釧路戦記

第十九章
 さて、粛清から六日経った九月一日の事である。私は午後、物資の補給のために基地へ行った。ここで、私は凶報を耳にした。
 中隊長の部屋に行くと、入り口の前に太刀川小隊の角田が、呆然として坐っている。他の部下がいる様子もない。私は彼に声をかけた。
「何だ、どうしたんだ?」
 彼は意気銷沈といった声で答えた。
「どうしたもこうしたも無いよ」
「そりゃどういう事だ?」
「もう最悪。聞いてくれよ。
 先一昨日、二十九日……いや、三十日になっていたな。夜半過ぎだ。うちの要塞が、敵の大部隊に襲われた」
「どのくらいの?」
「百人はいたんじゃないか? 吉村班と長野班が哨戒に出てて、中にいたのは本部班と俺の班と小林班、十八人だ。無人の砲台を制圧され、扉が破られて大激戦。不意討ちで寝込みをやられたんだ」
「哨戒に出てたのがいたんだろう? 無線連絡は無かったのか?」
「不思議だが無かったんだ。哨戒の方が先に一人ずつ潰されたんじゃないかな。
 結局、十八人のうちでは、俺が辛うじて逃げて来ただけだ。あとの十七人はわからんな。捕虜になったのが数人いるかも知れん。で、俺がここへ逃げてきて報告したんだが、奪回に失敗したらしくてさ、――砲台を爆破せずに逃げたのはまずかったな。結局一五五ミリで破壊したって訳だ。捕虜になった仲間は他所へ移されていたらしい」
「小隊全滅って訳か……。最悪だな」
「言われなくてもそうだ。で俺は、逃げてきてすぐ、他の要塞に至急、対人地雷を出来るだけ大量にやるべきだと上申したんだ。それと扉をもっと頑丈にすることもな。丈夫にしたとか言っても、バズーカの一発で吹っ飛んじまったんだ。うちの二の舞を出さない為にと上申したんだ」
「バズーカで破れない扉ってのは無理だとしても、……対人地雷は必要だな」
「そう思うだろ?」
「そうだ。まだ受取ってなかったな。兵站部へ行って来る」
 私は兵站部へ行くと言った。
「対人地雷の補給を願います」
「対人地雷? ああ、角田が喚いてたあれだな。わかった。倉庫の、手榴弾が入ってる穴倉にある。要塞一ヵ所宛三百発だ」
「三百発? 少ないですな」
「矢板、君は要求が高すぎるぞ。
 いいか、今日、ここにある対人地雷は八千個だ。そのうち、この基地の分が二五○○、道路沿いの分が片側五メートルに一個として六・二キロだから両側で二五○○、合せて五千。残りの三千を要塞十ヵ所に充てると、一ヵ所は三百個になる。これでも、工場の生産能力の限界に達しているのだ」
「基地の二五○○てのを減らしたら……」
「それができると思うのか? ここは、前線の要塞なんかよりずっと重要な拠点なのだ」
 私は次第に感情的になってきた。
「要塞なんか、と言いましたね。こんな後方基地を守るために、前線の防備を手薄にすると言うんですか」
「ここが後方か?」
「そうでしょう。この基地の方々で、二日に一扁以上銃火を交えた人がいますか? 前線基地の防禦の重要性は、こんな後方で安閑としてるお偉方には解るもんですか」
「言うことはそれだけか?」
「他にもありますけどね」
「何と言おうと割当ては三百だ。一個も余計には配らん」
「わかりました!」
 いつの世でも軍需物資は生産が追いつかぬものだ。ともかく、対人地雷三百発を受取り、その他の物資ともどもトラックに積み込んだ。籠城戦徹底重視の考えから、バズーカ弾は無しとし、迫撃砲弾も無しの代わりに重機弾と加農砲弾を増やしてある。
 私は要塞に帰ると、部下を集めて言った。
「本部から対人地雷が支給された。これを、上の平地に二百、下の河原に百ずつ埋める。埋め方は……」
 下の河原には、一辺が五メートルの三角形を作るように地雷を埋め、上の平地は一辺三メートルの三角形になるように埋めた。遠くから順々に埋めていき、誤って踏むことを避けるのには留意していたが、幸いに誤って踏む者は無かった。
 銃眼の工事は進捗し、九月二日の夕方には二つとも完成して、重機が据えられた。重機は、広範囲を射てるようにせり出させると落ちてしまうので、前後四脚のうち前二脚を外し、鉄条網に使ったワイヤロープで上から支える形にした。この銃座は砲台のように護られていないので、この点は留意しなければならない。
 私が部下に調べさせたところでは、弾薬・兵糧の備蓄は
 ・加農砲弾 二九一発
 ・迫撃砲弾 四二六発(迫撃砲 四門)
 ・バズーカ弾 三○五発(バズーカ 二挺)
 ・重機弾 四一七○○発(重機 四挺)
 ・小銃弾(在庫分)一八六六○発(小銃 三一挺)
 ・手榴弾(在庫分)七八○発
 ・食糧 二六二○食分(三一人の二八日分)
 ・水 二七○○リットル(三一人の二九日分)
 この他に、小銃弾は個人が持っているのが弾倉百個余り、また手榴弾も百五十発くらい個人が持っているのがある筈だ。これで、何日間の籠城戦が可能だろうか。消費量がはっきりしている水と食糧は、大体二八日持つが、消費量の予知できない弾薬が問題だ。
 またこの日(一日)、補充兵員が二人来た。後方へ行っている四人が当分復帰できる見込がないうえ、三人追い出してしまって三十一人になってしまったからと思われる。しかし私としては、やや迷惑でもあった。こんな最前線に、実戦経験の全然ない補充兵を送って来るとは人事部の考えがわからぬ。しかも食い扶持が増えると、食糧がそれだけ早く無くなる。極端な話、本当の籠城戦のためには十一人いれば足りる。十一人なら、今の備蓄で三ヵ月間籠城できるのだ。
 さてこの日来た補充兵の名前は鈴木と山口で、年はいずれも二十二だ。鈴木が谷口班、山口が酒井班に配属された。
・ ・ ・
 三日の夜更けの事だった。私は西川と、要塞の南東の尾根を越えた所にある、二一番川の支流の広い沢のあたりを哨戒していた。尾根から沢にかけては草地であるが、二一番川沿いには林が広がり、夜目にもよく解る。
 ふと、私の目は光を捕えた。東南東数百メートル、二一番川の林の中に幾つかの光がある。私達は光に向かって歩いて行った。
 光まで百メートル。双眼鏡で見ると、数十の敵兵がいるのが見える。これは少々手強い。二人では無理だ。重機が要る。いや、霰弾の方が良いか。私は茂みの陰に身を隠し、ハンディトーキーのスイッチを入れた。
「TYK、TYK、こちらTYH、応答願う」
〈こちらTYK。TYH、どうぞ〉
「TYHだ。敵の陣地を発見した。霰弾の用意をしてくれ。以上」
〈霰弾だな。了解〉
 二分ばかり経った。私はこの間に、地図で方位角と距離を調べた。ハンディトーキーが鳴った。
〈TYH、こちらTYK。応答願う〉
「TYHだ。方位角は――と、一三三度、距離九八○メートル。霰弾だ。以上」
〈一三三度、九八○メートル。了解〉
 五秒ほど過ぎた。弾丸の飛翔音が空を切り裂いたかと思うと、敵陣の真中で霰弾が破裂した。私はハンディトーキーを取った。
「TYK、こちらTYH。修正なしだ」
〈了解〉
 五秒ほどの間隔で、次々に霰弾が炸裂し、爆発音のうちに敵兵の呻吟や怒声が交った。右往左往する敵兵は次々に薙ぎ倒されゆく。十発くらいで、敵兵は殆ど見えなくなった。私はハンディトーキーを取った。
「TYK、こちらTYH。もう射たなくていい」
〈了解〉
 私は、砲撃の終わった敵陣地へ向って行った。むろん匍匐前進でである。地面には鋼片がめり込み、至る処に敵兵が倒れている。私達は一人々々生死を確かめた。まだ息の残っている敵は、一人ずつ銃剣で止めを刺した。こうして私達は、三十七人の戦死を確認した。一時退却した敵もいるかも知れない。
 午前一時、私達は検査を終えた。ふと南南東の丘を見ると、丘の上に小さな光が動いているのが見えた。敵兵か。私達は丈の高い草薮の中に隠れ、光をじっと見据えた。
 何分経ったろうか。光は百メートル以下に近づいた。十五人ばかりの敵兵が一列縦隊をなしているのがわかる。私は銃を単発にし、列の先頭の兵に狙いを定めて引鉄を引いた。
 先頭の兵は倒れた。列が乱れ、何人かは私達のいる薮の方へ向かってきた。今度は連射に切り換えて引鉄を引く。一連射で四人倒れた。尚も敵兵に狙いを定め、次々に射ち倒した。三十秒ばかりの間に十二人を倒した。二人、今来た丘の方へ遁走した。私は単発で二発放ったが、一人は射損なってしまった。
 十三人の戦死を確認している時、西の方から微かな銃声が聞こえてきた。私達は検査を終えると、川の南岸を西へ向かって走った。二三番川を渡り、次第に疎らになる林の中をゆくと、前方に敵部隊がいるのが認められた。地面に伏せて双眼鏡で見てみると、どうやら川を挟んで彼我が銃火を交えているらしい。味方の方は僅か二−三しかいないようだ。いくら機関銃でもこれでは不利だ。私は匍匐前進で敵部隊の後方へ回り込んだ。一本の木の陰から銃を構え、高々と喚声を上げながら連射した。弾倉が空になった。新しいのを着けて更に連射した。喚声を上げながらの背後からの襲撃に、敵兵は、背後から大部隊が接近していると錯覚したらしく、すっかり恐慌状態になった。味方はこれで力を得たか、次々に敵兵を射ち倒した。
 敵兵の姿は無くなった。私と西川は銃剣を抜き、倒れている敵兵一人々々の生死を調べた。林の中で二十五人の死亡を確認し、川に飛び込んだのが三人ばかり川岸に浮かんでいたのも全員死亡を確認した。
 午前六時、要塞の近くに集まった時、北方から爆音が聞こえてきた。見ると、真北から、低空飛行で飛んで来る小型機がある。
「敵機だ! 機銃にかかれ!」
 私は叫ぶと、兵舎に飛び込み、弾帯を一本担いで銃座に登った。小型機は、爆弾のような物体を胴体下に吊るしている。
(間違いない、ここを爆撃に来たんだ)
 私は重機を構え、接近してきたところを狙って連射した。エンジンが火を噴いた。機は急角度で、川の北側にある低い台地上に墜落した。火柱が立ち上り、爆発音が響いた。
「やったぞ!」
 もう一ヵ所の銃座から歓声が上がった。
 この日私は、この要塞に対して本格的な攻撃が始まったことを知った。部下の話によると、大体一晩で十回ばかり銃撃戦があり、敵兵は百五十から二百を倒したという。昼の間にも、四回ほど砲撃要請があり、もっぱら霰弾を使った。
 昼頃、砲台に登って仮眠していると、激しい爆発音に眠りを破られた。私は砲塔の扉から外を窺った。激しい銃撃戦が続いている。時々、地雷が爆発して敵兵が宙に舞い上がる。私は下へ降りて行き、倉庫から持てるだけの手榴弾を持ち出すと、砲塔の窓の鉄板を上げ(砲塔の両側に一ヵ所ずつある窓は、上図のように薄い鉄板を引き戸のように着けてある)敵兵を狙って次々に投げつけた。手榴弾の届かない敵に対しては、銃を射かけた。
 午後二時になった。私は砲塔を封鎖し、崖の上に登って、そこで戦っている河村達を支援した。
 午後三時頃、敵は退却した。私達は要塞に入った。私は皆に言った。
「どうやら籠城戦を始める時が来たようだ。今日から、外の哨戒は止める。今までと同じく八時間交代で、砲台と銃座に就く。
 ……二個班は要らないな。一個班だけにしよう。今夜十時までは酒井の班だ」
 私は員数を確認した。
・重傷 橋本・大島・趙 三人
・軽傷 君塚・西川・片山・宮川・矢部・荒木・石川・山口・及川 九人
・無傷 私・浅野・早川・山岡・山田・谷口・石田・鈴木・中村・屋代・河村・小笠原・高村・酒井・岸本・桐野・古川・宇田川・細谷 一九人
 この他に、後方送りが吉村・貝塚・鶴岡・渡辺の四人、放逐したのが串田・羽田・中島の三人である。
 三十人。相川と八川がいない。私は河村を捕まえて聞いた。
「相川がいないぞ。どうしたんだ?」
 彼もその事に気付いている。
「俺も知らん。おい、相川を見た者はいないか?」
 古川が叫んだ。
「小隊長! 八川がいません」
 騒然となった。私は皆を鎮めてから訊いた。
「相川を最後に見たのは誰だ?」
 宮川が挙手した。
「宮川。相川をどこで見た?」
「……確か、あの飛行機が落ちた台地の北の方です」
「そんな所へ行ってたのか?」
「はい」
「二人で一緒にか?」
「そうです」
「何時頃だ?」
「大体正午頃でした」
「状況を詳しく説明してくれ」
「はい。……大体十一時頃ですか、私が川の辺りを哨戒してると、相川が手招きしたんです。それで、行ってみると、相川は、『飛行機を見に行こう』と言ったんです」
「確かにそう言ったんだな?」
「言いました。そして、飛行機が墜落している所へ行ってから、相川が『もっと北の方へ行ってみよう』と誘ったんです」
「それで北の方へ行ったんだな?」
「はい」
「何故相川はそう言い出したと思う?」
「わかりません」
「その先を続けて」
「丘の北の川――風蓮川の本流ですか、そこへ着いた時、南の方で爆発音が聞こえたんで、私は相川に『戻ろう』と言ったんです」
「それから?」
「私はすぐ、ここへ向かって走り出したんですが、丘の上まで行って振り返ると、相川はいませんでした。で、すぐ川まで戻って、林の中を探したんですが……」
「いなかったのか?」
「はい」
「もっとよく探してみなかったのか?」
「はあ。何しろ要塞が攻撃されてると分ってましたから急いでたんです」
「わかった。……どう思う?」
 私は河村に言った。私の脳裏に、石塚の姿が浮かんだ。もしかすると……?
「考えたくは無いがな……あいつも逃亡したって事は考えられる」
 河村は低い声で言った。
「逃げたにしちゃ変ですよ」
 片山が言った。
「大体逃げる積りなら何故宮川を誘ったんです? もし宮川が小隊長に知らせて、それで捕まったらえらい事になる筈だから……」
 片山の言うことには一理ある。
「考えられる事は……相川が、宮川が慌ててるのを見て突然、逃げる事を思いついたか、でなかったら、宮川と共謀して一緒に逃げる気だったか、ってことになる」
 河村が言うと宮川は慌てて打ち消した。
「私は逃げる気なんか毛頭ありませんよ! 相川がもし逃げたがっていたとしても、一緒に逃げる気は毛頭ありませんったら」
「まあいい。どっちにしても、相川は戦死とは考えにくいって事だな。
 次、八川を最後に見たのは誰だ?」
 誰も反応しない。何ということだ。野戦の基本である「単独行動厳禁」を心得ていないのか。
「誰も見てないのか!?」
 及川が言った。
「ええ、私は……朝ここを出た時から一度も」
 突然、高村が叫んだ。
「あ、そう言えば」
「何だ? 見たのか?」
「本人を見たんじゃなくて、」
「何か持ち物を見たのか!?」
 古川が勢い込んで訊く。
「……はい、ここからだと南南西に当るんですか、敵兵が三十人くらい死んでいた辺りよりもう少し南の方の木陰に、銃と銃剣と、弾倉が二個捨ててあったんです。あと、ヘルメットがありました。それに、八川の名前が書いてあったんです」
 古川が言った。
「という事は、……捕虜になったって事か」
 河村が反駁する。
「どうだか。逃亡の線も捨て切れない」
「どうして?」
「少なくとも戦死が確認されてはいないんだ。武器を捨てて逃げた可能性はある」
 私は河村に言った。
「それは無いだろう。ここらには敵はやたらにいる。そんな中を丸腰で歩き回るのか? 安全な所に着く前に――安全な所があるかどうかは措いといて――殆ど確実に敵に遭う筈だ。もしそうなったら助からない。それくらいは知ってる筈だ」
(2001.2.6)

←第十八章へ ↑目次へ戻る 第二十章へ→