸送船が、着く筈の二十八日になっても着かない事が原因である。予期していたとは言え極めて激烈な戦闘に、我軍の弾薬は消耗の度を速め、二十九日にもなると、前線本部はおろか、原野の兵站基地の弾薬も殆ど払底してしまった。「勝利」は弾薬百五十トン、食糧など五十トンを満載している。一人当り五十キロの弾薬があれば、あと数日は戦えるのだが。「勝利」はどこへ行ってしまったのか、物資を満載したまま。私は今、小銃の弾丸は一発も持っていない。
 二十八日夕方から雨が降り出し、三十日まで、かなり強く降り続いた。気象の事は詳しくは知らないが、風雨共に強く荒れまくった二十九、三十両日は、それまでの日に比べて異様に生温かかった。しかしそれでも、家を失った市民達には、寒く辛い二日間ではあった。
 私達の行動の成果として、町に敵兵の姿を見る事は日を追って少なくなった。自衛隊と革命軍が激戦を展開した二十七日、この日だけで相当数の革命軍兵士が戦死している。おそらく千人単位で、今日三十日迄に、敵兵の数は半分以下に、いや二割ないし三割にまで減っているだろう。その残った二割ないし三割を、最後の一兵まで倒すために、私達は敵兵の掃蕩に全力を挙げているのである。
 十二月一日の昼、私は偶然、谷口に会った。一見して私は、谷口の表情に只ならぬものを感じ取った。谷口は、私に歩み寄ると、思いつめたような声で言った。
「小隊長。私が何を言っても、絶対に口外しないと約束してくれますか?」
 私は、努めて平静を装って言った。
「それはお前が何を言うか次第だがな」
 谷口は、しばしの沈黙の末に、決心したように、低い声で言った。
「今朝、私は、宮本を、殺しました」
 あの温厚な谷口が、上官を殺したとは! だが、私だって、それを決行しようとしたのだ。私は動揺を押し隠した。
「今朝早く、私は背後から狙撃されました。擦り傷で済みましたが。振り返ると、討伐隊の軍服を着た兵が、走り去って行きました。私は即座に、一連射浴びせ、その兵の足を射ました。その兵を組み伏せてみると他でもない、宮本だったんです。
 宮本は膝が砕けて、出血でもう瀕死でしたが、一人しか殺せなかったのが残念だ、と言いました。京子の事か、と言ったら、そうだ、あのアマを殺したのは俺だ、矢板とお前も、殺すつもりだった、と憎らしげに言いました。私は一遍に逆上して、京子の恨み思い知れと喚きながら、宮本の頚を両手で絞め上げました。気がついた時には、宮本は、もう死んでいました。
 小隊長! この事、絶対に口外しないと、約束してくれますか!?」
 哀願するような口調の谷口に、私は谷口の肩に手を置いて言った。
「心配するな。もしお前が宮本を殺さなかったら、きっと俺が殺してた筈だ。実はな谷口、山岡が撃たれた時、宮本が川向こうの倉庫に入って行ったのを、目撃した者がいたんだ。さらにその少し後で、山岡が撃たれたのと同じ銃で、俺を狙撃した奴がいたんだ。それで俺は、宮本が山岡を殺し、俺を狙ったと確信して、宮本の追討命令を出すように中隊長に上申した。却下されたがな。それ以来、俺はずっと、宮本を殺す機会を窺ってたんだ。俺がやろうとした事を、先にやったお前のことを、誰にも口外しないさ」
 谷口は少し安心した様子だ。
「その目撃者って、誰なんです?」
「酒井だ」
「酒井!? 何て友達甲斐のない奴なんだ!」
 興奮する谷口を、私は鎮めて言った。
「そう言うな。酒井はあの時、自分の見た事をお前に知らせようと、息せき切って病院に駆けつけたろう? それから少し、考えが変わったかも知れんがな。
 とにかく、だ。これで一件落着だ。俺はこの件に関しては、一切口外しない。今聞いた事は、全て忘れた。お前も、忘れろ」
 谷口は幾分不服らしい。
「京子の事は、忘れられませんよ」
 私は笑って聞き流した。
・ ・ ・
 十二月二日の事であった。
〈部下を集めて中央埠頭に来い〉
 中隊長からの連絡があった。私は部下を集めた。
 集まってきた部下は、谷口、河村、酒井、古川、浅野、早川、石田、中山、君塚、屋代、貝塚、伊藤、上野、桐野、久保田、宇田川の十六人であった。大島が病院送り、岸本と西川が戦死、渡辺の消息は知れない。二十七日に召集した時消息の知れなかった山田、片山、及川、森本の四人の消息は、依然、杳として知れない。消息不明が五人もいるという事態になった。
「本当に、山田と、片山と、及川と、森本と、渡辺の消息を知らないのか? もう一度訊くぞ。本当に知らないのか? 俺としても困るんだ。そりゃ生きててくれるのが一番だが、例え死んだとしてもだぞ、死んだって事を上官の俺が知らないって言うんでは厭なんだ。五人の事を考えてみろ、自分が生きて戦っていることを、仲間の誰もが知らないんだ、考えたくないがもし死んだとしても、死んだって事を、一緒に戦った仲間の誰一人として知らない、誰も看取ってくれなかった、誰も弔ってくれなかった、だ。それじゃ浮かばれないってもんだ。
 河村、酒井、古川、お前達、自分の部下が行方不明だって事が、この何日間というもの、ずっと気に掛っていただろう。そうでなかったとは言わせない」
 古川が頷く。
「そりゃ勿論そうですよ。私の班は、もとは九人いたんですよ。それが、あの中島が追い出されて七人になったと思ったら、あの籠城戦の初日に八川がいなくなって……あれから三ヵ月経つのに、何の消息も得られない。釧路へ来たら、この戦闘のさ中に渡辺がいなくなって。二人消息不明なんですよ、二人。ひどいですよ。あの二人が今頃どうしてるか、それが私を押し潰しそうになってるんです。八川については……もう半ば諦めてますけど、でも、死んだとわかったなら、遺品を埋めて、卒塔婆を立てて、弔ってやれるんですよ。それもできない」
 古川は次第に感傷的になってきた。
 河村が言う。
「俺の班は、三人いなくなった。相川と片山と森本だ。相川がいなくなったのも、八川と同じ日だ。あれから三ヵ月、相川はもう諦めているよ。あの時の状況――それを語ってくれた宮川は病院だ。――あれからすると、相川は逃げた可能性が高いと」
 私は喚いた。
「昔の事を今さらほじくり返すな!」
 古川もちょっと言ったが中島のこと。この中島の最期は私が一番良く知っている。私の手で殺したのだから。しかしこの事を、古川に言うのはよそう。古川は、中島の本音を知らないのだ。それを敢えて知らせて、死人に対する印象を悪くすることもあるまい。
 さて私達は一群になって中央埠頭へ向かった。中央埠頭は川の北にあり、浜釧路駅から一キロばかり西へ行った所である。
 着いてみると、岸壁には梱包が山積みになっており、海上部隊の艇「凱旋」が着岸している。この艇は、海軍の十五メートル内火艇よりは多少大きい程度の艇で、艇首に二五ミリ機関砲を一門載せている。
 中隊長が言った。
「物資がどうにか到着した。各人に配給する。一人当り配給量は、弾倉十二個、手榴弾四個。食糧は各自一袋。以上だ」
 これでは何日戦えるのやら。本当に、「勝利」はどこへ行ったのだ。あの輸送船の積んでいる物資は、私達を限りなく――三日も、弾丸のない小銃を背負っているとそう思いたくもなる――潤してくれるのに。
 弾倉十二個、手榴弾四個を背嚢に入れた私は、食糧の袋を開けて中身を調べてみた。米二升、鱈半身、鮭四半身、煎豆五合、野菜が約三キロ。ということは七日分だ。七日。その前に弾薬が尽きるだろう。
 私は中隊長に訊いた。
「『勝利』はどうしたんでしょうね」
「わからん。何でも、東京の本部の方にも全く音信が通じないらしい。時化て沈没したか、敵に拿捕或いは撃沈されたか、三つに一つが考えられる」
・ ・ ・
 四日の夕方、私は、街中を歩いていて友軍の兵士を殆ど見かけない事に気付いた。その時は、敵がほぼ鎮圧されたために引き揚げたのだろう、と思ってはいたが、それにしてもこんなに少なくなるというのは妙だ。確かに敵は殆ど鎮圧されてはいるが、依然百人単位でいるだろうのだ。
 この日、自衛隊も大半は引き揚げてしまった。市はかなり平静を取戻しはしたが、まだ敵がいるのに引き揚げるというのも解し難いものである。
 夜まで哨戒を続けた結果明らかになったことがある。敵は、私の予想以上に損害を蒙り、今では全く殲滅されたということである。今日一日に、私は銃の引鉄を一回も引かなかった。銃剣も、一回も鞘を離れることはなかった。つまり、一度も敵と遭遇しなかったのである。
「敵は滅んだ」
 誰言うとなく口にする言葉である。市民達も、十日にわたる革命軍の蜂起が終熄したことを、本当に心の底から喜んでいるようだ。私も、やっと肩の荷が下りた気分だ。
 差し当って考えねばならぬことは、私達の住居である。以前寄食していた、民兵軍末広町司令部は倒壊してしまっている。私達(本部班と谷口班)は、近くの空き家を借用することにした。ここの住人は、一家全滅してしまっている。ここに移った旨を、本部長に報告しておかなければならない。
 夜になって、無線機が鳴った。
「こちらTYH」
〈TYKだ。片山と山田と森本の消息が掴めた。どうぞ〉
「やっと消息が掴めたか。で、どうなんだ? どうぞ」
〈片山は無傷だった。どうも春採の方へ行っていたらしいんだな。山田と森本は衛戍にいた。どうぞ〉
「三人とも生きていて何よりだな。どうぞ」
〈そうだ。以上〉
 さてこれで、消息の掴めないのは酒井班の及川、古川班の渡辺の二人となった。この二人はどうしたのか。きっとどこかに生きている、と信じたい。
 十一月二十五日から三十日までの、我が軍の戦果と損害を掲げる。五日付会報による。
殺害戦死重傷
二五一二○○八○六五第一次幣舞橋争奪戦
二六九○○六○五五第二次幣舞橋争奪戦
二七二二○○二八二五自衛隊出動
二八八○○二五三七
二九九○○二六二二
三○六○○二五二○
合計六六○○二四四二二四不明一九五
 五日の夜、補充兵員が来た。貨物船を一隻借りて運んできたとの事である。東京第一中隊の割り当ては四三人。これを、四個小隊で分ける事になる。と言っても、人数枠は決まっている。私の小隊に一二人、太刀川小隊には一六人、上村小隊に七人、大原小隊に八人。これで、どの小隊も三十人になる。
「出来れば成績優秀な、正規兵員に遜色ないのを欲しいな。同じ三十人でも正規兵が三十人と補充兵が三十人では戦力が全然違う。うちは何しろ正規兵が少ないのだ」
 太刀川は言う。彼の小隊は、今では一四人しかいないのだ。
「それは誰だってそうだ。俺だって、部下を三十人貰うなら出来れば全員正規兵で貰いたい。しかしそれは無理だ。四三人の補充兵にだって、正規兵に劣らないのもいれば討伐隊にいるのが不思議なほどのぼんくらもいるだろう。誰だって優秀なのが欲しい」
 上村が言う。
「ところで、人事部から来る補充兵リストには、教導部の成績リストも付いてくるんだろう? それをもとに、太刀川に選ばせたらどうだ」
 大原が提案する。
「Aランクを一人占めされそうだな」
 上村が難色を示す。兵員の成績は、A、B、Cの三ランクがあり、選抜試験で選ばれる。最初からいる正規兵は勿論全員Aランクである。
「中隊長に一任したらどうかな」
 私は言った。
「それがいいんじゃないか」
 上村は頷いた。
 という訳で、補充兵員の割り当てが決まった。私の小隊に来たのは、赤坂(Bランク)、井桁(Aランク)、川田(B)、栗原(B)、清水(A)、高橋(B)、千葉(B)、中川(B)、福島(A)、丸山(A)、矢沢(A)、和田(B)、以上十二人である。うちAランクは五人。やはり、後方も人員払底をきたし始めていると考えざるを得ない。六月に来た十五人の補充兵員のうち、Bランクは志村と中島の二人、あとは皆Aランクであったというのだから。(私がこの事を聞いた時、「あの二人か」と内心思ったものである)十月に来た補充兵八人のうちでは、Aランクは中山、伊藤、上野、阿久津の四人、他はBランクであった。
 これからは私の裁量である。各班への割り当てを決めなければならない。私は補充兵十二人を連れて小隊本部へ戻り、谷口、河村、酒井、古川を召集した。
 四人が集まった。私は言った。
「補充兵が来た。割り当てを決める。
 Aランクは五人だから……古川班に、井桁を入れる。矢沢を谷口班、丸山と清水を河村班に、福島を酒井班に入れる。
 各班の人数は……古川班を六人、他は七人にしよう。だから谷口班は矢沢、高橋、千葉だ。河村班には赤坂を入れる。酒井班には川田と栗原、古川班には中川、和田を入れる」
 と決めてから、私は補充兵を一人ずつ呼んで、それぞれ所属する班の班長と引き合わせた。
・ ・ ・
 蜂起も終熄し、街には平和が戻ってきた。避難民も、汽車や船で、続々と戻ってくる。街は再び、以前の賑いを取り戻し始めた。
 六日、浦見の丘の上の釧路支庁で、蜂起のさ中に非業の死を遂げた市民の合同葬儀が営まれた。私はその日丁度非番であったので、葬儀に参列することにした。血塗れの軍服で葬儀に参列するのは少々気がひけたが、これしかないのだから仕方なかろう。
 広い講堂の壇上に、何百とも知れぬ犠牲者の写真が並べられている。棺はない――並べ切れない。花が飾られ、僧侶の読経の声の中、市民の焼香が続く。
 不意に私は肩を叩かれた。振り返ると、本部長がいた。本部長は眉を顰めた。
「矢板、こんな所へ哨戒に来たのか?」
「いいえ、参列に来ただけです」
「だったらその格好を何とかしろ、何とか」
 本部長は黒の上衣を着ている。私の服はと言えば、灰茶色の地に無数の血痕である。
「これしか無いんですよ」
「仕方無いな。私が焼香してきたら上衣を貸してやるから、ここで待ってろ」
 私はじっと立って、本部長を待っていた。脳裡に、この戦闘で死んだ部下の姿が浮かび上がっては消えた。少々左がかっていた矢部。暴力団崩れとは言われてはいても真面目だった吉村。石塚班の生き残りの一人だった岸本。
 本部長が戻ってきた。私は本部長の上衣を借りた。壇に向かってゆこうとする私に、本部長が言った。
「鉄兜は取れ」
 四六時中被っているものだから、脱ぐことを忘れてしまった。私は鉄兜を脱ぎ、脇に抱えて壇に登った。焼香し、合掌する。
 市民達よ。本当に済まぬ。敵の跳梁を防ぎ得なかった自分が腹立たしい。それがこんなに沢山の犠牲者を生んでしまった。もし凱旋できたとしても、私達には、彼等に合わせる顔がない。こんなにして生きている私を許してくれなくても、私は何とも言うまい。いや、言えないのだ。
 私は壇を下りた。遺族席へ目をやった時、丁度宮崎と目が合った。彼女はうつ向き、ハンカチで目を押えた。私は黙って立ち去った。
・ ・ ・
 この後私は、何の気なしに千代ノ浦の物資揚陸場へ足を運んだ。柏木町の、海へ向かって下ってゆく坂道を、八トントラックが轟音を立てて走る。トラックが走っているということは、輸送船が到着したということか。
 丁字路を左へ曲がった時、海岸に「勝利」が泊まっているのが見えた。海岸から少し離れた辺りまでトラックが入り、兵士達が、海岸に積まれた物資をトラックに積み込んでいる。船と海岸の間を、艀が往復している。
 ちょっと変だぞ。船を見つめていた私は、船の様子が日頃見慣れたのと違うことに気付いた。船首楼甲板の上に鎮座していた筈の七六ミリ砲がない。二挺積んでいる筈の重機もない。しかも、船腹に描かれていた徽章も消されている。何かに拿捕されたのだろうか。敵の船にか。もしかするとソ連海軍か。いずれにしても、物資が戻ってきたことは大いに有難い。これで私達は当分、弾薬不足に悩まされずに済むのである。
 夜になってから、私は宮崎の家へ行った。倒壊した家には人気はない。私は裏庭へ回った。蝋燭が一本灯っている。そのほの暗い灯りの中で待つうち、家の中から宮崎が姿を現した。両手に大きな手提鞄を提げている。
「矢板さん……?」
「そうだ」
 宮崎は、手提鞄を置くと、私に歩み寄ってきた。私の顔を見上げて言った。
「短い間だったけど、あの時は本当に有難う。……もう二度と会えないわね、きっと」
 宮崎は一寸口を噤んだ。
「私、札幌の叔母さんの家に引き取られることになったの。今夜九時二十分の急行で発つわ。釧路まで、叔母さんが来てくれるの。……短い間だったけど、本当に有難う。決して忘れないわ」
「忘れないよ、俺も」
 宮崎は私の胸に顔を埋めた。私は、宮崎の髪を撫でてやった。私は言った。
「駅まで、送って行ってやろう」
 私と宮崎が駅に着いたのは八時半過ぎだった。待合室に入って行った私に鋭い視線を投げつけた女性があった。私は立ち止まった。宮崎は歩いていき、その女性の隣に座った。女性は棘のある声で言った。
「浩ちゃん、あの人は何者なの?」
「討伐隊の人よ。私を助けてくれたの」
 しかしその女性は、私を険しい目付きで一寸見ると、ぷいと横を向いてしまった。私は黙って立っていた。宮崎は女性に、しきりに話しているが、女性は態度を変えようとしない。私は、待合室を出た。
 すると宮崎が後を追ってきた。私は宮崎に言った。
「随分愛想の悪い人だな」
「折角送ってきて貰ったのに御免なさい。叔母さんは、軍人が嫌いなの。だから先刻はあんな風に……御免なさい」
「謝らなくたっていいよ。どうせ俺は人殺しさ。一般の人に嫌われたって仕方無い」
 少時して、宮崎は私の目を見つめて言った。
「もう行かなきゃいけないわ。さようなら。決して、矢板さんの事は忘れないわ。さようなら」
「ああ……」
 宮崎はくるりと振り返ると、待合室へ向かって歩いて行った。その後ろ姿に、私は呼びかけた。
「達者でな。幸せに暮らせよ」
 宮崎の後ろ姿が待合室に入って行き、私の目から消えても、私は立ちつくしていた。やがて、汽笛が辺りに響いた。
(2001.2.10)

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