釧路戦記

第八章
 目を覚ました。時計を見ると午前七時である。
「あぁあ、よく寝た」
 私達は、一昨日の夕方から丸一昼夜戦って、昨日午後四時に兵舎へ帰り着いたのだ。皆疲れ果てて、倒れ込むように眠ってしまったのだ。
 顔を洗い、歯を磨いて戻って来ると、大体目を覚ましていた。
「昨夜は激戦だったなあ」
 河村が言った。
「こっちも相当やられたな」
「そうだなあ。小隊が編成された日と比べてみようか。
 戦死したのは……うちが林と磯部、矢板んとこが寺田と橋口、石塚んとこが鈴木と山村と山本、三木んとこが五十嵐と和田か。それに本部の小林。これで十人。後方へ送られたのは、矢板んとこの石田か。それに小隊長と、本部ドンパチで本部の早川と、矢板んとこの中村の、うちの高村と、石塚んとこの及川と八川と、三木んとこの趙だ。しめてこれは八人。それから逃げた奴が石塚。これで十九人だ。ひどいな」
「半分になっちまったな」
「石塚班は班長がいなくなったし、三木班と合せて七人しかいないから、これで一個班だな。するとうちの小隊、三個班になっちまうのか」
「そ。たった十七人の小隊だ」
「ひどいなあ……」
 河村は瞑目した。
 私も思わず頭を垂れた。
 夕方私は、野戦病院に小隊長を見舞った。小隊長は起きていた。
「全くばかばかしい話さ。何の病気だったと思う? 盲腸だよ、盲腸」
 いささか自嘲気味に小隊長は言った。
「次の作戦までに治るといいですね」
「ああ、いつまでもたかが盲腸でこんな所に寝てられるか。
 この前の戦闘はどうだったんだ?」
「どうだと言われてもそう口で言えるものでもないですが。
 戦死者十人。寺田、橋口、小林、五十嵐、鈴木、山村、山本、和田、磯部、林です。後方送りは石田。
 非常に怪しからん事ながら、石塚が敵前逃亡しました」
 小隊長は驚いて聞き返した。
「敵前逃亡!? 石塚が?」
「遊撃隊として敵の陣地を攻撃し、石塚班の者が三人――鈴木と山村と山本です。三人相次いで戦死した直後でした。任務を放棄すると言って、私に従わなかったので、そこへ置き去りにして……」
 小隊長が遮る。
「そりゃ矢板、お前は石塚の上官なのだから、トロに縛りつけてでも連れて行くべきだったんだ。逃亡の恐れのある者を置き去りにしたのは、矢板、お前の過失だな」
「……しかし、仮に連れて行っても、野戦になったら必ず逃亡しただろうと思います」
「それで、置き去りにしたままだったのか?」
「いいえ、すぐ後で中隊長命令で、捜しに行きましたが、見付かりませんでした」
「逃亡兵を捜すのは大変だからな。
 とにかく、俺が復帰したら、一人の逃亡者も出しはしないぞ」
「そのためにも、早く復帰して下さい」
「わかってる」
・ ・ ・
 十九日の昼であった。昼飯前、
「今日、吉川小隊とうちの小隊に補充兵員が来る。釧路までバスで迎えに行くが、誰が行く?」
 太刀川小隊長が言った。
「私が行きます」
 私はすぐ返事した。
「私も行きます」
 河村も返事した。
「よし、じゃその二人、俺と一緒に行こう。補充兵員を乗せた船は、午後二時に釧路に着く。だから、一二時一五分に出発しよう」
 太刀川小隊長と河村と私は、自動小銃で武装したが、戦闘服の上には作業着を着て、民間人風に装った。街中に戦闘服で出没するのは危険すぎる。乗っていくバスは、例の緑色バスである。これは軍事輸送用に最初から考えたもので、窓は防弾、外板の下には十ミリの鋼板、そしてタイヤは硬質ゴムを詰めてある。
 一二時一五分に出発し、丘陵地を走って一時五十分に釧路市南方の、千代ノ浦海岸に設けられた物資揚陸場に着いた。揚陸場の詰所へ出かけて行った太刀川小隊長は、小時して戻ってきた。
「船はエンジントラブルで出港が遅れたらしい。あと二時間ぐらいで来るそうだ」
 河村が言った。
「暇ですから衛戍病院に見舞いに行きましょう」
「良かろう」
 そこで私達はバスに乗って、駅の近くの病院へ行った。その病院は、一見するとまるで倉庫のようなコンクリートの二階建である。
 中へ入っていくと番兵がいる。
「東京第一中隊の太刀川小隊長と吉川小隊の者だ。補充兵を迎えに来たんだが船が遅れそうだから来た」
「どうぞ」
 二階の中程の所に、東京第一中隊の病室はあった。私達三人は中へ入った。
「東京第一中隊の太刀川と吉川小隊の矢板と河村だ」
 太刀川小隊長が言った。私は中村の寝台に歩み寄った。中村は目を覚ましていた。
「班長」
「どうだ、具合は?」
「ええ、かなりいいです」
「そうか。あと何日くらいだ?」
「順調に行くとあと二週間で退院できると言われてます」
「頑張れよ。待ってるぞ」
「こないだのドンパチの事は石田から聞きましたけど、結局どうなりました?」
 私は少々大げさに言った。
「大勝利さ。敵は潰滅。いやぁ大したもんだ」
 それから声を落として、
「……だが寺田と橋口が死んじまった。小隊全部で十人戦死だ……」
「そうですか……ともかく、早く全快して戦線に復帰するよう努力しますよ」
 三時前に私達は病院を辞した。揚陸場に行ってみると、船はもう着いている。一九九トンの「勝利」である。補充兵員達が船から降りてくる。
「さあ乗った乗った」
 全員乗った後、私達はバスに乗った。兵員は二十五人。最前部に河村が、最後部に私が陣取り、作業着の下に隠した銃を握っている。
 バスが走り出した。
 幸いにして敵に遭わずに、兵舎へ着くことができた。敵は円朱別に集まっていたのだろう。兵舎の前にバスを停め、二十五人を降ろし、一列に整列させた。小隊長が話し始めた。
「俺が小隊長の太刀川だ。この二人は吉川小隊の矢板と河村。よく覚えておけ。吉川小隊長は野戦病院へ送られている。
 まずここの生活は……」
 こまごまとした訓示の後、班毎の割り当てがあった。私の班には、四人充てられた。
  石川 俊雄 二十九歳
  志村 秀樹 二十五歳
  屋代 勝喜 二十一歳
  矢部 聡  二十四歳
 また班編成も少々変わった。班長は補充兵では心もとないので経験者が引き抜かれる。この結果として班編成は
・本部班 吉川(小隊長)・浅野・山岡(看護婦)・山田(補)(後方 早川)
・第一班 矢板(班長・小隊長代理)・石川(補)・谷口・西川・志村(補)・屋代(補)・矢部(補)(後方 石田・中村)
・第二班 河村(班長)・相川(補)・小笠原・貝塚・片山・橋本(補)・宮川(後方 高村)
・第三班 酒井(班長)・岸本・桐野・串田(補)・鶴岡(補)・羽田(補)・吉村(補)(後方 及川・八川)
・第四班 三木(班長)・古川・荒木・宇田川(補)・大島(補)・君塚・中島(補)・細谷・渡辺(補)(後方 趙)
 しめて四十一人、後方を除いた実働は三十四人だ。私の班から酒井が抜けたのは痛いが、元陸曹としての腕を買われて班長に抜擢されたのだと思うと仕方ない。しかし、それにしても正規兵員が三人とは心もとない。中村が戻って来るまでは実働も七人だ。
 酒井の戦闘服には、今までの一本線に代わって二本線の階級章が縫いつけられた。
「私が矢板班長と同じ格だなんて」
「まあ頑張れよ、自衛隊でも班長だったんだろう」
・ ・ ・
 二一日、吉川小隊長が復帰し、私は代理の任を解かれた。
 二二日の朝、三木が発病した。体中が痛いと言っているうちに、夜になって激しく苦しみ始めた。私達は急いで彼を野戦病院に送った。そこで下された診断は、破傷風であった。
 野戦病院には、破傷風の治療薬は少ししかなかった。すぐに薬は尽きてしまった。さらに、敗血症を起こしていることもわかり、二四日、治療のため後送することになった。
 この後送が命取りになったのだった。破傷風に罹ると、僅かな刺激で筋肉が痙攣するというのだが、マイクロバスで後送された彼は、車が脱輪したショックで激しい痙攣を起こし、呼吸が停止して急死したのだった。何ともあっ気なく、かつ無残な最期であった。
 三木の急死で、三木班の班長には古川が昇格すると決まった。これで、古参の班長は二人になってしまった。
 私達の小隊から石塚がいなくなって、今日(二四日)で八日目である。中隊長は部下の離反が腹にすえかねるのか、あの日以来不機嫌である。私も、あまり良くは思っていない。いつもは極端に冷静――を通り越して冷徹な河村も、一度だけ私に、「あの時あそこであれが逃げたのは身勝手だったとしか思えない」と悪しざまに言った。石塚班の生き残り――桐野と岸本――は、忘れようと努めているようで、元の自分の上官のことを何とも言わない。他の班の兵も――あの時居合わせた兵だ――同じようだ。補充兵に対しては、「石塚班長は戦死した」と言うよう口裏を合わせている――そのように中隊長が言ったのだ。
 私達にとっては、過去の人よりも、現在の人の方がより重要だ。十五人の補充兵全員の名前と顔を覚えること、これが当面すべき事である。私の班の屋代は、その剽軽な――一日に一度は人を笑わせる性格で、真っ先に皆に覚えられた。本当かどうか知らないが、寝言に冗談を言ったといわれているから筋金入りだ。
 中には凄いのもいる。酒井班の吉村で、革命軍の事務所に放火し、騒ぎの中で組員を一人殴り殺して捕まり、五年服役して出てきたものの職もなく、討伐隊に入ったという。その事件を起こした動機が、彼の所属していた暴力団が革命軍と抗争して壊滅したことだというから少々近寄りにくい。もっとも、服役後はおとなしくなったと本人は言うが。
(2001.1.30)

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